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今週の1枚(08.06.09)
ESSAY 363 : 日本帰省記(4) 南紀白浜アドベンチャーワールド+雑感
写真は、大阪駅。まあ、見れば分かるか。こういう毎日見ている普通の写真を撮りたかったので。
日本帰省シリーズの4週目。これで終わりにする予定です。
白浜アドベンチャーワールド
白浜アドベンチャーワールドのサイト
や、別にすごいことを書くわけではなく、「行ったら面白かったよー」という他愛のないお話です。
関西圏の方には有名でしょうが、白浜アドベンチャーワールドというのは動物園と水族館と遊園地が合体した施設で、イルカ君がピョーンと飛び跳ねて、サファリパークにはライオンがアクビしていて、観覧車が廻っているというところです。関東圏の方は、千葉県の鴨川シーワールドを連想されたらよろしいかと。
ちなみに高校まで関東圏に育った僕は、子供の頃に連れて行ったもらった鴨川シーワールドの印象が強く残っています。また鴨川からちょっと離れたところにも「白浜」という場所があるんですよね。この南紀白浜と房総白浜ですが、位置的にも妙に似通っています。地図でいうと、「都会(東京/大阪)から右(東)にある半島(房総半島/紀伊半島)を南下し、半島の左下あたり」という意味では同じです。そこに同じ「白浜」という名前の海に面した観光地があり、それほど遠くないところにイルカ君ぴょーん系の施設があるという。大人になって関西に越してきてから、「ふーん、関西にも白浜ってあるんだ」「げげ、似たような施設がある」とビックリした記憶があります。東西で似てるといえば神戸と横浜もそうですね。埠頭に公園があり(メリケン波止場・山下公園)、南京町があって、元町があるという。まあ、これは町の成立過程が似てるから同じになっても不思議ではないですけど。今でも、「白浜」と聞くと東西二つのエリアが頭に立ち上がってきます。
さて、このイルカ君と観覧車グルグルですが子供用アトラクションのようでいて、大人も楽しめます。というか、大人の方が楽しめるかもしれないです。アドベンチャーワールドは大人になってから何度か行きましたけど、「一回行ったからもういいや」って気分にならず、「また機会があったら行きたいなー」と思わせてくれますし、今回もそうでした。結構オススメです。ディズニーランドやユニバーサルスタジオは別に行きたいとも思わないけど、やっぱ動物はいいです。
この種の施設というのは、まず最初にドーンと入場料を取られて、入ってからまたなんだかんだでお金を取られて、、というイメージがありますが、アドベンチャーワールドは入場料だけでも結構楽しめます。大人3800円は決して安くはないですが、海獣館でのイルカやアシカのショー、パンダ、動物サファリなどは全部この入場料に含まれているので無料です。これだけでも結構お腹いっぱいになります。勿論、プラスアルファのコースや乗り物などもありますが、別に利用しなければ来た意味がないということはなく、基本的に入場料だけでいいと思えば高くもないでしょう(白浜駅やホテルなどで割引券=200円引きが買えます)。
でもって、お約束のイルカ君ぴょーんですが、以前来たときは弁慶君という巨大なシャチがいて、これが目玉になっていたのですが、残念ながら亡くなってしまったそうです。いやー、ほんと巨大だったんだわ。小型のバスくらいあったような記憶がある。シャチ君亡き後、イルカ君達が気を吐いていました。イルカ君やトレーナーさんの数も昔見たときよりも倍増していて、全頭が一斉に飛び上がったり、またジミだけど難易度の高そうなシンクロナイズド・スイミングを披露したり、趣向を凝らしていました。
まあ、イルカショーというのは昔からあるわけで、「何も今更書かなくても?」という向きもあるでしょう。そうなんだけどねー、でも、素朴に見たら凄いですよ。「イルカがそこに居る」というだけで感動してしまう。ショーの最初に「イルカ君の登場です」というアナウンスとともにイルカ君が水中を泳いでくるのですが、もうそれだけで感動しちゃう。なんかバカみたいだけどさ。でも、嘘みたいに速い。もう弾丸みたい。まあ、イルカなんだから当たり前なんだけど。でも、目の前に人間の速度世界とは全然別次元に属する生き物が存在するってことは、スゴイことじゃないですか?「なんであんなモノがこの世にあるのか?」って気にならない?
えー、ここでちょっとオッサン臭いことを言いますと、若いうちは「珍しいモノを見るんだ!」「新しいモノを!」という、どれだけ突き進んだか?ってアグレッシブな感じでいたわけです。「常に新しい刺激を求めて」というマスコミ的なノリです。だからもう一回知ってしまったものにはそんなに興味を感じない。「あー?イルカ?ああ、見た見た、知ってる知ってる」って感じだったんですよね。「何を今更」って。しかしながら、トシを取ると段々そういったガッツいたノリが薄れてきますよね。逆に、そーゆーのがガキっぽい功名心のようにも思えてくる。
だいたい知ってりゃいいってモンじゃないのよね。ちょっと知ってるだけで「あー、はいはい」と全てがわかったように思うのは、やっぱり若僧的メンタリティなんでしょうね。なぜかというと、ガキの頃は、自分が無知でヘタレなのを本能的に知ってるから、一生懸命背伸びしなきゃいけない。だから「ふん、そんなの知ってるよ!」って虚勢を張る(本人は虚勢だと思ってないけど)。「○○も知っている俺」「既に○○体験済みのオレ様」という感じね。でも、こーゆー心理というのは、童貞を捨てた男が「オレだって!」とイキがったり、中坊が無理してタバコ吸ってるのと根本的には同じでしょ?。それに自分を立たせるのに精一杯だから、結局いつだって興味があるのは自分だけなんだわ。何をやっても、何を見ても、全部自分、自分、自分。自分しか興味がない。自分に箔を付けるために色々見聞や体験をするという。精神年齢16歳レベルだと思うけど、でも、いい年しながら、いつまでもこのメンタリティから抜け切れていない人っていませんか?いや、かくいう僕だって、そういう所は濃厚に持ってます。だから近親憎悪的によく分かるという。
でも、年齢的なものに関係なく、こーゆー風潮ってありますよね。
資本主義的な消費社会、商業主義の宿命なんかもしれんけど、人間を成長させない。成長されるとモノが売れないですから。
成熟した人間はナチュラルに自信があるから、ヒヨワな自分をそのまま認められるし、受け入れられる。ダメな自分を誤魔化したり、補完したりするためにモノを買ったりしない。自分を飾るためにコストやエネルギーを使わなくなった分、目の前に展開している「世界」がよく見えるようになり、そしてそれだけで十分ハッピーになれることもわかってくるのでしょう。
「お金では買えないモノもある」というと、いかにも偽善的・理想的な響きがあるけど、本当は金で買えるモノの方が少ないです。どーでもいいようなモノほどお金で買え、大事なモノほど売ってない。そんなの1秒で論証できます。だって、この世で一番根源的で一番大事なものは何かというと、「自分がこの世に存在すること」でしょう。自分が存在しなければこうやって考えることも欲することもないんだから、やっぱ原点でしょう。でも、自分はなんで存在するの?というと、別にお金で買ったわけじゃないんだよね。無料じゃん。一番大事なモノが無料だったら、あとは大したことないじゃん。そりゃ、メシを食うとか病気を治すとかいう自分のメンテナンスにはお金がかかりますよ。でも、根源的な存在そのものは無料。ときとして自分の命よりも大事に思える恋人や家族も、その存在そのものは無料。そして、太陽も、大地も、空気も、遺伝子も、消化酵素も、時の流れも、力学法則も全部無料。世界そのものが無料で存在し、無料で進んでいきます。だったら別にいいじゃん。「金で買えないモノはない」というなら、じゃあ太陽買ってみな、太平洋買ってみ、重力を買ってみなさいな。
成熟して満たされた個体は、ある日気付いてしまうのですね。「別に要らんじゃん」って。一旦そう思えてしまうと、陳列棚の商品がいかにもチャチなガラクタに見えてきてしまう。そこまで極端ではなくても、まあ物欲は減退しますよね。でも、それじゃ資本主義は困るわけです。皆がみな、悟りを開いた坊主みたいになっちゃったら誰もモノを買ってくれないもんね。あんまり成長してもらったら困るわけです。そこで、未熟な精神段階に押しとどめるべく、「お前は未熟」「まだまだ足りない」「○○してないと恥ずかしい」「えー、こんなもん知らないの?」「皆に笑われているぞ」とばかりに不安心理をかきたて、未熟感不足感を刻み込み、でもって「救われたかったら○○を買いなさい」という具合にもっていく。精神的なローキックの連続で足腰をヘロヘロにさせ、バランスを崩しておいて、売りつけるという。まあ、一種の霊感商法だよね。「タタリがあります」→「だから○○を買え」という。近代柔道を完成させた嘉納治五郎の天才性は、ワザをかけるまえに「崩し」というプロセスがあるということに気づき、これをわかりやすく理論化し、教えた点にあるとされますが、それと同じ。まず相手のバランスを崩す、しかる後にワザをかける。「子供だまし」という言葉があるけど、子供は騙しやすく、大人は乗せにくい。子供はバランスが悪いからワザがかかりやすいけど、大人はバランスがいいから、ちょっとやそっと仕掛けてもバランスが崩れてくれない。だから乗せにくい。田舎から東京に出てきたばかりの青年が不安心理でバランス崩して、雑誌のいうとおり最新ファッションで武装するのと一緒。
そんなこんなでバランス崩されて、真っ直ぐ世界を見られなくなる。知らず知らずのうちに頭の中の情報処理パターンが歪んできて、例えば常に新しい刺激を求めるようになってしまう。「最近日本では○○が流行ってる」とか、そんなことばっかり口走るようになる。センセーション・シーカーっていうらしいけど。ずっと昔のエッセイにも書きましたけど、大体なんでオーストラリアに来たかというと、この「あー、知ってる知ってる」という「無感動病」にかかってる自分がヤバいと思ったからです。沖縄の海を見ても、きれいだなーと思うけど感動せず、「このあたりは坪幾らかな」とか下らないことを考えている自分の感性摩耗状況に危機感を感じたという。デジタル的な”情報処理”をやって、それで”一件落着”にしているおのれのアホさ加減に気付いた。真正面からちゃんと見ようと。
その甲斐があったのか、それとも単にオッサンになっただけなのか、ともかくは前よりは真っ直ぐに感動できるようになったと思います。昔よりもピュアに物が見えるようになった(ような気がする)。といっても、古の人生の達人が、路傍にひっそりと咲く雑草の花の、そのあまりの可憐さに涙をこぼす、、、という境地までには何万マイルもありますが、それでも、よくよく見れば世界は驚異に満ちているということはオボロゲには分かる。「なんでこんなモンがあるの?」という。でもって、多少は歪まなくなった目で見ると、イルカに限らず動物はいいです。驚異と感動に満ちてます。
しかし、そんなことを僕がここで唾を飛ばして力説せんでも、皆さん先刻ご承知なんですよね。だって動物園も経営が大変だとか言われながらも、毎日毎日多くの人が見に来てるわけで、流行とか商業とかに関係なく根強い人気を持ってます。皆が「イルカ?なにを今更」っていってたら、今回のイルカショーだって閑古鳥鳴きまくりでしょう。でも、結構多くの人が詰めかけてましたもん。旭山動物園がブレイクしたのも、もとはいえば「わあ、すごい!」というピュアな原点をフィーチャーしているからでしょう。皆さんわかってらっしゃる。
さて、そんなゴタクは置いておいて、アドベンチャーワールドですが、意外と知られていないのは(のかな?少なくとも僕は知らんかった)、ここにはパンダがいます。それもウジャウジャいます。6頭もいる。折しも、胡錦涛主席の日本訪問と、上野動物園のリンリンの死去でパンダが話題になっていたようですが、いるところにはいます。今、日本でパンダがいるのは、神戸市王子動物園と和歌山のアドベンチャーワールドだけだそうですが、6頭というのはスゴイですよね。こんなにいるとは思わなかった。
一番古株が永明(エイメイ)で92年生まれというからもう16歳。二つ年下の梅梅(メイメイ)との間に良浜(ラウヒン)、幸浜(コウヒン)、愛浜(アイヒン)、明浜(メイヒン)、さらに中国に行ってる雄浜(ユウヒン)、隆浜(リュウヒン)、秋浜(シュウヒン)がおって、、、ああ、覚えきれない!現在6頭が暮らしてますが、これは本家中国以外では、世界一の大家族だそうです。
ちなみにパンダ話題で調べてみたら、動物保護に関するワシントン条約などの影響で学術目的以外のパンダの取引は制限がかけられているため、昔のように外交目的でパンダをポンポン贈答できなくなり、いまでは全部レンタル制。そして中国”国籍”のパンダが生んだ子供も中国籍になるそうなので、アドベンチャーワールドの6頭も全部中国籍。また、年間レンタル料が1億円ということもあり、支払えずパンダを返還する国も多く、ビッグビジネス化しているようです。ただこのレンタル料は、野生パンダの保護や研究にあてられているようで、パンダ保護とビジネスとがミックスしている複雑な状況になってるようです。このあたりの事情は、日本のマスコミ報道よりも、
ナショナルジオグラフィックの特集記事
の方が(アメリカのパンダ事情を主として取材しているし)分かりやすいです。なお、中国におけるパンダ研究の総本山ともいうべき
成都ジャイアントパンダ(大熊猫)繁育研究基地
には日本語のホームページもあります。ちょっと怪しい日本語で、「なるほど直訳するとこういう感じになるのか」ということで僕らの英作文もネイティブにはこう見えているのでしょう。
しかし、パンダ舎ですが意外とガラガラでした。騒ぎになってるわりには人も少なく、その分ゆっくり見れました。
パンダに限らず動物というのは大体そうですが、食ってるか寝てるかですねー。食っちゃ寝は生き物の基本ですねー。このだらしない寝相と、ひたすら食いまくる姿は、なべて生き物の本来の姿なのでしょう。僕らも見習おう (^_^)。
さて、サファリですが、これもケニア号という電車のような乗り物に乗るだけだったら入場料に含まれていて無料です。一周25分。当日は時間も押していてあれこれ考える余裕もなかったのですが、今HPを見ていると種々のエクストラの有料ツアーがあるのがわかります。よくまあ、こんなに色々考えるわというくらい。
たった25分ですけど、思った以上に多くの動物達を見ることができます。以下はほんの一例。
↑このライオン君の「ヒマじゃ〜」という風情がいいです。
総じて肉食動物はヒマそうで、草食動物は普通にしてます。
↓動物達も適当に愛想振ったりして、まるで「仕事」しているみたいな感じが笑えます。
そうえいば、昔、玖保キリコ作の『バケツでごはん』 というマンガがありました。普通に服を着て出勤してきた動物達が、「さあ、今日も頑張ろう」といって観覧客にサービスして「仕事」をし、閉園後のロッカーで「どう、帰りに一杯?」「いいねー」とかいってるというマンガですが、面白いですよ。
↑(左)「ほら、お客さんだぜ、仕事仕事〜」「うぃーっす」。(右)仕事に励む真面目なクマさん達
この4WDが有料オプションですね。しかし、目の前で見た熊のデカいこと。
↑(左)「くは〜、ヒマだなあ」
(中央)「アクビばっかりしてないで、ちったあ仕事しろや、査定に響くぞ」「あ、うん」
(右)「(手だけ振って)へろ〜」「やる気ねえな、こいつ」
こういうアトラクションコースだけではなく、普通に歩いていると、普通にいろいろな動物達がいます。
海獣館のラッコ君は、一人で頑張ってセカセカ動いて気を吐いていましたね。上に乗っているのは赤ちゃんです。時々、赤ちゃんおっぽり出してしまうのですが、赤ちゃんもしっかりプカプカ浮くのですね。
右は、フラミンゴ。こうやって寝るのね。しかし、美しい色と造形。
今回は、「むむ、これは面白いかも」と思って、一人2500円払って「ミステリーツアー」というのに参加しました。
何処に行くのかわからないけど、3カ所を解説付きで見て回れるというコースです。動物舎のバックヤードまで入っていて、飼育係の人の解説を聞き、しかも動物に触れられるという、2500円でも「安い」と思えるような内容でした。オススメです。
最初に行ったのがカバ。
「え?カバ?」という意外性がいいです。でも、こんなことでもないとカバのバックヤードなんか行かないし、あんなに間近に接せられることもないでしょう。
一人づつ、サイコロ状に固めた干し草を口の中に投げ入れさせてくれました。
しかし、デカい、、、。これだけ目の前で見ると、やはり迫力です。
残りに二つはお約束とでもいうべく、イルカとペンギンでした。
イルカは、今回はゴンドウイルカという鼻先がひらべったい種類でした。
1グループづつ時間を取ってゆっくり対面し、ゴムのような外皮を触らせてくれます。また、餌(生のイカまるごと)をあげさせてくれます。
写真にはとれなかったけど、目の前にやってきてプカプカ浮かびながらじーっと見られたり、パカーっと口を開けて待ってたり。なかなか貴重な体験でした。イルカの肌は、まるで消しゴムみたいでした。
ペンギン舎はいろいろ勉強になりました。
まず、ペンギン達がいるプールに入っていきます。当然ながら温度も低く設定されていますし、なによりもペンギン独特の刺激臭が凄かったです。アンモニアのように鼻をツンと刺す臭気なのですが、ペンギンがああいう匂いを発するものだとは知りませんでした。しばらくすると慣れますけど。
ツアーでは、飼育係の人がいろいろ解説してくれます。「ほお、そうだったのか」という話も結構聞けます。
いろいろな種類のペンギンがいます。イルカのようなゴム感のある外皮ではなく、さすが「鳥」、びっしり羽毛で覆われています。
バックヤードを歩くので、餌の魚なんかもしっかり見れます。
勿論メニューは日によって違うでしょうが、おそらくは何の動物を見ても面白いと思います。じっくり時間をかけて見れば、どこかしら「へえ〜」という部分があるもんですし、全く予想もしてなかったものを見るというのもイイコトだと思います。また、面白く見せてもくれます。
ということで、アドベンチャーワールドは、以上です。
「行って楽しかった」というだけの他愛のないお話です。「だから何なんだ?」と言われると困るのですが、そまた、経営がどーのとか穿った話は、もうせんでもいいでしょう?
4回にわたった日本帰省記も今回でシメます。
別に結論めいたこともないのですが、、、、うーん、そうですねー、日本にいるとき、確かに何かを感じたんだけど、何なんだろうなあ。手を伸ばして夢の切れ端を掴もうとするかのような、頼りなく、茫漠とした感覚なのだけど----。
我ながら「へえ」と思ったのは、「もう一回日本に住むという選択もアリだな」と思ったことです。これは日本を離れて初めてそう思った。これまでに何度も日本に里帰りしてますけど、「まあ、二度と日本に住むことはないだろうな」という突き放した感覚でいました。もう自然にそう思ってた。でも、今回は必ずしもそこまで突き放した感じでもなかった。忘れていた日本独特の「ぬくもり」みたいなものを、「ああー、そういえばそうだった」とふと思い出した。
かといって具体的にどうこうするわけでもないし、「やっぱり日本はいいなあ」と積極的に思ったわけでもないです。そーゆーことじゃなくて、日本VSオーストラリアという比較意識が自分の中で薄れていってるのかもしれないです。そういうフレームワークであんまりモノゴトを考えなくなった。何処に居ようが結局は自分次第なんだろうし、そんなに大きく変わるもんでもないんだろうなと。人がいて、なんだかんだストラッグル(奮闘)して、生活してるって意味では、何処でも同じだよなという。言葉にしちゃうと陳腐だし、そんな理屈は昔っから知ってるけど、それこそ「知ってればいいというモノではない」わけで、身体的に感じるかどうかが大事。で、生身の生活から自然と出てくる発熱というか体温というか、そういう温もりを感じたような気がしたのですね。そして、その温もりさえあれば、別に何処でもいいんじゃないかなって。立地なんかそんなに大した問題じゃないのかもね、という。
まあ、これは書いても分からんかもしれないですね。日本を離れて14-5年たってから初めて出てきた感覚なので、うまいこと説明する自信はないです。また、これは個人のピュアに内面的な感情や化学変化であって、現在の日本の社会情勢とか世相とは全く関係ないです。この感覚を突き詰めていけば、別にジャングルの中だろうが、内戦渦巻く紛争地帯だろうが、シベリアの凍土であろうが、本質的には大差ないのかもしれません。人間がいて、生活があって、そこに健やかな温もりがあったら、それだけで人間というのは生きていけるし、幸福にもなれるんじゃなかろか。だから別に何処でもいいんじゃないの?日本だっていいんじゃないの?という。このエッセイの前段と絡むけど、真っ直ぐ見れば世界は驚異と感動に満ちているわけで、日本にだって驚異と感動は充ち満ちている。そういった当たり前のことを当たり前に感じられるようになったのかもしれません。もしそうなら嘉(よみ)すべきことなのでしょうが。
世相的なことでいえば、この帰省記シリーズの最初の方に書いた「人の使い方が下手になってる」という部分ですね。労働者や従業員を消耗品のように使うマネジメントや経営が増えているような気がします。一方では、生き生きと働いている若い人も沢山います。アドベンチャーワールドで働いている人なんか、いい顔してました。まあ、現場に入ればそれなりに理不尽なことや、辛いこともあるとは思うのだけどさ。こういった労働現場のマダラ模様をどう見るかだけど、結局人を育てようとしているかどうかなんでしょうね。そりゃ、消耗品のように人を使った方が短期的には利益率は高いかも知れないけど、国家百年の計でいえば人心がすさみ、社会の土壌は落ちるからトータルでは大損だったりします。思うに人を育てようとしない社会は、社会たる名に値せんでしょう。弱肉強食のリヴァイアサン的なものでいいなら、別に社会なんか作らなくてもいい。
つらつら思うに、僕ら30代後半から50代くらいの社会の中堅層のやるべきことって結構あるのではなかろうか。一つは、舵取り能力が前の世代に比べて衰えてきている上の世代、あるいは同世代のケツをひっぱたくことです。トシ取ってきていいことは、社会の実権を握ってる世代との距離が縮まり、モノが言いやすくなることです。平社員が何を言ってもゴマメの歯ぎしりかもしれんけど、部長クラスだったら発言力もそれなりにあるでしょう。あまりに上が低劣で、老害を撒き散らしているような場合には、もう刺し違えてブッ殺すくらいの覚悟で。上がもっと上を目指してもらわないと、社会がヘタレるんだわ。でもって、スペースを作って、下の世代にもっと自由にやらせてやればいいのでしょう。もちろん未熟だから失敗するだろうけど、失敗しないと成長せんもんね。
今の日本が良くないと思ってる人は沢山いるだろうけど、良くないと思うならば、じゃあ何が「良い」のか、その「良い」と思うものを説得力ある形で見せることが大事なんだと思います。「事実を持って語らしめよ」と言いますが、それが最も効果的でしょう。それは別に難しいことではなく、それぞれの持ち場で良い仕事をすることであったり、素朴な道義やスジを通すことであったり。あとからくる世代についてしてやれる最大のことは、そのポテンシャルな能力を開花させてやることであり、そのために目を開かせ、希望と自信を持たせることでしょう。まあ、要するに、世界は驚異と感動に満ちているってことを伝えてやれば、あとは勝手に頑張って、勝手に挫折して、勝手に成長していくでしょうよ。ただ、伝えてやるもクソも、自分自身がそう思ってなかったらダメだよね。だから、社会を良くしたかったら、まずは自分が成長しろってことだと思います。ヘタレが何を言っても説得力ないもん。
なんか抽象的にしか言えなくて悪いんだけど、「頑張らなきゃな」と思った次第です。イルカだって頑張ってるんだしさ。
あ、あと、どーでもいいことですけど、一番見た目で変わったなと思ったのが、路上から原付が激減したってことです。自分が原付乗ってたから敏感なんだけど、「うわー、減ったな」と思いました。面白いことに、最近オーストラリアでは原付が増えてます。昔は年に一回くらい、霊柩車を目撃する確率と同じくらいしか見なかったけど、最近はよく見ます。環境問題+ガソリン高騰が理由ですけど。でも、日本は減ってた。面白いもんだなって思いました。
文責:田村
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