個人旅行/ここに注意!
個人的な経験、APLaCでの経験、その他聞いた話をもとに、海外旅行、とりわけ個人旅行をするなら、このパターンは避けた方がいいなあと思われる点をいくつか並べておきます。
海外旅行は何かと不安なものですし、ましてやパックツアーではなく個人旅行ともなれば不安が募ります。そこで「旅は道連れ」で一緒に行く仲間を増やしたくなるものですが、極力人数を絞られることをオススメします。人数が多くなる分、旅行の感銘は薄まっていかざるえません。折角安くもない航空運賃を払って来られるのにそれではあまりに勿体なさ過ぎると思うわけです。何か特別な事情でもない限り(結婚式に参列するとか)、多くても3人程度に留めておかれた方が良いと思われます。
なぜ大人数だと宜しくないのか?そこらへんことを書いてみます。
★目的の不統一
これが一番の問題です。日本にいる時点では、オーストラリアに着いてからどう過ごすかということをそれほど突き詰めて考えないものですが、各自無意識的にでも「こんなの出来たらいいなあ」という欲求はおありだと思います。全く何の欲求もないまま海外旅行に出るということは、指名手配を逃れるために国外脱出を図るような場合以外にはないでしょう。
しかし旅行計画時点では自分が何をしたいのか、どういう滞在だったら満足なのか、あまり分からない。分からないから「何でもいいや」という具合になり、「一緒に行きませんか」とポンポン仲間を増やしてしまいがちです。で、着いたあとに問題が起きる。
大体これまでの経験では、4人以上やってきて「内紛」が起きなかった試しはないですね。「内紛」というと大袈裟ですが、まあ、「え〜、こんなことするの?」という不満ですね。これは非常に頻繁に聞きます。ある人は、海辺でのんびり過ごすリゾートパターンを考え、ある人は買物に燃え、ある人は珍しいアクティビティをしてみたい、ある人はアボリジニとかカルチャー的なものに興味があったりする。ある人は自分の英語力がどこまで通用するか生活体験をしてみたい、ある人は単に「シドニーの楽しい旅行」をしてみたいだけでそれ以上何も考えていない。全員が全員同じ指向というのは、学術調査団でもない限りちょっとありえないです。
ブルーマウンテンまで行って帰ってきたら、往復200キロ以上ありますので一日仕事です。朝も早いし、晩には疲れきっている。行きたい人は満足でしょうが、気乗りしない人にとってはかなりツライ「つきあい」です。ツアー料金も軽く1〜2万円くらいかかります。さらに山や大自然の本来の姿を堪能したいならば、現地で一泊して、残照輝く夕焼け、夜の静寂と満天の星、未明の透き通った青の世界に遊ぶのがいいでしょう。昼間だけでは魅力の半分しか見ていないとも言えます。しかし、同行している仲間がムッツリ不機嫌そうだったり、「大したことないじゃん、こんな山」とかブツブツ言ってるのを聞いてしまったら、「いっそのこと一泊しちゃおうか」なんておよそ言える雰囲気ではありませんね。
オーストラリア現地の生の生活に触れたいならばホームステイも良いでしょう。しかし、これも忙しい日本の日常を離れてのんびりしたいという人にとっては、英語で行われる「現地の人との会話」は、鬱陶しいだけのものかもしれません。頼むから一人でゆっくり寝させてくれと。そんな人は、ビーチの近くのアパートかそこらで日長ベランダでビール飲んでいた方がいいでしょう。
そんなわけで、必然的に短い旅程は「妥協の産物」にならざるを得ない。「え〜?そんなの日本でも出来るじゃない」「しょうがないだろ、○○さんが行きたいって言ってるんだからさ」「こんなボ〜っとしてたって時間が勿体ないじゃない、折角来たのに」「なんで御土産買うのに1日も付き合わなきゃならないんだよ」「○○さん英語が不安だから一緒に来てくれって」とか、まあ、妥協するということは、不満が残るということでもあります。日程後半にもなれば、「私は本当は○○がしたかったのに」という不満ブツブツ大会になったりします。
これ、一人だったらこんな問題は起きないわけです。全て自分の意思一つでズンズン物事が進行します。2人ないし3人程度でしたら意見も少ないし調整の仕様もあります。なによりトコトン話し合う余地もあります。しかし、4人以上になると、もう収集がつかなくなります。旅行の目的というものは、自分で気づいてないだけで、実はしっかりあったりしますし、現地に着いてからもコロコロ変わるものですので、その調整の可能性ということでは人数は出来るだけ少ない方がいいです。
★「ぶら下がり会員」をなくせ!「楽チンさん」の生態
あなたが旅行を計画していることを話したりすと、「あたしも一緒に行きたぁい」とか言ってくる友達や親族がおられるでしょう。遠慮は要りません。切って捨てて下さい。その人だって真剣に行きたくてたまらないなら、とっとと自分で計画してる筈です。ことのついでに他人の舟に乗っかろうというのは、面倒くさい旅行のダンドリをオミットして楽をしようという根性なのだ、と言ってしまっては言い過ぎかもしれませんが、そのキライは往々にしてあります。また、現地に着いたあと厄介なこと言い出すのも大体後からやってきたこの類の人です。
旅行なんて面倒臭いものです。飛行機の切符取ったりするだけでも面倒です。土地&言葉不案内のまま現地をウロウロするのもストレス掛かります。大変です。普通、皆さん自分でダンドリ整えている中で、その大変さを実感し、それが計画の変更につながり、あるいは充実感に繋がるのですが、楽をしてる人はそれがわからない。電話掛けまくってやっとの思いで取った格安チケットも、楽チンさんは「え〜、結構高いじゃない?こないだオーストラリア旅行に行った○○さんなんて○万円で行ったよ」とかのたまわったりします。
こんなことが、現地のホテル、ツアー、食事の度に繰り返されたりするわけです。時として腸が煮えくりかえったりしますね。絞め殺してやろうかと思ったりもしますね(^^)。でも仕方ないです。それが楽チンさんの宿命だったりします。なぜかというと、誰だって非現実的な夢を見るのです。「一泊50ドルで海と都会が両方見えて、部屋が2つ以上分かれていて、ちょっとロマンチックなリビングがついてるようなホテルがいいなあ」とかね。でも、そんな寝言は、現実に手続を進めていく現場で粉砕されます。「そんなのあるわけないでしょう」「正気ですか?」という表情をカウンター越し見せ付けられ、誰もが現実に覚醒し、次善の策を模索します。そんななかで「この現状においてはラッキーな宿が取れたよな」と満足感や達成感を得たりするのです。これは不動産や家探しの時のことを考えていただければお分かりでしょう。ところが、楽チンさんはこの過程がありませんから、いつまでも夢見て、寝言のようなことを言うわけです。自分で苦労して取った宿はやっぱりカワイイものですが、他人が取ったホテルはアラばかり目立ったりします。
レストランに行くにも、「どこでもいいよ」「皆と同じでいい」と言うだけで積極的に探すわけでもない。必死に英語のメニューを見て理解しようとするわけでもないし、英語で注文するわけでもない。「ねえ、お水頼んでくれない?」とかいちいち貴方にやってもらおうとします。あなただって英語が多少できるとは言っても、いざ現場に出たら大変な思いをしているわけです。必死こいてレストラン探して注文してるわけです。やっと食事も済んでレストランを出たら、楽チンさんは「やっぱり観光客用の店って、味は今ひとつね」と軽く論評したりします。でもって貴方の胸にまたほのかな殺意が芽生えたりするわけです。
これは楽チンさんにとっても全然面白くない旅行でもあります。だって与えられたものをただ消化してるだけの旅なんかちっとも面白くないじゃないですか。寝てるうちに車がついて「はい、ここで下ります」と言われて見るよりは、自分で地図とにらめっこしてやっと辿りついた方が絶対に感銘はあります。僕も以前大学のクラスのエクスカーション(遠足)で連れて行かれた所に、後になって自分だけで行ったことありますが、もう感動は全然違う。「へえ、こんなところだったのか」と思いますもん。
多分にオーバーに書いておりますが、「そうそう!」と頷かれている方、多いのではないでしょうか?後で死ぬほど後悔しないためにも、最初が肝心。「あ、もう、今からは無理なんですよ。いやあ、残念だなあ」と一言切って捨てて下さい。そう言う為にも、計画が煮詰まるまでは、無闇に口外しない方が身のためでしょう。
(この章つづく)
1997年3月19日
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