僕らはネットで情報を集め、人の意見を聞き、分析したり、慎重に考えて計画を立て、何かの行動を起こします。人生とはその積み重ねであるように考えがちですが、実は意外とそんなことはなく、人生において重要な問題の殆どは偶然の作用によって決まってるように思います。それが重要な問題であればあるほどテキトーに決まってる。逆に、どうでもいい些細な問題であればあるほど、情報収集→分析→計画→実行という綿密なパターンで決まるという。ちょっとした小旅行や買物は、この情報分析パターンが通用するけど、大きな問題になればなるほど通用しなくなる。
なぜなら、人生において最も重要な問題は、@いつの時代に、どこで、誰の子供として、どういう肉体的特徴で生まれるか、Aいつどこでどうやって死ぬか、でしょう。これ以上重大な問題はないでしょう。しかしこれらのことって偶然でしょ。まあ、前世の行いがどうのという法則性や必然性はあるのかもしれないけど、それは結局は今の時点では分りようもなく、変更のしようもないから、偶然とほぼ同じ事でしょう。A何時死ぬかは、多少はコントロールの余地はあるかもしれないけど(在宅で死ぬかとか自殺するかとか)、圧倒的大多数の死因である発病や老衰の時期なんか分りようもない。事故死なんかもある。まさに神のみぞ知る領域。この時期に、日本で、今の両親のもとに生まれ、こんな顔で、こんな肉体で生まれてきたというのも偶然。
まあ、これは「決める」もヘチマもなく、どーしよーもないことだから対象外にしても良いのだけど、でも、自分の人生のあり方を決定する要因のうち半分くらいは自分の手の届かないところで決まってるということですよね。だから人生100%コントロールしようなんて絶対に不可能だということです。それを「神の御心」と呼ぼうが「仏のおぼしめし」と呼ぼうが、そこは趣味ですが、自分が頑張って決められる領域なんか、最初っから半分くらいしかないのだ。中には胎児のうちに流産しちゃったという100%自分が関与できないうちに終わってしまうケースだってあるし。
何を言いたいかというと、だから全てを神に委ねよとか、自分で考えて生きていくのはムダだとかいう宿命論を言ってるわけではないです。ただ、なんでもかんでも自分で背負わなくてもいいんじゃないの?ってことです。ここ微妙なところなんだけど、確かに努力次第で人生が開けていくのも事実だし、そう思うことはとても大事なことです。それは否定しないどころか、称揚します。でも、あまりにプレッシャーに思うこともない、100%ピチピチに隙間なく考えてしまうとしんどくなるよ、また自分が全部コントロール出来ると思うのはとんでもない思い上がりだということです。
次に、生死の次に人生で大事なこと、つまり結婚であったり、就職であったり、住まいであったり、よき友に恵まれたり、素晴らしい趣味や自分の世界を見付けることであったり、、という一群がありますよね。このうち、どのくらい自分の意思や計画が反映され、どのくらい偶然性が作用しているか、よーく考えてみてください。もとをただせばただの偶然だったりしませんか?フェバリットな作家に出会うのも、ふとした気まぐれで手に取ったり、友達に無理やり押しつけられたりして出会ったりするし、友人関係なんかもたまたま同じクラスだったとか、たまたま席が近かった、家が近かったとかいう偶然です。「私に相応しい友達は、、、」と全校生徒のデーターを打ち込んで解析して友達作ってる人なんかいないでしょ。
就職だって、頑張ってそれなりに計画を立てて就活とかやってるようだけど、最終的に決まっているのは偶然だったりしませんか。そりゃ、子供の頃から医者になりたいとか、東大〜官僚になるんだと思ってその通りやってる人もいるでしょう。でもそんなのは比率からしたらごくごく一部であり、圧倒的大多数は「結局内定が取れたのはココだけ」みたいな感じでしょう。親の仕事ぶりをみていて自然とその道に入ったとか、世襲制的なものは、その家に生まれついたという偶然のセッティングが強く影響します。それに首尾良く希望の会社に入れたとしても、そこでどういう部局に廻されるか、どういう日常が待っているかはかなり偶然。電機メーカーに就職した筈だったのに、いつのまにかハッピ着て旅館で番頭やってたりするわけですよ。
こんなこと、オトナだったら言わなくても分ることなんだろうけど、好きでその仕事やってる人なんかそうそう居ないよ。試しに今日一日、朝起きてから通勤電車に乗って、働いて、そのへんで昼飯食って、帰って寝るまでの間、目に映る数百数千人の「働く人々」を見てください。それこそ自動販売機でコーラを補充しているお兄ちゃんから、キオスクのおばちゃんから、道路工事の作業員から、、、このうち、好きで好きでその仕事をやってそうな人ってどのくらいいますか?「子供の頃からキオスクで働くのが夢でした」という人、まあ居るかもしれんけど、どのくらい居ると思います?殆どいなさそうでしょう。じゃあ、なんでその仕事やってんの?というと、何となくの巡り合わせでしょう。偶然ですよ、偶然。
じゃあ、偶然にそうなっていて、それで不幸か?というと、別にそんなこともないのよ。試しに聞いてごらんよ、「今の仕事、どうですか?」って。そりゃ100%大満足って人は少ないかもしれないけど、毎日が地獄という人もまた少ないでしょう。「や、結構いいんじゃないかな、給料はそこそこだけど、廻りの人がいい人達なので、結構楽しいですよ」とか。僕も仕事柄、毎週のように仕事をやめてワーホリに来ている人とお話ししますけど、前の仕事がイヤでイヤでたまらなかったという人の割合ってそんなに多くないです。意外と肯定的な人が多いですよ。逆に、第一志望!で入ったものの、「こんな筈じゃ、、、」というケースは多い。というか第一志望の方が期待が高いだけに挫折度や不遇感も強い。結局、ハッピーになるのが最終目的なんだとしたら、偶然であろうがなかろうが結果に大差ないんじゃないの?って気がするのですよ。
だからといって、計画たてるな、意欲を持つな、努力するなってことは言ってるんじゃないのですよ(わかるよね)。あまりにも100%を期してこだわりなさんなってことです。人生至る所に青山ありであり、東西南北どこにいってもそれなりにハッピーになれます。自分の頭を使って能動的に生きるという姿勢はとても大事なことだから、それは維持すればいいのだけど、「○○でないと絶対に幸福になれない!」とか思い詰めない方がいい。間違ってるから。
だから、そうですねー、あんまり競馬に詳しくない素人に毛が生えたくらいの人が、競馬新聞必死に読んでるような感じ?ですか。素人同然だから競馬新聞読もうが読むまいが結果にそんなに差はないのよね。全く何も考えずに、「じゃ、一番人気」とか賭けている場合に比べてそれほど勝率に差がつくものでもないでしょう。どうかすると考えすぎて逆に勝率が下がるくらいです。でも、そうやって頑張って研究するのが楽しいんだよね、結果はどうあれ。それに学ぶし。素人の株取引でも、儲かるかどうかというより欲にかられて日本経済を真面目に考えるから学べるというメリットの方が大きい。
だもんで、オトナは分ってると思うけど、まだ学校を出るか出ないかのイタイケな青年諸君に申し上げたいのは、就活とかやってるのは、あれも所詮は趣味の問題って距離を置いた方がいいってことです。そんなさー、社会に出てもいない若造に何が分るの?イメージだけでしょ?。大体10年前の人気企業ランキングなんかガラッと逆転してたりするじゃん、常に。ということは、ほぼコンスタントに間違えているってことでしょ。しょせんガキに先見の明なんかないよ、オトナだって無いのに。昔っから炭坑入っちゃ潰れ、国鉄に入っちゃ分割民営化され。いま話題のかんぽの宿だって、働いている職員の方々のお気持ちは複雑だと思いますよ。安定した公務員のつもりで入ったのだろうけど、安定どころか台風の目のようになってしまっている。だからあんまり気負わず、競馬新聞的に趣味でやってるくらいに思ってて丁度いいと思います。決定的なことは、天の配剤、天の声、偶然が決めてくれます。そして、それでいいの。
さて、ここまで書けばもうお分かりですが、話が結婚とか恋人とかになると、もう就職以上に激しく偶然の世界になります。恋愛対象者においてはエントリーシートも、会社四季報もないです。だから、考えたってしゃーないでしょ、という。まあ、偉大なる偶然のお力で何とかなるんじゃないの?というのが、もっともリアルな姿に近いのではなかろうか。このあたりは、もはや多言を要することもないでしょう。
で、結局「婚活」って何をするの?何をどう「活動」するの?というと、これといった特効薬もないわけでしょ。冒頭で書いた「「婚活」時代」の紹介によれば、「自分を磨こう」とか、「出会いの場を増やそう」とか、「要求水準を見直そう」とか、いわば当たり前のことばかりです。まあ、当たり前にみえることほど真理であるから、それはそれで良いです。でも、これらのことって、別に結婚活動であろうがなかろうが誰にとっても日々必要なことじゃないのですかね?自分を磨くことも、多くの人々に出会うことも、独善的な基準を見直すことも、どれもこれも普通に必要なことばかりです。それは結婚してたって必要でしょ。「出会い」というのは何も結婚につながる異性に限らず、同性の友人だって、師匠的な存在だって、日々の仕事のお客さんだって、人との出会いを大事にするのは基本でしょう。
そういった事柄は大いに奨励されてしかるべきなんですけど、でも、それって「活動」なの?だから、結局「婚活なんか無い」ってのがオチじゃないんですかね。若年層の経済格差の拡大や、雇用機会均等による晩婚化などの社会現象を書いていて、さて本にするにあたって「売れそうなタイトル」を考えて、「婚活」というのが出てきた、、、というのが、実際のところではなかろうか。それか最初から売れることを目指して書いたか。いずれにせよ、商業コピーめいたタイトルがあり、これといった実態があるわけでもないのではなかろうか。
あとですね、結婚に対して、「活動」という、何らかのマニュアルどおりの行動をすれば一定の結果に至りうるという思うこと自体が人生を舐めてる(という言い方がキツイならば人生の奥行きに対する理解が浅いとでも言おうか)としか思えないし、それは「自分を磨く=他人から愛されるだけの実質を備える」ということと対極にあるようなことじゃないのか。また、利害打算でうごめいてる人の姿は客観的に見れば醜悪であり、「活動〜!」とかいってワサワサやればやるほど自身のイヤらしいオーラが出てきちゃって逆効果なんじゃないのという気もします。動機が自己中であるならば、やればやるほど「私は自己中な人間です」と喧伝して廻ってるようなもんじゃないのか。
そこで「活動」らしきものとなれば、合コンとか結婚相談所とかその種の話になるでしょう。しかし、昔から結婚相談所的なシステムが革命的な効果をあげたという話を僕は知らない。僕が無知だからしらないだけかもしれないけど。でもね、以前、自己破産の管財人をやったことがあるのですよ。地道に働いている30代の工員さんで負債総額2000万円。でも自宅は6畳とキッチンだけの地味な賃貸アパート。いわゆるバブル時期のクレサラ破産で借りようと思ったら幾らでも借りられた時代の自転車操業の果てです。管財事件が終わるまで(殆どやることもなかったが)、管財人になった僕のところに郵便物が届けられるのですが、その郵便物の9割がこの種の結婚相談所の美しいパンフレットでした。船上パーティとかね、細かい活字で山ほど企画が印刷されていました。それがまた、なんともうら寂しい感じがして、以来結婚相談所ときくとこの光景が浮かびます。もちろんこの一件で何が分るというわけではないですよ。
しかし、婚活がブームとやらになって日本人の成婚率が上がったかどうかは分らないけど、結婚相談所にまつわるトラブルは増加したみたいですね。
「婚活ブーム」の一方で 結婚紹介業への苦情増加などです。苦情の内容などを調査するため国まで動いてますね。経済産業省によれば
「結婚相談業・結婚情報サービス業における苦情・相談内容に関する調査報告書」についてというのを刊行し、これをダウンロードして読んでみると、「市場規模は、500〜600 億円、全国に約3,700〜3,900 程度の事業者が存在し、約7割が個人事業者である。これらのサービスに入会している会員は、約60 万人程度(男性が約6割)と思われる」とのことです。「ブーム」という割には60万人(そのうち重複加入もあるだろうし)、日本人全体の0.5%なわけですね。200人に一人がブームかい?苦情内容は解約時の問題が多いようですな。そこで、結婚相談所の指導育成のために
NPO法人全国結婚相談業教育センターを立ち上げ、「仲人士」という業界資格の資格認定をやってるそうです。また、
結婚相談業サポート協会という業界団体があったりします。 なんかスゴイことになってるのね、、、という。
あ、ところで、僕は結婚相談所が一概にインチキだとか悪徳だとか決めつける気はないです(なんか決めつけてる人も多いみたいだけど)。苦情レポートを見ても10%近くはまあ満足してるわけだし、0.5%とはいえ絶対数では60万人のニーズがあるわけですから、真面目にやたってそこそこのマーケットではあるわけです。それに苦情といっても、最初から要求水準が高すぎるからトラブルになっているというケースも多々あろうし、そのあたりはなんとも言えないでしょうね。
ところで経済産業省にせよ、業界団体にせよ、冒頭に書いていることは、「少子化の進展を食い止める上では、出産後の子育て支援に係る対策を講じるのみならず、「結婚して家庭を持つ」ことに対する支援も極めて重要との観点から〜」という、国の少子化対策という”国策”にのっとってやってるわけですね。憂国の施策というか、余計なお世話というか、、、、。でもねー、なーんか胡散臭いんだわ。仕組まれてる感じがするよなー。政府財政が火の車で福祉にあてる財源が乏しいときに「自己責任論」が唱えられたりさ。今回の婚活だって、「女は家に入って子供を産め」というポリシーをお持ちの自民党の長老さん達と自民党御用達の電通あたりが仕掛けてるんじゃないのかね。だってさー、沢山結婚してくれた方が国は助かりますよね。専業主婦やってもらえれば失業保険も出さなくてもいいし、失業率の上昇に歯止めがかかるし、ブライダル景気促進になるし、それに老年介護のための無料の労働力が増えるしさ、なによりも従順で保守的な国民が増えた方が御しやすいでしょうよ。
一方、仕事が超多忙でとてもじゃないけど出会うキッカケがないって人もいるでしょう。昔からそういう場合には、上司の娘あたりと結婚したり、親や近所のお節介なおばちゃんが見合い話を持ってきたんだけど、最近ではそういうケースも少ないのでしょうか。だからそういった人が適度にご利用になる分には悪い事じゃないとは思います。もっとも、「忙しくて〜」というのは注意が必要で、幾ら忙しくてもやってる奴はやっている。僕自身も一番忙しいときに一番あれこれありましたからね。それに仕事多忙で出会いがないのが真剣に苦痛でたまらないなら、転職するなりなんなり考えどころではあるでしょう。これはより大きなライフマメジメントの話ですけど。
それと、経済格差やら、不況やら、将来設計やらが婚活に向かわす動機らしいけど、一見もっともなようで、よく考えたら嘘くさいですよ。ふーん、じゃあ、世の中乱れたら結婚できないわけ?じゃあ、失業率70%とか内戦ばっかりという日本とは比較にならないような厳しい状況の発展途上国の出生率がえらく高いのはどういうわけなのさ?日本中焼け野原になって餓死者がゴロゴロしていた終戦直後にベビーブームが起きいるんですけどね。世の中がハードになればなるほど男女がくっつく率はむしろ高まる。平和で安定してる時の方がむしろ少ない。それは先進国の方が一様に婚姻率、出生率が低いことからも明らかでしょう。婚活なんて旗振らなくたって、関東大震災が起きて、ついでに富士山も爆発して、日本が崩壊したら成婚率高まりますよ。まあ、そのときは届ける役所もないし、誰もそんなこと気にしないだろうけどさ。
以上、総じて言えば、婚活が「ブーム」というほどの社会事象になってるのかどうかちょっぴり疑問ですね。周辺の評論家とか、業者さんとか、マスコミとか、少子化に悩む国とか、業界団体とかが盛り上がってるだけで、肝心の中心部分はドーナツ空洞化してるんじゃないのか?って気もします。まあ、「ブームだ!」って言われてその気になっちゃった気のいいアンちゃんやネーちゃん達もいるとは思うのですが、その数は実際のところそれほど多くはないんじゃないかと思うのだけど、どんなもんですかね?