近所のボトルショップ(酒屋)にワインを買いに行った。入り口に山積みされている特売品を選んで、レジに持っていったら、「うっじゅらいかう?」と言われた。意味が分からずキョトンとしていると、「Do you want かう?」と再度聞かれた。「かう」が欲しいか?だって?? なんやねん、「かう」って。牛(Cow)かいな。オーストラリアではワインを買ったら牛がおまけに付いてくるのか? 思わず頭の中で、雪印の乳牛とワインの掛け算の図が浮かぶ。が、謎は解けない。まだキョトンとしていると、レジのおにいちゃんだけじゃなく、周囲にいたお客さんたちも、口を揃えて「かう、かう」と私に向って呪文のように唱えている。遂にレジのおにいちゃんがカウンターから出てきて、店の奥へ行き、私を手招きする。「これだよ」と彼が指差したものは、冷蔵庫に入ったワイン。よく見ると私が特売コーナーから持ってきたものと同じ銘柄であった。なんだかよくわからないまま、おにいちゃんの勧める冷えたワインを購入したが、それでも牛の謎は解けなかった。
この謎が解けるまでに1ヵ月かかった。オウの音がアウに近くなるという、オーストラリア訛りのクセに気付いたのだ。そうか、彼はこう言っていたのだ。「Do you want cold?(冷たいのがいいですか?)」と。オーストラリア訛りがわからないのは無理ないとして、私はLとDの音すら、みごとに聞き落としていたのであった。
シドニーに来てすぐに通いだした大学の英語コース。最初にレベル分けのためのテストがあったんだけど、試験となると思わずリキが入ってしまう優等生的体質から逃れられない私は思わず実力よりも高い点数をとってしまった。さらにイケナイことに、この試験はペーパー試験のみだったので、文法と読み書きは出来ても喋る能力は3歳児以下という私のような典型的受験英語育ち人間には、とうてい付いていけない上級のビジネス英語クラスに参加することになってしまった。
授業の初日。先生が早口でクラスの進め方について説明している。ぜんっぜんわかんない。次に、なんだかワークシートのようなものを全員に配りはじめた。「あなたの将来のキャリアについて書きなさい」とか書いてある。ビジネス英語を選択したからには、英語をキャリアアップに生かそうというのが普通の目的なのだろう。私は躊躇した。別にキャリアアップ目指して、カルビー辞めてシドニーに来たわけではない。昇進とか右肩上がりの発想じゃなく、もっと違う生き方・価値観を求めて来たのだ。なんと書いたらいいものかしばらく悩んでいると、先生が手助けしようと私の側にやってきた。
先生:「この質問の意味、わかるかな?」
私:「う、う、う(←もがいている)」
先生:「たとえば、将来、マネージャーになりたいとか、セールスの道を行くとか、そういうことだよ。キミは日本で何をやっていたの?」
私:「マーケティング・・・」
先生:「じゃあ、マーケティング・マネージャーになる!、でいいじゃないか」
私:「んー、んー(←まだ便秘状態)」
先生:「それとも他のキャリアを目指したいの?」
私:「ンー、私は昇進したくない」(とりあえず発声したが、簡単な構文しか思い付かない)
先生:「昇進しなくて、どうするの?」
私:「私はキャリアには興味がないっ!」(言いたいことが言えずに、思わずリキむ)
この私のリキミに対して、先生はいきなり勘違いして「ああ、彼女はアップセットしてる。」と言い捨て、「もうハナシにならないね」という態度で立ち去った。
ただ単純に自分の言いたいことをうまく表現できずにリキんでしまっただけなのに、呆れられてしまった。当時はアップセットという意味も知らなかったけど、なんとなく「冷静に話せない人とは会話にならないね」というニュアンスは感じられた。すげー悔しかった。
英語も十分できないまま、とりあえず就職した。この会社ではオーストラリア人が皆日本語を話せるので、コミュニケーションは日本語と英語のチャンポン。我々日本人は日本人相手の仕事だけしていればよいので、英語力がなくても仕事になった。しかし・・・
電話の受け答えくらいは出来なくちゃイケナイ。といっても、面と向ったコミュニケーションと違い、電話ってすごっく大変なのだ。タダでも英語名の名前は聞き取り難いが、オーストラリアの場合、あっちこっちの文化背景を持つ、英語圏らしからぬ名前もよく出没して我々を悩ませてくれる。だから、相手の名前を聞き取るのは一苦労なんである。
ある日、同僚のスーザン宛てにオーストラリア人らしき人から電話があった。「すみません、スーザンは今、電話中なんですが」と何とか乗り切る。すると、彼女は「折り返し電話くださいと伝えるようお願いします」と言った。「お名前は?」と聞くと、「トレーシー・アトム」と言った。いや、私にはそう聞こえた。
スーザンの電話が終わってから、「スーザン、トレーシー・アトムっていう人から電話あって、電話くださいって」と伝えると、「トレーシー・アトム???」と怪訝な顔つきである。誰だろう??と1分ほど眉間にしわ寄せて考え込んだスーザンは、いきなり笑いころげ出した。「マキ、それ、 Tracy, at homeでしょ?」と。つまり「トレーシーですが、自宅に電話ください」という意味だったのね。
英語は一語一語が独立して発音されず、前後がくっついてだんご状態になってるから、聞き取り難いわけだが、アットホームが「アトムさん」に化けるとは。超赤面。
オーストラリアは移民国家であるため、下手な英語に寛容ではあるが、当然のことながら、我々日本人訛りの英語は、聞き取ってもらいにくい。Worldと言ったつもりが、 英語ネイティブのオージーにはRoadと通じていたこともあるし、Fukushima(私の名前)がSukushimaと聞き取られて、飛行機の予約が入らなかったこともある。まあ、こんな話はよくあることで、実例は枚挙に暇がない。かくして、日々道を歩きながら、バスの中で、モゴモゴ独り言を言っては周囲に白い目で見られつつ、地道に発音の練習に励むわけである。
しかし、その逆もある。つまり、オージーの日本語は聞き取り難い。特に名前となると一苦労である。というのも、日本語のローマ字読みを知らない人がほとんどだからである。特に「tsu」はこの綴りで「ツ」という音になることが結構不自然らしく、知らなきゃ発音できないそうである。さらに英語ネイティブにとっては「ツ」と「ス」の区別がつきにくいことも分かった。よくよく考えてみれば「ツ」と「ス」の発音の違いは舌が上歯茎に付くか付かないかの違いで、大差ないのである。我々日本人もこんな微妙な違いをよく聞き分けているものだと感心したりする。
さて、会社でこんなことがあった。オージーからの電話を受けた私には「May I speak to キャリー?」と聞こえた。キャリー??ウチの会社、そんな人いたっけ?と、改めて名簿を一覧するが、いない。「そんな人はいないんですが...」と言うと、「おかしいですねー、キャリーからファックスもらったんですけど」と怪訝がりつつも電話を切った。
「キャリー」が「Kaori(カオリ)」であることに気付いた時は、既に遅かった。カオリさん、ゴメンナサイ。
友達のオージー宅で「お好み焼きパーティー」をやった。関西名物「ねぎ焼き」に挑戦したはいいが、醤油を持参するのを忘れた。日本の家庭ならまず100%置いてある醤油だが、ここではそういうわけにいかない。「ねえ、醤油ある?」と聞くと、「うん、どっかにあったと思うけど・・・」とキッチンの戸棚をバタバタと開けながら、確かに彼女はこう言った。「あいる醤油」−−そんな醤油の種類があったのか。キッコーマン醤油なら知っているが、「あいる醤油」とは初耳である。
「あったー!!」出てきた醤油は、見るからにキッコーマン醤油である。ここで気付いた。あいる醤油は「I'll show you」だったのね。
(福島)