今週の1枚(06.10.02)
ESSAY 278/「外国人労働者」とは我々のこと
写真は、ひさしぶりのオーストラリアの風景を。South CoogeeからMaroubra方面を望む。
日本帰省シリーズばっかり延々やっていて、そろそろ飽きてきたでしょうし、オーストラリアのことがお留守になっているので、ここでちょっと一回お休みして、オーストラリアの話を書いておきます。といってもそれほど大きな事件が起きているわけではないのですが。
シドニーの地元の新聞によりますと、アメリカン・エクスプレスのコールセンターがオーストラリア連邦&州政府と「低賃金の外国人労働者を雇うことを認めろ」と交渉しているそうです。ここでいう「低賃金の外国人労働者」というのは、他ならぬ我々、つまり日本人労働者のことです。
アメックスのコールセンター(クレジットカードのお客様相談窓口=より正確には”Japanese Platinum Card Service Centre ”)は2002年に日本からオーストラリアに移ってきており、ワーホリさんなど僕の知ってる人も結構働いていました。オーストラリアで恒常的に働こうとすれば永住権ないしは労働ビザが必要です。学生ビザだと週20時間制限があるし、ワーホリだと半年(今年の7月以降3ヶ月から半年に延びた)という制限があり、きちんとしたフルタイムとしては働けません。したがってメインには労働ビザを発行してもらって(雇用主が労働ビザのスポンサーになって457 visa の交付を受けて)正社員として働くことになります。
ところでオーストラリアの労働ビザの場合、最低でも年収4万1,850ドル以上ないとダメという規定があります(職種によっても違うが)。しかし、アメックスは、ビジネス用の日本語が堪能な人材=つまりは日本人ですけど=を新規に160人雇うにあたり、この最低ラインよりも6000ドルも安い年収で労働ビザを発給してくれと、政府と交渉しているそうです(”Amex to hire low-paid Japanese”などのSMHの2006年9月28-29日の記事による)。
このアメックスの横紙破りともいえる申し出について、連邦政府は「今考え中」らしいのですが、政府の中でも不協和音があると報道されています。つまり、移民大臣ヴァンストン(オーストラリア版扇千景のような貫禄オバチャン)はアメックスのオファーを肯定的に受け止めているのに対し、労働大臣であるアンドリュー氏は否定的です。また、連邦野党労働党、あるいはNSW州政府(これは労働党政権)は断固拒否!の姿勢を見せています。
この報道の何が興味深いかというと、オーストラリア人と日本人とでこのニュースの捉え方、「おお」と思うポイントが全然違うってことですね。
まず、オーストラリア側からいきます。オーストラリアでは15年来の好景気が続いていて、どこもかしこも人手不足に喘いでいます。バブルの頃の日本と同じですね。また、以前にも紹介しましたが、ハワード政権によってIR法(労働法)の大改正が行われ、労働者保護規定の手厚かったオーストラリアも徐々に様変わりしつつあります。これについては激しい賛否両論があります。まずこれらの背景事情を知ってないと、オーストラリア内部での議論のポイントがわかりません。
アメックス側としては、カスタマーサービスを任せられるほど優秀な日本語能力を持っている人材はオーストラリア労働市場には少ないから、仕方がなく海外から招き入れるのだと主張しています。また、これが認められないなら、「あっそ、じゃコールセンターは中国に移転しちゃうもんね」とほのめかしているとも伝えられています。いわゆる「脅し」ですね。コールセンターには、直接電話サービスをする日本人以外にも多くのオーストラリア人が働いており、移転されてしまってはオーストラリア国内の雇用や経済に多少なりとも打撃を与えます(70名ほどオーストラリア人がクビになるとか)。アメックスはそのあたりを見越して、「僕たちに出て行って欲しくないのなら、言うことを聞いた方がいいよ」と脅していると理解されたりするわけですね。もちろんアメックス側は、脅しているなんてとんでもないと否定はしてますけど。
連邦政府側としては、この「脅し」も無視できないし、「ま、いっか」という雰囲気になりつつあるらしいのですが、連邦野党&州政府与党の労働党側としては、「ちょっと待たんかい!」と激しく反発しています。何をそんなに反発するのか、一言でいえば「そんなに簡単に外国人労働者を認めていいのか?廻りまわって自分の首をしめることになるぞ」というものです。そもそも、国民をさしおいて外国人労働者の雇用を積極的に認めるという点で原理的な疑問があります。といって、外国人だから何でもかんでもイケナイという差別的なことを言っているのではなく、「安い」ってところにポイントがあります。低賃金の外国人労働者の存在を認めてしまえば、日常的にコストカッティングに汲々としている企業としては給料コストを抑えるために、オーストラリア人社員をクビにしてどんどん外国人を雇うようになりかねない、それこそが問題だと言っているわけです。そして、このような事態を放置しておいたら、連鎖反応的にオーストラリア人の賃金水準も下がってしまうし、皆の暮らしも悪くなる。だからこそ労働ビザ交付に関しては、最低年収という規定が存在するわけです。そうでなくてもここのところ人手不足を背景に、労働ビザの申請交付数は急激に伸びているわけで、「人手が足りなきゃ外国から労働力を輸入すればいいじゃん」という安易な解決手法に頼りすぎるべきではない、と。
さらに、連邦政府の新労働法=従来に比べて労働者の権利を大きく制限した法改正とあいまって、基本的に財界の意向にしたがっている連邦政府は、あの手この手で労働者の権利を崩そうとしており、今回のアメックスの一件も、その一連の流れのなかで捉えるべきだとも批判しています。オーストラリア人労働者が以前のように勤務条件や給与であれこれ交渉してても、「あっそ。そんなにうるさいこと言うなら、ガイジン雇うからいいわ」と開き直られ、ますます不利な条件を飲まされていくのではないか。連邦政府はむしろそれを狙っているんじゃないかと。
以上のような流れで、オーストラリア国内ではこのニュースについて論議されています。外国人労働者の流入と、オーストラリア人労働者の権利保護との関係ですね。
しかし、日本人である僕らからすると、全く違った視点でこのニュースが見えてきます。「ところで、何で日本人労働者は給料安いの?」ということです。
物事のスジ論でいえば、地元オーストラリアにはなかなかいない「優秀なビジネス日本語を操れる能力を持った人材」、つまりは優れた人材を雇うんだから、オーストラリア人よりも高い給与を払うべきじゃないの?少なくとも最低賃金水準くらいは払ってやればいいじゃないかと。それがどうしてアメックスは最低基準よりも低賃金で雇おうとするのか?です。
アメックスによれば、仕事の内容との比較、ボーナスとか福利厚生等の特典を加味すれば、オーストラリア人労働者に比べて決して安いわけではなく、実質的にはほぼ同じレベルで給与を支給するのだと主張してます。でもなあ、コールセンターなんだから電話に出る人がメインプレーヤーだろうし、そもそもオーストラリア人には出来ない日本語という特殊技能を発揮するのですから、オーストラリア人よりも給料高くて当たり前じゃないか。福利厚生とかボーナスなんかも、別に日本人従業員だけに限った話ではないでしょうし。
それなのに「日本人(外国人)労働者なんだから給料安くて当然」みたいな感じで話が進んでいくという。そして、「何で日本人だと給料安いんだ?」ということは、地元オーストラリアでは誰も疑問にも思わないし、議論にもならない。ほとんど当然のことであるかように。
これまで僕らは「外国人労働者」というと、日本国内における中国人とかブラジル人などの外国人労働者をイメージしていました。日本人=給料高い、外国人=給料安いという図式ですね。しかし、こんなものも相対的な話だということですね。日本人だって、一歩外にでたら自分たちが「外国人労働者」として扱われるわけです。適法に働くためのビザを取るために四苦八苦し、不法労働者ではないかと周囲から疑われたりもするし、給料なんか安くて当然という扱いを受ける。
日本の就職/キャリア関係の雑誌などで、あるいはこちらにやってくるワーホリさんや留学生さんの中で、「海外で働く」というキーワードがそれなりの輝きと眩しさをもって語られています。しかし、「海外で働く」ということは、イコール「外国人労働者になる」ということでもあります。僕らが日本国内の外国人労働者に対して課している種々の制約やハンデを、今度は自分らが受ける番になるということです。この点は、ちゃんと認識しておいた方がいいんだろうなと思いました。
なお、外国人労働者だからといって直ちに「低賃金」と論理必然的に結びつくものでもないですし、実際もまた違います。外国人労働者だからこそ、一般の自国民よりもはるかに高給を取る場合もあるわけです。プロ野球やサッカーの外国人選手や、外資系企業のエグゼクティブクラスは、平均的な日本人には手が届かないような六本木や代官山あたりの高級マンションに住んでたりしますもんね。外国人であるかどうかと、給料が高いか安いかは必ずしもパラレルではない。サッカーの監督のように、その国から三顧の礼をもって迎えられた場合は当然給料高いですし、雇ってくださいと願い出る場合は安くなる。要するに、まあ、市場原理ということです。
外国人労働者の問題は、自分が外国人を雇うにせよ、自分が外国人として雇われるにせよ、あるいは直接関係ないにせよ、今後ますます世界的に重要な問題になっていくと思います。日本の政治やメディアでは殆ど語られたりしないのですが、この問題に関しては敏感になってて損はないと思いますよ。
好むと好まざるとに関らず経済のグローバライゼーションは今後どんどん進展するでしょう。それなりの修正や手当てが施されるにせよ、大きな流れとしてはそうなる。これはシンプルな二つの事実を突付き合わせてみれば明瞭です。事実その1は、この地球ではエリアによって物価や賃金に巨大な格差があるという事実。Aという国では時給1000円出さないと人がきてくれないけど、Bという国では時給10円でも幾らでも人がくるし、物価もまたそれに応じて全然違う。まあ、飽食で大量に生ゴミを出してその始末に苦慮している国もあれば、餓死者がバタバタでている国もあるってことです。事実その2は、企業というのは利潤を追求するための組織だということです。福祉団体でも宗教団体でもない。合法的に儲けるためならなんでもやる存在である。だとしたら、工場で製品を作るにしても、より安い労働力を求めてコストカッティングするのは当然の話でしょう。
安い労働力は、会社が海外に工場や支店を作って現地人を採用するパターンと、本国に外国人労働者を招き入れるパターンという二つの形態があります。前者は空洞化といわれるもので、その国の経済をスカスカにします。いずれの場合にせよ、本国の人々の仕事が減る=失業者が増えるという意味ではインパクトは同じです。
ところで、はるか昔は「Made in JAPAN」は粗悪品の代名詞でした。ずっと昔の話ですよ。何かの英語の本で読んだのですが、ヨーロッパかどっかで、クリスマスのプレゼントを持っていって子供達が「わー」とはしゃいで和やかなムードになったときに、子供の一人が「あれ、これMade in Japanだよ」と言わずもがなの一言を言ってしまったため、いきなり冷水をぶっかけられたかのように、なごやかだったその場の空気がお通夜みたいに気まずくなってしまったと。そういう扱われ方をしていたわけですな。そーゆー時代もあったのよ、と。
今はJAPANはブランドです。Made in Japanというだけで価格をグンと上げても人々は買う。そして、Made in Chinaの時代になっていったのですが、今ではもうMade in Chinaは粗悪品の代名詞ではないですよ。「世界の工場」として、全世界から企業が押し寄せ、工場を乱立し、操業することで設備や技術も向上し、かなり優秀な製品も作れるようになっています。あとしばらくしたら、Made in Chinaが「信頼のブランド」になっていくでしょう。というか、既に今の時点で、シドニーのバラエティショップ(百均みたいな店)でMade in Chinaだったら、まあマシかなと思うもんね。粗悪品の代名詞は、Chinaからパキスタンとかスリランカとかあのあたりに移ってきています。
オーストラリアでも、この空洞化問題はことあるごとに報道されます。オーストラリア人にとって昔から馴染みの深いオーストラリアブランドの各商品が、実はオーストラリアではなく中国で作られているのだという話は、新聞で、トークバックラジオで、よく耳にします。「オーストラリア人の雇用を守る」というのは、労働者の国であるオーストラリアにおいては、一貫してメインテーマであるといってもいいでしょう。だからよく話題になるし、この点に関する国民の平均的な造詣の深さは平均的な日本人の比じゃないかもしれない。余談ですが、こちらにきてオーストラリア人と、よりタメ&対等に、ディープに付き合っていこうとするなら、この種テの問題に関するあなた個人の見解を用意しておくといいですよ。
空洞化は、何も工場や製造業に限ったものではないです。プラグミングや入力作業などIT業務の下請けみたいな仕事は、すでに僕が日本に居た十数年前からインドに外注されていました。そのためかインドのIT技術水準は高く、またその種の職につくために、シドニーのIT系の専門学校や大学にはインド人学生が沢山きています。
日本人相手のコールセンターが日本ではなくオーストラリアに存在するように、アメックスのオーストラリア人相手のコールセンターはオーストラリアにないそうです。インドにあるという話を聞いたことがあります。だから、電話をかけたオージーは、文化的な違いから話が中々通じなくてイライラするらしいです。これと同じ理由で、日本人相手のコールセンターには日本人を雇った方がいいのだというのが、アメックスの主張なのでしょうね。ヴァンストン大臣も同趣旨のことを述べてます("Every Australian understands how annoying it is to ring a call number and get someone on the other end who doesn't clearly understand your cultural situation"=ヘルプを求めて電話をし、相手方がこっちの文化状況をよく知らないとき、どれだけカリカリさせられるかということは、オーストラリア人だったら誰でも知っている)。
このように、コストが安いという理由で製造業もサービス業もどんどん海外に出て行き、同時に国内の仕事もどんどん外国人労働者を雇っていったら、結局自国民の職場は一貫して減っていくことになります。そうなると、失業率も失業者も増える。だから税収も減る。国家財政破産する。大変です。その大変な課題に、今世界のOECDなどの先進国では取っ組み合っているわけです。
日本の場合は、以前にも書いたように、日本住民=日本国民=日本語=日本民族=日本領土というのがロイヤルストレートフラッシュのように揃っている稀有の国ですから、「日本バリア」というものが張られています。「日本人同士でないと分からない、話にならない」という領域が無茶苦茶沢山ある。昔の日米通商構造協議でアメリカから「非関税障壁」として激しく非難された「カベ」です。そのカベに相当守られている部分はあります。特に言語。もし日本人がネィティブで英語を使ってたら、あるいは世界の人が普通に日本語使ってたら、音楽でいう洋楽/邦楽の区別も、映画でいう洋画/邦画の区別も限りなく薄くなるでしょう。TV番組なんかもそうですよね。アメリカの放送をそのまま放送しておけば足りるんだから、日本のTV局もかなり潰れるかもしれない。外国企業の進出も、攻撃も、はるかに激しくなっていたでしょう。オーストラリアは英語圏だからそのカベがなく、怒涛のように英米資本が押し寄せてきています。だから防戦に必死。メンタル的にも「オーストラリア産を大事にしよう」みたいなところがあります。製品に「Proudly Australian」とか書いてあったり。
しかし、その日本のカベもどんどん低くなっていくことでしょう。また低くしていかないと、コスト的に立ち行かなくなったりします。日本企業がどんどん中国に進出していくのも、そうしないと生き残っていけないからでしょう。現在景気が上向き加減なのも中国の膨大な購買力に支えられているものでしょう。潜在的に日本の十倍以上の規模のある市場に今以上に食い込んでおく必要があります。さもないと世界的な競争相手が巨大にふくれて、あとで叩き潰されるかもしれないからです。
考えてみればこういうグローバライゼーションは何も今に始まったことではないです。大体どうして日本が経済大国になれたか?ですよね。世界の中でも極東という「極」がつくようなド田舎にあって、ほとんど資源もなにもなく、特殊な言語と特殊な文化で閉鎖的に魚ばっかり食ってる民族が、どうしてここまでのしあがってこれたか、です。ドンパチやってる中東に命がけで出かけていって、涙ぐましい努力によって石油を確保して、マラッカ海峡あたりをきれいにして大型タンカーを通過させ、日本に運び込み、寝食を忘れて優秀な工業製品を生産し、これを官民一致して世界に売りまくり、特にアメリカに売りまくり、反日バッシングを受けながらもさらに売りまくったわけです。池田元首相は、国民に向かって「貧乏人は麦を喰え」と言って叱咤激励し、ヨーロッパを訪問すればドゴールに「トランジスタのセールスマン」とせせら笑われてきたわけです。それが俺らの国でしょ。グローバライゼーションとは日本のことですよ。世界に先駆けてそれをやってきたんだからさ。逆にいえば、それをやり続けてないと、またぞろ辺鄙なところにある閉鎖的で魚食ってるただの島民に逆戻りです。
ただ、今までの日本のグローバライゼーションは、資源を買って製品を売るというマテリアル(物質)段階で済んでいたわけで、だからこそ異民族とのコミュニケーションの苦手な日本人でもなんとなってきた部分はあります。しかし、経済が第三次産業、第四次産業と移行するにしたがって、物だけ扱ってればいいというものではなくなってきました。「人」と接していかなくてはならなくなった。それがすなわち外国人労働者問題だと思うわけです。
外国人労働者の問題は、多面的に展開します。
ざっと思いつくだけでも、
@.自分が経営者として外国人労働者を雇う場合
A.自分の会社が外国人労働者を雇ったので同僚や上司部下として外国人と付き合っていかねばならない場合
B.会社が外国人労働者を雇ったために自分がクビになる場合、あるいは求人が減って就職できなくなる場合
C.外国人労働者がやってきたので彼らが新規のお客さんになる場合(彼らの住居、食事、買物)
D.外国人労働者が増えたことによる社会的インフラの整備(あらゆる役所や警察の窓口その他での表示や通訳サービス)
D.外国人労働者を求めて会社が海外に行ってしまい、地元経済が衰退する場合(空洞化)
E.海外に進出した会社に出張・出向・就職し、現地の外国人(というかこっちが外国人になるのだけど)労働者とつきあっていく場合
F.自分自身が外国人労働者として、海外の日系企業に就職し働く場合
G.自分自身が外国人労働者として、海外の非日系企業に就職し働く場合
:
などなど様々な局面があります。
こういう機会はこれからもっともっと増えるでしょうし、既に増えています。今の日本の若い人で、ちょっと気が利いていてエネルギーのある人だったら単身中国に渡ってやってるでしょう。そういう人の話はよく聞きますからね。「私のお兄ちゃんは、数年前にひとりで中国に渡って、今は現地で会社作って頑張ってる」とかね。
そして、こういった諸活動が総合して、日本の経済が盛り上がったり衰退したり、国家財政や政治形態が破綻したり変容したり、社会のあり方もまた変っていくわけでしょう。
こういったことを踏まえて、そこで「あなたの意見は?」と聞かれたりするわけですが、僕の意見はですね、結局のところ、いかに賢く、フレキシブルにやっていくかということに尽きると思います。賢くなるべきなのは、自分自身でもあり、他の日本人でもあり、日本社会でもあり、政府でもあります。
「賢く」というのは、これまた色んな意味がありますが、2−3例を挙げます。例えば、浜松市だったかな、いま多くのブラジルの方が働いておられますよね。これを単に「外国人労働者が多い」というだけで捉えないで、逆にチャンスとして捉えることも可能でしょう。まず単純に、日本人だけではなく色んな人が居た方が面白いじゃないかという側面があります。お祭りなんか盛り上がりそうだしね。日本には存在しない新しい文化や、新しいものの考え方を持ってきてくれるんだから、ありがたく学ばせてもらったらいです。彼ら、サッカー上手そうですしね、草サッカーや少年サッカーに混じったりすることで、ますます静岡県のサッカーレベルが上がるってのもあります。また、今後世界的に伸びていく国は、1に中国、2にインドで、3番目に注目されているのがブラジルだということで、ここでしっかりポルトガル語を学び、彼らの文化を学び、今度は自分たちがブラジルでビジネスチャンスなり、人生のチャンスなりを掴むこともできるでしょう。
これは、ことブラジルという特定の国に着目してのことですが、別にどこの国であったとしても、文化背景の違う人が増えることによって、社会の仕組みや決まりごとが透明公平になるという面があります。日本人でも「なんか変だな」と思ってる妙な習慣やシステムは日本にもかなりあります。でも日本人同士だと「まあ、そういうもんだ」で話が終わって全然改善されないってことも往々にしてあります。そこにいろんな国の人達がやってきて、土着のシガラミや固定観念のない彼らから、「なんでそうなの?変じゃないの?こうしたらどう?」と気兼ねなく言ってもらうことで、事態がよい方向に向かうということもあるでしょう。オーストラリアなんかまさにそうで、200民族以上受け入れているから、どの民族から見ても、「なるほど」と思うような分かりやすい社会システムでないと困るわけですし、そのためにいちいちシステムが合理的になっていきます。僕ら外国人からみてもわかりやすいし、分かりやすくないと成り立たない。
外国人労働者が沢山日本に来てくれるということは、世界一の速度で高齢化しつつある日本社会のアンバランスを是正するメリットもあります。若年労働人口が減少し、高齢者が増えるというのは、もう耳にタコが出来るくらい政府やメディアから聞かされているでしょう。そのために少子化対策をやってるわけですが、手っ取り早く若い労働人口を増やすには、外国人労働者を招くという方法があります。また、彼らが働き、生活することで、税収もあがり、購買力もあがります。
優秀な外国人労働者に来てもらうためには、それなりにインフラを整備しなければなりません。だいたい規制というのは厳しくすればするほど、善良で遵法精神に富んだ人はやってこず、ハシっこくて脱法的な人間だけが網の目をかいくぐってやってきて、アンダーグラウンドに世界を構築していったりするので、あんまり意味がないというか、逆効果の場合も多いです。優秀な人材に「馬鹿馬鹿しくって働いてられるか」と思われないように、外国人労働者への門戸の適切に広げ、順当な条件を付し、その権利保護も整備すべきでしょう。
また、公務員の国籍条項なども必要があれば適宜緩和していけばいいと思いますね。公務員といっても幅広く存在しますから、別に日本国籍をもっていることがどうしても必要であるという職種は限られてくるでしょう。何度も書いてますが、以前、シドニーでは、スコットランドヤードからイギリス人をスカウトしてきて、警視総監のポストに就けたりしています。警視総監が外国人というのは日本人的感覚ではいかにも違和感がありますが、そこに違和感を感じること自体、固定観念に囚われているのだと思います。その職務に最も相応しい能力を有した人間であれば、必ずしも日本人に限ることはないでしょう。アメリカでも、アメリカを代表する巨大企業、例えばマクドナルドの社長がアメリカ人ではなかったりもします(Charles Bellという僕と同じ年のオーストラリア人)。誰であれ、有能な人間にその仕事をさせればいい。その仕事が国民の税金を使うものであるなら尚更です。役所であれ、病院であれ、大学であれ、警察であれ、組織内部にガチガチの派閥あり、派閥間のバランスと均衡によってトップが選ばれるのが日本の通弊ですが、僕らはこの人たちの職場内部の仲良しクラブを維持するために税金を払っているのではない。ちゃんと仕事をしてくれるために払っているのだ。日本でも、既に民間の場合、カルロスゴーン氏が日産のCEOになったりしてるわけですから、その種の流れは発生しています。
しかし、日本政府はどうも移民や外国人労働者の受入れについては消極的です。まあ、日本のエスタブリッシュメントにとってみたら、学閥派閥の気持ちいい組織空間が、そういった権威の全く通用しない外国人にやってこられて、口出しされて、メチャクチャにされたくないでしょう。しかし、未来永劫そんなことばっかりもやってられないでしょう。医療過誤裁判などをやっておりますと、裁判の鑑定に関し、日本に全く利害関係のない純然たる外国人ばかりの鑑定委員会でも作って欲しいと切実に思いますよ。いくら医師のミスが明白であったとしても、お医者さん同士差し障りがあるから、鑑定依頼をしても「ここにミスがあった」とは中々書いてくれませんからね。前に働いていた事務所の後輩弁護士がHIV(エイズ)訴訟で頑張ってやってましたけど、血液製剤とエイズの関係を医学的に立証するためにわざわざアメリカまで飛んで証拠集めをしてましたもんね。古い話ですけど、田中角栄が逮捕されたロッキード事件でも、発端はアメリカでしたしね。利害関係のない人間の意見というのは、時として非常に有用だったりします。日本の場合、ある業界の中では全員が利害関係人みたいになっちゃうので、なにかあっても揉み消されたりするし、自浄作用も期待できません。そういう意味で、外国人労働者というのは、日本の風通しをよくする一つの触媒としての機能もあると思います。
もちろん、無条件に外国人労働者をホイホイ雇い入れたら、今度は日本人の就職が制限されてきてしまいます。その点、適切な調節バルブみたいなものは必要だろうと思います。しかし、「日本人がやりたがらない仕事」として限定してたら、発展もまた無いです。日本人でもやりたい人は沢山いるけど、日本人よりも職業技能が優っているのであれば、一定の条件のもとでどんどん雇い入れたらいいと思います。だから、そのあたりのバランス感覚が非常に重要なのでしょう。ただ、具体的に今年は年間何万人くらい労働ビザを発行すべきかとか、どの業界において認めるかとかいう突っ込んだ議論は、日本では殆ど行われていないでしょう。新聞でも滅多に(というか全然)読んだことがないです。オーストラリアの場合、移民局から毎年の受け入れ予定ビザ数が発表され、それが一面トップになり、解説や議論が行われます。そのくらいビビットに常日頃から考えるようにしていていいんじゃないかって気もします。
また、日本人が海外に出て行って外国人労働者として働くような場合のインフラ整備も必要だろうと思います。つまり現地で働いている日本人を援護射撃するために、日本語での無料法律相談とか税務相談とかセミナーとか、どんどん外務省(領事館)主宰でやってもらいたいものです。まあ、そんな日がいつ来るのかわかりませんけど。しかし、日本人ワーホリさんや留学生さんの、現地での日本レストランなどでの給与の低さというのは、アメックスなんてもんじゃないです。オーストラリアには、この職種でこのキャリアだったら最低賃金幾らという決まりがあります(Awardという)。Office of Industrial Relationsに”Check your pay"というサイトがあります。職種や業態を選んでいくと、最低賃金がいくらかオンライン上で表示されるというものです。これで、レストランのキッチンハンドで、客の51%以上がその場で食べ、21歳以上の人間が雇われていた場合を計算させてみると、最低賃金は時給$15.52 と表示されます。実際のワーホリさんの給与はこの半額くらいが相場でしょう。
ワーホリさんのようなカジュアルジョブだけでなく、現地の日系企業になると、サービス残業当たり前的な日本的労働慣行になっていく傾向があるといいます。同じ職場に働いていても、オージーは5時に帰るし誰もそれをとがめないけど、日本人社員にそれは許されないという。大体、外務省とか役所系であれ、一般企業であれ、日本で採用された日本人が海外駐在になるときの給与と、現地採用の日本人の給与とでは2倍くらいの開きがあるといいます。
だから、「海外で働く」ことを夢見てる人は、第一に海外の労働条件はかなり劣悪であることを覚悟しておいた方がいいです。どうせ働くなら日本で採用されてから現地に行かされるのがベストですね。もっとも、その場合いけるかどうかわかりませんし、行きたいところに行けるとは限りません。オーストラリアに行くつもりで入社したらスリランカに行かされるかもしれません。第二に、現地で仕事を探すのだったら、出来るだけ日本人と関係ないところで働いた方がいいです。海外にある日系企業で日本人が働くのを「外国人労働者」と呼ぶのかどうかよくわからないのですが、オーストラリア人のところで働くという、純然たる「外国人労働者」の方がまだしも条件がいいというのは皮肉というか、国辱ものというか、、、、。この現実は一朝一夕に変わるものではないでしょうが、多くの人が関心を持つことによって変っていくこともありうるとは思います。
また、この現実を前提にするならば、何がなんでも英語は出来るようになれ、ということです。結局、なんでこんな低賃金で日本人が外国人労働者をやらざるを得ないのかといえば、英語が出来ず、地元ローカルの職場をゲットできないからでしょう。低賃金であろうがなんであろうが、他で働くことが出来ないので仕方なく働いているのが実情でしょう。もし、本当に皆が英語が出来るようになり、「こんな給料だったらヤダ」といえば、需給バランスの関係で自然に給料は上がりますよ。それに単に働くだけだったら、ラウンドしてファームに行ったほうが英語もそれほど使わないし、全然給与もいいですから、シドニーにしがみついてる必要なんかないです。
さて、「外国人労働者」というキーワードであれこれ書いてきましたが、今の時代にこの問題と全く無関係って人はいないと思いますよ。俺には全くカスリもしないぜとうそぶいていても、経済なんか全部つながっているのですから、何らかの関係はあります。空洞化の進展で、近くの工場が閉鎖されてしまい、その結果工員さんたちのランチタイムで賑わっていた食堂や居酒屋が打撃を受け、そこでバイトしていたあなたが失業するってことだってあるわけですもんね。それに、あなたがアメックスのカードをもっていて、その件でカスタマーサービスに電話をしたら、電話に出てくるのは、オーストラリアで働いている日本人=外国人労働者だったりするわけですからね。
ということで、一服いれたところで、来週はまた日本シリーズです。もうちょっとで終わります。
文責:田村
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