「日本語教師アシスタント ボランティア」の実態 インターンシップ体験者 レポート



インターンしました




    実際に「インターンシップ プログラム」を利用して、オーストラリア(ビクトリア州、メルボルン郊外の公立中高校)で日本語教師アシスタント(インターン)を経験された、小島さんから体験レポートを送っていただきましたので、ここにご紹介します。





    なんでインターンシップ、オーストラリアだったか編


    大学3回の時にふと4回生の春学期は取りたい授業がない、どうせみんな就職活動でゼミも開講休講になるらしい、なら学校わざわざ行くことないか、しかし休学は痛いしな、じゃあこっそり全部やすんじゃえ。で、何する、このまとまった時間・・・??

    そこで「美しい正しい日本語を客観的に学べるかも」と興味があった日本語教師アシスタントをやってみるか、と思い立ちました。
    行き先は、時期的に南半球が都合がいいだろうこと(北半球だと行ってすぐ夏休みになってしまうので)、多文化主義はどうなっているのか、カンガルーとコアラ以外のオーストラリアとは?ということで、オーストラリアに決定。

    利用したプログラムは、インターシップ・プログラムス。うさんくさそうだけど、参加してみたらそのうさんくささがきっちり見えるやろと、一番メジャーどころの組織を通して行くことになりました。
    オーストラリアでは日本語教師が供給過剰、インターンシップのメッカということから、こういった組織がホストスクールをおさえているだろうし、文句いってもぼったくられても、これを利用しないとなかなか限定期間にインターンするのは難しいかな?と思ったので利用しました。(この組織に対しての意見はまた別の機会に・・)。

    文化人類学のゼミの教授は快く、私のこの「フィールドワーク」を認めてくださり、めでたくオーストラリアで5ヶ月半すごす計画が進みました。


    当時の英語力と海外体験について


    浪人中にアメリカで2ヶ月語学学校に通ったのが初めての海外経験でした。一ヶ月のマンチェスター大学のライティングコースに大学の時に参加しました。この2つがいわゆる語学学校経験です。

    在学中、イギリスに一ヶ月ホームステイするYMCAの子供の引率リーダーをしました。この時は主に現地でのトラブル処理と子供のカウンセラーのような事をしました。後は個人的な旅行で南インド、パリ、アメリカ等ちょろちょろ行きました。

    インターン活動が一番長い海外滞在です。テスト的なものはTOEFLを受けてはいました。マンチェスターに行く前で500点くらい、今もってるスコアは537くらいです。文法のセクションが平均以下です。

    うちの学部は外国語は英語が優秀な人以外は基本的に英語のみで、講義や試験も英語というものがいくつかあったため、ノートテイキングなど論理的な英語の勉強の機会があり、ラッキーでした。旅行や学校でできた外国人の友人がいたことも励みになりました。

      初めての海外経験の時に痛感したことは、大きな問題は英語がわからない、話せないのではなく(これはやるしかない)、結局日本語であれ英語であれ、何をどう話すかということの難しさでした。よく日本の教育は議論の訓練ができていないと言われますが,その状態の自分を痛感しました。

      議論とか大袈裟なものではなく、例えば映画を見てアメリカ人だったら「俺は〜だから〜思う、〜だからそれは好きだ〜」等、感想を長なり短なりすぐ言うけれど、私は「おもしろかった」で済まして来てしまったこと、感じることはあるのにそれを言語化する訓練をほとんどしてこなかったことに気づき、すごい危機感を感じました。

      「英語で言うのは難しい」のではなく、「日本語でも言えない」から英語でも言えないのだということ、日本人としてとか言う前に、もう「自分ってなんだ?」というアイデンティティー探しの大きな節目でした。

      こうした流れから英語の勉強のスタンスは、自分の意見、感覚を常に意識すること、コミュニケーションということを意識することになりました。こうした「コミュニケーションとは?」ということが、インターンのメインの目的でした。


    で、英語に関して結局どうだということですが、インターン前は、「すごくつたないわけではないけれども流暢からは程遠いスピーキング力」でした。生徒とのやりとりですが、日本での家庭教師の経験、YMCAでの経験もすごく役に立ったと思います。こうしたことで子供と接し、いろんな事を学び、自分の子供の心が再び覚醒したこと(笑)で、生徒達ともスムースに対応できたんだと思います。生徒の言ってる英語がなんだか分からなくても、言ってることの察しがつく、またその逆ありでした。




    あと、会話にいつもギャグと落ちを求める大阪人としての性質?も役立ちました。大阪人はある意味インターナショナルであるといった友人がいましたが、「自己主張が激しい」「会話にいつも笑いを」「声がでかい」「態度もでかい」といった大阪の気質は、海外生活で結構重要なことだったりするからでしょうか?

    私は声が小さく、物静かな方です。声の大きさは「先生」には必要不可欠なものだと実感しました。私は先生達とは違い、無資格テンポラリーで気楽なものですし、先生と生徒とのけじめをつける必要もなかったので、全然OKでした。ただ、日本語の教師というものを真剣に目指すなら、そういった先生としての威厳といった面もしっかり表現できるような訓練が必要だろうなあと思いました。

    「自己主張」「態度がでかい」というのは見るからにそうであるということではなく、声が小さくても自分の意見をはっきり言えば、相手は聞いてくれますし、「態度がでかい=堂々としていること=私は私」ということで初めて個として認識されるわけで、おどおどしていたり、黙っていて意見も言えないとやはり目に見えて軽んじられます。体格的な迫力がなくても、英語ができなくても、重要なのはこういうことだと思います。





    ホームステイ−おみやげ−の巻


    それなりに「どんな人かな〜。料理おいしかったらいいのにな〜」とドキドキしておりました。インターンシッププログラムスから貰っていた情報は、名前、連絡先、簡単な家族構成と趣味などで、後は自分で聞いてくれとのことでした。一応事前に挨拶しておこうと手紙を出しておきましたが、ま、返事が来ることもなく、具体的なイメージをつかめないまま、現地でご対面でした。

    まずホームステイする人のお約束としてお土産があるかと思います。別に現地の人はお土産なんて習慣もないし、期待しているわけではないのでしょうが、私もこのへんなかなか日本人で「やっぱり手ぶらではなあ〜」とお土産持っていきました。
    さすがに藤娘の人形や扇といったものは「いらんやろ、これは」ということで避けたかったのですが、好みや趣味が分からない以上、「ザ・お土産」で気持ちを表現するしかあるまいと日本民芸館で購入した「たこ」(私があげてみたかった)と、せんべいなどでした。あと忘れました。で、私のホストファミリーH家の反応はせんべいはうまいと評判でしたが、たこは迷惑そうでした。(飾らなくていいからさ〜あげてくれ)。

      ここでH家について簡単に。ホストファミリーの父さんは自営業を事情でリタイアし、バイクレースをこよなく愛し、その写真を撮ったりしている「俺の人生=バイクと写真」というビール腹のいつも陽気で大声で話す大きい人でした。母さんは体調が悪くて躁鬱が激しいけれど、やっぱりバイクレース大好きで、刺繍やガールスカウトが趣味のやっぱり気のいい人で、そのひとり息子が私より1つ上で、空港でエンジニアを職業に、空手のインストラクター、そしてサイドカーのパッセンジャー(横に乗ってる方)レーサー、他スポーツ全般なんでもこい、日本にホームステイしたことがあり、日本語もちょっぴりできる男前でした。

      で、彼のホームステイをきっかけに、両親ともに日本にも来たことがあるし、10年間ず〜っと学生からじいさんまでをホストしつづけている(そのうち8割が日本人の女の子)という一家でまあ家には日本人形、せんす、折り紙、暖簾などのお土産があふれ、かなり古いアンティークのひな人形はあるし、食材にいたってはぽん酢、お好み焼きソース、抹茶アイスクリームの素、日本ビールの空缶の山などなど、という一家でした。典型的オーストラリア人一家ではないなあ。

      最初の形式的なお土産とは別に、妹弟が夏休みに来て、まとめてお世話になったこともあり、欲しいものを聞いて持って来てもらったものが、父さん=日本ビール(大阪限定版、秋味など季節限定版などなど)、母さん=りかちゃん着物バージョン(こういう趣味でした。)息子=空手の黒帯、金糸で名前の刺繍入り(日本製は絹で丈夫で、オーストラリアでは高いし入手困難だそうです。名前の刺繍入りなんか特に)と後ポッキー特大サイズなど菓子類もろもろ。いや〜なかなかマニアックな注文で手配するのがちょっぴり大変でした。でも喜んでくれたからよかったよかった。

      H家はくいしんぼう一家で宗教的な拘束もなく、なんでもわりと食べてみよう試してみようという姿勢だったので、例えば味ぽんを日本食ショップでなにかわからんけど、原材料をみたら何だかうまそうだったから、と買って帰り、肉をつけこんで焼いたらこれがいけたのよ〜と料理担当の父さん、いや〜まいったな。ここまでとは。


    一般的にお土産としてまあ無難なのは食べ物じゃあないでしょうか。食べられなくて捨てられてもお互いあんまり気悪くならないし。そんなに田舎じゃなかったらアジア系の食べ物ってスーパーで売ってるし。食べ物にすごい保守的な人たち以外はアジア味って普及してるし。

    何が欲しいかある程度好みを把握して、もしくはずばりリクエストをってのが一番だよね〜。こてこての日本人形とか、ぎらぎらした扇とか、中途半端な値段のものって趣味悪いし、向こうのインテリアに合わない置物とかもらった方はやっぱり困るんじゃないかな。あ〜あ、たこは自分であげときゃよかった。




    利用プログラムについて


    私が利用したプログラムはたぶん一番新聞やらで広告を見かける「インターナショナル インターンシップ プログラムス(以下IIP)」でした。カレッジ、ビジネス、カルチャー、スクールインターンとその名の通り、インターンシップ活動のみを斡旋していて、名誉会長がハルライシャワーさんという民間の教育交流団体だそうです。要するに参加者が費用自己負担するってことですね〜。

    費用

    試験や面接などに1万円程、合格後申し込み金に10万5000円、正式に申し込み後に来た請求書が70万4640円(内訳6ヶ月参加費用623000円、消費税31150円、保険料35490円、査証料1500円)でした。高い、高すぎる〜。まず、申し込み金が予定外でした(どこにも書いてなかったぞ〜)。

    参加費用の内訳というのが、運営費用らしいんですね、その内訳とやらが、広告25.8%、人件費17・8%、派遣関連諸経費18・9%、プログラム運営維持費18.6%、事務所維持管理費12.4%、諸経費6.5%ということでした。どれもこれも似たようなもんやんか〜漠然としすぎや。ちなみに参加費は1ヶ月だと42万9千円、3ヶ月50万1千円、9ヶ月69万5千円でした。これらおおざっぱな費用は申し込み前にわかっていましたが、申し込み金など、いざ申し込んでからでないとわからない部分がほとんどでした。

    申し込む前から費用の面から、こういった団体を介して行くことに非常に迷いました。しかし結局利用した理由は@春学期のみの期間の限定性、Aオーストラリアに行きたかった=インターンするにもポピュラーな地域なのでこうした団体がホストスクールをほとんど押さえている、という事からこうした団体を通さないと状況的に無理がありました。

    選考試験

    英語筆記試験とその後グループ面接でした。

    英語力テストはほんと拍子抜けするほど簡単なものでした。
    ペーパーテストは高校受験並み以下くらいのもの。その後面接で、「ホストスクールの校長先生に初めて会った時を想像して挨拶のようなものをして下さい」とのことで、自己紹介のようなもの、家庭教師などをしてたし、子供は好きだとかありきたりのものをざっと言いました。一応、申し込み用紙には資格や、自己申告制などの英語レベルについての記述項目はありました。この申し込み用紙は履歴書のようなもので、異文化交流経験やバイト、自己アピールなどをわりと自由に書きました。

    面接で他に聞かれたことは、インターンの費用は誰が出すのか(主に学生に聞いていました)、インターンを希望する理由は何か(OL風の人は「留学より安くてお手軽そうだから」と言い切っていました。びっくり〜)など、すごく平凡な簡単な面接でした。「え?これで終わり?選ぶ基準って何?」って感じでした。

    面接時は私以外皆ほとんどスーツで、 なんだか驚きました。私の面接のグループは、20後半OLらしき女の人、大学生の男の子2人でした。参加者のほっとんどは女の人です、ちなみに。

    試験が10月頃にあって、結果が12月頃に来て、正式に申し込んでからプログラムの一環として、事前研修(模擬授業とか)や講演会、セミナーなどがあり、私はどれひとつ参加しませんでした。理由は時間が合わない、なかったこともありますが、ホストスクールといっても地域、学年、究極的にいえばひとりひとり全然違う子供に対する対応を行く前に想定して模擬授業ってなあ〜、なんか違うんだよな〜、という感じがあったからです。あと、同じインターン同士集うっていうのがだるかったから。

    研修先決定の連絡

    ホストスクール、ホストファミリーが決定したのは2月終わりくらいだったでしょうか。遅かった人は行くぎりぎりまできまらなかったとか。インターンも供給過剰なんじゃないかな〜。そういうわけで確実にインターンをするならやはりこういう団体を通すメリットはあると思います。

    インターンのビザは国際交流ビザでした。ハンガリーやギリシャなどでも受け入れがある点で、いっそのことそういった旅行以外で行きにくそうな国でインターンしてみるのもいいかなとも思いました。そこらへん狙ってる人にはこのプログラム利用するのも悪くないかも。

    話を戻して、ホストスクール、ファミリーの情報といっても住所や名前、簡単な紹介程度でイメージは全然もてませんでした。知り合いのオーストラリア人に「Gladstone parkってどんなとこ?」と聞くと、「え?そこの公立校?お〜がんばれよ〜you have to be strong~」といわれ、ちょっとどきどきしました。根拠は、ちょっと前、じっさいに荒れていたことやブルーカラーの地域性だったようです。実際にはとても楽しいインターン生活が送れたわけで、それはまた別の巻で〜。

    運営方法への疑問

    というわけで、ますますいざ準備だとかいっても何をどう準備したものか。
    そこで、前年のインターンの人にコンタクトをとり、学校の設備や学生の様子を聞きました。彼女は学校の設備や教材はかなり充実していて、生徒1500人以上のマンモス校であること、難しい年齢でもあり、やる気がない、ひらがな・カタカナの習得がとりあえずの目標である授業がメインであることなどを教えてくれました。

    別に団体からは何をしてもらうわけでもなく、本やビデオ、ニュースレターを少し送ってきましたが、スクールインターンのほとんどが小学校、もしくは幼稚園での活動であったため、その年齢想定の教材や授業の例ばかりっだったし、何よりもそうしたネタがつまんなかった。そうした本やビデオ、行かなかったとしても研修などの費用はみんなが平等に払っていたわけで、なんだか納得いきませんでした。

    あと広告しすぎ。行きたいと思ってる人は自分で少し位絶対調べるだろうし、ここまで大々的に広告しなくても・・と思ってしまいました。

    インターン中に困った時などに利用できるホットラインのようなものがありました。例えばホームシックになったインターンなども気軽に東京のIIPのスタッフと話せる国際電話の無料ケア。これはまいった。子供じゃないんだからさ〜、かなり過保護だなあ、そんでもって利用しない人もそうした経費払ってるんだなあ、とかなり納得できませんでした。

    さらに毎月報告書として、どんな授業、地域活動をしたか、など簡単なレポートを東京に送るのが決まりだったんで、一応きっちり出してたんですが、ニュースレターが送られてくる際にコメントのようなものが書いてあるんですね。それがウサギだののハンコが押してあって「大変充実したインターン生活のようですね。」うんぬん。なんか幼稚園の「よくできました はなまる」のノリで、またまたまいりました。

    学校のスタッフはほぼ全員、IIPを通して私が来ていることを知りませんでした。実際インターン以外とは接触がほとんどない為無理もないですが、校長や受け入れ担当スタッフまでもが「、そういう団体通して来たのか〜、ああ、そういえばなんかそういうとこの人がただでインターン紹介してくれるってことだったなあ。あ、そかそか」って調子でした。おいおい家庭教師派遣会社よりいいかげんじゃん。

    で、「こんな費用を払って、こういった情報を事前に教えてもらった」と説明すると、「え〜、、それ、you paid for nothingだよう。だってその団体何してんの? なんでお金払ってアシストするの? そしてもし払うとしたらボランティアのホストファミリーにもっと払うべきだよ。」

    確かにホストファミリーには食費などの必要経費の一部として月280ドル(多くても少なくてもだめ)を払う決まりでしたが、特にうちのホストファミリーは子供がホストスクールの生徒であるわけでもないのに私を受け入れてくれていて、なんだか、そうした人の気持ちに対して失礼な感じのシステムだなあと思いました。

    ざっとIIPについて書きましたが、私はこの団体と考え方が合わなかったようです。「国際交流、教育なんとかNGO?何?」でなく、民間営利団体って方がいさぎよいし、もっと合理的で的確なサービスできるんじゃないって思っちゃうんですが。




    個人的にはインターンシッププログラムスを利用することは費用の面などからも特にお勧めはしませんが、とりあえず:

      インターンシップ プログラムス
      東京都文京区本郷6-19-14
      TEL: 03-3812-0371
      http://www.internship.com


    選考(募集)は年2回春と秋にしていたと思います。新聞、大学の国際交流センターなど、一番よく目にする団体だと思います。




    さあ学校だ 初日の巻


    さて、Gladstone Park Secondary College 初登校日。
    日本語担当の教師はイタリア語の授業も担当しているイタリア系の若い女の先生ルアナとエレナの2人。学校を簡単に案内されながら授業やクラスの話しをさら〜とされて、職員室の私の机へ。はいはいはいと文房具などが支給され、周りの席の先生たちと簡単にあいさつを交わし、「で、明日から何するの?」とエレナ。

    日本語のクラスは7年生1クラス、8年生と10年生各2クラスそれぞれ1クラス25人前後で、人数も多いし、学年も7年生と10年生では子供と大人みたいな雰囲気の違いがあるし、まあじっくり観察しながらいろいろ試してみるよということで、次の日生徒達とどきどきしながら初対面。

    まず7年生は思ったより子供っぽい、なんだかまだ小学生の面影があるような元気なクラスで、私に対しても何か授業をおもしろくしてくれるんだよね?といった期待をこめた目でみんな見るわ、質問するわで大歓迎の様子でした。担当のルアナもにこにこして、「かわいいでしょ?」。

    8年生は2クラスともエレナの担当で、どうやら彼女は迫力ある風格に違わず、こわ〜い先生らしく、クラスもしーんとして緊張した感じの中、「この人はやっぱりこわい人なのか?」とちょっぴりさぐるような感じ、10年生はルアナ、エレナと各1クラスづつ、どっちのクラスもどっこいどっこいで(いわゆるNaughty boysで有名な双子2組がそれぞれのクラスにいた!)無関心、無反応、みな大きい、色っぽい、ひげ濃い。聞いていた通りの双子もそれぞれ超無関心そうにいるいる〜。う〜ん感じ悪いな〜、しかし私が高校生くらいの時、もしかして今も?こんな感じだな、と納得。

    まず最初にしたことは一週間で約120人分の生徒の名前を覚えたことでした。これは自分でもなかなかエライっと思います、はい。
    生徒の様子をだいたいつかむまでは、授業に関する提案も何もできないので、まあ最初に出席をとるときにじ〜〜〜と観察し「ああ〜この前怒られてたこの子がデイビッドか〜」と覚えるようにして、授業中や放課後に「ようジハン〜元気〜?」とか声をかけたりした時のびっくりした顔が楽しくて。やはり子供というか誰でも、名前を覚えてもらう=自分を認識してくれているということは、とてもうれしいようで反応はかなりよかったです。

    7年生など最初から大歓迎なので、名前など覚えた日にゃあもうノリノリで、あと緊張していた8年生のクラスも初日に黒板に「スパイスガールズ」(はやってたなあ〜これ)とか日本語で書いて「なんて読む?」と聞くと、最初は「覚えてないんだよなあ、難しいな〜」と顔をしかめていた生徒も、自分達の関心のある単語ばかりなので楽しそうに読み出し、授業の後に「、今日の授業はとてもよかった。この調子で期待しているよ。」(言外にうちらの好みを押さえてるねえ〜若いだけのことはあるな、という含みあり)。

    10年生はなかなかガードが固く、まあぼちぼち気長にやっていくか、などというのが最初の2週間くらいの様子でした。




    こんな授業でした


    学年やクラス、担当の先生によって授業はいろいろで一概には言えませんが、日本語のクラスについては「日本の英語のクラスのような授業」が展開されていたようで、「インターンがなんか変えてくれるかも」という生徒の期待にはこたえたいと思いました。

    教師資格のない私は「ゲスト」であり、絶対一人でクラスには行きませんでしたし、先生達もこなさなければならないカリキュラムにおされていて、進学もからむカレッジではあまり授業に余裕もないようでしたし、12年生などすっかり大人の迫力なので、小学校でのインターンとは全く内容も対応も違うと思います。

    旅先で知り合った小さな私立の小学校のインターンの人の話しでは、結構授業をまかされて子供と毎日楽しく遊びながら授業やってるよという感じでした。ちなみにこの学校はモルモン教だと思われますが、ティーセレモニーをやってくれとリクエストしたくせに、いざお茶をとなると「お茶は宗教的に飲めないから、ミロでかわりにやってくれ」といわれたそうです。なんだそりゃ。




    私が派遣された学校は、各種さまざまの文化的バックグラウンドの1500人の生徒と100人の先生と、まさに移民社会の縮図のような公立中高校でした。

    両親を目の前で虐殺されたというソマリア人、トルコとオーストラリアで半々すごしている子、おじさんの出所祝いで宿題ができなかったという子、どんな子もふつ〜に素でいたことはやっぱりあまり日本にはない環境かなあと思いました。

    おおおと思ったことは、この大人数なのに、先生たちが生徒の家庭状況や正確などを結構把握していて、「〜の親がアル中で精神的に不安定だろうから対応に気をつけてあげて」といったことが連絡板にはってあったりしました。先生達は勉強しろというプレッシャーはわりと本人の自覚に任せうるさくいいませんが、礼儀作法にはとても厳しかったです。

    常に数学コンテスト、ファッションショー、バンドの演奏会、スポーツトーナメント等々のイベントがあり、すべての生徒がそれぞれの得意分野を見つけられる、伸ばすことができるような配慮がされていました。自分の得意なイベント参加のためには欠席が認められていたため、授業で全員がそろうことはめったになく、いい意味で均等に生徒がみな活躍の場を与えてもらっていました。そのせいか、劣等感の強い生徒をみかけませんでした。

    先生達といえば、いわゆるイギリス系?オーストラリア人と、その他移民の先生達との間にはいろんな意味でギャップがありました。その際たることが、外国語教育を取り入れるときに、世界語である英語教育を充実させるべきで、外国語をする必要はないというイギリス系の先生達と、外国語教育は単に言語技術云々ではないとするその他の先生達が対立したそうです。私に対する態度もおおよそそうでした。無関心というのが、多かったですね、そうした自分達の文化が一番と思っている先生達は。




    2人の日本語教師のうち、イタリア系の先生は大学で日本語を専攻しただけなので、日本語はかなりあやしいものでした。全5クラスのうち毎日平均3時間くらいは日本語のクラスがあったので、それにはすべていっしょに出ていました。教科書を読んだり、ワークブックをしたりするだけの授業では、教室内をうろうろして生徒の様子を見ながら個人的にアドバイスしたり話しをしたりと一対一で生徒のサポートをしました。先生もそうしていたり、教壇で他の仕事をしていたり。

    これは、単純で退屈そうに思えるかもしれませんが、実際はとっても楽しく勉強になるものだと思います。生徒との私語?的な会話の中で、無意識のうちにお互いの文化論みたいなものが展開されたり、授業のネタのアイディアをもらったり。
    今でもメールなどで生徒があれは楽しかったよ〜といって来てくれるのは案外授業中一緒にちょろっとしたひらがなカードゲームだったり。家庭教師のバイトでもそうでしたが、根気よく誉めて、その存在をしっかり気にかけているよということを伝えれば、自信をなくしている子や投げやりだった子が生き生きしてくるのをみるとああ〜私でも何らかの役にたっているんだなあと。これは教育関係に携わる醍醐味ですね〜。

    一方、先生の授業方法には疑問を抱くこともありました。たとえば、「せっかく私がいるのに、なんで教科書のテープを聞くんだろう?」と思ったり。
    でも、決まったカリキュラムをこなすこと、彼女たちの先生としての威厳を保つことは絶対の前提だったので、それはそれとして攻め方を考えました。例えばまず「こういういことをしてはどうか?」という提案をして、OKならハンドアウトを作ったり、グループ分けをしたりということをしていました。

    持っていった教材は、新聞広告、フリーマーケットで買った古着の着物、好きな日本人の音楽テープ、雑誌、私は書道をずっとしてきたので書道道具一式です。
    結論からいうと、これだけで事足りました。モノだけをネタにした授業は、例えば「これが着物です。」とプレゼンっぽい一方的なものになってしまって、すぐいきづまりました。これは生徒の年齢もあると思います。7年生まだまだ子供らしく、ものめずらしさだけでも興奮して喜びましたが、小学校での日本語教育も充実しつつあった世代なので、すでに日本に関するいろんな事を知っていて、逆にネタに困りました。反対に10年生は、多くのことに関して無関心な態度を示しますが、日本についてほとんど知らない生徒が多かったので、うまく彼らの興味を引き出せば、意外と反応がありました。そうした授業の様子を一例として、具体的に紹介してみます。

      カタカナもひらがなも一応終了しているはずなのに、ほとんどの生徒が覚えていないといった状態の10年生。進学問題からも、担当の先生があまり文化紹介的な授業や自分の組んだカリキュラムが遅れるような提案は何となくいやがったのもあり、そうした点を考慮していろいろ工夫してみました。

      その中でも新聞広告を使うのはとても効果的だったと思います。まず、趣味や興味が共通の仲良しグループに分け、少しでも反応を示しそうな内容の広告を振り分けました。例えばNaughtyグループには電化製品、ファッション好きの女の子には百貨店、ゲームおたくグループにはもちろんゲームカタログといった具合です。

      広告は名詞が多く、カタカナや日常生活用語が多いため、また物価の比較というものはそれなりに面白いものらしいです。そこからいろいろ疑問に思ったこと(白人モデルを使うのはなぜか?肉がなぜこんなに高いのか?どんなファッションがはやっているのか?)などをそれぞれが質問してきて、そこからさらにトピックがひろがったりしました。

      広告と同様に雑誌でも同じ事をしてみました。雑誌の中の興味のあるものが何かを知るために必死で読もうすることでちょっとでもカタカナや単語を覚えてくれたのも良かったですが、まず日本に対するイメージがあまりにも漠然としていることから少しでも具体的な違いや、逆に「なんだ、うちらといっしょやん」ということダイレクトに伝える日常のチラシや雑誌のビジュアル効果は大きいと思いました。自分なりに意識して偏ったりしないように選んだつもりでしたが、「ブルータス」「フルーツ」(ストリートファッションマガジン、一般人がモデル)、タワーレコードのフリーペーパー、「家庭画報」(料理や建築の写真がリアルで美しい〜)やはり若者うけするものに、そして自分の趣味に走ってしまいました。


    結構やりたいことはやれた気がします。文化紹介的なことも、例えば音楽の紹介なら歌詞からキーワードのハンドアウトを、形容詞の授業なら例文を利用するなど、こなさなければならないカリキュラムが進むようにもっていくとたいていの提案はOKでうまくいきました。

    書道が特技なので、VICの書道コンテストを名目に時間をもらい、思いがけず入賞し、「実績」みたいなものでその後、少しやりやすくなったりもしました。

    原爆の授業の時はちょっと長いプレゼンをさせてもらいました。インターネットでだした資料と図書館の本を元に、ハンドアウトをつくりましたが、思った以上に、高学年で、移民系(特にトルコ人)に反応があったので、その時のみ、私がずっと教壇に立っていた気がします。

    日本語のクラスの生徒にとっても、やはり日本はゲーム、ハイテク、着物、寿司といったものでしか接点というか、イメージがないのが現状でした。生の日本人がいる、話しができるというだけで、それなりにインターンの存在価値はあるんじゃないかなと思いました。

    日本語を教えるということに関しては、インターンシップをしてみて、あらためて、とても難しいものだと痛感しました。まあ適当にやりゃそれはそれでできるんでしょうけれども、やっぱり適当な日本語や日本観が広がったらいやだなあ。先生という人種のカルチャーがちょっとしんどいなというのもありますが。閉鎖された社会にいるからかなあ。





    典型的な1日のスケジュール


    朝7時半 起床。シャワーを浴び、コーンフレークの朝ご飯。新聞をざっと見る。
    8時半 ホストファザーがクルマで学校に送ってくれる。
    8時半〜8時50分 職員室で授業の用意
    午前の授業 2〜3コマ
    ランチ 学校のカンテ−ンに頼んでおく昼食を取りに行きスタッフルームで他の先生達とお昼。先生達が先生同士の誕生日やうまいもの持ち寄りパーティーをしたりする時も。先生同士よくみるとグループあり、摩擦あり。
    午後の授業 1〜2コマ。授業のない時は教材をつくるネタ探しや、インターネットをしていました。
    3時半 放課後メールチェックをして下校。
    4〜5時 帰りは歩いて30分くらい。途中小さいショッピングモールへ毎日寄っていました。生徒にも周辺で会い、声をかけてもらうのが結構うれしかったり、イタリアンデリカテッセンですべてのチーズを試してみるという使命もありましたし、セーフウェイでおやつを買い食いしたり。
    5時〜 ホストの家に帰宅。テレビを見たり、ホストの息子の子供と遊んだり、料理を手伝ったり。
    7時頃 夕食(ニュースかシンプソンズを見ながら)。歓談。
    11時頃 就寝



    家では絶対テレビがついていて「Wheel for fotune?」などのクイズ番組が延々2時間程流れっぱなしでしたので、暇な時は(たいてい)一緒に見たり答えたりしていました。母親のところにいる3歳のホストサン(ホストの息子)の息子が来ている時はその子と遊んだり、部屋でこっそり羊羹などを与えてみたりしていました。ホストファザーが料理をほとんどしていたので、その準備を手伝ったりして、ニュースもしくはシンプソンズを見ながら晩御飯。デザートにアイスクリームてんこもりがお約束で、やはりテレビを見ているファミリー。それでも会話は結構ありました。

    ポーリンハンソンの話題などもOKでしたし、ホストサンの空手関係のことや、趣味のバイクレースのことなど。息子の離婚したヤンキー妻の悪口も裁判沙汰になっている親権問題も聞いても聞かなくても話してくれていましたし、気楽で気さくな雰囲気でした。

    ホストペアレンツは10年間ホストをしている(主に日本人の女の子。一番トラブルがなく、また日本文化がすきだからとか)という反面、非常に保守的なところが多かった点が興味深かったですね。特にベトナム人と中東系の移民に対してはいい感情を持っていませんでした。「オーストラリア人がマイノリティーになってきてしまっている!」と。その両人種の知り合いはいないようでした。いじわるな言い方ですが、日本人は国に帰っていってくれるし、自分達の生活を脅かしたりしない、距離があるからこそ、好意的にいられるのかなあと。

    自分の息子の元嫁を見て、世間すべてのシングルマザーをヤンキーで金目当てだという決めているといった、自分達の生活が第一でそれがすべてといった価値判断なので、ハンソン政策も支持気味でした。なかなか興味ぶかい多文化主義の実際みたいな一片を観察できたような気がします。あと印象深かったのは日本とオーストラリアの第二次世界大戦中の関係などを調べてから行って良かったと思います。こだわりはないけれども、多くの日本人が知らないということに関してはやはり抵抗を感じているようでした。

    夜はこうして話や議論?をして、たまにファミリーが趣味のバイク愛好会の集まりに行く時は、一緒にパブへ行ったりしましたが、ほとんどは家で過ごして11時くらいには寝ておりました。

    学校で参加した行事等は、7年生の林間学校、10年生のドレスアップダンスパーティである「Social Night」(これはいいですね。高校時代にこうしたTPOと服装&髪型を学ぶ機会があったらよかったなあ)、フィールドワーク(心理学の授業で動物園という発想はすごいと思いました。なんでだろう?)や学校内でのちょこちょこした行事(カラオケ大会など)。一度日本語の先生のメルボルン大学のゼミのクラスに連れていってもらったこともありました。思ったよりつまんなかったです。




    プライベート・ライフ


    インターン経験でちょっと物足りなかったことは、旅行中を除いて、同じ大学生くらいの気楽な身分の友達ができなかったことでした。ホストの息子も社会人だったし、シティの方にできた友達も社会人でしたし、ホームステイしている以上夜遊び的なこともなかなかできませんでしたし、足にも限界があったので、ライブや演劇、いろいろ行きましたが、物足りなかったですね〜。まあ基本的に平日は学校があったので、規則正しい生活を心がけなければなりませんでしたし。

    それなりの楽しみ方や、性格もあると思いますが私は完全に都市型人間なのでメルボルンのCityに近くてとってもラッキーでした。ほんとすごい田舎になってたらどうなってたんだろう・・・。旅行でできた友達ともメルボルンでつるんだり、Cityのギャラリーのオーナーと仲良しになったりと、休日はほとんどCityにでていましたし。

    日本人のワーホリの人達ともいろいろ会いました。ワーホリの社会というか、情報ネットってすごいですね。個性的なワーホリの人はみんな知ってたり、ラウンドも結構コースパターンがいっしょだったりして、また会ったねえなんて事がでかいオーストラリアなのに良くあることみたいでした。楽しい人多かったですね。一年なり放浪するのはすごい体力と気力いるんじゃないかなあ。なんやかんやいっても。




    ★APLaC後記 : 上記の体験に関連してよく聞かれる質問につき、小島さんからFAQとして頂いていますので、あわせて掲載しておきます。



      「英語力はどのくらい伸びますか?」
      これはなんとも答えようがないです。

      「英語の習得が目的ですが、インターンは効果的ですか?(楽そうだから?)」
      これもなんともいえませんが、ずばり留学の方が効果的だと思います。どちらにしろ機会を生かすも殺すもはもちろん個人のやり方次第だと思います。

      「他にいいプログラムがあれば教えてください」
      他のプログラムを利用したわけではないので無責任なことはいえません。

      「自分でホストスクールを見つけることは可能ですか?」
      不可能ではありません。インターン、ホストスクール事情は本文で述べたとおりですが。



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