今週の1枚(02.06.03)
ESSAY/とにかくよく勉強しろ
「まず第一にこいつらは、とコウリーは思った。とにかくよく勉強するのだ。他に語学がうまくなる方法はない。」
---村上龍「ヒュウガウィルス/五分後の世界2」 幻冬舎文庫 58頁より
いきなり引用ですみません。
英語の上達方法をいろいろ聞かれたりしますが、ほとんどこのシンプルな一節で答は語られていると思います。「英語がうまくなるにはどうしたらいいですか?」「とにかくよく勉強しろ」。以上。That's it. Full stop.
英語に関する教材本は、日本でも山と詰まれているでしょう。
オーストラリアでは(というか英語圏の諸国は)、植民地時代から他国の人に英語を教えることを連綿と続けてきただけあって、英語教育に関するメソッドも洗練され、大学でも「英語を母国語しない人のための英語教育法」というコースがあり、履修するとクォリフィケーションが与えられます。その教授法をベースにカリキュラムが組まれ、例えば政府が学生ビザの発行対象となる学校かどうかを認定するにあたってもこのカリキュラムをベースとしています。したがって、オーストラリアの語学学校の場合、学生ビザを発行できる学校であれば、理論的にはどこの学校であっても同じようなカリキュラム&教え方をしているハズです(まあ、そのなかでも個性の差はありますが)。また、こちらでは、ほぼ全員母国語として英語が出来るからこそ、英語教師になるのも難しく、また資格をとってもプロとして生計を立てていくのはけっこう難しいと聞きます。
しかし、それだけ英語教育が「盛ん」なオーストラリアですが、英語に関する教材は、日本からしたら驚くほど少ないです。辞書も、文法書も、受験本(IELTS試験対策とか)もいわゆる「定番本」をメインにして数種類並んでるくらいだと思います。「え?これだけ?」という、拍子抜けするくらい少ない。大体普通の本屋には辞書以外ほとんど売ってないです。
シドニーでしたら、QVBの裏手にABBEYSという語学系の本が充実してる本屋がありますが、そこにいってもそれほど見つからないです。また、こちらで出版されている英語教本は、無骨なタイトルが多いです。「英語文法初級、上級」とか、「IELTS受験準備第一巻」とか、「アカデミック・ライティング」とか、そんなのばっかり。まあ、「教科書」ですよね。
ただし、先生が教えるための教育資材としての英語教育資材、文字通り「教(育資)材」は、わりと豊富だと思います。また、カセットなんかも結構出典されています。が、これらも無骨な「ドリル」という感じでして、英語学校などで授業中や宿題などで先生がよくコピーしてプリントを配ったりするときに使います。以下に例をあげておきます。
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これらの教材は、以前サポートした方が置いていったもので、その方が頑張って勉強された跡なんかも残ってます。興味のある人はやってみてください。左は、もっぱら文法の授業で、"must""have to"の使い方の違いを練習するものですし、右は食料品関係のボキャブラリですね。
余談ですけど、日本人はよく文法が出来ると思ってますけど、あれはウソである場合が多いです。TOEFLなどの国際試験での統計取っても日本人の文法セクションの点数は必ずしも芳しくないですし。まあ、「会話に比べればマシ(だと本人は思ってる)」程度というのが実際のところでしょう。僕もまさにそうでしたが、日本人のグラマー感覚は、受験グラマーですから、例えば、be going to と willの違いでも、試験問題にカッコが1つのときはwill、カッコが3つあったら機械的に be going toを入れていたという程度のことだと思います。意思未来と近未来のニュアンスの違いを、実際に感じながら、感覚的にこの二つを使いこなせている人は少ないでしょう。上記の mustとhave to のニュアンスの違いもしかりです。
右のボキャブラリも、日本人の弱点ですね。特に実際に生活していないと生活英語が乏しくなりがちです。それにそもそも日本にはあまり存在しない物体もあるわけで、存在しない物体の単語なんか知りっこないですよね。例えば、こちらの喫茶店の軽食メニューに必ずといっていいほど出てくる"pesto"とか。バジルソースのことですが、バジルソースっつっても、あんまり食べたことがないからピンと来ないですよね。こちらにいれば、日本における「辛子醤油」みたいにありふれたものなのですが。
僕もそうでしたが、こちらに来てから、いかにボキャブラリが足りないか痛感させられます。それまではボキャブラリが足りないということすら自分で認識できない。ホームステイなどで、「味噌汁の作り方」なんてのを聞かれても、「ダシ」って英語でなんていうのかというところで既につまづいてしまったり。
余談ついでにもう一つ、こちらの先生は単純にテキストを順番にやるような教え方はしません。これは英語教育に限らず一般的な教授法なのですが、授業の組み立てというのを大事にします。常に生徒を飽きさせないように場面転換にメリハリをつけて教えるようにします。「はい、じゃあプリントを見て問題をやって」と5分ばかりやったら、「はい、じゃあ3人づつのグループに分かれて」、「はい一人づつ前に出てきて、、」と、ちゃっちゃ場面転換をして、あの手この手で教えます。ですので、こちらで日本語教師で教育実習などにいくと、最初から授業の組み立てを3通りくらい用意しておいて、「受けない」と思ったら臨機応変にかえていくことが求められるので、かなり準備が大変のようです。それを考えると先生の給料なんか安いものだと思います。授業1時間、準備3時間とか言われたりするらしいですから。
あと、先生というのは、一種の「包丁一本サラシに巻いて」の世界のプロです。一般的な教材は学校にストックされてますが、そこからどこをコピーして、何をどの順番でやらせるかは先生の裁量である場合が多いです。また、オリジナルな教材も沢山自分で作って持ってます。自分でテープ吹き込んだり、テレビを録画してスクリプトを自分で作ったり。就職のときにデモレッスンをやらされたりするし、採用されても定期的に教室の後ろでスーパーバイザーにチェックされてダメだとクビですから、それなりに厳しいです。
閑話休題。このように、こちらの英語教本は、上のテキストを見てもわかるように、書いてあることは別に画期的でも、斬新な新メソッドでもなんでもないです。そりゃマンガをつかってビジュアルに分かり易くするとか工夫のあとはありますが、100年前からそんなに変わってないんじゃないかと思われるような感じです。ただし、前述のように学校やレッスンでは、こういった無骨な教材を延々やリ続けるるということは少ないです。疲れてきたらゲームをしたり、あれこれ取り混ぜて飽きないようにやってくれます。そのあたりの切り替え、呼吸の上手さが、プロとしての先生の技量なんだと思います。
一方、日本の場合、辞書にせよ、受験にせよ、英語教材にせよ、カセットにせよなんにせよ、百花繚乱の趣があります。ありとあらゆるモノが出ています。最近、どんな本が出てるのかな?と、書籍のアマゾンのサイトで語学の項目を見てみたら、以下のとおり。
*ベラベラブック〈vol.1〉
*ほんとうの英語がわかる―51の処方箋
* 新 ほんとうの英語がわかる―ネイティヴに「こころ」を伝えたい 新潮選書
* ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本
* 第一線の記者が教えるネイティブに通じる英語の書き方
*スティーブのムービーブック 英会話ペラペラトレーニング − スティーブ流フラッシュカード方式で身につける英会話の基礎の基
*英語の頭に変わる本―日本人が英語が苦手なのはこういうわけだったのだ!
*英会話ペラペラビジネス100 − ビジネスコミュニケーションを成功させる知的な大人の会話術 [CD2枚付]
*英語で日記を書いてみる―英語力が確実にUPする
*はじめてのチャレンジTOEIC Test大特訓プログラム―必ず出題される要点完全整理と実戦問題集中攻略
*子育て主婦の英語勉強法―英語は女性をこんなにきれいに変える
*英語で学ぶMBAベーシックス―NHKテレビ英語ビジネスワールド
*ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100―誰もここまで教えてくれなかった使える裏技
*日本人の英語
*痛快!コミュニケーション英語学
*右脳英語速習 意外と言えない日常動作表現―「外食する」「おしっこをする」…
*Oops! ゆっくり英語を好きになる
*TOEIC TEST文法完全攻略―必須単語も同時に身につく
*「英語モード」でライティング―ネイティブ式発想で英語を書く
*映画の英語―心にのこる名場面・名せりふ
というわけで、「これでもか」というくらい、いろいろな角度から出版されています。もちろん、こんなのはほんの一例であり、書店の英語本コーナーにいけば、津波のようにドドドと置かれているでしょう。
これは非常に興味深い対照をなしていると思います。
長い実践現場を経た本場の教材の方が「基礎文法その1」とか無愛想なくらいシンプルなのに対して、日本の教本(というか先生が使うための本ではなく、自習本ですが)の場合、いろんな付加価値というか、スパイスが乗ってます。タイトルをみただけでも分かりますが、「ベラベラ」「ネイティヴに通じる」という実戦効果を訴える系にはじまって、「ほんとうの英語」「 第一線の記者が教える」「スティーブ流フラッシュカード方式」「日本人が英語が苦手なのはこういうわけだったのだ!」「英語は女性をこんなにきれいに変える」「ネイティブなら子どものときに身につける」「使える裏技」「知的な大人」「右脳英語速習」「”こころ”を伝えたい」「心にのこる」「ネイティブ式発想」、、、まさに目がくらむような思いがします。
こう書くと、いかにも日本で出点されているこれらの英語本がインチキっぽいと僕が言ってるみたいですね。でも、そうじゃないです。誤解せんでください。これらの本、どれをとってもいいですが、役に立たないかと言えば、絶対に役に立つはずです。「絶対に」とまで自信をもっているのは何故かというと、「なんらかの形で英語を勉強することに変わりはないから」です。それに、これらの著書の方は、自分でも苦労して英語を身につけたか、あるいは苦労して日本人に教えようとしてきた人ばかりでしょうから、その意見にはかならずや傾聴に値するものが含まれているでしょう。
これだけ懇切丁寧に、あなたの気をひくように、あなたの興味のある部分から、あなたの知りたいところを至れりつくせりに教えてくれる本に囲まれているわけです。日本という国は、生き方の選択肢は少ないけど、ラジカセとか本とかのモノの選択肢は世界で一番豊富な国だと思います。いくらでも選ぶことができます。さらに、勤勉な国民性と、電車に乗れば誰もが本を読んでいるという珍しい光景を誇る国であり、中学から英語を週に6時間以上やり、受験も厳しい。本来だったら、世界に冠たる語学王国になっていなければならない筈です。しかし、実態は、その経済力と先進性からすれば、世界でも珍しいくらい英語が通じない国です。
なんでじゃ?と思いますよね。
でも、この理由は比較的ハッキリしてると思います。それは別に文部省だけが悪いだけではなく、受験が元凶というわけでもない。実は受験英語が出来た人は現地の生活英語レベルでも英語力は高いです。これまで数百人の人を見てきましたが、やっぱりそうです。中学高校で英語ダメだった奴はこっちきても英語ダメですわ。ある意味においては受験が英語を歪ませている部分はあるし、受験英語だけでは完璧には程遠いのだけれど、受験を英語が出来ない「言い訳」にするのはもう止めた方が思います。
じゃあ、なんなの?というと、冒頭に書いた、「とにかくよく勉強する」という一番大事な部分が欠けてるからです。
よく、中学高校/受験で英語やらされてきたと言いますが、あれ、やってないんです。「やった」といううちに入ってない。イヤイヤ宿題やって、授業中寝てて、訳本やアンチョコでしのいで、一夜漬けで単語覚えて試験が終わったら全部忘れるとかさ、そんな勉強やったって効果あるわけないじゃないですか。だから、日本人が英語がダメなのは、イチにもニにも「英語を勉強してないから」に尽きると思います。
実際、なにがなんでもモノにしてやるという気迫で、真正面からがっぷり四つに取り組んでいる人は意外と少ないと思います。本当に真剣にやろうと思ったら、まずそれをやるだけの時間をひねり出すところから始めないとならないでしょう。ライフスタイルから変えていくという。勉強も「週に何回」とかいうレベルではなく、「1日10時間」とかそんなレベル。
メチャクチャなこと言ってるようですが、でも、そうでしょう?ある程度物事を習得しようと思ったら、例えば甲子園を目指す高校野球にせよ、司法試験や受験勉強にせよ、板前修業をやってる人にせよ、バンドにハマってギター弾いてるヤツにせよ、本気で目指してるヤツは、「1日○時間」とかいうのではなく、「寝ている時間以外は全部勉強」くらいの勢いで、もう鬼と化してやっているでしょ。しかも、それであっても全然アマチュアレベルだという。でも、そのくらいやらないと物事なんか習得できないと思います。
こんなことは誰でも知ってることです。プロと呼ばれる職業に就いておられる方、あるいはセミプロクラスの趣味をお持ちの方であれば、「なにかのスキルをマスターすること」の本当の意味を皮膚感覚としてお分かりになっているでしょう。なぜそれが英語において適用されないのでしょう?ある意味、その方が不思議です。
日本人の悪い癖、ちょっとささくれた表現を敢えてしますが、英語に関する”悪い癖”は、「どこかしら片手間にやろうと思ってる」ところだと思います。これだけ英語に関する出版物や教材が氾濫し、口を開けば英語、英語と掛け声は勇ましいのですが、本音の部分では本腰を入れてやろうとしていない。「とにかくよく勉強する」の対極にあるように、「カンタンに、ラクチンに、空いてる時間でちょちょっとやって、ペラペラ喋れる、、、」なんて、子供じみた幻想を追いかけているキライが無いでしょうか。
板前さんの修業は厳しいです。”修行”という形容がふさわしいような、厳しく現場でシゴかれ、一人前になっていきます。「毎日15分のトレーニングで、君も今日からシェフだ!」みたいな本は絶対といっていいほど売ってないです。料理本でも、主婦向けの本は多いですが、本当のプロ向けの本は非常に少ないし、その内容も質実剛健な体裁です。なぜか?皆知ってるからです。それがいかに厳しい世界であるか。
どんな職業、農業、漁業、船員、証券マン、ジャーナリスト、自動車整備、刑事、、、、なんでもそうですが、「一日○時間勉強したら一人前」なんていうレベルの話ではないです。このような職業的なプロの世界だけでなく、趣味の世界であっても、例えばピアノのような楽器であっても、車の運転にせよ、「とにかくよく勉強(実習)する」かどうかです。「1日○時間」ではなく、その実体は、「出来るまでやれ」です。要するに出来るか出来ないか、上手いか下手か、それが全てです。1日20時間やっても下手だったらしょうがないのです。そんでもって出来るようになったとしても、今度はその腕を落とさないように日々のトレーニングは不可欠ですし、日々精進というしかない。”スキル”というのは本来そうしたものだと思います。
これはもう事あるごとに言ってますし、お説教じみてきて恐縮なんですが、どうも僕も含めて、日本人の「英語をナメてる病」は骨の髄まで深く染み込んでるみたいなので、毎日言ってもいいくらいだと思うのですね。
スキルなんて、「楽しよう」と思った時点でもう終わってるんですから。それに「1日○時間やれば」なんて受身の発想でやってても仕方ないです。ねえ、先生が宿題出してるんだないんだから。誰かのためにやってるんじゃないんだから。自分が好きでやってるんだから。そーゆーもんじゃないでしょ。1日○時間やれば出来るようになるなんて、誰も保証してくれません。「出来るまでやる」しかないんです。何時間勉強すればOKかどうかなんて、そんなことは自分で決めることです。人によってライフスタイルは違いますから、最大効率を狙えるように、自分でペース管理をしてやっていくしかないです。自分で、「こんなんで本当に上達すると思ってんの?」と自分に常に問い掛けてやっていくしかないです。
そういえば「忙しい方が英語は上手くなる」という広告がありますが、別に「勉強時間が少ない方が上達する」「そんなに勉強しなくてもいいんだ」なんてことまでは言ってないと思います。物事の習得は、質×量ですから、量の少なさを質で補えばいいわけですし、必ずしも量が絶対というわけではない。また、忙しい人の方が、忙しいだけに事務処理も迅速ですし、気合もはいって真剣度も高いから密度が濃いです。「仕事は忙しい奴に頼め」とよく言いますもんね。暇な奴は、ギアがローのままだから、のんべんだらりと過ごしてしまって仕事量が非常に少ないわ、「また今度やろう」で仕事が遅いわ。
ただ、量の足りなさを質でカバーと一言でいいますが、質でカバーするのはかなり大変です。精神的な苦痛度でいえば、まだしも長時間やってた方が楽なくらいでしょう。結局は、自分が出来ない弱点部分を補強するしかないのですから、やっててツライことを、それも重点的に繰り返しやるわけです。車の運転で縦列駐車が苦手な人は、やっぱり縦列やるしかないでしょう。縦列苦手だからといって、高速ぶっとばしてたって、駐車は上手くならんわけです。
英語でも話は同じです。会話が苦手だったら、会話をするしかないのです。しかし、苦手な会話をするのはツライです。恥もかきますし、屈辱感もあるでしょう。トラウマもボコボコできるでしょう。でも、やるっきゃないんですよね。日本にいたら会話の機会がない、、といいますが、その気になったら幾らでもあります。各国領事館とか観光センターとか、電話で英語話せるところは幾らでもあります。そこに毎日30本、一回3分でいいから電話かけて英語喋ればいいじゃないですか。「○○に旅行したいのだけど、レンタカーは幾らですか」みたいな質問でもなんでもいいから。3分×30本で、一日わずか1時間半。これを一週間、5日間でもいいですが続ければ、150本違った相手と英会話できるわけです。今は段々国際電話が安くなってますから、直接海外にかけてもよろし。なんだったら1日5本、15分でもよろし。それでもかなり違ってきますから。
これやったら、1週間で大分しゃべれるようになりますよ。勿論限定された領域だけですが、それでも150本同じような内容を繰り返し喋ってたら誰でもそれに関しては立て板に水になっていますし、紋きりフレーズでも自分が喋れたら気持ちも落ち着いてくるから、今度は相手の言ってることも多少はわかるようになる。そうこうしていけば、会話のカンドコロというか、リズムというか、なんとなく身体に染み込んでくるでしょうし、それだけ喋ったというのが自信になるでしょう。会話苦手という人の原因の半分以上は「自信不足」ですから、自信がついたら無条件で倍くらい喋れます。これはカラオケの歌と一緒。オズオズ歌ってると、腹式呼吸にならない→十分に声帯が広がらないから音域が狭くなる→狭い音域を無理矢理12音階に分割しようとするから音程が定まらない→音痴になるのと一緒。
これまたメチャクチャ言ってるようですが、こっちにワーホリなどでやってきてシェアを捜そうと思ったら、「英語で電話してアポを取り、住所を聞く」という作業が絶対必要ですから、否が応でもやらなければなりません。最初はもう30分くらい電話の前で精神統一したりして超緊張して電話して、ろくすっぽ喋れないまま業を煮やした相手にガチャ切りされて、ズーンの地の底まで沈みこむような思いをする筈です。でもそこでメゲてたら寝る場所が無いわけですから、それでも頑張る。そうこうしているうちに通じるようになります。同じような内容の電話を短期間に繰り返しますから、誰でも上手くなります。
というわけで、最初は死にそうになりながら電話していた人でも、数ヶ月もすれば「いや、もう、シェアの電話くらいだったら全然OKになりましたけどね」という余裕の発言をするようになります。なるんだってば。だって、目の前でそういうのを何度も何度も見てますもん。着いた当初、僕の家にお泊りになっていたワーホリの彼や彼女が、リビングルームの黒い電話の前で、背筋をガチガチにこわばらせながら精神統一してる姿を何十回となく見てますし、その皆さんが滞在何ヶ月目かに遊びに来てくれて、前述のような余裕の発言をしていかれますもん。
ただし、ワーホリでやって来ても、ついに一度もマトモに英語で電話できないまま1年終わっていく人もいます。それもかなり多数の人がそうなってると思います。ある意味がその方がナチュラルなんですよね。それだけ精神的にツライことをするわけですから。でも、そこを着いた当初に勇気を振り絞ってトライして慣れていく人と、1年間ついに勇気をだしそびれて終わっていく人がいるのだと思います。僕もよくエンカレッジしますけどね。「もし、ここで電話できたら、多くの人の1年分の道のりを1日でクリアできるかもしれないよ」「大丈夫、いまだかつて電話して死んだ人はいないから」とかいって。それにそういうクソ勇気というのは、着いた当初が一番持ってるんですね。あとは段々生活環境が整うに反比例して、そういう「やったるで!」という気合は薄れていきますから。ある意味、最初に出来なきゃもう出来ないって側面もあります。
話はそれましたが、量の少なさを「質でカバー」というのは、そういうことだと思います。質でカバーをするのは、本来非常に精神的にツライことだと思いますし、ある程度ツライくらいのことやってないと伸びないです。もちろん、辛さそれ自体に意味があるわけではなく、出来れば辛くないほうがいいに決まってます。が、やっぱり「苦手なことを沢山やる」というのは、それなりにタフな精神力を必要とするでしょうし、これはもう自然ですし、どうしようもないって部分はあると思います。勿論、それがツラくならないような工夫はすべきでしょう。失敗って、冗談で笑い飛ばしたりするとストレス溜まりませんからね。皆で英語の失敗自慢、恥かき自慢をするといいですよ。面白いんですよね〜、失敗話。もう、身につまされるだけに、腹かかえて大笑いしますよね。
しかしながら、「忙しい方が〜」「短時間で高密度」とかいう広告のニュアンス、そしてその受け取り方は、短時間=勉強量が少ない=楽チンという発想がベースになってるように思います。
うーん、ここはちょっと考えどころかもしれない、、、
というのは、英語だけに限らないと思うのです、この種のシンプトン(症状)って。
なにを言ってるかというと、例えばダイエット、例えば「自宅で高収入」的な”うまい話”。
ダイエットも、普通の人だったら(病的肥満とか特殊の例を除いて)、「とにかくよく勉強する」パターンでいいと思うのですね。「とにかくよく運動する」と。要するに簡単な算数で、沢山消費して、食べる量を節制すれば誰だって痩せる筈です。いや、そんなに簡単なモンではないとおっしゃる方もいるでしょうが、簡単ですって。どっかの国みたいに、キャンプに強制収容されて、毎日労働させられたら誰だって痩せるでしょ。そんな極端な例ではなくても、日本だって、ボクサーとか、女優さんとか、真剣に気をつかい、黙々と実行している人はちゃんと痩せてるもん。
要するにマジメにやってないんでしょ。ツライことするのがイヤなんでしょ。それだけでしょ。もう、「それだけ」って、ミもフタもなく切って捨ててしまうけど、100%絶対そうだとは言わないけど、95%はそうだと思いますよ。
「自宅で高収入」的なおいしい話もそうです。お金が欲しいんだったらどうすればよいか。これも「とにかくよく〜」です。「とにかくよく働く」しかないんじゃないんですか。そりゃ勿論いろいろな「やり方」はあるでしょう。でも、「よく働く」ってのが、一番万人に適合して、長い長い目で見れば、一番手っ取り早いんじゃないんですかね。
ダイエットでも何でも、王道の「とにかくよく〜」を外したい、なんとかして楽したい、しんどいのイヤ、、、という領域があります。そういう領域には、どうも共通の特徴があるように思います。なにかというと、メソッドの乱立。「○○方式」ってやつです。より効率的に、より少ない努力で、最大の効果を、、というのは当然誰でも思うところではあるのですけど、エスカレートしていくと、なにやら「魔法のメソッド」みたいになっていきます。
ちょっと引いて考えてみれば、そんな魔法があったら誰も苦労はしないですわ。でも、やっぱり売るほうとしては、「ガマの油」方式に効能を大袈裟に宣伝しますよね。「何でも効く」「万能薬」と。そうでないと差別化できないですからね。ガマの油くらいだったら、「ふーん、じゃあそれを塗ったらガンが治るんか?エイズ治るんか?」と簡単に突っ込めるからかわいいものですが、英語、ダイエット、金儲けになると、「むむむ、なるほど、、」と思わせてくれたりして中々巧みです。
そうそう、日本の宣伝って、「妙にもっともらしい科学用語」を散りばめてますよね。洗剤でも「酵素パワー」とかさ。でも、酵素ってなんなのか僕はよく覚えてません。高校の化学でやった記憶はあるけど、正確になんなの?って言われるとわかりません。ましてや、僕が知ってるのは、アルコール分解でアセトアルデヒドがどうで、そこに分解酵素が、、とかいう脈絡くらいで、どうして酵素で繊維についた汚れが落ちるのか、よくわかりません。おそらく、このあたりの化学プロセスをちゃんと説明できる日本人は100人に一人いるかいないかだと思います。でも、「酵素パワー!」なんです。不思議ですよね。
あと、日本人が誰でも知ってるのがpH。殆どの日本人がこれを「ペーハー」って読めると思います。でも、オーストラリアではそんなに誰も知らないですよ。実践的には、ガーデニングに土質酸性だったらライム(石灰)を撒きましょうくらいの感じで知ってる程度だと思います。ペーハーが酸性アルカリ性の度合いを示す基準であることは皆さん知ってるけど、でも、酸性ってなんなの?アルカリ性ってなんなの?というと知らない。僕も知らない。「酸性、あの酸っぱくて、錆びるやつでしょ」くらいですわ。だからpHも何の略なのか知らない。正確には、potential of hydrogen、水素イオン指数のことです。もっと正確には、水素イオン濃度の逆数の常用対数(log)を用いて指数として表したのがpHです。でも、なんで水素イオンが酸とかアルカリに関係するのか、ご存知ですか?理系の人には超常識でしょうけど、そうじゃなければ分かりませんよね。でも、ペーハーなんです。
ともあれ、なんだかよく分からないけど、「おおっ」という感じの用語を散りばめ、効能あらたかに○○方式/メソッドが喧伝されるわけです。別にそれは悪いことではないと思うのですし、それなりにモットモなものも沢山あると思います。ただ、それが売れるている心理の背景にあるのは、やっぱり「楽して近道したい」ってことだと思います。メインロードの王道を「とにかくよく〜」やるのはツラいから、なんとか近道はないかってことで、皆さん木立のなかのケモノ道みたいなところに分け入っていくわけですね。そのこと自体は別にいいけど、問題は、ケモノ道にいくと、結構な確率で遭難しちゃったりすることでしょう。
なんなんでしょうね、この「楽したい」って根性は。
一見、そんなの当然じゃないか、誰だって楽したいに決まってるじゃないかって言われるかもしれませんが、別に当然でも無いし、決まってもいないと思います。
僕はギターも練習したし、法律も勉強もしました。他にもいろいろやったことあります。でも、これは誓ってもいいけど、ギターでもなんでも、「楽して上手くなりたい」なんて思ったことは一度も無いですよ。これは、僕だけではなく、全国百万人のギターキッズだったら、基本的に同じだと思う。あるいは全国数万人の司法試験受験生も、楽して合格したいなんて思ってないと思います。
思っているのは、上手くなりたい!合格したい!これだけです。
その過程が楽だろうが、しんどかろうが、どうでもいいんですよ。1分でも、1秒でも早く実力をつけたいという一心です。「効率よく」とは思います。でも、効率の良い代償として物凄くシンドかったとしても、躊躇わず効率を取ります。どんなにシンドイ練習でも、その苦痛は、下手であること、不合格でいることの苦痛よりは少ないですもん。「本気でやる」ってのは、そういうことだと思うのですね。
だから、「楽して」系の邪念が入ってるうちは、どっかしら本気じゃないんじゃないでしょうか?本気で自分を向上させたいって思ってないんじゃないんですか?
そういう向上心っていったいどこから来るのかな?というと、よくわかりません。
どれだけ真剣に自分自身を愛しているか(ナルシズム的猫可愛がりではなくて)、どれだけ自分を大切に構ってやってるかかもしれません。あるいは、自分が「良く」なっていくことが、どれだけ多大な充足感と至福感をもたらすものなのかを、忘れてしまったからかもしれません。
このあたりは、なかなか興味深く、難しい問題ですね。でも、もう紙幅が尽きました。
では、又、来週。
写真・文/田村
写真は、City, QVB裏手
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