今週の1枚(06.01.23)
ESSAY 243/How to be happy
写真は、ハーバーブリッジの北詰にあるルナ・パーク。しょぼい遊園地なんだけど、昔からシドニー市民に愛されてきてます。目立つ割には意外と知られてないのですが、ここって入園するだけだったら無料です。勝手に入って散歩してて構わないです。そもそも柵が無い。ただ、アトラクションを利用するのが有料なだけ。いろんな料金設定があるのですが、無制限に利用できるパスがあり、ユニークなのが身長によって料金が違うことです。106センチ以下だったら18ドル、129センチまでは29ドル、130センチ以上だったら39ドルです。130未満の小さなお子さんと一緒の方はどうぞ。写真の左側、門の端の柱が色分けされてますが、あそこで身長を計れます。
地元の新聞記事に「幸福になりかた=How to be happy」というエッセイが掲載されてました。内容的にはそれほど目新しいことではないのですが、英語で書かれると視点や表現の新鮮さに「おっ」と思う場面も多々ありますし、改めて「そうだよなあ」って思わされることもあります。いくつかご紹介したいと思います。英語の勉強にもなりますよ(^_^)。
出典は、いつもおなじみのSyndey Morning Heraldの2006年1月2日号、"Summer Herald"という特別編集版(「ヒマな夏休みだから評論やエッセイでもゆっくり読みなはれ」という特集号が年末年始に毎日出ます)から、"How to be happy"と題するRoss Gittins さんのエッセイです。
著者によりますと、「幸福論」的な話は読者の間でも人気が高いし、最近は心理学者や経済学者からも「人間の幸福」についての研究論文が山ほど発表されているそうです。皆さん「しあわせってなんだ?」ということに興味関心が高い。これは日本でもそうだと思いますが、もう世界的な傾向なのでしょうね。20年前や50年前に比べて、我々の生活は、物資的には飛躍的に向上しました。しかし、結局昔の人よりもずっと幸福になったのか?というと、「さあ、どうなんでしょうね?」という疑問に多くの人がかられる。大都会の中でアクセク競争して生きているわけですが、「この競争ってほんとに何か意味あんの?」と疑問になってきている。ってあたりの文章ですが、「このレースは、未だにやるだけの価値があるのだろうか?」という表現は、あんまり日本語にはない言い回しで、手垢につい"It could be that more of us, caught up in the rush and grind of big-city life, have come to wonder whether the race is still making sense "ていないだけに新鮮に感じます。
さて、このエッセイは、「ハッピーになるための6か条」という感じで、6つの視点やヒントが示されています。一つづつ見ていきます。
1.Focus on the human, not the material
経済発展や物質中心的なものの見方から脱却しなさいってことです。
こう書いてしまうと、いかにも手垢についたフレーズで、目新しくもなんともないのですが、「そんなのキレイゴトだろ」と思いきや、「証拠は明白である」と大胆に続きます。"The evidence is clear that our greatly improved material standard of living hasn't made us any happier" ということで、「これだけ大きく物質的な生活水準が向上したのに、それは我々を幸福にすることにちっとも役に立っていない」と言い切ります。むしろ、物質的なものだけを追及している人ほど、心身の幸福なる健康状態(wellbeing)はむしろ低劣だったりすると。
そして、物質的なものを求めれば求めるほど人間関係はややこしく、破綻を招きやすくなる。ここでイリノイ大学心理学教授の発言が引用されるのですが、幸福感を得るためには、"We need good friends and family, and we may need to sacrifice to some extent to ensure we have intimate, loving relationships - people who care about us and whom we care deeply"と指摘します。幸福になるためには、良い友達や家族が必要であり、この親密な関係を維持するためには一定限度の自己犠牲もまた必要である。また、他の心理学者も、人間というものは深い「帰属欲求=他の人々とつながっていたいと思う願望」があるのだと説きます。実際、親愛なる友達や愛する家族に恵まれている人ほど、"very happy"ですと回答する率が高い。
だからこういった近しい人々を持つこと、その関係を大事にメンテすることは、幸福感を抱くためのリストのトップにくるくらい重要なことであり、よき人間関係の維持のためには、"Resolve to nurture your closest relationships : to NOT take those closest to you for granted, to display to them the sort of kindness that you display to others, to affirm them, to play together and share together" と言います。"take it for granted"(〜を当然のこととみなす)なんて大学入試にお馴染みの熟語がでてきますね。近親者との人間関係や、家族や友達から受ける好意を「そんなの当たり前じゃん」なんて思うなってことです。そして、一緒にやってこうね、シェアしようねっていう優しい感情を常に相手にディスプレイしろ、表現しろと。日本語的に馴染みな言葉でいえば、「親の恩を当たり前だと思うな」「感謝の気持ちを表せ」ってことでしょう。
まあ、こういっちゃうと説教臭くなるんだけど、でも真理だわな。僕らはついつい”take it for granted” して、優しい気持ちをディスプレイどころか、ゴーマンな態度に出ますもんね。疎遠な人間関係だったら、社会的礼節でちゃんと言うんだけどね。「や、こんなことをして頂くわけにはいきません」と全然 take it for granted な態度に出ず、「ご馳走様でした、ほんと、美味しかったです」と感謝の気持ちをディスプレイするんだけど、近親者になればなるほど、飯なんか作ってもらって当たり前、心配してもらって当たり前、感謝の気持ちを表すどころか「なんだよー、テンプラかよ」とか「うるせーな、わかってるよ」とバチあたりな暴言を吐き散らすわけですね。心理学的に言えば、こういう人間が幸福から遠ざかっていくのは、”科学的”に当然のことなのでしょう。耳が痛いですね(^_^)。
2.Work on making other people happy, not yourself. That's the trick..(自分ではなく、他の人を幸せにすること。ここがコツ)
Happiness is best pursued indirectly.
というのは、「ああ、うまいこと言うなあ」ともっとも新鮮だったくだりです。「幸福というのは間接的に追求してこそ、もっともよく実現する」と。これはほんとそのとおりだと思います。"if you're forever asking yourself, "Am I happy? Am I happy?" the answers will be no. The watched pot never boiled"
ここで、イギリスのBBCの番組が紹介されます。"Making Slough Happy"(スロー町をハッピーにしよう)という番組で、心理学者などのエキスパートがチームを組んで、50人のボランティアに「幸福の種を播こう=Plant the seeds of happieness」というプロジェクトを実行します。何をするかというと、簡単で、"smile at or say hello to a stranger at least once each day"(最低一日に一回は、見知らぬ人に笑いかけたり、ハローという)だけのことです。
BBCも面白い番組を作りますね。でも、これ、理に叶ってますよね。
僕らが日常で幸福を感じたり、いい気分になったり、この世界が好きになること、あるいは逆にイヤーな気分になったり、この世界がキライになったりするのは、実はとっても些細な出来事に左右されます。「”世界”とは半径3メートルのことだ」というのは僕の言葉ですが、見知らぬ人からニッコリ挨拶をされるだけで何やら心は軽やかに弾みます。逆に、無礼な言動に出る人間に出くわしただけで、「まったく日本はどうなっていくんだ?」とペシミスティックな気分に落ち込みます。人間の気持ちなんか、そしてその感情をベースとする世界観なんか、実に他愛のないもので、優しくされたら甘くとろけ、辛くされたら氷のように凍てつく。オーストラリアという国がわりとやっていきやすいのは、「見知らぬ人へのスマイル」が多いからです。英語がダメダメで屈辱的な気分に陥ったときも、通りすがりのオージーにニッコリ笑って挨拶されるだけで、イヤな気分なんか飛んでしまいます。先日も、スーパーマケットの中で、ショッピングカートをもって”お見合い”(右に行こうとしたら相手も同じ方向に進み、左に行こうとしたらまた同じという)をして、顔を見合わせて、「あっははは」と笑ったりしましたが、こういうことが結構デカいんですよね、日常においては。
さて、心理学者のマイヤー教授によると、「人は幸福を感じるほど他人対して助力をしたくなる。気分のいい人はイイコトをしようと思う。そして、イイコトをすると、また気分が良くなる」そうです。そして、"Happy people tend to be active, not passive. They have a purpose in life. They set themselves goals and achieve them. They strive - not for just personal advancement but to make the world a better place in some small way. Purpose gives us a greater sense of meaning and often, a greater sense of personal control - all of which adds to our satisfaction with life."と続きます。人間の性質として、幸福感を感じれば感じるほどアクティブになるし、社会全体をよりよくしていこうと考えるようになる。こういう目的意識は、人生により大きな意味を感じさせるし、それがまた満足感を高めることになる。to make the world a better place in some small way.の、in some small wayって言い方が巧いですね。いきなり政治家になって世の中をドカーンと変えるとかじゃなくて、まずは周囲の小さなことから変えていこうとする。落ちているゴミを拾ったり、困ってそうな人に話し掛けたり。
同じく心理学者のリビングストン教授がまたイイコトを言っていて、"the three components of happiness are someone to love, something to look forward to and something to do"(幸福には3つの構成要素がある。愛すべき誰かがいること、心待ちにしている何事かがあること、そして何かなすべきことがあること)。「幸福になる3つのSOME」って感じで、これもおっしゃるとおりだったりします。
この「間接的に〜」以下のくだりは非常に示唆的でありますし、最も感銘を受けた部分でもあります。
言われてみればそのとおりなんだけど、あんまり自覚的に明確ではなかった。人間というのは、自分だけ見てたって絶対幸せにはなれない、なれたところで浅薄なもの、一時的な快感レベルに過ぎないってのはホントにそうでしょう。
でも、人間というのは非常に自己中で、場合によってはかなり残虐なことも卑劣なことも平気でやります。ほっといたらバトルロイヤル的に殺しあってとっくの昔に絶滅してしまっても良さそうなものです。実際、世界史は殺し合いと虐殺の歴史でもあります。戦争や喧嘩ばっかり。しかし、なぜか絶滅せず、それどころかむしろ繁栄している。どんどん堕落する一方かと思いきや、中世あたりの理不尽(魔女狩りとか)に比べたら、良い方向に進んでいる。なぜか?絶滅しないのはゴキブリ以上の生命力を持ってるからで、繁栄しているのは私利私欲にかられて技術開発に励んだからで、、、と理屈はつけられるけど、それだけではない。もっと根底に重要な「化学反応の法則」みたいなものがあるのでしょう。そうでも思わないと説明がつかない。それは何かというと、「他人によくしてあげたい」という殆ど本能的な情動であり、「他人を幸福にすると自分だけが幸福になるよりももっと幸福感を感じる」という人間の脳内快楽物質の分泌条件みたいなものがあるのでしょうね。
倫理でも道徳でも説教でもなく、ドライな人間科学の認識として、「自分が幸福になりたかったら、まず他人を幸福にしろ」って方向性が打ち出されるわけですね。というか、もともと人間というのはそういう具合に作られているのだから、それに気づけってことです。
ただ、ここでツイストがかかるのは、いわゆるアダルトチルドレンとか共依存関係のようなケースもあることです。他人に尽くすことで一定の快感を得られるわけですが、その快感のトリコになってしまい、自我そのものがバランスを崩してしまう。子離れできない親とか、異様に「尽くす女」になってしまうとか、滅私奉公的な世界に没入してしまうとか。一概に何がいいのかわからんのですが、自分の幸福のために他者の存在は必要なんだけど、他者の存在を自分の幸福のために”利用する”とか、全面的によりかかるとか、自我が空洞化するようになってもマズイんだろうなって思います。兼ね合いが難しいところなんですけど。
3.Seek benefits that are intrinsic, not instrumental
これはちょっと分かりにくいかも知れません。"Do things for their own sake, not besause of the income or status you hope they will bring"とさらに続くのですが、これでもまだ分かりにくいですね。"intrinsic"というのは「本来備わっている」という意味、"instrument"はインストルメントで楽器って意味で日本語になってますが、本来は「手段」という意味です。だから、ある物事をなすとき、それを手段としてなすのではなく、その行為に本来的に内在するもののためにやれってことです。まだ分かりにくいね。
ぶっちゃけていえば、「金や地位のために働くな。働きたいから働け」ってことです。さらに延長線を引いて、より実戦的なアドバイスに直せば、「本当にやりたいことを仕事にしなさい」ってことですね。サラリーがいいからとか、見栄を張れるからとかいう理由で仕事を選ぶと、地獄に落ちるよと(^_^)。
その昔、現ハイロウズの真島氏(マーシー)「70年なら一瞬の夢さ。やりたくねえことやってるヒマはねえ」とがなりたてて歌ってましたけど、それと同じことが書いてあります。すなわち、"Life's too short to spend 40 houes-plus a week doing something you hate, just because the money's better"「ちょっとサラリーがいいだけの理由で、週に40時間以上キライなことをして働くには人生はあまりにも短すぎる」。ね、全く同じですよね。
そして、"As the defence forces recruitment ad says, find a job you love and you'll never have to work again"と続きます。「軍の広告がいってるように、本当にやりたい仕事を探しなさい、そうすれば二度と働かなくていいから」と。find a job you love and you'll never have to work againっていのは、すごいキャッチコピーですね。本当に好きなことを仕事にできたら、それはもう「仕事」って感じがしない。いい意味で遊んでるようなもの、生き甲斐そのものになっちゃう。だから、「二度と働く必要はない」という表現になる。
"As for status and social comparisons, the more we can train ourselves not to care, the happier we'll be"、ステイタスとか社会的な見得でいえば、そういうことを気にしなくなればなるほど人は幸福になれる、ってことですが、単に「気にするな」というだけではなく、"train"というフレーズが出てくるあたり西欧合理主義な匂いがします。「訓練しろ」と。気にするなって言ったって気にしてしまうものはどうしようもないから、それを前提にして、出来ないことを出来るようになるためにはどうしたらいいか、それは練習だ、訓練だという思考展開になる。そこには必要なステップを踏んでいけば誰でも到達できる、到達できるようなマニュアルを作ろうという思想が透けて見えるような気がします。日本の場合、すぐにミステリアスな方向になるでしょう?「心頭を滅却すれば火もまた凉し」みたいになって、「おお、さすがは達人」というカリスマ崇拝になりがち。問題はどうやったら心頭を滅却できるか、ステップ1〜5のトレーニングプログラムの作成だと思うのですが、あんまりそういう方向にはいかない。トレーニングを積んでない人間がそれを出来ないのは当たり前なんだけど、そういう場合は「修行が足りない」で終わり。ここでも同じで、「俗世的な見栄に心奪われてはならぬ」とだけ言うだけで、「どうすれば気にしないようにできるか」「それはトレーニング次第なんだよ」って発想がない。西欧にはある、のでしょう。だから、ここでも「気にしないようにトレーニングしなさい」と。
"You realise you were happy only in retrospect"「回顧的な視点にたったときのみ自分が幸せだったことを認識する」「幸福というのは過ぎてみて初めてわかるもの」ということで、これは内容的にはどってことないフレーズですけど、なるほど英語だとこういう表現になるのかと思いました。
4.Strive for balance, Contrast is enjoyable
「バランスを取れ」「対比=コントラストにこそ妙味がある」ってことなのですが、 働きすぎてもダメだし、休みすぎてもダメ、あれこれ追いかけるものが多すぎても疲れるばかりである。これもまた、別に耳新しいことではないのですが、英語的な面白い表現が新鮮です。
It's a mistake to dream of never having to work. If you never work, you never get a holiday.「働かないで生きていけたらいいなと夢想するのは誤りである。働かなければホリデーもない」。
そして、まるで日本みたいな文章が続きます。"Extremists - workaholic bosses, in particular - are always trying to make us feel guilty about too many public holidays, four week's annual leave and not want to work at weekends." 「手段と目的がごっちゃになってしまってる極端な人=それはワーカホリックな上司にありがちだが、彼らは、私たちに、祝日が多すぎること、年間4週の有給休暇をとること、そして週末に働くのをイヤがるのをなにか悪いことであるかのように思い込ませようと常に試みている。」 わはは、ありがちですね。で、こういう上司は次のフレーズでバッサリ断罪されます。"Nonsense. What's the point of being comfortably off materially - as most of us are - if we can't enjoy our proseperity?" 「下らないことだ。我々の多くがそうなっているように、いくら物質的に生活水準があがったといっても、その繁栄を楽しむことが出来ないんだったら、何の意味があるのだ?」。"And enjoing it takes time. As does maintaining a good relationship with our kids." 「そして繁栄を楽しむためにはそれなりに時間がかかるのだ。それは、自分の子供といい関係を維持するためにはそれなりに時間が必要なのと同じだ」。
何のためにやってるのか分からなくなるくらい一つのことに没入しすぎるな。又、あれもこれも欲張りすぎるな。強迫感にかられて多くのものを追い求めるのは、まさに強欲人生の定型パターンに陥るし、求めれば求めるほど満たされず、またリフレッシュもしない。やりたいことをリストラして、スッキリさせること、そして白黒のコントラストをクッキリと明白に、メリハリをきかせることってことですね。バランスをとれ、コントラストを楽しめ、と。
5.Cultivate optimism and practise contentment
これも日本語でいえば、「あまり思い煩うな(楽観的になれ)」「足るを知れ」ってことで、全然目新しくないです。でも、言い方が面白いですよね。楽観性を「耕せ、養え」(cultivate)とか、満ち足りていることを「練習、実践しろ」(practise)という。
楽観的な人の方が幸福を感じる度合は高いという心理学的な実証研究は山ほどあるそうです。また、「幸福であるかのように振舞え」と。これは日本でもよく言いますよね。無理にでも笑っていると、自然と気持ちが明るくなるとか。有名な言葉では「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」とか。それと同じことでしょう。英語で一言で表現すると、"Going through the motions can trigger the emotions."「ある動作を続けていると、ある感情を引き起こす」。
実践的な心理学者は常に、我々に対して、あなたが恵まれている点、あなたが幸運にも持っているものを、一つ一つ名前をあげて数えてみなさいと促す。そして、"We need to train ourselves not to make a big deal of trivial little hassles, to learn o focus on the process of working towards our goals (not waiting to be happy untill we achieve them) and to think about our blessings (making a habit of noticing the good things our lives)."我々は、些細なことを大袈裟に考え過ぎたりしないように自分自身を訓練する必要があります。ゴールに向かう一歩一歩のプロセスそのものに焦点合わせるように学ばねばなりません(ゴールに着くまで幸福になるのを待たないで)。また、日々の生活での良いところを常に認識するようなクセをつけねばなりません。
"Happiness seems less a matter of gettings what you want than of wanting what you've got'"も意味深なフレーズですが、直訳すれば、「幸福というものは欲しいものをいかに手に入れるかという問題というよりも、既に持っているものをいかに欲しがるかの問題のように思われる」ということで、「既に持っているものを欲しがる」というのは変なフレーズではあるのですが、意味はわかりますよね。煎じ詰めれば、「幸福であるかのように振舞え、思え、足るを知れ」ってことなのですが、ここでも「そう思えるように練習しろ」ということで、こういうのは訓練次第なんだよって発想が横たわっているように思います。
6.Get back to nature
「自然に帰れ」ってことですが、何を言ってるかといえば、人類というのはつい1万年前まで木の実かなんかを採取して暮らしていたのに、あっという間に急激に物質的に豊かになってしまい、この変動は生物の種としての進化のスピードをはるかに超えている。人類が本来もっている生物としてのキャパシティを超えてしまっている。我々の生物学的身体とテクノロジーとのギャップがまた問題を引き起こす。一方では食糧収穫高を飛躍的に向上させ、他方では激しい肉体労働をしなくても済むようになってきている。その結果として何があるかといえば、世界的な肥満の蔓延である。
したがって、未だに進化しきれていない我々の身体に、より多くのタスクを与えてやれば、それだけハッピーになりやすい。また、身体が健康に望む睡眠を与えてやれば、それだけまたハッピーになる。ものすごく原始的で、肉体的な幸福なのだけど、原始的で肉体的であるだけに、その効果はナチュラルであり、絶大である。要するにもっと動け、もっと健康に疲れろ、もっと健康寝ろってことですね。「自然に帰れ」というのは、そういうことです。
以上、内容的にはなんてことないエッセイではありますし、多くは既に皆さんも耳にされたことがあるような内容ばかりでしょう。しかし、改まって言われると、しかも英語的なレトリックと表現で言われると、妙に新鮮に感じたりします。
それだけっちゃそれだけの事なのですが、わかったことが幾つかあります。日本でもオーストラリアでも、つまり東洋でも西洋でも、置かれているスチュエーションは似たり寄ったりであり、幸せについて考えていることもまた似たり寄ったりであること。それは文化とか民族を超えて、よりベーシックな生物としての人間の成り立ちに関わっているものであること。それはどんなカルチャーで、どんな言語を使って、どんな社会にいようとも、熱いものに触れたらヤケドするのは誰しも同じというくらい、ベーシックなことなのでしょう。幸福についても、火傷レベルのベーシックな法則性を幾つか再確認することは無意味ではないと思います。もう一つ、かなりの部分「トレーニング」で何とかなるものであること。毎日走ってたら、いつしか長距離走っても息が上がらなくなるように、別に極限修行をしなくても、日々のちょっとしたトレーニングで結構変わってくるよってことです。
これらの諸法則から敷衍して語るべきことは沢山あるのですけど、長くなるので今回はパスします。というわけで、皆様もインダイレクトに(間接的に)ハッピーを追求してください。Doing goodでイイコトしてください。既に持っているものを欲しがってください(^_^)。
文責:田村
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