今週の1枚(02.11.11)
ESSAY/ 近況 お天気話と小論文
シドニーでは、ここのところ暑くなったり、寒くなったり、天気や気温が乱高下しています。
もともと年間で一番寒い月と暑い月の平均気温の差よりも、一日の中での気温の差の方が大きい土地柄なのですから、いつもの話といえばいつもの話ですが、今年は特にトリッキーのような気がします。日射病にかかりそうなくらい暑かったかと思ったら、その翌日、下手すればその晩からストーブが恋しくなったりします。
よく砂漠などでは夜は零度、昼間は50度というくらい極端に差があるといいますが、シドニーはさすがにそこまで極端ではないです。しかし砂漠は極端ながらもパターンが一定していますが、シドニーはそのパターンが読みにくいのがツライところです。3日くらい熱暑状態が続いたとしても、その次の日にはいきなり10度以上気温が落ち込んだりします。そして、気をつけていても、いつそうなるかがわかりにくい。日中に暑くても朝晩は涼しくなり、それが救いでもあるのですが、「涼しいわ〜、助かった」と思ってスヤスヤ寝てたら、夜半から急に冷え込んできて風邪をひくとか。一日の温度差の激しさと、数日周期の変動という、二重にトリッキーな要素が混在している点が、対処しにくい点であります。そして、そのなかでも今年は特にトリッキー度が高いように思います。
これらの変則的気候はメール等で何百回となく説明するのですが、固定観念というのは恐ろしいもので、幾ら事前に説明してもしっかり理解できる人は殆どいないです。圧倒的大多数は、日本的な気候観念、つまり「○月だったらこのくらいの温かさ(寒さ)」という観念で物事を捉えようとします。でもって、たまたま着いた日が寒かったら「予想以上に寒いですね」、暑かったら「思ったより暑いですね」と言う感想になり、それが数日続くと「シドニーって今ごろは大体こういう感じなんですか」という理解になり、さらにもう数日滞在すると、大きな揺れ戻しを経験しますから、段々と沈黙していきます。つまり、「これは経験・理解の範囲外にあるな」ということが何となく飲み込めてくるのでしょう。
こちらの天気予報では、しつこいくらい温度を言います。
最初は、天気予報を聞いていても日本式に晴 or 雨 という天候だけ気にしてたのですが、段々「そういえば気温のことは必ず言うな」と気づき、そのうちに雨か晴れかということもさることながら気温というのがかなり重要なファクターになっているのだことを遅ればせながら認識しました。そうなんです、雨か晴かというのが大事なくらい、気温というのは日常生活で大きな影響力があったりします。また、雨/晴というくらい、日によって気温もガラリと違うわけです。そりゃあ天気予報でもリキを入れてやるわけよね、と。
例えば、こちらの新聞のオーストラリア各地の天気予報欄をそのままコピーしてきますとこんな感じです。
Adelaide Today | Top: 30C Fine. Mostly sunny Tomorrow: 18 - 38 C
Brisbane Today | Top: 28C Fine. Hot today away from the Bay but cooler on Monday. Moderate to fresh NW to NE winds, tending lighter S to SE on Monday. A high to very high fire danger today decreasing on Monday.
Canberra Today | Top: 30C Dry. Hot with a mix of sun and high cloud today, some low cloud developing overnight and into Monday morning. Light to moderate westerly winds ahead of a cooler gusty easterly change this afternoon. Moderate northeast winds Monday. Dry and hot. Tomorrow: 20 - 28 C
Darwin Today | Top: 35C Fine and mostly sunny. Light winds before a fresh afternoon seabreeze. Tomorrow: 25 - 33 C
Hobart Today | Top: 20C Fine apart from the chance of a shower about the mountain this afternoon. Cool today and mild tomorrow with fresh and gusty southwesterly winds easing and tending northeasterly tomorrow with an afternoon seabreeze. Tomorrow: 12 - 29 C
Melbourne Today | Top: 22C A fine afternoon with sunny breaks. Moderate southwest to southerly wind. Tomorrow: 11 - 30 C
Perth Today | Top: 30C Fine, warm and humid. SW winds becoming fresh and gusty. Tomorrow: 13 - 23 C
テレビやラジオのニュースでも、大体こういう順番で喋る場合が多いです。時に天気が先に来てあとに気温が来る場合もあり、その逆もありですが、晴れか雨かということと、温度とが同じくらいの重要度で語られているのがわかると思います。
またシドニーだけではなく、日較差が激しいこともわかると思います。メルボルン11−30度、ホバート12−29度、アデレード18−38度ですもんね。一日の間に20度くらい温度が変るわけですので、冗談ごとではなくトリッキーというのがお分かりになるでしょう。
これが日本の場合どうかというと、例えばこの一週間の大阪の最高気温と最低気温を調べてみると、
11月3日7.2-15.1度、4日8.2- 12.5度、5日 7.4-13.5度、6日5.9-14.9度、7日5.4−16.7度、8日9.9- 19.7度、9日6.0- 11.1度
ということで、日較差が10度以上開いたことは一度もありません。もっとも寒暖の差が激しかったのが8日ですが、それでもたかだか9.8度です。これからしても、平気で20度近く一日で乱上下するオーストラリアの天気を、いかに日本的常識で考えてはイケナイかがわかると思います。
あと必ず風向や風の強さは言いますね。これも結構しつこく言います。推測するに、やっぱりこっちは風が強いのでしょう。日本も風は多いと思いますが、こちらの方が風が強い日が多いように思いますし、また風の強さもかなりバリエーションがあります。台風のような暴風雨はオーストラリアの北の方(サイクロンが来ます)を除けば来ないですが、普通の日の普通のときに、結構強風が吹きます。それと、こちらでは普通の人でも結構風に影響されるシュチェーションに置かれたりするのでしょう。例えば、クルーザーとかヨットとか別にそれほどお金持ちでなくてもやってますから。マリンスポーツに限らず、一般にこちらの人はアウトドアが好きですから、それだけに風には敏感なのかもしれません。
なお、天気予報の各用語の正確な定義については、オーストラリアの気象庁サイトのなかに説明があります。詳しくは
http://www.bom.gov.au/info/wwords/をどうぞ。
ところで今こちらは雨が少なく、けっこう深刻な旱魃になってます。今からオーストラリアに来られる人は、住み始めてすぐに”DROUGHT ”という単語を覚えるでありましょう。
実際、シドニーの生活実感でも今年はやたら雨が少ないです。芝生もかなり枯れて茶色になっちゃってるし。シドニーは、ワラガンバという巨大なダムがありますから、そうやたら取水制限にはならないまでも、NSW州の他のエリア、特に気候が厳しい内陸部はかなり取水制限やってるようです。
オーストラリアでホームステイすると、シャワーの時間制限3分とかいうルールのある家が多く、水が豊富にある、まさに瑞穂の国・日本から来ると、このシャワー制限に愕然とする人が多いです。解決策はただ一つ、慣れましょう。「ワタシそんなの絶対できなーい」とかいってる女の子も、しばらく居たら慣れてます。オーストラリアは世界で二番目に乾燥している国です。それでも、どーしても「ワタシできなーい」という人は、最初から来ない方がいいです。その程度の適応力しかない人が海外に行こうというのがそもそも間違ってるという気もしますからね。「適応能力のない人」と今書きましたけど、人間の適応能力というのはとんでもなくスゴイのですから、、より正確にいえば「自分の適応能力を信頼することが出来ない人」とすべきですが。
雨が少ないと、例によってブッシュファイアーの恐怖が襲ってきます。すでに今年は例年よりも早く山火事が発生しています。オーストラリア人の山火事に対する恐怖と備えは、日本人の想像を越えたものがあります。カラカラに乾燥している時期に観光にやってきて、「オーストラリアだ、アウトドアだ、バーベキューだ」でろくに注意書きも見ないでバーベキューなんかやり始めたら大変な騒ぎになったりします。”TOTAL FIRE BAN ”が出てるときは、野外での(テント内でも)火気類厳禁になります。僕もその昔、知らずに裏庭で火をつかってたら家の前にドデカイ消防車が止まって、散々お目玉くらいました。
一般的に言いますと、オーストラリアは自由でのんびりしているように見えて、色々な規制がちゃんとあります。そして、そんなに懇切丁寧に言ってくれません。例えば先月の終わりからNSW州はサマータイムになってるわけですが、せーので時間が変るという大イベントなんだから、日本の感覚で言えば「明日からサマータイムだよ」と色々な政府広報が教えてくれそうな気もしますが、そんなもん一切無しです。ラジオやテレビの雑談で出てきたり、せいぜい新聞の目立たないところにちょこっと記事が載るだけです。そういえば、総選挙のときも選管の宣伝カーが「投票しましょう」なんて言ってくれません。こちらは義務投票ですから、投票しないと罰金食らうわけで、それだけにガンガン宣伝してくれても良さそうなものなんだけど、一切無し。
ここらへんの突き放した感じは、日本と好対照だと思います。日本の場合は、駅のホームにけば「白線の内側に」とアナウンスをしてくれ、バスに乗ったら次の停留所をアナウンスしてくれます。至れり尽せりだったりします。でも、こっちはそーゆーは全然なし。なんというのか、市民一人ひとりに対する要求水準が高いように思います。「住んでる以上、そのくらい知っておけ、努力して知れ、わからなかったら問い合わせろ」という。「だって、教えてくれなかったじゃん」という泣き言を許さない厳しさがあるように思います。
ある意味では国民を馬鹿扱いしないエラさがあるとは思うのですが、これだけ多民族国家で、言語もバラバラな社会で、「自分で努力して知りなさい」と突き放すのは結構勇気がいるような気がします。市民からの文句言いの激しさも日本以上のものがあるのでしょうが、でもやっちゃってるんですよね。そのかわり、官公庁の刊行物には各国語バージョンが出されていたり、無料の通訳システムがタテマエではなく結構使えるレベルで備わってたりします。
観光気分で短期滞在するのではなく、ワーホリや留学などこちらに本気で住まれるのであれば、あんまりノホホンとせずに、こちらの制度やオキテについて事あるごとに調べたり聞いたりされるといいでしょう。オーストラリアも窓口は結構いい加減だったり、日本のように「一目でわかる!」という親切な書籍も少ないし、なかなか情報へのアクセスが難しい国ですが、その分官公庁のWEBなど結構充実してますので、アクセスされるといいと思います。
話はいきなり変ります。
今、メールで小論文の添削をやってます。いや、以前こちらで学校のサポートをした方がおりまして、その方が今は帰国されて入学試験の準備をされているわけですが、メールでの近況報告方々「ちょっと見てください」とお願いされたのでやってるわけです。「なんでもやってるな、俺」とか、ふと思ったりするのですが、エラソーに、楽しくやらせてもらってます(^^*)。
でも、小論文試験、僕は苦手かもしれないです。特に日本の試験では。というのは、「変ったこと書いてやろう」というヤマっ気が強すぎると思うのです。「ソツなく、無難に」というのが性格的に出来ない。まあ、やろうと思ったらできるのかもしれないですけど、なんか面白くない。本当は関西人ではないのだけど(東京生まれの東京育ちです)、根が関西人なのか、ああ、こんなオモロない文章、読んでて詰まらんやろな、いっちょここでクスグリでもいれたらな、、とか、ついサービス精神が入ってしまうという。
でも日本の小論文試験は、まあ「ソツなく無難に」というのが合格パターンだと思います。あっと驚かせるような答案書いて、ウケを狙っても、「ぶわっはははは!おもろいやないけ、よおーし、ごうかーく!!」なんてことは滅多にないでしょう。
それに小論文試験って、「○字以内」という制限があるでしょう?あれ止めて欲しいですね。制限時間なんか決まってるんだから、書いたにせよたかが知れてるでしょう。字数制限なんかカマしても意味ないんじゃないかと。それに、文章が長くなればなるほど、論旨一貫させるのが難しくなるし、ボロも出易い。だから、長く書いたほうが楽とか有利とかいうことはないでしょうに。どうも、「○字以内」という制限を見ると、なんとなく体力無さそうな、疲れてそうな採点官の姿がボヤヤンと浮かんできて、「あんまり長く書かれると読むのが大変」という、採点者への配慮から字数制限をしてるのではなかろうか、と思ってしまいます。
かくいう僕も、その昔職場で採用担当になって小論文を出題し(字数制限なんかしなかったぞ)、採点したこともあります。採点者としての乏しい経験で言わせてもらうと、小論文試験って特に鋭いことを書かなくても自滅さえしなければ大丈夫じゃないでしょうか?つまり、驚くほど多くの人が自滅してるのですね。例えば時間切れで尻切れトンボになっているとか、最後がグチャグチャになってしまっているとか。あとは、論旨がメチャクチャで何がいいたいのか分からないとか
、日本語として成立していないとか。だから結局、当たり前のことを破綻なく書けている人が相対的にグーンと浮かび上がるという。
もちろん、試験のレベルによって要求水準は変ると思います。ただ、司法試験の模擬試験の採点などもやった経験でいうと、やっぱりそれでも半数以上は自滅してます。一番多いのが時間切れ。大作を書こうとして、途中で時間がなくなって焦るから、論理のつながりが悪くなり、飛躍が多くなり、最後は「なんでそうなるの?」という結論だけ大急ぎで書いて、それで終わりという、いわゆる竜頭蛇尾パターンです。
だもんで、コツでいえば、難しいことやカッコいいことを書こうとせず、むしろ小学生にも分かるような論理の運びで、普通の日本語を普通に書けばいいんじゃないかと思います。背伸びするのではなく、逆に背をかがめるくらいの感じ。
あと時間切れ対策は、とりあえず書き出すまでの時間が掛かりすぎるというのが一番の問題だと思います。ネタ探しに時間をかけすぎること。あと答案構成に時間を食いすぎること。文章というのは「てにをは」の調整をしてるだけでも結構時間がかかります。時間切れになりがちな人は、通常の半分くらいの時間でネタ出し&構成をするように練習するといいんじゃないでしょうか。
ネタ出しの時間を短縮するには、これは練習が必要だと思います。逆に言えば練習によってかなり上達すると思います。僕が昔やった練習法は、アトランダムになにかお題をもってきて(目をつむって国語辞典をぱっと開くとか)、題になる単語や概念が出てきたら、それに関するネタを短時間に思いっきり沢山挙げてみる練習です。これは一種の連想ゲームだと思います。人間の脳の働きは連想型、リレーショナルだと聞いたことがありますから、基本的に誰でも出来るはずです。ただ、普通は一つ連想したらそこでやめちゃうので、一つ思いついてもそれで満足しないで、幾つでも連想の翼を広げてみるといいです。最低10個、できれば5個くらい連想ネタを考える。それも短時間に。1、2分以内に。一杯ネタがあがってきたら、そのうちからわりとまとまりそうなネタを選んで書けばいいです。選択肢が豊富だと選ぶのも楽です。
この練習はバスに乗ってても、歯磨きしてても、トイレにはいってても出来ます。一回わずか数分でできます。これを1日何回かやってると、滑りが良くなるというか、連想的な脳の働きが活発になってきますよ。例えば、今、なんでもいいですけど、「霧雨」というお題が出たとします。霧雨に関する連想を思いつくまま幾つでも挙げてください。
例えば---
@霧雨→なぜかトレンチコートが良く似合うイメージがある。どこからそんなイメージが出てくるのだろうか。
A霧雨→どうして「きりあめ」じゃなくて「きりさめ」と読むのだろう?春雨なんかも「さめ」だ。
B霧雨→ロマンチックなイメージがある。そもそも「霧」というのがロマンチックを連想を喚起させる。なぜだろう。多分ボヤヤンとしか見えず視界が狭いことに起因しているのではないか。なぜ見えないほうがいいのか?その方が想像力がかき立てるられるからか、醜いものを隠すからか。
C霧雨→”大河を前に家二軒”という俳句があった。あれは「五月雨」だって。蕪村か。
D霧雨→というのは正式な気象用語なのだろうか。霧ともやの違いは確か視界がどれだけきくかどうかだったっけ?
E霧雨→林間学校で八ヶ岳にいったとき、晴れていたのが一転して霧雨になったことがある。山の天気は変わりやすいというが実感した。
F霧雨→小糠雨ともいったっけ?。英語で言うとdrizzleだっけ?
G霧雨→霧雨だと風流だといって傘を差さない人がいるが、濡れていることに変りはなく身体はしっかり冷えるから傘を差したほうがいいのだろう。でも、なんというのか傘の差しごたえのない雨であることは確かだ。
H霧雨→霧隠歳三、真田十勇士、それがどうした?
I霧雨→「けぶるような霧雨」とかいうが、「けぶる」ってもう死語か?それと「けむる」ともいう。なにがどう違うのだ。
などなど。
それと、自分の癖を知っておくといいです。文章の書き方に、かくあるべしというパターンはないと思います。「十分な構成を練ってから書け」とか言われたりしますが、僕は全然違います。答案構成に時間を殆どかけません。書くべき内容にヒントを単語3つくらい思いついたら、「おっし」でいきなり書き始めるタイプです。最初は人の話を聞いたりして、「そうか構成が大事なんだ」とか思ってやってみたんですけど、どうも合わない。いきなり書いた方がうまくいきます。このエッセイもそうです。最初に書く内容なんか殆ど決めてません。書いている間に自然に次のことが出てきます。
これは異様にユニークなように聞こえるかもしれませんが、むしろ自然なんじゃないかと僕は思います。なぜなら、普通に雑談しているときって、あらかじめ「何をどの順番で喋ろう」なんて考えないでしょう?とにかく思いついたことを喋り、自分の喋ったことから又新たな連想が広がり、次に喋りたいことが自然と出てくるという。文章だって同じじゃないのか?と。もっともこれは僕個人のパターンですから、あなたに押し付けるつもりは毛頭ありません。ただ、自分にとって一番文章が生きてくるパターンを見つけられるといいと思うだけです。
文章書いてて一番難しいのはマトメの部分だと思います。オチをつけるというか、まあギャグじゃないんだからそこまでサービス精神豊かにやらなくてもいいわけですが、全体としてまとまった感じを出すためにも、最後のシメの一文というのは結構難しいと思います。
例えば、今この文章なんか、最初にシドニーの天気のこと書いて、次に小論文書いてます。どうやってまとめたらいいんだ?って気もしますね。一応ワザ的には、最後に書いた事柄を、最初の方に書いた事柄にグーン引っ張っていってペチッとひっつけることですね。そうするとなんとなくまとまったような感じがします。
(その1)単純にひっつけるパターン。
というわけで、乱上下するシドニーの気候に翻弄されつつも、小論文の添削なんかをメールでやってる今日この頃です。近況でした、、って、仕事はどうしたんだ?って気もしますが。
(その2)天気と小論文とそれぞれから連想の波紋を広げていって、接点を強引に見つけてひっつけるパターン。「天気とかけて小論文ととく、そのココロは?」みたいな感じで。
しかし、小論文なんて採点される方はイヤなものだと思います。なんせ採点基準がわからないですからね。そもそもマジメに読んでくれているかどうかも分からないし。その意味では、ほんとに「明日の天気」みたいにあなたまかせ、天まかせの自分ではどうしようもない歯がゆさが残ります。そんなこと考えていたら、小論文対策とか勉強とかいってもムナしいものがあるわけですが、ただ、まあ、テルテル坊主を作るよりはまだしも建設的だとは思いますので頑張ってください。あんまり慰めになってないかもしれんけど。
(その3)、、、、って、もういいか(^^*)。
写真・文:田村
写真はNewtown駅付近で電柱に張り紙をするおニイちゃんの図
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