今週の1枚(05.11.14)
ESSAY 233/JIHAD(ジハド) その背景と浸透
We might wonder just how far it is from Paris to Parramatta.
〜フランスの暴動とオーストラリアのテロ容疑者大量逮捕
写真は、Ultimo。シティの西側のお膝元にあるUltimoは、これだけシティに近いくせに、妙にほっとするような下町風情が残っていて好きです。Ultimoは「アルティモ」と読みます。「ウルチモ」にあらず。「あるてぃもう」と「あ」にアクセントがきて、最後を「もう」と伸ばすのがミソ。
この一週間でけっこう色々なことがありました。ご存知のようにフランス各地で暴動が起き、ヨルダンのアンマンでテロ爆破が起き、そしてオーストラリアではテロリスト容疑者の大量検挙がありました。これらは全部つながっているものですが、日本語で書かれた文献(メディアとか評論とか)をパラパラ見た限りでは、全体像についての言及も、またその深部についての鋭い突っ込みも、残念ながら見受けられませんでした。どっかの鋭い人が何か鋭いことを書いておられるんだろうけど、大新聞の社説レベルでは全然物足りないです。
今日(12日土曜日)に地元シドニーの新聞(Sydney Morning Herald)の特集欄に、わりとよくまとまっている記事がありましたのでこれを紹介します。WORLD APARTと題する特集に二つの記事が掲載されていました。ひとつは、Hearts and minds/Peter Hartcher(November 12, 2005)、もう一つはReasons to hate/Paul McGeough(November 12, 2005)です。要約して書いてしまうよりも、全文ちゃんと読んだ方がいいかなと思ったので、シコシコ邦訳したものを以下に掲載しておきます。
Hearts and minds / by Peter Hartcher
November 12, 2005
今週、地球の各地で生じた事件のあと、文明の衝突という言葉はかつてないほどのリアリティを持つようになった。
オサマ・ビン・ラディンが西側世界に対して宣戦布告をしてから9年、彼がアメリカの国土への攻撃に成功してから4年、世界規模でのジハド(イスラム世界での”聖戦”)の波は、ついに今週オーストラリアに上陸した。
オーストラリアでテロ容疑者が逮捕されたのは別に今回が初めてではない。これまでにも7名逮捕されている。また、"home-grown"(自家製の=自国民の)テロリストが手錠をかけられたのも初めてではない。Jack Rocheは、キャンベラのイスラエル大使館爆破を計画していたことで懲役9年の刑を受け服役中である。しかし、テロ攻撃計画の容疑で、複数のオーストラリア人のグループが逮捕されたというのは初めてである。
過激思想をもった外国人や、孤独な偏執者が逮捕されたのであったら話はずっとわかり易い。しかし、今回18名のもの人間が、それも全員オーストラリア生まれのオーストラリア人、我々の同朋市民であり隣人である彼らが、自分の母国であるオーストラリアにテロのような極端な暴力行為を企てていたのである。世界的なジハドの波は、このラッキーカントリー(オーストラリアのこと)にも松明の火を点したといえる。
今日、政治的動機に基づく暴力行為のうち、テロリズムだけが増加傾向にある。今年のHuman Security Reportによると、我々の印象と相反して、意外にもここ最近、戦争で死亡する人々や大量虐殺数は激減しているのである。しかし、テロ行為による犠牲者の数だけが増えている。アメリカの National Centre for Counter-Terrorismによれば、テロによる死者数は2000年の838人から今年の6031人まで一気に6倍の上昇率である。
2001年の911アタックの年に比べてみても、今年の年間のテロ死者数はすでに二倍に達している。オーストラリアの場合、未だその領土内におけるテロ被害の死者はゼロである。しかし、テロ行為の元となるジハドのムーブメントや思想は、既に入り込んできているのである。
今回嫌疑をかけられたテロリストの卵たちは、我々の中にいた。我々の多くが暮らしているサバーブに住み、ある者は電気修理工であり、肉屋であり、塗装屋であり、ある者は結婚し、子供と一緒に暮らしていたのである。シドニーのテロ組織のリーダーと目されているMohamed Ali Elomarは、40歳の技術者であり、妊娠中の奥さんと5人の子供に囲まれてCondell Park.のGallipoli Streetに住んでいた。
我々と共に生活し、我々と同じようなレンガ模様のベニア合板の壁の中で子供を育てていながらも、その心の中は、自らの国に無秩序な死傷被害と混乱をまきおこそうという憎しみに満ちていた、ということになる。
当局は既に1年以上これらの容疑者たちをモニターしていたという。しかし、あといったいどれだけのテロ要員が潜在しているのだろうか?Australian National Universityのテロ対策のエキスパートである Clive Williams氏が昨日語ったところによれば、オーストラリア内において、時機が熟しタイミングさえ合えばテロ行為を行いかねない潜在的テロリストの数は、おそらくは50名程度であろうという。
Australian Federal Policeの Mick Keelty長官は、「あなたが人々の心を変えることが出来ない限り、ジハドの教義に従う者の数は無限にいるといってもいい」と指摘する。
たとえテロ計画を阻止できたとしても、あるいは今週インドネシアで起きたようにテロ組織のリーダーを殺すことに成功したとしても、思想によって突き動かされているこの現象全体に対しては、glancing blow (軽微な一撃)に過ぎない。Keelty長官はこのことをこう表現した:"It's like saying drug trafficking will end if you take out one of the big dealers.(それは例えば、麻薬組織の大ボスを捕まえたら麻薬撲滅に成功したというようなものです=仮に大ボスを捕まえてもすぐにまた別のボスが台頭し、果てしなく続く)"
ワシントンにあるCentre for Strategic and International Studiesの国際安全保障に著名なエキスパートであるAnthony Cordesman氏は昨日、「あなたの国でもアメリカでも、911以降、テロリスト対策ははるかに洗練されてきています。しかし、テロ組織達もまたこの状況に対応し、学んでいるのです」と語った。
「これは熾烈な戦いなのです。そして、これは、テロ防止機関がやがて勝利を宣言できるような種類の戦いではないのです。将来においても暴力を行使する過激主義者は常に常に存在するのではないか?我々はまだこの問題に直面する用意が出来ていません。私個人としては、ブッシュ大統領やブレア首相、さらにはオーストラリアの首相に対して批判したいことは山ほどありますが、しかし、彼らとてこの戦いが簡単であるとか、すぐに済むとは一言も言ってません。」
今週のオーストラリアとインドネシア警察の活躍によって、このエリアのテロ組織に何らかの損害を与えたとしても、ヨルダンのアルカイダ一派は、今週、アンマンで3つの国際ホテルを爆破し、60名もの死者を出している。
ニューヨークにあるCouncil on Foreign RelationsのWalter Russell Mead氏は、このアンマンのテロは注目すべき二つの特徴があると指摘する。「まずこれはヨルダン当局にとっては大ショックだと思います。なぜならヨルダンというのは、世界で最もタフで最も効果的なアルカイダの対立機構だったわけですし、それをもってすら今回のテロ行為を未然に防げなかったわけですから」。「それがどういう意味をもつかわかりますか?つまり、"It means nobody is safe.(安全な人などこの世にいない)"ということです」
「もう一つの特徴ですが、今回の犯人達は、アメリカのイラク侵攻への反乱や戦闘に関わっており、それを通じて爆弾製造技術を学び、やがて国境を越えてヨルダンまで輸出したのではないかという恐れがあることです」。
このことは、将来に対して不気味な予兆をはらむ。つまり、今回のイラク戦争の間に、何千人というジハディスト達がトレーニングを受け、やがて世界各地に散っていき、それぞれの戦闘行為を継続するという予兆である。
Clive Williams氏は、イスラエル当局による推定を引用する。イラクの反乱勢力に加わっている外国人勢力のうち3%はヨーロッパからやってきており、またヨーロッパに帰っていくという。「彼らは爆発物の扱いや攻撃方法などについて実地で訓練を積むとともに、イラク現地勢力と深い関係を持ちます。その彼らがヨーロッパに戻り、そして自分らの社会のなかで疎外されたり、差別されたりしたと感じたとき、どういう行動に走るか?これが将来に対する大きな懸念材料になっているのです。」
ジハドのテロリスト達は、インドネシアやオーストラリアで大きな後退を余儀なくされたとはいえ、ヨルダンでは上記のように大きな攻勢に出ているし、イラクでも相変わらず破壊活動を行っている。このような情勢の中で、今週、オーストラリアの郊外住宅地にまで到達した世界の動きというのは、いったいどういう全体像を持ち、どういう強さをもっているのだろうか?
Russell Mead氏は、あえてこういう言い方をした。「テロリストの政治的な影響力はどんどん弱まってきているといっていいでしょう。しかし、テロ行為の作戦遂行能力そのものは逆に増強していると思います」。
ワシントンにあるFoundation for Arab American Leadershipの幹部であり、パレスチナにおけるアメリカ特殊部隊の上級アドバイザーでもあるHussein Ibish氏はこういう見方を開陳する。salafist jihadist(サラフィスト・ジハディスト、イスラム教のサラフィスト教義のバックボーンを持ったジハド戦士)達の活動は、大きな歴史の流れでみると、常に「やりすぎによる失敗」の歴史でした。過度な暴力行使、行き過ぎた野心、そして社会の実質的な鍵を握る中流階層の敬虔なイスラム信者=一般大衆の心を掌握するという政治的配慮の欠落と無能さです。ゆえに、アルジェリア内戦におけるジハド活動は、一般大衆の支持を得られず失敗に終わりました。また、エジプトでも一般市民に対する無差別攻撃をして同じように失敗しています。」
「そして彼らはまた同じことを繰り返しています。彼らは、過去数年、サウジアラビアで同じ失敗をしています。集合住宅を攻撃し、国家経済のインフラを破壊しましたが、大衆の人気もまた急落しました。彼らはしかしもっともっと多くの国々で活動してます。テレビ画面で犠牲者の首を切り落としてみせては、人々を畏怖させています。人々は、あまりにも多くのイスラム教徒たちが殺されるのを見させられてきているのです」
アメリカのPew Research Centreが、イスラム教徒が過半数を占める10カ国で行った世論調査の結果を見ると、ビン・ラディンや彼の戦略に対する支持率は下がってきている。この調査によれば、いくつかの国において、ビン・ラディンへの支持は激減しているし、市民対する自爆テロがイスラム社会を守ることにつながっていると思う人はマレである。例えば、インドネシアにおいて、ビン・ラディン支持率はこの2年間で58%から35%に急落している。
ジャカルタにある、International Crisis Groupの対テロのエキスパートであるSidney Jones氏によると、正確な資料は無いものの、Jemaah Islamiahに対する支持基盤が小さくなっている兆候があるという。「イスラム教徒の死者数の増加に関して、JI内部でも不協和音があります」。
一方では、世論調査によるとビン・ラディンに対する信頼はこの2年でむしろ上昇傾向にあるという(注:上では下がってるといいながら、ここでは上がっているいい、要するにこの記者の文章が分かりにくいのだと思われます)。しかし、Ibish氏は、「今週のテロでこの傾向も逆転するでしょう」と予測する。「このヨルダンのテロは、典型的な「やりすぎによる失敗」例でしょう。この影響は中東全体に広がるでしょうし、アルカイダ組織に対してここまで深刻なマイナスイメージを大衆に植え付けるものはかつて無かったと思います。過激派の中のさらにごく一部の過激派だけが、この事件を”勝利”だというだけでしょう」
しかしながら、同時にアルカイダ組織の武力が増大しつつあるというという点では、Ibish氏は、Mead氏と同意見である。彼は、アメリカ主導のイラク戦争を批判する。「イラク戦争がなかったとしても世界中で怒りや不満をもてあましている人々の数は同じようなものだったでしょう、しかし、イラク戦争は彼らに対して参加する場所を与え、訓練する機会を与え、テロ活動に身を投じる場面を与えてしまったのです」「イラク戦争は」とIbish氏は続ける。「凋落していくテロ勢力に対して、強力な活動リソースを与えてしまったのです。」
インドネシアのJones氏も同じように、たとえJI組織への政治的サポートが弱まってきつつあるといっても、過激派の人的供給(テロリスト希望の人の数)が枯渇するという気配は全く無いと言う。「殺されたテロリーダーであったAzahariの取って代わりたいという若い人々の数に不足はないのです。既に第三世代の訓練生にはいってきています」。
オーストラリア連邦警察長官のKeelty氏は言う、テロのリスクを減らすためには、オーストラリアもまた彼自身率いる警察も、非常に注意深くならねばならない。「思想に殉じて路傍に果てていく人とそうでない人との差は何かというと、彼らが我々をどう審判するか、ということなんです。どれだけ我々が公平で、価値のある社会を作っていると(彼らが)思うか。言い古されたコトワザですが、”暴力によって暴力を止めることは出来ない”。そのとおりなんです。我々がなすべきチャレンジは、社会全体としてどう彼らに応えていくか=破壊すべきではない素晴らしい社会だと彼らをして思わしめるか、なんです」。
「警察はなにもパナセイア(万能薬)ではないです。もっともっと他に考えるべき領域はあります。我々は、このようなテロ活動のリアル・ドライバー(テロ行為をなさしめている真の原因)を見つめ、自分の考えを表現するにあたってテロという方法を選択するという意思をいかに減らしていくか、だと思います」。
Reasons to hate/By Paul McGeough
November 12, 2005
パリが燃えている。しかし、混乱の余燼が収まってくるにつれ、今回のフランスの危機において最も顕著な特徴は、何が起きたかではなく、「何かが起きなかったのか」であることが理解されてくるだろう。
今回の暴動に関して、1968年に起きた学生暴動との比較が好んで何度も試みられた。しかし、社会全体が恐怖におびえたとしても、今回暴動に参加した移民達の大部分は、古きよきフランスの伝統的な抗議方法によってその行動を行ったのだ。それはビジュアル的には激しいシーンを見せたものの、結局において大流血の惨事には至っていない。
これは何も、今回フランス社会が直面した暴動の激しさを敢えて軽ろんずるものではない−残り火が冷えつつある中で残されたものは、3人の死者と7000台以上の車への放火である。
しかし、治安当局の安堵の溜息は聞こえてくるだろう。なぜなら、バグダッドで、アンマンで、そしてロンドンやマドリードで起き、今週の大量逮捕がなかったらもしかしたらシドニーやメルボルンで起きたかもしれなかった自爆テロによる大量の死傷者を生み出すことよりも、今回のフランスの暴徒たちは、堂々とストリートで戦うことを好んだからだ。
そして、今回の暴動が、見たところ中東のジハド勢力の影の指示によるものであったわけでもなく、又なんらかのリンクも見当たらないことから、当局の安堵は尚更深くなるであろう。しかし、今回のパリの事件は、世界中にいる感受性の強い若者が何を考えているかを知るためのタイムリーな窓であり、且つ彼らがどのようにしてテロ行為に惹かれていくかを知るカギとなりうる。
割合比率でいえば、フランスは欧州のなかで移民の子孫比率がもっとも高い国である。大部分はイスラム教徒であり、北アフリカやアラブ諸国からやってきている。都会周辺のゲットーに住む彼らの疎外感は、他の欧州大陸やイギリスにおけるそれと同じくらいひどく、そして深い。
パリ警察に追われていた二人の若者が死に至ったことによって反乱の導火線に火が点されたわけだが、イギリスやスペインにおける彼らと同じ移民の第一第二世代の若者とは違って、地下鉄や鉄道を爆破しようとは試みなかった。その代わり、彼らはバリケードを築いた=これこそフランス革命以来の伝統的なやり方といえる。
そして、そこが難しいところでもあるのだ。
革命は全てのフランス人を平等にした。そして、フランスへの移民の子達もまたフランス市民である=実質的には名目だけのものであるが。しかし、今回の彼らの暴力とレトリックは、明らかにフランス人のものである。これは確かにジハドのやり方ではない。
何人かのフランスのコメンテーターは、これはいつかは起きる事態だったと指摘していた。シティ周辺のスラム街のようなところに押し込められた何十万人もの人々が、絶えず警察の厳しい取り締まりを受けてきた。これら大量の若者と大量の失業者達が自然発火するのはいわば時間の問題である。それ以外の何を予想せよと言うのであろうか。
今回の暴動を宗教の違いであるとか、ジハド関連のものと一括りにするのは、あまりにも問題を単純化するものであり、あまりにも危険である。
そう、確かに今回の暴動の主たる参加者はイスラム教徒であった。しかし、北アイルランド紛争がプロテスタント対カトリックの教学上の違いに基づくものというよりは、プロテスタントやカトリック信者であることによる社会的・経済的な身分の差異に根本原因があるのと同じように、今回のフランスの暴動もまた宗教観の差ではなく、それに基づく社会的身分の差別に基づくのである。本当の原因は、フランス社会が、イスラム系移民の人々をこれまでどう扱ってきたか、である。
The Guardian紙が今週行った調査によると、100社の求人広告に伝統的なフランス人の名前で応募した場合、75社から面接にくるように返事があったが、同じキャリアや資格で名前だけアルジェリア人のものにした場合、面接にまでいけたのはわずか14社だったという。
移民の人々は、常に、許容される個性の差と、ある民族に普遍的な特徴との間に広がる社会的空白の間に両足をかけて、踏ん張っていなければならない。これらはフランスにおいてよく見られた議論であるが、イスラム教徒の女子生徒のヘッドスカーフを認めるかどうかという議論についてはオーストラリアにおいても行われている。
今回のフランスの抗議集団の行ったことについて正当化することは出来ないだろう。しかし、故郷である中東や北アフリカの貧困を彼らの父や祖父達から語られつつも、”夢の新世界”だったはずの厳しい現実は、物心両面における深い失望をコミュニティ全体にもたらしている。”フランス人”の子供として、彼らは共和制の理念を学び、自由、博愛、平等を学んでいる。しかし、政府の公共住宅に住む彼らの日々の現実は孤独と差別である。それは檻のない刑務所と空疎な政治的な空手形である。
いくつかの点において、彼らの世界とその他のフランス社会とのギャップは、中東の各社会とその他の世界とのギャップを映し出す鏡のようなものである。人類学者による表現によれば、それは自由と民主主義の欠陥による分離である。
Arab Human Development Report(国連の発展プログラムとアラブ経済社会発展基金との協働作業によって年に一回刊行される)によると、アラブ社会というのは、心と身体と魂が絶えず満たされていない地獄への曲がり角のようなものであり、不満を抱える多くの若者たちは、ジハド組織リクルート部隊の格好なターゲットなのである。
このレポートの最新刊は、我々がともすれば最も豊かな国々と思いがちな中東世界の裸の現実を明らかにしている。それは慢性的になっている文盲率、外部世界との接触の無さであり、石油を除けば、その輸出高はフィンランド一国分にも満たない。
昨今の原油価格の高騰にもかかわらず、実質的な一人あたりのGDPは過去30年で1845ドルから1500ドルまで落ちている。西側諸国が支持するような政治体制の国においてさえ、強権的な政府によって、また民族的な伝統によって、他の民主社会においては当然認められるべき個人の自由や権利のほとんどは剥奪されている。
アナリスト達を最も心配させているのは、若い世代の増加である。アラブ社会における15歳以下の人口割合は西欧諸国の二倍であり、24歳以下の人数が社会全体の65%をも占める。
ヨーロッパ各地の移民のゲットーと同じようにアラブ社会内部においても、若者の発火性の高い鬱屈感、失業、欲求不満に対するはけ口は少ない。よって、ある者にとっては、暴力(and/or)宗教が、感情をなだめ、また束の間の鬱憤晴らしとなるのである。
そして、ここがまさに皮肉なのである。中東イスラム社会における保守主義や原理主義、抑圧や専制政治において、自爆テロリストやジハド指導者達は、1968年のパリの学生暴動のときの学生たちと同じ役割を担っているのである。そして宗教こそが、現状を打破しようとする者から体制を守る気泡バリアのような役割を有しているのである。
危険性はヨーロッパと同じく中東においても潜在している。そして今週法廷に姿を表すテロ容疑者が語る日々の生活を聞けば、これらの危険は、おそらくオーストラリアにおいてすら認められるであろう。
どのような社会的勢力がこれらの人々を孤立化させ、社会参加の機会を奪ったのかが問題なのではない。それは、政治的、経済的、宗教的あるいは教育的な諸相の複雑なミックスによるものであろうし、ともあれその結果は社会内部の脅威として醸成されていくのである。
かくして、フランスにおいては、これまでの2週間にわたる暴動の背後にある人々の苦しみについて、早急に対応すべきであるという認識が明確に広まっている。
Le Monde(ル・モンド)紙は、その社説で「人権思想生誕の地であり社会福祉のモデル国家であると自認している国が、国内の若者達に正当に与えられるべき機会を与えることが出来ないその無能な姿を、全ての人々の目の前に晒した」と述べた。Le Figaro(フィガロ)紙は、これに同意し、「フランスは、自らのこれまでの傲慢さに対する代償を支払っているのだ。我々の有名な社会統合のモデルは、地にまみれ、下水に流された」と述べた。
ジャック・シラク大統領は、全ての市民は平等に扱われなければならないと説き、「疑問の余地なきこの問題、我々の都市周辺に住んでいる遠来の地からやってきた隣人達が直面しているこの問題に、力強く、そして迅速に答える必要がある」と訴える。
アメリカのテロ研究のエキスパートであるRobert S. Leiken氏によるジハドの「インサイダー/アウトサイダーの理論」をあてはめて考えてみると、この問題解決の道のりは遠い。彼は、今年のForeign Affairs誌に西欧諸国に向けてこの理論を提唱したが、同じく中東にも、オーストラリアにも当てはまるように思われる。
「アウトサイダー」というのは、ビン・ラディンやal-Zarqawi 兵士達のように、あるいは旅行者や移民一世のように、当地の若い世代をいわゆる”home-grown terrorists.(自国生産のテロリスト)”に育てるために送られてきた者をいう。そして、その若い世代が、Leiken氏のいう「インサイダー」になる。彼らは、フランスにおいてはブールをプレイし、オーストラリアやイギリスにおいてはクリケットやサッカーをプレイする。「彼らは疎外された市民であり、ヨーロッパの地に生まれ、ヨーロッパの自由主義の環境下で育った移民二世、三世である。彼らのうちのある者は、生計をたてるのに厳しいエリア、つまりマルセイユとかリヨンとかパリにおり、あるいはかつて労働者階級の町であったブラッドフォードやレスターにいる」。
しかし、インサイダーの中には、社会経済的に成功しつつある者もいる。Leiken氏は、大学卒のZacarias Moussaouiを例にあげ(911テロの20番目のハイジャッカーとの異名を持つ)や、ジュニアクリケットチームのキャプテンでありながらテロ計画に参画したと訴追されているOmar Khyamを挙げている。しかし、今週のシドニーでのテロ容疑者逮捕をLeiken氏が知ったら、このリストの中に容易に、Mohamed Ali Elomar(技術コンサルタント)やOmar Baladjam(28歳で、TVのメロドラマなどのちょい役で出演している)の名前を加えるであろう。
おそらく、彼が世界に広がるジハドMAPを作成したとしたら、我々は一体パリからパラマッタ(シドニー西部の町)まで実質的にどれだけ離れているのか考え込んでしまうであろう。
以上です。わあ、翻訳引用だけでいつもの分量くらいいってしまいました。
もう長々と私見を述べてるページ数の余裕はないので、その代わりに皆様に宿題を出しておきましょう。
課題その1:現在世界をおおっているテロリズムの現状について、知ってる範囲でよいから、わかりやすく説明せよ。
課題その2:今回のフランスの暴動とオーストラリアでのテロ容疑者の大量逮捕者の関連性について、つまり「パリからパラマッタだけどれだけ離れているか」について私見を論ぜよ。
課題その3:日本におけるテロに対する現状を論ぜよ。すなわち政府のテロへの取り組み方、日本の一般市民のテロに対する感覚など。そしてそれが世界の潮流とどう同じでどう違うのか、なぜ同じでなぜ違うのか、私見を論ぜよ。
課題その4(上級編):上記課題1−3を全て英語で論ぜよ。
課題その5(さらに上級者編):課題その4を、この問題文を読み終わってから3秒以内に語り始め、論じ尽くせ。
※内容はどんなにアホなものであっても構わない。借りてきた意見ではなく、オリジナルな私見が大事です。
文責:田村
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