今週の1枚(07.09.03)
ESSAY 326 : ”Stuffed and Starved" 〜世界の食品事情
写真は、ジュース・バー。あちこちにありますが、ここはBroadway Shopping Centre内のFood Court
例によって新聞記事の紹介をします。書籍紹介記事だから、書籍紹介になるのかな。
Raj Patelという人が書いたStuffed and Starved: Markets, Power and the Hidden Battle for the World Food Systemです。世界の食糧市場のメカニズムを描いたものです。
新聞記事は、SMH(Sydney Morning Herald)の2007年9月1日付。Matt Wade記者による「Know your product/The wacky global food system highlights why we should be fussy eaters」という記事です。以下、適宜翻訳しながら紹介します。原文をつけても良かったのですが、長くなるので割愛しました。原文(英文)が読みたい方は上記のリンクを辿るか、あるいは記事がリンク切れになってたら僕に言ってください。
まず、右の世界地図は新聞記事に掲載されていたものです。クリックして大きくしてみてください。僕も最初にこの図が目に入り、「およ?」と興味を惹かれました。
図の中にこの世界地図の見方が解説されていますが、世界の人口と食料資源からして、各国の人口や食料消費量が本来のシェア分よりも大きい国は、実際の縮尺よりも巨大にふくれあがり、本来のシェアよりも少ない国は小さく描かれています。ですので、アメリカなんかパンパンに膨れあがっていますが、オーストラリアは人口が少なく、消費量も少ないので乾燥ワカメのようにチリチリに縮小しているわけですね。しかしこれで見ると、先進国はどこも一様にデブに膨れあがってますが、日本の肥大化もすごいですね。
色は、その国が世界環境に優しいか優しくないかです。アマゾン川のあるブラジル、大森林のあるカナダは緑色クッキリですが、中東やアメリカは真っ赤です。日本もまた真っ赤。こうして図にすると、「うーむ、わかっちゃいるけれど、、、」とかなりエグいイメージが湧いてきますな。
まあ、この図が示しているように、「世界にはこんなに餓えている国がありながら、同時にこれだけ飽食の国がある」というのは、ある種おなじみの議論でもあります。しかし、この本の内容はそれに尽きるものではなく、世界のフードシステムはどうなっているのか、何が問題なのかを多角的に見ている本のようです。「ようです」とか無責任な書き方をしてるのは、僕自身この本を読んでいないからです(この月曜日にオーストラリアで発売)。が、概要を記している紹介記事だけでも、なかなか「ほお」と思わせる視点が載せられていて面白いです。
さて、最初に紹介されているのは、世界の巨大食品メーカーが、人々の体重の増加と減少の双方にかかわっているという話です。
例えば、日本でも有名なネスレ(Nestle)。この会社、昔は「ネッスル」と言ってた筈ですが、いつから「ネスレ」になったのかな?と思って今調べてみたら、1994年からだそうです。スイスのフランス語圏の会社で、本来のフレンチ・ジャーマン流に発音すると「ネスレ」になり、英語読みにすると「ネッスル」になるそうです。もっとも、オーストラリアでは「ネスレイ」って呼んでますけど。
このネスレですが、チョコレートバーのキット・カットなど人々の体重(カロリー)をUPさせる商品を売ってるわけですが、昨年、800億円でJenny Craigという会社を買収しました。これは痩身美容の会社です。つまり同じ会社が人々の体重をUPさせて商売し、同時にDOWNさせても商売しているという皮肉な構図です。しかし、これはネスレだけではなく、ユニレバー(Unilever)という会社も似たようなことをやってます。ここは、幾つかのアイスクリームブランドをもっていて、その中にはUSブランドの”Ben and Jerry's”も含まれています。ここもまた、痩身美容会社の”Slim-Fast”という子会社を持っています。
もちろん企業は利潤になることだったら何でもやるのがDNAですし、またこの業態の矛盾は違法でもなんでもないし、また反倫理的ってほどのこともないでしょう。そうなんだけど、やっぱり「うーん、そうなんか」と思ってしまう部分もありますな。この本によると、こういった国際的な痩身美容業界は年間3兆円以上の規模の産業であり、毎年10%というものすごい成長産業だそうです。国際企業がこの儲かる分野に手を出さないわけはなく、結果的にマッチポンプ的な業態になってしまっているようです。
次に欧米の農業関係者は、国際競争に競り勝つためにどれだけ国から補助金を貰っているかという話になります。労働賃金や生産コストの高い先進国が農政産物を作っても、賃金の安い第三世界の生産物に勝てるわけがありません。そこで、各国とも自国の農業を保護するために税金から補助金を出しているわけですが、その額がすごいと。
例えば、フランスの乳牛一頭は毎年ビジネスクラスで世界一周ができるそうです。EUが出している補助金を牛一頭あたりに換算すると、そのくらいの額に達するということです。同時に、発展途上国の何百万人の農民達の年収は、この牛一頭分の補助金を遙かに下回っています。
これも、「それがどうした」「そのくらいのことは当然だろ」と思える反面、こういう例を引き合いに出されると、「そうか、世界一周かあ」って思ってしまったりしますな。
しかし、おそらくもっとも奇妙な現象は、このような世界のフードシステムの結果として肥満と飢餓が同時存在していることだとされています。
毎晩、世界の8億人の人々が空腹のまま眠りにつきます。アフリカのサハラ砂漠以南では特にひどく、1990年以降、飢餓人口は20%も増加しています。栄養不良、特にビタミンの欠乏は子供や女性の早期の死につながり、子供の知能発育を阻害し、それが又これらの国々の生産力や経済成長の足を引っ張る結果になっています。インドでは、おおよそ60%の学童期前の子供達がビタミンA欠乏症になっているものと推定されています。また鉄分欠乏はインド女性の70%、サハラ以南のアフリカの50%にも達すると言われています。最近の統計=2000年から2005年の5年間でも、多くのアフリカ諸国では低体重の子供の数は増加しています。
しかし、こういう慢性飢餓状況にある人々の姿は、億人単位の太りすぎの人々の陰に隠れてしまっています。世界のフードシステムの両端にいる人々は、太りすぎか飢餓かのいずれの両極にあるという。
こういう話は30年くらい前から日本でも語られていたわけで、「なにを今さら」系の話かもしれないです。しかし、時代が進み、多少は状況も改善してるんじゃないかと思いきや、状況は益々悪くなっているという。胸の痛む話ですが、その矛盾があまりにも巨大でイチ個人の力で何をどうすることも出来ないため、「考えても仕方のない話」として僕らは日々の生活を送っているわけです。それはよいのですが(良くないんだろうけど)、でもまあ素朴に考えてみれば奇妙な話です。今日明日直ちに何とかなる話ではないにせよ、人類はこのままあと100年も1000年もこんなことやっていくのだろうか、と。ともあれ、畑にいる餓えた人々が作った食物を、太りすぎてる人々が食卓で食べるという構図があり、これらの両極の人々は実はつながっている。
さらに、「飢えている人が肥満になる」という、もう一段のヒネリ(ツイスト)が掛かっていたりします。
どういうことかというと、例えばブラジルのサン・パウロで飢餓的な子供時代を送った人は、成長してから肥満になりやすいという傾向があったりします。幼年時代の貧困により身体の代謝システムが壊されると、大人になったあとも新陳代謝やストックが適正に行われず、摂取した食物を必要以上に脂肪としてためこみ肥満になりやすい。同時に、脂肪の多い低品質の食物を多く摂ることも原因の一つになるでしょう。
この著者であるペテルさんは、ロンドンでコンビニをやっていた実家での子供時代から食糧というものに興味を抱き、長ずるにつれオックスフォード大学、ロンドン経済学校、アメリカのコーネル大学と進学しながら世界の食料事情に関する研究を進めていったそうです。この本は、世界の食品企業のエグゼクティブでない限り一般的にはあまり知られていない、世界の食品事情のダークサイドを網羅して書かれているらしいです。ちょっと読んでみたいですよね。
著書の中でペトロさんは指摘します。
「消費者は、加工食品を喉に詰め込まれ、そして毒されています。世界のアグリビジネス(農業ビジネス)の食製品とそのマーケティングは、食品に関連した疾病を蔓延させていますし、世界中の子供の身体の中に時限爆弾を仕掛けているようなものです。スーパーマーケットは地元の経済を絞り上げてつつ、且つその棚には山ほどチープ・カロリーな食品が並べられています」
「我々は、食べ物の生産現場、それと食べ物を食べる楽しみ、この二つからどんどん切り離されています。この不幸の多くは、我々消費者の無知によって生じています。一口ごと口に運ぶ食物がどういうプロセスで作られているか、どういう問題があるかについての無知です。そして、我々の住宅事情や仕事中心の生活が、より良い食事というものを想像出来なくしています。」
世界の食品会社は毎年1万5000点から2万点の製品を市場に送り出していると推計されています。この膨大な数字を考えれば、我々の多くが日々の食料について無知同然であったとしても頷けます。
チョコレートバーを例に取ると、包装紙に書かれている内容物が何のために使用されているのか正確に知ってる消費者は殆どいないでしょう。内容物の殆どが味に関するものではなく、それらの添加物は、例えば加工や輸送をしやすくするためであったり、店の陳列棚に長く置いておくためであったりします。また、風味を固定したり重ねるための添加物もあるし、防腐剤などもある。
これらの食品内容物うち、意外なほど大量に使われているものが大豆だそうです。ペテルさんは、大豆のことを「食品業界の秘密のアイテム」と名付けていて、「大豆は新しい内容物であり、奇妙で、そして間違いなくそこら中にあふれかえっています」と指摘しています。「内容物に大豆を含む食品は、スーパーマーケットの棚の4分の3を占めますし、殆どのファーストフード食品に含まれています。しかし、我々はどこに大豆が使われているか知りませんし、知る術もないです」。
大豆は健康によいと喜んでばかりもいられず、大豆は大豆のダークサイドがあるとされます。例えば、ブラジルの巨大耕作地では、いくつかの世界企業がアマゾン流域の広範な森林を伐採して耕作していたりします。しかし、こういった環境問題と日々の食卓とのリンクについて意識的な消費者は少ないし、意識しろといっても難しい。
我々をとりまく食生活を作り上げた一つの要因として、ペテルさんはスーパーマーケットの存在を指摘します。スーパーマーケットというのは、1916年にメンフィスのクラレンス・サンダースという小売業者が「発明」したものであり、彼は「買物客が自分でサーブするシステム」としてパテントを取ってすらいます。オーストラリアにスーパーマーケットが上陸したときには、店の従業員が買物客にどうやってショッピングカートをつかって買物するか教えていたそうで、その光景を想像すると、何となく微笑ましいというか、「便利なんだか不便なんだか」というノホホンとした情景に感じられます。
以後90年、スーパーマーケットの存在は、もはやノホホンなんてレベルではなく、我々と食料品との関わり方を根本的に変えていますし、それに留まらず町のたたずまいや、都市計画のあり方すらをも変えています。確かに、スーパーの存在によって、これまでの細長い商店街から一極集中の巨大ショッピングセンター形式へと、町の構造も変ってきていますね。
ペテルさんのスーパー批判は、人々と食料とをディスコネクト(回路切断)する点に留まるものではなく、いかにスーパーマーケットが消費者の行動をモニターし、また消費者の性向を誘導しているかという点にも及んでいます。「病院の集中治療室を除けば、ここまで執拗に人々の行動を監視している存在はスーパーマーケットだけです」と。
スーパーマーケットお抱えの学者軍団は、常に常に最大の売り上げを目指して戦略を練っています。最新の技術は凄まじく、商品につけられているバーコードのなかに小さな送信機が埋め込まれ、どの商品がどのカートにあるか、どの商品とどの商品が一緒に買われているか、さらに店内をどういうパターンで廻っていくかというデーターが日々採取されているといいます。
ここでペタルさんは熱くアジります。「我々消費者はもっと激怒すべし」と。スーパーマーケットの信じがたいような精密な監視システムによって消費者は裏から操られており、同時に多くの生産者は買い叩かれ&搾取され、そしてスーパーマーケットだけが巨万の利益をあげているのだ、と。
また、消費者は、長い年月を経て育まれた「人間と食品とのつきあい」、食べ物の「タッチ」を失っているとペテルさんは論を進めます。このままいくと、あと一世代か二世代で、これまで世界に存在しなかった食品や味が、日々欠くことの出来ない定番になってしまう。日々の食卓に載せられる食べ物が、どうやって、どこから、そして何故ココにあるのか?が全くわからなくなる。
オーストラリアで人気のあるエナジードリンク(リポDみたいなもの)で「Red Bull」という商品があり、この商品に携わったマーケッターは億万長者になっています。このドリンクは、我々を元気にさせてくれ、仕事仕事の日々をサバイブするための日常的な飲料という感じで受け入れられています。しかし、「砂糖とカフェインをぶちこんだだけの飲料」が日常的なものになっているなんてことは、150年前だったら想像すらできなかったであろう。
レッドブルのような「砂糖まみれ飲料」から砂糖の生産現場まで考えを巡らせていくと、農業産業最大の暗黒的な発明、プランテーションの奴隷労働にまで遡ります。
ペテルさんのもう一つの標的は、各食品を世界的に独占支配している個々の企業です。彼らは食品流通システムにおける最大の勝者でもあります。ペテルさんの指摘によると、トランスナショナル社という企業は、世界の食糧貿易の40%を占め、世界の20箇所のコーヒー市場をコントロールし、小麦貿易の7割、パックティーの98%を支配しているそうです。オーストラリアでも、国内独占企業である小麦関係企業・AWBの腐敗スキャンダル事件が起き、いかに世界的な食品業界の裏側が汚いかをオーストラリアの人々に晒したばかりです。
ペテルさんは、フードシステムが今日あるような形のままではそう長くは続くはずがないと警告し、生産者ネットワークとか明るい希望も見えなくはないが、消費者はもっと怒るべきだ、要求すべきだと主張します。"Consumers should be far more pissed off than they are. We are being taken for a ride and left with a lot of health problems."と。
以上で新聞記事は終わっていますが、どれもこれも目新しい話ではないのだけど、それまで知っていた知識を半歩進めてくれている点が興味深いです。また、食にまつわる種々の話を総合的に横断している点でも斬新です。
飽食と飢餓の南北問題は誰でも常識的に知ってますが、その飢餓状況が子供の知能発達を阻害し結果的に南北格差を押し広げる形になったり、子供の頃の栄養不良が肥満を助長することなどは知りませんでした。また、世界の食品が個々の企業によって独占状態にあるということは知識としては知っていても、ここまで圧倒的に独占されているということは知らなかった。防腐剤や添加物の話は日本でも日常的に出てきますが、スーパーの棚の4分の3の食品に何らかの形で大豆が使われていること、その大豆がアマゾンの森林破壊に寄与していることは知りませんでした。スーパーマーケットの存在が、どれだけの影響力をもって我々の食感覚だけでなく都市計画に作用しているか、バーコードに発信器をつけているとかまでは知らなかったです。チョコレートやアイスクリームを売ってる企業が、痩身美容の業種にも進出していることとか。そして何よりも、それら断片的なトピックを一度に大きく論じるという視点を持ってなかった。
ということで、それほど「おおお、そうだったのか!」という衝撃はないのですが、それぞれの領域で半歩づつ僕らの認識を進めてくれる点で紹介した次第です。
これで終わってもいいのですけど、なんとなく書いていて「今回は薄いなー」と思うので、オマケをつけておきます。
シドニーではいよいよ今週からAPECが始まります。
環太平洋の諸国、合算すればGDPで世界の60%を占める各国首脳が一同に会するわけで、セキュリティその他でシドニーの交通事情はタイトになりそうです。メインの7日(今週の金曜日)は、警備その他の理由から臨時に国民の祝日にもなっています。
右の写真は、参加諸国の首相の写真や各国のプロフィールなのですが、これもクリックして大きくしてみてください。
僕が、これをみて「おや?」と思ったのは、日本の安倍首相の写真です。
なんか、すごーく老けて見えませんか?かなりお爺ちゃんに見えますよね。
日本で安倍首相というと、まだまだ若々しいイメージがあり、実際に世に出回っている写真などもそれなりに若々しいものです。しかし、この写真の老け具合はなんなんだ?と。1954年生まれの52歳だから絶対年齢としても老けてはいないし、他の首脳と比べても若い方だと思います。が、この写真を見る限り、なんか疲れたお父さんっぽいですよね。
僕は安倍首相と個人的に友達でもないし、直接会ったこともないです。おそらくあなたもそうだと思いますから、彼が実際にはどういう風貌をしているか、どれだけ若々しいかなんてことは、自分の目で確認しようもないです。マスコミで流通される写真や映像を見るしかない。おそらくこの写真は、光線の加減その他で陰影が強く、実際よりも老けて見えるのかもしれませんが、こういう写真ってあんまり日本で見られないのではないかな。
首相官邸が各マスコミに「もっと若々しい写真を使いなさい」と検閲まがいのチョッカイを出しているってことはないとは思いますし、マスコミが意図的に自粛してるってわけでもないのでしょうが、どことなく暗黙の了解みたいなものがあるのかもしれないです。ところが、海外のメディアはそのあたり無頓着&無神経ですから、結構ドギツイ写真でも使っちゃうんでしょうね。それだけに「お?」と思わせられました。
老け具合よりも気になったのは、他国の首脳がおしなべてエネルギッシュで、良くも悪くも独特のオーラを発散しているのに対し、安倍首相の場合、どことなく枯れてますな。エネルギーがないというか、覇気がないというか。この写真からイメージされるオーラは、老荘思想というか、山寺の境内を竹箒で掃いている和尚さんのような「わび、さび」を感じさせます。それが、まあ、日本的っちゃ日本的なのかもしれませんけど。
あと、各国の金持ち度を計る国民一人当たりのGDPの額ですが、JAPAN AS NO.1の過去の栄光は遠ざかり、アメリカにかなり差をつけられているのはまだ分かるとしても、カナダに負け、香港にも負けちゃってますね。それどころか、オーストラリアにも僅差で負けてるじゃないか。生活実感や物価の高さからいって、「もしかして今やオーストラリア人の方が日本人よりも金持ちなんじゃなかろうか」と薄々感じていたわけですが、こうして数字でみるとしっかり負けてるわけです。「むむ、オーストラリアごときに」と思っちゃいますね。でもって、気がつくとシンガポールに背後まで迫られてたりして。
まあ、金持ってればいいってもんでもないし、GDPが全てを表わすわけでもないから、そんなに気にすることはないのだろうけど、でもやっぱり「むむ、、」と思ってしまう部分はあります。うかうかしてらんないです。
文責:田村
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