識者の方がおっしゃるように、これらが特に「醜い」とは思いません。だって、看板などを全部撤去したらモルタルの壁面や配線があらわになるだけで、より寒い光景になるかもしれないですから。ただ、歩くにあたって、気を遣わされることは確かでしょう。オーストラリアのようにボケ〜っと歩いていたら、立看板を蹴り倒すわ、自転車にぶつかるわ、放置自転車に接触して将棋倒しの悲劇に見舞われるわするかもしれません。そうそう、「海外では治安に気をつけて油断のないように歩かねばならない」といいますが、治安に気をつけていても、自転車や看板に気をつかわなくてもいいから、注意度の収支勘定ではまだ楽かもしれません(写真は東京西日暮里)。
 これは結局、日本人ばかりということで、かなりカッチリした「社会通念」「常識」というものが日本にはあるということなのでしょう。常識とかコモンセンスはどの社会にもありますが、もっと細かいもの。将棋や麻雀、サッカー、野球、何でもそうですが「ルール」というものがありますが、日本の場合「日本ゲーム」という大きなルールがあって、それが四六時中のしかかってくるような感じがします。各自勝手に生きているのではなく、日本人が日本で生きていくパターンというのは、大体決まった類型があり、他人であっても見れば大体どの類型のどういうスチュエーションかすぐに分かってしまうという。まだ若いネクタイ姿の男性が、昼間から桜の下で大きなビニールシートを広げて、一人でぽつねんとしている姿を見れば、「ああ、新入社員が花見の場所とりさせられているのだな」とすぐに分かってしまうという。