シドニー雑記帳
近況:98年師走
日本は師走に入って雪が降るなどしているそうですが、こちらは暑い12月をやっとります。何回やっても慣れない「暑いクリスマス」です。しかし、慣れないのは僕が日本人だからではないでしょう。地元のオージーも、根はヨーロッパ、北半球の人達ですので、サンタはやっぱり厚着して帽子かぶってます。汗腺の関係か、真冬でもTシャツ一枚でOKという連中が、ご苦労なことに真夏にサンタの恰好しているのを見るたびに、「そうか〜、200年経っても慣れないもんは慣れないんだなあ」と納得したりします。4年くらいではこの違和感は払拭されそうにないですね。
さて、雑記帳では長丁場が予想される「僕の心を取り戻すために」ですが、最近全然進んでおりません。というのは、またしてもパソコンを買ってしまったからです。これでもう3台目になるわけで、そこそこ慣れてきてはいる筈なのですが、どうもパソコンというものは、買ってしまうとその後当分の間はセットアップに没頭せざるを得なくなるシロモノのようです。
で、没頭してました。
こちらでパソコンを買った場合の問題としてまず挙げられるのは、「なんでもかんでも英語版」ということですね。今回もWindows98英語版がプリ・インストールされてたわけですが、これじゃイヤなので、日本語版をインストールするところから始まります。つまりハードディスクをフォーマットするわけです(最近ではそこまでせんでも英語版と日本語版が並立するのもあるようですが、それもディスクの無駄という気がします)。で、この最初の一歩でいきなり問題に直面しました。フォーマットできない.....。
僕らはWindows95の日本語版をインストールするわけですが、ここで98と95の差とか、英語版/日本語版のズレが出て来るわけです。そのズレは、まずハードディスクの読み込み問題で現れたわけです。
僕も以前教えてもらって知ったのですが、95の最初の方の版は、認識出来るハードディスクの容量が2ギガくらいしかない。ところが今度買ったパソコンのハードディスクは4ギガ以上あります。4ギガあるとどうなるかというと、「手におえましぇん」とばかりにほっぽりだしてしまうわけです。つまり、ハードディスクのフォーマット自体が出来なくなる。途中で「出来ません」という「そんな殺生な」というツレないエラー表示が出て、それきり−−−−−−−。画面真暗。お先真暗。
何回やっても駄目。ひきつります。
で、やっとのことで、「ああ、もしかして」と思い出して、コマンドでFDISKとタイプして、ハーディスクのパーテーション設定というのをやりました。論理MS−DOSがどうしたこうしたというワケ分からん世界です。で、これで4ギガちょっとのハードディスクを3つに分けて設定して、そのうちの一つ(2ギガ)にウィンドウズをインストールします。で、インストールできました!
ここらへんまでは良かったのですね。いいとこ3時間くらいでインストールが済んだし、立ち上げればちゃんと立ち上がる。「やれやれ」と思ってるうちに、さらに新たな難問に出くわすわけです。すなわち、
@ネットワークがつながらない
Aサウンドカードが機能しない(音が鳴らない)
Bディスプレイの設定がおかしい(800×600までしか設定できないうえに、16色しかでない)
一番厄介だったのは@です。今まで2台つないでいたのを3台にするだけですから楽勝とか思いきや、全然上手くいかない。しまいには今まで順調に稼動していた2台も駄目になってしまった。
「げげげ、嘘だろ〜、嘘だと言ってくれいっ」
と呟きながら調べ、ドライバーでネジを廻してカバーを空けてみると、古い方のパソコンの1台のネットワークカードがマザーボードから外れていたことを発見しました。パソコンの配置を変えるためにあちこち移動したのが直接の原因でしょうか。
「やった、解決!!」と思ったのもヌカ喜びでした。それを直しても未だダメ。結局、ここから10時間くらい無駄に費やすことになります。
絶望の風景。もうこの画面は何百回見たことか、、
コントロールパネルのディバイス・マネージャーやら、ネットワークの設定をいろいろトライします。どうもドライバ(ネットワークカードやモデムなどの機器を作動させるためのソフト)がおかしい、合ってないんじゃないか?と思うわけですが、そもそも今回買ったカードが何社製のもので、ソフトが何かということもよう分からん。なんせ、パソコンを買うといっても、性能/スペック指定しての注文買いですから部品は全部会社が違うわけです。これが分からん。機種とドライバファイル(フロッピー等に入ってる)が分かれば楽勝なんですが、これも判らない。だからもう数百ある順列組み合わせをやって、その度に再起動して煙草を一服、駄目だと判明して削除してまた再起動で一服。無為に時間が流れていきます。これで一日終りました。
翌日、買ったお店にパソコン持っていって解決してきました。ネットワークカードに関しては、そもそも日本語版95には合わない機種だったと。まあ、お店としてはメジャーパターンの英語版でやりますから当然ですけど(同じ95でも英語版なら作動するそうです)。さらにドライバのフロッピーを最初から貰ってなかったという(もっとも貰っていても駄目だったのだが)。このカード、なまじ最新型なだけに、古い95なんかじゃ駄目みたいですね。98だったらフロッピーなんかなしに余裕で対応できるらしいけど。
サウンドカード、ディスプレイも同じで、98だったら問題なく実力を引出せるけど、95だったら特別にドライバーソフトをインストールしてやらないといけない。それ用のCD−ROMも貰っていたですが、これが又ソフトが数百入ってるわ、どれがどれかの説明が一切ないわ(READMEファイルという説明ファイルも入ってない)で、やっぱり教えてもらわんと分かるわけなかったです。
そんでもって、家に帰ってやってみたら殆ど解消しました。画面も快適、音も大丈夫。
しかし、ああ、しかし、そんでもまだネットワークが稼動しなかったわけです。頭抱えました。で、今度は、えっちらおっちらパソコン一式を運んで、それぞれ二台づつ繋いでいくうちに、作動したりしなかったりする法則性があることを発見し、ケーブルがおかしいんじゃないかという推測に達しました。ここまででまた1日がムナシク終ります。
翌日、まず、ケーブルのコネクタとターミネーター(パソコンを繋ぐミニチュアの水道栓のような形をしたコネクタと、そのコネクタにつけるキャップのようなもの)が足りないんだろうと補充で買ってきたのですが、それでも駄目。「くそお」で、ケーブルを這わしてある床下まで大汗かいてもぐりこんで、映画「大脱走」の秘密トンネル状態で、懐中電灯で泥だらけになって調べたけど、見た目異常なし。ここで相棒福島のダンナのラース博士がテスタ片手に登場してきて、一つ一つ調べていったら、「これ、おかしいぞ、50オームじゃないぞ」と、結局これまで使ってた一つのコネクタがショートしてたことが判明しました。そんでもって、またぞろ近所のディック・スミス(電気機材・部品の専門店)のグリーンウィッチ店まで車を走らせ買ってきました。
で、成功しました!!うおおおぉ!
ネットワークは片付きましたが、しかし、問題は続く。新たにメインになったパソコンを使えるところまで各種ソフトをインストールします。他のパソコンからネットワークでひっぱってくれば作動するもの、作動するけど保存ファイルが違うので設定を変える必要があるもの、作動するためには別途DLLファイルをこちらのパソコンのWindowsのシステムディレクトリにコピーする必要があるもの、イチから全部インストールしなきゃいけないもの、千差万別。インターネットでダウンロードし直してきたものもあります。
これ、まだ完全に片付いてません。3台のパソコンをどのような用途に分けるかという基本視点もまだ樹立してないので、うまく整理がつかないわけです。おいおいやってくしかないでしょう。しかし、エクスプローラで広げるとファイルがドドドと表示されるのは壮観なんですが、やれWindowsやらProgram Filesやら似たようなディレクトリが並んでいるので、「えーと、Fドライブのプログラムファイルのコレのこいつをコピーして、えーと、Gドライブの同じところの、あれ?そうだっけ、あれ?」「あれ、いま開いてるデスクトップって、どのコンピューターのデスクトップだっけ?」てな調子に混乱しております。
話は前後しますが、なんでもう一台買ったのか?というと、結局もう一番古い”初号機”では「やっとられん」という感じになってきたからです。ペンティアムの90で14インチ。性能的に段々許せなくなってきたという。
これまでお世話になった「栄光の初代」ですので、そうそう足蹴にしたくはないのですが、やはり画像ファイルが増えてきて、ソフトを同時に何個も立ち上がらせて仕事するには厳しいものがあります。
もっとぶっちゃけた話をするならば、えーと、あの、小学生とか中学高校生の頃を思い出してください。勉強とか宿題しなきゃいけませんでしたね。で、当然、やりたくないですわね。でもやんなきゃイケナイ。そんなとき、よく新しい参考書なんか買いませんでした?それか、すごい高い鉛筆とか、文房具。これがあると凄く勉強がはかどるような気がして、つい買ってしまう。それ買うまでは、勉強が進まない責任を全部文房具のせいに押し付けてしまうとか。あ、そんな子供の頃にまで遡らなくてもいいです。最近の話でも、例えば、英語の勉強がはかどらないから、ついつい新しい英語教本を買ってしまう。で、結局読まないとかさ。
それに似てます、ハッキリ言って、そうです、はい。
APLaCのホームページは、おかげさまで今月で創立2年2ヶ月になります。26ヵ月。26ヵ月も続いているホームページってそうザラにはないです。さらに、26ヶ月のうち、絶対に週に一回は更新し続けてきたというのもザラにはないと思います。全平均を取れば、4日に1回は更新してます。これ、自慢してもいいと思いますので、ちょっと自慢させてください(^^*)。
これだけやってるから、さぞかしホームページ作りが好きなんだろうなと思われるかもしれませんが、ンなことないです。面倒臭いですよ〜、ほんと。メールの返事や、本来の業務であるアテンドその他をしながらやるわけですから。
毎日遊びにくる近所のナゴミキャラ。全身マダラなので”まだりん”と命名。
そうなってくるとですね、今まで2台のパソコンのうち、いい方のパソコンを相棒が占拠してたりすると、「あ、使ってるのか。じゃ。もうちょっと後にしょ」とかいってやらない、結局寝ちゃうみたいな、ゆる〜い雰囲気がマンエンしたりするわけですね。
そうでなくてもノンビリしがちなオーストラリアです。さらに緑豊かではあるが、ハッキリ言って緑くらいしかないレインコーブという立地。ニャンニャン甘えて寄って来る近所の猫というナゴミキャラ(心がなごむキャラクター)に囲まれてますと、どんどん仕事しなくなっていきます。はっきり言ってニュータウン時代よりも生産性が落ちてます。
そこへ持ってきて、もともとそんなにやりたくもない作業だから、古い方のパソコンを「う〜、もっと動いてくれえ、あ〜変換が遅いので何を書こうとしたのか忘れちゃったじゃないかあ!」とブツブツ言いながら使う気になれんわけです。急を要する場合はやりますけど、更新とかそんなのは急を要さないですから、ついつい後回しになるという。
このあたりの問題を解決するために、パソコンを買った次第です。さて、思惑どおりガンガン「勉強」するようになるのでしょうか。それとも、次の「やらないための言訳と散財」を探すのでしょうか。
ところで、買ったといえば、もう一つ、巨大な買い物をしました。自動車です。
これは、今回新たに就職が決まったラース先生の職場がモナベールというえらい遠いところにあるので、通勤用にもう一台、どうしても必要だったからです。
理系の権威ラース博士によると(本当にドクターでもある)、13年選手のマツダはこのままの乗り方してたらあと1年の寿命だろうと。つまりAPLaCのようにあっち行ったりこっち行ったり、シティに出たり、ゴーストップを繰り返していたら車の痛みが早い。しかし、郊外までの巡航80キロ出せる通勤に使えば、まだ寿命は伸びるし、自分が乗れば早期発見できるだろう。
というわけで、ここはラース先生が仕切って、新聞のクラスファイドを見て、中古の個人売買をしました。3年ものの三菱マグナ(日本ではギャランなのかな)を1万3000ドルで買いました。三菱を選んだ理由は、三菱はオーストラリア工場を持ってますから国産車で、パーツを輸入しなくてもいいから安いこと。同じくトヨタもそうですが、対抗馬であるトヨタカムリに比べると、トヨタはブランドで若干値段が高い。また同じ三菱でもマグナはオーストラリアで作ってるから一際安いということです。
うれしいから画像を思いっきり修正して(逆光までつけた)、広告風にした”二号機”の図
実際、よーく新聞の広告見てると、マグナの方が結構安いような気がします。2.6リッターで3年ものだったら、2万ドル以上してても不思議ではないのですが、それが1万ドル前半で済むならば買い物です。また前のオーナーも、キチンと整備点検していてログブックもあるし、そもそも社用につかっていたのを事務上の便宜から売る(つまり税金計算の減価償却とかそこらへんの理由)ということで、その意味でもお値打でした。
試乗しに皆で出掛けたわけですが、パッと見ただけで、「あ、こりゃ問題ないわ」といういいコンディションでありました。ラース先生も興奮して"beautiful"を連発してはりました。
というわけで、今はリッチな車に乗ってます。運転楽ですわ。静かだわ、振動も少ないわで、自分が運転してる気がしない。ティントグラス(サングラスのように太陽光線をカットするガラス)からのぞく風景が、なにやら映画を見てるみたいにリアリティがない。ええわあ。
しかし、3年落ちのギャランクラスでこんなに興奮してる日本人も少ないでしょう。でもねー、日本人、世界で一番、車に贅沢だわ。一遍オーストラリア来て、自分で英語に苦労しながら現地で働いて、年収200万かそこらで、10年物の中古を50万で買ってごらんなさいな。「いい車に乗る」ための努力値が、世界平均というか先進国平均で100としたら、日本だったら30くらいで済むと思います。3年物の中古が200万以上して、あなたの年収が半分になったら今の車には乗れないでしょ?
そのかわり、日本では「いい家に住む」努力値は世界平均の2倍必要だと思います。地価が下がってるといってもまだ高いし、そもそも「広い家」ってのが少ない。だから、まあ、バランスは取れてるのかもしれませんけど。
その他の近況としてはですね、お父上の葬儀に日本に帰った柏木は、そのまま行ったきりの鉄砲玉になっております。そらまあ、子供さんももうすぐ受験だし、そうそう気侭にやってられんわな、一遍日本に腰落ち着けたら中々戻ってこれんわなという気もします。また、久しぶりに帰ってしばらくすれば、日本は日本でそれなりに居心地は宜しかろうとも思う訳です。
時期を同じくして、全くの偶然なのですが、今年永住権を取られた方が、僕らの一室をシェアすることになって、一緒に暮しています。相変わらず家賃は4等分なのでいいわけですが、これも暫定的でしょうから、ゆくゆくは又引越をします。
なんか年柄年中引越をしているようですが、将来を見通せば、今年は流産しましたが相棒福島・ラースコンビにもジュニアが出来るだろう、気楽なシェアというよりも確固とした世帯って感じになるやもしらん、B&Bのゲストハウスはあるわ、仕事は仕事であるわ、子供が泣くわを同じ家でやってるというのもツライもんがあるかもね、ということです。
今のところは原始共産制みたいにやってますけど、本来的には、APLaCのオフィスはオフィス、それぞれの家はまた別にあるというのが一番いいんでしょうね。そんな金まだ無いけど。それに福島・ラース組にしても、日本、アメリカ、デンマークと、オーストラリア以外にも暮す場所はあるわけだし、それぞれの人生の転機っちゅーものがあるだろう。それは僕とて同じことです。1年後に何処で何やってるかなんか分からんですもん。
そう考えると、シェアの一角が崩れる度に全部の宿替えやってるのは大変なので、もっと小回りが効くように家を分離した方がいいのではないかという青写真が浮かんできます。今みたいに6〜7ベッドルームなんてデカくなくていいから、ゲストハウスとオフィスと猫が住める3Brくらいのハウス、それと近場にこじんまりとしたフラットを借りて分散させて、やりくりした方がええんちゃうかということですね。また、いっつも同じメンバーで、それは居心地はいいんだけど、発展性がないかもという気もしてきます。なんせのどかな森林みたいな所にいるから尚更ですね。それに引越経験20回近い僕の習性としては、同じ環境がずっと続くと何やら哀しくなってきたりもするわけです。
というわけで、今年もまたぞろ土曜日になると貸し家を冷やかしているわけですが、この家自体3ヵ月以上探し回って決めただけあって、これ以上の物件というのは滅多なことではないです。もう全然ないと言ってもいいくらい。いいなと思うと予算オーバーとかね。
しかしですね、貧乏暇なしではなく「貧乏暇あり」でやってた割には、いつのまにかパソコン3台、車2台を保有するようになったわけです。すごいですね。相変わらず給料ゼロなのに、なんでやろ?と思いますが、それでもそこそこ知れてきてお客さんがくるようになったからでしょうか。
そろそろ3年目ということで、いつまでも「儲かってませんわ、あはは」だけでは芸がないというか、アホみたいだなという気もします。赤字は仕方ないとしても(そんなことないって)、少なくとも電卓叩いて計算してやっと赤字であることが分かる程度にはいきたいですよね。計算なんかするまでもなく赤字なのは分かっちゃうもん。帳簿なんかアホらしくて付ける気せんもん。でも、なんだかんだ何かと維持費もかかってきてます。最初の1〜2年は愛敬で済むとしても、3年4年も「あはは」だったら真剣に無能みたいでちょっとヤですし(^^*)。もっとも10年それやってたら、それはそれでカッコいいかも。
もっとキリキリ働かんかい
じゃあどうすんの?益々そんな散財ばっかしてる場合じゃないでしょ?という、鋭いツッコミもあるわけなんですけど、だからですね、猫に囲まれてのほほんとやってないで、もうちょい何とかならんかなと思うわけです。だってさ、今年一年何やったの?といえば、印象としては「留守番」というのが一番先にきますもんね。このクソ大きな家に3週間一人で暮していた頃のことです。それじゃあねえという気にもなります。
もっとも、振り返ってみればアクセス数は1年前に1日100ヒットいったとか行かないとか一喜一憂してたのが、今年はもう200あっても「ふーん」くらいに余裕カマせるようになりました。家も変った、人も増えた、車もパソコンも増えた、日本にも帰った、語学学校紹介が稼動しはじめたとか色々あるわけです。売上げ的にも前年度比100%UPといってもいい(前が前だけに、0.1が2倍になっても0.2に過ぎないという感じですが、それはさておき)。だから、もう、「飛躍の一年」といってもいいと思います。
それでもねー、やっぱりねー、「今年は留守番をしました!」というのがイメージとして最初に来ちゃうという。のんびりしたくてオーストラリアに来たわけですから、それでOKなんでしょうけど、もうちょい、こうね、何かあってもいいんじゃないかしら、と思ったりもするわけです。で、床下もぐってケーブル調べているわけですが、さてさてどうなることか。
1998年12月20日:田村
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