今週の1枚(01.12.24)
雑文/面倒臭い感覚細胞
写真は、現地でのお手軽アジア系インスタント系食品
左端は現地で生産している(と思う)日本蕎麦。安い(2ドル60くらい)、美味い。
中央上は、インドネシアのミゴレン(焼きソバ)。かなり安いし(40セントくらい)、美味。
中央下は、中国生産の出前一丁の豚骨味。北海道味噌味というのもある。これも60セントくらい。
右端は、おなじみシンラーメン。日本でも売り出されているとか。辛くて美味いが、結構高くて一個1ドルくらいする。
なんでこんな写真が登場するのかは、読み進んでいけば、おいおいわかります。
今年最後の「今週の一枚」です。
というのは嘘です(いきなり)。まだ31日(月)があります。
自営業というのは、誰も「今日は休んでよし!」と決めてくれませんから、ほっておけば年中無休で働いてしまいます。逆にいえば、「今年は全部休み!」ということも出来るわけです。特に僕の場合、特定の取引先が定期的にあるわけではありませんから、「毎月いつまでに○○をする」ということもないわけです。だから非常に自由ではあるのですが、自由というのは、御承知のとおり、自由度が高くなればなるほど、強靭な意思力と計画力が必要になってきます。意思の弱い人に自由なし、です。僕もそんなに強くないので、なかなか「えいやっ」でスケジュールを切り盛りしないわけです。だって、そこまでしなくてはならないようなこともないし。
ルーティンワークがないと言いましたが、唯一の例外があります。それが、この「今週の一枚」で、「毎週月曜にUPすること」というオキテがあります。誰が決めたわけでもなく、自分で決めたのですが、ヨーロッパの誰かエラい人が言ったように「習慣というのは当初は細い糸である。しかし継続することによって鋼鉄の鎖になる」わけです。なんか今更止められない。無欠勤でスタンプがずらっと並んでいるラジオ体操の出席カードのような感じです。もったいない。
しかし、そのために毎週日曜日はちょっと憂鬱です。「あ〜、今日書かなきゃなあ」と思いつつ、逃避行動に走るという。とっととやればいいものを、なんだかんだ理由をつけて先延ばしにするわけです。気がつけば夜中、もう眠くなります。でもって、「明日早く起きてやろう」ということで、ちょこっと仮眠して、結局4時くらいにおきて、延々数時間かけて書くわけです。睡眠が寸断されるので、向こう一週間ちょっとリズムが狂います。やっと直ったかと思ったらまた日曜がきます。悪循環。
だから〜、とっとと書けばいいのですよね。土曜日でも金曜日でも先に書き溜めておけばいいのです。でも、人間、そんなことが出来るくらいだったら苦労してないです。
昔どっかで引用したと思いますが、作家の筒井康隆氏が原稿が遅れてホテルで缶詰(正確には館詰?)になったとき、どうしても原稿に向かいたくない一心で逃避行動にふけったという。今か今かと待ち構えている編集者が「先生、進んでますか?」と部屋に見に来たら、当の筒井氏は一心不乱にホテルの浴槽の掃除をしていたという。そうなんですよね、わかりますよね、この気持ち。
ところで、僕もさっきバスタブの掃除をしてました。「お、汚れてんじゃん」とか、いつもだったら「面倒くせえ」でほっておくのですが、このときばかりは嬉々としてゴシゴシやってるという。余談ですが、こういう「やりたくないノルマ」を自分に課しておくのも、家事の円滑な遂行という意味ではいいのかもしれませんな。
というわけで、結局、今、月曜日の朝です。
昨日は、一月ほど前にお世話したワーホリさん達が沢山やってきてくれて、皆で石狩鍋つついて歓談してました。で、そのまま寝てしまったという。やあ、困ったぞ、あと数時間しかないぞ。
食事といえば、オーストラリアではちょっと小腹が空いたり、ちょっと昼ゴハンを食べようという、「ちょっと」系の食事に割と不自由します。真剣に作ろうと思えば、食材も豊富だし安いのですが、そこまで買出しを含めて気合をいれずに、調理時間5〜10分くらいで気楽に食べられるものが少ないです。
Take Awayとかパイとかハンバーガーとかは勿論あります。ケバブロールでもいいし、ラザニアでもいいでしょう。外を歩いている分にはそこそこあります。が、家にいて、「う〜、ちょっと腹減ったな」で冷蔵庫を覗き込んでも、大した物がない。また、ため息まじりにパタンと冷蔵庫を閉める。
その点、日本は豊富です。「電子レンジでチン」系のものも豊富ですし、ラーメン、焼きソバ、お好み焼きなどのインスタント食品も種類が豊富です。オーストラリアでもインスタント物はあるにはあるのですが、僕の知る限り、ろくな物にあたった試しはないです。缶詰のスパゲティやビーンズは論外レベルだし、電子レンジのラザニアなんかも、「う〜、失敗した、、」と思いながら食べました。パイもいまいち美味しくないし、パイって「小腹が空いた」にしてはヘビーだし。結局はアジア系の食べ物、アジア各地のラーメンとか、チャイニーズの冷凍ギョーザや肉まんくらいになります。それもそんなのバラエティ豊かというわけではないです。
インスタントのミゴレン(インドネシアのスパイシー焼きソバ)は安価なくせに美味なのでオススメではあるのですが、これも作るのが面倒くさい。1袋の量が少ないので一人2袋くらいがちょうど良いのですが(それでも50円もしないと思う)、なまじ本格派なせいか、1袋についてくるソースやスパイスの袋の数が、たしか5〜6個くらいあったと思います。2袋だったら10個以上。これをいちいち出してるのが面倒くさいのですな。また小さいし、搾り出すのが大変。外国製の宿命か、袋に切りこみ口がついていてもそこで切れた試しがないという。ビララと変な方向に切れて、手が油だらけになる。それに、麺だけだったら味気ないので、別途野菜イタメなんぞも作っておかねばならないとなると、それなりの仕事量になります。パックから出してチンするだけって手軽さからは程遠い。インスタントの韓国冷麺も安くて手軽で美味しいのですが、これもやっぱり具が欲しい。素冷麺だけというのも寂しいですからね。
それなりにはあるのだけど、日本のように至れりつくせりといった食べ物は少ないです。
ボンカレーみたいなレトルトも少ないし、あったところで不味いし。
あとは、「ゴハンの友」系が極端に少ない。
つまり、漬物とか、佃煮とか、タラコ/明太子とか、塩ジャケとか、アジの干物とか。総菜屋やコンビニで買えるような、「春雨サラダ」とか「キンピラ」とか「だしまき卵」とか、そういうのも無い。いや、探せば無いことはないのだけど、車飛ばして往復30分くらいかけて買いに行かねばならない。そのくらい手間隙かけるんだったら、もう何でもできますよね。
こういうものって、そこら中にふんだんになければ意味がないし、安くなければ意味がないです。タラコも往復車で30分かけて、1パック1000円払って冷凍物を買おうとは思わないでしょ。「うおおお、どーしても食いたい!」と気分が盛り上がってたらそうするかもしれないけど。
そういえば、先日、どうしても塩ジャケが食べたくなって、作りました。もう塩ジャケを作るところからはじめるから数日作業ですな。鮭の切り身買ってきて、「これでもか」というくらい塩をまぶして冷蔵庫で寝かす。全然手軽じゃないですけど。でも、まあ、美味しかったです(^^*)。そのくらい時間かけていいなら、サワラとかマスとかタイなどの粕漬、味噌漬もできますし、やります。でも、やっぱりそれって「イベント」になってしまう。
食べにいくにしても、蕎麦屋とか、牛丼屋とかがない。アジア系の麺類の店ならあるけど。
日本料理のお店も沢山あるんだけど、だからといって日本のようなことはないです。つまり町中一帯全部そう、ってわけにはいかないです。当たり前だけど。で、わざわざ食べにいくというほどでもない場合、困るのですね。何度もいいますけど、「わざわざ」するのだったら何でも出来ます。
オーストラリアは、というかシドニーのような都会では、美味しいものは結構沢山あります。だが、そんなに手軽ではない。
ふと思ったのですが、日本ってなんであんなに手軽なんだろう?と。
以前雑記帳の日本帰省録で、「1980円の幸福」とか書いた記憶がありますが、そんなにお金をかけない、お手軽で「ちょっと幸せ」という、「小確幸」は豊富にあるような気がします。100円ショップなんかその典型だと思うけど。
寒いときにおでん屋の屋台に入って熱燗を飲むときの幸せとか、ランチタイムに喫茶店入ってオムライス食べながら週刊マンガの続きを読むとか、コンビニで凝り倒したお菓子の新製品にトライするとか、文房具でもよりどりみどりで死ぬほど種類があるとか。商品にしても、もう痒いところに手が届きまくってるような感じ。
そういう意味ではオーストラリアは雑です。KマートあたりでCDウォークマンを買おうとしても、陳列されている全機種が2〜3種類しかなかったりするもんね。もう選択の余地なんかないです。靴でも服でもサイズがデカ過ぎて、選ぶ以前にサイズが無いとか。Gパンなんかでも僕の28〜9インチサイズが、まあ「無いことはない」という程度。そのかわり40インチなんてのは結構あったりするという、ガリバー旅行記状態。マンガ雑誌はゼロだし、総合週刊誌なんてBullteinか、あとはTimeくらいでしょ。
そんなんどーだっていいって言えばどーだっていいんです。
タラコがなくたって、喫茶店でオムライスが食べられなくたって、マンガ雑誌がなくたって、別に死ぬことはないです。それにそんなことしたいんだったらオーストラリア来ないで日本に居たらいいわけです。それはそのとおり。無いものねだりをしてるのは百も承知。
ねだってるわけではないのですね。「なんで無いの?」ということですよね。
文化の違い?そう言ってしまったら話は終わってしまいます(^^*)。
確かに、日本にはそんなに無いけど、オーストラリアではやたら豊富にある物も沢山あります。バーベキュー台なんか、ピンからキリまでズララとそろってるし、芝関係商品もすごいです。芝の肥料ひとつとってもやたら沢山種類があるし、先日また芝刈機を買いましたが、もう芝刈機専門店があちこちにあって、そこにもう何十台も並んでいるという。ペンキ関係の店も、どの町にいってもペンキは必ず売ってますよね。
レジャー関係商品も豊富ですし、レジャーそのものが安価で手軽です。車で30分でビーチにいけます。しかもビーチで泳ぐのは無料。そういえば有料(海の家とか)ビーチって、オーストラリアにあるんだろうか?
そういう事を考えると、とてもハッピーな国です。
喫茶店でオムライスを食べて連載マンガのページをめくるよりは、エメラルド色のビーチでのんびりしてる方が良いでしょう。良いんですよね〜、僕もずっとそう思ってたんだけどね〜、いやその考えに基本的に変更はないのですけどね。ただ、オーストラリアも8年目ともなりますと、「うわあ、ビーチがこんなに手軽に、素晴らしいわあ」だけでは収まらん部分も出てくるわけですよ。
現地に存在することがイベントでもなんでもなくなって、バリバリ日常になってしまうと、ああいう日本的な、しょーもないっちゃしょーもない幸福もあったらいいなと思うようにもなるわけですな。本格的なイタリア料理やエスニック料理を楽しめるのは素晴らしいのですが、だからといって、熱いご飯に鮮紅色のタラコを潰してまぶして、焼き海苔で丸めて食べる幸福が色褪せるわけではないのですな。やっぱり、それはそれで厳然としてあるわけですな。否定は出来んでしょう、と。
それに、オーストラリアでいかに「お手軽にビーチ」といっても、そんなにお手軽なわけではないです。車で30分でいけるといえば、日本の東京〜湘南のことを考えれば相対的にはお手軽ですけど、「車で30分」という手間そのものは、決してそんなお手軽ではないです。30分でも面倒臭いっちゃ面倒くさいですよ。
そこで、ふと発想を飛躍させるに、やっぱりオーストラリアって「サイズが大きい」んだなと。なんのサイズかというと、「時間粒子」の粒のサイズがデカい。それに比例して、そこに住む人間の「面倒臭い感覚細胞」みたいなサイズも大きい。
日常生活において、ひとつの活動を行う基礎単位、それは時間でもいいしエネルギー量でもいいのですが、日本の場合は、それが小さい、細かい。1活動単位がせいぜい5分くらい、エネルギー量でいえば、階段を一階分上るくらい。これが1活動単位だとします。この単位が大きくなればなるほど、「面倒臭い」と感じる度合いも激しくなる。日本の活動単位を、便宜上JAと呼ぶとすると、階段を1階分あがる1JAくらいだったらそんなに面倒くさくないけど、5階分あがる5JAだったらかなり面倒臭い。電子レンジでチンの5分調理の1JAだったらやるけど、パスタをゆでるところからはじまる30分調理の6JAだったら面倒臭い。
オーストラリア人におけるこの活動基礎単位(便宜上AAと呼びます)は、日本人のそれよりも2〜3倍サイズが大きいというか、雑というか、おおらかというか、のんびりというか、そんな気がします。仮に3倍違うとしたら(3JA=1AA)、オーストラリア人の5分を日本人は15分に感じる。日本人が階段3階上るのを、オーストラリア人は1階登るくらいにしか感じない。日本人がレストランで5分待たされる感じと、オーストラリア人が15分待たされるのが同じくらい。
だから、総じて、オーストラリア人の方がやるとなったら面倒臭がらない。
時間単位もエネルギー単位も大雑把だから、「お手軽」の感覚が違う。インスタント食品でも、オーブンで温めるようなものが多いですが、オーブンって事前に温めるのに数分、入れてから10分〜20分はかかるわけで、全部で20分前後かかるわけで、そんなの日本人の感覚でいえば、全然「インスタント」ではない。でも、彼らはそれを「インスタント」だと思うのでしょうな。
逆にいえば、同じ事やっても、オーストラリア人よりも日本人の方が、3倍疲れて、3倍面倒くさがって、3倍長くかかったような気がする。あくまで、「3倍」だとしたら、の話ですけど。それが真実何倍なのかわからないし、こんなもん測定できるのかどうか分かりませんが、話を分かりやすくするために書いてます。
でも、たしかに3倍くらい違うかもしれませんな。
徒歩30分くらいの距離だったら、こちらではおばーちゃんでも平気で歩きますもんね。それは基礎体力の違うということもあるのでしょうが、それだけではない。徒歩が面倒臭いのは、「退屈だから」という部分もあると思いますが、おそらく時間感覚も違うのでしょうね。10分くらいの退屈度しか感じないのかもしれません。そういえば、スーパーのレジなんかでも、かかるときは30分くらい待たされるときもありますもんね。
だもんで、オーストラリア人よりも3倍目盛りが細かく、面倒くさがりで、手間惜しみで、イラチな日本人の場合、「お手軽」のキメの細かさが違う。どんどん技術開発をして、手間のかからないものを作る。そういったお手軽な楽しみ、お手軽な商品は、ほんとうに豊富です。
オーストラリアで暮らそうと思ったら、この目盛りを荒くしないとならない。仮に3倍荒くすると、主観的には1日が3分の1くらいに縮まり、1日で出来る件数が少なくなる。絶対的な活動量の総和は一緒かもしれないけど、件数が減る。つまり、朝から掃除して、午後から街に出て、本屋とCD屋をめぐって、途中で10分くらいで牛丼食べて、3時に友達とお茶して、そのあとちょっと洋服を見てから、6時から飲み会があって、家に帰ってインターネットでメールチェックして、夜半になったら恋人に電話で喋って、、とやってるところが、朝から3時間かけて庭仕事して、それから車で1時間かけてビーチにいって、友達とビールのみながら日没までの5時間くらいビーチでぼけっとして、、、という感じで、一個一個の単位がでかくなるわけですな。
だから、ゴールデンウィークに二泊三日で旅行にいくところを、3週間のバカンスをとってのんびりしてくるとかいう具合になるのだと思います。労働条件が変わって、日本人もバカンス取れるようになったとしても、よう取らないかもしれないです。3週間という長さを使いこなせないかも。
しかし、日本的感覚は、もう生まれ育ってきた過程でかなり身に染み込んでる部分はあります。
こっちにきて大分のんびりするようにはなりました。面倒臭がらなくなったとは思います。けど、それでも完全に馴染むというものでもないですし、ちょっと小腹が減ったときに、「あ〜、も〜、お茶漬けみたいなのでいいんだけどな〜、いちいちオーブン温めたりパスタ茹でたりするのは」、、、やっぱり、面倒臭い、と思ってしまうのでありました。
ところでなんでこの面倒臭い感覚細胞の単位が違うのか?これはこれで興味深いのですが、まあ、今回のところはこのくらい書けば十分だと思いますから、また別な機会にとっておきましょう。といって、別に確たるアイデアがあるわけでもないのですが。
やれやれ、今回もなんとか書けたぞ。出来はともかく。
写真・文/田村
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