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今週の1枚(2012/02/13)



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Essay 554 :自分ゲリラ

「うつ」をめぐる風景(2)
 写真は、Bondi。観光地として俗化調教されていないBondi。といってもほんの5分かそこら歩くだけですが。
 これは是非、クリックして大画面(1680*1120)でごらんいただきたい。そこに「地球」があります。丸いというのも分かるでしょう。



 前回にひきつづいて「うつ」をめぐる風景です。
この「めぐる(巡る)」というのがミソで、「うつ」という精神状態に対する医学的な知見等については「底なし沼」だから触れない。あくまでその周辺を散策する。金閣寺の回遊式庭園みたいに、中の池には入っていかない。「うつ」そのものについては、「すごい気分が落ち込んでる状態」「そのために社会生活もママならなくなってる状態」くらいのアバウトにぼやかしておきます。

 さて、他人様の心の中はわかりませんが、こと自分自身についてはどうか?
 僕自身、現在「うつ」なのか、過去にもそうだった時はあるのか?というと、うーん、違うんじゃないかなって気がします。いや、もちろん人並みに(何が人並みなんだか分からないけど)、ダークな時期ってのもあったし、大体少年期から思春期なんか誰でもダークになるものだと思うのですが、だから主観的には「普通ちゃう?」という感じ。何が「普通」なんだか分からないんだけど。

かなりダークだったら小学校低学年時

 僕が、ダークでしんどかった時期は、小学校1、2年の頃でした。

 僕はこういう性格、一言多いというか、ムダに独自性を発揮したがるB型タイプなので、いわゆる「こましゃくれたクソガキ」だったと思います。だから合わない人には全然合わない。小学校に入ったばかりの担任の女性の先生がこの合わない人だったようで、もう目の敵のようにしてイジメられた記憶があります。

 例えば、今でも覚えているけど、採点したテストを返され間違ってるところを直そうしたのですが、そのとき赤鉛筆ではなく普通の黒鉛筆で直してたら、カンニング呼ばわりされました。「採点後にカンニングもクソもないだろう?」と思った不服そうな顔がまた彼女の逆鱗に触れたらしく、教室の前に引っ張り出され、いきなり皆の前にビシバシとビンタ喰らいました。そこまでは良かったんですけど(その程度の体罰、当時は世間的にも自分的にも普通でしたから)、辛かったのは、皆の前でやってもいない”カンニング”を自白させられ、「ごめんなさい、悪いことしました」と謝るまで、やれ卑怯者だの、往生際が悪いだの、ギャンギャン罵倒され続けたことです。まあ、「自白の強要」「権力に屈服」というありがちな話なのですが、そのときの悔しさと屈辱感の苦さは、今でも口の中にジャリジャリ残ってます。

 一事が万事、年がら年中この調子で、先生の「逆・お気に入りキャラ」みたいなもので、クラス公認のダメ人間として扱われてたような気がします。オーストラリア英語で”blind Freddy”というのがあって、典型的なアホ人間という想像上の人物です。古典落語の「与太郎」みたいなものです。"Even blind Freddy knows that"(そんなことはアホのフレディでも知ってるぞ)という。そのブラインド・フレディ状態ですね。授業をやってても、ここは簡単だよねと説明するところで、「田村君にも分かるよね」みたいないじられキャラです。そうなると「こいつには人権はない」みたいな感じで、クラスメートにもいじめられ放題。小学校低学年においてはクラス=全世界みたいなもので、もう逃げ場なし!という。それが2年間延々続いた。中でも札付きのいじめっ子(今思うと、後に暴力団に入っても不思議ではないくらい凶悪な)に目を付けられてて、命令されて万引きもやらされ、そんでドジだから捕まって親に通報され、オヤジに殴る、蹴る、ブン廻されて勢い付けて食器戸棚に投げつけられる等のお仕置きを受けたりしました。いやあ、マジに殺されるかと思った。

 しっかし、通報されたあと家に帰るのがイヤだったですねえ。「帰ったら殺される」くらいに思ってるのに、それでも行くところがないから帰らざるを得ない。あの気持というのはイヤ〜なもんで、今でも覚えてますね。ま、早い話が、「世間の荒波を知る」ってことですよね。ちょっと早い気もするけど、まあ、遅かれ早かれですわ。実際、弁護士一年目、文字通り実社会に出た一年目には、これと同じ「殺されに帰る」ような気持ちをよく味わい、「ああ、懐かしいわ〜、この感じ」って思い出しましたけど(^_^)。

 あれだけボコられてたのは半生においてあのときだけです。それ以後はそんなことないし。その前の保育園時代とかは楽しかったです。大人になってからオフクロから聞いたんですけど、入園テストで歴代抜群の知能指数だったとかで、別にそんな特別扱いされた記憶はないけど、僕のもってる「こましゃくれた部分」を素直に受け入れてくれた大人がいたのでしょうね、居心地は良かったです。感謝してます。でもってヤンチャ坊主で、外で遊び廻っては何針も縫う大怪我をしてました。

 もしかしたら自分史的にはあの頃が一番頭良かったかもしれませんね。オヤジの仕事場(機械修理)の工場にあった業務用の日本車の分厚い型番カタログで遊んでて、路上に走っている自動車は一瞥で全部型番が言えたのを覚えてます。微細な違いもかなり的確に区別できて、親にびっくりされて鼻高々でした。国民車になったスバル360は当然として、やたら見かけたパブリカ、ヒルマン(ミンクス)、ミゼット(オート三輪ね)、高級感漂うグロリア、日野ルノー。それが保育園の頃で、まあ、そのくらいの早熟性はありふれているのでしょうが、ツラかったのは落差です。小学校に入るや「アホのフレディ」ですからね、一気に奈落の底です。

 小学校低学年の頃は教科担任制じゃないから、担任教師に睨まれたらもう救いがなくて、国語から体育から音楽から図工から何から何まで全部ダメで、通信簿も限りなくオール1に近かったですね。親も、先生にはいろいろ言われたみたいで(どう躾けたらあんな出来損ないになるんだみたいに)、すんませんね、僕が世間でヘタ打ったばかりに迷惑かけて。

 30歳になるくらいまでは、その先生のことをひどく憎んでました。「一人だけ殺していいならあいつだ!」くらいに。でも30歳を超えて、自分があの頃の先生の年齢に近づいてくるにつれ(本当は幾つだったのか知らないけど)、許せるようになってきました。先生も大変だったろうなって。今となっては「大変だったね、つらかったんだろうね」ってその先生を抱きしめてあげたいくらいですけど。いや、これ、無理やりハッピーにしようとして言ってるじゃなくて、ほんとにそう思うよ。なんでか?って言われるともう一本書けちゃうんだけど、ここでは、年を取るのもいいもんだぜ、恐がりなさんな、って言うに留めておきます。

弱肉強食原理と自分ゲリラ

 いやあ、しかし、学ぶことが多かったです、うん。本当にいい経験だった。

 第一に「世間の厳しさ」みたいなものが早い時期に分かったこと。
 一歩歯車がズレたら、社会というのはここまで自分に牙を剥いてくるのだ、ここまで辛く感じられて、居場所なし!ってくらい徹底的に押し潰しに掛かってくるぞという、その「手強さ」「残酷さ」みたいなものが身体で分かった。この世界観みたいなものは、その後の人生を通じてみてもかなり間違ってなかったと思います。弁護士をやってても、同じような立場に置かれた人々の事件(大きな力=権力やら企業やら=に押しつぶされる)をやってて、「やっぱ同じだと」と確認しました。

 このリアルな弱肉強食感は、戦後日本の浮浪児や、今でも途上国のスラム街の子供だったら、遙かに厳しく身体に叩き込まれるだろうけど、その何十分の一かのソフトさで、それが分かったのは良かったです。ある種の「甘さ」が消えましたから。社会(他人)は自分に何もしてくれない。絶対に期待するな。そして弱かったらただ食い殺されるだけ。それがイヤなら強くなれ。それが自然の掟であり、原理はとっても簡単。

 第二に、だからこそ対処の仕方が生死を分けるくらいに重要なこと。
 そーゆー残酷な環境(社会)であることを前提に、どうやって生き延びていくか。どうやって自分が自分であるために戦っていくか。ちなみに「皆といっしょ」という日本独特の方法論は、性格的にも、状況的にも無理だから(「みんな」の中に入れてくれないのだし)、否が応でも自分らしくやっていくしかなかった。それは自分に合ってましたし、ラッキーだったと思う点でもあります。これが、クラスの中で他の子供がむごたらしく虐められていて、その子をかばうと自分まで虐められるという状況だったら話は違ったと思うのですよ。生き延びるためには、心ならずもその子を虐める側に廻るという卑怯パターンが身体に馴染んでしまう。そうなったらもっと複雑に心が歪んだり、それがゆえの自己嫌悪も生じたと思うのだけど、僕の場合は単純に力の強弱であり、自分対世界という構図がピュアだったからその意味ではすごく楽でした。ただ、同時に、あんまり日本人らしくなくなったかもしれないですね〜(^_^)。

 で、自分が自分として人がましく世間をわたっていくためには、どういう戦い方、どういう方法論を編み出せるか。少年期から思春期にかけて、そればっかり考えてました。変な言葉だけど「自分ゲリラ」みたいな感じ。圧倒的に優勢な敵に刃向かう。まともにやったらぶっ潰されるから、ジャングルのあちこちに安心できそうな逃げ場所作って、ここなら絶対勝てるという戦術をいくつも編み出して、設定して、とかね。

 ゲリラの本質は生き延びることにあり、生き延びることこそが正義である。

 村上龍の印象的な小説で「五分後の世界」があります。戦後のパラレルワールドで、トンネル国家と化した日本国が全世界を相手にゲリラ戦を展開し、生きるか死ぬかの極限ギリギリで戦い続けている話ですが、長じてからこの小説を読んで、司令官のヤマグチが「ゲリラの本質は生き延びることだ」と語るくだりで、「そう!」と激しく同意してしまった。

 そうなんですよね、ゲリラにおいては、全知全能を振り絞って生き延びることが至上目的であり、使命であり、そして正義である。

 まあ、ここまで明確に意識として思ったわけではないですが、そういうフレームワークは幼い頃に出来たように思います。あれだけ散々ダメダメ言われてたら、子供だから「自分ってダメなんだ」って思いますよね。でも「ダメとか言ってる場合じゃないだろ」「殺されるぞ」くらいの危機感もあって、「とりあえず強くなんなきゃね」と。

 その後はリベンジのようなもので、ダメ烙印を押されたものを、一つづつ自分でひっくり返して、自分自身に「ほら、出来るじゃん」と証明していく過程がありました。絵が一番早くて、マンガ描いてクラスで見せて、次に柔道やって黒帯取って、ギター弾いてバンドやって、最後に25歳で司法試験に通って、法務省の中庭の合格発表に自分に名前を見つけたとき、思わず「ざまあみろ!」って叫んでました。「リベンジ完了」って感じでした。心の奥の方で「あ、終った」と思った。
 

では、「うつ」だったのか?〜居場所さえあれば

 というわけで、こんな能天気なワタクシにもダークな時代もあったのですよ。暗い話で悪いんだけどさ。

 でも、自分がそんなに「不幸」だったとは当時も、今も思ってないです。こんなん普通でしょう?と。いや、リアルタイムにはしんどかったんだろうけど、「不幸か?」って言われると、なーんか違う気がするぞ。

 そして、また、「うつ」だったか?といわれると、これも違うんじゃないか?って思います。そこまで凹んで無かったんじゃないかなあ。そりゃ、学校からの帰り道に「死んじゃおっかなあ」みたいな気持ちを抱いたときはあるけど、そんなん誰でもあるんじゃないの?特に変だとは思いません。

 時期はちょっとズレるけど、思春期や青年期に自殺を考えることは誰にでもあるし、僕もあったし、別にそんなに不思議なことではない。高校のときだったかな、西欧の誰かの言葉を引用したエッセイ(誰だっけな、遠藤周作だったかな)「一日に一回自殺を考えない奴は馬鹿だ」というのを読んで「そうだよなあ」と思ったものでした。その言葉は続きがあって、「しかし」と続くのですね。「1日に2回以上自殺を考える奴はもっと馬鹿だ」と。これも「そうだよなあ!」って、激しく同意してた。そーゆー気分になるのは誰でもそうで、不思議なことではないし、むしろそーゆー気分にならない奴は鈍感すぎて馬鹿なくらいだけど、そこにいつまでもこだわってるのはもっとアホらしい。なぜって、そんなクソ当たり前の、誰でも抱く「普通の感情」に、過大な意味づけをしている時点でアホでしょうと。

 そのあたり、わりと簡単に割り切れちゃう性格なんだってのもあるんだろうけど、良かったのは、やっぱ家庭環境でしょう。オヤジは怒ると恐いけど普段は別にそんなことはなく(それでもおっかなかったけど)、オフクロは優しくて、弟は可愛くて。あんまり勉強しろとは言われなかったし(まあ、言う気もなくなるような成績だったけど)。

 自分が子供の頃の経験だけで言うなら、親が子供にしてあげるのは「好きでいること」くらいで、それで十分じゃないかなあ。家族(他人)から好かれているという感じは、ほんと何にも勝る特効薬で、どんなしんどいことがあってもそれだけで十分回復するし、実際僕は回復してました。だから、「居場所」さえあれば人間結構ゴキゲンに生きていけると思います。あ、ただし、子供は敏感だから、親が単に世間体に気を使っているだけなのか(この子大丈夫かしらみたいに)、真実自分のことを好きでいてくれるのかは、メチャクチャ的確に見抜きますよね。生き物というのは、弱ければ弱いほどセンサーが敏感だし。子供を世間と比較したらアカンよね。これは恋人でも配偶者でも同じことだけど。この「値踏みされている視線」というのは物理的に感じるよね。就活の面接みたいな。あるがままを受け入れてくれたら、それでもう十分だろって思います。ま、それが難しいんだろうけど。

 だから精神的には、辛かったのは辛かったのだろうけど、ポキリと折れることはなかったです。これで家庭環境まで最悪だったら、うーん、キツかったかもしれない。もしかして、同じパワーと原理で曲がった方向に行ってたりして、だから弁護士にならずにヤクザになって手形のパクリや取り立てやって、30歳前にどっかの路地裏で刺されてたかもしれないです。

世を拗ねたりしない。本当のリベンジ

 あと、弱肉強食原理は身体に叩き込まれたけど、だからといって「世を拗ねた」という記憶はない。これもなんか、ボコられながらも、「そうだよなあ」って妙に納得してた気がします。

 世間が冷たいだの残酷だのというのも、別に自然の法則だから当然だろと思うだけで、ネガティブには思いません。それに、そんなの一部に過ぎないことだというのも何となく分かってたし。自動車は人を簡単に殺せるだけの凶悪な暴力性を持っているけど、だからといって直ちに悪魔のマシンというわけではない。その代り一歩間違えたら凶器になるから「交通安全」という方法論が大事なわけで、世間においても同じでしょう。ようは「やり方」論であり、方法論で何とかなるんだから、さっきの「自分ゲリラ」と同じです。

 世界に絶望したわけでも、拗ねたわけでもない。思春期の頃は、また違った意味で人間キライというか、人類嫌いになって、「理想世界=人類絶滅」くらいに思ったことはあるけど、それはまた別の頭でっかちな観念的な話で、別の機会にまた書きます。

 自然の法則は善悪を超越してて、どーしよーもなく存在してて、だからそれが良いとか悪いとかいう問題ではない。したがって、それで心が歪むとかいうのも変な話なんですよ、僕には。太陽が東から昇ったからグレましたとか、カミュの「異邦人」みたいな人格形成はなかなかならんぞよ、と。

 あくまでどう対処するか論でしょう。雨が降ったら拗ねてる場合ではなく傘をさせばいいのだ。人間でも世間でも美しい面と凶悪な面があるから、いかに美しい面を引き出して、凶悪な部分を抑えるか。前に書いた「対人関係サイコロ論」もそこから来てます。その人の「よい目」=素晴らしい部分を引き出すように付き合えばいい、それだけのことだろう。

 社会においても、社会の良い面を引き出す。引き出せるような自分になる。
 弱肉強食だったら取りあえず強くなればいいんだし、自分の守るために100パワーが必要だったら、まず100強くなる。その上で勢い余って200強くなったらもう一人分だけ守ってあげられるし、300だったらもう二人守れる。弱肉強食はクソ原理だと思うけど(当然の前提として受け入れるのと、賛同するのとは違う)、でも罵っても始まらず、自分で強くなって多くを守れば、このクソ原理に一矢報える、蹴りを入れられるわけで、本当の「リベンジ」はそういうものだと思うのですよ。てめー一人くらいなんとか出来るようになったら、今度は他人を助ける。それがあのダークだった時代への僕なりのリベンジであり、落とし前の付け方だと思います。

人生に意味はない。てか、必要ない。

 方法論とか、対応戦略論が大事なのは分かったけど、より根本的に、「そんなにしてまで生きなきゃいけないのか?」という部分、そこまでして「生きている意味」が分からないという人も、もしかしたら、いるかもしれません。だから(今週もまた長くなって悪いけど)、さらに付言して書きます。

 なぜ生きるのか、意味あんのか?論ですが、結論的にいえば、意味なんか無いです。気持ちいいくらいに、カッキーン!と爽快なくらいに意味なし。「あるわけねーじゃん」って。もっと言えば意味なんか必要ないです。この感覚が、先ほどの自分ゲリラに底の方でつながっていて、だから強力なんです。上に述べたゲリラ論だけだったら、うまく強くなれなかった時点で全てが終ってしまうもんね。でも、そうじゃない。

 これはもう思春期の頃、12歳くらいかな、「人生に意味はない!」ってところで簡単にケリがついてました。まだ子供だったから、うまく言語化・理論化できなかったけど、意味論については、そういう問い掛け自体がナンセンスだというのは直感的に、強く感じました。

 当時言語化できなかったことを今言うなら、そもそも「意味」って何よ?です。
 「意味」というのは、僕が思うに、その前提として「ある巨大なもの」が必要です。それは壮大な「物語」であったり、組織であったり何でもいいんですけど、前提として何らかのルールやお約束や「お話」が必要です。将棋盤の上に「7六歩」があった場合、なぜ「歩」はここにあるのか、その意味は?と考えた場合、将棋のルールやその対局の流れとか、そういう全体図がいる。もしこれが無かったら、歩と書かれている木片が盤面に乗ってるいるだけの、ただの「静物画」みたいなもので、意味性は失われる。

 人はなぜ生きているのかについての世俗的な「お話」は、例えば「世界制覇を企む悪の結社と戦い地球の平和を守る」だったりするし、よりディープな死生観でいえば、神様がそう決めたとか、いやこれは輪廻修行の一環であってとかいう「お話」があります。「人間を人間たらしめているのは『物語』である」というのは卓見で、これはこれでいずれ独立して書きたいのですが、つまりは、そういう前提物語があってこその「意味」です。

 ということは「生きている意味がわからない」というのは、前提となる「大きなお話」が見当たらない、あるいは教えられていたお話に説得力を感じないということだと思うのです。とにかく勉強して偏差値高めの大学と評判良さげな企業に入ってナイスな給料と可愛い嫁さん、、という「物語」に、「そうか?」と疑問を感じたとか、実現困難さを感じたとか、そゆことでしょう?もっといえば、そういう物語に乗れない、「面白く感じない」と。もっとミもフタもなく言えば単に「楽しくない」だけで、それだけ独立に「つまんないよ〜」って言ってるとアホみたいだから「意味が〜」と高尚めかして、カッコつけて言ってるだけじゃないのか?と。

 さて、改まってそういう「物語」って本当にあるのか、客観的に実在するのか?というと、「無い」というのが12歳の頃の僕の結論でした。世間にはバリエーション豊かに色々な「物語」が用意されて皆様のお越しをお待ちしてたりするんだけど、とりあえず「他人の作ったお話に乗る」というのが既にケッタクソ悪いワガママな私は、なんでも自分で作らないと気が済まなかった。でも作れなかった。

 やる以上は徹底的に納得したかったので、想像しうる限りの全て、つまりは「全宇宙の歴史」から考えていったのですが、そうすると、どう考えても「物語」とか「意味」なんか無いだろうと。冥王星の先っちょあたりで宇宙で終っててくれたら、なんか神様的なことも感覚的に理解できたのかもしれないけど、でも宇宙は滅茶苦茶広い。大体太陽系というのが銀河系の辺境あたりにあって、しかもその銀河系が、それが1000億(!)ほどある銀河社会のなかでは辺境にあるというアホみたいな空間の広さ。そして、時間的にもそう。ビッグバンから勘定して、後半に入ってからようやく地球が出来て、その地球が出来てから10億年くらいたって生命らしきものが出てきて、ヒトらしきものが出てきたのが数百万年、キリストが2000年、、とか考えたらですね、いわゆる人類の「有史以後」の数千年など一瞬というのも愚かしいくらい瞬間の出来事。ましてや自分の人生など。

 比喩でいえば、太平洋のどっか、ガラパゴス島の沖合300キロくらいの地点で一瞬波しぶきが上がって、その中の一滴が地球で、その一滴に数十億くらいのウィルスがおって、そのウイルスの一匹が自分、というくらいの感じでしょう?宇宙開闢から今までを1日に換算したら、自分の人生スパンなど、0.0000000001秒くらいでしょう?桁数は適当だけど。そんな短い間に、そんな微生物以下の存在に、いったいどんな物語があるというのだ。意味、、、ないよねって。

 いや、それでもあるかもしれないよ。でも僕には思いつかない。これだけの広大な空間と時間を全部説得的に説明できるだけの大物語を僕は構築できないし、まだ出会ってもいない。だから物語は今のところ「無い」。そして前提の物語がなければ意味もない。あるわけがない。もし、それがあるなら、今も空間に漂っている数十億のウィルスや雑菌ひとつひとつに意味があることになるけど、なんかそーゆーのも意味だらけで暑苦しい気もする。「意味」がないのではなく、意味が「ありえない」のであれば、意味がある/ないとかいって嘆くことはない。そもそもそんなことは問題にならないのだ。

存在している確かな喜び、みたいなもん

 しかしながら、自分なりウィルスなり宇宙なりという存在があるのは事実であり、そこにはビッグバン以降の自然現象と因果の連鎖がある。何の因果か地球に生命現象なんかが起きちゃって、何の因果かここまで進化してしちゃって、何の因果か今ここにこういう自我意識を持つ自分が存在しちゃった、という「現象」は確かにある。宇宙的な現象の末席を汚すワタクシとしては、ただただこの現象の「ありよう」、自然の掟みたいなものを受け入れるしかないよね。僕が感覚的に納得できる「物語もどき」はそんなところです。それを前提として、ヒトは、生命はいかにあるべきか?といえば「生きる」、ただそれだけです。

 なんか当たり前のことを延々書いてるだけのようだけど、それで僕は随分救われました。だって「そっか、生きればいいんだ、それだけか」と。どういう生き方も、こういう生き方もなく、ただただ盲目的に生きる。それが至上命題。それがアメーバから、ゾウリムシから、ウィルスから、ウミガメ、キリン、蝶々、そして人間に至るまでの共通の命題。それが大宇宙における「生命道」みたいなものだろうと。

 そしてこのアホみたいにシンプルな命題は、さきほどの自分ゲリラの命題=生き延びることこそ至上目的であり、使命であり、そして正義であるという発想にリンクするのです。それがリンクした時点で、「あ、完成!これでいいや」みたいな感じ。大袈裟にいえば「俺は真理に到達した」くらいの(^_^)。単純なんだから、もう。

 あ、あと、思ったのは、風呂入ってて何かを悟った瞬間がありました。湯船に浸かった自分の手とか見てて、「まだ使えるよな、これ」と。大して美しい肉体ではなく、凡庸なそれなのだが、それでもゼロからこの手を作ろうと思ったら、現在の科学では絶対無理なわけだろ?と。大脳の思考にコンマゼロゼロ秒の早さで直結し、視床下部を通じて10分の1秒だったかそれ以下の超高速単位で微修正を施し、方向、角度、力、その全てをコントロールして動かせるという、奇跡のような造形物があると。事故で腕を失った人は、どんなにかこの腕が欲しいだろう。それを今自分は持ってる。まだ使える。全然使える。殆ど使ったことがないくらいだ。そこで思ったのは、「勿体ない!」と。これをゼロから作ろうと思えば、また数十億年の進化と遺伝子の作業がいる。腕だけじゃない、目だって、足だって、全部そう。それを無くした人からみたら世界で何よりも貴重なものを俺は今持っている。でも死んでしまえば全部終わり。ああ、勿体ない。とりあえず主観で何を思おうが、これだけ使える「奇跡の物体」をダメにしていいほどの大思想があるとは思えん。「使えるんだったら使えばいいじゃん、とりあえず」と。

 愚にもつかない感情は殺せばいい、物体そのもの、機械そのものになりきればいい。自分の思想やら思考やらは、どうせ大したことなんか考えてないんだし、単位時間比率でいえばエッチな妄想とかも多いわけだし(^_^)、ろくなもじゃないよね。だから自分という主観よりも、この機械の方が価値があるんじゃないか?と。てか、いやあ、どう考えても、数十億の進化の結晶よりも価値的に勝るものを考えつく自信は俺にはないわ。だったらより価値のあるものに従え。たとえ心はどんなにささくれて、イヤイヤだろうがなんだろうが、この手足を使うことで誰かがちょっとでも幸せになるであれば、そこには大きな価値がある。俺の頭の中にあるガラクタみたいな想念なんかよりも、よっぽど「意味」が感じられるじゃないかと。風呂に入ってて、ふと、ほんの1秒くらいのことだけど、そのあたりがチーン!と吹っ切れた瞬間があります。いつだったか覚えていないけど、中学くらいかな。結構楽になれましたね。「なあんだ、そっか」と。

趣味の生き味(あじ)

 なんでそこまでドライに思えたのかというと、思うに、まだ6歳とか7歳の頃に多少ハードな「今日も一日生き延びられて良かった」みたいな経験をしているから良かったのでしょう。「生き延びる」という生き物のベーシックなところで陣地を構築できた。あんな日々でありながらも、でも帰宅時に見る空が青かったり、夕焼けが綺麗だったり、息を飲むように美しいチョウやカミキリを見たり、、、、そういったことでイチイチ幸福感を感じた。生きていること、この世界に存在できているだけでそれなりの幸福感はあるのだということを知った。後になって戦場の兵士の手記などを読んで、同じようなこと(死にそうになっているときに見た自然がやたら綺麗だったとか)を書いているので「ああ、やっぱ、そうなんだ」と思った。

 これはちょっと前の「夢も希望もなくても結構幸福になれちゃう」で書いたことだけど、人間(生物)というのは、ただ生きているだけで幸せになれるように出来ている、出来てなかったらとっくに絶滅している。水泳が下手でカナヅチだとかいうけど、物理的にいえば肉体は水よりも比重が軽いから絶対に浮かぶ。むしろ沈む方がよっぽど難しく、だからこそダイバーは重たいウェイトを付ける。自然にしてたら普通に浮かんでしまう。幸福も同じ事。それを焦ってバチャバチャやってるから変な態勢になったり、水が鼻に入ったりして溺れるのだ。

 ヒト一般は知らんけど、少なくとも自分に関して言えば、自分が自分らしく(てか本質的にそれ以外に選択肢はないと思うのだが)生きていくことであり、そしてこの残酷強力な”世界(宇宙)”において、それはそんなに簡単なことではない。したがって、必死で、それこそ生きるか死ぬかで、全知全能を振り絞って生き延びること、それに尽きる。それだけやってりゃ、勝手に幸せになれる。最初からそういう具合に作られているのだから。

 それ以上のこと、いわゆる「生き味(あじ)」みたいなことは、余力があれば追求してもいいかもという程度の、まあ「趣味の世界」ですね。クルマでいえばエンジンやら駆動機構やボンネットの強化構造というメカニカルな枢要部分ではなく、車体のカラーを何色にするかとか、シートカバーをモコモコのやつにするとか、成田山のお守りをフロントガラスに貼っておくとか、その程度のレベル。「生き延びる」という絶対的で崇高な使命からしたら、しょせんは趣味のレベル。戦闘機に鮫のギザギザ歯のペインティングをする程度のレベル。でも、そんなことで得られる快感なんぞしれている。

 そんな生き味なんか、本当に要らないんだろう。新鮮で純正な食材には調味料なんか必要ないのと同じく、そのままの状態でもう「味」はついているのだと思うです。クルマが何色で塗られてようが、クルマを走らせる、ぶっ飛ばすということそのもの快感がある。運転席に座ったら色なんか見えないんだし。名声やステイタスなんかも同じ事で、自分がその場にたったら見えなくなってしまう。

 ということで、なんか知らんけど、とにかく僕はいまここに存在していて、そして全人類が叡智を結集しても不可能な、この先当分不可能な、数十億年の進化の結晶である奇跡の造形物である肉体を所有している、という現実がある。そして、生き延びるだけで精一杯というハードな世界が存在している。そこで必死に頑張ると自然にドーパミンが出て幸福感が生じるにように作られている、、、というか、そういう「頑張って生きてると自然に楽しくなっちゃう」という特性をもっている個体だけが何億年もかけて淘汰されてきて、その優秀な遺伝子を俺はいま受け継いでいる。しかも無料で。そうなのだ。お膳立てはもうメチャクチャ整っているのだ。ここまで整えられたら、据え膳食わねば男の恥(違うか)。やるっきゃないでしょ。

生きてるだけでラッキーの意味

 子供の頃にそんなことまで思い詰めて考えなければならなかった、という見方をすれば、それは「不幸」なんかもしれないけど、幼い頃=固定観念でガチガチになっておらず、もっとも自然とシンクロ出来る時分にそういうことを考えられたというのは、ものすごいラッキーだったと思います。No Pain, No Gainの法則でいっても、ペインがデカかったらこそゲインもでかい。

 それに「生きてるだけでラッキー」というのは口先では簡単に言えるけど、本当に身体感覚でそこまで徹底的に思えるか?いうとそれは難しいと思う。やっぱ一回生きるか死ぬかのくらいの思いをしないとそこまで思えないんじゃないかな?

 と書いたそばから矛盾するようなことを言うけど、でもさ、僕程度のハードさなんてありふれているでしょう?素朴にいって、今の日本に住んでいる人なら、まず一回くらいは似たようなしんどい時期があったと思います。こんなもんじゃない位にしんどい人も多いだろう。クラスでいじめられたり、職場でしんどかったり、家庭に居場所がなかったり、自分のブログが炎上したり、一人で膝を抱えてたそがれている時期というのは、生きてれば絶対あると思うぞ。だとしたら、それだけのペインを払ってるんだから、当然のご褒美であるゲインも得ていると思う。まだ得ていないなら、今からでも取りに行くんだ。バイトの給料の最後分を貰うようにさ。思い出すのもキツイかもしれないけど、それでしのげているのだから、絶対何か大事なものを得ている筈だと思います。得るもの得なかったら、ただツライだけじゃないですか。それって損です。

 さて、ここでまた村上龍の小説が出てくるのですが、「愛と幻想のファシズム」では、ハンターである主人公が、野生動物の美しさをありったけの尊敬を込めて語る。ただ水を飲むという目的だけのために一日十数時間も歩き続ける野性の熊を語る。「生きる」というただ一点に集中し、それ以外は一切削ぎ落とした彼らは、一分の無駄もなく、美しい。先ほど述べた「五分後の世界」でも「生きる」という合目的性の美しさが描かれているし、僕も共感します。庭先で盲目的に蠕動している毛虫をみたとき、気持ち悪いという意識よりも、感動した。「生きる」ってこういうことだと。

 まあ、「生きてればそれでOK」みたいなレベルまで陣地を後退させて、そんなところで幸福を感じるというのはなんてミジメなんだ、って見方もあるだろうね。でも、それも違うんだわ。僕の乏しい世間智でいえば、幸福感というのは二大条件があって、一つは何らかの意味で前に進まないと得られないこと。二つ目は減らさないと得られないことです。第一の何が「前」なのかはケースバイケースだけど、物事を廻していかないと得られない。それは生きるということが本質において新陳代謝の万物流転だからでしょう。止まると淀む、腐る。水を切って、風を切って進め。

 しかし、物事を進ませると持物が増えてくる。やれ財産とか、ステイタスとか、しがらみとか。でもあれもこれもでやっていると幸福感は遠のく。進んでいくんだけど、荷物は減らさなければならない、ココがすごい難しいんですよね。

 そして生きること、生き続けること、生き延びることは、それらを満たす究極の形態なのでしょう。てか、もともと原点はそこであり、人間以外の全ての生物はそれでやってる。ほっときゃ自然にハッピーになれるにも関わらず、小賢しい人類は、農業革命以降に余剰生産物とヒマが出来ちゃったから、くっだらないことを色々思いついて、自分に課して、それが強迫観念になって、それが得られないとかいってサメザメ泣いている、、という愚劣なことをしているだけという気もするのですよ。

自分ゲリラ道

 というわけで、「自分ゲリラ」、いいっすよ。オススメです。まあ、誰にでも出来るかどうかは分からんけど、そーゆーやり方もあるということで。僕はやってて良かったですよ。だってスガスガしいじゃないですか、一切の言い訳と甘えが通用しないのって。分かりやすくていい。生き延びるためには世の中のこと全部知らないとならないし、何でも出来なきゃいけないし、無限にハードルが高いからネタはつきない。何でもアリです。捨てなきゃいけないときにも、比較的躊躇いなく捨てられるし。この世の全てを対象に貪欲にむさぼりながらも、優先順位だけはクッキリ明確になっているから迷わない。何にも増して、より高い確率で生き延びられる方向が正しい。

 ここで、単に事なかれ主義で、長いものに巻かれていた方がより生き延びられるのではないか?という見方もあるかもしれないけど、「自分ゲリラ」道はそんなに浅くないです。長期的にみて、今人気の業界がコケるのはよくある話だし、そうなるのが普通とすら言える。だとしたら長いものに巻かれているつもりが、いつの間にか長くなくなってるということも十分にある。お金に頼ってもハイパーインフレがきたら終わり。土地にしがみついても前回書いたようにここ20年下がりっぱなしじゃ意味がない。案外確実なものなど無いのだ。

 それに、それが好きならいいけど、自分を抑圧して長いことやってると精神健康が害されたり、身体健康まで蝕まれたりというリスクもある。自分を楽しませてやることも生き延びるためには重要なファクターになる。しかし甘やかすと生存確率が激減する。それこそありとあらゆることを計算に入れておかねばならない。そこには無論、自分の趣味とか好みという自分バイアスが大きくかかってくるから、他人の言うことを聞いて真似してても、まず成功はおぼつかない。個性ファクターを無視してるから、他人は上手くいっても自分は上手くいくかどうかわからない。しかし、自分はどういう特性をもっているのかが意外と分かりにくい。分かったところで自分もまた刻々と変わる。ね、深いでしょう。「全知全能を振り絞って」と書いたのは言葉の綾ではないのです。

 すごく難しいけど、面白いです。で、大きなメリットは、結果的に何がどうなっても、全部自分でやったのなら諦めもつくこと。これは大きい。もう一つは、世の中の変動に対応できること。国債が暴落しようが、大恐慌が起きようが、首都直下地震が起きて東京、ひいては日本が崩壊しようが、宇宙人が攻めてこようが、やることは変わらない。生き延びること。その時々のインプットデーターをより正確にアップデートし、これまでのプログラミングを臨機応変に変えていくこと、それだけです。日頃からやってれば、それほど難しくないはず。


 ところで--------、話は「うつ」に戻るのですが、「だから」なんだか知らないけど、僕はあんまり「うつ」らしき状態になったことがないです。全然ないというのも、なんか馬鹿みたいでカッコ悪いんですけど。ああ、でも、なりかけたような時期はあったかもしれません。でも、そのときには、やっぱゲリラ的に「どうやったらこの窮地を脱出できるか」論で色々考えてました。「捕虜収容所から脱獄する巻」みたいな。これも幾つかパターンがあって、戦術その1は、、、なんて書いてたら長くなりすぎですよね?すんません、やめます。では、また。



文責:田村



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