今週の1枚(07.04.23)
ESSAY 307 : 最近、音楽を聴かなくなった
写真は、いつの間にか秋色につつまれてきたGlebe。
えー、ここのところ堅い話が続いたので、ちょっと肩の力を抜いてソフトな話でもしてみようかと思います。
最近、昔ほど夢中になって音楽を聴かなくなりました。
中学から20代、30代前半くらいまでは、音楽聴きまくってました。もう音楽がないと死んでしまうくらいの感じで(^_^)。でも、段々と聴かなくなりましたねー。
いや、聴かないと言っても、車を運転するときは聴いてます。一人で乗ってるときは、携帯電話が鳴っても、クラクションが鳴らされても気付かないくらいの轟音でカーステレオかけてるときもあります。ウチの車のカーステは未だにCDRしか再生しないので(MP3形式はダメ)、CD一枚に20曲も入らないのですが、せっせとドライブ用に自分でセレクトしたCDを焼いたりしています。かれこれ30-40枚は焼いてるでしょう。セレクトの範囲も、ゴリゴリのロック系からジャズ、クラシック、場合によっては演歌やヒーリング系まで、「俺が良ければそれで良い」という超パーソナルな選曲だったりします。ブラックサバスが流れたと思ったら、由紀さおりの「夜明けのスキャット」になり、筋肉少女帯になったかと思えばヘミ・シンク(瞑想系で有名)になり、ドビッシーが流れたと思えば椎名林檎になり、アル・ディメオラになったかと思うとAC/DCになり、ついでに石川さゆりの「天城越え」が飛び出すという。ちなみに「天城越え」はプログレですねー。曲想は全然違うんだけど展開の感じからしてYESあたりに演奏して欲しいです。ついでに「津軽海峡冬景色」はジャーマンメタルのスコーピオンズあたりがやるとはまりそうです(彼ら「荒城の月」はやってるけど)。
なんだ結構聴いてるじゃないかって思われるかもしれないけど、それだけっちゃ、それだけの話です。車に乗ってないときは全然聴かない。たまに聴くこともあるけど、「だー、うるさい!」って思うことの方が多い。自然に疎遠になるというよりも、「やかましいわい」という積極的な拒絶だったりします。前は、勉強中だろうが読書中だろうが、音楽が流れていた方が調子が良かったんですけど、今はそんなことないです。エッセイ書いてるときだって、大抵は無音で書いてます。
この段々音楽を聴かなくなっていく傾向は、二つの側面があると思います。一つは、自分が年を取ったから。年をとるとあんまり音楽に興味を示さなくなる傾向が一般的にはあります。もし年寄りになればなるほど音楽に熱中するなら、「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨のとげ抜き地蔵商店街はCD屋ばかりになるだろうし、東京ドームに集まるオーディエンスの平均年齢は72.6歳という現象が起きてる筈です。高校生あたりがバンドやってると、クラスメートから「盆栽やってる」くらいの目で見られ、「なんかジジ臭い趣味だな」と言われなければならない筈です。しかし、そうはなってない。やはり音楽産業のメインターゲットは若い世代でしょう。新しい音楽も若い世代から出てくる場合が多い。ということは、年齢と音楽趣味は反比例の関係にあることになります。年をとると段々音楽を聴かなくなるという経験則がありそうです。なぜ、そうなるのか?これは面白いテーマなので後で書きます。
もう一つの要素(仮説だけど)としては、ここ最近の傾向として世界的に出てくる音楽がつまらなくなっている、あるいは音楽が社会に与えるパワーが相対的に衰えてきているような気がします。これは「気がする」だけで錯覚かもしれないし、音楽雑誌などに言わせれば「何を言ってるんだ、今空前の盛り上がりを見せているんだ」とかいうことになるのかもしれないけど、だったら何故いつまでも古いバンドが売れているのだろう。ビートルズは別格にしても、ツェッペリン、クラプトン、ストーンズ、クィーンあたりのアンティークな大物バンドが未だに大物的存在感でいられるという現象はなんだろう。復刻版CDとかボックスとかやたら出てるじゃん。でも、あんなの30年とか40年前のバンドでしょ。未だに現役でやってたとしても最盛期はやっぱり70年代でしょ。例えば80年代に30年前のバンドが今ほどのプレゼンス(存在感)を持っていたかというと、それはないでしょう。80年代のニューウェイブとかバブリーなユーロビートが盛んだった頃、1940-50年代あたりの音楽、つまりハワイアンとか、フランク・シナトラとか、初期のロカビリーなどが今みたいな存在感を持ってたわけではない。ロックンロールの元祖が54年のビル・ヘイリーだとか、その頃からプレスリーが出てきたわけだけど、70-80年当時の僕らはそんなに普通にプレスリーは聴いてなかったですね。チャックベリーもまあ、ロックをやる以上は「教養」として知っていたくらいで。そんなに「すごい!」とは思わなかった。そうかジミーページはこれを真似してるワケかという知識レベルの聴き方です。
なんとなく音楽全体が先細りの感があるんですよね。少なくとも、ジミヘンみたいにジミヘン前/ジミヘン後という、紀元前/紀元後みたいに全世界のロックを一変させるような革命は起きてないように思います。細分化された領域で、それぞれに革命的なミュージシャンは出てるのだろうけど、音楽よりも一つの上の「人類史上の事件」レベルの大物はまだ出てないような。1000年後の歴史の教科書で、「20世紀から21世紀の音楽」というタイトルでピックアップされるようなミュージシャン&曲、モーツアルトやベートーベンのライバルになれるくらいの大物は、そんなに出てないような気がします。
「いや、そんなことはないぞ」という反論は沢山あるとは思うけど、僕がいってるのは「ちょっと目新しい」「今流行ってる」くらいじゃダメで、100年経っても誰もが知ってて、普通に聴かれるようなレベルでの超大物のことです。一過性の大ブームが去ったとしても、なおも音楽自体のレベルが突出していて優秀で、その優秀さがゆえに聴かれ続けるような音です。
もし今言ったような何となくの先細り傾向があるとしたら、それは何故なんだろう?という疑問が次にきます。最近のミュージシャンは器用だけど小粒が多いからとか、そんなありきたりの理由ではなく、もっと大きな理由があるような気がします。ミュージシャンが努力してないとか、才能が無いとかいうことも、確率的にそんなことはないんじゃないかな。持って生まれた才能というのは、いわば遺伝子の順列組み合せなのだろうから、確率的にいって世界人口60億人もいたら、36億人時代よりも天才が多く出ていてしかるべきだと思う。しかし、単に天才として生まれただけではド名曲を後世に残すことは出来ず、やはりその天才を育む環境が無ければならない。例えば、モーツアルトが石器時代に生まれたり、南海の孤島に生まれたら、自分の天才性にすら気付かなかったかもしれない。仮に気付いて、その才能を生かして、その現場における音楽器具や様式に合わせて名曲を作ったりしても、皆に取りあってもらえなかったかもしれない。クラシック界の天才達がキラ星のように輝き出すルネサンス、バロック、古典派、ロマン派というのは、日本でいえば戦国時代から江戸時代にかけてです。それ以前の西洋の音楽というのは、基本的には教会音楽、宗教音楽というありかたしかなかった。その後、何故音楽の天才達は豊かにその才能を開花できたかといえば、社会の中にそれを育てる土壌が出来てきたからでしょう。つまり王様や貴族という軍資金たっぷりのパトロン階級がいて「宮廷音楽家」という職業が成り立ち、また一般大衆においてオペラなどの「音楽産業」というインダストリーが成立したという背景があるからだと思います。「音楽だけやっててメシが食える」という状況ですね。
日本の場合、例えば能を例に取りますと、この源流は古く、奈良時代に遡るそうです。大陸渡来の音楽様式に「散楽」というのがあり、これが能の源流になったそうです。もともとは歌と踊りとマジックというエンターティナー集団だったらしいのですが、平安時代以降各地に散り、寺社などの保護を受け、祭礼の時に演じるようになりました。つまり西欧における教会と同じく、日本では神社やお寺がこれらの民間芸能のスポンサーになったのですね。この頃から「猿楽」と呼ばれるようになり、また日本土着の「田楽」などと融合し、鎌倉時代には「座」という一大芸能集団を作り上げていきます。室町時代に足利将軍という最強のパトロンに恵まれた頃には観阿弥、世阿弥という不世出の天才を輩出し、単なるエンターティナー芸から「芸術」に昇華させます。以後、織田、豊臣、徳川という武家エリートの保護を受け続けて存続しますが、逆に大衆性を失い、武家のための芸術になります。明治維新によって保護者を失い打撃を受けますが、その後皇族、華族、さらには国家の保護を受けて存続しています。能が武家階級の高尚な「お芸術」になる頃、庶民は歌舞伎を育て、江戸や大坂で年中興業を打ち、蔦谷が写楽という若い才能を抱えて役者絵(浮世絵)を売り出すという、今でいうメディアミックスのような形で、興業・出版という芸能産業が成立していきます。要するに芸能が芸能として成立するためには、宗教権力や特権階級による保護を受けるか、あるいは一般大衆に芸能産業が芽生えるかが必要だということですね。
もっとも、その意味では、今は音楽産業は隆盛であり、途方もなく巨大な産業構造に育ってきていますから、環境的には昔よりも恵まれているとも言えます。だから経済基盤だけが背景事情の全てではない。では、ほかに何があるのか。ここになってくると微妙なんですけど、@社会の中に、感性やメンタリティ、価値観や思想信条、生活様式を共通する集団がマスとして存在すること、そしてAその集団がある特定の音楽によって満たされたり、自己表現できたりという音楽的快感を感じることが出来ることが必要なのでしょうか。例えば、昔々に集団的な農耕or狩猟生活を行ってる集団がいます。彼らの生活様式は同じですし、感性も似たり寄ったりだったでしょう。そして、年に何回か、秋の収穫を祝うとか春を祝うという「祭り」があり、皆がそれを楽しみにしていた場合、その祭りで鳴らされる音は彼らの中で音楽として成立し、受け入れられ、伝承されていったでしょう。世界各地にある民族音楽の原型であり、日本でいえば祭り囃子、田植え唄、大漁唄、民謡になるのでしょう。
時代が下って社会の分業化が進むと、誰も彼もが大地を耕しているわけではなく、貴族や武士、都市生活の町民、地方の農民と分れていき、民族一体となった民族音楽というのは生まれにくくなるでしょう。それでもそれぞれの階級や集団内部で、それなりに音楽形態の発達はあったでしょう。例えば、北米で奴隷として虐げられてきた黒人達の間でブルースが生まれ、黒人霊歌やジャズが生まれました。現在に至るも歴然として差別されているアメリカの黒人達は、ストリート芸能であるヒップホップを生み出しているわけですが、やはり被差別の現実と意識が、社会の中に感性を同じくするマス集団を生み出し、その集団の自己表現として新たな芸能形態を生み出すという関係になるのでしょう。同じように、ジプシーはジプシー音楽を育んできたわけですし。
そして、細分化されていく社会を統合するマスメディアも登場しますし、エジソン以降「録音→再生」という画期的な技術革新をキッカケに、レコード、ラジオ、TV、DVDという形で、あらゆる音楽が流通するようになります。ブルースもヒップホップも、本来ならば日本のヤンキーカルチャーと同じように世界の珍しい局所文化で終わってた筈なのですが、たまたま世界の一大情報発信基地であるアメリカで起きたために、広く世界に知られるようになったのでしょう。
ロックやポップスの黄金の60〜70年代も、東西冷戦〜アメリカの軍事化〜日本の再軍備〜ベトナム戦争という一連の政治背景をもとに、反戦平和というムーブメントが起き、学生運動が起きた頃の話です。また、昔のように人間としてのナチュラルな正義と国家社会の発展が重なり合っていた無邪気さは無くなり、国家や物質文明に反発するヒッピームーブメントもありました。いずれにせよ、世の中を切り回している大人達の動きに、世界の(といっても一部の先進国だけの話だけど)の若者達が大声でNO!と叫んでいた時代です。そのNO!と叫ぶ巨大なエネルギーが、巨大なカウンターカルチャーを産みだし、ロックというものが人間性奪回、自己奪回のための表現というか、BGMというか、テーマソングのような形で鳴り響いていたわけです。
しかし、その種の世界の動きとシンクロしたマジカルな時代はすぐに去り、あとは技術論と目新しさになっていったと思います。例外なのは、イギリスでパンクが出てきたくらいでしょうか。まあ、セックスピストルズのデビューは76年だから、これも70年代なんだけど、これまでとは違った角度での衝撃はありました。不況下における強烈な格差社会ではじき飛ばされた若者達が、思いっきり中指突きだしてNO!と叫んだわけです。しかし、そのコンセプトは、60〜70年代初期のような「皆で人類の方向性を変えよう」という愛と自由と連帯的なものではなく、ひたすら個人的な怒りに終始し、だからどうしようという方向性も解決案も提示してないです。ひたすらムカついている、ぶっ壊せ、ロンドンを燃やせ!と叫ぶ音楽なのですが、瞬発力が身上であるだけに純粋な形では長く持続せず(ピストルズはわずか2年で解散)、すぐにイクイブリアム(平準化)というか単なる音楽のイチ形態になっていったと思います。
以後、バブリーだったり、閉塞状況だったり、スピリチャル回帰だったり、その時々の時代のムードを鳴らす音楽は出てきていますが、70年代みたいな、どっか〜ん!というムーブメントは無いんじゃないでしょうか。サブカルチャーがあそこまで社会的に力を持っていたという。良きにつけ悪しきにつけ時代はこう変わっていくぞと無邪気に信じられるものがない。変ってほしいなという願望はあるけど無邪気さはない。変わらない絶望を鳴らす音はあるけど、それもトコトン絶望しているかというと、世の中豊かになって適当に食えちゃうからシリアスさに欠け、切羽詰まったオーラが出ない。世の中に対する不満や怒りは常にあるけど、方向性が定まらず拡散したり、個人を軸に内向したり。
というわけで、ここのところ音楽をやりにくい状況が続いているような気もするのですね。
やっぱり、世の中がうわーっと盛り上がってて、演奏しても大きくウケてたら、そりゃミュージシャン側もノってくると思うのですよ。ますます創作活動に熱が入ろうというものです。ノってるからかなりの実験作や冒険作でも作ってみようと思うでしょうし、商業的にも成功しているからそれが許されるし、また売れてしまう。ピンク・フロイドみたいにLP片面まるまる一曲みたいなことも出来ちゃうわけです。業界の体制もギチギチの管理体制じゃないから大らかだったんでしょうね。そんなこんなで名曲・佳曲がたくさん生まれたのでしょう。ある意味ミュージシャンとしても、リスナーとしても幸福な時期だったのかもしれません。あとはもうサブカルチャーも段々商業ベースに取り込まれていったように思います。
このように、音楽が盛り上がるかどうかは、背景にある時代性、その相性というものはあるのでしょう。
あと、蛇足ながら補足するとしたら、若者中心の反権力的なサブカルチャーがわーっと出てきて、大きな野外コンサートをやって、ムーブメントと呼ばれる現象が起こったわけですが、そういう出来事自体が物珍しかったという点もあるでしょう。レコードやカセット、TVが一般に普及して、同じ音楽、同じ番組、同じコンセプトをリアルタイムに広く共有できたという点でも、人類史上初めてかもしれない。初めてだから皆夢中になれたし、新しい時代という感じがしたのでしょう。アメリカでウッドストックがあれば、日本でも、フォークブームでつま恋コンサートとかやってたし。それ以後、レコードの売り上げ枚数やライブの動員数はどんどん増加しますが、それは量的な拡大であって、質的な飛躍ではない。
同じようにTVがお茶の間のアイテムとして完全に定着した70年代というのは日本における歌謡曲が歌謡曲として最も成立しえた時代だと思います。山口百恵(73年)、キャンディーズ(73年)、ピンクレディー(76年)くらいまでは、国民だったら皆知ってる、どうかすると皆歌えるくらいの浸透度でした。今40歳前後の女性だったら、ピンクレディーのフリは身体で覚えているから今でもかなり踊れる筈です。それでもピンクレディーの最大のヒット曲は200万枚いってないです(UFO、195万枚)。その頃くらいまでじゃないかな、国民誰もが歌えるというのは。松田聖子(80年)になると、人は知ってるけど曲は知らないって感じになります。歴代アルバム売り上げ第一は宇多田ヒカルの765万枚、二位がB'Zの513万枚ってなるけど、国民誰もが歌えるってもんでもない。そもそも聴いたことないって人も結構いると思うぞ。このように時代が下るにつれ売り上げ枚数そのものは破格に伸びるのだけど、国民全体に対するインパクトという意味では逆に薄くなってきている。いくら売れてもムーブメントにはならない。それはアーチストが悪いのではなく、音楽カルチャーという存在自体が珍しくて皆が熱狂できた頃とは土台が違ってきているからなのかもしれません。
しかしながら、ここで視点をポ〜ンと大きく変えてみます。
そもそもそんな世界や人類の動きと人々の心や音楽がシンクロするような事態がマレなのであって、そんな珍しい時代を基準に考えてもしょうがないって考え方も出来るのではないかな。そんなに年がら年中どっか〜ん!って来るわけがないじゃないかと。
それに音楽が日常にあふれかえるとか、若者が音楽漬けになるとかいうのも、長い人類の歴史で言えばごくごく最近のことでしょう。だって、エジソンが蓄音機の特許を取ったのが1877年ですから、レコードなどの再生機器がこの世に登場したのは精々100年強くらいの話であり、それまでは100%のライブ以外に音楽に接する機会なんかなかったもんね。祭礼や宴会、芝居や宴会大道芸くらいしか音楽に接する機会はなかった。だから若者だけが聴いていたってこともないし、人々が音楽漬けになってるわけでもなかった。別にそれでも良かったわけでしょう。蓄音機が日本に入ってきても、最初は高価すぎるから家庭に一台なんて持てるわけはなく、どっかのダンスホールで流れてる程度。家庭に入ってきても、家父長制が残ってる当時は、一家の主人がデーンと構えて聴いていたから、クラシックやジャズ、アメリカンポップスくらいでしょう。たまたま裕福な家庭に生まれた子女は、その恩恵に浴して家で音楽に接することが出来たけど、庶民階級には無理ってな時代が続いたと思います。
だから、若者が主体的に音楽を聴くようになってきたのは、レコードプレーヤーやカセットなどの再生機器が大衆価格になってきた後、つまりは高度経済成長以降の話です。それまでは歌謡曲といっても美空ひばりのように、別に若者を対象にした音楽ではなかったし、いわゆる若者のためのジャリタレもアイドルもいなかった。これが橋幸夫や舟木一夫の青春歌謡と呼ばれるジャンル(「高校三年生」とか)が出てきて、さらにGS(グループサウンズ)が登場した頃から、若者がターゲットとして想定されるになってきたと言えます。要するに1960年以降の話であって、たかだか50年程度の歴史でしかない。音楽=若者のカルチャーという図式は、広い認識としては誤っているし、そういう現象は確かにあるけど局所的、一過性のものでしかないってことです。
さらに、レコードやCDの売り上げやライブ動員といった消費社会における「商品としての音楽」と、「音楽」とは必ずしも一致しません。当たり前のことですけど。風呂に入ったときについ口ずさんでしまう鼻歌も音楽であり、あなたがギターを抱えて適当にアドリブで弾いたり歌ったりするのも音楽です。デモ隊がバリケードの中で気勢をあげるために歌うのも音楽だし、島の人々が酒盛りで手を叩いて歌うのも音楽です。というよりも、こういった自然発生的に生じるのが本当に生活に密着した音楽のありかたなのでしょう。少なくとも人類は、その長い歴史においては圧倒的にそういう音楽の接し方をしてきた。なにもオーディオセットやiPODで「商品としての音楽」を聴くだけが音楽のありかたではないし、むしろそっちの方が邪道、といっては言い過ぎだけど、記憶媒体の電気的再生をしているだけであり、ダイレクトに音楽に接しているわけではないとも言えます。今の日常生活で、CDもレコードもiPODもステレオが全部存在しないとしたら、一体どのくらい音楽に接することになるのか?自分で歌うか、誰かが演奏するのを聴くしかないのだとしたら、日常的に音楽に接する機会はかなり少なくなるでしょう。でも、それが本来の姿だと言えなくもない。
日本の商業音楽の歴史は、要するに電機メーカーの歴史でもあります。日本のレコード会社というのは、ソニー、東芝EMI、ビクター、コロンビア(日立)という具合にもともとは大型電機メーカーが親会社になっていて、そこが発売するハードウェア(オーディオ機器)を売るためにソフトも作りましょうというメカニズムになってたりします。もちろんナベプロやエイベックスのように電機メーカーと関連のないレコード会社もあるけど、メインストリームはハードのためのソフトであった。そして、TVなどのメィディアも巻き込んで巨大な産業構造が構築され、いわゆる「業界」というものがデーンと出来上がっているわけです。でも、それもこれもあれもどれも、ぜーんぶエジソン以降の話なのであって、業界=音楽なのではない。この点は特に注意しておくといいかもしれません。
なんでこんなことを改めて思うのかというと、ふと冷静になるとですね、自分の中学以降の音楽遍歴というのは、要するにこういった音楽資本主義の流れに乗せられて、音楽中毒になってただけじゃないの?って気もするわけです。「最近の音楽はつまらない」「わからない」とか言いますが、よく考えたら、そんな毎年、毎月、毎週新しい音楽が出てくることの方が異常だとも言えます。人間の芸術活動、例えば絵画であるとか、彫刻などが、そんなに毎週毎週ヒットチャート的に登場するわけはない。また、人間の芸事あるいはエンターテイメントが、何がなんでも新しい形態を模索しなきゃいけないってものでもない。ダンスにせよ、落語にせよ、マジックやサーカスにせよ、文学や小説にせよ、それぞれの分野で進歩や発展はありますが、それでも「今週のヒットチャート」って世界ではない。また、古典落語やトラディショナルなショー、社交ダンスなどは、ある程度完成されているから、別に「最近の」というフレームで捉える必要もない。100年前と一つも変わってないけど、でも今見ても感動するものは山ほどあります。
どうして音楽だけが、「今週の」とか「最近の」という感じで、チャカチャカ目まぐるしく変わりつづけ、我々は追っかけていかねばならないのか?ついていけなくなった時点で「俺もトシだな」と思わねばならないのか?それって何かおかしくないか?って思うのですよ。なにかしら「そういうもんだ」と僕らは思いこんでいるけど、それって思いこまされているだけじゃないの?と。年がら年中鳴り物入りで新譜が出て、猫の目のように目まぐるしく変わっていく音楽というのは、本当の意味での「音楽」なのか。それって、結局は音楽産業の消費促進のための戦略ではないか、それに乗せられてるだけではないかと。
とまあ、硬くなっちゃいましたけど、当然の前提にしている音楽のありかたについて、多少懐疑的になってもいいかなって思った次第です。
もちろん商業音楽を否定しているわけでもないし、録音再生技術の進歩によって多大な恩恵を被っております。これらの商業音楽の電気的再生によって救われたことも何度もあります。感謝してます。が、それはそれこれはこれで、もしかして、ちょっとオブセッシブ(強迫観念)だったのかもねって思ったりするわけです。
ところで、前述のように、家にいる間、全くといっていいほど音楽を聴いていないわけですが、それが苦痛だとか、間が持たないとかいうことは全くないです。これは、オーストラリアの今の居住環境がいいからなのかもしれません。このあたりは非常に静かで、昼間でも最大の騒音は鳥の鳴き声や、近所の子供の遊び声、芝刈りの音くらいです。夜間になるとほとんど無音状態。虫の音とか、雨の音だけが聞こえます。あと時計の音かな。そのくらい。このナチュラルな静寂が一番の御馳走というか、何も聞こえてない状態が最も心が安まります。これを敢えて破ってまで音を鳴らそうと思ったら、一定以上の水準の音でないと許されない感じ。でも、そんな音、そうそう滅多にないです。
何も音が鳴ってないと不安とか寂しいとかいう感覚、昔、日本にいるときにはありましたけど、今では全くないです。夜にTVをつけてないと間が持たないとか、静かすぎて物寂しいって感覚も、今では拭われたようになくなりました。もともと何の音もしないのが自然の姿なのだとしたら、それが不安だとか寂しいとか思う方が変なのではないか?とすら思うようになりました。それって、あたかも自然の山野の風景に電柱やビルが見えてないと不安だと言ってるようなもので、人工物なんか無ければ無いに越したことがないんじゃないの?と。
車に乗るときは聴きますし、時々近所の家がパーティやっててうるさいときなど音楽を流しますが、これって要するに「暇つぶし」であり、「防音」としての音楽ですよね。トイレが匂うから芳香剤を撒きましょうみたいに、周囲が不快なノイズで満ちてるから、音楽を流して不快さを消しましょうという。でも、こういう芳香剤的な聴き方というのはミュージシャンに対して失礼というか、まあ、失礼ではないんだろうけど、なんだかなって思っちゃったりします。
だから、たまにリビングのステレオを鳴らして聴くときは、かなり集中して聴きます。”ながら”では聴かない。というか聴けなくなっちゃいました。
学生時代の試験勉強のときなどはひっきりなしに音楽を流してながら勉強してた人間が、どうしてこうなっちゃうのかな?と不思議でもあるのですが、もしかしたら、やりたいことをやってるからなのかもしれません。幸いにして自営業ですし、毎月「むむむ」となりながらも何とか暮らせています。時間の自由は結構ききますし、あんまりガマンして何かをやらねばならないって時間は少ない。まあ仕事は当然しますが、自分で好きでやってることですから、そんなにストレスはたまらない。だから何かをやるときは、結構集中してやってしまうのでしょう。あんまり他のことで邪魔されたくない。だから、イヤでイヤでしょうがないことをやってるときは、今でも音楽流します。つまり、税金のための帳簿を付けたりなどの作業をするときですが、僕はこれがイヤでイヤで仕方がないのですが(^_^)、そういうときは音楽鳴らします。そうそうジョギングやストレッチやってるときとかもそうかも。
ひるがえって考えてみると、学生時代「ながら」でやってたことって、やりたいからやってるというよりは、イヤイヤやってたものの方が多いような気がします。勉強なんか典型的ですが、イヤなことをやってるから、その苦痛を少しでも和らげるために音楽を聴くという感じ。コーヒーだけだと苦いからクリープを入れるとか、なんかそんな中和剤とか緩和剤的に音楽を聴くというのも、またミュージシャンに悪いような気もしますね。
いずれにせよ、あまり音楽を聴かなくなったという現実はあるわけで、そういう事象がある以上、なんらかの原因や理由があるのだと思います。今回ちょろっと書いたのは、「音楽を聴かなくなった」のではなく、案外とこれが本来の姿なのかもしれないなって。僕は、詳しくはないけど絵画も好きですし、造形美術も、小説も、映画も好きですが、別にのべつまくなしこれらに接しているわけではない。展覧会にいったり、画集や写真集を開くことはあるけど、別に毎日ではない。だから、音楽もこれと同じようなレベルに戻ってきただけのことなのかもしれません。本来的にそんなもんじゃないの?という。
トシを取ると聞かなくなる云々まで書いてたら紙幅を越えてしまうので、また次回以降に持ち越します。今回は、この程度で。
文責:田村
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