今週の1枚(08.05.26)
ESSAY 361 : 日本帰省記(2) 美味いもん巡り
写真は、”京の台所”と呼ばれる錦市場。ここは奈良漬屋さんですね。奈良漬けも、美味しいものは本当に美味しいですもんね。ほんのり野菜の甘みがあって。ハズすとやたら辛いだけとか、酒っぽいだけだったりするのですが(そっちの方が多いけど)。ああ、写真なんか撮ってないで、奈良漬け買ってくれば良かった。今になって後悔してます。
先週にひきつづき日本帰省シリーズです。今週こそ、「どこそこのお店にいったら美味しかった〜」的な「太平楽なブログ」風でいってみたいと思います。
いやー、今回の帰省では、ここを先途で食べまくりました。以前の帰省は一人で食べ歩いていたので、どうしても限定があったのですが、今回は日本に出張中だったカミさんと二人だったので、一人では行にくい(一人で行ってもあんまり面白くない)飲み屋系や本格的なお店に行けました。その分お金もかかったし、1日に1キロとはいわないまでもかなりの勢いで太りました (^_^)。
14年以上前に大阪に住んでいたとき贔屓にしていた店を再訪問してたのですが、意外に変わってなかったですね。
以下、こんなこと書いて意味あるのか?という気もしますが、そこが太平楽なブログ風味にいってみたいと思います。
串の坊(京橋コムズガーデン店)
串の坊の本家のサイト
大阪市都島区東野田町2-6-1 (06-6353-1194)
昔この近くに住んでいたのですね。「家の近所のお気に入りの店」の一つ。「あの店どうなってるかなあ」という滅茶苦茶プライベートな理由で行きました。
全然変わってなかったですねー。店の場所といい、内装といい、雰囲気といい、味といい、値段といい。
串カツというのは全国にあるでしょうが、特に大阪の串カツは名物だと思います。大阪というと、タコ焼、お好み焼き、うどんなどが思い浮かぶでしょうし、串カツなんかあまり思いつかないかもしれませんが。東京生まれ東京育ちの僕は社会人になってから大阪に住み始めたわけですが、「やたら串カツの店が多いな」と思ったものです。それまでの東京圏の串カツは、豚肉とネギを交互に串に刺したもので、ほとんどその一種類しかないわけですが、大阪の場合は無限といってもいいくらいバリエーションがあります。もともとは新世界あたりのおっちゃん向けの立ち飲み酒場が発祥の地らしく、その種の店は新世界に限らず大阪の至るところにあります。安くて、早くて、お腹いっぱいになれて、お酒も飲めるという、マクドナルドもなかった頃からの「おっちゃんのファーストフード」のようなものだったのでしょう。
もっとも、串の坊の串カツは、そういう伝統的な本家の串カツではなく、もっと高級路線です。素材や趣向も凝らしている分、値段も高いです。僕としては、いわゆる伝統的な串カツは、安いのと簡便なのが取り柄のファーストフードであり、味的にそんなにスゴイわけではなく、「ふむふむ、これが噂の、、」という程度の感銘しかなかったのですが、串の坊の串カツは美味しいと思いましたね。
何がイイかというと、まず良い素材を使ってます。また、その素材の良さを味わえるような揚げ方もしてます。カツ系というのは、ともすれば何を食べても全部ソースの味ってなりがちなんですが、素材の繊細な味を損なわずちゃんと味あわせてくれます。また、素材も、「ほお?」という意外なものがあったり(アスパラガス丸々一本とか、子持ちコンブとか)、あるいは二つ以上の素材を組み合わせる妙味もあります。アスパラにも微妙にハム(ベーコン?)が巻き付けてあったり、キスの白身で蟹肉を巻き付けてあったり、「今度はどんなんかなー」と楽しいですね。
いろんなコース料理も出しているようですが、基本は「おまかせ」。順々に揚げてくれるわけで、お腹いっぱいになったらストップを掛ける方式です。以前、えらく空腹で一巡したことがありますが、30本くらい出てきたと思います。大抵は最後までいかずギブアップしますね。ソース類は5種類、普通のソースに、 和風ダシ、カラシ、胡麻岩塩、ケチャップですが、中身を考えながらどのソースをつけるか考えるのもまた楽しいです。鉛筆立てのようにスティックサラダがついていて、ドレッシングも何もなく、ただ摘んでポリポリやるだけなんですが、串カツの油のいい口直しになります。
気になるお値段は、二人で二十数本づつ食べまくって、ビール中生2杯で7-8000円です。決して安くはないけど、それに見合う味はあります。また、二十数回にわたって、「次はどんなのかなー」「おおー」という楽しみが味わえるので精神的にも満腹します。
串カツの店は他にも色々行ったのですが、串の坊が一番美味しかったという記憶があります。また、串の坊は、ミナミの法善寺が本店で、大阪、東京に沢山出店してますが、たまたま自宅の近くの京橋店が一番しっくりくるような気もします。まあ、そんなに味が違うとも思いがたく、主観的なものなのかもしれないけど、雰囲気は落ち着いていていいですよ。京橋のメイン繁華街からちょっと離れたコムズガーデンにあります。十数年ぶりの訪問ですので、串の坊以外の殆どの店が変わってました。しかし、コムズガーデンの地上の公園、なんか枯草がボーボーと生えていて廃墟みたいになっていたのは何故なんだろう?
というわけで懐かしい場所で、変わっていない懐かしい味を堪能できて満足です。
翼(新大阪駅)
新大阪駅構内1F/味の小路
http://www.tubasa.net/
大阪で仕事してた頃、出張だの、送迎だので新大阪駅には良く行ったのですが、ちょっと時間があって本格的に美味しいものを飲み食いしたいときによく利用していた店です。場所が分かりにくいのですが、新大阪の構内の1Fにあります。新大阪駅で「ちょっとメシでも、、」と思うと、改札のある3Fから1階下った2Fにメジャー系の飲食店街があります。ただ食べるだけだったらそれでもいいのですが、もう少しサムシングというか、テイストを求めるならば、そこからさらに1階下ると、ジミ〜な「味の小路」という飲食店街があります(構内図)。今回、たまたま新大阪まで行ったときに、「まだあるかな、あの店?」と思って探したのですが、最初は2Fだけ見て「無い!」と思って諦めていたのですが、ふと見るとさらに下の階に行く階段が、、、ということで探し出せました。
この店は小じんまりとした居酒屋です。カウンターのところの大皿が並んでるという、よくある日本の居酒屋。ただ、料理が美味しい。普通の日本の普通の料理が美味しいです。「ぶり大根」「ナスの煮つけ」とか。ありふれているようで、しかし、ちゃんと料理されたものは意外と少ないです。それとかなりしっかりした吟醸酒が飲めます。チマタでは”なんちゃって吟醸”みたいものも見かけるのですが、ここのはちゃんとフルーティでふくらみのある吟醸酒です。それをマスにコップを入れて注いでくれ、コップから酒がマスにあふれ、表面張力状態になっているのに口をつけて啜るという嬉しい出し方をしてくれます。
要するにどこをとっても「ちゃんとしてる」わけで、懐かしいちゃんとした日本の料理と日本の酒を飲みたい貴兄にはオススメ。わざわざこのためだけに新大阪に行かなくてもいいとは思うが、新大阪で時間が出来て「さて、、、」と思うのであればトライしてみてください。
ここも本当に全然変わってなかったですね。灰皿まで変わってなかった。サーブしてくれたオバちゃんと話していたのですが、僕が行っていた頃というのはまだ出来て間もない頃だったそうです。それが同じフロアに何店も展開するほど流行ってました。
もう一つ懐かしかったのは、場所柄お客さんの殆どがビジネスマンだということです。僕も昔は彼らの一人としてスーツにネクタイで飲んでたわけですが、意外とビジネスマンカルチャーの漂う場所というのは限定されていて、普通に街を歩くだけだったらあまり味わえない。デパートとか商店街とか歩いていてもダメです。行くところに行かないと。カウンターでチビチビやりながら、他のおっちゃん達の会話を懐かしくBGM的に聞いていたのでした。
入道(梅田)
大阪府大阪市北区中崎西2-4-36(06-6374-7600)
この店も昔よく行ってました。お値段高めなんだけど、それだけに本格的な日本料理を出してくれます。その昔は、梅田の堂山にあったのですが、今は中崎西に移転していました。昔は大通り沿いにあったから初見でも簡単に入れたのですが、今の立地は高架下の路地を入ったところで、非常にわかりにくい。また店の佇まいも渋く、目の前10メートルにあっても気付かないくらいです。「知ってる人は知っている」みたいな店。
昔はごく普通の(やや高級の)居酒屋、日本料理屋だったのですが、新店は倉庫をドーンと改装したカッチョいい内装になってました。ブラッセリーというか、フランス料理が出てきても不思議ではない感じ。厨房の周囲をカウンターがグルリと取り囲み、なかで大将がオンステージ状態で頑張ってるわけです。前の店のときは、普通に厨房は中に引っ込んでいたのでどういう人が作っているのか全く分からなかったのですが、この店になって大将がドーンと出張っています。まあ、作り手としては食べるお客さんの顔も見たいでしょうし、コミュニケーションも取りたいでしょうし、かなり大将の個性を全面に打ち出してる感じです。
しかし、というか、やってる人が同じだから当然というべきか、メニューは健在、味も健在でした。季節の一品以外にもハリハリ鍋とか鯨系が多かったのを記憶してますが、そのあたりも健在でした。メニューの書き方も同じ。値段が書いてないところも同じ。変わってへんなあ、と嬉しかったです。独特の味のある書体で毎日書いていると思われるメニューですが、以下に掲げておきます。分割写真なので、端っこは分かりやすく重複させておきました。
味はどれも美味しかったです。盛り込みがオシャレになったなあって気もしますが、味は落ちてないです。
↑写真左は「蓮根饅頭かにあんかけ」、中央は「生うにと湯葉のカクテル」ですが、手の込んだ料理にありがちな「綺麗なんだけど何食べてるのかよく分からん」ということはなく、ちゃんと素材の味がしているところはさすがです。
右の、「鱧の焼き霜造り」ですが、焼いて香ばしくなってる分、普通の鱧の落しよりも美味しかったです。
↑写真左、これが今となっては「謎の物体」。確か蕗(ふき)か独活(うど)を頼んだような気がするが、上に掛ってるピンク色のブチブチは確かトビコで、緑色のソースは、、、、ううう、思い出せない。不思議な味で「美味しい!」と思ったことだけは覚えてますが、上のメニューを見ても思い当たるものがなく、謎になってます。
写真中央はキンキの西京焼。右は、これが滅茶苦茶美味かったのですが、ジャコご飯のおにぎり。作るのを見ていたら、結構複雑な工程で握ってましたが、なにをどうしていたのかそのときは覚えていたのだが、今は忘れてしまった。「よし、帰ったら俺もやってみよう」と思ったんだけどなあ、、、酒が入るとダメだわ (^_^)。
とても良いお店だと思います。彼女とのキメのデートに、なにかお祝い事その他のアニバーサリーに。
メニューに書いてないので、とっても気になるお値段ですが、まあ安くはないけど、雰囲気と質を考えたら十分リーズナブルです。上に載せた写真の品々(プラス突き出し)とビールを飲んで、1万円でお釣りがきました。でも、一人8400円で一瞬たじろぐけど、「大将にお任せコース」が一番コストパフォーマンス高いのではあるまいか。いや、自分で食べてないので何とも言えないのだけど(昼間もドカ食いしてお腹が減ってなかったのだ)、周囲の人がおまかせコースを頼んでいて、その幸福そうな満腹度を見ててそう思いました。メニューにないスペシャルなものも入っているようですし。
夜の8時くらいに行ったのですが、既に多くのメニューで品切れが出ていました。堪能したかったら6時くらいから行くべしって気がします。
というわけで、この店も健在。
KATURA
大阪市北区中崎西3-2-17 朝日プラザ梅田東U1階 (06-6377-0024)
和彩厨房KATURAホームページ
このお店は、昔懐かしシリーズではなく、カミさんが発見して、今回初めて行きました。
場所は入道からほど近い(200メートルくらい)中崎町ですが、中崎町って結構面白い町になってきたのですね。バブル期の地上げや、その後の破産処理その他で、梅田周囲の昔ながらの住宅街(下町エリア)は結構歩いたのですが、十数年前に比べると着々と進化しているようです。まず、阪急梅田駅の東の茶屋町がどんどん開発され、今ではミニ渋谷みたいな雰囲気になっています。新御堂をくぐってさらに東に行った中崎町界隈は、昔はどってことない普通の下町だったのですが、今は小さな小さな、それだけに大資本メジャー系にない個性とテイストをもった店が沢山出来ていました。セミナーやイベントも結構あるし。このままいったら、中崎町は下北沢みたいな町に進化するんじゃないかしらん(もうそうなってるかも)。
このお店も一見、普通の住宅街にあるありふれた喫茶店や美容院みたいな立地なのですが、実は手作り感あふれる好店でありました。ここのホームページを見ていても手作り感があるのは分かると思います。
店内は、なにげに普通のスナックというか、喫茶店風です。入道みたいに「おお〜」という凝ったものでもないし、翼のように古式ゆかしい作りでもなく、とても普通。かといってテイストがないか?というと、実は独特のテイストがあったりして、文章的にこれを表現するのは難しいのだけど、昔のクラスによくいた、しっかりもので勉強も出来る学級委員長の女の子みたいな感じ、まっすぐに真面目な感じ。派手さや衒いはないのだけど、隅々までキチンとしていて気持いいです。写真ではこの感じはよく分からないと思いますが。スタッフは若い女性ばかりで、オーナーシェフ(?)の方も女性なのかな。皆さんキチンと制服を着てましたし。かといってフェミニンばりばりではなく、そーゆー甘ったるい女性っぽさではなく、キチンとした女性っぽさ、、って、わかるかしら。
メニューを見て、「へえ、いいな」と思いました。なんつーか、マーケティングに「これは当たる」という点から作ったメニューではなく、きっちり料理の修業をして基礎もある人が、うんうん考えて創作しているというメニューだったりします。
まず、↑写真左の「豚の角煮と半熟卵」ですが、これは単にオススメというより、「食え!」って感じ。良くできてました。角煮もねー、難しいですよねー。煮込みすぎると煮くずれするし、脂身のとろりとした部分と赤身の部分と皮の部分とでちゃんと味が違うようにするのは結構難しい。難しいというか、僕は未だに成功したことないです。それが上手に煮込まれているだけでマルなのですが、そこに卵好きが泣いて喜ぶ半熟卵がツルンと乗ってるわけです。ここで半熟卵をつけて出すということを、よくぞ思いついた!と思いますね。四六時中料理のことを考えてないと思いつかないのではあるまいか。よくこれだけの半熟を壊さずにカラが剥けたなと、それだけでもスゴイです。これで650円は安いですよ。半熟なしの固い角煮だってそのくらいするし、下手な店にいったらもっと高い。
写真右は、わかりにくいけど、カマンベールチーズに葉ワサビが和えてあります。静岡名物わさび漬けのカマンベール版のようなものですが、チーズの甘みと、わさびのピリ度が相まって面白い一品。
↑写真左は入道と同じく鱧。5月だったから「鱧はまだ早いよな」と諦めていたのですが、いろいろ食べられて嬉しかったです。
写真右が、これが秀逸だったんですが、「鯖の西京焼」。西京焼って、シドニーの日本人社会(ジャパレス界隈)ではここ数年流行っているのですが、日本でも流行ってるのかな、って普通にあるのか。西京焼は自分でも付け込んで作りますが、難しいんだわ、これがまた。つけ込みが甘いとなんのこっちゃだし、漬けすぎると甘ったるいし。で、足の早い鯖で西京焼をやるという発想は凄いなと思ったので注文しましたが、これが絶妙に良くできていました。鯖独特の苦味や脂と西京味噌が喧嘩するんじゃないかと思いきや、「へえー」と感心する味に仕上がってました。こと西京焼に関する限り、入道より美味しかったです。
料金もリーズナブルで入道の6掛けくらいだったかな。このクォリティだったらもっともっと請求されても、僕は納得してたと思います。才能のある若い人が気合入れて打ち込んでいるという好感の持てるお店でした。嘘のない店。本格的な日本料理という点では入道の方がより王道でしょうが、KATURAはその分より若い人向けというか、カジュアルで気安い部分を心がけているのでしょう。焼酎のラインナップや、特筆すべきは梅酒のバリエーションが多かった点です。ちゃんとした和食が好きで、でもあまり高額では困り、またおっさん臭いところはちょっとねー、という人に向いていると思います。
東華菜館
京都市下京区四条大橋西詰 (075-221-1147)
ホームページ(といってもぐるナビだけど)
四条大橋の西詰めにドーンとそびえる大正ロマンの古色蒼然とした建物、それが東華菜館です。
昔ちょこちょこ行ってましたが、「まだあるのかな」と思って再訪問しました。まあ、大正時代からあるとかいうので、たかだか十数年くらいのブランクなど屁でもないのでしょう、昔のまんまでありました。
北京料理の店で、あんまりギトギトしつこくないサラリとした中華料理だった記憶があります。シドニーのAshfiledなどで中国人に囲まれて中華料理を食べる機会が増え、自分の中の中華料理のレベルがあがってしまったので、昔美味いと思ったものを今はどう感じるのだろうか?というのが興味の焦点でした。結論としていえば、今でもそこそこ美味しく感じました。「うおお!すげえ」という美味しさではないですし、日本人向けにやや淡泊なのかなと思いつつも、「なんじゃ、こりゃ」というものではないです。アクセプタブル。ただ、一皿の分量が昔よりも減ったような気がする、、、、、いや、それは僕の一人前の感覚がオーストラリア的にデカくなってるだけなのかもしれません。
ただ、やっぱ高いですよね。コース料理の一番安いものでも一人5000円からしますから。今回はコースは避けて、友人と二人で適当に安めの単品をみつくろって二人でビール込み5000円ちょいにおさめました。さらりと選べばそのくらいでおさまります。
↓写真左は、名物の手動式エレベーター。日本最古のエレベーターとか。あ、手動式といっても扉を開けるのが手動だというだけですよ。誰かが手でエレベーターを引っ張り上げてるわけではないです (^_^)。
中のシックでレトロな感じも昔のまんま。鴨川や京都南座(歌舞伎座)を見下ろせます。
鍵善良房
京都市東山区祇園町北側264 (075-561-1818)
ホームページ
両親とカミさんと皆でお茶でも、、という機会に行きました。有名な葛きりのお店。
独特な巨大な器に、かち割り氷、ツルツルした葛、それを黒蜜(白蜜もあり)につけて食べるという鍵善の葛きりは、関西圏では知名度が高いです。たまたま訪れた日は四条本店が休みだったので、近くの高台寺店にいってきました。
しかし、この葛きり、食べでがあります。別にこんなに大きく、量が多くなくてもいいんじゃないか?というのは、いつ行っても感じるのですが、じゃあ行くのを止めるかというと、しばらくすると又食べたくなるから不思議です。これだけの量の葛と黒蜜を食べたら、普通途中で飽きてきそうなものですが、それを食べさせてしまうところはスゴイですね。良い黒蜜を使っているのでしょうし、葛ののどごし、ひんやりした温度を保つ氷、そのあたりのバランスが良いのでしょう。
KYKのトンカツ
ホームページ
天王寺の名代の鰻屋さんに行ったら、数日前に移転してしまってがーんとなったとき、「そういうことなら」で食べに行きました。
どってことないトンカツなのですが、「トンカツ屋さんのトンカツ」が食べたかったんですよ。シドニーには無いから。いや、トンカツはあるのだけど、「トンカツ屋さんのトンカツ」がないのね。自分でも揚げられるけど「トンカツ屋さんの〜」にならない。あの分厚くて、カリッとして、ジューシーなトンカツが食べたかったのですね。
KYKはトンカツチェーン店として関西では有名です。住民のグルメ度が高い関西圏でやっていけるだけあって、ここのトンカツは普通に、ちゃんと美味しいです。デパ地下なんかでも良く買ったなあ。季節トンカツか、エビカツなんかもイケるんだけど、ここは正当的にもっとも普通のトンカツを頼みました。「おおお!」と落涙するほどでもないですが、普通に美味しかったです。
でも、いろいろサービスを考えているのか、トンカツ以外の小鉢も数が多く、サーブする人も大変だろうな、皿洗いの人も大変だろうな、、と、余計なお世話の心配をしてしまったのでした。しかし、運ばれてくるお膳にも「鹿児島 黒豚」という札がつけられてくるのが妙におかしかったです。
むさし乃
梅田界隈に何店舗もある。行ったのは阪急三番街店。
ここは、前回書いたようにジェットスターが欠航になってトボトボと京都に帰る途中に、「おーし、もう一日オマケに貰えるなら、ただでは転ばないぜよ」と思って行った店です。「焼鳥屋さんの焼き鳥」が食べたかったということで。
ここも昔は飲み歩きの流れでちょこちょこ行ってました。リーズナブルだし、普通に美味しいし、それにここのササミのお造りはモチモチして絶品なのですね。でもって、期待を裏切らない一品でした。
以上、このくらいにしておきます。あ、あと友人に連れて行ったもらった琉球料理の店の古酒(クースー)は美味しかったですね。四条大橋近く、先斗町のいかにも観光客用のような店の鰻丼も肝吸いも美味しかったです。はい。それと、白浜に一泊旅行したときのことは(前回の旅館の朝飯写真のところ)は、また次回の白浜旅行編で書きます。
逆に美味しくなかったのは、駅ビルの名店街のようなところに入ってる有名な寿司屋さんでした。ディスするので名前は挙げませんが、何がイヤだったかというと、仕事がいい加減だったからです。少なくとも僕にはそう感じられました。ネタが格別素晴らしくもない(というか結構ダレてる)のは、二千数百円のコースという値段的な点からまあまだいいにしても(良くないけど)、シャリがパサパサで酢の味付けも殆ど感じられず、作ってから賞味期限を越えてるんじゃないかという点。口の中で違和感あるし、端的に不快。それに、いきなり最初からトロが出てくるのは良いにしても、白身がイッコもなく、また致命的なのはワサビの量がマチマチすぎる。ホタテだけピリッときかせていたけど、その他のネタでは殆どワサビを感じなかった。入れているのかどうかすら疑問。このようにワサビが入ってたり入ってなかったりするのは、寿司の基本としていかがなものかと思う(深く考えてそうしているなら分かるが、なぜホタテだけ?という趣旨に苦しむ)。また、イクラもやたら塩っ辛くてイクラ本来の味がしていない。
さらに、寿司屋にありがちな欠点なのですが常連さんばかりと会話し、普通の客は肩身が狭いような感じがしたこと。まあ、ある程度はしょうがないでしょうし、それなりに抑制されてはいたと思いますので、そんなに強い不満ではないですけど。でも、こんな店(といっては失礼なんですけど)が千客万来状態で、店の外までずらっと並んでたりするわけです。僕らも数十分待ちました。並んでまで入るような店とは、僕には思えなかったです。まあ、味の好みは十人十色で、他人様の嗜好にあれこれもの申すのもナンですけど、「そうかあ?」と思ったですね。常連さん云々も、「こんな店で常連やってるんじゃないよ」的な苛立ちがあったのかもしれません。
あと、普通のファミレス系の和食屋さんでも食べました。味はそこそこで、まあファミレスの味なのですが、感心したのはメニューの多彩さ、そして季節の一品を細々と織り込んでいる点です。時節柄筍がシュンだということで、右の写真は、若竹の包み焼きという一品です。
味的に凄い美味しい!ってわけでもないのですが、感心したのは、季節毎にいちいちこういうメニューを開発して、ダンドリつけて(竹の皮を仕入れるとか)調理し、わずか数百円の一品のために携帯コンロまで持ってくるという努力度です。これは典型的にマーケティング主体のメニュー作りだとは思いますが、マーケといっても馬鹿には出来ないです。リーズナブルな予算で、ささやかな季節感を味わってもらうために、どれだけ努力してるかですね。だって、ファミレスのメニューって豪華なカラー版ですけど、季節が変わったらまたイチから刷り直しでしょう?考えるマネージャーや、現場で実行しているスタッフも大変だと思います。
味的に感心したというよりも、このように少しでも改善余地があったら、少しでも隙間があったら、膨大なエネルギーを注いで埋めていくという、日本人独特の感覚です。それが往々にして行きすぎて、スーパーの食料品陳列棚のネーミング(○○さんの作った豆腐とか)とか、もう「あざと過ぎ」って感じも受けるし、見てくれさえ整えておけばいいんかい?って部分も強力にあったりするのですが、それはそれとして、こういう地道な努力に感心しました。すごいなあ、日本人って。オーストラリアはもっと大雑把ですよ。スパゲティ・カルボナーラだったらスパゲティ・カルボナーラだけであり、「○○産の○○を使ったどーのこーの」という能書きは少ない。最近、牛肉でも多少「キングスアイランド」とか「アンガス種」とかマーケ的細分化が見られますが、住民自身が美味いかマズイか、安いか高いかというシンプルで骨太な基準しか持ってないから、あんまり能書きに騙されない、、というか、能書きを読まない。
その昔の洋楽レコードでも日本で発売されているものは、ライナーノーツなどの解説や歌詞カードが入ってるけど、輸入盤には一切そんなものは入ってません。食事も同じで、解説や歌詞カードは、オーストラリアではそんなに必要とされていない。でも、日本では相変わらず華やかです。それに良し悪しはあるのだけど、単純に作る側に目を転じるならば、大変な努力を払っているのだなあと改めて感じた次第です。
ところで、今回のエッセイでは、やたら「普通の」「ちゃんと」というフレーズが多用されていると思います。それは、僕自身が「普通にちゃんとした日本」というものを確認したかったからでもあります。
結果として分かった(ような気がする)のは、ちゃんとお店を探して、ちゃんとお金を払えば、ちゃんとしてるってことです。つまり、@吟味選択すること、Aケチらないこと、の二大要素が不可欠なわけで、マスコミで紹介されたからとか、流行ってるからとか、話題だからとか、安いからとかいうあたりで選んで、@をナイガシロにしたら、それなりの報いを受けると。また、激安とか値段路線で突っ走ると外します。美味しいものは、それなりの食材を使うし、しっかり修行した板前さんが作るからどうしたってコストがかかって当たり前であり、やたらに値段だけで決めるのは考えものでしょう。むしろ、いい仕事をしている店にはチップを払うくらいの気分で臨むべきだと思います。
今回は、その昔選んでいた店を再訪問したパターンが多かったので、ハズレ率はかなり低かったです。そして、総じて言えば、びっくりするくらい変わってませんでした。質といい、値段といい、大体記憶にあるままでした。十数年の時を隔ててこれでいいのか?と思うくらいのもので、ここ十数年の日本って本当にインフレがないのねって改めて思いました。オーストラリアの常識で言えば、十数年ぶりに訪ねれば料金が2倍になっているのが普通でしょう。
なんとなく大きな構図が見えてきたような気もします。今の日本には昔よりも幾つかの「層」があるみたいで、今回みたいにある層に行けば、驚くほど昔と同じで変わってないです。ちゃんとお金を払う人が、ちゃんと作ったものを食べているという。これは大いにホッとしました。ただし、これらの店は決して安くはないです。少なくとも激安ではないし、安さを売りにするわけでもない。かといって、吉兆レベルに一人3万円とか5万円の高級料亭ってわけでもない。いいとこ一人頭3000円から1万円弱のレンジです。十分「大衆的」といって良いレンジでしょう。
思ったのは、この下のレンジ、つまり一人数百円からいいとこ2000円以下で、そこそこ見栄えのするレンジ、つまりはマスコミ等でよく取り上げられるレンジですが、ここが肥大膨張しているのではないか、と。「これでたったの○○円!」みたいなレンジね。前回(一回前)の帰省は、ぶらっと一人で歩いてたので、このレンジに遭遇する機会が多く、「日本に美味いものはないのか」とかなりムカつきました。見てくれや、能書きばっかり華やかで、食べてみたら全然味がしないという。食材本来の味どころか、「なにこれ?」みたいなものが多い。でも行列が出来ているという。
昔だってこの種のレンジはありました。そりゃもうしっかりありました。デパートの上のお子様ランチ的な、海の家のカレーやヤキソバ的なものね。でも、それは一応腹を膨らませるバジェットプランであり、「まあ、この辺で手を打つか」的な感じであり、味がどうのというだけ野暮だったりしました。日本だってそれほど豊かじゃなかったし。ところが帰省するたびに、このレンジがだんだん大きくなってきて、しまいにはメインストリートであるかのような状況になっているのではないかと。
でも、このレンジって、コストパフォーマンスでいえば実は損ですよ。だってちゃんとしてないモノを食べて「くそお」と思うくらいだったら、一回分我慢して自炊して、ちゃんと美味しいもの食べてハッピーになった方がいいです。そして、「くそお」と思うくらいならまだマシで、しまいにはそーゆーものを当たり前だと思うようになり、さらにはそれを美味しいと思うという。まーね、どんなものを美味いと思うかなんか僕がとやかく言うことではないのですが、でも本来の食い物でいえば「まやかし」でしょ。昔のマズイものは、マズイなりに正直な理由がありました。スジ肉だから安いとかさ、イワシが沢山取れるから値が安いとかさ。でも、昨今のは本来の食材とは違うモノを混ぜたり、ヒドイ場合には全然違うモノをそうだといって出したり、回転寿司でザリガニを伊勢エビだといって出しているような、その種の嘘があるでしょ。これは不味さの質が違うと思います。科学技術の進歩というのは、嘘をつくための進歩なのかね、と嫌味も言いたくなります。
そして、大事なことは、こういったことが暴かれ、批判されているにも関わらず、じゃあちゃんと払って食べましょうかという具合にあんまりならない点です。相変わらずの値段重視、激安流行りだったりもします。
これはどーゆーことかというと、@やはり今の日本にはプチ貧困層ともいうべき層が増大していること、A貧困であることを「まやかし」によって直視しにくくなっていること、です。@で「プチ」といったのは、本当の貧困というのはこんなレベルではなく、見てくれなんか構ってる余裕はないでしょう。だから、あくまでプチレベル。問題なのはAで、貧困な状況にあるときは貧困であることをちゃんと自覚すべきだと思います。僕だって、受験中はドビンボーで、一食50円とか100円レベルで暮らしてましたけど、別にビンボーなのは恥ずかしいことでもないし、プライドもってビンボーしてました。自覚もバリバリあるし、だからこそ、逆に正当な価格感覚もまた養われます。
そんなこと言っても今の状況ではワーキングプアから抜け出すのは至難のワザでしょう。そういう庶民が嘘でもいいからリッチな気分に浸りたいというイジらしい希望を持つことも、自分もそうだっただけによーく分かります。別にそれを非難するつもりはないです。それに「嘘でもいいから」と分かってるんだったら全然問題ないです。問題は、嘘かどうか分からなくなることです。貧困さを自覚するところから、「もっと美味しいものが食べたい」という意欲も湧くだろうし、また「なんでこんなに働いてるのにダメなんだよ!」という怒りも出てくるでしょう。そこから社会全体のヘルシーなリアクションというものも出てくるのだと思います。でも、「これでたったの○○円!」的にささやかな(しかし、まやかしの)幸福に浸ったりしてると、感覚が馬鹿になっていくような怖さがあるのですね。
いい加減な基準なんですけど、食い物に限らず、何らかの消費行動に出るとき、価格というファクターが購買動機の50%から70%以上を占めていたら、「俺は貧困だ」と思った方がいいんじゃないかな。つまり安いかどうかというのが殆どメインの決定要素になってるかどうか。勿論価格は大事なファクターですよ。どんな金持ちだって値段は考えます。でも、同時に質も考えます。質と値段をじっくり考えていくところから鑑識眼も養われようし、「もっとお金を貯めてからいいのを買った方が結局は得だ」という計画性も出てくるってもんでしょう。
赤の他人の懐事情に、どうして僕がこんなにひっかかるのかというと、ビンボーを自覚しないビンボーが増えると、以下のような弊害が出てくるからです。@ちゃんとした食材を使い、ちゃんと調理をし、リーズナブルな値段で出している良心的な店の経営が逼迫し、潰れていくこと。これは、まっとーな仕事をしようとしている人を潰すことになり、社会全体としては巨大な損失になること。A貧困を自覚しないということは、社会の大きな歪みに対するまっとーな怒りの麻痺に通じること、B同じくヘルシーな向上心がなくなること。俺はビンボーだからこんな不味いモノしか食べられないと思うからこそ、美味いモノが食いたいと思う。人間の行動原理なんかある意味とってもシンプルであり、そういった事柄が人生のガソリンになる。でも、「ま、そこそこ美味しいし、これでいいか」と思ってたらそういう野心に火がつかない。C結果として、あんまりモノ考えなくなる。不遇感や不当感があるからこそ、「なんでじゃ!?」と思って人はモノを考えるのでしょう。
総じて言えば、貧すれば鈍す、です。ニブくなるわけです。そして、国民がニブくなったら誰が得をするか?です。権力者の陰謀かしらん。そういえば大昔のマンガで「男組」というのがありますが、そこで神竜という敵キャラが、自分の部下にした高校生達に向けて「お前らの父親は豚だ!」と演説をブチます。「わずかな餌をめぐって醜く争い、不味い餌を不味いとも思わず、たらふく食っていぎたなく眠る。高貴な人間性など考えたこともない。そんなブタの社会はブチ壊せ」と。でも、彼の後見でもあり、敵でもある影の総理は「大衆はブタのままでよい。ブタのままだからこそワシらは安泰なのだ」と言い、神竜を抹殺しようとします。
まあ、こんなマンガ的な話が実際にあるわけではないですし、そんなことを言うつもりはない。また、誰か具体的に分かりやすい「悪者」がいるわけでもない。そんなものを考えること自体、ニブくなってきている証拠、わかりやすくあって欲しいという知力の弱まりでしょう。別に誰が悪いわけでもないのだけど、スパイラル的に妙な悪循環になってやしないかって。皆が値段のことばっかり気にするから、企業としては多少ズルをしたり、誤魔化したりしても、見てくれは良くて安いモノを提供する。それに慣れてくると、もっと安いモノが欲しくなり、価格競争が激化する。それに対応するため企業はまたコストダウンを計り、下請けをイジめ、従業員を酷使する。ゆえに皆の給料が乏しくなり、ますます値段重視になる。そうこうしてるうちに価格競争による”技術開発”によって、安いけど見栄えのするものを開発をする。それに慣れていくと消費者としても、「ま、これでも結構幸福じゃん」てな気分になり、どんどんその種の商品がメインになっていく。
「安くて良いもの」は確かにあります。あるけどマレです。マレであるべきだ。なぜなら、良い仕事をした人が正当に金銭的に報われるべきならば、良いモノにはそれなりに高値がつかねばならない。良いモノが高いのは、ある意味では”正義”でもあります。それが健全な価格感覚でしょう。「良いモノが安くて当たり前」と思いこむのは、「一生懸命頑張ってる人が安月給なのは当たり前」という誤った方向に社会を導く。事実そうなっているではないか。また、流通過程その他で無駄を省き、ある程度価格を低廉に抑えることは可能だけど、無限にそんなことが出来るわけはない。一定のリミットを越えたら、「良いモノを安く」ではなく実質的には「粗悪なモノを安く」になり、より現実的には「本当は粗悪なんだけど、見た目や能書きやネーミングなど良く見せて、高く売る」、つまり「悪いモノを高く」になっていく。普通、リミットを越えた時点で、「嘘臭いな」という健全な懐疑や批判が働くのだけど、感覚が馬鹿になってくるとそのあたりの歯止めがなくなる。それは恐いことだと思います。現在の日本が消費社会であり、消費者こそが王様ならば、そして現在の日本が良くないならば、そう至らしめた最大の「悪党」は王様である消費者でしょう。
まあ、言ってしまえば、日本を支えている健全な中産階級や中産階級的良識が痩せてきているという、誰もが言ってる普通の指摘になっちゃうわけですが、結構こういった「層」の違いが見えてきて、それなりにショックではありました。
ああっ、またシリアスなことを書いてしまった。太平楽にするつもりだったのに、、、
最後に、これを食べたかったけどミスったものとして、一人1万円くらいするクソ高いけどメチャクチャ美味しい天麩羅。目の前で揚げてくれるやつね。あと、「美味しい魚をたらふく、、」という夢は果たせませんでした。これは計算外だったのですが、ま、この話は次回。
文責:田村
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