前回に続いて地元の新聞ネタを。
Love your work? A packed lunch might do the trickという記事が今日の新聞=Sydney Morning Herald紙の2010年9月18日週末版=にありました。
例によって英語原文だと面倒でしょうから、適当に訳しておきます。
例によって(その2)、原典の記事は時間がたったら削除されるかもしれないので、コピペしたものを
ココにストックしておきます。
Love your work?
Love your work?A packed lunch might do the trick.
September 18, 2010
仕事を好きになる?
その秘訣はランチタイムの「セットメニュー」にひそんでいるらしい。
そして、その「パック・ランチ」は、あなたの上司にもご利益をもたらす。
(いきなり訳しにくい!packed lunchで「弁当」だけど、字義通りの意味ではなく、パックツアーの「パック」=あれこれ企画され詰め込まれた=という意味が掛かっているものと思われます)。
シドニー市内の金融系企業、法律事務所、そして各企業の本社において、それはすでに日々の儀式になっている。
かつて「ランチ」と呼ばれた時間帯が来ると、従業員はデスクから立ち、ジャージに着替えて、短時間ながらも気分転換になる「健康セッション」に向うのだ。
その内容はバラエティに富み、なかでもヨガ、瞑想、能力開発(brain gym)、あるいはボクシングが最近の流行である。しかし、内容は様々ながらもベースにある発想は同じである、すなわち、「ハッピーな社員は良い社員」ということである。
労働者の生産性に関する研究が進めば進むほど、職場における幸福こそが人事における最重要課題である、という認識が急速に広まっていった。
しかし、一体どうやったら職場でハッピーになれるのだろうか?
太極拳やタッチフットボールは、まあ、確かに社員の健康に寄与するだろう。しかし、それ以上に、仕事への集中度や達成度に関して何か隠された秘訣のようなものがあるのではないか?
昨日、シドニーで「Happiness + Wellbeing @ Work 」と銘打ったカンファレンスが開かれ、企業の人事部長、主任コーチ、職場心理学者らが一堂に会した。
オージールール知事杯三連覇をなしとげたブリスベンライオンズ(ラグビーのチーム)のように高い成功度を達成した組織を研究している主任コーチのトニー・ウィルソンさんは、仕事における幸福と関わり(engagement)は、人間心理の根幹にかかわるものだと発言している。
ウィルソンさんによると、
「原理的に言って、仕事におけるタスクやチャレンジというものを、人は「強迫」もしくは「ご褒美」として捉える傾向があります。つまり仕事とは、自分に対して利益をもたらすか、あるいは脅威をもたらすものとして見るわけですね。
しかし、強迫的な要素が入ってきた時点で、高いレベルの仕事を遂行するというよりは、慣れ親しんだべーシックで保守的な思考パターンに戻ってしまうんです。その反面、仕事に大きな主体性や発言権を持っていると感じたり、ハイレベルのステイタスや帰属意識がある場合、人は己れの能力の最大を発揮するのです。」
充実感とともに熱心に仕事に取り組んでいる人が高い生産性を示す、という点については確かに異論の余地は少ないだろう。
「あなたの会社の最も健康な社員は、最も健康でない社員の2倍から3倍の生産性を持ちます」と、健康コンサルタントのマイケル・マクラカンさんは昨日のカンファレンスで発表している。「社員の健康プログラムに留意している会社は、そのために1ドル支出するごとに5ドル分のリターン(生産性の向上)を享受しています。社員の不健康は、結果的には会社に大きな金銭的損失をもたらすのです。」
この理屈は、渋チンの会計係をもにんまりさせるだろう。
しかし、近時刊行された「オーストラリア仕事と生活インデックス2010年」によると、職場の幸福と生産性とは必ずしも手と手をつないで歩調を共にするものではないことが指摘されている。サウスオーストラリア大学で2800人を対象とした調査によると、多くの労働者は、あまり多くの仕事をしていないときにこそ最大にハッピーになることが示されている。
オーストラリア人のうち20%以上の人が週に48時間以上働いているが、そのうちの75%の人が多少給料は下がってもいいからもっと労働時間を少なくしたい、と答えているのだ。ワークシェア(ほとんど活用されてはいないのだけど)をするとしたら、週38時間というのが最も人気のある時間帯であり、また大多数の回答者は2週間分収入が増えるなら、むしろその分長期休暇を取りたいと答えている。
こういった調査結果はあなたの上司のご意向に沿わないかもしれない。しかし、経営者達は、この調査結果に上がってきているもう一つの労働者の願望を真剣に考えはじめている。「もう一つの願望」とは、フレックスタイム制である。
「少しづつですが、フレックス制こそ職場健康の根幹をなすものだという認識が広がりつつあります」とフレキシブル・ワークプレイスというコンサルタント会社のケリー・ホーガンさんは言う。
「フレックス制こそが、家庭、健康、友人関係、そして仕事との相互バランスをとる唯一の方法なのですね。そして、それは職場カルチャーの根本的な変化を通じてのみ可能なんです。週労4日制や在宅勤務制度、そして育児休暇を、全ての従業員が受けられるようにしなければなりません。このことをよく実践している経営者は、既に組織全体の改編に取り組んでいます。基本戦略にフレックス制を据え、あらゆる末端局面に至るまで徹底させているのです。ブリスベンにあるグリーンスロープス病院がその好例でしょう。職場に健康センターを設け、ジムや、家庭向きのイベントを企画しています。しかし、それに尽きるものではなく、それらの核心にあるのは、家族ととも過すための休暇制度です。」
職場環境に関する文献のなかでは、フレックス制度と職場内幸福とは、ほぼ同等の意味をもつ交換可能な用語になりつつある。
しかし、皆がみんなそう思っているわけでもない。
「私のことを恐竜(前世紀の遺物)と呼びたいならどうぞお呼び下さい。」
シドニー大学の副学部長であるジョン・シールドさんは言う。
「しかし、それでも私は、フレックス制度を労働環境の向上の代用物として使用する気はありません。
50年にもわたるこれまでの研究結果はどれもこれも、あなたが職場でどう感じるかは、ひとえに「どういう種類の仕事をするか」という点にかかっているのです。
もしあなたが経営者で、社員に「いい仕事」をして欲しかったら、まず彼らに「いい仕事」を与えなければなりません。
どれだけの裁量が任されているか、それとも一分一秒全て指図されているのか。職務内容にバラエティはあるのか。周囲の仲間達とどれだけ親しく接しているのか。それらこそが仕事への満足感を与える根本であり、私見によれば、その満足感こそが職場における幸福そのものなのです。」
上の記事を読んで、思うところを論ぜよ
先週からちょっと書き方を変えてますが、あんまり詰めて書き込まないで、面白そうな素材をポーンと投げておいて、あとは各自で考えていただく。キリキリ詰めて書いてもいいんですけど、ついつい濃くなり過ぎて読んでてツラい部分もあろうかと。
ということで、お好きに考えてみてください。
以下、僕が思ったことを(あんまり煮詰めずに)幾つか挙げておきます。
@、この上、まだ運動するか?
オーストラリア人というのは「スポーツしてないと死んでしまう人」というイメージが僕にはあります。とにかくやたら運動しています。シティの北部などは、政治家や官僚、弁護士、金融系本社などエリート企業が集まるエリート村なのですが(日本でいえば丸の内から霞ヶ関に相当)、ランチタイムに歩くとやたら皆さん走ってますよね。ランチタイムでなくてもまだ走ってるし、夏ともなると上半身裸で闊歩してたりします。日本の霞ヶ関で、高級官僚達がパンツ一丁で走りまくってるのは想像できませんが、こちらではそれが普通。それが又フィジカルエリートを目指す一部の人々だけかというとそんなことはなく、そこらへんのサバーブのそこらへんの公園で皆さん汗を流している。冒頭の写真のように、それが水曜日の午前11時であっても、海辺の公園でせっせとスクワットとかやってる。「キミタチ、仕事は、、、」と一番最初にオーストラリアに来た週に思いましたが、今でも思います。
だから思うのですが、別に企業が生産性がどうのとか旗振らなくても、この人達は時間さえあればセッセとやってるんだから別に良いのでは、、、?というのが一つ。しかし、彼らだってそんな現状は百も承知でしょうし(やってる当人達なんだから)、それを前提で尚もこの種の議論が出てきているということは、「まだ動き足りないの?」という気もしますね。
A、なんか家畜みたい
ほんでも「生産性を上げるため」に社員にエクササイズをする時間を設ける、、というのも、ちょっとねえって気もしますね。「ハッピーな社員は良い社員」ということで、社員がハッピーにならなければ会社もハッピーにならない、だから両者の利益は一致しており、社員もニコニコ、会社もニコニコ、エブリワンハッピーじゃないかって言われればそうなんだろうけど、それでも、ひっかかるな。
こういう形でオーストラリアにも「管理」が網がかかっていくのね、と。健康やフィットネスの奨励は、言われなくてもオージーはやるし、やらせてもらえて嬉しいかしらんだろうけど、そーゆーことって自発的にやるから意味があるんじゃないかしらん。学校の体育の授業みたいにお仕着せでやらされても本質的に嬉しくないというか。刑務所の受刑者の運動時間みたいな。健康奨励の最終目的が労働者の生産性向上→企業の利潤だったら、なんというか、食肉牛の飼育で、「適当に運動させた方がお肉が美味しくなるんですよ」みたいな家畜的な感じが、そこはかとなくあるわけです。
まあ、企業としては従業員にキリキリ働いて欲しいです。給与という投下資本を行ってるのだから、極限までそれは回収したいでしょう。当然のことですし、資本主義というのはそういうルールです。でも、労働者はその逆で、出来るだけ働かないで(投下資本を少なくして)多くのサラリーが欲しい(回収の極大化)。安く買いたいVS高く売りたいで、これまた資本主義のルールです。だから本質的に対立構造を持っているわけで、対立構造であるなら、法廷がそうであるようにスッキリと対立構造のままにしておいた方が風通しが良いと思うのですね。妙に利害が一致しちゃうと、そのあたりがボヤけちゃって、結局おためごかしの名目で管理が広がるような気もします。
B、普通にやってりゃいいじゃない?
この記事が面白いなと思うのは、最初にもっともらしいエキスパートの意見や最新トレンドを紹介し、後半に異なる意見を紹介し、段々と突き崩していく部分ですね。最新トレンド!と紹介してるだけの頭の悪そうな記事ではなく、バランスがいいですよね。中段あたり、結局「働かないのが一番ハッピー」という結果が出てきたときは大笑いしましたけど、いや、本当、そうじゃんって。そして、最後に出てくるシールドさんの「恐竜」意見が一番腑に落ちます。いい仕事をして欲しかったらいい仕事を与えろってのは真理でしょう。でも、まあ、そんな面白い仕事ばっかりじゃないし、だから皆さん苦労してるんでしょうけどね。
ぶっちゃけた話、昼休みにヨガやろうが何やろうが、詰まらん仕事は詰まらんでしょう。やらないよりはやった方が気分転換になっていいでしょうけど、何をどうしても詰まらないモノは詰まらない。だから基本的に誰だってやりたくないし、可能な限りサボろうとするのが自然の姿でしょう。でもって、そこを強引に働かせるのが会社であり、中間管理職の役目だから「烈火のごとく怒る課長」という役回りがあるわけです。釣りバカ日誌的な構図ですね。で、それでいいんじゃない?って気もするのですね。それ以上詰めて考えなくても。
人間ってチャランポランな生き物だから、システムもちゃらんぽらんでいいと思うのですよ、僕は。人命にかかわるとかいうのでなければ。日本の企業も昔はそうだったし、僕のカミさんも昔は上場企業に勤めていたけど、突然上司が1ヶ月くらい失踪して、ある日ナニゴトもなかったようにまた出勤してきて、また周囲もナニゴトもなかったように進んでいくという、今から考えたら信じられないような無茶苦茶な職場環境だったらしいです。カミさんも会議室占領してしっかり昼寝してたりして。そういえば僕も毎日オフィスで昼寝はしてたな。あの頃の日本は大らかだったから、そーんなに珍しい話じゃなかったと思う。チマチマ管理し過ぎちゃうと、「なにか」が失われるような気がするんですよね。
学校でもそうだけど、宿題忘れたり、悪さをすると、固い出席簿でバッシーン!とぶっ叩かれたりして。今だったら体罰だの何だのって話になるんだろうけど、Aにつながるけど、もともとが対立構造にあるんだったらスッキリ対立構造のままやってた方が妙にモヤモヤしなくていいと思うのですよね。ガキは悪さしてなんぼだし、親や教師は怒ってなんぼでしょう。その方が人間本来の自然環境に近いから、結局は生き生きした人間的なパワーがでて、長い目で見れば生産性もあがるのではないかと。
だから、「普通にやってりゃいいんじゃないの?」って気もするのですよ。
でも、各専門家の人達が最新のレポートをもとにあれこれ言うでしょ。それはそれで彼らの仕事なんだから存分にやっていただいていいんだけど、こっちはこっちで話半分に聞いてればいいんじゃないかって思うのですよ。今回どっちを紹介しようか迷った記事に、最近オーストラリアでも育児ノイローゼ、とまではいかないけど、育児強迫観念みたいなものに取り憑かれたオージーが増えているというものがありました。やれ幼少期にはこういうことが大事とか言われると、無視も出来ずに頑張っちゃう。そんなこんなで24時間、箸(フォークか)の上げ下げに至るまで育児効果を考えるようになって、なんだかなあって記事です。同じ事だと思うのですよ。
C、結局、本人次第じゃないのかな〜角を矯めて牛を殺す
要は仕事が面白いと思えるか、思えないかなんだろうけど、「面白い」というのは主観的なものだから、人によって違う。朝から晩まで伝票整理をしていて、それで鬱病になる人もいれば、それでもほがらかにやっていける人はいる。それは個々人の感受性だし、メンタル管理の巧さだし、そういったパーソナルな部分が実は90%以上を占めるんじゃないかって思います。
どんな仕事だって、それなりに面白く感じることは出来るでしょ。まあ向き不向きはあろうから一概に言えないけど、僕個人でいえば、いろんなバイトやってるときも、クソ勉強してるときも、弁護士業も今の仕事も面白かった、、というか、面白く感じるように仕向けることは可能だし、自然にそうなっちゃう。前にも書いた倉庫での返本仕分け作業でも、やってりゃ手際が良くなってくるからまずそれが面白かったし、上の人とかの話が聞けて面白かったし。そりゃ、瞬間瞬間にはイヤなことも沢山あるけど、トータルでは全然OKです。おそらくはホームレスやっても、「今日は大漁!」とかいってそこそこ楽しくやってるような気もしますね。でも、そこはほんとに大事なことだと思います。よく言うでしょ。この世界が面白くないのは、世界が面白くないのではなく、自分が面白くない奴だからだと。
しんどさでいえば、軍隊なんか極致にしんどいでしょう。特に大戦中の南方戦線なんか、ゴキブリだろうがムカデだろうが何でも食って、それでもマラリアにかかって苦しみ抜いて死んでいったという地獄そのものだったんだろうけど、そのくせ、戦友同士で同窓会みたいなのやって、皆で軍歌うたってたりするわけでしょ。地獄すらも懐かしいという。最近はもう直の体験者が少なくなったけど、昔はまだ多かったし、飲み屋の二階でうたってるのを聞いたことあります。そういえば親父も戦中派だから、僕が小学校のとき車のステレオで軍歌集流してて、家族でドライブのたびに軍歌聞かされてましたね。だから今でも20曲くらいだったら歌えますよ。単純にミュージックとしてみれば、テンポがあって良くできてるんですよね。軍艦マーチなんか秀逸だし(曲名もベタ過ぎて秀逸)。
ある物事を面白いと思えるか思えないかは、もしかして才能なのかもしれないし、技術なのかもしれないし、(生育)環境なのかもしれない。いずれによせその仕事が面白いと思えるか、生産性がどうかというのは、実は職場以外の部分で殆ど決まってしまうのではないかな。人間が人間としてほがらかでいられて、何でもナチュラルに子供のように面白がれる、そういう社会であったならば、トータルとして国や社会の生産性もまた上がるのでしょう。
だから思うのですよ。あんまりキチキチ管理しすぎて、息苦しくなってきたら、トータルの環境が悪くなって、長い目で見たら生産性が落ちるという。そりゃ、個々の局面では、作業心理学や法制度やマネージメント理論やら斯界のプロが必死に考えてくださっているのだけど、それらは「専門」であるがゆえにやはり「部分」でしかない。もっともっと大きな人間環境みたいなものがあるんじゃないかなと。緑を増やそうとしてやたらめったら植樹をした結果、その土地の生態系を破壊してしまうことがあるように。
ここまで書いて気がついたのだけど、この理屈って、昔からあるコトワザで一発で言えちゃいますよね。
-----角を矯(た)めて牛を殺す。
文責:田村