今週の1枚(01.11.12)
雑文/総選挙
さる11月10日の土曜日は、オーストラリアの連邦総選挙の日でありました。
上の画像は、翌日日曜日の新聞、Sun Heraldの記事の一部をスキャンしたものです。
正確な結果はまだ出てませんが、大勢は開票後数時間で判明してます。
既にご存知の人も多いでしょうが、ジョン・ハワード現首相ひきいる与党(リベラル/自由党+ナショナル/国民党)が政権を維持し、レイバー/労働党の政権奪回はなりませんでした。
個人的には、正直いって、ガッカリしてます。
前回の日本の総選挙のときも、その前のオーストラリアの共和制移行に関するレファレンダム(国民投票)のときもガッカリさせられてますので、ここのところこの手のイベントでは常に憮然としてます。「あ〜あ」って感じ。
これから選挙に関する事後分析の意見がたくさん出てくるでしょうが、開票直後の僕の感想を申します。「多分、こういうことなんちゃうかな?」という。
今回、レイバーが政権奪取をし、党首キム・ビーズリーが首相になるということは、数ヶ月前までは殆ど規定事項のように語られておりました。コーリション(連立与党)も二期6年続いて新鮮味もなくなってきてますし、二大政党制の国の平均的なバランス感覚でいえば、ほおっておいても「そろそろ、もう片方にもやらせてみるか」というムードになりがちですし、現になってました。
ところが、ここ2〜3ヶ月で劇的に潮の流れが変わってしまいました。
それはオーストラリア国内の出来事ではなく、国際的な出来事によって。つまり、9月のアメリカへのテロ・アタック、そして時期を同じくしてオーストラリアに異常なペースで続々とやってくるようになって難民船、という二つのイベントによって、ハワード首相は株をあげ、ビーズリーは株を落としたと言われています。
アメリカの一連の"War against terrorism"に対しては世界的にも賛否両論ありますが、ハワード首相は100%アメリカ追従方針を打ち出し、オーストラリア軍も送ってます。これはもう「断固支持」という感じで、「もうちょっと様子をみたら、、」みたいな躊躇いは殆どなく、「そこまでアメリカに媚びなくてもええやん?」というくらいの断固さであります。
また、オーストラリアにやってくる難民船。"asylum seekers(亡命者)"と言われたり、単純に(批判的に)"illegal immigrant(不法入国者)"などと呼ばれ、インドネシア方面からオーストラリアにボロい漁船などでやってきているわけで、「洪水のように」とさえ形容されるくらい、ここ数ヶ月その数が増えてきてます。その嚆矢となったのがTampa号事件で、漂流している難民船を、たまたま航行していたTampa号というノルウェー船籍の船が救助したのはいいけど、インドネシアからもオーストラリアからも、「ウチはそんな難民来て欲しくない、入国拒否」と言われてしまって、ニッチもサッチも状態がしばらく続きました。
オーストラリアへの難民問題は、これ以前からもくすぶっておりました。オーストラリアの場合、正式に亡命であると認定されれば亡命者ビザが出るわけで、それまで希望者は難民キャンプに収容されているのですが、この収容キャンプの状態がひどく、基本的な人権レベルを満たしていないとか批判されたりしておりました。
オーストラリアは昔から難民受入れに比較的寛容のようで、古くはパレスチナ難民、ベトナム難民、最近の旧ユーゴスラビア難民を受け入れてます。現在の難民の多くは、イラクなど中東方面からのようですが、オーストラリアもだんだん昔ほど気前が良くなくなってきています。
難民問題は結構微妙な問題です。一方ではモラル的、人道的に言えば、半死半生で海をさまよってる人々がいればこれを助けるのがヒューマニズムであるわけで、それに異論はないでしょう。しかし、そんなにホイホイ受け入れていたら受け入れる側も疲弊してきてしまう。そこには自ずと限度があり、ある程度セルフィッシュに、自己チューにやっていかなきゃならない。どこに線をひくか、です。
ハワード首相の場合、かなり向こう側に、離れたところに線をひき、「基本的には駄目、厳正に審査して真正に難民と認定されれば受け入れる」という、いわゆるハードライナー、モラル的にはちょっと疑問はあるけど、オーストラリア国益保護に力点を置いてるわけです。移民省の大臣、フィリップ・ラドックも、その昔はリベラルのなかでも中道穏健路線の政治家だったそうですが、ここのところ、移民に関しては温情ゼロのハードな路線を打ち出してます。ちょっと前ですが、家族が泣き別れになったとしても入国させないケースとかありまして、結構「人でなし」呼ばわりされたりもしてます。そのハード路線で、ワンネーション支持者から熱烈歓迎されたりして、本人はとても迷惑そうだったりして。ちなみに、この人が、オーストラリアに来る皆さんのワーホリビザなり、学生ビザなり、永住ビザなりを発行する最高権限者であります。
オーストラリアは、これはこのホームページ始まった頃から色々な個所で言ってますが、以前ほど「陽気で人が良く、フェアゴー/公正の精神を大切にするオージー」ではなくなってきてます。「困ってる人がいたら助けるのが当然」みたいな素敵なシンプルさは薄まり、その代わり、自分の生活を守るのを第一義にして、多少人道的に満点がとれなくても仕方がないという、いわば「小市民化」してきていると思います。
その背景にあるのは、将来への不安。「普通にやってりゃ人生バラ色」という、昔ながらの「ラッキーカントリー」の能天気なメンタリティは、もう薄らいできてます。
もっとも、小市民化といい、不安心理といっても、日本のそれと比べればケタ違いに楽天的ではあります。難民にしても、オーストラリアは、まず真正の難民だったら受け入れるのが当然というベースがあって、そのうえで審査をもっと厳しくしましょうというレベルの話です。日本は、審査基準がどうのとかいう以前に、まずもって難民を受け入れるなんて話にならんですもんね。将来の不安とかいっても、100ドル稼いだら110ドル使っちゃえという楽天性と、1万円稼いだら3000円は貯金する国民性とは、比較にはならんです。だから、今現在でもオーストラリアに来て、個々のオーストラリア人と接すれば、結構昔ながらのイメージどおりに、「なんでこの人は、こんなに善人なの?」みたいな人は多いです。ただ、相対的にその度合いが変わってきているという話です。
なぜ、こういう変化が起きているのか?といえば、これは先進国に共通する傾向だと思いますが、グローバライゼーションによる経済環境、雇用環境の変化。経済競争はどんどん激しくなり、勝ち組/負け組がハッキリしていく。失業不安は絶えずあり、将来の生活設計をたてにくい環境になってきています。だもんで、昔のように、普通にやってりゃ大丈夫という楽天性は持ち得なくなってきてます。不確実性の時代ですよね。それが大きなバックグランドとしてあると思います。生活保身に汲々とせざる得なくなってきてるから、そうそう理想主義に燃えるという具合にいかなくなってくるという。
この傾向は、例えば、ポーリンハンソンのワンネーションなどの極右的な、排他的な発想(=アジア人は出ていけ、アボリジニの保護はもう止めろという主張、というよりも「感情」)が、シドニーやメルボルンなどの大都市の富裕層=つまりグローバライゼーションにおける勝ち組み連中には薄く、ジリ貧の一途をたどる地方農村部の方において根強いことからも窺えるとおもいます。早い話が、論語じゃないけど「倉廩満ちて礼節を知る」ですよね。貧しくなれば理想なんて言ってられなくなるということです。
まあ、皮肉な見方をすれば、西洋的美徳、人道主義にせよジェントルマンシップにせよ、強大な富を背景に、いわば余裕ぶっかまして言っていたという部分はあったのかもしれません。19世紀の帝国主義の時代を経て、世界中を植民地にして搾取しまくって、膨大な富を蓄積し、その富によって飢える心配のない豊かな社会を構築したからこそ、つまりは「倉が満ちたからこそ」、種々の美徳も語られ、積極的に実践されるようになったきた。で、帝国主義的な一方的な収奪もできず、JAPANを切り込み隊長とした非ヨーロッパ圏内から経済的に追撃してくる連中が次々に出てくるにしたがって、そうそう安閑と構えていられなくなった。あれだけ歴史と伝統を重んじるヨーロッパも、そんなこと言ってられなくなってきてEUを組んだりしてるわけですし。
素朴に考えてもわかるように、この地球上の食料や富は偏在してます。メッチャクチャ不公平になってます。かたや日々何万人という単位で餓死者が出ている反面、飽食日本とかやってるわけですもんね。これを、公平にしましょう、機械的に平等に分配しましょうということになったら、日本やオーストラリアも、日々の食料カロリーを3分の1くらいに減らさないとならないのではなかろうか。要するに僕らの生活水準はドーンと下がるわけですね。
でも直ちにそうならないのは、これまでの経緯で、先進国にはアドバンテージがあるわけです。すなわち、内戦もなく民族紛争にも巻き込まれず、教育機関も整備され、知識もスキルも蓄積されているから、経済競争をやっても勝てているわけです。だけど、そんなことも長い目で見たらいつまでも続かない。発展途上国も着々と世代が変わり、生活をよくしていくために努力はしますから、国際競争は激化の一途を辿るでしょう。グローバライゼーション、つまりは鎖国はやめて、経済に国境をなくして、世界をひとつのリングにして競争しましょうとやってる以上、未来永劫ひとつの国家、一つの会社が勝ち続けることは不可能でしょう。
直ちにはそうドラスティックなことにはなりませんが、その兆候はいたるところに出ています。規制緩和、関税障壁の撤廃によって、第三世界のケタ違いに安い労働力や物品が入ってきてます。安い労働力をもとめて工場設備はどんどん空洞化し、国内労働者は失業する。農水産物がガンガン輸入されることによって国内業者は壊滅的な打撃を受ける。これはオーストラリアでも同じで、生花や野菜などオーストラリアで栽培されておらず海外から輸入しているものがかなりあるといいます。
こういった一次二次産品、さらにローテクなマニファクチャ(工業製品)はどんどん第三世界に取られていってしまう。こちらでも、メイドインチャイナ、インディア、パキスタン、、などなど沢山入ってきてます。そうなってくると先進国の中でも、生き残るためにはより高度なスキルを身につけないとならない。パソコンが出来なければもう労働力扱いされず、さらにちょっと出来たくらいでは話にならず、もう最先端でプログラム開発をしてるくらいのレベルでないとどんどん追いつかれてしまうとか。ごく一握りの知的エリート達だけが先進国ではサバイブできて、あとはもう、60億人規模の労働力人海に追いつかれ、飲み込まれてしまう。
日本も、オーストラリアも、アメリカもイギリスも、先進国はみなそうだと思いますが、もうこれ以上ドーンと発展はしそうにないわけです。競争を激化させ、必死になって疾駆して、追撃を振り切っていくしかないわけです。考えうる限りの高等教育を受け、常に技術の最先端にいるか、果敢にニッチに切り込んでビジネス的成功を収めるアントレプレナーだけが生き残り、誰にでも出来るような仕事はどんどん外国人労働者に取られ(外注に出され)る。極端な言い方をすれば、「普通にやってりゃ死ぬしかない」みたいなキビシー話だったりします。これは精神的にツライです。余裕がなくなってきますよね。ギスギスもしてきますよね。遠い領海で誰が溺れ死のうが、まずは自分の仕事を確保する方が先決問題になっていきます。
これらの変化は一朝一夕に起きません。非常にゆっくりしたテンポで起きてきています。だから、日々の生活が直ちにどうのって話にはなりません。ならないんだけど、遠くの空から徐々に黒雲が広がってくるような、漠然とした不安感は忍び寄ってくるでしょう。
話を総選挙に戻します。
6年前、ポールキーティング率いるレイバーが、ハワード率いるリベラル・ナショナル連合に大敗したのは何故か、どうしてカリスマ性もスター性も溢れるキーティングが負けて、パッとしないハワードが勝ったのか?当時の新聞記事で、この理由を一言で言い切ったものがありました。それは、ハワードが「何もしそうにないから」です。キーティングは、グローバライゼーションを積極的に推し進めました。小泉首相の急進性と小沢一郎の豪腕を掛け合わせたようなキーティングは、このままジリ貧を迎えるならば、積極的に打って出て、強いオーストラリアを作るしかないと、ガンガン規制緩和をしていったわけです。だけど、というか、だからこそ、オーストラリア国民は疲れちゃった。改革疲れというやつで、「もうやだ」ってな感じになったわけですね。だから、何にもしそうにないハワードの方が好ましく思えたという。思えばあそこが分岐点。
以後、ハワード時代になって、打って出るような急進性、積極性、理想性は後退してます。アジア諸国への積極的コミットよりは、旧友アメリカ、ヨーロッパ寄りになり、それが今回のアメリカ100%支持にも連なっているのだとおもいます。また、アボリジニ和解問題についても、砂漠のなかのアボリジニーの部落に自ら乗り込んで、"I'm sorry"と言い切ったキーティングに対して、ハワードの態度は一貫して消極的なものでした。だもんだから、オリンピックの閉会式のコンサートでも、黒字にSORRYと染めた衣装を着たMidnight oilに暗に批判される歌を歌われたりして。
それが、まあ、オーストラリア人の、ともすれば「引きこもり」がちなメンタリティにフィットしたという部分はあります。オーストラリア人が今求めているのは、過激な改革でも、理想に燃えることでもなく、まずは生活面での安定だったりします。もちろん、こういったオーストラリアの後退について批判的なオーストラリア人も沢山いて、大雑把にかつ大袈裟に言えば国論が二分してるといってもいいかもしれません。
レイバーにとって、そしてキムビーズリーが今回勝てなかった理由は、事後になってみれば幾つも挙げられるでしょう。
@ オーストラリアは失速気味ではあるけど、ここ10年以上一貫して好景気であり、そこそこ皆も生活できてるから大胆な改革を求める雰囲気に乏しい。これは、今の日本と大きく違うところだと思います。
A なんだかんだ言っても、ハワード政権がやってきたことで大きな失政は無かった。好景気に失政はないというラッキーさもあると思いますが、別段、「こりゃひどい」というほどの大きな失点もなかった。いろいろ言われているけどGSTを導入(+税制改革)したのもどっちかといえば功績に数える人は多いし、財政も大幅黒字に立て直した。
B そうなってくると野党側としては攻撃アピールするポイントが無くなり、苦しくなる。今回ビーズリーは「教育への大規模な財政投入」を掲げていたし、これはオーストラリア人にとっても最大の国内懸案事項だったから狙いはよかったのだけど、いかんせん地味な話題で、「おおっ」という華やかさに欠ける。
C そのうえ、レイバーの戦略広報スタッフの方針らしいですが、イギリスのレイバー党首トニー・ブレア的成功をお手本として、伝統的な労組ベッタリから距離をおき、あまり政策を述べず、イメージでいこうとしたので、逆にビーズリーがもっていた政治家として素質をアピールできなかった。つまりは影が薄くなってしまった。今回は平均してレイバーは票を落としてます。
D 時期が悪い。これが最大の敗因だと思いますが、テロリズムによる国際緊張、難民線の洪水的来襲という一種の国難時に、ハワードは毅然と対処した(かのように映った)。もとより、その姿勢は偏っているという批判も沢山あるのだけど、偏ってるくらいの方がむしろスッキリして毅然として見えるには見えた。また、オーストラリア人が小市民的自己中に傾きやすいイベントに、その自己中ぶりは共感を呼んだ。
E かたや、ミスター・ナイスガイと言われるビーズリーの場合、その紳士的なナイスガイぶりが逆に災いして、「いい人なんだけど、いざというとき自己中になりきれなくて弱いのでは」という印象を残してしまった。人の悪口をあまり言わないので有名なビーズリーは、あまり人からも悪口を言われないのだが、ただ一つ、"ticker"が欠けると言う人もいる。tickerとはオーストラリアのスラングで「度胸」のこと。これは多分に誤解なんだけど、いい人であるがゆえに、イメージ的にはそうなってしまった。
F 結果論なんだけど、テロリズム対策にしても、難民問題にしても、選挙を控えた極めてデリケートな時期に起きたため、ビーズリーとしても、国民感情に配慮して、ハワード支持を打ち出さざるを得なかった。結果的に、ハワード路線に反発する人々は、レイバーではなく、環境政党グリーンパーティにいってしまった。おかげでグリーンは飛躍的に伸び、ナショナルも、デモクラッツも押さえて第三政党にのしあがりそうな勢いです。つまりは、レイバーはハワード批判票の受け皿になり得なかった。片や、ハワード路線派としても、ハワードと同じだったら別にハワードでいいじゃん的雰囲気になってしまって、結局どっちつかずになってしまった。これは、政治的にどうしたら良かったのかは、超難問で、ひたすら時期が悪いとしかいいようがないし、その時期を選んで総選挙にしたハワードが巧みだったというしかない。
最後にトドメになったのは、シドニー西部の選挙区でレイバーが負けたことです。
今回の各州の結果を見ると、そんなに大きな変動はないです。ビクトリアなんかではむしろレイバーが勝ってるし、多くは、一議席奪って、二議席奪われて、、という感じです。最後の決め手になってのは、シドニー西部の、パラマッタ選挙区、ペンリス方面のリンジー選挙区、キャンベルタウン周辺のマッカーサー選挙区で、いずれもレイバーは負けてます。これが選挙結果という意味では、最大の敗因のようです。
これらのエリアは、もともとレイバーのハートランド(本拠地)と言われます。上の大きな画像をご覧になってもお分かりになるように、北部東部のリッチエリアはリベラルに、西部内部の庶民エリアはレイバーにという具合に、クッキリ分かれています。だから、これら3選挙区もレイバーが取らなければならない。しかし、そうはならなかったのは何故か?というと、僕が思うに、「シドニー西部のプチブル化」だと思います。
レイバーはその名の通り、労組を母体とし、労働者、庶民の味方としての社会主義的政党です。だから、庶民エリアでは強い。今回もシドニー西部14選挙区で勝ってます。が、折からのバブル気味の好景気もあいまって、そんな昔ながらの純然たる「労働者」という枠組は薄らいでます。労働者は、同時に生活者でもあり、消費者でもあります。そして、小金が溜まれば、こちらでいう"first home buyer"にもなります。「一軒目の家を買う人」という意味ですが、また、政府が景気刺激策として、そして選挙対策として、first home buyerに対する優遇措置を講じたりしてたと思います。
でもって、思うのですが、ペンリスもキャンベルタウンもどんどんベッドタウン化が進行してるのですね。シドニーからブルーマウンテンに向かう途中、ブルーマウンテンの麓のあたりがペンリスですが、よくみたら沢山建て売り住宅が建造中なのが分かるとおもいます。だもんで、これらの選挙区は、労働者!というよりは、ローン計算をしているプチブル小市民化してるんじゃないのかな?という。結局そのあたりが敗因ではなかろうかと。
これはたまたま偶然の問題というべきではなく、日本の民主党にも通じる問題ですが、労組基盤の社会主義政党の重心の置き方という根深い問題なんだと思います。資本家のアッパークラスを基盤として小さな政府を旨とする自由主義政党と、労働者を基盤として社会的公平さと福祉を重視する社会主義政党というのが、先進国では大きな二つの路線だったりするわけですが、もうそういう枠組自体が崩れてきている。資本家だろうが労働者だろうが、シドニーで家買ってたら経済的には勝組だったりするわけだし、グローバライゼーションという基軸によって都会対田舎という新しい構図がでてきた昨今、レイバー=労働者といっただけでは、十分な旗印にならない。
オーストラリアのコーリションは財界富裕層をベースにしたリベラルと、農村地帯をベースとするナショナルが連合しています。よく考えたら、この二つの層は全然違うんだけど、意外にこの二つがくっついているケースがよくあります。日本の自民党なんかまさにそうです。財界につながり、田舎につながってます。アメリカのリパブリカンも比較的そうだと言えるでしょう。農村も財界も、「昔は良かった」組で、政府の手厚い保護を受けてた従前のシステムを維持したいと思うだろうから、まあ、保守です。
一方、都会の金持ちと農村地帯の間にいるのが、都会近郊サラリーマン・自営層でして、これが社会主義政党の支持基盤になってるわけです。これは日本の民主党も同じ。これらの人達は、財界や農村ほど政府に手厚く遇されていません。腐敗汚職は、大体、財界やら農村部での話で、都会のサラリーマンを優遇するために組織的に汚職が行われていたいうことは、まあ無いんじゃないか?だもんで、一番ワリを食ってるのがこの層であるから、一番世の中が変わって欲しい人達、つまりは革新派になる。また、ローン、年金、介護にアクセクさせられますので、そのあたりの社会的福祉の公平さも強く求めるから、福祉派になる。アメリカの大統領選挙でもそうでしたけど、敗れたアルゴア陣営、デモクラッツは社会公正派ですから、社会的にワリを食ってる(と思ってる)層、つまり黒人票、女性票はそっちに流れやすいと聞きます。
しかし、話はこんなに単純ではないです。前述のようにこれらの層はプチブルでもありますから、景気によって自分のアイデンティティも変わるのですよね。あるときは搾取されてる労働者的感情になったりもするだろうし、あるときは小資本家気分も味わうでしょう。日本でもバブルのときは、財テクだの、NTT株がどしたとか、皆そろって資本家気分でしたし。そして、福祉重視の社会主義政党の宿命として、どうしても財政出動が多くなりがち。しかし、今はどの国の政府の金庫も火の車(オーストラリアは政府的には結構黒字だけど)だったりします。
それに、これはこの前も言いましたが、社会的公平さを訴えるというのは、どうしてもキレイゴト的な響きがあるのですね。タカ派が目茶苦茶なんだけど毅然と響くのに対して、「お年寄りや恵まれない人達にもっと福祉を」というのは、ときとして脆弱な響きがある。それが、社会がどことなくスサんできたり、国外問題が起きたりすると、「キミ達がイイ人達なのは分かるけど、世の中キビシーよ。いい人だけでは世間は渡っていけないよ」とか思ったりもするわけですな。庶民というのは、基本的にコスっからいものですからね。コスっからければ世の中渡っていけるという世界観そのものが既に幼稚だったりするのですが、まあ、そういう傾向はある。だから、民主党なんかも中々票が取れないのでしょう。
ことのついでにもう一点。労組基盤なんですけど、労組自体が既に古い組織になってきてしまって、自民党や財界顔負けの年功序列の硬直人事に陥ってたりして、それが組織としてパリッとした新鮮さを失わせる。理想を掲げているだけに、ときとして現実感覚が薄らぎ、教条的になり、議論は空中戦になり、宗教団体化してくる危険もあったりします。そういった支持基盤の古臭さが、政党自体の新鮮味を殺したり、大胆な政策提言をすることを阻んだりしたりします。歯切れが悪くなるでしょう。それが、また、「大丈夫かな、この人達」ということで、また支持を失うという。
ねえ、なんかオーストラリアの総選挙の話をしてるだか、日本の政治事情を話してるんだか分からなくなってきますよね?だから、日本もオーストラリアも別にそんなに差はないってことでしょう。同じ資本主義のルールでゲームをやってる社会同士ですから、そしてプレイしてるのは同じ人間なんだから、結局の個々の動きのルールは似たようなものになっていくのでしょう。そりゃ局面局面では全然違うように見えるかもしれないけど、それは同じ将棋を指していても、ある盤面では振飛車戦法で闘ってて、ある盤面では棒銀でやってるから、戦局は全然違ってみえるだけの話で、分解していけば、個々の原理は同じだと思います。
さて、今回の総選挙に関して、他に語られているところで言いますと、
@ ハワード首相は続投でしょう。オーストラリアでも珍しい3期勤める首相になります。「へえ、この人がねえ」ってな感じですが、ウサギとカメのカメみたいな感じです。次期候補だったピーター・コステロですが、ハワードのパフォーマンスで勝ったような選挙ですから、コステロの出番は無いでしょう。一番心中複雑なのがこの人だったりして。
A ビーズリーですが、これで野党党首は辞任するそうです。そのへんの進退はこちらは潔いというか、そういうことになってます。とりあえずヒラ議員に戻るということですが、来年にも議員を辞めて、セカンドキャリア(まだ52歳)として歴史学者にでもなるのでは言われてます。教授が勤まるくらいの学識はあるそうですから。そのへんの転進が自由なのもいいなとは思いますよね。
B ハワード勝利といっても余裕で圧倒的過半数を占めてるわけでもなく、とりわけ上院ではギリギリの運営を強いられるでしょう。これからは第三政党にのしあがりそうなグリーン(とデモクラッツ)がキャスティングボードを握る局面が多いでしょう。大躍進のグリーンですが、レイバーとデモクラッツの票をグリーンが食ったという感じで、グリーンの全体得票数では前回の2倍(!)。おそらく上院で2〜3議席取るだろうと言われてます。
C 毎度お騒がせのポーリンハンソン率いるワンネーションですが、冴えません。ほとんどブームは去ったという感じで、ハンソン自身の上院出馬(同時に上院の選挙もやってますから)も、おそらく駄目だろうと言われてます。全体の票も半減(これもすごいけど)。前回ワンネーションに取られた票を、今回はナショナルがキッチリ奪回しているようです。
D デモクラッツ党首から突然レイバーに鞍替えし周囲を驚かせ、ゆくゆくはオーストラリア初の女性首相になるのではとも言われていたシェリル・カーノ議員は落選。前回も首の皮一枚残した勝利で、「なんでレイバー党は、私にもっと安全な選挙区を与えないのだ」と愚痴ったとか愚痴らんとかで物議を醸したわけですが(まあ、愚痴りたく気分も分かりますが)、今回は愚痴る余地もないくらいにボロ負けだったそうです。この間、この人、いいとこ無かったし。なんか、この人見てると「天中殺」とか、本当にあるんかなって気になります。
E レイバーの次期党首は、サイモン・クリーンと言われています。伝統的に労組の強いオーストラリアの、そのまた総本山みたいなACTUの委員長だったこともあり、ナイスガイ・ビーズリーに比較して、人間的魅力は未知数というかあんまりありそうもないけど、シャープで喧嘩強いイメージがあり、今後はレイバーももっと対立路線を打ち出していくんじゃないかなと思われます。
F 同じくACTUの元女性委員長だったジェニー・ジョージが当選しました。このオバチャン、なんで知ってるかというと、ずっと前に、オーストラリアで大規模な海運ストライキがあったときTVで良く見たからです。まあ、こっちの海運ストは年中行事みたいなもので、その度に荷物が止まったりして、オーストラリアに赴任してきた日本人商社マンの方々には本当にお気の毒なのですが。ストも半端じゃなくて、海に船を何十何百と浮かべて示威行進してたりして、殆ど戦争みたいな感じ。このジョージおばちゃんは、荒くれ男達を束ねる女海賊の頭目みたいな風格がありました。
G インデイペンデント、つまり無所属当選する人が目立ちました。保守のナショナルのなかでもさらにタカ派のボブ・ケイターが、ナショナルを「手ぬるい」とかいって脱退し、無所属で当選しました。この人、今でも覚えてるけど、アジア人に言及するとき「スランティ・アイズ(吊り目)」とか人種差別的発言をしたとか、フェミストに対する嫌悪感丸出しで「フェミ・ナチス」とか言ったとかで、いちいち物議を醸してましたね。ここまでハッキリしてる人も珍しいというか、いかにも Deep Northのクィーズランド深部らしい議員。
今回の選挙で僕らに直接関連ありそうなことといえば、政権がレイバーに変わって、永住権の審査基準が多少なりとも下がるんじゃないかな?という淡い期待もあったのですが、そうもなりそうもないですね。昔は、といっても僕が取った95年時点では100点という楽な関門だったのですが、ハワードが首相になってからいきなり115点というハードルになり、その後110点で推移してます。
今は、移民を増やすという政策は、難民船の問題、さらにテロリズムの問題、グローバライゼーションを想起させちゃう問題など、マイナスイメージしかないから、政府としてもなかなかやりにくいだろうと思います。テロと難民といえばですね、アフガニスタンからも難民が流出してるわけで、テロ戦争でガンガン戦力を送ると、トコロテンのようにそのエリアからどんどんオーストラリアに難民が押し寄せるという皮肉な構図になってます。
写真・文/田村
★→APLaCのトップに戻る