今週の1枚(06.10.16)
ESSAY 280/日本帰省記2006(10) 日本の風景C Japan Photo Collection
写真は、大阪天神祭りの風景。コメントは本文参照。
さて、長かった日本帰省シリーズもそろそろ大詰めです。撮りためた写真、吐き出してしまいましょう。
写真上左端は、撮影場所は川崎市麻生区ですが、場所に意味があるのではなく、ポイントは大きなヒマワリです。このいかにも「夏」というヒマワリ。一本だけズーンと育っていました。そういえばオーストラリアではあんまりヒマワリは見ないですね。サンフラワーといえば、オイルであったり、パン(ヒマワリの種がパンの中に入っている=実は結構ある)であったりして、ヒマワリ実物がどっか家の庭に咲いているという風景をついぞ見たことないです。しかし、ヒマワリは日本古来の花ではないし、むしろ西洋の方がゴッホが好んで描いたり、ヒマワリ畑があったりでより身近に定着している感じがしますね。でも「ひまわり畑」がふんだんにあるのだから、どっちかというとレタスやキュウリみたいに農作物としての扱いなんですかね?
「あれ?」と思ってちょっと調べてみると、もともとは北アメリカ原産でインディアンの大事な食用作物だったそうです。それがスペイン経由で西洋にもたらされ、日本にも17世紀には入ってきています。農産物という性格は現在も顕著で、ナタネ、ゴマと並んで重要な植物油の一つ。世界最大の産出国はアルゼンチン、第二位ロシア、次にウクライナ、中国と続く。こちらにスーパーの食用油コーナーに行くと、いろんな種類のオイルが売ってます。カノーラ(菜種)やオリーブオイルとともにサンフラワーオイルも普通に売られています。
しかし、僕らの感覚でヒマワリといえば、「日本の夏」ですよね。アサガオとともにヒマワリ観察日記とかやらされたのを覚えてますし、豪快にニョキニョキ伸びていくわ、茎や葉にトゲのような産毛があって触るとチクチクした感触をいまでも思い出せます。そういえば「ひまわり」という映画もありますね(同名の日本映画もあるらしいが古典的な名作としては1969年のソフィアローレンが主演した映画)。「ひまわりかー、懐かしいなー」て思った人も多いでしょうが、でも、日本にいたら「ひまわり」という単語は殆ど毎日耳にしている筈ですよ。思い当たりませんか?気象衛星「ひまわり」。ね?
写真中央は、日曜の早朝の多摩川です。このボヤヤンとした靄の掛かった感じがなんとも日本の夏の朝です。小田急線の車窓から撮ったものです。まだ朝の8時前後とかそのくらいですが、釣りをする人達がギッシリ詰め掛けてますね。そうか、多摩川ってそんなに釣れるのか。釣ったの食べられるのかな?どうも釣りの趣味がないので、そのあたりはよく分からないのですが。でも、遠目で見ても、皆さんかなり気合が入っているのが分かりますよね。「ヒマだから釣りでもやるか」って感じではなく、いかにもやりつけている常連さん的な迫力が、電車の中のこちらまで伝わってきます。
川つながりで、写真右端は、岐阜県長良川。新幹線の車窓から撮りました。岐阜というのは川が多いところです。木曽川、揖斐川、長良川。みっつ合わせて三川(さんせん)公園なんてのもあって、行ったこともあります。ちなみに、相模川にも三川公園ってのがあるそうですね。このあたりは江戸時代に薩摩藩が堤防作りを命じられて多大な犠牲を払って行ったという有名な話(宝暦治水)がありますし、現代では長良川河口堰の議論があります。なにかとホットなエリアです。ここで薩摩藩云々というのは、どーでもいいトリビア&ウンチクのように聞こえるかもしれませんが、地元の人だったら殆ど皆さん知っていて、地元の温度差みたいなものを感じた記憶があります。
僕は意外と川に縁があって、小さかった頃は多摩川付近、中学高校は隅田川、大学時代は京都の鴨川、司法修習時代は岐阜の長良川を毎日渡っており、大阪時代は造幣局の桜の近くの大川のほとりに住んで淀川なんぞ年中見てました。どの川もいいですけど、岐阜の川が一番好きですかね。北海道の石狩川みたいに雄大とまでは言わないけど、スカーっと大きな空間が開けているのが好きなんです。この写真もなんで撮ったのかというと、そのスカーっと抜けていく空間の広がりが懐かしかったからです。「おおー、いいな、やっぱり」という。だだっ広いところが好きなんですよね、僕は。だからオーストラリアにいるんだけど。
しかし、考えてみれば日本は河川が多いですから、程度の差こそあれ、全ての日本人が何らかの形で川に思い出があるんでしょうね。東京だって、隅田川のほかに江戸川、荒川、神田川なんてのもあります。博多といえば那珂川、高知といえば四万十川、広島といえば太田川、金沢といえば犀川とか、日本で一番長い信濃川(上流は千曲川)は長野〜群馬〜新潟を走り抜ける・・・と行く先々で川はあります。これに対してオーストラリアはあんまり川がないです。大きいのはマレー川(Murray River)くらいかな。シドニーにあるのは、入り江がそのまま川になったパラマッタリバーと、あとブルーマウンテンの麓を走るネピアンリバーくらいですかね。イマイチ親しみがないというか、情緒がないというか、生活に溶け込んでないというか。川とか水に関する情緒性だったら、やはり日本の方が断然にあります。まあ、オーストラリアって南極大陸についで世界で一番乾燥している国なので、しょうがないですよね。旱魃でひび割れた川とか湖とかの画像だったら幾らでもTVでみるけど。
話が長良川に触れたので、長良川といったらコレ、鵜飼でしょう。写真右には観光用だと思うけど、銅像まで建ってます。
写真中央、右は、長良川河畔にそびえる金華山と金華山城。作ったのは斉藤道三で、そのあと義理の息子の織田信長の居城となったので有名ですが、しかし、シミジミみるとすごい山ですよね。そして、よくあんなところに城を建てようなんて思ったもんです。だってさ、当時の建築技術水準でいえば、築城なんて最先端技術の粋を極めたものでしょう?今で言えば東京都庁やレインボーブリッジをあの山頂に作っちゃおうというくらいの発想の飛躍があったと思うのですね。すげーな、と思うのはそういう点です。思うだけではなく、本当にやってしまうという。でも、この山、登ったことありますけど、かーなり急峻ですよ。ヒーヒー言わされます。
ここで、ちょっとほのぼの系を。
写真右は、湯河原温泉の交番の軒先で見つけたツバメの巣。こんなもん見るの、本当に久しぶりです。「まだやってたのね」とかついついレトロ気分で思ってしまうけど、ツバメ君的に言えば、彼らは、人間の気ぜわしい流行りすたりなんか関係なく、数千年、数万年、それ以上の歴史でやっているのでしょう。ところで、あの真っ赤な警報機、ツバメ君の為にも鳴らないでいて欲しいです。
写真左は、東京は秋葉原の町裏の風景。アキバ系とか色々いうけど、町の本当の素顔ってこんなもんでしょ。僕の昔の知り合いに、銀座生まれの銀座育ちも、原宿生まれの原宿育ちもいましたが、自宅の周囲の大量の人出に閉口してましたね。彼らにしてみれば自分が生まれ育った普通の町なんだから、なんでこんなに外から人が来るのかよう分からんと。だから、秋葉原原住民に言わせたら、アキバがどうのとかいうのも、外からやってきた田舎モンが勝手に騒いでるだけって感じなんでしょうね。
ときに、猫君ですが、「もうかりまっか」「ボチボチでんな」とは東京の猫だから言ってないでしょうね。サザエさんの「お魚咥えたドラ猫」系の日本トラディショナルな猫様なのでしょうか。しかし、猫が魚を咥えて走っている光景というのは、僕個人の経験でいえば、リアルタイムに目撃したことがないような、あるような、、、あなた、覚えてますか?しかし、その猫のあとを裸足で追いかけていく主婦というのは見たことがないと断言できます。
話が秋葉原になったので、秋葉原の写真を二枚。アキバ系ではない、新旧秋葉原の顔です。
写真左は、レトロ色バリバリのビル。もう最近の若い人には、あのNのナショナルマークが、実はパナソニックの昔のロゴだということを知らないでしょう。また、都内の電話番号が7桁時代だもんね。しかし、この中古PCの看板は渋いですよねー。これ、自然にこうなったの?それとも狙ってそうしたのかな?中古PCなんてそんなに古い話じゃないですよ。出始めの頃はマイコンっていってた筈だし、「掘出屋 権兵衛」というネーミングにあざといような気がする。
一方、写真右は、アキバではない世界のAKIHABARAです。じっくり見てると面白いのですが、英語、中国語、韓国語は当然だとしても、上の方にスペイン語だかポルトガル語がありますね。そうかと思うと、その下の一行はロシア語かな?
お店の風景でいえば、岐阜市内によくわからない店がありました。写真上左がそうです。これはいったい何のお店なのだろう?信号待ちの間だけ、「ふーん」と思って一枚撮っただけでゆっくり店内に入ってるヒマはなかったのですが、これ、かなり面白そうな店ですよね。このシリーズの最初の方にも書きましたが、今回は殆どなんら購買意欲をかき立てられなかった日本でしたが(本当にイイモノは超高いし、あとは大体小奇麗なだけのジャンク=ガラクタ)、この店はかなり興味があります。くっそー、もっとちゃんと見ておけば良かった。シドニーでいえば、ニュータウンのアフガニスタン屋さんやウィロビーのペルシャ人用スーパーマーケット的な、「なんじゃ、こりゃ」的な面白さがあります。画像を拡大して仔細にみていくと、将棋の駒の絵が大きく目に付き、右下に麻雀牌があるのでゲーム用品の店かと思えば、ビニールで包装され上から吊るされているエレキギターがあったり、その横にウチワがあったり、さらに奥には「鯛自在鉤」という、日本昔話の囲炉裏端グッズが売られているわけです。さらに圧縮してないオリジナルの画像(2MもあるのでUPしてません)を細かく見るとステッキがあって、線香があって、食卓カバーがあって、お盆の迎え火タイマツがあります。何の店なのでしょう?便利な言い方としては「雑貨屋」さん?商品の無秩序感からいって質屋さんかとも思ったけど、ウチワとか線香を質に入れる人はいないわな。謎です。
うって変わって写真右は、湯河原駅前のお土産屋さんの風景。
別に特筆すべきような変った点はどこにもありません。だから載せたのです。「いわゆるひとつの観光地のお土産物屋さん」ということで。大人になってからとんとこの種のお土産物というのを買わなくなりました。買うとしても、地域特産の食べ物系が殆どです。例えば前回の比叡山では胡麻豆腐を買ったし。こういった土産物屋さんに飾られている、キッチュな商品というのは、今も買う人はいるのでしょうか?いるのでしょうねー。だから売ってるんだろうけど。
写真をじーっと見てて気付いたのですが、この風景を見て、「ああ日本だな」と懐かしい気にさせてくれるのと同時に、「どこも同じよね」というありきたりのデジェヴュ感をも醸しだす原因は何かというと、緋毛繊(ひもうせん)ではなかろうか。緋毛繊とは、真っ赤な布のことです。ひな祭りの段々の下に敷くものであったり、観光地のお茶屋さんに敷いてあったりするカバークロスのことです。お茶の野点(のだて、ピクニック茶道ね)にも使います。このお土産物屋さんにも敷いてますよね。この赤色が、華やかさと、暑苦しい平凡さと、そして日本を離れた目には懐かしさをもたらすのでしょう。しかし、前回の朱塗りの社寺のところでも書きましたけど、日本人が時折好むこのぶっ飛んだハデハデな色彩感覚はなんなのでしょう?しかも、わびさび系の茶道において、真っ赤な色を用いるとは。真っ赤なんかアースカラーじゃないぞ。
ちなみに今のレジャーは青っぽい、建築現場のようなビニールシートが多いですね。お花見なんか大体コレでしょう。桜色に全然マッチしてない人口色で、いかがなものかと思っちゃうんだけど、流行ってますな。このブルーシート、英語ではターポーリンと言ったりします。tarpaulinで、本来はタールを塗った防水(帆)布。略してタープスなんて言ったりもしますね。さらに余談ですが、日本語で当たり前に使ってる英語っぽい用語が英語では全然当たり前じゃないってのはよくあります。ビニールなんて最たるもので、発音するなら「ヴァイヌル」。でも日本語でビニール袋などというときは、「プラスティック」と言わないと通じません。ビニール(ヴァイヌル)は日本語でいうポリプロピレンみたいに化学専門用語っぽい響きがあって、あんまり日常使わない(床建材で言うくらいかな)。あと、カジュアルな財布やアウトドア用品によく使われているマジックテープも、英語で言いたいなら「ヴェルクロ」と言ってください。VELCRO。もともとは商品名です。あと、味の素などの化学調味料はMSG。これも日常的に良く使われる生活基本単語。こっちで住むなら知っておいた方がいいですよ。他にも蛍光ペンはハイライター、油性マジックはパーマネント・マーカーとか言います。日本での英語学習って、学校でも英会話スクールでもTOEICなどでも、こういった生活単語ボキャがかなり手薄だったりするので、現地についていきなり困ったりします。シャープペンシル(シャーペン)って英語で何ていうか知ってますか?これ、宿題ね。
さて、お次は普通の街角の風景。レストランとか食堂、飲み屋さんが集まってる一角のお昼真の風景です。
写真左は、名古屋駅周辺のオフィス街、ランチタイムの風景。僕も日本でスーツにネクタイ時代は、ランチタイムにこういう風景のところをトコトコ歩いてましたね。自分がやってるときは、「今日は何にすっかなあ」くらいしか考えてないけど、日本を離れて13年もたつとこういう風景の中に一緒に歩いていると懐かしいですよね。
写真中央&右は、岐阜駅周辺の飲み屋さん街。うだるような夏の陽射しの中、ビールの看板が魅惑的です。
似たような写真を二枚を出してきたのは、これ、歩いている人が違うだけでガラッと感じが変るのが面白いからです。写真中央の、いかにも疲れた風のおじさんの写真は、なんか刑事ドラマの聞き込み捜査の風景を思い出させます。「砂の器」みたいな。しかし、写真右の若そうな板前さんらしき人が登場すると、「包丁一本〜」の世界で、板前修業のTVドラマみたいに見えます。どちらも何と言うか、演歌が似合いそうな、ほんとコテコテ日本の風景です。海外にいるとですね、こういう風景がクるんですよ。「ああ、いいな、日本」って、懐かしい日本のテイストを思い出させてくれます。その逆に、お洒落な人気スポットの画像なんか全然ダメっす。"So what?"って感じ。
見知らぬ海外にポンと住み始めると、日本に居た頃よりも好奇心が増大します。ひとつには社会のシステムを知らないと生きていけないという必要性あってのことですが、それだけではなく「何なの、これ?」ってモノが多いから素朴に知りたくなる気分が触発されます。だから、町を歩いていても「なに、これ?」って感じでシゲシゲと見るようになります。さすがに10年以上住むと日常風景化しますけど(数ヶ月でそうなるけど)、あとは意識的に好奇心をキープするようにしてます。日常に溶け込んでいくのがイヤだから海外に来たんだしね。
その癖が日本に帰ってても持続し、日本に住んでた頃には見落としていたことでも、「ふーん、なあに?」って結構いろいろ見てしまいます。ヒマだってのもありますけどね。そんなわけで、写真左は、神戸市東灘区役所の一階ロビーにあった広報パネル。よーく見ると、お役所からの情報発信っていうのは結構多いのですね。面白いものも多い。この掲示板にはボランティア募集のお知らせがビッシリ載っています。「こんなにあるんか?」ってくらいありますよね。あと、遊べるグッズの貸し出し、紙芝居とか、「へえー」と素直に感心してしまいます。
仕事がらみでヤクザから議員先生まで社会のあらゆる階層の人々と接触し、いろいろな業種の事件をやり、全国各地に出張し、異業種交流もし、市民イベントを企画実行し、ビジネス書をはじめ年間200冊くらい読んでた頃があります。結構世の中わかってたような気分になりつつあったのですが、仕事を辞めて永住権申請のために役所に足を運んだ折にこういう広報を見たりすると、全然知らない世界が広がってたりするわけで、「なんだ、俺、全然見えてないじゃん」って思いましたね。足もとがお留守になってるというか、バリバリ仕事をやってても実は世間知らずだったりするわけで、以後そのあたりが課題になってます。興味があったり、役に立ったり、日常やってることを知ってるのは当たり前なんですな。興味のないこと、というか興味があるんだかないんだかすら分からない、その存在すら知らないようなことをどれだけ知ってるかがポイントなんだよなあって。それが「見えてる」ってことなんだろなって。
写真右は、京都市南区、ウチの近所であり、京都駅の近所のお店。実はマルチカルチャルな日本の風景です。在日の方は、大阪に沢山おられますが、実は京都にも結構おられます。特に京都駅の南の方。焼肉とか美味しいんですよね。在日の方の離婚事件も、遺産分割もやったことがありますし、韓国民法とかも普通に調べてました。ところで、この店を見て「あ、俺には関係ない世界だ」と思う人が多いかもしれないけど、僕は凄い親近感あります。海外に住むようになって見方ががらっと変りました。オーストラリアに住んでいる日本人は、日本人の経営する日本ショップに行きます。日本食材のスーパーとか、日本食レストランとか、日本人用の情報センターとか、携帯屋さんとか、日本書籍の店とか。殆ど日本系にしか行かない人だっているし。そういう現地の感覚でいえば、このお店もまったく同じなんですよ。「海外に住んでいる人」という意味では、在日韓国人も在豪日本人である僕も同じ。というか、シドニーってそんな奴ばっかりなんです。在豪イギリス人、在豪インド人、在豪スペイン人、在豪ブラジル人、在豪シリア人、その末裔まで含めたらアボリジニ以外全部そうです。在日韓国人3世とか、日系アメリカ人3世とか言いますが、オーストラリアで最も大きな顔をしている一番古いオーストラリア人だって、言ってみれば在豪イギリス人7世くらいでしょ。
オーストラリアに最初に半年暮らして、永住権を取るために日本に一時帰国していた時期がありますが、そのときは結構オーストラリアが懐かしかったですねー。「くそお、早く帰りたいな」って(^_^)。もう、同じ民族ばっかりいる空間ってのが気持ち悪いんですよ。だから、開放感を求めて中華街とかほっつきあるいたけど、やっぱり観光街でピンと来なかった。でも、大阪の鶴橋界隈を歩いているときは、ほっとしましたね。そこだけ韓国的なんですけど、僕個人の感性でいえば、そこだけオーストラリア的なんです。今回行かなかったけど、新大久保とか歩いたらほっとするかも。日本に居るときは、在日韓国人の方々をどこかしらイレギュラーな存在のように見ていた部分があります。歴史背景とか色々な事情があってこうなってるのねという。でも、今はそちらの方がレギュラーな感覚です。この感覚は分かりにくいだろうけど、あえて比喩をいうと、本籍と住民票みたいなもんです。本籍地の住所と住民票の住所が同じ人もいるでしょうが、多くの人は違うんじゃないですか?特に大都市に出てきている人とか。で、本籍と住民票の住所が違うことに違和感を抱きますか?感じないでしょ?あんなもんバラバラに違っていて当たり前だって思うでしょう?それと同じです。本籍を国籍に変えたらいいだけです。国籍と今住んでるところが違っている方が当たり前、同じだっていう方がヘンとは言わないまでも、珍しいねって感じ。
お次はガラッと変わって大阪は天神祭りの風景。偶然大阪にいった日にやっていたのでブラブラと見てきました。
この天神祭り、天神町筋あたりを中心に繰り広げられるのですが、実は見るのはこれが初めてでした。職住接近だった大阪時代、自宅は京橋、職場は西天満だから、このわずか2キロ弱の間に天神橋筋はあるわけで、その気になったら幾らでも見る機会はあったわけです。しかし、なんか妙に近すぎちゃって、改まって事前に見物計画するまでもなく、気が付いたら終わってたという。「今日はやたら道が混んでるなー、あ、そっか、天神祭りか」ってなもんです。だから、今回ちょびっと見られたのはラッキーでした。「ふーん、こんなことやってたんだ」という。
見た感想は、思った以上に面白かったです。これも「ふーん、祭りか、珍しくもないね」という態度ではなく、いちいちシゲシゲと見るからだと思うけど、やっぱ祭囃子のエスニック感溢れる音楽もそうだし、奇抜なファッションもそうです。洋服を見慣れてしまった目には、日本古来の服ってのはやっぱり新鮮ですよね。カッコいいじゃん!って。それに、写真上左のお兄さん達の頭上の一旦木綿みたいな赤布は何なんだ?って思っちゃいますよね。パリコレなんかよりも全然斬新じゃん。
あと、地域コミュニティの充実ぶりにビックリしましたね。
いや、ほんと、写真上中央の作戦指令本部的な中枢にいるおっちゃん連中が頑張ってるのは当然としても、高校生くらいの若い人も沢山参加してました。まあ、バイトの兄ちゃん達もいるとは思うけど、それでも笛や踊りも結構練習してきたんだろうなって感じで気合が入ってる若い衆は結構いましたねー。写真下左端の獅子舞のステップなんか、カッコよかったですよ。かなり意表をついた、まるで酔拳みたいな足さばきでした。そうかと思うとチビッコ達の行列なんかもあって、それを前を行くお姉ちゃん達がお手本を示したり、励ましたり、指揮したり(写真下中央)。でもって、それをまた若いお母さんたちが側を一緒に歩いていてビデオで撮影するという(下右)。この全員参加、総力戦的な感じ。だけど、なんか無理やりやらされている感じじゃなくそれぞれにエンジョイしてる雰囲気が良かったですね。
写真上左は、岐阜市長良北町あたりの風景。それがどうした?という写真ですが、ある曲の歌詞を思い出したのですね。ブルーハーツ〜ハイロウズのギタリストのマーシー(いつも頭にバンダナ巻いてるお兄さんね)のソロアルバムの中の「花小金井ブレイクタン」(だったかな)に、「タクシー会社の裏で、夏はうずくまっていた」という一節があり、これがもう理屈抜きで「あ、わかる!」と個人的に受けてました。この写真は、ドンピシャではないけど、イメージ近いものがあります。
「なんでタクシー会社の裏なんだよ?」「なんで夏がうずくまってるんだよ?」って、こういう感性一発系は、分からない奴には分からんでしょう。「日本の夏」ってのは、エメラルド色のビーチや甲子園や蚊取り線香だけに宿ってるのではなく、むしろ、人気のない昼下がりの住宅街などの、妙に静かで、妙にうらぶれてるような所に宿っているんだと思います。そして、貧乏神が部屋の片隅にうずくまっているように、夏もまたうずくまってたりするんだろうなって。それが八百万の神々の国の自然でしょう。
同じように「うずくまる夏」的な住宅街の風景。写真中央は、川崎市の新百合ヶ丘付近の住宅街。
写真右は、京都市左京区北白川界隈の住宅街ですが、この写真を撮ったときは日も傾きはじめていて、夕暮れ間近の多少涼しげな空気が感じられると思います(実際には暑かったけどさ)。
今度は電車の風景を。どれもこれもありふれた風景なのですが、このありふれた感がイイんです、僕にとって。
写真左は、どの辺だったかな、えーと東海道線大垣駅を出たくらいだったかな。地方在来線の普通の風景です。でも、個人的には好きな風景で、どこが好きかというと、踏み切りの感じ、夕暮れ間近の光線の感じが好きです。写真中央は、京都=大阪間の風景。なぜこんな写真が?と思われるでしょうが、これも夕陽があたっていて、帰宅の途につくようなときによく見る景色です。
どちらも、何かしら心の琴線に触れるというか、どこかしら「ほっとする風景」に感じられるのですね。車窓から見るだけで、正確な位置も分からない、全くの未知の場所なんだけど、なんか「自分の家の近所の風景」のように思えてしまう。この妙に馴染んだ感覚はなんなんだ?と。緊張を解いて、ゆるやかで、少しけだるく、安心したような感覚。あー、文才がないから上手く言葉で表現できないのだけど、少なくとも緊張感やテンションバリバリの風景でないのは分かっていただけると思います。一日の仕事や学校や用件が終わって、のんびり家路についているときに、僕らはこれに似たような風景をこれまでの人生で数百回数千回と見ていて、そのときの感覚を彷彿とさせてくれるからかもしれません。でも、これらの写真のどの部分がそういった感覚を呼び起こすのか?うーん、と考えて思うのは、やっぱり夕陽かな?と。
夕陽も朝日も、太陽光線の傾斜角度とか、それに伴うスペクトル変化(赤色っぽくなる)などは同じなんだけど、朝日には独特のテンションがあるけど、夕陽には切なさの入り混じった安心感があります。それが「一日が終わろうとしている」という太古からの記憶がDNAに残っているのからかもしれないし、あるいはそれまでの体験や記憶がそうさせているのかもしれません。僕らは、仕事帰りや下校時の「やれやれ、やっと終わった」という開放感も、また日曜日や恋人とのデートの日が「ああ、終わってしまう」という切なさも経験しています。夕陽は、そういった記憶を呼び起こしてくれるのでしょうか。はたまた、ビジュアル的にも夕陽と朝日は違うのでしょうか。例えば、当て推量ですけど、一日太陽光線に温められた大地から湧きあがる水蒸気や、人々の活動の結果による煤煙やチリ、そういった大気中の物質が朝よりも夕どきに多いのかもしれません。これらの大気中の浮遊物質の多さが太陽光線をより乱反射させ、結果的にフィルターをかけたように、風景の輪郭がほんのりボヤけさせるのかもしれません。だから全体に、はんなりとした優しげな風景に映し出されるという。そういえば、朝の光の下で見る風景は夕どきよりもシャープな気がしますし。しかし、まあ、本当のところはわかりません。ただ、これらの風景を見てると、妙にホッとするものを感じるということです。
ところで、写真中央ですが、こうやって都市近郊の住宅地の中に農耕地が縫うように点在している風景というのは、オーストラリアにはまず存在しないでしょう。ある意味とても日本的です。あと写真を見てて気付いたのですが、こんな狭い田畑に赤いトラクター、じゃないかコンバインかな?農耕作業車が入り込んでますよね。僕は農業については殆ど無知なので分からないけど、そういうものなんですかね?
写真左は、最後に関空に向かう特急はるかの車内で撮ったもの。まだ大阪市内の西九条駅だったかな。和歌山行きの通勤快速がホームの反対側に映ってるわけですが、それがどうした?というと、これもまた帰宅電車に乗ってるときの感覚を甦らせてくれるなあってことです。夕陽がとっぷり沈んで、ネオンの光が輝き始めた時間帯の駅のホームの独特の空気感。朝のような殺気がなくて、せわしないんだけど、どこかしらホッとしてる感じです。3枚共通して「ほっとする」感じがあり、「安堵の吐息が聞こえるような風景」とでもいいましょうか。
ちなみに、関空特急はるかというのは、今回初めて乗ったのですが、あれって平日の夕方に乗ると、おっちゃん達の帰宅電車になるのね。知らなかった。大阪駅とか天王寺駅あたりでドドドと会社帰りの人々が乗ってきて満員に近い状態になります。最初は「関空特急」だから、皆さん関空まで行くのだと思ってたんだけど、どう見てもこれから飛行機に乗るって感じじゃない。あれ?と思ってたら、車掌さんが通過すると、皆さんどんどん特急切符だけ買い始めて、要するに帰宅便なのでしょうね。距離にもよるけど、特急料金だけだったら1000円以下、数百円レベルなわけで、「今日は疲れた」「早く帰らねば」という通勤客にとっては重宝するのでしょう。
最後に箱根の写真を。箱根というトピックでまとめるつもりはなかったのですが(それほど大きな感銘はなかったし)、綺麗な写真としてより分けて、他のトピックに関連しないものを集めたら、結果的に全部箱根の写真だったというだけのことです。"Beautiful Japan"というトピックを最初は考えていたのですが、箱根ばっかりだから、箱根というトピックに変えました。
と言って、そんなに書くことないんですよね、箱根。湯河原温泉一泊の翌朝、「せっかくだから」で足を伸ばしただけ。しかも、途中から雨が降ってきたので、ちょろっと歩いてすぐに帰ってきちゃったから、これといったエピソードも何もないです。
関所跡あたりから芦ノ湖に沿って遊歩道を歩いていたわけですが、これが結構綺麗だったです。
写真上左は遊歩道の入り口あたり。紫陽花がいい感じでしたね。写真中央は山百合でしょうか。ほんと、”beautiful!”って感じで咲いていましたが、写真もピントがドンピシャとあって綺麗に撮れました。
写真右は遊歩道の途中にて木立から芦ノ湖畔を望む。本当は富士山を見にいったようなものなんですけど、靄がかかって全然ダメ。しまいには、歩いてるときは雨もパラついてくるし「あーあ」とか思ってたけど、写真を見返すとこのくらいの曇天の方がムードがあって綺麗ですね。
これはもう芦ノ湖の水と葦のコントラストの美しさですね。巧まざる自然のデザインで、まんま日本画の世界です。というか、こういう風景を日常的に見ていたから日本人のデザインセンスが日本画のような形で育まれたと理解すべきなんでしょうね。だから、こっちがオリジナルです。
芦ノ湖からバスに乗って小田原に帰る途中の風景。箱根って、有名だし、開けているし、俗化してるといえば限りなく俗化してるので、つい忘れがちなのですが、「天下の険」と言われるだけあって山深いです。写真中央は、ときどき見かけた「ブレーキが利かなくなった車用の待避所」です。ベーパーロック現象とか、ハイドロプレーニング現象とか免許試験でやりましたよね。実際になった経験はないけど。こういう待避所を使う羽目になるのだけは願い下げだなと思ってしまった。
最後にオマケです。関空からオーストラリアに帰ってきて、ブリスベン空港でトランジットしたときの風景です。
日本の写真と比べてみると、太陽光線の強烈さと、空気の乾いた感じがよく分かると思います。水蒸気の国から乾いた大陸に帰ってきたって感じますね。
文責:田村
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