VISAについて
永住ビザ取得体験記
--- 私の場合(福島麻紀子) ---
田村の場合は弁護士という特殊な資格を持っているため、一般論としてあてはめることが出来ないのではないか?とお思いの方もいらっしゃるかと思います。が、私のように会社に勤務していた一般社員でも永住ビザが取得できましたので、いわゆる「普通のパターン」として皆さんの参考になればと思い、追筆させていただきます。
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最初の渡航ビザは、ワーキングホリデービザの年齢制限も越えてましたし、どっちにしても英語力は必要だし、ということで、とりあえずシドニー大学の ELICOSに入学手続きを取り、 学生ビザを取得しました。当初は半年間の予定だったのですが、英語が分かるようになるにつれて、次第にここでの生活が面白くなってきました。
そこで、滞在延長方法を模索してみましたが、あまり魅力的な選択肢がない。どこかの会社にスポンサーになってもらっての労働ビザ申請や、ビジネスカレッジや大学への留学も検討しました。が、現実的にビザなし&英語力なしの外国人を拾ってくれる雇用者を見つけるのは大変ですし、留学するにも莫大な授業料を支払ってしまえば貯金も尽きます。「オージーの彼氏でも作るっきゃないかなあ」と思い悩んでいた折に、「独立永住ビザ(Independent)というカテゴリーがある」という情報に行き当たったわけです。
取れるかどうかはわからないけど、まあ、ものは試しということで、ビザ申請業務代行会社に相談に行きました。
担当の弁護士さんに過去の経歴を説明すると、「詳しく調べてみないとわからないけど、可能性はある」とのこと。独立永住ビザ・カテゴリーの場合には、年齢、英語力、職業(キャリア)の3要素で審査されるそうなので、年齢とキャリアは今更どうにもならないが、英語ポイントなら努力次第で得点を伸ばすことが出来ます。
ちょうどその時、30の大台に乗ってしまったところで、「ああ、惜しかったねえ」と言われたのを覚えています。というのは、独立永住ビザのポイント制度では、年齢得点が大きな決定要因になりやすい。29才までは最も高くて30点、30越えると25点、35才〜44才までが15点、45才以上が5点という具合に、若いほど得、という制度になっていました。
又、英語ポイントについては、IELTSテストを改めて受験せねばなりませんでした。リーディング、ライティング、リスニング、スピーキングの各科目で6.0以上を取得したら最高ポイント(20点)をもらえるというわけです。これが努力次第でどうにかなる唯一の審査ポイントですから、がんばるしかない。通っていたシドニー大学の先生に直接交渉して、放課後にエッセイの添削など個人指導していただきました。10月初旬、UTS(シドニー工科大学)で試験に挑み、スピーキングを除いた3科目で6.0、なぜか一番苦手だと思い込んでいたスピーキングは7.0。無事、最高点を得点することができました。
あとは職業(キャリア)ポイントですが、私のような平社員に一体何点くれるのだろう?と非常に不安でした。自分が実際携わっていた仕事内容をすべてリストアップして弁護士さんに送ると、後日、「あなたの仕事内容だと、70点(=事実上の最高得点)とれそう」という連絡を受けました。勿論、嬉しいことは嬉しかったのですが、それでも半信半疑でした。
弁護士さんの説明によれば、職業(キャリア)ポイントというのは、いわゆる「社会的地位の高い職業」が必ずしも高得点になるわけではなく、オーストラリア国内の需要が高い職業のポイントが高くなっているのだそうで、それも時期によって異なるから個別に調べてみないとわからないのだそうです。また、 肩書きは全く関係なくて、 実際自分がやっていた仕事の内容でどの職業分類にあたるかを判断されるのだそうです。移民局が発行する職業リストには、その職業に適用する仕事内容まで細かく掲載されているので、自分の仕事内容と一致する職業を探していくわけです。
このリストには「プロダクト・マネージャー」という職種は存在しなかったので、仕事内容が最も近い「Public Relations Officer(広報部長)」としてみなされるだろう、ということなのです。「私がやっていた仕事は広報部長並みの仕事だった」とも言えるわけですが、そうは言っても「私なんかに広報部長の資格、あるんだろうか?」と不安になります。
(参考のために付記しておきますが、職業ポイントは大学卒業以上の学歴がないと高得点は取得できないため、事実上、独立永住ビザ取得は困難なシステムになっています。独立永住ビザ発行の目的が「オーストラリア経済活性化に役立つ優秀な人材の取得」だとするなら、短大・高校卒業の人でも、特殊な技術を身につけている方、優秀な方は沢山いると思うのですが。どうも移民局も学歴偏重みたいです。)
疑心暗鬼の日々は続きました。移民局が私のキャリアを「広報部長」級として認めてくれるのかどうかも不安ですが、同時に、私のやっていた仕事内容をどうやって証明するのか、疑問だったからです。私の仕事内容を証明する文書として提出したのは、カルビーからのリファレンス(照会状の回答のようなもの)のみ。しかも、日本にはリファレンスという習慣がありませんから、弁護士さんに作ってもらった「サンプル」を元上司に送って「これと同じのをタイプして、サインしてください」と依頼しただけです。「ほんとーに、こんなんで、いいの?!」と首をかしげたくなります。
そんなわけで、不安ながらもとにかく申請してみることにしました。ビザ申請代理業者には4000ドル支払いましたが、万一却下されたら半額返還されるとのこと。申請に際して行った手続きは、健康診断(HIV検査含む)、IELTSテスト受験結果、警察からの無犯罪証明、戸籍謄本、大学卒業証明、過去に勤めた会社からのリファレンス等の提出です。
オーストラリアで申請することも出来るけど、日本から申請した方が発行が早いというので、1994年10月末、帰国と同じタイミングで東京のオーストラリア大使館に郵送し、日本で発給を待つことにしました。いつになるかわからない(そもそもいつかは発行されるという保証もない)ものを待つのも不便なもので、就職するわけにもいかず、以前勤めていたマーケティングリサーチ会社の依頼で単発のレポート作成を受注していましたが、年が明けると阪神大震災が起きたので、神戸に出掛けて行ってボランティア活動に参加しながら、大使館からの連絡をひたすら待ち続けました。
オーストラリア大使館から連絡が来たのは、1995年3月中旬。申請から6ヵ月弱でビザが発給されたことになります。ビザ発給前に大使館での面接とかあるのだろうと思っていたのですが、何事もなく「パスポート持って取りに来い」と、ただそれだけ。神戸から東京に戻った折、オーストラリア大使館に出向きました。窓口でパスポートを手渡すと、10分ほどで手続き終了。見れば「学生ビザ」と同じような紙切れがパスポートに挟んでありました。
余談ですが、ビザ取得の連絡と同時にオーストラリア大使館から「WELCOME TO AUSTRALIA」という冊子が送られてきたのですが、これにオーストラリアに移住する際の持ち物やら、移住してからの手続き方法などがアドバイスしてあるわけです。シドニー到着後、指示通りにあちこちの機関に出向いたわけですが、掲載されている住所にそんな建物は存在しないわ(引っ越したらしい)、やっと見つけて「あの〜、オーストラリアに移住してきたんですけど・・」と聞けば「そうかい、あんたの好きなようにやったらよろしい」という感じで、政府刊行物のクセしていい加減だなあと呆れました。今思えば、いかにもオーストラリアらしいですけど。
尚、オーストラリアの移民政策は頻繁に変化します。最近は、保守系の自由党が政権を握っているため、移民を制限する傾向にあります。たとえば、独立移住カテゴリーのボーダーラインは1994年には100点でしたが、現在は115点となっています。また、以前までは可能だった「市民権を持たない永住者の家族に対する永住ビザ発給」に制限が加わりました。
これからオーストラリアの永住ビザ申請をお考えの方にアドバイスするとしたら、
- できるだけ英語力をつけておくこと
- 移民政策に関する情報にアンテナを張っておくこと
でしょうか。
成功要因は努力というより、運とタイミングではないかと思います。
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