シドニー雑記帳
アロマ新ブランド設立物語 Part 2
〜 新ブランドにおいて目指すこと 〜
前回の雑記帳「お腹も胸も膨らむ妊婦」の最後でちょっと触れましたが、今回の新ブランド設立話は、私にとっては「オーストラリアに移住して初めてやってきた大きな転機」であり、「DO+BEフェイズ」のはじまりでもあると認識しています。
また、新ブランドのコンセプト解説でも強調しているように、「ただアロマ商品を売るだけではなく、ビジネスやアロマを超えたなにか」を目指したいと思っています。その「なにか」について、書いてみます。表現するの、すごく難しいんですけど。
まずは、私が日本にいた頃まで溯ってお話しなくてはなりません。長くなって恐縮です(^^;)。
★「抹茶づくし」はなぜ売れなかったのか?
この「シドニー雑記帳」を洗いざらい読まれている方はご存知かと思いますが、私は日本にいた頃、カルビーで「かっぱえびせん」等スナック菓子の商品開発を担当していました。もう10年近く経ちますが、当時のカルビーは会社の変革時期にあり、若い人たちに任せてやらせてやろうという闊達な雰囲気がありました(今はそんな悠長なことは言ってられなくなったみたいですけど)。
マーケティング会社から転職してきた私は、商品部プロダクトマネージャーという肩書きをもらい、コンセプト段階から自分で考え、企画した商品をこの世に送り出すという、大変遣り甲斐のある仕事をさせていただきました。いま振り返ってみると、イチ・サラリーマン(しかも生意気な小娘)としては、本当に恵まれていたと思います。
4年ほどの勤務期間に手がけた商品は数多くありますが、私が個人的にもっとも愛してもっとも力を入れて開発した商品が、抹茶のスナック「抹茶づくし」でした。この商品のためなら、予算と時間に都合がつく限り、なんでもしました。原料を求めて静岡のお茶畑まで出かけていったり、開発の人とレシピ実験のために開発室にこもったり、テスト販売を引き受けてくれそうな営業所の所長さんところに直接アタックに行ったり、営業さんと一緒にリテイラーのバイヤーや店長のところに商品説明に出かけたり、社内広報のための「抹茶新聞」を発行したり・・・。
発売日には朝イチでわざわざ広島のスーパーまで出かけていって、店頭でお客さんの様子を観察していました。試食販売のおばさんに勧められたお客さんが、「おいしいわね」と言って、この商品を買物カゴに入れてくれた時は、涙でうるうるでした。
でも、売れなかったんですよね、この商品。一時的にはイイセン行ったこともあったんですが、私が渡豪して数ヶ月で終売になってしまいました。その代り、渡豪前に発売した「かっぱえびせん わさび味」が爆発的に売れたんです。この商品にはろくすっぽ愛情もかけなかったのですが、ただ淡々とマーケターとしての仕事をこなしていったら、売れた、という。そして、マーケターとしては「この商品は必ず売れる」ということは分かっていたというか、売れるようにプロデュースするノウハウを分かって開発していたというか。だから、いくら売れてもあんまり感動がなかったんです。もちろん、嬉しかったけど、それは「予知夢を見て宝くじにあたった嬉しさ」みたいなもので、情緒的に心が満たされるという種類の感動はなかった。
「なぜ、あんなに愛した抹茶づくしが売れなくて、わさび味が爆発的に売れたのか?」
もちろんマーケティング的・ビジネス的に分析すれば要素はピックアップできます。でも、そういうこととは別に、「愛情は販売実績になんの作用もしないのか?」という、もっと精神面というか、感情面での疑問でした。当時は青かったので(^^;)、「だとしたら、この資本主義社会の方がおかしい」と、資本主義のせいにしたり。ともかく、コレについては、今までずっとずっと疑問で、ずっとずっと心の奥底に引っかかっていました。
今回、新ブランド設立話が持ち上がって、2月初頭に飛行機に乗って日本に帰りました。成田空港に降り立ったその瞬間、ふっと「答え」が湧いてきたんです。「抹茶づくし」はなぜ売れなかったのか? その回答です。
自分が「商品への愛情」と思い込んでいた、アレは「貧相な自我の主張・自己満足的偏愛」に過ぎなかったのだな、ということです。
当時の自分の気持ちを思い出すと、「私が愛しているものなのだから、皆も愛してくれるはず」=「この商品のよさが分からない人の方がアホなんだ」という感覚で、言ってみれば、この商品を認めようとしない社内のオジサンたちをバカにし、見下していたわけです。もっとも、「生意気な小娘が開発した商品なんて」とハナからバカにするオヤジたちもいることはいますから、そういう人たちと闘う必要はあったわけです。が、当時の私のやり方は「力づくでねじ伏せる」という方法しか考えていなかった。「北風と太陽」じゃないけど、私のやり方は「北風」的なものでしかなかった。商品を愛するのと同じように、周囲の人たちを愛していなかった。私に協力してくれる上司、開発の人、工場の人、営業の人、そして社外のブレーンやデザイナーさん、ひいてはリテイラーの人たちへの感謝の気持ちがまったくなかった。彼らが「私の素晴らしい商品に協力してくれるのは当たり前」とおもっていた。つまり、商品への愛情は、自己満足的な偏愛に過ぎず、普遍性のある愛情ではなかったということです。
これに対して、「かっぱえびせん わさび味」の方にはそういった自己満足的な愛情はかけていませんから、社内にも受け入れられやすかった。もっとも「かっぱえびせん」ブランドということで、社内外での理解がより得られやすかったという基本要因は見逃せないのですが。
この回答が出てきた時に、長いこと氷のように固まっていた何かが溶けだしたように感じました。私は今まで「自分自身を愛すること」しか知らず、人を愛することが出来なかったのだなあ、と。幸いなことに恵まれた環境で育ってきたせいか、自分に与えられたことを当たり前の与件としてしか捉えていなかった。これだけのものが与えられている私は、大変恵まれているのだし、そのことを感謝する気持ちのひとカケラも持ち合わせていなかったというのが、とても恥ずかしいと思えてきました。
実は、新居に引っ越して以来、時々なんてことはないのに日常生活している中で、ふっと「なんて私は恵まれているのだろう、なんてありがたいのだろう」と想い極まって、突然涙があふれてくるようなことがありました。誰に感謝するわけでもないのですが、周囲のすべてに感謝したくなるという。今までは、自分が所有しているものはすべて「自分の力で取得したもの」だと信じていたのですが、もちろん自分の努力も認めるけれど、同じ努力をしても得られないこともあるわけですから、やっぱり「与えられている」部分って必ずあるとおもうんですね。
そういうことに気付かせてくれたのは、夫の存在です。彼が何してくれるから、ということじゃなくて、彼の心からあふれてくる無償の愛そのもの。ノロケてるんじゃなくて(少しはノロけてるかも)、マジにそう思うんですわ。
この人生哲学上の大きな転換ともいえる「気付き」がこのタイミングで起こったのも不思議な気がします。妊娠し、新居に引越し、新ブランド設立話が持ち上がってきた、この3つが重なった時に初めて起こるミラクルというか、三位一体効果というか(^^;)。今までアホだったなあと思う反面、今だからこそ「分かった」のであって、1年前に分かろうとしても分からなかっただろうなあと思うわけです。
今回、新ブランド設立にあたって、改めて思ったのは「私に商品を提供してくれる人たち、商品を買ってくれる人たち、協力してくれる人たち、一人一人への感謝の気持ちを忘れないようにしよう」と。そして、お客さんはもちろん、商品に対しても、心をこめて接しようと。あったりまえのことかもしれませんが、ビジネスやってると現実世界で対処すべきこと(お金のやりくりとか作業とか)に忙殺されて忘れてしまいがちなことなので、特に肝に命じておきたいです。
★「かっぱえびせん わさび味」にかかった「ミラクル」
先ほど、「抹茶づくし」の例を持ち出しましたが、実は「かっぱえびせん わさび味」がなぜ売れたのか? にもヒントが隠されています。これは当初から気付いていた部分もあるのですが、時の経過とともに次第に明らかになってきた気がします。先にもおことわりしましたが、ここではマーケティングやビジネス的視点からの分析はバッサリ割愛しています。まったく精神面・感情面というワケわからん世界での雲をつかむような話です。
たしかに「かっぱえびせん わさび味」には売れる要素が揃っていました。また、その要素を生かして最高のものを作り上げていくノウハウ・実力も、当時の私や私の協力者にはあったと思います。しかし、モノが売れるという現象はそう簡単には起こりません。たとえば、コンセプトがニーズに一致していて、味もパッケージも広告宣伝も、その商品を表現するすべてがコンセプトをよく伝えた完璧なものであって、社内のムードも盛り上がって一致団結していて・・・といった基本要素が全部集まったとしても、イケるのは99%まで。あとの1%は、なにか別の力−−−言ってみれば「ミラクル」がかかる。その最後の1%があって初めて、ヒットするわけです。
この「ミラクル」は体験した人には「ああ、あのことね」と一発で通じるのですが、言葉で説明するのは非常に難しい。とにかく、我々のコントロールを超えたところからかかるパワーであり、それが「我々の力ではない」ことは明らかに感じ取れるという。ホントは「そういうものが働いたような気がする」という単なる妄想なのかもしれませんが、あの体験から私には「そういうものが存在する」と信じざるをえなくなっちゃったんです。
これに気付かなかったら、「ワタクシが、あの、かっぱえびせん わさび味をヒットさせた福島です」と、一生鼻高々、ゴーマンにやっていたかもしれません。想像するだけでサムイですけど・・・。
自分の実力や努力を超えたところに、なにか別のパワーが存在するのだ、という事実(私にとっては歴然とした事実だった)−−−このミラクルによって、人生観が少し変わったような気がしました。
ちなみに、私はこの「ミラクル」を、もう一度別の状況で体験しています。ちょっと中身は違うかもしれませんが、主観的には似たような感覚でした。
3年前、現夫ラースと何年かぶりで再会したボストンでの出来事。1週間のボストン滞在中に、私はどうしてもピアノが弾きたくなって、ラースに頼んで「シュタインウェイ」のショールームに連れていってもらいました。そこらに並んだアップライトピアノをいじくっていたら、営業のおじさんが出てきて「上にすごいイイヤツが入っているから、弾いてごらん」と2階に案内してくれました。ローズウッド(紫壇)で出来た立派なグランドピアノでした。「こんな立派なものに触っちゃっていいんですか?」と遠慮がちに尋ねると、さすがアメリカの営業マン、「どうぞどうぞ」と言うわけです。
営業マンのおじさんは「僕はランチしてくるから、好きなだけ弾いてていいよ」と席をはずしてしまいました。天井の高い立派なホールに、シュタインウェイのグランドピアノと一緒に取り残された私は、ラースを無視して、今まで弾いたことのある曲、暗譜している曲を片っ端からガンガン弾きだしました。さすがウン百万の高価な楽器だけあって、いい音がするので、弾いていてとても気持ちがいいわけです。
モーツァルトのソナタに差し掛かった時、「ミラクル」はやってきました。まるで自分の魂が宙に浮いてるような心地よい感覚、音楽と一緒に空中でダンスしているような。そして、私が奏でる音楽が今まで弾いたどんな出来のいい演奏よりも、美しく優しく、完璧なんです。自慢じゃないけど、私それまで「ノーミスで一曲弾き通せたこと」なんか一度もなかったのに、この時は詰まらんミス一つしなかった。ものっすごい快感でした。
戻ってきたオジサンは当然営業マンですから「このピアノを買わないか」と薦めるのですが、ウン百万単位の買物ですから、とても即決できるわけはありません。が、この時はすっかり舞い上がっていたので、かなり本気で「買おうかな」とか思ってしまいました(金はどこにあるんっつーんじゃ)。
ショールームを出たあとも興奮が覚めやらぬ私は、ラースに「ね、どうだった?」とコメントを求めると、彼は「うん、飛んでるみたいだった」と言うわけです。ちゃんと彼にも伝わっているんだっ!と、驚くと同時に嬉しくなりました。
この時、生まれてはじめて、私は「他人」を意識したような気がします。ピアノを弾いていてもいつもは自分のことしか考えていませんでした。リスナーのことなんか、頭の隅にも置いてなかった。
考えれみれば、ピアノだけじゃなくて、私は今までの人生、すべてが「自分、自分」であり、他人のことを他人の身になって考えたことなんか一度もなかったんじゃないかと。他人のことを考えるのは、「他人のことを考えてあげられる自分」のプライドを維持するためであり、「そのポーズを見せることによる他人からの評価期待」が混入していたり、モラルとして「他人のことも考えなくては」と自分自身に押し付けていたり、といった具合に、心の底から他人のことを考える、つまり、愛したことなどなかったのだ・・・ということに、いきなり気付いてしまったわけです。
なんて貧相な精神で今まで生きてきてしまったのだろう、恥ずかしい、と思いました。これこそ、「生き恥」ってやつだ。もう30年以上も生き恥さらしてきたわけです。
ピアノ演奏中に突然起こったミラクルと、その後の気付き。これがひとつの、なにか、キッカケにはなっていたように思います。今回の新ブランドのコンセプトにも関係してくることです。ついでに言うなら、ただのメールフレンドだったラースと結婚しようと思ったのは、このピアノ事件の後からでした。もっともこの時点ではまだ意識はしていなかったのですが、無意識レベルで「この人と一緒にいなくちゃ」と直観した瞬間だったのかもしれません。
というわけで、2つのミラクルは多少中身は違うのですが、共通するのは次のような点です。
@我々のコントロールを超えたところからやってくるパワーである
Aこれを体験したことにより、人生観への変化が起こる
B予期して起こることではないが、一定のものが揃った時にはじめてやってくる
三番目に関しては客観データ不足なので説明しきれないのですが、あのようなミラクルがやってくる時には「他のこと(現世的な与件)が出揃っている」という必要条件があるような気がします。「かっぱえびせん わさび味」の例でいうと分かりやすいのですが、その他のビジネス的、マーケティング的条件が揃っていなければ、絶対にミラクルはかからないわけです。
あのボストンでのピアノ体験の時に出揃っていた条件とは何なのか?というと、それまで毎日のようにピアノを練習していたこと(まじめに練習していなかったら、あんなことにはならなかった筈)、「ピアノを弾きたい!」という気持ち、楽器に対する敬意と賞賛(そりゃ、シュタインウェイのローズウッド造りのグランドピアノじゃ敬意を払わないワケにはいかないでしょう(^^;))、そこにプラス、ラースと再会したという要素も絡んでいたのではないか?と。
ホントに雲を掴むような話ばかりで恐縮ですけど、言葉で説明するのには限界があるんですけど、きっと同じようなミラクル体験をされた方もおられることと思います。
★通販を通じて伝えたいもの
このようなミラクル体験がどのように今回の新ブランド設立に結びついているか?というと、簡単です。
「また、ミラクルを体験したい。そして、今度はそれを皆さんと共有したい。」
これに尽きます。なぜ、ミラクルを体験したいか?というと、ビジネス的に成功したいってことだけじゃなくて、あの感覚を味わうことによって、人は人として精神的に成長すると思うからです。そして、それを一人占めするんじゃなくて、多くの人と分かち合いたいんです。あのパワーは私たちの計り知れないところ、まるで宇宙かなんかからやってくるような気がするわけですが、それを一緒に感じて、共有したいって思います。
最初の「かっぱえびせん わさび味」のミラクルは、私が一人占めしてしまいました。周囲の人たちも感じていたのかもしれないけど、共有しようなんてサラサラ考えもしなかった。
2番めのミラクルはラースと共有しました。そして、それが基盤になって私たちの今ある愛情関係が築かれたと思っています。
3番めのミラクルは、もっと大きなスケールで、多くの人との間で共有していきたい。そしたら、大きな人の輪が出来るでしょう、いいエネルギーが広がっていくでしょう。
これが新ブランドのコンセプトで述べている、「自然・宇宙から与えてもらったエネルギーを通じて、心身ともに健康な生活、ひいては社会、環境をつくっていこうとする営みの一環となりたい」という意味です。そのための基本姿勢として、「プロ・素人に関わりなく、ともに研究、勉強、向上していこうとする、人々のネットワークを大切にしたい」「人々がナチュラルに、その人らしく生きている姿を応援したい」というコンセプトが出てくるわけです。
つまり、私がこの通販を通じて伝えたい、創造したいのは、モノではなく「人と人との関係性の中で築かれるなにか」であり、物理的な現物ではなく「目に見えない自然・宇宙からのエネルギー」なのであります。・・・わはは、本当に言葉にすると大袈裟でワケ分からないですねぇ(^^;)。
その意味では扱っている商品は実に適確というか、方向性にピッタリなんですよね。すべて自然から提供されたモノですし、特にエッセンシャルオイルなんか「生命エネルギー」を持つ(と考えられる)ものですから。私のコンセプトを具現化しやすいし、ミラクルを起こしてくれる可能性がより高いんじゃないかと。逆にいえば、だからこそ、丁寧に愛情をもって接しなければ、すべて台無しにもなってしまうわけです。
私がやりたいのは「アロマの通販」とは違うんじゃなかろーかと、ずっと疑問だったのですが、このブランド設立の過程を経て、今ようやく、「なぜアロマなんかにハマってしまったのか?」が分かってきたような気がします。ああ、こういう展開になって、ここに繋がっていたわけね、という。これが私が根本的にやりたかったことなのよ!って。これも、今回日本出張で成田空港に降り立った時に湧いてきた「抹茶づくしはなぜ売れなかったのか?」の回答から、導き出された結論です。なんか本当にいろんなことが少しずつ、でも確実に結びついている。人生って不思議ですね。
長くなりましたが、これが私の通販の「エッセンス」です。果たして、うまくエッセンスをモノに託して皆さんに伝え、ミラクルを共有することが出来るでしょうか? これは私自身の人間的な器と成長にかかってくるのでしょう。そして、応援してくださる皆さんからのお力もお借りしなくては、絶対に実現できないことだと思います。
でも、冷静に考えると、条件はかなり出揃っているんですよ。99%を満たさなければならない現世的条件としては、この上なくいい方向に向かっています。いいサプライヤー、いい協力者に恵まれ、また幸せな家庭にも恵まれています。自分自身、まだまだ修行と研究が必要な部分は残されていますが、これは時間の問題で、必ずいつかクリアできるという根拠のない自信があります。
そして、私の通販を利用してくださるお客さんたち。ホントに感謝しています。
一般に公開しているホームページですから、いろんな人が来て当然ですよね。御存知のようにネットの世界には現実世界と同じように(いや、それ以上かも)アブナイ人がいたりしますから。ところが、私のお客さんたちは、本当に皆さん「いい人」です。長年インターネットやってると、メール1本読んだだけで、その人の「ヒトとなり」はかなり掴めるのですが、いいエネルギーをもった人が多いこと。
こんな人たちと一緒に勉強して向上していけるんだから、きっとミラクルはすぐソコですよ(^^;)。ぜひ、一緒に体験してください。
2000年4月7日:福島
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