シドニー雑記帳




雑記帳が書けない




今回はHtmlのワザのひとつ「フォント指定」をしています。お使いのパソコンに、DF細丸ゴシック体、HG正楷書体, HG平成丸ゴシック体w4、DFまるもじ体、hgプリティフランクhの書体がインストールされていれば、表題や文章がいつもと違って見える筈です。

98年8月28日記す−−


     全国100万人のシドニー雑記帳愛読者の皆様へ−−−。すみません。のっけから大嘘ぶっこいてしまいました。そんなにいるわけはないですが、でも、何人くらいいるのかな。こんな隅っこの方の「あってもなくてもどっちでもいい」扱いをされているページでありながら、シドニーまで訪ねて来られた方のお話しや、メールなどから受ける印象は、「へえ、意外と皆読んでるだな」というものです。

     ところが、ここのところ中々雑記帳の筆が進まないでいます。今日はその「なぜ書けないのか」という言い訳で一本書いたろうかと思います。




     理由その1は、ここのところの状況ですが、僕は今1人で暮しています。この7ベッドルームのクソデカい家に、です。相棒福島とラースがここ1ヵ月ほど国際里帰り中で不在なのに加えて、柏木も身内に不幸があったので急遽帰国の仕儀と相成りました。だもんで、僕ひとりぼっち。

     さみしいよ〜、夜1人で居ると恐いよ〜、というほど子供ではありませんが、仕事が全部僕にかぶさってきてます。3人でやってたのを1人で廻してるのですから、仕事量は大幅な増加になる勘定です。この1か月足らずの間に、受発信したメールはすでに250通に達します。メールだけで、1日原稿用紙20〜30枚分くらいは書いてるのではなかろうか。




     これに加えて日常家事というのがのしかかってきます。早い話が、猫に餌あげるのも、新聞取りにいくのも、買い物するのも、メシ作るのも、食器洗うのも、電話代払うのも、ゴミ出しするのも、郵便物取りにいくのも、洗濯も、掃除も、全部自分がやります。いや別に、一人暮らしは慣れてますがどってことない筈なのですが、これが思った以上に厄介です。

     なんでかな?と思ったら、要するに家がデカすぎるのですね。このパソコンの前から新聞取りにいくだけでも、普通のアパートの一室から駐車場に出るくらいの距離がある。テレビ見てるところから電話を取りにいくまで、ダッシュで走っていっても呼び出し音5回分くらいの時間がかかる。なにやるにしても、ぺったらぺったら歩いていかななりません。床掃除ともなると半日仕事。庭の手入れともなると「1日でやれる量なんか知れてるもんだな」と達観したりします。

     僕は煙草飲みですので、煙草とライターと灰皿は必需品なのですが、これがクセモノで、「あれ、俺、煙草どこに置いたっけ?自分の部屋かな?違うな、パソコンのところかな?違うな。テレビの部屋かな、違うな、、」家中さまよい歩くというのは、毎日数回行なってます。




     そこへ持ってきて、またぞろシドニーの水道微生物騒ぎがぶり返しており、歯を磨くにも、食器洗うのも湯冷ましでやるという面倒臭いことになってます。そういえば、毎日かきまわすヌカミソも、下手に水道の水で手を洗ってはなりませぬ。ああ、面倒くせえ。

     ほんでもって、ごく普通の仕事があります。今日は、語学学校の入学手続代行のために学費を納めにいったし、明日、明後日と空港の朝イチ出迎えがあります。

     あ、忘れてた。最近暖かくなってきて、またゴキブリが出てきよってからに、ホウ酸団子を作ろうと思っていたのに。




     というわけで、単純に物理的に時間がないということがあります。だって、雑記帳ってお気楽に書いてるようでいて、一本仕上げるのに平均10時間くらいかかりますから。バックグラウンドの絵柄に凝るだけでも1〜2時間かかります(あれは複数の画像ソフトを使って加工に加工を重ねて自家製で作ってます)。

     ちなみに、語学学校研究の訪問記事は一本15時間くらいかかりますし、「今週の一枚」はなんだかんだで大体4時間。なんでそんなに時間が掛かるのか自分でも不思議ですけど、写真を絞り込んでいく段階で1時間以上、その写真を画像ソフトでレタッチしたりサムネイルを作ったりするのに1時間以上、実際にHTML文書にレイアウトしてみて、「うーん、ダサいな」とか配置に凝ったりしてるのに1時間以上、これだけで3時間半くらいかかります。あとは更新記録や表紙ページをちょこちょこ修正して、ftpにuploadして、ブラウザで読み込んで確認するのに最低30分はかかってしまうというわけです。ああ、また締め切りが迫ってきた。今週はまだ写真も撮ってないぞ。




     あと寡筆になる理由としては、自分で勝手に要求水準を上げてしまって墓穴掘ってる部分があります。「とりあえず書く」くらいならすぐにいくのですが、自分で読み返してみて、「おもろない」「何も目新たらしいことではないじゃん」とシラけてしまって没にしてしまうのですね。そうやって没にしてある未発表雑記帳というのは十数本あります。これも、このへんで終りにしておけばすぐにもUP出来るのですけど、「もう少しヒネリがないと面白くないな」「これで終りやったらアホやん」とか思ってしまい、結局続かずボツという。

     過去の雑記帳見てると、今だったら没にしてるようなものが結構あったりします。だからやっぱり段々自分でハードルを上げているのでしょうね。でも、読む方にしてみれば、そんな長々と完璧に書かれるよりも、多少コケていてももっと気楽に読める方がいいのかもね?という気もしてます。書いてる側の思う「おもしろい」と読み手の「おもしろい」というのは又別物だろうなというのも薄々感じたりします。

     なかなか書けない理由のその3は、牧歌的な生活をしてるから、そんなにムカついたり、考えさせられたりすることもないのですね。いや、実際には色々考えているのでしょうが、すごい気に食わない奴や出来事に遭遇して、「うおおお」で書いてしまうという、感情が高ぶりというか瞬発力が得難いのですね。「これが書かずにおられりょうか」的なパッションというものが無いと、文章書くなんて面倒臭い作業ははかどりません。





以下8月31日記す。

     途中まで書いて中断してしまいました。この土日は、語学学校に入学される人のサポートをしておりました。ステイ先のホームにお連れしてそこのファミリーと挨拶したり、実地で切符の買い方を伝授したり。なんだかんだで半日仕事になって、帰ってきて家事片づけて、メシ作って、メールの返事書いて、今週の一枚に苦慮してたら(新しい写真が十分にそろわなかったとか)、またズルズルと伸びてしまった。



     ムカつくことが少ないので書くパッションも少ないという話でした。そうですね、最近ちょっと生活がパターン化してるかなという気もします。「海外で暮す」というと、さぞかしドラマチックな生き方のようですが、そんなん最初だけでありまして、あとは平々凡々たる日常が待ってます。大体、僕に限らず、海外移住を望まれる方の指向としては、「のんびりしたい」「ドラマチックに生きたい」という二つのベクトルがあるように思うのですが、この二つってちょっと考えると矛盾してるみたいですね。

     でもその逆、つまり「セカセカしてるけど、基本的には平凡」というのは、日本なんぞに住んでいると非常にありふれた現象だったりします。僕もそうでした。新幹線の時間を気にしながら「運転手さん、急いでくれませんか」とハラハラしてたりするのですが、じゃ新幹線乗って何すんの?というと、会議に儀礼的に出席するだけだったりして。1時間単位で見れば色々と波乱はあるのだけど、1年単位では特に波風は立っていないという。




     「セカセカ平凡」がありうるのならば、「のんびりドラマチック」ということもありえそうな気がします。相棒なんか見てると、いきなりこの半年で結婚・懐胎・流産・世界旅行とやってるわけで、はたから見れば波瀾万丈なんでしょうねえ。でも、近くで見てる分には、昼前くらいにのんびり起きてきて、ストーブの前でカタツムリのようにジッとしてたりするわけで、もはや「のんびり」を通り越してるような感じですけど。

     かくいう私も、相変わらず貯えは減り続けているし、「そろそろ何とかせんとなあ」という、結構胃が痛くなっても良そうな状態なわけです。APLaCのシノギで、ようやく車のガソリン代や水道光熱費くらいは出るようになりましたが、給料なんかとてもとても。そう考えるとかなりスリリングな日々ではありますが、基本的には「のんびり」ですよね。うん。

     しかし、まあ、思うのですけど、ドラマチック、ドラマチックと言いますけど、そんなアクションヒーローみたいな日常を送ってる奴は稀でしょう。過去の歴史、例えば「激動の昭和史」なんていっても、リアルタイムにその頃にいってみれば、除夜の鐘聞きながら「今年もいろいろあったなあ」といった程度なんでしょうね。




     で、何の話でしたっけ?ああ、そうそう雑記帳が書けないということでした。書けないといいながらも、キーボードに向えば何なりとゴタクは並べられるのですけど、そのキーボードに向かうまでが長い。ドラマチックであったとしても、あんまり書こうというネタとかパッションとかには直結しないみたいです。

     気持ちがのんびりリラックスしてると、あかんですね。やっぱり、昼間にムカつく野郎に出会ったとかそういう瞬発的に回転数やテンションが上がるような出来事があると、ガガガ!と書けるみたいです。

     そうやって瞬発的ガガガがなくても、ゆっくりと降り積もる雪のように、日々思う事は蓄積してきます。ただ、「よし、これを書いたろ!」という起爆剤がないのですね。そうなると、「あー、うーん、最近ちょっと思うんだけど、あー、なんていうのかな〜」という、縁側でひなたぼっこしてるおじいさんの語り口というか、ユル〜い回転速度になってしまうのですね。だから、「これだけは言わねば気が済まない」というのが無いのから、まとまりがつかず、途中まで書いて没ということになってしまうのでしょうねえ。

     この原稿も、ほとんど没にしようと思っているのですが、「まあ、こんな感じですわ」という実例としての標本価値があるかなと思って書いています。





     などと書いていたら、ちょっとページが余りました。ここで止めてもいいのですが、どうせ余白だからという気安さで落書き的な雑談をします。

     シドニーでも日本人相手のレンタルビデオ屋さんがあります。その棚を見てますと、通常のビデオと一緒に、日本のTV番組を録画したビデオも沢山並んでいます。だからその気になれば、人気連続ドラマとかもシドニーにいながら全部フォローできたりします。で、そこそこの本数が並んでいるのですから、それなりの需要はあるのでしょう。




     ここで僕は「ほお」と思います。それは「わざわざシドニーに居ながら、日本の連続ドラマをフォローしている」という現象に対してではありません。それは、そもそも日本本土において、「皆さん、結構頑張ってテレビ見てるんだなあ」ということに対する感嘆です。

     僕は日本にいるとき、たまに見るMTV以外、ほっとんどTVというものを見ませんでした。連続ドラマで比較的に見てたのなんか、遥か昔、14万8000光年くらい彼方の記憶ですが、水前寺清子がやっていた「ありがとう」くらいですね。小学校くらいまではアニメはよく見てましたが、中学以降になるとパタッと止まります。だから、こっちにきていてイッコも見れなかったロンバケはおろか、ずっと前の金妻だってひとつも見てません。

     でも皆さんテレビ番組についてはビシッと知っていて、結構楽しみにしてたりする。僕にはそれがナゾでした。「なぜだ!なぜそんなの見てる時間があるんだあ」と。夜の8時9時なんて仕事してるに決ってるじゃん。いつも残業ということは無いにせよ、「毎週水曜日午後9時」を定期的にキープするのは至難のワザでしょう。そんなの見てられる筈ない。バーコード録画予約をしようにも、とっかかりに何回か見ないとそのドラマが面白いかどうか分からんし、分からなければ予約する気にすらならないではないか。最初の数回ミスってしまえば、「途中から見てもなあ」と思うのではなかろか。

     百歩譲って、神のお告げか何かで「一回も見てないけど、なぜか面白いことは分かる」という心境になったとしてですね、じゃあ録画っていたって、そうそういつもいつもカセットをセットして、タイマー録画ボタン押して出勤できるもんじゃないでしょうに。朝なんか特にドタバタしてるし、その日の晩の番組まで頭が廻らないわ。だから、前日からその予約をしておくとかいったって、そんなに事前に仕込んでおくほどのパッションが湧くものですか?家人や友達に頼んでおくとかいうテもあるけど、そこまでしますか?また、仮に録画に成功したとしても、そのビデオをいったい何時見ればいいのかという問題もあります。




     でも、「いま大人気」とか言ってるくらいなんだから、皆さん見てるのでしょう。それが不思議でならなかった。例えば水曜日の夜の9時にその番組やってたとして、水曜日の11時に盛り場や駅にいけば、人々は至る所にウジャウジャいるわけで、要するにこいつら全員その番組見るのをミスってるわけではないか。まさか俺以外の全員がタイマー録画してるわけでもあるまいに(そうだしたら、ちょっとコワいですね)。なのに、なぜか皆ストーリーを知っていて、話題になっているという。不思議だ。

     実は、世間で言うほど、本当は皆さん見てないんじゃないか?という疑念がどうしても残るのですね。そんなに皆さん、規則正しくオウチに帰れるのか?なんかの都合で水曜日にデートがある人だっているだろうに、接待やらパーティーやらあるだろうに。で、いろいろやってりゃ、どうしたって予定なんか立たないし、自由度の高い夜の時間に「毎週何時」なんてルーティンが確立できる筈もないと思ったりするのですね。

     大体、いくら面白い番組であろうが、胸ときめくコンテンポラリーなロマンスであろうが何だろうが、自分が現実にそれやってる方が面白いんじゃないのか。失楽園でドキドキするよりも、自分がイイコトやってた方がもっとドキドキするでしょうに。テレビなんか見てる場合じゃないでしょうに。オーストラリア特集の番組見て「いいなあ」と思うくらいなら、とっととこっちに来んさい。為せばなる!

     なんかそう考えていくとフに落ちないわけですね。特に僕の日本時代の記憶に鮮明なバブル時代なんか、タクシー掴まえるのが大変なくらい街は人だらけだったわけです。そうでなくても連日深夜の残業だったりします。クリスマスイブには10万円デートコースやらやってる連中も居た。カラオケボックスは予約がないと駄目だった。要するに皆夜遊びしてたわけでしょ。一方、子供達は夜まで塾があったり、帰ってきてもテレビの画面はファミコンのモニターになってるわけでしょ。こうしてインターネットでメール書いたりしてるわけでしょ。携帯電話で長電話してたりするわけでしょ。

     一体どこの誰がテレビを見てるのだろうか?と。だから「今大人気のテレビドラマ」とか言うのは、端的に言って嘘じゃないのかと思えてしまうわけです。この「大人気」というのは、マンガ雑誌の新連載の見出しに「人気爆発!新連載」と書いてあるのと同じじゃないのか?何を言ってるかというと、新連載が始まってから読者は読めるわけで、読んだあとに人気が出てくるわけで、つまり連載開始と人気の間にはライムラグが絶対必要なのに、連載とほぼ同時に「人気爆発」といってしまう無茶苦茶な嘘と一緒じゃないか。

     ことのついでに言えば、テレビ番組欄を見ると、「爆笑」「感動の」「驚異の」という文字が躍ってますけど、あれ、おかしくないですか?その番組を見てから試聴者が爆笑するなり、感動するなりするのであって、テレビ欄印刷時点ではそんな未来の話はわからない。キミは予言者か?最初からもう視聴者が爆笑すると決めてかかってるというか、「これは爆笑するのが正しい鑑賞態度ですよ」とか、妙な「指図」をせんといてくれと、へそ曲がりな僕はそう思ったりもします。




     オーストラリアの人は結構他愛なくテレビ見てるようです。それは分かるのですね。だって残業少ないし、パブ以外飲み屋という存在がないし、夜の遊び場も少ないし、大体皆さん早寝早起きだし、家庭を大事にする人が多いしで、「家でテレビを見てる」という行動パターンは納得できるものがあります。

     しかし日本は事情が違うでしょうと思うわけです。そこが昔から謎です。さらに、オーストラリアの人も、彼らが海外に行ったとき、地元オーストラリアの連続番組を見るためにレンタルビデオは借りないような気がするのですね。まあ、絶対ということはないので借りるかもしれないけど、あんまりそんな雰囲気ではない。

     だからですね、僕は不思議なんです。日本で「大人気の連続テレビドラマ」というものが存在することが。あなたは不思議に思いませんか。これが不思議でないとしたら、日本の人は僕が思ってるよりも、あんまり夜遊びしないで真っ直ぐオウチに帰っているのでしょうか。じゃあ、夜の町の、あの群集はなんだったんだ!?と、話はまた堂々巡りするのでした。

     今日本で「皆これをやっている」「やって当たり前」という出来事を集めて繋ぎあわせてみたら、絶対ひとりの人間でフォローするのは不可能だと思います。1日24時間しかなく、仕事や睡眠を除いた可処分時間を考えたら、その時間内に、人気テレビ番組を(録画であっっても)とにかく見て、ベストセラーを読んで、大人気のファミコンをやって、あれやって、これやって、勿論その外にも、友達と飲んで、上司につきあって、恋人作って、恋人と別れて、たまには実家に電話して、里帰りして、趣味の時間ももって、資格取得に密かに燃えて、英会話カセットを聴いて、流行のCD買ってカラオケ練習して、海や山に行って、、、、って、そんなに出来るわけないのだ。出来たらオバケじゃ。

     100万枚売れたCDはミリオンセラー、大ヒットといいますが、よく考えたら日本人一億2600万人(だっけ?)のうちの100万ですから、126人に1人しか買ってないわけです。あとの125人は買ってない。図示するとこうなります。

    1125


     これが大ヒットアルバムの真実の姿でありましょう。B'zが記録破りの500万枚といっても、1が5になるだけの話です。だから、一事が万事そうなのでしょう。大人気番組も、今の流行とかいうものも。視聴率20%でヒットですから、10人中8人は見てなくてもいいのでしょう。もちろん製作サイドからすれば20%もの人を引き付けるのは大変な偉業だと思います。喜んだり自負していいと思います。だから彼らが「ヒット」「大人気」と呼ぶのはわかります。でも、視聴者サイドからすれば、見てない奴の方が圧倒的に多いのだから、それを「人気」とは言わないでしょう。クラスや職場の8割の人から嫌われ或いは無関心でいられている人のことを、普通「人気者」とは言わないでしょうに。

     でも、シドニーのビデオ屋さんの棚には、日本の「人気番組」のビデオが並んでるわけです。まあ、なんだかんだいって、多岐に分野が分かれる一般ビデオからすれば、「番組もの」の方が相対的に借りる人が多く、一本あたりの回転数は高いのかもしれませんけど。しかしなあ、番組以前にテレビ見るのが面倒臭い僕からすると、「皆ほんとにそんなに見てるのかなあ」という違和感がやっぱり拭えなかったりもするのです。

     ま、そんだけの話です。余白ツブシでした。


    1998年8月31日:田村


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