今週の1枚(01.12.03)
雑文/お客様は人間です
「お客様は神様です」というのは、三波春夫氏のあまりにも有名なステージコピーである。このフレーズは、三波氏のオリジナルかどうか、僕は詳しく知らないけど、彼がこのフレーズを言うことによって広く日本全国に浸透したと思う。
このフレーズ、よく考えてみれば過激である。なんせ神様である。僕の知る限り英語でこんなフレーズはないと思う。英語圏に限らず、キリスト教にせよイスラム教にせよ、宗教がガッチリ根付いている社会では、「神」は超越的存在として歴然として実在しており、たかが”商取引の一方当事者”ごときが神様に比肩されるようなことはないと思う。それこそ神への冒涜ではないか。ジハードを唱えるオサマ・ビン・ラディンがそんなことを言うとは思えない。いろいろ宗教は氾濫しているけど、結局のところ世界でも珍しい無宗教国日本だからこそ、気楽に神様をもってこれるのだろう。
「お客様は神様である」という命題は、日本では広く受け入れられているようである。それも三波春夫氏が言い出してから、新たにそうなったというものでもないだろう。優れたコピーがそうであるように、最初の社会全体にまだ命名されていない「気分」があり、それを的確に言語化し、言霊を与えたのだろう。
でも、どうして日本においては客は神様扱いをされるのだろうか?
これがアジア独特の文化ではないことは、チャイナタウンで飲茶を食べてぞんざいな客あしらいを体験すればわかるであろう。配膳でも、箸や食器をテーブルに殆ど放り投げる、あるいは叩きつけるかのようにやるもんね。あるいは、インドその他の国を旅行して、タクシーひとつ乗るにも延々値切り交渉(というかボッたくり防衛)をやった人なら、とても「神様」として扱われているとは思えないだろう。
日本においても昔っからお客様が神様であったわけではないだろう。いったいいつからそうなったのだろう?
このフレーズの素地になるのは、昔から日本に受け継がれてきた商人道みたいなものがベースになっているのだろう。しかし、商人の歴史はそれほど古いものではない。物々交換だったらはるか昔からあったであろうが、いわゆる資本主義的な、貨幣経済のような形が整うのは、かなり時代が下ってからだと思われる。
経済史はそれほど詳しくはないのだが、商業が商業としてカッチリ確立するためには、貨幣制度、流通機構、治安や裁判制度などの社会的なインフラ、さらに一定の技術革新や知的水準が整う必要がある。つまり国家が通貨を鋳造し、その価値を保証しなければお金がお金として世の中で認められないし、流通ルートが整備されなければ歩いていける近距離内で朝市のような市が立つのがせいぜいだろう。また、泥棒に入られたり山賊に教われたりしても誰も取り締まらないのなら危なくてやってられないだろうし、料金を踏み倒されても誰も救ってくれないのなら踏み倒し得である。輸送設備や保存方法の開発も不可欠であるし、皆に基礎的な数学的知識がないと複雑な商取引もできない。
うろ覚えの日本史を思い出し出し引っ張り出すと、ある程度恒常的に商業というものが確立されていくのは、戦国時代に信長が楽市楽座をひらき、さらに秀吉が商業重視の政策を打ち出していった以降ではないかと思われる。それ以前は、神社などが専売制を敷いて元締めとして君臨して新規参入を阻害していたし、無数にある関所が通行料を勝手に徴収していたから流通機構などろくすっぽ無かったのではないか。だから信長の楽市楽座は、ビッグバン以上の超規制緩和であったのだろう。それだけに抵抗勢力も強かっただろうと推測されるが、そこは何といっても武将である。それも天下統一をするような強い軍団だったのだから、抵抗勢力など力づくで潰せただろう。信長、秀吉の安土桃山時代で、堺商人がどーしたこーしたとかいうのは教科書に書いてありましたよね。すごいのは一気にルソン助左エ門など、東南アジアまで出かけていって、グローバルビジネスを開拓していった人達がいることである。なにかのキッカケで道が開かれたら、僅かな間に人間というのは行くところまでいってしまうものなのだろう。
それ以前の商業というのは、「おじいさんが山に柴かりに」行って、おそらく里で売りさばくような朝市的な規模に過ぎなかったものではないでしょうか。「唐渡りの〜」「南蛮渡来の〜」いわゆる海外有名ブランド品も流通していただろうが、多くの民衆は食うや食わずの生活だったろうから、そーゆー高価な品物を買うのは特権階級だけ、つまりは貴族と武士階級ないしは有名神社仏閣くらいのものだったであろう。人口比でいえば、こういった特権階級の比率など微々たるものだろうから、これら有名ブランド品を商う商人といのがいたとしても、今で言えば、デパートの超高級外商や宮内庁御用達のようなものだったであろう。それも、購入する場合に常にお金を払っていたかどうかは疑わしい。「上様に献上」みたいな、純然たる商取引とは言いがたい部分も多かったであろう。
実際、商業経済が本格的に発達してきたのは、元禄時代などの江戸中期からであろうし、紀伊国屋文左衛門などの豪商もこのころから出てくる。現在創業400年という老舗の商家もあるが、400年といえば、やっぱり江戸中期である。ある程度の治安の安定と、巨大な都市生活圏が出現してはじめて、商業は本格的に発達するのだろう。日本全国を廻る、樽廻船、菱垣廻船でしたっけ?流通網が出てくるのも江戸期以降ですし。歴史の教科書で、いわゆる「町人文化の発達」なんて書かれているあたりの話であろう。
それでも基本的に日本は農本主義だったし、皆さん土地にしがみついて「一所懸命」にやっていた。大都市経済が発達した江戸時代にせよ、侍の給料は米だったりするし、GDPも「○万石」とかいう米基準での計算表示である。花のお江戸や商都大阪がいかに賑わっていたとしても、大多数を占める地方においては、昔ながらの農業経済だったのだろう。
ところで、村の人たちはどうやって現金収入を得ていたのだろうか?京都大原の花売娘のように、やっぱり産地直送(といってもインドのように頭に乗せて自分で歩いて運ぶだけだが)で町まで売りに行っていたのであろうか。大阪堂島が全国の米商いの中心地であったというが、米がそこまで大々的に流通していたとして、誰が売ってたのだろうか。農家の収穫は年貢として取られてしまうから、年貢を収奪したお上が売ってたのだろうか。それとも年貢を納めた余り部分が、自主流通米のように売られていたのだろうか。このあたりのことになると僕もよくわからない。一般的に記憶に残る日本史は、政治史であり、もっといえば「○○の乱」がどうしたとかいう戦争史だから、こういった庶民史や経済史になるとあまり覚えていない。
よくはわからないのだけど、この程度の商業レベルで、なんで「お客様は神様」みたいなカゲキな思想が日本人のコンセンサスになっていたのだろうか?ハッキリ言えば、そんなに全国レベルのコンセンサスになっていたとも思えない。大都市商業圏の商家においては語られていたとしても、津軽や薩摩のお百姓さんまでがそんなことを言っていたとも想像しにくい。
商家において語られ、それが商道徳、商人道となるのは、おそらく鴻池家などの創業者が家訓として言い残していったからだろう。松下幸之助の松下哲学のようなものだろう。また、江戸時期に勃興した、庶民の人生/処世哲学である心学あたりがその普及を促したのだろう。哲学といっても、日めくりカレンダーの金言名言の類だとは思うが、その方がなじみやすいから普及はしますよね。
ところで、日本人の特徴として、道具を進化させることよりも人間を磨く方が好き、という話を読んだことがあります。たとえば日本刀でもそうですが、真剣はメチャクチャ重いし、あれを振り回して人を殺すのは、かなりの修練が必要です。逆にいえば、ユーザーフレンドリーではなく操作性が悪い。日本刀といえども基本的には戦争兵器なんだから、より操作性が良く、より効果的にダメージを与える方が良いに決まってます。手のリーチ内でしか威力を発揮しない日本刀は、かなりの白兵戦にならない限り使えない。だから、合理主義的な戦国時代は、鉄砲が伝わるやいきなり世界でも有数の水準の鉄砲生産国になったりしている。それが江戸期に入ると、家康の政策もあって技術革新はとめられ、また日本刀の時代に戻ってしまうのだが、そこでは「兵器」というよりは、精神的なものになり、「刀は武士の魂」という発想になっていく。こうなるともはや「道具」ではない。
お茶を飲むこと、花をいけること、字を書くこと、みな哲学化して「道」になる。生け花でも、「天・地・人」とかいう。茶道でも、電気ポットで湯を沸かしたほうが楽なんだけど、そうはしない。基本的にはマーシャルアーツである空手などの格闘技でも、「空手に先手なし」「押忍」などという精神的支柱がある。
それが悪いといっているのではない。これはこれでカルチャーの深い進展の仕方だと思う。「喉が乾いたからお茶を飲む」、「Aという目的を達成するためにBという行為をする」という原型から、いかに効率的にA目的を達成するかというのが技術革新だとしたら(それもまた日本人の得意な分野であるが)、「Bという行為をしているワタシ」に焦点を据えて内省していく。「お茶を飲んでいる私」「なんでお茶なんか飲んでいるのか」「お茶を飲むことによって得られる精神的満足の本質は何か」と考えは発展し、それは精神の沈静というリラクゼーションとメディテーションであり、同時に、「主と客」という人間関係を極度にシンプルにした形式において、「もてなしの心」「対人関係の本質」というものを模索しているのでしょう、多分。その深みがあるからこそ、アートになるのでしょう。
武士などという階級は、もともとは暴力団みたいなもので、それが調練されて軍団化しても、その本質は暴力集団である。人を殺し、傷つけてなんぼである。それが、いやそれだけ凶悪危険な事柄を扱うからこそ、精神の重要性が説かれるようになる。最終的には、武士道なり葉隠れ思想に結実し、「武士道とは死ぬことと見つけたり」までいってしまう。
商道徳においても話は同じなのだろう。なにしろ哲学好きな国民性であるから、「儲けりゃいいんだ、儲けりゃ」という銭ゲバ的発想から進化していく。社会にお役に立つとか、他人様のお役に立つこと、カスタマーサティスファクションの極大化を旨とし、利潤も短期的ではなく長期的視野に立って考える。これらは、「そうした方が結局儲かる」という実践的なマーケティング戦略に裏打ちされていることもあるが、同時に商人であることの誇りやプライドを醸し出す。
「お客様は神様」というフレーズも、その文脈で理解すべきであろう。マーケ戦略的には、カスタマー・サティスファクションの追求であり、商人が商人としてのプライドを保つための凛冽たる自己規定なのだろう。
このような文脈で考えると、商人側が「お客様は神様」と思ったり、言ったりするのは良いけど、客の側が調子にのって「俺は神様だぞ」と威張るのは、筋が違うであろう。それは、茶道が「もてなしの心が本質」というから、「おう、俺をもてなせよな」と客が傍若無人に振る舞うようなものである。
しかし、なぜか今の日本においては、この傍若無人の免罪符として「神様論」がまかり通っているような部分があると思う。多少の金を払ったからといって、絶対君主のように高飛車に振る舞い、エラそにしてる奴を見てるととりあえず腹が立つし、個人的には、悪い部分だと思うし、改めた方がいいと思う。お客様は人間であり、対等であると。
これは、「お客様は神様」というフレーズを抹殺すれば良いというものではない。その根底にあるもっと大きな問題は、日本には対等な人間関係というものが少ないこと、日本人の人間関係の構築能力という問題だと思う。どこかの誰かが言っていたのだが、「日本には、”平等”はあるけど、”対等”はない」と。
もっとも儒教文化の国で「対等」をいうこと自体難しいのかもしれない。儒教というのは人間関係を概ねすべてタテに配置する。君には忠、親には孝、そしてやっと「同朋には信」ということで水平レベルが出てくる。社会に出てから本当に対等になれるのは、同期入社か、インターネットで知り合った同好会くらいのものである。それにしてもすぐに出世の差が出て来たり、序列がでてきてしまう。対等ではないということは、どちらかが傲慢であり、どちらかが卑屈であるということである。
しかし、昨今のように、儒教文化が徐々に崩壊し、先生や親といっても別に誰もビビらなくなってきた場合、求められるのは対等な人間関係構築の技術であり思想であろう。先生の権威がなくなったら、対等で自由な人間関係が生まれるかというと、
そうではない。対等関係の技術が豊かでないと、対等にならず一気に傲慢になって校内暴力的になるか、学級崩壊などになってしまうという。
対等な人間関係というのは、別にカジュアルになったり、タメ口をきけばいいというものではない。全然違う。実は、メチャクチャ難しい人間関係だと思う。「対等」というのは、なにも「親しい友人」というわけではない。親しい友人は確かに対等ではあろうが、逆必ずしも真ならずで、対等な関係がすべて親しいわけではない。と言うよりも、旅先のバス停でたまたま隣り合わせに座った人みたいに、まったく初対面という場合の方がむしろ多いと思う。
タメ口というのは、言わばrude(失礼)なしゃべり方である。親しい友人同士で、失礼な喋り方が許容されるのは、既にもう信頼関係が構築されているからである。根っこの部分でお互いに認め合っているから、表面的な喋り方うんぬんでその関係が傷ついたりしないのである。つまりは親しいのである。親しいからタメ口でも許されるし、それが似合うのである。ここのところをよく誤解してるお調子者がいたりして、タメ口は親しさの表現だと言ったりする。そうではない。話が逆である。まず親しさなり信頼関係なりができてから、喋り方が伴うのであって、親しい信頼関係が構築されていない段階でタメ口をいうのは、失礼でしかない。そんな独りよがりの親しさを押し付けたって、「ガキだな、こいつ」と思われるだけである。
むしろある程度上下関係があってくれた方が、お互いの座標軸がわかるからやりやすい。疎遠なときは、とにかく相手を立ててればいいんだから楽である。つまりは本気で会話に集中してなくても、形式さえ守っていればなんとかなるのである。それが親しくなるにつれて、徐々に上下濃度を薄めていけばいいのだ。ところが、対等な人間関係というのは、いわば座標軸もないから無重力で浮かんでいるようなものである。足がかりがない。
また、「会社の取引先」「上司」など、こういった場合にはこういうパターンという、一定のパターンがあるから、それに準拠していけばいい。初対面での会話の内容も、ある程度お約束的に決まってるから、その意味でも楽である。しかし、「旅先で出会った人」なんて場合はパターンがないから困る。しかも、相手も千差万別。どんな話題、どんな会話の組み立てであろうが、ある程度は対応できるようなインターフェイスが必要になってくる。
海外で生活するようになって英会話で困るのも、英語そのものの問題というよりも、「いろんな奴と対等につきあう」という技術そのものが未熟であるという面も大きい。たとえば、隣り合わせにルーマニア人が座ったとして、1時間、なにを会話したら楽しく時がすごせるのか?何を話せばいいのよ?という問題があったりするのである。
対等な人間関係のコツらしきものといえば、結局、もう少し自分本来の地を出せばいいのだと思う。これは、パソコン通信のフォーラムやらインターネットやらで、初対面(というか会ってすらいない)の人々と楽しく盛り上がったりした経験で言えば、パターンにすがらないで、子供のように自分のキャラクターを出せばいいのだと思う。人間というのは、自分では当たり前に思っていても、それぞれの人の地のタタズマイというのは不思議な諧謔味、おかしさがある。いい年してプラモデルについてちょっと熱く語るだけで、十分におかしいのである。それがすなわちチャームであり、愛される所以であると思う。「あの人、ちょっと変だけど面白いね」という。ちょっとくらい変だからこそ面白いのである。100%普通だったとしたら、それはそれでそんな人滅多にいないからまた逆に面白いという。
もちろん、最低限の礼儀は守る。未知の人間同士はとりあえず警戒感が漂うから、相手の心理的な武装を解除するためにも、笑顔と礼儀は必須である。見知らぬ国を旅する人の最強の武器は笑顔であると言うし、きちんとした礼儀は相手にたいする敵対心攻撃心のなさを示すものであるから、第一歩といえる。
礼儀をナニゲに守りながらも、地を出すというのが、対等なつきあいの基本だと思います。
心理学のレポートかなにかで読んだことがありますが、人間というのは、その人を見慣れてくればくるほど、あるいはその人の情報を知れば知るほどその人に行為を抱くようになると。だからTVのエグいキャラクターで、最初は不快な存在であっても、段々と見ているうちに慣れてきて、最後にはファンになっているという。食べ物の珍味に似てる。
そしてこの場合の「情報」といっても、生年月日や本籍やら勤務先やらという系統だったものである必要はない。どっちでもいいようなものでいいし、むしろどっちでもいいようなモノの方がよかったりもする。たとえば、ごく普通のサラリーマン然とした田中さんという人がいるとする。田中さんが○○商事勤務で、何年生まれで、、、という情報を知るよりは、「カレーには絶対ラッキョがついてなければ許せない人」という情報の方が、むしろ親しみを覚えたり、その人となりを知った気分になるのである。ラッキョについて熱く語ってる田中さんは、以後皆から「ラッキョさん」と呼ばれたりするわけである。
そう思ってしまえば、対等に付き合うことなど別に難しいことでもなんでもないと思う。なぜなら、僕らは皆子供の頃そうやって過ごしていたんだから。基本的に、人は誰でも他人をいともたやすく愛する能力があり、他人から愛される素質をもっている。だからこそ、適者生存の厳しい淘汰をサバイブしてきたのだろう。徹底的に人付き合いがダメな人だったら、子孫も作ってないだろうから、そのDNAははるか昔に途絶えているだろう。いま僕らが存在してるということは、それぞれにチャーミングな先祖を持ち、そのチャーミングなDNAを受け継いでいるのだろう。
冒頭に戻って、「お客様は神様」というフレーズであるが、商人道の心意気や真髄を示すものとして、商人側が自戒を込めて言ったり思ったりする分にはいいのだが、客の側が、「俺は神だ」というのはおかしいと思う。
無礼な店員の言動に対して、「客に向かってなんだ」という言い方も、そろそろ止めた方がいいかもしれない。無礼な言動は、あなたが客であってもなくても無礼なのであり、無重力な人間関係においてもそれは咎められるべきである。それを前提に、「世の中そういう奴もいるさ」でやり過ごすなり、怒るなりすればよい。また、客は、理不尽で傲慢な言動が許されるような特権階級にあるわけでもない。ある意味では、「客」という人間関係パターンを持ち出してこなければならない分、人間関係構築能力が貧困化してるか、あるいは怠けていると言えなくもない。
またこのような悪習(敢えてそう言うけど)が継続することによって、「無理難題を言う人 vs 我慢して従う人」というあんまり健康的ではない人間関係が世の中に増え、ひいてはストレスの多い社会になる。人は、自分が受けた扱い方を無意識に学習し、それと同じ扱い方を他人にするようになるという。子供の頃に親に叱られたその叱り方を、自分が親になったら無意識的に繰り返す。無理難題を言われた人間は他人にも無理難題を言うようになる。結果として世の中がギスギスしてくる。あまりいいことではないと思う。
また、常に客的立場にしか立たない人、立場が逆転しない人は、舞い上がったまま「馬鹿につける薬はない」状態になるから、ますます始末に負えない。
社会全体の問題はさておき、このような感覚で海外に出ると、誰もあなたのことを神様だと思ってくれないから、そのギャップに傷つくことになる。傷つくだけならまだしも、「ここは交渉領域」という部分を見過ごして、みすみす損をしたりする。オーストラリアでは、日本的な礼儀正しさは望むべきもないけど、多くの場合、日本にはないフレンドリーさがある。スーパーのレジで挨拶したり、雑談したり、笑みを交し合ったり。もちろん、無愛想な奴もいるけど、商業的ではない人間的な愛想のよい人もたくさんいある。また、礼儀正しいけどあんまり融通がきかない日本とは違って、結構融通をきかせてくれる部分も多い。
対等である間柄でやっていくのは、自分の地を出すことであり、その地を出しても周囲が不快にならないような作法を会得することであり、結局のところ自らのチャームをプロデュースすることであり、大袈裟にいえばエンタータイメントとして成立させることなのだろう。しかし、そんなに考えていたらとても難しくてできない気がするから、別にそこまで気にしなくてもいいと思う。僕もこんな話題になったから勢いでそこまで書いてるだけで、普段は気にしてない。それでも、もう少し磨きたいという人なら、そうですね、「結婚式で笑いが取れるようなスピーチ」をもっとカジュアルにしたような感じで、日常それとなく使っていったらいいかもしれません。でも、ま、これは思い付きですけど。
※写真はパディスマーケットの野菜売場
写真・文/田村
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