今週の1枚(02.11.04)
ESSAY/ どうしてここにいるのか?(あなた編)--その4
シリーズ4回目です。オーストラリアに滞在しつづけるための「とりあえず学校」というモラトリアムの恐さについて書きます。
当初の予定滞在期間が終了しある程度現地にも慣れた時点で、本来ならば自分の人生の基本原理らしきものを確立し、さらにそれに沿った方向性を打ち出し、そこからトップダウンで導かれる具体的な作業に取り組むという話になるはずです。例えば、オーストラリアがすごく気に入ったので、期間未定どうかすれば一生、ここで本腰を入れてやってみようという基本方針が出てきたら、前回書いたように永住権獲得のための種々の作業が出てくるわけです。人によっては即申請、あるいは大学進学、あるいはビジネスビザにつながるバイトを探す、、などなど。
ただ、こういった大きな決断や、それを基礎付ける将来へのパースペクティブ(透視図)は、そうそう簡単に出来るものではないかもしれません。これは、結局それまでのその人の生き方が反映されてくるのだと思います。小さな時から、なりゆき任せではなく、自分の趣味や価値観でものごとを決断してきた人、皆とは違った方向になるけど自分の思いというものを尊重して一人ぼっちであっても自分の道を選んできた人の場合、この時点での決断は比較的楽だと思います。
そういった過去の経験は、別に何でもいいのですけど、例えば、Jリーガーになるんだといって毎日ハードな練習を積んできた日々でもいいですし、インターハイ出場でもいいですし、進学の時に敢えて普通科を選ばなかったとか、皆が避けるような学科を選んだとか、誰もが反対するような人と恋人としてつきあってきたとか、、、、本当になんでもいいんだと思います。
ただコアとなるべきポイントは、第一に自分の趣味や好みが唯一最大の原動力であることです。周囲の人々の意向や、その難易度などその他の要素に関わりなく、自分の好みだけで物事を決断したこと。第二に一定レベルまでやりとおしたこと、第三にそれを自分では誇りに思ってることです。親や知人が勧めるからとか、楽そうだからとか、そういった「邪念」にはとらわれず、場合によってはそれらが全て反対に廻るときもあるでしょうけど、それでもオノレを貫いたという経験と自負があることですね。そういう人は、この場合でも比較的精神的な抵抗感なしに決断を下すことができるでしょう。まあ、一言でいえば、「腹を括るのに慣れている」わけです。
でも、普通に日本で生きてきたら、そういう決断に慣れてなかったりします。これまで事あるごとに触れてますが、「やりたいこと」という自分の意向と、「やれること」という実現可能性というレベルの違う問題が、日本では往々にしてゴッチャになっています。進路指導なんかもで、まず「何のために大学に行くのだ?」「人生の夢はなんだ?」というところから語り始めるべきなんですけど、そういう部分はすっ飛ばして偏差値の機械的当てはめで、まず国立or私立とか、この偏差値だったらこの学部とか、そういったダンドリ面で終始していたりします。また、自分が信じる道だったら、世間を敵に廻してでも戦えとは、家でも学校でも社会でもよう教えないです。その逆ですよね。いかに世間を敵に廻さないで済むかという視点で動け、と。
もっとも、オーストラリアにやってくる時点で、これらの日本的な「ダンドリ至上主義」みたいなメンタリティとはある程度ブッチしてるとは思います。周囲の反対意見に逆らって一人でやってきたという人が多いですから、関門を突破してきた
、日本的な意味でいえば「ちょっと変った人」が来ているわけです。しかしそれでも、「約束された未来」らしきものを全部捨ててやってきた人もいれば、別に何を捨てることもなく「ちょっと小金が貯まって、ヒマが出来たから」でやってくる人もいるでしょう。つまり、最初から腹の括り方に差があるわけで、その差が、この滞在期間満了の分岐点での行動のメリハリの差になって出てくるようにも思えます。
で、関西弁でいえば「よう決めきれん人」の場合、「とりあえず」のモラトリアムに走りがちだったりします。モラトリアムの楽さと恐さですけど、「とりあえず」と言ってしまえば暫定的に思考停止・決断停止にすることができる点にあります。その意味では楽なんですよね。「とりあえず延長」ですから。学校のホームルームで指されて、「いま考え中でーす」といってクリアしてるようなものです。でもいくら先延ばしにしても、ホームルームと違って時間が終わって逃げ切るということが出来ません。積み残した課題は、やがて利息がついて降りかかってきます。
よくある手法は、何度も言ってますが、授業料の安いシティあたりのビジネス学校に進学し、そこで学生ビザを取得して、滞在を延長し、バイトもできるようにする、ということです。たしかにビジネス学校は安いところが多いです。半年で授業料がわずか2000ドル前後というところもありますしね。語学学校の場合、半年で600ドル以上になるのもザラですから、三分の一くらいの費用で済みます。これがいわば「ビザ代」みたいになるわけですね。
ビジネス学校というのは何をするのか?というと、多くの場合は、いわゆる一般ビジネス科、あるいはIT科、はたまたホスピタリティ(旅行業など)などです。一般ビジネスとITはどこにでもあります。一般ビジネスの場合、それこそ一般的にマーケティングやら、会計やら、労務管理やらをやります。でもこれって、日本である程度ビジネスマンやってたら常識的なことでもあります。ただそれを全部英語でやるというところがちょっと新鮮なくらいでしょう。それでメチャクチャ実力がついて、優秀なビジネスマンになれるか?というと、うーん、どうなんでしょうね。これは、日本のなんたらビジネス学院という専門学校と同じで、そういった専門学校を卒業してると優秀なビジネスマンになれますか?まあ、なれないとは言いませんが、そんな使用前/使用後というほど、霊験アラタカなものでもないと思います。まだしもITの方が、簡単なプログラミングとかLANの組み方とか知らないエリアをやるから使用前/使用後の差は大きいかもしれません。
でもねー、うーん、僕の仕事的な立場でこんなこと言ってはイケナイんでしょうけど、でも言っちゃいますけど、そういった学校に通ったからといって、将来の就職が有利になるとかいうことは、、、、まあ、無いんじゃないでしょうか。絶無とまでは言わないけど、実際の仕事の現場からしたらあんまり関係ないだろうなあって思います。
日本に帰って就職する場合でも、重視されるのはやっぱり人柄、なんといってもこれが一番でしょう。そしてこれまでの職歴。海外留学していたことで加点されるとしたら、まあ英語が出来るということでしょう。結局はビジネスの実践の場で英語が駆使できるかどうかに収斂されちゃうと思います。その場合でいえば、ビジネス学校にいっていたということよりも、海外の会社で実際に働いていたというキャリアの方がずっと重視されるんじゃないかなと思います。これは僕の主観でしかないかもしれませんが、英語面ひとつとっても、現場の方がミスが許されない分厳しいですから伸びますし。また、ビジネスFAXでも電話でも、年がら年中やりなれてる人と、学校で教わっただけの人とでは、自ずと違うでしょう。これは、日本のビジネス学校にいってた人と、実際のどこかの企業でバリバリ働いていた人と、どっちが採用されやすいか?といえば、後者じゃないですかね。あなたが経営者だったらどっちを採用しますか?
オーストラリアで就職する場合は、もっと関係ないです。もう第一にビザ、永住権持ってるかどうかで全然違うでしょう。第二に特殊技能。寿司が握れるとか車の修理ができるとかそういうことです。第三にキャリア。キャリアというのは学歴ではなくメインには職歴だと思います。学歴も、下手に大学院とかいっちゃうとオーバークォリフィケーションになってしまって、「そんな優秀な人を雇う予定はございません」的に逆に門戸が狭くなってしまったりもします。やっぱり、実際にどこかで働いてきた、そこでどういう実績を上げてきたか、という点が重視されるでしょう。それに、ビジネス学校進学カツカツ程度の英語力(IELTS5.5点くらい)プラス1年やそいらビジネス学校に行った程度では、100%英語環境での職探し(しかもビジネスビザを出して貰う)は、やっぱりなにか特殊技能でもない限り、難しいでしょう。だから結局日系企業への就職ということになりがちで、そうなると日本企業的採用基準になりがち、です。つまりは人柄(^^*)。
でも、僕が雇うにしたって、そしてあなたが雇うにしたって、キャリアとか学歴よりも、本人の資質を見るでしょう。高い金払って阿呆を雇ってイライラさせられるのは誰だってイヤですもんね。物事のカンドコロが良くて、機転がきいて、人間的にも奥行きのある人がいいですよ。安心して任せられますから。明日6時に空港に行って来てくださいって頼んだら、いきなり寝坊とか忘れましたでは、やっぱり即クビにします。だから、結局は人柄や資質。もうそれに尽きると思います。これは特殊技能を要求される領域でも同じでしょう。その技能があることを前提としつつも、さらに人柄がいい方を選ぶでしょう。あなただって医者にいくときに、話すたびにムカムカする医師と、温かく包容力のある医師とどっちを選びます?
あとビジネス学校でも、年間1万ドル以上の名門学校もあります。もう大学並に高いですけど、それだけに内容は厳しく叩き込まれます。就職率もいいです、、、が、あくまでもここでの就職率は現地のオーストラリア人ないしは永住権保持者での話で、これから新たにビジネスビザを、、というのであれば、やっぱり厳しいことにかわりはないです。
それにですね、結局授業料の安いビジネス学校というのは、こういうと怒られちゃうだろうけど、存在自体がモラトリアムなところがあります。地元のオーストラリア人からしたら、もし本気でそのエリアを勉強したかったら頑張って大学にいくでしょう。あるいはその業界に進みたかったら高校時代からバイトしてコネをつくっていくでしょうし、とにかく現場に居続けるようにしてキャリアを稼いでいくでしょう。全部が全部そうだとは言いませんが、そういう傾向はあるでしょう。そして留学生の場合、これも本気でやりたかったら大学でしょうし、大学にしても既に日本で卒業してる人が多いからさらに自分の学問レベルをあげるために限定されたエリアで、しかも優秀な学科に(端的に言って教授に)的を絞りこんで進学するでしょう。就職できる人はとっとと現場に立ってるでしょう。
そうなってきますと、ビジネス学校というのは、よほど特殊の技能を教えるエリアでもない限り、滞在のための学生ビザの発行場所であり時間稼ぎ、モラトリアムという性格が出てきてしまうわけです。一言でいって、ビザ取り学校、英語でいうと visa shop という感じになりやすい。ちなみに、本当の意味での「ビザ取り学校」は、学生ビザの最低条件である出席率80%という出席の採り方もいい加減で(たとえば一週間分の出席簿がカウンターに置いてあって、一週間分まとめて出席サインをすることができるとか)、結局ほとんど学校に行かなくても良いという違法な学校をもともとは言っていたと思います。要するに不法就労の温床になっていると。登録している受講者数に比べて異様に教室が小さいとか、出席簿の扱いがいい加減とか、移民局も目を光らせて年中立ち入り調査をしていますし、それで強制送還されてしまう人も結構いるといいます(日本人ではあまり聞いたことないですが)。もっとも、適法に通っていても(出席率もちゃんとクリアしていても)、その学校進学の最終目的がビザ取得のためのものである場合も、「ビザ取り」と言ったりしますから、ビザ取りすなわち違法というものでもないです。
実際にビジネス学校に通っている日本人だって、これらのことは百も承知です。第一目的がビザ取りであり、現地での滞在期間の延長であるということ。それ以上に今習ってることを生かして将来的にどうなるとかは、あまり考えていない人が多いでしょうし、考えたところで大して生かせる領域もまた少ないだろうこともわかっておられると思います。
というわけで、一般的にビジネス学校に行かれる人は、もうビザ取りだったらビザ取りと割り切るか、あるいは単純に勉強が好きだからもっと学んでみたいと思っているかです。後者の場合、勉強して将来にどう生かせるとかいうことは余り考えず、ただ興味のある領域だからやってみたいということですね。まあ、もともと学問なんてものは、現世利益とは関係ないところで、単純に好奇心や向学心にかられてやるのが最もあるべき美しい姿だと思いますから、それはそれで素晴らしいと思います。
ここで僕がクデクデ述べているのは、別にビジネス学校をクサそうということではないです。過大な期待はすべきではないということです。もっといえば、モラトリアムだったらモラトリアムに過ぎないことを自覚しておいた方がいいということです。「とりあえずビジネス学校に通えば、将来何かと就職チャンスも広がるだろうし、、」なんて考えない方がいいです。就職チャンスが広がるとしたら、それは学校に通ってる期間、バイトをやり、そこでコネを広げた結果としてそうなるというだけのことです。絶望的なことをバシッと言ってしまえば、就職に有利になりそうな学校、その学校を出たということでいきなり就職チャンスが広がりまくってるような学校は、unfortunately、無いです。仮にオーストラリアで3年超必死に勉強して法学部でて弁護士資格をとっても、あるいは医師資格をとっても、だからといって現地で就職できるかどうかはわかりません。なぜならどこまでいってもビザという壁があるからです。
よくこの種の相談を持ちかけられる場合がありますが、結局は人生相談みたいになっちゃうのですね。モラトリアムはしょせんモラトリアムに過ぎない。いっとき主観的に時間を稼いでいるに過ぎない。決断保留の時期を延長しているに過ぎない。でもって、客観的な時の刻みは止まりませんから、モラトリアムをやってる間にも着実に年はとります。だから将来の永住権申請という観点でいえば、日々刻々年齢点が不利になっていきます。だから、客観的にアドバイスするとすれば、モラトリアムなんか止めて、「早よ、腹を括らんかい」ということになっちゃうのですね。で、「腹ってどうやって括ったらいいんでしょうか」という人生相談になっちゃうという、ね。
あと、冷静に考えれば、永住権トライをしないのであれば、いつかは日本に戻らねばならなくなります。sooner or later そうなります。ビジネス学校も無限に通いつづけられるわけでもないです。一応2年コースが多いですが、それが終わったあと又別の学校にいってまた学生ビザを取ることも可能です。が、それが度重なると不自然になってきますし、ただでさえ不法就労的疑惑で見られているわけですから、いつかは移民局でビザの更新を拒否されることになるでしょう。
日本に帰国する場合、どういう将来を考えられるか、それもクールに見透しておくべきでしょう。よく冗談混じりにいうのですが、どうせ学校に行くのだったら、日本では学べないようなことを学んでいったらいいと。同じTAFE(政府の職業専門学校)にいくんだったら、ビジネスとかITとか一般的なことやらないで、銀細工、皮革細工とか、パンの焼き方とか、ガーデニングとか習うと。オーストラリアでビジネス習ったって、日本では正味なんの役にも立たないと考えた方がいいでしょうからね。で、例えばガーデニングだったらガーデニングで基礎をならって、あとはバイトでもボランティアでもガーディナーのところや花屋さんにでも押しかけて仕事をやらせてもらう。見学だけでもいい。そして、最後には本家イギリスにちょこっといって又それらしきことをやって、「ガーデニングの本場イギリス仕込み」という金看板を勝手に自分で作って、あとは日本で起業すると。
日本に帰るだったら、日本というマーケットの特殊な性格、長所も短所もよーく把握しておく必要があります。日本というところは(日本に限らないから「人間というものは」と置き換えてもいい)、自分が良く知ってるエリアでは要求水準が非常に高い部分がある反面、自分の知らない領域はなんだかわからないままよく吟味もしようとせずに有り難がる傾向があります。腐っても鯛の経済大国日本に「ビジネス」で勝負したらダメでしょう。あっちの方がはるかに上手だもん。逆に日本の泣き所、つまりはアンチビジネス系の方が成功率高そうな気がします。「仕事ばっかの人生で、それでアナタは幸せですか?」というやつですね。はっきりいって、僕のAPLaCだって、アンチビジネス系の経絡秘孔を突いてるわけですから(^^*)。
たとえばオーストラリアで、養老院とか老人系のサービスなどでボランティアを多少やってですね、ついでに特に大して役にも立たないけど「箔付け」のためだけに、どっかの大学(箔付けだからシドニー大学とか分かり易い大学がいい、どうせ内容なんかどうでもいいんだから)の、大学院の一年コースで老人心理学とか、高齢化社会学とか、ワケわからんけどもっともらしく聞こえる(ココが大事)コースをとりあえず卒業して、「海外におけるクリエィティブな老後の過ごし方」に関する大家になっちゃうとか。そんなキャリアで何をどう換金するか?というと、そこがあなたの売り込み方の工夫だと思うのですね。
ともあれ、ガチガチに出来上がってしまっている既成の職業エリアはしんどいと思うのですね。医師であれ、弁護士であれ、オーストラリアで資格を取得しても日本では通用しませんから。こちらでもマッサージの資格を取ることは比較的簡単にできますが、だからといって日本でそれをやろうと思ったら、また大変。たしか4年くらいかかるんでしょう?
だったら、既成のエリアではない、まだ誰も手をつけてないか、手をつけたにせよ固まってない領域でなんかやった方がいいと思います。言うならば、「ナナメに殴り込む」みたいな感じですね。どうせやるならどんどん自分を差別化させていけばいいと思います。それで何かが上手くいけば儲けものです。なにかキッカケが出来てコンスタントに働く場ができたら、それを起点にしていけばいいでしょう。でもって、ある程度こちらで色んな体験をすれば、「日豪社会の比較文化論
」なんて誰でも語れますからね。僕ですら、こんなエッセイを延々200本近く書いてられるんですから、しかも意外なことに結構読んでくれている人が多かったりするのだから、アナタだって出来るはず。でもって、うまくすれば地元の名士的な存在になり、なぜか教育委員会に参加したり、ゆくゆくは市会議員になったり(^^*)。ここまで来ちゃえば、日本は年食ってた方が有利ですからね。日本というのは不思議な国で、職業に貴賎はないといいつつも、どこか微妙な境界線がひかれていて、それより下だとこき使われるし、若ければ若い方が喜ばれ、それより上だと人格に関係なく尊敬され、エラそうにしてた方が喜ばれ、しかも年をとればとるほど有利だという。そのツボを押えてしまえば、日本なんかちょろいもんです(^^*)。いや実際はちょろくないとは思いますけど、今時点ではそのくらい思ってたらいいです。
とまあ市会議員はともかくとして、また起業するのでもなく普通に就職するにしても、そういう「ちょっと変った」経歴をもってて、何故それをやったのかを統合的に説明できる人の方が有利なのではないでしょうか。まあ、人格まであまりに「変って」たら問題でしょうが、性格は普通のまま、ただ自分でテーマ決めて自分で動くことが出来、実際にも海外でそうやって動いてきたというのは、一つの売りになるでしょう。また、そうやっているうちに鍛えられる部分も確かにあると思います。正味使える人材になっていくという。
ところで、ある分岐点に差し掛かっていくつか進むべき道がある場合、より抵抗感の少ない楽そうな選択肢を、英語でeasy option とか soft optionなどと言うようです。ただ、イージーオプションの問題は、選択がイージーなだけに、どっかで行き止まりになる確率が高いことです。
一般的な世間智でいえば、道が分かれていて、一つは楽な道、一つは難しそうな道があり、どっちを進んだらいいのか分からなかったら、とりあえず難しそうな方向を選んでおいた方が成功率は高いような気がします。理不尽に意味なく難しいだけって場合もたまにはあるから絶対そうだとは言えないのですが、多くの場合は、難しい道の方がなにかを学べる度合いが高く、その道の終点までいけば、また別の展望も見えているケースが多いでしょう。分からなかったら難しい方を選んでおけ、ということですね。
ただ、言うは易しでなかなか実行しにくいとは思います。できれば、「どっちにすべきか分からない」という事態は避けて、「多少難しかろうとコレをやりたい」といえる方が幸福でしょう。日本で普通に生まれ育ってきて、オーストラリアに半年や一年いたくらいで、いきなりこの決断を根性据えて「やれ」といわれても、なかなか出来ないで当然なのかもしれません。だから、個人的には同情もシンパシーも感じますが、僕がシンパシーを感じたからといって客観的な事態が好転するものでもない。やっぱり早めに腹を括られた方がいいと思います。
そういう意味では、冒頭で述べたように、最初に日本を出てくるときに深く腹を括って出てきた人、つまりは最初に難しい選択をした人の方が、あとになって楽になってくるのでしょう。帳尻は結構合ってるのでしょうね。
また、これまで延々書いてきたように、最初の半年や1年でリセットをするわけですが、そのリセットが奇麗にできていればいるほど、つまりは生まれ変わり度が高ければ高いほど、物事がシンプルに骨太に見えるようになってる筈ですから、また腹も括り易いということになるのだと思います。
でも、「腹ってどうやって括ったらいいんですか?」という質問は依然として残るわけです。これはですねー、言葉で説明しにくいですよねー。これまで「あなただけの神殿」とかツトに述べてきたような、つまりは自分の内的な感動を大切にすることが一つ。あとは、智恵熱が出るくらい、詰めて詰めて詰めきって考え抜くことだと思います。知・情・意であるとか、知性と感性であるとか、まあ平凡な話になるんだけど、結局のところそれに尽きるのでしょうね。
写真・文:田村
写真はDee Why Beach
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