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今週の1枚(09.11.30)





ESSAY 439 : 世界史から現代社会へ(88) 韓国・朝鮮(5) 日本統治下の朝鮮半島



 写真は、Newtownの有名な壁画。黒人差別撤廃を訴えたキング牧師の有名な”I have a dream"演説(1963年8月28日、ワシントン大行進における演説)とオーストラリアのアボリジニとのリコンシリエーション(和解)をリンクさせたもの、、って、見りゃわかりますよね。
 下に映ってる男性が、壁画のモデルになっているわけではありません(^_^)。偶然映ったのですが、よく見ると似てたりして。





 韓国・朝鮮シリーズの第5回目。前回は李朝末期の韓国版明治維新がついに起きず、日本・中国(清)・ロシアの韓国支配権争奪戦で優勝した日本が、日韓併合で韓国を乗っ取っちゃうところまででした。1910年に日韓併合をなしたあと、朝鮮半島の最高政治機関は日本の朝鮮総督府になります。

 ということで、今回はいよいよ何かと議論の多い、日本統治下時代の朝鮮半島です。


日本統治下におけるインフラ整備と経済成長


 どんなことにもプラス面とマイナス面があり、それは日本統治時代も同様で、プラス面もそれなりにありました。まずはそのあたりから見ていきます。

 総督府がリーダーシップをとって、鉄道、医療、教育、法制度などの各方面にわたって怒濤のように朝鮮のインフラ整備をします。小学校の数は40倍以上に増え、識字率も10%程度から60%にハネ上がり、寿命も延びて人口も倍くらいに増えます。画期的といっていいくらいのインフラ整備と経済対策をしているのですね。国民の生活を良くするのが政治だとすれば、朝鮮総督府はマレにみる善政を敷いたということになるでしょう。でも、朝鮮の人達からは、全くといっていいほど感謝されていません。それも当然なのですが、それは後で述べます。

 朝鮮支配といっても、ガチガチに支配したのは後期の方です。中国侵略が泥沼化し、第二次大戦が始まり、あっという間に劣勢になり、ジリ貧状態が続いて、日本自体が狂気の度を深めれば深めるほど、日本の朝鮮支配もヒドイことになります。中間期において、日本本国が大正デモクラシーなどで民主リベラルムードになった頃などは、朝鮮半島においても言論の自由などが緩やかにみとめられたりしています。

 学校制度は飛躍的に拡充しましたが、問題はそこで何を教えていたかです。最初からゴリゴリ日本同化政策を押しつけていたのではなく、初期の頃は、日本語や日本史の他に、朝鮮語や朝鮮史なども教えていたそうです。ハングルと漢字併用の整理・統一された用法を開発したりして、それが識字率の爆発的向上にも寄与しています。高等教育機関としては、1924年に京城帝国大学が作られています。日本でいえば6番目の帝大であり、阪大や名古屋大よりも早いそうです。

 経済インフラとしては、鉄道、道路、上下水道、電気、病院、学校、工場、農業ダム、水路、砂防ダムなどなど、膨大な国費を注ぎ込んで、朝鮮の近代化を推し進めています。また、植林事業も特筆すべきものがあります。朝鮮半島の土壌の関係で、ほっといても森林が豊かに生育せず、森林がないと治水や表土流出で農業生産にも影響があるということで、初代総督寺内正毅が山林令を出し、累計10億本という膨大な植林事業を行っています。

 李朝末期の首都ソウル(当時は漢陽といった)は、ろくすっぽ下水も整っておらず衛生面でも問題があったのですが、それを区画整理を施し、チンチン電車を走らせ、上下水道などを整備します。衛生措置の徹底、伝染病の予防対策、食糧増産による栄養状態の改善などの諸政策によって、乳幼児死亡率は減少、人口は約倍増し、平均寿命も飛躍的に伸びています。

 地方における統治機構でいえば、旧態依然とした中国式の腐敗官僚制だったのを一新し、また水利や金融など農業環境が飛躍的に充実したことにより、小作人などの利益になったと言われます。また、調査の結果、所有者のない土地を国有化し、日本人移民や朝鮮人に分配しています。韓国で生産された米は日本に輸出され、その利益をもとに大きくなっていったのが、今日のサムスンの創始者李秉浮セったりします。

 身分関係でいえば、李朝下においてはバリバリ封建社会であり、エリート両班など貴族階級を筆頭に厳然たる身分差別があったところ、近代的な戸籍制度を導入し、人間扱いされなかった賤民階級もイチ市民として扱われ、通学その他公的な権利を保障されています。これに対しては、当然のことながら既得権者の両班あたりから猛烈な反発がありますが、しょせんは内弁慶の両班、あっさり抑圧されてしまいます。

 こういった矢継ぎ早で大規模なインフラ整備と社会改革によって、朝鮮経済は発展します。第一産業から第二次、第三次産業へシフトしていく資本主義経済への移行が速やかになされ、1920年代は世界水準を遙かにこえるGDP4%台の高度成長を続けていきます。その成長ぶりは、日本本土を上回るくらいでした。

 次に述べる同化政策により、朝鮮人は日本人として扱われましたので、日本への移住、あるいは日本での選挙も参加できます。投票のみならず国会議員や地方議員、高級官僚になった人もいます。日本と半島の往来も盛んで多くの朝鮮人が来日しています。新天地である日本での職を求め、生活の基盤を固める人も多かったです。第二次大戦後、朝鮮本国に帰る人もいましたが、国籍は韓国・北朝鮮になりつつ、そのまま日本に残って生活を続ける人達もいました。在日韓国朝鮮人ですね。関西、とくに大阪に多く、そのため現在でも鶴橋など美味しい韓国焼肉を食べることが出来ます。


 以上は、日本統治下におけるプラス面を列挙してもので、これだけ見てれば、朝鮮人民にとって日本というのは福の神かサンタクロースかってなくらいにあれこれやっています。しかし、もちろん、そういうプラスのことばっかりではない。以下に述べるように、有り余るプラス面を相殺してなおお釣りがくるほどのマイナス面もあります。それに、当時の論理でいえば、朝鮮半島は「日本」なんだから、別に他国に善意で援助しているわけでもないです。自分の国を住みやすくしているだけ。他人の家に押し入って、乗っ取ったあと、自分の家として障子張り替えたり、畳を替えたりしているようなものです。


同化政策・皇民化政策

 マイナス面の最たるものは、朝鮮という国や民族のアイデンティティを圧殺したことです。

 前述のように、初期においては公教育で朝鮮語や朝鮮史を教えてたりしたのですが、段々それもしなくなり、強制的に日本人と同化させようとします。「内鮮一体」というスローガンのもと、いわゆる同化政策皇民化政策というものが行われます。大きく言語と氏名の二点において行われます。

 まず言語ですが、朝鮮語は日本語の方言に過ぎないとか、天皇の臣民であるから大和民族に同化すべきという無茶苦茶な理屈から、朝鮮語を完全に捨て去り日本語を母国語としろという政策がなされます。それまで公教育で朝鮮語は必須科目だったのですがこれを選択科目にし(1938年)、さらには学校から朝鮮語を追放され、学校で朝鮮語を使った生徒には罰が下されます。それと並行して、家の中で日本語を使ってる家庭を表彰したりします。また、朝鮮語を使っているメディア、つまりはそれまでの朝鮮人のメディアの殆ど全てですが、どんどん廃刊命令が出されます。メディアに限らず、朝鮮語を使用する文芸活動なんかにも圧迫が加えられます。

 しかしですね、母国語でもない言語を「今日から喋れ」と言われて「はい、そうですか」と喋れるくらいだったら、僕らも英会話でこんなに苦労はしていません。こんなの命令する方が無茶なのですが、別に朝鮮人全員に一律に強制命令が下されたわけではないでしょう。そんなことしても実効性ないし。そこで、一番やりやすい方針がとられます。言語学習の天才=子供達への日本語教育を徹底的に施すことです。年齢が若ければ若いほど迅速に言語を覚えます。年食った連中に幾ら頭ごなしに強制しても、覚えられないものは覚えられないでしょう。

 ということで、大人達に対してまで強制的に日本語を押しつけているわけではないでしょう。オフィシャルには、「奨励」はしたけど、「強制」はしていないのでしょう。しかし、それこそ”言葉の問題”で、陰に陽に、事実上強制することは可能です。例えば日本語を喋れた方が就職に有利だとか、役所や職場で優遇的な扱いをされるとかね。だからよりよい暮らしを求めて一生懸命日本語を勉強した朝鮮人だっていたと思います。また、インテリ層においては、先に近代化を果した日本に対する興味や研究は進んでいたといわれますから、別に”奨励”されなくたって日本語が出来た人はそれなりにいたでしょう。

 しかし、問題はそんなことではなく、自分以外の第三者によって、それも親とか知人ではなく国家、それも侵略者が作った国家によって、自分の価値観や文化、使う言葉をあれこれ指図されることでしょう。誰だってそうですけど、頭ごなしに指図されると、動物的な怒りがこみあげてきますよね。あなただって思春期の頃、親やら先生やらに頭ごなしに言われてムカついた気持ちを覚えているでしょう。何がそんなにムカつくのかといえば、自分が大事にしている価値観を否定されること、ひいては自分を否定されることへのムカつきです。機嫌良く音楽を聴いてたら、いきなり「こんな下らないモノを聞いてないで勉強しろ」と言われる。自分が「いいな」と思ってるものを、「下らないモノ」呼ばわりされたら本能的に怒りますよ。

 このあたりが原点であり、形式上”奨励”か”強制”なんか枝葉末節でしょう。余所からやってきて、いきなり自分達の文化や言葉を否定され、二級品扱いされたら、誰でも怒るよね。しかも、言語。母国語ではない第二言語を喋らないとならない。これがどれだけの苦痛と不便さを伴うかは、一回海外に暮したあなたにはよく分かるでしょう。僕の場合でも、わざわざ好きこのんでオーストラリアにやってきて、英語も中学の頃からさんざんやってきて、さらに上手に喋れたらカッコいいのになあと憧れ、日々努力している英語ですら、誰かに強制されたらイヤですよ。

 ところで、占領軍が、被占領人民に対して言語を強制する例は別に日本軍の専売特許ではありません。例えば過去の世界史シリーズでもポーランド語が禁止された例などもあります。占領軍がそのまま占領を続け、占領軍の言語が今も公用語としてのさばってるケースになったら枚挙にいとまがありません。アメリカだってオーストラリアだって英語押しつけてそのままだし、中南米はスペイン語かポルトガル語だし、アフリカなんかもそうでしょう。なんでそんなことをするのかといえば、これは推測ですが、大きく二つ理由があるでしょう。一つは、自分達の国として使うつもりだから居心地良くするため。アメリカやオーストラリアなんかそうですね。これは日本軍なんかよりももっとヒドく、先住民族に英語を教えて同化させようなんてハナから思っておらず、皆殺しにしちゃえばいいくらいに思ってる。逆にいえば皆殺しに出来るくらい軍事力に圧倒的に差がある場合です。

 もう一つは反抗活動を封殺するという治安維持的な目的でしょう。被占領民がいつまでも現地の言葉を使ってたら、何言ってるか分からないから恐いのでしょう。占領といっても、絶対数で言えば圧倒的に被占領人の方が多く、征服者はいわば権威にすがって君臨しているのですが、こういう立場にいると「陰で反乱を計画してるんじゃないか」とか「陰で笑ってるんじゃないか」とか疑心暗鬼になるもので、だから理解できる自分の言葉を喋らせたがるという。要するに後ろめたさの裏返しですね。復讐されるだけのことはしているって自覚があるから、恐いんでしょ。

 ただ、日本軍の場合は、単に言語の押しつけだけではなく、同化・皇民化政策をして、名前まで変えさせ、「日本人になれ」と言ってます。そこまでする必要あったのか?善意に解釈すれば、占領・被占領の分け隔てなく平等に扱ってるのだから、優れた方針だってことになるかもしれないけど、当時の日本人にそんな広大無辺な慈悲心があったとはあんまり思えない。実際、なんだかんだで朝鮮人は差別されまくっていたし、軍人だけではなく移住してきた日本の民間人が現地人を差別、軽蔑する傾向も強かったと言います。ま、これは今の僕ら日本人の性向を考えてもさもありなんと思います。日本人同士ですら、役所にいったらキャリア・ノンキャリ差別があり、民間いったら本社採用・現地採用の差別がありーのですからね。

 じゃあ、なぜそこまで同化にこだわったのかと言えば、潜在的な恐怖心だったと思います。単一民族的な状態でやってきたから、膨大な数の異民族に囲まれてると落ち着かなかったんでしょう。このあたり古代ローマ帝国とかイギリス人とか異民族征服歴数百年の老舗になると慣れたもので、異民族100人にたった一人で囲まれていても征服王として悠然と振る舞えるのでしょう。でも、新米の日本は慣れてないから、おっかなかったんじゃないかなって思います。新米教師が舐められまいとして妙に居丈高になるようなもん。ま、これは推測だけど。でも、そういう非論理的、感情的な理由がどっかにないと、ここまで非生産的な政策はしないんじゃなかろか。現地民の感情を逆撫でし、反乱のリスク値を上げるだけで実効性に乏しいという。



 言語と並んで評判が悪いのが創氏改名です。日本風の名前を名乗らせるというやつです。

 これも細かくいえば、前半の「創氏」と後半の「改名」は違う政策です。前者でいえば、朝鮮にはもともと姓はあったけど氏はなかった。日本人の名前システムに慣れ親しんでいると、”姓”と"氏”が違うといわれてもピンと来ませんが、本来なら日本もそうです。「ウチは源氏」とか平氏とか言いますが、家系のオリジンをいうのが"姓"であり、徳川とか織田とかいうのが”氏”です。朝鮮の場合、儒教的な父兄祭祀継承があるので、結婚しても夫婦で同じ姓を使うということはありえない。同じ姓を使うと父系・母系どっちなのか分からなくなるからです。ムチャクチャ男女差別がキツいからこそ夫婦別姓制度になってるという。また、同本同姓不婚=同じ本貫の同姓とは結婚しないことになってるので、「夫婦で同じ姓」なんてことは基本的にあってはならない。

 これを日本のような戸籍システム、ファミリーネームのもとで家単位で戸籍を作ろうとしたら、夫婦で同じ名前を使って欲しい。だからといって姓を同じにしようとか言ったら、社会の根本秩序をぶっ壊すことになるので、それも難しい。だから第三の名前としてのファミリーネーム、姓ではない「氏」を新たに「創る」ということで、創氏です。日本だって、明治維新までは武士階級以外には「氏」はなかったですから、「無ければ作ろう」ということもお手軽に出来たのかも知れません。ちなみに朝鮮人の姓は金とか朴など五大姓が殆どでいかにもバリエーションに乏しいようですが、氏ではない「姓」をいうなら、日本の場合も「源・平・藤・橘」の4つしかないからいい勝負ではあります。

 創氏の方はまだ民法制度上のテクニックなのですが、「改名」の方は日本風の名前に変えさせているわけで、これは反発ありますよね。「金」という姓があったら「金山」とか「金子」に変えさせるというやつです。創氏は必須でしたが、改名は"奨励”しただけです。が、「変えてくださいね〜」くらいのもの柔らかな言い方だったら、実行したのは僅か数%。それでも数%いたというのは驚きですけど、いずれにせよ全然話にならない。そこで”奨励”とは言いつつも、事実上強制に近くなっていきます。このへんのやり方は日本の役所は得意そうですよね。「別にやりたくなかったらやらなくたっていいんですよ〜」とか言いながら、言うこと聞かなかったら後でどんな意地悪されるかわからないという。ということで80%が日本風の名前に変えさせられています。それでも20%は頑固に抵抗したそうですが。


差別と抑圧、そして反抗


 日本軍の朝鮮半島支配が言語と名前だけに済むわけもなく、社会のあらゆる局面で差別が行われています。これはもう行われて当然というか、被征服民族を差別して自分達が甘い汁を吸わなかったら、いったい何のために大汗かいて占領したのか意味がないでしょう。

 上に日本が多額の資本を投下して朝鮮のインフラを整備し、順調な経済成長を促したわけですが、そういった現場で主として働いていたのは地元の朝鮮人であり、かなり厳しい条件で働かされていたようです。もともと資本主義勃興〜成長期において労働者は酷使される傾向があります。日本でも「蟹工船」的な悲惨さがあり、プロレタリア文学が興ったりしました。日本人同士でさえ酷使されていたのであれば、占領地域の被占領民に対しては尚更労働者の権利もヘチマもないような状況になっただろうことは想像に難くないです。初期には、賦役(無償労働)という奴隷さながらの状態もあったようです。だから、日本が朝鮮のインフラや経済を整備したといっても、それは朝鮮人労働者の犠牲の上に成り立っていたことも見落とすべきではないでしょう。

 また朝鮮の経済発展の恩恵を誰が得たかといえば、結局は朝鮮半島に進出した日本企業だったりするわけで、現地にいる日本人と朝鮮人の所得格差は歴然としていたでしょう。こういった状況のなかで収益をあげ、地歩を固めていったサムソン財閥創業者のような人もいたのですけど、一般には所得の公平な分配がなされていたとは思われないです。てか、公平な分配なんかやってたら、何のための植民地経営をしているのか分からないですもんね。植民地とは収奪搾取をするためのものですから。経済体制や土地所有制度の変革によって弾き出された朝鮮人が都市圏でスラムを構成したり、日本に来て仕事を探さざるを得なかったりということもあります。

 ちなみに海外に援助しながら、その援助金を結局日本人がゲットしてしまうという構造は今も昔も変わりません。ODAで現地に何か建築したとしても、その工事を請け負うのは日本企業だったりするわけで、結局お金は日本に戻ってきて現地に落ちない。オーストラリアの観光産業でも、日本人観光客がドッとやってきても、結局日本人の業者が請け負ってしまうから(日系ホテル、ツアー、お土産物屋)、地元の恩恵は少ないというのは昔から言われてます。右手でお金を払って左手で受け取っているという。エラそうに他人事のように言ってる場合ではなく、僕だって一歩間違えたらそうなります。日本人のワーホリさんのお世話をするわけですが、日系の学校とかサービスばかりを紹介してたら、結局地元経済には何の恩恵もないわけですからね。そればっかりやってたら結局地元からは浮いた存在になってしまいます。

 いずれにせよ植民地支配をしているのだから、地元朝鮮人に対しては一段下に見下すでしょうし、相手の都合を考えずにこちらの都合であれこれと便利遣いもしたでしょう。議論になっている従軍慰安婦問題やいわゆる強制連行にしたって、ビジネスチャンスとして参加した人だっているだろうし、無理矢理やらされた人だっていただろうけど、少なくとも被支配民族の自発的意志を100%尊重したってメルヘンはないでしょう。現代においてさえ、そして日本人同士でさえ、パワハラだセクハラだとあるわけですから、当時の朝鮮で全く何もなかったわけがない。それも戦局が泥沼化し、同胞日本人に対して玉砕だの特攻だのを命じていた日本政府の人命感覚からしたら、何もしてないわけがない。

 また、一個の人間として「差別された」「ヒドイ目にあった」というトラウマ感覚は、国の政策や法令など雲の上の出来事ではなく、もっと身近な局面、日常的な路上での接触なんかで感じると思うのですね。「蔑んだような目で見られた」というだけで、人は十分傷つく。海外に留学した日本人が、現地の白人達のパーティに参加しようとしたら、すごい可愛い金髪の女の子に、「あんたパーティ来る気?イエローモンキーのくせに」って思いっきり嘲笑されたら、どうですか?傷つくんじゃない?ヘタすりゃ一生のトラウマになろうし、「絶対許さない!」とそれで人生変わっちゃうこともあるでしょう。そこを「おーこわ、キツいネーちゃんだなあ」とか笑って済ませたり、言われたそばから肩に手を回して耳元で「食わず嫌いはいかんよ、キミ」と囁いたり、そのくらい出来たら流せるけど(そのくらいのタフさは欲しいけど)、誰もが出来るものではない。ましてや相手はプライド命の朝鮮民族ですから。実際、現地にいる日本の民間人の差別的言動が要らぬ反感を買いまくり、結果として植民地統治をしにくくしているということで、朝鮮総督府が日本人に対して「いい加減にしろ」と言ったこともあるそうです。


 当然のことながら、現地の朝鮮人の間で反日感情は広がり、独立のための活動が行われます。彼らにしてみれば”攘夷”であり、そりゃ当然やるよね。大きなところでは、1919年に3.1運動が起きます。復習になりますが、1919年に第一次大戦が終わったあと、ベルサイユ体制になったわけですよね。そこで国連(連盟)が出来たり、民族自決理念が提唱されて独立ラッシュになったりしたわけで、そういう世界の趨勢は朝鮮半島にも伝わってきています。もっともその当時の日本は、朝鮮半島ではエラそうに振る舞ってはいるものの、世界レベルでは殆ど相手にしてもらってませんし、山東半島の利権争いでアメリカと中国との間で険悪になります。

 さて、この3.1独立運動ですが、一年以上続き、暴動と鎮圧の繰り返しで、万・千単位の逮捕・死傷者を出しています。このあたりの成り行きは中南米にせよ、ロシアのチェチェンにせよ世界共通であり、独立・反政府のゲリラ活動と政府側の意地クソになったモグラ叩き的な弾圧のいたちごっこになります。朝鮮総督府も、強硬策だけでは実効性が薄いことを痛感し、朝鮮人の権利を認める懐柔策が行われ、表現の自由などいっとき広く認められたりもしますが、日中戦争が泥沼化するにつれてそんなことも言ってられなくなり、また厳しい締め付けが行われると。一方”攘夷”をやってる人達は、反政府ゲリラとなり、日本軍の影響力の薄い北部に行き、そこでソ連や中国と合流し、抗日活動を続けていきます。この一連の抗日ゲリラ活動の英雄達が、例えば中国の毛沢東であり、北朝鮮の偉大なる首領様初代の金日成だったりするわけですね。

 そして、第二次大戦終了。怒濤のように北から押し寄せてくるロシア軍、中国軍に追われ、はるばる満州から半島を通って多くの日本人が引き揚げるわけですが、道半ばにして行き倒れたり、あるいは捉えられて抑留されたり、その場でむごたらしく殺されたり、あるいは親と離ればなれになった子供達が中国残留孤児として育てられたりしています。


日本統治時代について

 1910年の日韓併合から1945年の日本の敗戦までの36年間、朝鮮半島は日本国の一部になり、そこに住んでいた人達は"日本人”として扱われるようになりました。これはある意味、植民地や軍事占領よりもヒドイことであり、植民地政策としては愚策だったと思います。武力占領や植民地は、まだしも朝鮮という国や朝鮮人としての民族的アイデンティを認めつつ、軍事力や経済・政治力で圧倒、支配するわけで、良いことではないにせよ多少の救いはあります。なぜなら、「喧嘩で負けたから無理矢理言うことをきかされた」というシンプルな話ですから、精神的なトラウマは浅い。

 ところが、民族的アイデンティティを全否定してしまうのは単に喧嘩の勝ち負け以上の傷を残します。自分のアイデンティティを否定されたり、頭ごなしに新しいアイデンティティを押しつけられたら、普通人間というのは気が狂ったみたいに抵抗します。敗戦後日本が連合軍に占領されていたときだって、日本国の存在や日本人のアイデンティティは否定されなかったし、何をどうされても「勝負で負けたんだから仕方がない」という心の持って行きようがあった。それを、お前は今日からアメリカ人だ、日本語使ったら処罰する、名前もそんなヘンな名前ではなくジェームスとかボブにしろとか変えさせられたら、やっぱりイヤでしょう。まあ、英語だったらまだそんなにイヤじゃないかもしれないけど(芸名で名乗ってるくらいだし)、これが金とか趙とかいう名前、あるいはグアンなどのベトナム名にさせられたらイヤじゃないですか?

 まあ、当時は帝国主義バリバリで、食うか食われるかという修羅の時代だったから、他国を軍事・経済的に支配するところまでは、まだいいでしょう。良かあないけど、まだ他の西欧諸国もやっている。朝鮮半島をロシアその他の国に取られてしまったら、日本の軍事的安全性は危うくなるというのも分かるし、大陸侵略の足がかりにしようという意図も分かる。でも、それならそれでやりようがあっただろうということです。別に朝鮮というアイデンティを認めつつ、目的を達成する方法は幾らでもあっただろうに。日本人と同等の権利義務を与えるというのは、それは何処の植民地でもそうだし、それなりの法的手続きを取ればいい。

 それに、朝鮮の歴史をちょっとかじってみたら、歴代熾烈な内部抗争をやっており、その内部抗争につけ込む形でこちらも侵略したのだから、個々人としての彼らがいかに好戦的で、喧嘩っぱやくて、情緒論理に支配されがちで、頑固であるかわかっていた筈です。わかってたら彼らのプライドを傷つけるという一番やってはいけない愚策を選ぶことはなかったと思います。逆に「朝鮮の最大の理解者は日本」くらいのノリで入っていって、むしろ兄貴分として立てるくらいの感じで親日的にし向けていった方が、統治コストや効率性という意味から断然優れていたはずです。いっときそういう流れもあったのですが、結局は続かず、傷に塩を塗り込むような最悪のやり方をやっていったという。脳味噌ついてんのか?と問いただしたいくらいです。この根本的な部分がダメダメだから、あとは幾ら朝鮮人民のために良いことをしてあげても、全く感謝されません。されるわけないよ。このあたりの人間心理の機微がなぜ分からんのかな。

 直感的、思いつきの比喩でいえば、全体として、モテない&イケてない男(女)の臭いがしますね。女の子にモテないからストーカーを繰り返し、最後には実力行使。拉致して、監禁しちゃう。監禁している間、美味しいゴハンを食べさせてあげたり、服を買ってあげたりしますが、捕まってる女の子からは感謝されません。幾らあれこれ買い与えて、ご機嫌を取ろうとしても、心を開いてくれません。そりゃそうだよね。で、ブチ切れて、「こんなにしてあげているのに、どうして僕の気持ちが分からなんだ!」でボコボコに殴る蹴るの暴行を働く。興奮が醒めると、血まみれの彼女を抱きしめて「ごめんね、痛かった?でも、キミも悪いんだよ、僕はキミのためを思って」とか言ってる男。かなりアブナイですよね。てか、異常犯罪者そのものですけど。

 前半で触れたように、統治時代、日本はかなりの資本を投下して韓国インフラを整備し、経済発展に寄与しています。これだけやってれば感謝されても良さそうなのに、逆に恨み骨髄状態で憎まれている。なぜか?根本的なところでボタンが掛け違っているからでしょう。拉致監禁ケースで、監禁犯人が「食事もちゃんと与えているし、ブランド品も買ってあげた」「僕は彼女にたくさんしてあげているのです、感謝して貰いたいくらいですよ」とうそぶいているようなものです。誘拐犯人が人質に食事を上げたからと言って、それを感謝する人質もいないし、「なるほど多少はいいところもあるんだ」と頷く裁判官もいない。周囲からはそう見えているのに、本人だけがなんで恨まれるのか理解できてない。

 この「いろいろしてやってるんだ」「何が不満なんだ」というのは、すっごくありがちな勘違いで、別に戦争に限らず、男に限らず、あらゆる局面であります。やってる側としては本当にやってるように思うのですよね。でもやられてる側からしたら、本質的な部分で人間として認めてもらってないから、あとは何をやられても恨みこそすれ感謝はしない。部下から今ひとつ人望を得られない上司、ヨメさんから離婚を切り出される夫、子供から反抗される親、、、「こんなにやってあげているのに!」と思うんだけど、空回りしてしまう。

 今日もネットその他で、日本と韓国とで双方口汚く罵ったりしてますが、前にも書きましたが、あれやってる人って日韓双方とも似たようなタイプの人がやってるんだと思いますね。実際の普通の素朴な日韓人同士は、普通に仲良しですよ。性格似てるから、こっちに来れば仲良くなります。日韓人の二色弁当状態のシェアなんか幾らでもある。他民族との圧倒的なギャップに比べれば日韓の差なんか”微差”ですもんね。だから、日韓双方でワーワー言ってるのは、実は少数派だと思うし、人間のタイプでいえば、言っちゃ悪いけどモテない系。

 なんでモテないかといえば、本質的なところで相手に対するレスペクトや理解がないからでしょう。根っこの部分で自己中なんだわ。あれこれ必死に努力するけど全然モテない人もいれば、似たようなルックス、収入、センスでありながらも、やたらモテて、貢ぐどころからヒモ同然に貢がれ、あれこれ乗り換えながらも、それでも悪く思われない人もいます。その差はなんなんだ?ってことです。いかにも外見的にモテて当然という奴がモテるのではなく、一見パッとしないのだけどすごいモテる人というのは、たぶん本質的な部分で女性を賛美しているからでしょう。心の底から賛美してるから、常に相手の気持ちにシンクロしようとし、相手がやって欲しいこと、言って欲しいことが分かる。もう努力しなくても自然とそうなっちゃう。だから何を言ってもやってもイヤミににならない、空回りしない。多分、そういう人は「モテたい」とすら思ってないでしょうし、モテること自体に何の価値も感じてないでしょう。なぜなら「モテる」ことがイイコトだと思うのは、煎じ詰めれば結局はテメーの都合ですからね。「モテる俺はイケてる」っていい気分に浸りたいとか、一人だと寂しいからとか、端的に性欲とか。

 そういえば、戦時中の日本の振る舞いのネガティブな面を指摘すると「自虐史観」とか言われますね。自虐的に誇張する必要は全くないと思いますし、是は是、非は非、どうしようもないことはどうしようもないってやってくしかないと思います。でも、ちょっとでもネガティブだったら、自虐だなんだでキャーキャー言い、何が何でも日本は悪くないんだと強弁するのもなんだかなと思います。同じように韓国側で、郵便ポストが赤いのも全部日本人が悪いんだと何もかも日本のせいにする人もいますが、これも合わせ鏡のように似たり寄ったり。こういう手前勝手な史観をなんというのかわかりませんが、自虐史観に対置するなら自慰史観でしょうかね。ひとりよがりで自分だけが気持ちイイという。


  キリスト教〜西欧史〜現代世界のINDEXは→こちら

  長くなってきたのでまとめて別紙にしました。



文責:田村




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