今週の1枚(07.05.07)
ESSAY 309 :映画「A Touch of Spice」 〜生活することのリアリティ
写真は、シドニーでは有名な老舗のホール、Enmore Theater。エンモアというのは、ニュータウンのさらに先に位置するサバーブで、ニュータウンよりもひなびているというか、うらぶれてるというか、ローカル度と殺風景度が増しているサバーブです。同時にロック度も高く、ゴスファッション専門の店とかあったり、撮影した日も真っ赤なモヒカンのお兄ちゃんが歩いてました。ロック独特のカッコいい殺風景さが好きな人には好きなサバーブ。また、エスニック的にもよりディープで、バングラディッシュ料理の店とか、インカ料理の店とかあったりします。
最近、ニュータウンもライカードも軟弱になってきてて、隣のサバーブの方が(ハーバーフィールドとかエンモア)むしろ昔の濃いムードを残していて面白かったりします。
先日、ギリシア映画の「A Touch Of Spice」をレンタルDVDで借りてきてみました。
日本ではあんまりメジャーな映画ではないと思いますが、良い映画でした。話の内容は、イスタンブール(コンスタンチノープル)で少年時代を過ごした主人公が、40代半ばになってから、30年ぶりに帰るという映画です。社会背景には1960年代のギリシャとトルコの軋轢があり、少年の父がギリシャ人ということで、少年の一家はトルコから国外追放されてしまいます。トルコにいるときはよそ者のギリシャ人として扱われ、ギリシャに帰ればトルコ人として扱われるという民族的アイデンティティが重く静かに響いています。
しかしながら、映画そのものは軽妙でコミカルなタッチで描かれており、タイトルからわかるように、随所に散りばめられているトルコ料理とスパイスの話がいい味付けをしています。食料品店をやっている祖父が、少年にスパイスを人生と宇宙にひっかけて説いたりするのですが、このお祖父ちゃんがまたいい味してます。買物に来た若い主婦に、「旦那さんの家族もくるのだったらミートボールにはクミンをいれずにシナモンを入れなさい」とアドバイスをします。なぜかというと、「クミンは強いスパイスなので、食べた人は自分の世界に入り込んでしまう。しかし、シナモンは人と人とを結びつける。他人の目を見てちゃんと話すようになる」と。食料品店に山のように積まれたスパイスの中で、お祖父ちゃんは少年に講釈します。ペッパーは太陽のようなものだ。中心にいて全てを見る。だからどんな食物にもペッパーは相性がいい。美の女神であるビーナス(金星)に相当するのはシナモンだ、甘くて、そして苦い。地球は塩だ。全ての生命を支える塩だ、とかなんとか。「ほお」とか聴いちゃいますね。
スパイスといえば、常々書いてますが、こちらにきて世界の食べ物に触れると、そのハーブやスパイスの世界の広がりに圧倒されます。日本料理には、残念ながらその種の文化が少ないです。塩胡椒のほかは、ワサビとかカラシ、ショウガくらいでしょう。なんせ醤油と味噌という万能調味料があるだけに、数十とあるスパイスをセレクト&調合して下味をつけるという料理法が発達しなかった。肉をそれほど食べなかったので、その必要性にも乏しかったのでしょう。それだけに僕らのスパイスやハーブに関する知識は少ない。スパイス=辛いとか、スパイス=インド料理=カレーとか、まるで「日本人男=忍者、日本人女=芸者」みたいな超大雑把な捉え方しかできない。これは勿体ないなと思いました。中国の漢方薬の世界に匹敵ないしは凌駕するくらいの奥行きのある世界ですので、機会があればお試しあれ。特にシドニーのようにエスニック料理の宝庫のような都市にいるならば、です。「なにをどうやって味付けしているのか全く見当もつかないけど、でも美味しい」ってものが多いですから。
この映画は、そのあたりのスパイスに関する風景が文字通り「スパイス」になっていて、楽しめました。見ていて、「ああ、トルコ料理食べたい!ヴァィンリーブス食べたい!」とか思ってしまった。
しかし、映画を見て一番心に残った感想は、「やっぱりどこも同じなのね」ということです。見知らぬ外国の、見知らぬ文化の、見知らぬ時代だから全然理解不可能ってことはなく、町のたたずまいとか、家族の関係とか、そのあたりはもう「同じなんだなあ」と。
「外国といったって、思ったほど違うわけではないよ」ということは、13年前に一番最初にシドニーに着いた初日に感じました。本当にもう拍子抜けするくらい、そう感じた。このエッセイでもしばしば「あまりにも同じなのでびっくりした」と書いてますが、そのときの感動が今にいたるまで連綿と続いています。
しかし、ここで言っている「同じ」という感覚は、言葉にして説明するのはとっても難しいです。個別箇所を明示しながら、「ここが似てる、あそこが同じ」ということではなく、「人がいて、集まって社会をなし、そこで頑張って生きている」という意味で「ああ、同じなんだなあ」ってことです。分からんですよね、こんなこと言われたって(笑)。分かる人は既に分かっているのでしょうし。えーと、だから、なんと言えばいいのかな、誰だって家族は愛しいし、でも愛しい存在であっても時として疎ましいし、仕事するのは面倒くさいけど、それなりに充実感はあったりするし、値段は安い方がいいけど、あんまり品質が悪いのはダメだし、1万ドルと言われるよりは9999ドルと言われた方が何となく安く感じるし、エレベーターに乗ったら何となく所在なげで気詰まりな空気が皆を支配するし、、、ってことです。夕暮れの駅に、一日の仕事を終えて帰ってくる人々のオーラが、疲労と、心地よい充実感と、家に帰れる喜びとが複雑にミックスされている感じとか。
そりゃ、もちろん細かいことを挙げていけば、全てが違うと言っていいですよ。法体系も、宗教観も、人生観も、文化も食べ物も全部違うっちゃ全部違う。そんなの当たり前なんだけど、ものすごいベーシックなところを貫く部分、なんというか「人間が生活している」という部分では、「ああ、同じなんだ」と思えたわけですし、今でもそう思ってます。
この認識は、僕にとってかなりガビーンとくるものでした。当時も「おお」と思ったけど、時が経ていくにつれ益々そう思うようになった。大袈裟にいえば、もう天地がひっくり返るくらいの認識の転換です。コペルニクス的転換ってやつです。なぜなら、この認識を推し進めていくと、結局「外国なんか無い」って発想につながっていくからです。慣れ親しんだ日本があって、それに対置する形で全然異質な海外や外国世界が広がっているという世界観だったのがぶち壊されて、要するに「地球があって人類がいて、それだけなのね」というシンプルな世界観に変わりました。もっといえば「地球があって自分がいる」というだけのことね、と。
言葉を換えれば、要するに地球全部が自分の陣地になったようなものです。これまでの「日本(ホームタウン)→海外(異郷)」という認識に囚われていた場合、やっぱり海外はおっかなびっくり「よそ者」として暮すところだったりします。もう何十年住もうが、永住権も市民権も取ろうが、どこまでいっても本拠地ではない。異郷は異郷。当然そういうもんだと思ってたのが、実は違うんじゃないかと。日本に居るのも、海外のどっかに居るのも、本質的な意味では等価等質なのではないかと。別に場所なんかそんなに決定的な意味は持たないのではないかと。だから、”頑張って”海外にいるとも思わず、またそもそも「海外」にいるとすら思わなくなる。 そこまでいくともう恐いものなしというか、俺はどこにでも行ける、どこででも暮らせる、地球は俺の遊び場なのだという大きな気分に浸れるわけです。つまり、大きな地球のほんの1%にも満たない小さな日本だけしか本来的に生息不可能で、それ以外の海外に住もうと思えば息を止めて頑張ってないとイケナイみたいな図式だったのが、全部自分の領土になるわけですから、その世界観の変更は「巨大」なわけですよ。陣地100倍。
もちろん、そんなこといっても、現実問題暮すのは大変ですよ。そもそもビザの問題やら、戦争やら、いろいろあるもんね。それらを軽視するわけではないし、そのしんどさは僕自身経験的よく知ってます。でも、本質的じゃないのね、と。
ところで、今書いていることは「異文化に慣れる」というレベルの出来事ともちょっと違います「オーストラリアに慣れてきたから外国のような気がしない」というレベルの話をしているわけではないです。ここ微妙なんけど、全然違う次元の話です。勿論、「慣れ」という側面もありますよ。それもムチャクチャ大きな要素であります。しかし、これもまた本質的ではない。
言うまでもなく、民族とか文化は偉大なことです。数千年の蓄積があったりするわけですからね。だから異文化との間には大きな断絶があるわけで、そこに橋渡しをするのは「慣れ」という現象であり、大きな大きな実践的な意味を持ちます。決してそれを軽視するつもりはないんだけど、なんと言えばいいのかな、たとえ文化が2000年やら4000年の歴史を持つ偉大なものであったとしても、たとえ文化の断絶が大きなものであっても、それでも尚、一人の人間が生きて生活していくそのリアリティはそれ以上に巨大なことだって思うのですよ。
異なる言葉や風習も味覚もシステムも、10年20年〜50年、60年と長い歳月をかければ馴染ませることは可能です。変更可能だということは、要するに時間的変化にすぎないとも言えます。穀物を発酵させて長時間おいておくと酒になるみたいに、時間的要素が大きい。もともと自分が日本人だとか日本文化が好きとかいうのも、たまたまそれに接してきた時間が長かったからそれに馴染んでるだけとも言えるわけです。日本文化が素晴らしいのは認めるにはやぶさかではないし、好きな人は多いでしょう。でも、民族衣装である和服なんか殆ど誰も着てないし、日本古来の建築様式の家に住んでるわけでもない。別にそれを非難する気もないですが、なぜ日本文化を愛しつつも日常に取り入れないのか?といえば、不便だからでしょ。いちいち和服なんか着て出勤してらんないもんね。つまり、人間一人が生きて生活していくリアリティというのは、愛する文化すらたやすく退けられるくらいの強さを持っているのだということです。
逆に言えば、リアルな生活がそれを求めるという必要性があり、それを自分が納得していれば、慣れてようが慣れてまいが受け入れてしまうのですね。「慣れ」というのは、単に長時間やってると頭や身体に深々とパターン認識が刻み込まれるという生理化学変化に過ぎないわけで、本質的なわけではない。あくまで本質的なのは「人間が生きて、生活していく」というリアルな現実です。人間が、泣いたり笑ったりしながら生きていくという現実や日常性の凄さみたいなものに比べたら、いかに国境線がぶっとく描かれようが、いかに文化や宗教が強大なものであったとしても、尚も取り替え可能なバックグラウンドであり、環境因子の一つに過ぎないんじゃないか。その人間のリアルな生活の強さ、たくましさ、愛らしさや人間なるがゆえの共感が、僕には感動的だったわけですし、今なお感動するわけですね。
僕がこの映画で感じたのも、人間が生きていくというリアリティへの共感です。お祖父ちゃんと子供が対話する空気の感じ、親族揃ってゴハンを食べる感じ、少年時代のトラウマを尚も引きずる感じ、それを克服するために訪れる感じなどなど、全てが了解可能なんです。見たこともないイスタンブールやアテネの街の風景、そこでの食事、ギリシャ語だかトルコ語で喋られ英語の字幕が入るという面倒臭さなど、普通に考えたらかなり「遠い」話、接点なさそうな話なくせに、この違和感の無さはなんなんだ?という。なんでこんなにスッと入っていけるんだという。
オーストラリアにきて、「あまりにも同じでびっくりした」というのも、あなたからすれば全部当たり前のことでしょう。例えば、道路は日本と同じようにアスファルトで舗装されていてセンターラインが引かれているとか、歩行者は両サイドを歩くこととか、階段というものが存在するとか、階段には手すりがあるとか、電車に乗るときはキップという紙片を購入するとか、何からなにまで同じじゃないかって。こんなことで感動してるのは変なのかもしれないですよね。でも、こういうベーシックなところが同じだったら、あとはもう枝葉末節じゃないの?って気もするのですよ。なぜなら、こういう形状、こういう物体、こういうシステムがそこに存在するということは、それを求める人間がいるということであり、そのニーズや解決方法が同じだとしたら、人間としての原点的な発想や欲求は同じじゃないかと。まあ、人間なんだから同じで当たり前なんですよね。でも、僕は敢えてその当たり前のところに感動したいわけです。
この映画に出てくる現代のギリシャやイスタンブールの風景も、エレベーターがあって、タクシーがいてとか、喫茶店みたいな存在があって、郊外の住宅地に芝生の公園があってとか、、、そういう部分は同じなんですね。なんでエレベーターがあるの?といえば、そりゃ誰でも歩いて階段上り続けるのはしんどいからですし、しんどいと思う部分は同じじゃん。なんで喫茶店があるの?といえば、一人であるいは誰かと一緒にいたい場所、しかも自室ではないという、半分公共で半分プライベートな場所が欲しい、そして快適な水分補給をしたいという意味では同じなんだなと。
僕が最初にオーストラリアに来たのも、日本と違う事物を見て「わあ」と思おうという観光的要素よりも(もちろん、そういう部分も大きいけど)、「人間とはなにか」「世界とはなにか」ということを知りたかったんでしょうね。当時はうまく自分でもわかってなかったけど、この先自分が生きていく可能性みたいなものを模索しに来たわけです。自分が自分らしく生きていくのは、日本の領土以外でも可能なのか?ということを確かめに来たという。ここに生活している人間はどういう連中なのだ?ということを見極めようと思ったところ、もう初日の段階で、「なんだ、俺と同じじゃん」っていうことが分かってしまったのですね。それに感動したわけです。
さて、もう少し敷衍します。
同じ日本国内、同じ日本人、同じ時代であっても、「こりゃ、全然違うわ」ってことは多々あります。下手な海外よりは日本国内の違いの方がよっぽど激しいという。例えば、東京でマンション住まいをしている人が日本の離島かどっかで暮す方のに比べれば、シドニーでフラット暮らしをする方がはるかに馴染みやすいと思います。あるいは日本の都会で派遣社員をやっている女性が、こちらの語学学校に通ってタイ人や韓国人と机を並べている環境変化は確かに大きいでしょう。しかし、日本人の男性と結婚して旦那の郷里に住み、姑さんや親族達に囲まれて暮す方が、もっと大きな環境変化になるでしょう。はたまた、日本で遠洋漁業をやっていて、毎年3回くらいしか自宅に帰れないような生活をしている方々もおられます。その人達が、どっかの外国で同じように遠洋漁業をやるのと、東京のど真ん中で別の仕事をするのとでは、後者の方が戸惑いは大きいかもしれません。
つまり、あなたが馴染んでいる環境、あなたの血となり肉となり価値観や生き方に染みこんでいる要素というのは、必ずしも「日本」という因数で全て分解されてしまうわけではない。あなたがあなたであることを成り立たしめている要素を、一つ一つ取り出して眺めてみるといいです。別に日本ということは関係ないかもって事柄が意外に多いと思います。それは例えば「母である自分」とか、「○○さんの恋人である自分」とかいうアイデンティティであったりもするでしょう。あるいは刑事魂、記者魂という職業的なものかもしれない。サッカーが好きとかドラムが上手とかいう趣味や特技かもしれない。部屋が散らかってる人は海外に暮してもやっぱり部屋は散らかりますよ。涙もろい人はどこにいっても涙もろいでしょう。正義感の強い人も、自己中な人も、どこにいこうがそんなに変わらない。
そう考えていくと、国内にいるか国外にいるかというのは、さして本質的なことではないんじゃないかという気分になります。また、だからこそ、国際結婚をして海外に暮す人もいるわけですし、より自分らしさを生かすために海外にチャンスをもとめていくのでしょう。
別に日本人だからといって、食べ物は全部和食、映画も邦画のみ、音楽も邦楽のみ、小説も翻訳物は一切読まない、何からなにまで日本、日本、日本で埋め尽くされている人は少ないでしょう。あなたがスパゲティを食べようが、ハリウッドの映画を見ようが、洋服を着ようがなんだろうが、あなたがあなたであるというアイデンティティは変わらないだろうし、あなたの中にある日本人性が揺らぐものでもないでしょう。そーゆーことじゃないのね、という。逆に言えば、日本人であるというのは、あなたを構成している大事な一部かもしれないけど、でも、一部に過ぎない。そのパーセンテージやレシピーは人それぞれでしょうけど、思ってる以上に大きなものではないでしょう。
これが一つ。もう一つは、同じ場所、同じ時代に暮している日本人であったとしても、人によって見えている風景は全然違います。警視庁捜査一課でバリバリやってる刑事さんと、どこかの病院で働いている栄養士さんと、毎日代々木ゼミナールに通ってる予備校生の彼と、リタイアして短歌の同人誌を主幹している人と、不動産業を営んでいる人と、、、、という感じで、それぞれに毎日見ている風景は違う。Aさんが花屋さんで花束を作ってるその瞬間、Bさんは血が飛び散ってる殺人現場で犯人の足跡に石膏を流し込んでいて、Cさんは誤植の訂正に目を真っ赤にしていて、Dさんは授業中居眠りをしていて、Eさんは手形のジャンプのために走り回っている。本当に全然違う。一人として全く同じということはない。
こんなに見ている風景も、日常生活も、したがって価値観も生き方も違う僕らが、なぜ「僕ら日本人は〜」という具合にひとまとめに言えてしまうのか。これだけ多種多様な個体を「日本人」という因数で分解できちゃうのか。そこにある「同胞」感覚というのは何なのか。その正体は、僕は文化とかナショナリティだけではないと思います。何かというと、「同じ時空間で頑張って生活している者同士」という連帯感だと思います。つまりは生活や現実のリアリティです。
「やー、今日も一日の仕事が終わった」と思って夕方の電車に乗り、そこに乗り合わせた雑多な人々は、全くといっていいくらい接点がないですが、それでも「頑張って日々を生きている」という意味では同じです。同志であり戦友みたいなものって言ってしまったら大袈裟過ぎますが、「やあ、ご同輩」くらいの親和感はあるかもしれない。それは、初詣や花見の人混みであったり、父親参観日に居心地悪げに教室の後ろに立ち並んでる人同士であったり、忘年会の会場でトイレに並んでる人同士であったりしても同じでしょう。別に温かい共感が流れるわけではないのですが、同じリアルな生活を営んでるという共通性はあるでしょう。ガソリンスタンドで居合わせたら「やあ、こうガソリンが高くなるとやってられませんな」と雑談をしたり、スーパーの野菜売り場で「ホントに最近高いわねえ」と言葉を交わすこともあるでしょう。
この、「生活、大変だよね」「でも、頑張ろうじゃん」みたいな共感と連帯が、今の日本はメチャクチャ薄まってはいるかもしれないが、今なおあると思います。
そして、このリアルな生活感というのが、僕にとっては大きな要素だったりします。外国であろうが、国内であろうが、僕らの日常、僕らの人生を貫いている、常に鳴り続けている通奏低音はまさにこの部分だと思い居ます。
以上、整理すると、同国人だろうがなんだろうが、人というのは個人個人徹底的にバラバラなんだよというのが一つ。しかし徹底的なバラバラな我々も「同じ時、同じ場所を頑張って生活してる」という生活のリアリティという一点で、容易に共感しあえるものなのだとうことが一つ、です。
僕がこの映画を見て感じたのは、なによりも生活のリアリティへの親近感であり、それは最初にオーストラリアに来たときの印象を思い起こさせるものであり、「このモコモコした妙に温かいものは何なんだ?」と考えていったら、今週のエッセイが一本出来てしまったというわけです。
さて、映画の話に戻りますが、この映画、ユーモアのタッチとか、間の取り方とか、人々の生活のペーソスとかからして、ハリウッド映画よりも日本映画に感触が似てます。駅のシーンで別れる所なんか、健さんや田中邦衛が出てきてもおかしくないですよ(ああ、「駅」とかまた見たくなったな)。いいオッサンになった主人公の、無口で二枚目なんだけど、どことなく疲れていて内省的な感じは、役所広司に雰囲気が似てます。また微妙にユーモラスな間の取り方は伊丹十三監督の「たんぽぽ」を彷彿とさせます。そういえば授乳のシーンを人間と食物の象徴として出してくるあたりは、まんま「たんぽぽ」ですね。あるいは家族や親族とのやりとりが巧まずにコミカルになる感じは、向田邦子脚本と言われたとしても妙にうなずけたりもします。
あと、遠い少年時代が全てのキーになっており、長い年月を隔てて再びそこに訪れるという意味では、「ニュー・シネマ・パラダイス」の別ヴァージョン or 焼き直しって部分もあります。確かにテイストが似てる部分もあります。だけどドラマのパターンなんかそう幾つもあるものではないので、そこが似てるからどう、とは僕はあんまり思いませんけど。
ドラマパターンですけど、大雑把に分類してしまえば10個もないのではないでしょうか。どこか遠くにいる悪者をやっつけに、同志を得ながら旅をするという物語パターンがありますが、このパターンに属すれば全部同じと言ってしまえば、「ロード・オブ・ザ・リングス」も「桃太郎」も同じっちゃ同じです。はたまた「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」と呼ばれるパターンがあります。さる高貴な生まれの人間が、不幸の境遇に落とされつつ旅や冒険をし、持って生まれた高貴な正義感に突き動かされて行動するようなドラマです。源氏物語の須磨の巻とか、伊勢物語の東下りとか、義経の奥州下りとか、海外では小公子なんてのもそうですな。これはTVドラマやマンガ、小説にも生きていて、桃太郎侍なんかもそうだし、「北斗の拳」のリンが実は天帝だったとか、刑事小説の「新宿鮫」なんてのもまさにコレでしょう。
この映画に出てくる「子供の頃の自分と今の自分とが呼応しあい、そして大きな円環を結ぶ」という物語パターンを何と呼ぶかはわかりませんが、これも数えていけば沢山あると思います。そういえば、前にも一度似たようなこと書いたような気がしますね。そうだそうだ、「20世紀少年」について書いたときですね(essay227)。だから、決して珍しくはないのでしょう。
最後に映像ですが、光の感じが柔らかい、綺麗な映像だと思います。もっとも光の使い方が上手なのは洋画一般に言えることで、どうして日本映画はあんなに光の使い方に無頓着なのだろう?と不思議になることもあります。が、これは映画がそうというよりも、もともとの生活がそうなのでしょうね。西欧の場合、天窓とか、ステンドグラスとか「射し込む光と明暗」というものを積極的に取り入れている気がします。絵画でも、邦画の水墨画や屏風絵、浮世絵は画面全体の光度が同じでしょ。でも、西洋画はかなり明暗をクッキリつける作風が多い。文字通り「光の画家」といわれるレンブラントなんかその典型ですが。リアルタイムの日常生活でも、蛍光灯中心の平面的照明がメインな日本と、間接照明を多用する西欧とでは違う。なぜなんでしょうね?考えてみると面白そうです。
さて、本当はギリシャとトルコ、キプロス、さらにレバノンの話とか書こうと思っていたのですが、そのマクラを振ってるうちに一本出来てしまいました。次回に書こうと思います。
そうそう、書いていたら辛抱たまらず、enmoreのトルコ料理屋にいって、Turkish PIDE(トルコ風ピザ)とキャベツロールとヴァインリーブスを買ってきました。満足(^_^)。
キャベツロールとヴァインリーブスは、右の写真のような状態でお店で売られています。ちょっと外の風景が反射で写りこんでしまって見えにくいけど。どちらも酸っぱい食べ物で、酢漬けにしたキャベツの葉、あるいはブドウの葉で、これまた酢漬けにしたライス(あるいは混ぜご飯)を巻いています。この酢漬けの味が絶妙で、最初に食べた頃は「なんだ、これ、酸っぱいだけじゃん」みたいに思ったりするのですが、段々と美味しさがわかってきます。ただの酢漬けじゃないのですね。
大体酒でもなんでも、新しい味覚の開拓には「捨て玉」が必要で、美味しさを体得するまで時間がかかります。英語で言うと、"acquired taste(獲得された味覚)"。1−2回食べて「美味しくないや」と思って諦めてしまうと、一生美味しいものを一つ知らずに死んでいくわけで、それが損だと思う人は、なんでもトライしましょう。
文責:田村
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