今週の1枚(01.11.19)
雑文/英語字幕のDVD
もうかれこれ1年以上になりますが、毎週レンタルDVDを借りてきて観ています。
近所のレンタルビデオ(DVD)屋さんから、毎週3本。
別に映画が趣味というわけではなく、基本的には英語の勉強のためです。最初はDVDではなく普通のビデオだったのですが、やっぱり聞き取れない個所はなにをどう逆立ちしても聞き取れない。聞き取れるところだけ聞き取れたってそんなに勉強にならんような気がして、折しもこちらでも出始めていたDVDに乗り換えました。DVDだと字幕が出ますから。
もっとも、全てのDVDに字幕が出るわけではないです。あ、ここで「字幕」といっても、英語字幕のことです。日本語字幕は無いですから。ドイツ語、イタリア語、フランス語、スエーデン語字幕はあっても日本語はないです。まあ、日本語なんか日本以外では殆ど喋られてないから、リージョンコード4のオセアニア地区では、それでいいのでしょう。
それに日本語字幕ですが、たまに日本で公開されたヴァージョンのもの(要するに日本で普通に見られている、日本語字幕のある洋画ですね)を他人から借りたりして観ることがあるのですが、英語がある程度聞き取れるようになってくると、随分省略してるなあってのが分かりますし、「そんなこと言ってないじゃん」みたいな個所も結構あります。しかしこれは仕方ないんでしょうね。完全に訳する事なんか不可能ですもんね。一番キツそうなのは、英語での語呂合わせのギャグみたいなもので、こんなの英語で発音しないかぎりおかしくもなんともないですもんね。
そういえば、今でも覚えているけど、間の抜けた悪役キャラの奴が、「いやいや、わかってますよ、あなたが何事にも抜かりはない完璧な人だってのは、よーくわかってますから、はい」とゴマをするように言う場面がありました。そのときに、"dot the T's cross the I's" って言うのですね。ここで、もう既にバカ受けになるわけですね。これは本当は、"dot the I's cross the T's"と言うべきなんです。つまり筆記体で英語を急いで書いても、"i"には上に点(dot)を付けるし、"t"にもちゃんと横棒を入れる(cross)ということで、何事にも抜かりがない入念なさまを意味するイディオムなのですが、「Tに点をつけて、Iに横棒を入れ」たって意味ないわけですね。この一言で、こいつのキャラが頭悪いってのがモロに分かるわけですし、また「あなたは完璧」とヨイショするつもりが、全然逆に意味になってしまっていることで又笑いを誘うわけです。しかし、こんなのどうやって訳すの?訳しようがないですよね。早口で喋ってるからわずか2〜3秒の間に、完全なキャプションを入れることなんか不可能です。もう邦訳する段階でこのギャグは無かったことにするか、あるいは意訳して「いかにも頭の悪そうな、寒いギャグ」をゼロから考えて入れておくか、ですよね。
しかし、まあ、ここでは別に日本語字幕はいいんです。英語の勉強なんだから、英語字幕さえ出てくれればそれでOK。ただ、前述のように、全てのDVDで英語字幕があるわけではないです。英語字幕は、別に英語を勉強する人にためにあるのではなく、耳の不自由な方のためのバリアフリーの一種としてあるだけですから、全てにあるというものでもないです。また、英語字幕にしたって、結構不完全だったりします。これはDVDによってマチマチですが、几帳面に全部訳しているのもあれば、意味を要約して書いているだけのものもあります。
コンスタントに週3本借りて、それを1年以上続けてますから、かれこれもう150本以上観ていることになります。注意深く観るときは、字幕もわからなかったらイチイチ停めて、辞書で調べたりします。というか、ここで調べなかったら観ている意味ないのですから調べますが、しかし、もう調べ切れるものでもないです。ひとつはやっぱり面倒臭い事。特に映画が佳境に入ってからイチイチ停めてシコシコ調べるのはイヤですよね。
それと、結局辞書にも載ってないことが沢山あります。今、リーダースとリーダースプラスの入った46万語くらいある
ソニーの電子辞書で調べてます。さすがに良く載ってて、俗語も、固有名詞もかなり入ってます。例えば、警察を意味する俗語で、"Five-O"というのがありますが、これは"Hawaii Five-O"という刑事ドラマから来ているスラングですが、実際映画観てるとよく出てきます。しかし、普通の辞書には載ってないと思いますが、こういう部分はさすがによく載ってます。あと人名とか、歴史的出来事とか、商品名とか。「アメリカ西部開拓時にメキシコ軍と戦った有名な砦の名前」なんてのも出てきます。
しかし、そのリーダース・プラスですら、フォローしてあるのは3分の2くらいで、あとはやっぱり載ってない。いくら調べても謎のままという単語は、やっぱりゴロゴロ出てきます。
こちらに暮らしてる人にはお馴染みの問題だと思いますが、「すごく良く聞く言葉なんだけど、どの辞書にも載ってない」という不思議な単語が沢山あります。たとえば、オーストラリアだったら、E-SKYとか。これは「味の素」みたいな商品名で、ピクニックなどに持っていくクーラーボックスのことです。これくらい有名になるとリーダースには載ってますが、そこまで至らないけど、でも皆知ってるという単語。
でもって、そういう単語に限って日常用語でよく出てきたりするから困ったものなんですね。これは、話を日本語に置き換えてみたら分かると思います。僕ら日本語ネィティブの日常会話というのは、かなりの部分で固有名詞がはいってます。「山手線」とか「ユニクロ」とか「ダイエー」とか。その他、明太子、高野豆腐などの食品名、ビートたけし、野茂、ダウンタウンなどの人名。あるいは流行曲の曲名。なんの前提もなく「紅白」って言ったら、慶事につかう紅白の幕というよりは、「NHKの紅白歌合戦」を連想するでしょう、僕らネィティブは。でも、これらの単語って、よほど有名なものは除いて辞書に載ってないと思います。特に和英辞典には。
しかし、この辞書に載ってない言葉で日常会話のかなりの部分が構成されているのも事実です。というか、思うのですが、一般名詞だけで構成される話ってのは、逆に一杯飲んで語り起こすような感じでないと中々しないのですね。つまり、一般名詞だけで構成される話というのは、抽象的な話、概念的な話であるケースが多いように思います。例えば、「このままこうやって年取っていっていいのかな?とか思ったりしてさ」「海はいいよね〜」みたいな話。これが職場での忙しい中での会話だと、やれどこそこのバーゲンがどうしたとか、最近の面白いCMとか、新商品にトライしたけどイマイチだったとか、そういう話が多いでしょう?つまり不可避的に固有名詞が入ってきてしまう。逆にいえば、話が具体的になればなるほど辞書に載ってない固有名詞などが混入してくるという。だから、ネィティブ同士の会話というのは、カジュアルになればなるほど、ノン・ネィティブにとっては致命的にツライものになったりするわけなんでしょう。
その意味では、大学の講義のように、ガチガチに固い方が楽です。「我国における信頼すべき人口動態調査によると」とか「単純に教唆犯というよりは、その正犯性を直截に見据え、これを正犯として構成する間接正犯理論、あるいは共謀共同正犯論が問われなければならない」とか、「人体に摂取された食物は、各消化器官においてアミノ酸などに分解され、、」とか。こういう方が楽ですよね、はるかに。技術用語は正確性がイノチだから、最初に単語を理解してしまえば、「気分によって意味が違う」みたいな曖昧さはないし、専門辞書を使えば大体載ってるし。
だからこそ、映画でも見てそこらへんの言葉の背景にある雑学みたいなものを増やそうという意図もあるわけですね。辞書に載ってない単語が多いっていっても、そもそも辞書にちゃんと載っている単語すら覚束ないですからね。
覚束ないどころか全然知らないといっても過言ではない。だもんで、コツコツやっていくしかないよな〜ってな感じです。
しかしですね、1年かけて150本観て、それで英語力伸びましたか?と言われると、よくわからんです(^^*)。少なくとも Five-Oは覚えましたけどね。
よく「映画を観て英語を勉強しましょう」とかいいますが、あんまり基礎力のない段階で観ても意味あるのかな?という気もします。まあ、発音とかスピードはネィティブのものですので、それに慣れるという意味では確かに役に立つとは思いますけど。
それでも、以下に掲げる文章を一読しただけで、「むふふ」と理解できるくらいでないと、聞いて分かるってものではないでしょう。
"The whole purpose of place like Starbucks is for people with no decision-making ability to make six decisions just to buy one cup of coffee. Short, Tall, Lite, Drak, Caf, Decaf, Low-fat, Nonfat, et cetra... So people who don't know what the hell they're doing or who on earth they are can, for only $2.95 get not just a cup of coffe but an absolute defining sense of self."
これは、たまたま今借りている、メグ・ライアンとトム・ハンクスの”You've got mail"の一節で、スターバックスに関する穿った見方を述べている部分です。実際、こっちの人って、こういう言い方を好みますよね。ちょっとひねった物の見方というか。
大意は、「スターバックスでコーヒー頼むとイチイチ細々指定しなくちゃならなくて面倒臭いよね」みたいな感情がおそらくベースにあって、その上でそれをひねって、「ああいう店ってのは、自分が何者で何をしてるかすらも分からない連中の為にあるのさ。イチイチ細かく指定させていく過程で、自分は一体何者なのか(どういうコーヒーが飲みたい人間なのか)ということを自己発見させてやってるんだよね」、難しく原文に忠実に言えば「人々は単にコーヒーを買っているだけではなく、”絶対的に定義された自己認識”をも買ってるんだ」という言い方をしているのでしょう。半分皮肉で半分ギャグという感じ。
文章それ自体はそんなに難しくないのですが、織り込まれた感情の複雑な面白さみたいなものは、かなり理解しないとわからない。こういうのが初歩的な勉強として適当なのかどうかは、ちょっと分からんです。This is a pen で終わってる人が、いきなりこの段階までワープしていいのか?という。
ただ、こういうナマの英語に沢山触れる事によって、英語独特のカンドコロみたいなものは徐々に醸成されていくと思います。「そもそも言語とは〜」みたいな話になるのでしょうが、言語というのは、単純に論理だけ積み上げていっただけでは完全には分からない。例えば、ある文章中、知らない単語がでてきて、その意味を辞書でひくと5つあったとします。その5つのうち3つは明らかに文脈上除外しても良いけど、あとの2つの意味がどちらでも当てはまるという困った事態が結構あったりしますよね。その場合、その2つのうちどちらが正解なのかは、おそらく単語の語義だけから決定するのは無理という場合もしばしばあると思います。
その2つの中から正解を選び出すのは、いわゆる英語慣れしていくなかで出来てくるカンドコロみたいなものなのでしょう。「カン」と言っただけでは漠然としているのでもう少し分析すると、「この単語が使われる場合は、一般にこういう状況で、語り手は大体こういう感じの人で、他にこういう単語とのコンビネーションで、こういう意味で使われる場合が多い」という、”経験的な付帯情報”なのだと思います。この付帯情報があるから、この単語の意味はこうであるという決定ができるのでしょう。逆に言えば、その付帯情報がない限り、正確に意味を特定するのは、ある種論理的に不可能ですらあるのでしょう。
話をわかりやすくするために、また日本語を例にとります。「出来る」「出来た」「出来てる」「出来ちゃった」という動詞の変化表みたいなシリーズがあります。そのまま canの意味でも使われますけど、裏の意味で使われる場合も多いですよね。つまり、「デキる」というと「有能」という意味=「あいつはデキる」、「デキてる」といえば「恋人(ないし肉体)関係にあること」、「デキちゃった」というと「妊娠した」という意味で使われたりしますよね。どういう場合に表の意味で、どういう場合に裏の意味になるのか、これはスチュエーションで判断するしかないです。僕らは、当たり前ですけど、たくさん日本語に接し、日本語が喋られている場面に遭遇しているから、この判断ができます。しかし、そもそも「出来る」という単語すら知らずに辞書ひいてる程度の日本語レベルの人だったら、この判断はかなり難しいと思います。
その他、「30万円ツマむ」「3年打たれる」とか、特殊な業界用語もあります。”ツマむ”は主にサラ金などで借金すること、”打たれる”は懲役刑として服役することですけど、こういう言葉を使うだけで、言外に話し手がどういう業界の人か、どういう場面なのかが分かる。逆にいえば、そういう情報もこの言葉の中に含まれているわけです。まあ、早い話が、「拙者」とか言った時点でもうそれが時代劇だということが分かるわけですな。
あるいは、普通だったらこういう単語を使うのだけど、敢えて別の単語を使う事によって、特別な意味を醸し出しているとかいう面倒臭い場合もあります。ハリソン・フォードの主演している映画で、名前ド忘れしてしまったけど、比較的最近の映画の中にも、この面倒な用法の典型的な場面がありました。この映画は、なんつーか、その渋いオジサン・ロマンスというか、マディソン群の橋的というか、渡辺淳一的というか、既にステイタスも築き上げた知的で渋いハリソンフォードが、魅力的な人妻(女優名忘れた)と恋に落ちてハッピーエンドになるという、ハリソン・フォードが出てなかったらただの御都合オヤジ映画になっていたような映画です。
で、その最後の方のセリフが渋いのですね。うろ覚えで恐縮なんですけど、たしか「今度もし会えることがあったら言おうと思っていたことがあるんだ」「なあに?」「いや、、”映画でも見にいかない?”、、って。君はなんて答える?」「そうね、、、私は、、"うわあ、ステキ−!"って言うかしら」みたいなセリフ廻しだったと思うのですが、ここで "Wouldn't that be something?"みたいな言い方をしてるのですね。これがクるのですね。つまり、渋い大人の男女には似つかわしくない、ティーンエイジャーのキャピキャピフレーズを敢えて使ってるんですね、いい年をした渋いハリソンフォード達が。これによって、恋をしたときに蘇ってくる、高校生のときのような新鮮なトキメキみたいなものが一層鮮烈に表現されるわけですね。だからグッとくるという。でも、これ、これがキャピ系の英語だってことが分からないと、意味が無いんですよね。ふーんで終わってしまうという。言葉に隠された情報を汲み取れない。
しかし、こういったカンドコロというのは、もうメチャクチャ沢山生の英語に接して、徐々に醸成していくしかないです。「慣れていく」なんて言葉では生ぬるいわけで、もうスコッチウィスキーのモルトを寝かせて30年みたいな世界で、「熟成」とか「醸成」という言葉こそが似つかわしい。もう、太平洋の海水を、雪平の片手鍋ですくっているような前途遼遠な作業だったりします。まあ、150本ごとき観たくらいでは、直ちに何がどうなるものでもないわけですな。
だから、洋画観て字幕なしに殆ど分かるって人が羨ましいです。いやあ、マジに。でも、同時に「ほんまかいな」って気もしますよね。映画って、当然プロの役者さんがやってるから、ストーリーとか感動とかは、セリフの意味が分からなくても十分に伝わるのですよね。ハッキリ言って音声消しても全然意味はわかるという。これは実際に英語学校に通ってるときに、先生が教室で実験してましたわ。音声を消してビデオを再生してみて、「ね、言葉がわからなくても意味はわかるでしょう?」という例として。言語はコミュニケーションの一部を構成するものに過ぎず、コミニュケーションのベースは人間の推測力、洞察力にあるのだと。その人間の自然の推測力を的確にリードしてあげられるのが、優れた演技力だったりするわけですから。
でも、それと英語そのものが分かるのとは全然別の話だったりします。そのへん、気を付けていないと、単に観てるだけだったらなんの勉強にもならんということになりかねないです。聞き取れない、分からない、消化できない英語は、幾ら耳に入れても殆ど意味ないです。それは、中学生の頃からビートルズなど洋楽をもう十何年も聞いていながら、一向に英語が上達しなかったことからも分かりますし。
ところで、世の中には映画好きの方が沢山いらっしゃるわけで、また映画というものもメチャクチャ沢山あるわけで、150本くらい観た程度では、全然話についていけないですね。皆さんすごいわ。
それに、日本で何が流行ってるとか、解説とか広告とか、そういった映画本体以外の情報はほぼゼロで見ています。単に、こっちのレンタルビデオ屋いって、ちょっと古くなってディスカウント料金になってる棚から、内容はともかく片端から借りてるだけですので(どんなに詰まらん映画でも、英語は喋ってるから勉強にはなる)、映画世界に関する知識は深くならないです。あれはやっぱり雑誌買ったり、広告みたり、レビューを読んだりして、予習復習しないと覚えられるものでもないです。役者や監督の名前なんて、映画が終わったあとに流れるタイトルバックだけ見てたって、そうそう覚えられるものではないです。
その分、逆に先入観がないだけに純粋に観られます。何度か観てるうちに、「あ、こいつ、以前もどっかで見たな。又出てるわ。存在感あるやっちゃな、誰だこれ?」とか思ってたら、アンソニーホプキンスだったして、「おお、これが有名な。名前くらいは知ってるぞ」ってな感じで。
そういう意味では、ブラッド・ピットなんか殆ど印象に残らんかったですね。「ブラピ?なにそれ?」ってな感じでしたもんね。「ほら、あの映画に出てる、あの役で」とか人に言われて初めて、「あ〜、なんとなく覚えてるけど、、、なんで彼が日本でそんなに有名なの?」ってな感じです。"Meet the Joe Black"では確かに好青年的魅力は覚えましたが、"Seven"では殆ど印象にない。ラッセル・クロウも「ああ、あの竹脇無我にちょっと似てる、、」ってな感じです。脱力しちゃったファンの人、ごめんなさい。でも、グラディエーターは良かったですよ(^^*)。
これもですね、一本見終わるごとに、サラサラと備忘録的にレビューでも書き留めておけばもう少し語れるのでしょうけど、見っぱなしですからね。日本の人と話をするのでも、邦題と原題が結構違ったりするし、日本で公開してないのも何気に観ちゃってるだろうし。でも、「エイリアン2」がただの"ALIENS"だというのは最近知りました。じゃあファーストは何と言うのかというと"ALIEN"で、要するに一作目が単数形で、二作目は複数形のSがついているのですね。確かに二作目には沢山出てきます。もっとも余談ですが、沢山っていっても実際の撮影では6体しか作ってないようです。DVDってオマケがあって、監督のコメントとか、役者さんのインタビューとかがついていて、そのなかで監督さんが「6体しかなくても、カメラワークで何百匹にも見せるのは可能なんだ」とか言ってましたから。
でも、毎週3本って続けると結構キツいですね。
先週はバタバタ忙しかったこともあり、今日から日に1本づつ観なければなりませぬ。それも、イチイチ停めて辞書ひいてたりすると、倍くらい時間かかりますから。
写真・文/田村
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