オハギ
竹林の中を、雨がしめやかに降り注いでいた。
あらゆる空間に突き出た笹の葉が、雨音をミュートする役割を果たしているのか
サーっという淡い音がかすかに煙っているだけだった。
他に何の物音もしなかった。
俺はほっとして、竹林の中に建てられていた小さな祠のところに腰を下ろした。
反射的に腕時計を見る。針は午後4時13分を指していた。
10分だけ休憩することにする。
驟雨が俺の足跡を消してくれることを祈りながら。
肩から吊り下げていた自動小銃を下ろして、安全装置がかかっていることを確かめたうえ、横に置いた。
ふと見ると、祠にはお地蔵様があり、そこにはまだ新しそうなオハギが小さな皿に乗ってお供え物として置かれていた。
俺は急に空腹を覚えた。そういえば朝食をとってから今日はまだ何も食べていないのだ。
「いまどき、お供え物なんて律儀なことをする人間がまだ残っていたとはな」
俺は感心しながら、オハギに手を伸ばした。
--そんな人間、居るわけないじゃないか!
頭のどこかで警告が鳴り響くのと、オハギを掴んだのがほぼ同時だった。
ブービー・トラップ
俺の全身から冷汗がどっと噴き出した。
静かに、静かに、俺はこれ以上慎重には出来ないというくらい慎重に、オハギを握った指の力を徐々にゆるめていった。
完全に手が離れてから、俺は地面に這いつくばった。息を整えるのに10分以上かかった。
やがてよろよろ起き上がった俺は、周囲を見渡した。
祠から30メートルほど離れたところに、おあつらえ向きに人が一人くらい潜むことが出来る窪みがあるのを発見した。
俺は、自動小銃を掴み、バックパックと一緒に窪みに隠した。そして、手ごろな石ころを20個ばかり拾い集めてきて、また窪みの中に戻った。
窪みのなから、上半身を乗り出すようにして、拾ってきた石を先ほどのオハギを載せた小皿めがけて投げつけた。
一投目はまるで見当違いのところにいった。二投目、三投目となるにつれて段々カンが戻ってきた。そして、十何回目に投げた石がオハギに向かって真っ直ぐ進んでいったのを見たとき、俺は、急いで窪みに身を沈めた。
もの凄い爆発音がして、祠が吹っ飛んだ。
爆風とともに、ザーっと土くれや竹の切れ端が俺の身体に降って来たが、窪みに伏せている俺は特に被害はなかった。
やはりブービートラップだった。オハギの皿の下に爆弾があり、皿が上下に動くと信管が作動するように仕掛けられているワナだ。
古典的な手だ。
自動小銃の銃口に土などが付着していないことを確認すると、俺は窪みで腹ばいになりながら銃を構えた。
そして、待った--------。
まったく、なんでこんなことになってしまったんだ。
俺は、頬を伝わっておりてくる雨の雫を、舌を伸ばして舐め取りながら思った。
日本が内戦状態になってしまうなんて。
いや内戦よりももっとひどい。指揮命令系統もなにもなく、ただお互い殺しあってるだけだ。
事の発端は巨大な彗星だった。
そいつが激突したのだ。ただし、地球ではなく、月にだが。
かなり大きな彗星だったらしく、月面の衝突状況は肉眼でもある程度見えたという。俺は見ていないが。
地球をギリギリにかすめていってから月にぶつかったものだから、その衝撃波はすさまじく、地球各地で未曾有の津波が起こった。
影響はそれだけではなかった。詳しいことはわからないが、オゾン層やら電離層やらの大気圏の組成も変化を受けたという。
また月の質量の変化は、潮汐力にも影響を及ぼす。おそらく月の軌道も影響を受けたのではないか。
だから地球の水位も天候も滅茶苦茶になった。
海沿いの都市は壊滅的な打撃を受けた。海岸線の形も変り、だから日本列島の形も変ったという。
天候の変化はさらに激しく、その年は世界規模での大凶作になった。
大気圏の変化が宇宙からの放射線を前よりも透過するようになったのか、遺伝子レベルでの変化も起きているとも聞く。
しかし、それ以上に詳しいことはよく分からない
調べようにも研究機関も学者もマスコミも、そもそも政府ですらも、本来の機能を停止しているのだ。
当然のことながら、パニックが起きた。
食料に対する不安心理が引き起こしたパニックだというのだが、状況がよく分からないということが不安心理を倍化させ、不安は雪だるま式に転がっていった。
待っていてもどうにもならない----
人々がそう理解するまでに3日とかからなかった。
待てど暮らせど政府の援助部隊や援助物資は届かないし、ライフラインはズタズタにされていた。
秩序なんかもろいものだ。
これが一地域の天災であったり、外国の軍隊の侵略であったら、まだ話も違っただろう。
同時多発、というより全面発生であった。神戸地震レベルの天変地異が全国100か所で同時に起きたようなものだ。
しかも、地球規模で。
しかも、地震よりもはるかに厄介なのは、地球の潮汐や天候に半永久的な変化が生じたかもしれないことだ。
おまけに、考えたくもないが、宇宙放射線の被曝によって遺伝子レベルでなにかが変ったかもしれないというのだ。
何よりも重要なのは、それが一体どうなるのか、緻密に調査する人間が居そうにないことであり、全てはよく分からないことだ。
精密に作られていた社会ほど、いったん壊れ出したら崩壊は早かった。
太陽が出たら起きて、日が沈んだら寝ればいいという、素朴な生活をしていたエリアは影響が少ないだろうなと思う。
しかし、日本は--
精密という意味では、世界で最も精密な社会を作り上げていた日本は、いったん壊れて、目先の希望が見えなくなったとき、呆れるくらいにもろかった。
日本ほどではないにせよ、いわゆる先進国は大同小異だったらしい。豊かな物質文明に包まれて心地よく肥大していた人々のエゴは、もはやこの状況に対応できなかった。
発展途上国の場合は、別に彗星がこなくても慢性的な内乱で殺し合いをしていた。彗星はそれをエスカレートさせた。
要するにどこもかしこも殺しあっているわけだ。この星の上では。
日本人の秩序意識を信じていた連中から先に殺された。
皆で群れて、テントを張り、食料を管理して、女子供を保護しようという集団はあちこちに生まれたが、いずれもヤケクソになった暴徒達に襲撃された。
警察も自衛隊も、このような全国一斉暴動のような事態には無力だった。多少の武装があったとはいえ、1億2000万人の人間に対するには、わずか50―60万人の人間はあまりにも少なすぎた。
また、その組織内部にも亀裂が走った。自分の家族を守るために武器弾薬を持って脱走する警官や自衛隊員が相次いだという。
「大衝突」あるいは単に「クラッシュ」と呼ばれている運命の日から、もうかれこれ3年経過した。
今、日本の人口は一体幾らになったのだろう。いや、世界の人口はどうなったのだろう。
メディアが沈黙して久しい。
政府は生き残りの政治家や官僚を集めてどこかに細々と存続しているらしいが、どこにあるのかさえ誰も知らない。
大体、俺自身が生き残ってること自体、奇跡のようなものだ。
この先どうなるのか、誰もわからない。
耕作を続け、生産量を増やすことが秩序回復の決め手になるとはいいながらも、のんびり稲作などをしていたら野盗連中に襲撃されてしまう。
また、これだけ天候がアテにならなくなったら、農業自体成り立たなくなっている。
植物相も変ったという。
そういえばあちこちにやたら竹林が目立つ。
長期的に統計をとって新しい気象サイクルを正確に把握し、大気や土中成分、さらに動植物の突然変異などを調べ、イチからやりなおす必要がある。いったいどれくらいの時間がかかることか。
いずれ--、俺は思った。
いずれ、強大な力を持った連中が各地に現れ、その地方をまとめる豪族になるだろう。
そして、近隣を襲撃し、併合し、強い奴はより強くなるだろう。
強力な武力で領土を守り、その庇護のもとで農作をはじめ、産業を復興させるだろう。
最も強力な兵力を持ち、最も生産量が高く、構成員のカロリー摂取量の高いところが生き残る。
なんのことはない、戦国時代に逆戻りだ。
昔は、こんな気違いじみた日々ばかりだったのだろうか。
そういえば、日本の戦国時代にも天皇はいたが、ほとんど誰にも顧みられず、その存在を知ってる者すらマレだったというから、今の政府といい勝負なんだろう。
俺も、人を殺すのをなんとも思わなくなったし、死体をみても何も思わなくなった。
人の殺し方も上手くなったし、武器の扱いや、戦闘にも習熟した。
人間というのは、どんな環境でも慣れるものだ。
そして慣れてくるにしたがって、不思議なことだが、逆に秩序らしきものが回復していくような気配を感じる。
皆、慣れたんだ。
パニックに襲われ、他人を見るや恐怖にかられて引き金をガク引きし、石を投げ、鉄パイプで殴りかかっていたヒステリックな時期は過ぎつつある。
あるいは、ヒステリックな連中から先に「淘汰」されていったとも言える。
冷静で、頭が切れて、度胸もあるしぶとい奴だけがこの3年で生き残ってきたのだろう。
生き残った奴らのなかで、
--殺しは、食料を手に入れるために必要なときだけやればいい。それ以外は体力の無駄だ。
というシンプルなルールが出来上がり始めていた。
やがて竹林の外からわらわらと人が集まる声がした。
ブービートラップを仕掛けた、この近くの連中だろう。
俺は窪みの中で腹ばいになりながら、微動だにせずに待った。
会話の感じからいって5人、いや6人か。
俺は腰に手をあて、自動小銃の予備弾倉があることを確かめた。
近づけるだけ近づけておいて、フルオートで掃射すれば一気に片付けられる人数だ。
だが、その前に連中が本当に全員で何名いるのか確かめておく必要がある。
全員やっつけたと思った瞬間、背中から撃たれるのは御免だ。
奴らの姿が、霧雨のなか影のように出てきた。
目を細めて連中の武装を確認しようとする。
見えた。まだ若い。長い棒をもっているが、おそらく竹槍のようなものだろう。あとは弓。
ブービートラップを仕掛けるくらいだから、もっと近代的な装備をしているかと思ったが、案外に粗末な武器だ。
おそらく爆弾だけなんらかの方法で入手したのだろう。
爆発の跡を調べている。
ほどなく奴らも気づくだろう。死体も肉片も散らばっていないことを。
爆発はしたが死体がない状況が何を意味するか?
鳥や野獣による偶然の爆発でないとしたら、誰かがワナを見破って故意に爆破しただろうことを、そして今こうして俺のように奴らを狙っているだろうことを。
この地獄を3年も生きのびてきた連中だ。馬鹿なわけはない。
トラップにオハギを置くくらいの連中だ。
おそらく食料の方もたくさん備蓄してあるのだろう。
おそらくかなり組織化され、洗練されているのだろう。
しかし、この時代にオハギだって!?
散開されると面倒だ。
俺は奴らがひとかたまりになって、機銃掃射しやすい位置に集まるのをじっと待った。
どうする?
今なら全員射殺することも出来る。
だが、銃で制圧したあと、仲間に入れてもらうように頼むという道もある。
トラップで殺されかけたくせに、俺は妙に奴らに好感を覚えていた。
オハギのせいだ。
こんな時代に悠長にオハギを作るという発想というか、間抜けなセンスが気に入ったのだ。
きっと奴らのなかにオハギが好きな奴がいるのだろう。
オハギが好き--
それは何故か俺の笑いのツボを刺激した。
俺は銃を構えながら、声を立てずに笑った。
笑ったのなんか本当に久しぶりだった。
窪みのなか、腹ばいになりながら、じっと待った---------
さて、どうする?
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