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今週の1枚(05.10.17) )


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ESSAY 229/JASRACについて 〜起こされた寝た子



 写真は、Balmain, Darling St. つい一昨日撮影してきたものです。今の時期は新緑がキレイですよ。


 ふと気が付くと、いま日本では、JASRAC/日本音楽著作権協会/ジャスラックに対する批判が高まっているようですね。本当に普通の人の普通の生活においてどれだけ批判の声が高まってるかどうかは分かりませんが、「JASRAC、おかしいんじゃない?」というアプローチをしている個人や団体のHPやブログは山ほどありました。もう、あるわあるわ、数十という単位であります。「うわー、皆怒ってるんだ」ってびっくりした。

 なんでそんなに怒ってるかというと、要するにJASRACが著作権料払え払えとかなりアグレッシブに活動しているので、皆の逆鱗に触れているという。でも、JASRACというのはもともと音楽著作権を保護するための社団法人なんだから、それが頑張って任務を全うしているのなら、褒められこそすれ、批判される筋合いにはないだろうと思うのですが、必ずしもそうではない。というか全然そうではない。そのあたり微妙なニュアンスがあります。




 まず、前提知識として、どうしても著作権、特に音楽著作権の扱いについてはラフでもいいから知ってないと話に参加できません。復習かたがたお勉強しましょう。著作権というのは分かったようで分からん制度で困ったものなのですが、話がややこしくなるときは、すごくシンプルな原型から発想していくに限ります。

 @皆がCD屋さんで音楽CDを買う。その売上金の一部がミュージシャンやレコード会社などの著作権者にいく。これが原型。これが理想。
 A自分が買ったCDを、バックアップのため、あるいは自分の趣味でベストセレクションを作ったりするために録音する(複製)。これは許されるのか?
 BレンタルCD/ビデオ屋さんや友達からCD/DVDを借りて自分用のコピーを作成する。これはどうか?
 CWinnyなどのP2Pネットワークを使って音楽データーをダウンロードする。これはさすがに許されそうな感じはしないです。

 @→Cと進むにつれて、ミュージシャンやレコード会社(著作権者)の収入は減ります。Bくらいになってくると明確に収入減でしょう。僕らにしてみてれば、自腹を切って3000円のCDを買うくらいなら、友達から借りてコピーを焼いた方が安上がりですもんね。でも、僕らが安く上がった分、著作権者の収入は減ります。だから著作権者からしたら「ズルしないでちゃんと金払えよ」と文句は出ますし、こういう状態を「著作権が侵害された」として訴えることもできます。

 ところで、その昔、FM放送をエアチェックして録音したり、友達からカセット借りてダビングするくらいだったら、(本当はイケナイのだろうけど)わりと誰でもやってました。被害の額も知れてたのでしょう、また禁止のしようもなかったのでしょう、事実上放置されていました。僕も中学高校時分は鬼のようにロックとか音楽を聞きまくりましたが、情けないことに自分でレコードプレーヤーを持ってなかったので、全部エアチェックとか友達からの貸し借りです。だから著作権に関しては殆どなにも払ってないです。そんな奴は山ほどいたと思いますけど、別に問題にもならなかった。牧歌的な時代だったわけですね。

 牧歌的な時代を破る第一の波がやってきます。
 でも、今から30年ほど前に(正確には昭和55年に東京三鷹市に)、日本にレンタルレコード屋(まだCDは登場してなかった)という存在が登場してきてから、話はちょっと変わります。レンタルレコードのようにシステマティックに流通されてしまったら、著作権侵害状況は加速度的に広がる。ましてやそれで商売している奴がいる。これは放置できない、ということで、レコード会社がレンタルレコード屋を相手に訴訟を起こしたりドンパチがあり、昭和59年に著作権法が改正され「貸与権」というシステムが作られました。現場の実務では、レンタル店がレコード会社等に使用料を払うということで話がつき、さらに一定期間新譜は貸さないとか、新譜には特別に高いチャージをするとかいう形で現在にいたっています。今現在の規制は、邦盤は新譜3週間のレンタル禁止、洋盤は1年間の禁止。ちなみにレンタルCDの使用料ですが、CDアルバムのレンタル1回あたり、作詞・作曲家は70円、実演家は50円、レコード製作者は50円だそうです。CDV−NET/レンタル業界情報サイトより。

 さらに時代は流れ、日進月歩で技術は進む。第二の波がやってきます。デジタル録音録画機器の普及です。
 それまではカセットテープとかVHSとかのアナログでしたからね。やっぱり品質は落ちます。また時間とともに劣化します。本当にきちんとした品質のモノが欲しかったら現物を買うしかなかった。ところがデジタルになって、個人で気楽にCDやDVDがコピーできたりするようになると、全く同じモノが複製されてしまうわけで、これはレコード会社等の著作権団体にとっては大きな脅威だったりするわけです。こうなってくると、単にレンタル店だけ目をつけて上納金を取り立ててればそれでいいって暢気(のんき)なことを言ってられなくなるわけです。





 そこで出来たのが、私的録音録画補償金制度です。平成4年に著作権法改正。この法律、年がら年中改正されています。
 この制度の解説がよくまとっていたのは、インターネットの手作り百科事典のウィキペディア(Wikipedia)です。詳しくはこちらを読んでいただきたいのですが、以下、僕が適宜抜粋編集しておきます。

 この改正のポイントは、これまで著作権法上OKだった私的利用による複製を、一定の場合に限ってダメにしたことにあります。これまではコピーして他人に渡したりする行為(難しく言うと"頒布”)がダメで、個人が自分で買ったCDを自分用にコピー(複製)するのは適法でありました。上の@→CでいえばAのケースですね。それを制限した。なぜか、デジタルだからです。完璧にコピーできちゃうからです。

 「一定の場合に限ってダメ」というのをもうちょっと正確に言いますと、「一定の場合」というのはデジタルでコピーする場合です。アナログでコピーする場合は対象になりません。
 法律原文に即していうと、「私的使用を目的として、”デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器であって政令で定めるもの”により、”当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるもの”に録音又は録画を行う場合(著作権法30条2項) 」ってことになります。むつかしいですね。別に法解釈の講義をしてるのではないので、忘れていいです。デジタルだったらダメってことです。具体的には、DATとかDCCとか政令で列挙されてますが普及してるものでいえば、CD-RとかDVDとか、デジタルビデオです。

 その「ダメ」っていうのはどういうことよ?というと、絶対禁止なのではなく、やってもいいけどやるんだったら「補償金を払え」ってことです。

 平成4年からですからもう十年以上、僕らはこの補償金を払っていることになります。どこにどうやって払っているのか?それは、デジタル機器&記憶媒体、ひらたくいえばCDプレーヤーとか生CD-Rを買っているときに払っています。価格に上乗せされているのですね。どれだけ上乗せされるのか、どれくらいが適正か誰が決めるかは、「指定管理団体が機器や記録媒体の製造業者等の団体に意見を聴いた上で定め、文化庁長官が文化審議会に諮問をした上で許可を与える(104条の6)」ことになってます。指定管理団体って何かというと、録音については私的録音補償金管理協会(SARAH, サーラ)が、録画については私的録画補償金管理協会(SARVH, サーブ)という団体が設立されたそうです。

 現在どのくらい上乗せされているか、ぶっちゃけた数字は生CD一枚買って1円前後、CD/DVDプレーヤー一台で400円くらいでしょう。
 正確には、私的録音補償金管理協会の私的録音補償金規程というのがあり、これによると、音楽CDなどの録音の場合、プレーヤーなどの録音機器で基準価格(カタログに表示された価格の65%)の2%、生CDのように記録媒体は基準価格(カタログに表示された価格の50%)の3%。映画などの録画の場合は、録画機器につき基準価格(カタログに表示された価格の65%)の1%、記録媒体は基準価格(カタログに表示された価格の50%)の1%。「カタログ表示の65%」とかいうあたりが、ヨドバシカメラ的な実態を反映していて面白いですな。CDプレーヤーでメーカー希望小売価格が仮に3万円だったら、その65%である1万9500円(ま、実売価格はそんなもんでしょう)、そのまた2%だから390円です。生CDが定価1枚100円だったら50円の3%だから1円50銭です。まあ、はっきりいってたいした額ではないです。実際に買う場合には、消費税の方がずっとドカンと重いでしょう。ちなみに、この補償金制度があるから、日本の生CDは音楽用とかデータ用とかに分かれており、音楽用は値段が高いのでしょう。オーストラリアの場合、そんなの分かれてませんからよく分からんのですが、音楽用とデータ用で性能が違うのですか?家電としてのCDレコーダーだったら音楽用でないと焼けないとかそういうのはあるかもしれないけど、パソコンレベルでは同じではないのだろうか。

 さて、理屈を言えば、CD-Rを買ったといっても、自分の演奏した音楽データーを焼き付けただけの場合もあるし、プレーヤーも適法に購入したCDしか再生しないという人もいるでしょう。そういう場合も補償金を払うのは不当といえば不当です。ですので、「私はコピーなんかしてないです」という証明をすれば補償金は返って来ます。しかしね、実際にあった例ですが、80円切手を貼って請求書を送り、要求が全面的に認められても返還されたのはたった8円だったということです。費用倒れに終わるので、事実上返還請求なんかやる人はいない。

 さて、このように広く徴収した「補償金」ですが、集めてそれでどうするかといえば、分配します。分配の方法は、「目的事業に支出する額を差し引いた上で、残りが各団体の補償金分配規程に則って」行われるそうですが、録音系は著作権者の団体である日本音楽著作権協会 (JASRAC) に36%、実演家の団体である日本芸能実演家団体協議会に32%、レコード製作者の団体である日本レコード協会に32%の割合で分配され、録画系は著作権者の団体である私的録画著作権者協議会に68%、実演家の団体である日本芸能実演家団体協議会に29%、レコード製作者の団体である日本レコード協会に3%の割合で分配されるそうです。その後各団体がそれぞれ規程に則って権利者へ分配することとなります。

 とまあ、こういう感じで行われているそうです。
 施行から10年、これといった波風も立たずに推移していたようです。まあ、消費者レベルであんまり知られてなかったという点、費用的にも大したものではないから騒がれなかったということもあるでしょう。





 ここまではいわば「前史」です。前フリ。これだけだったら、みんなそんなに怒ってなかったと思います。というか、あんまり知られてなかった。まあ、日本のCDは高すぎるとか(オーストラリアはもっと高いけど)、日本の音楽や映画などの文化環境のしょーもなさに対する批判とか、そういう広範な批判は従来からありましたし、僕も沢山言いたいことはある。だけど、私的デジタル複製なんたらで生CD一枚あたり1円払ってるくらいのことだったら、まだそんなに文句はなかった。それが現在、「いい加減にせえ」と怒りの声があがってきたのは、規制する範囲をグーンと広げようという動きが出てきたからです。

 つまりは、iPodですね。iPodなどの「ハードディスク内蔵型録音機器」が流行ってきて、もうMDも廃れるだろうし、CDウォークマンなどに課金してるだけではダメだと。だから、iPodにも課金しよう、そもそもパソコン内蔵or外付けのハードディスクにも補償金をもらうじゃないか、録画についてもHDDビデオレコーダーも同様にしようじゃないかということで、JASRACをはじめ関連団体(例えば日本芸能実演家団体協議会とか)など7団体が意見書を政府に出したわけです。

 まあ、時代の流れからいって、今では音楽も映像もパソコン主体になっていってますから、パソコンにも課金しましょうというのはその限りでは分かります。でもねー、それはちょっと行き過ぎじゃないの?って声も多いです。この、「ちょっと強欲すぎるんじゃない?」ってところから、これまでの埋もれていた批判が噴出してきているような感じがします。iPod課金?なんて話が出てきて、それまであんまり知られてなかった私的複製補償金制度が知れ渡るようになり、結果的に寝た子を起こしたような観もあります。

 批判点は多岐にわたるようです。例えば、料金払ってダウンロードする音楽配信がありますが、あれだって料金払って購入しているのに、それをCDに焼く段階でまた補償金を知らないうちに払わされているのは二重取りであっておかしくないか?という点もあります。日進月歩で必死に開発されるコピーガード機能の鬱陶しさというものあります。輸入CDすらも規制されてしまったという現実もあります。

 このあたりの事情は、小倉さんという方のブログに手際よく説明されておりますので、そのまま引用させていただきます。
 「私的録音録画補償金制度自体、利用者側が権利意識に目覚める前に作り上げてしまったものなのですから、利用者側が権利意識に目覚めてしまった昨今、私的録音録画補償金の対象を拡張したいなんて言い出せば、却って、私的録音録画補償金制度自体見直せという声が利用者から上がってくることくらいは普通に予測できたわけだし、昨年のレコード輸入権騒動以来、政治家にとってその種の利用者の声というのは必ずしも無視できないものになってきているくらいの認識はあってもよさそうなものなのですが、音楽7団体側にそのような戦略性は感じられません。
 特に、日本の音楽ファンの間では、「iTunes Music Store」による合法的な音楽配信サービスを受けられないことの不満がたまっているわけで、そのような中、「iPodを私的録音録画補償金の対象とせよ」なんて言ってしまえば、強い反発を受けることは目に見えていると思うのですが。」


 そりゃあ確かに「違法コピー」なんか誰でも一度はしてるだろうし、ズルをしてるって後ろめたさもある。だから表立ってはブーブー言いにくいって状況があったわけだけど、でも昨今の動きというのは、本当にクリエーターを守るためのものなのか、音楽や文化を豊かにし、ひいては社会を豊かにするためのものなのか。そもそもこの補償金制度というのはちゃんと機能してるんか?ミュージシャンなど本当に報われるべき人々に渡っているのか?というと、手続費用や各団体維持費用だけで消えていって、殆ど渡ってないという噂があるけど、結局ヌルい経営をしている天下りの温床のような公益法人がまた出来て、それで著作権保護の美名のもとにパラサイトしてるだけじゃないか?って声もあります。

 というわけで著作権をめぐって、「起こされた寝た子」である一般消費者の間に議論が沸騰しつつあるというのが、今の日本の状況なのではなかろうかと思います。そして、著作権関係団体のなかでも、JASRACが評判の悪さが異常なまでに突出しています。その取立ての強引さ、態度の横暴さ、不透明な体質などなど。






 先月(05年9月)週刊ダイヤモンド誌は、「日本音楽著作権協会(ジャスラック)/使用料1000億円の巨大利権 音楽を食い物にする呆れた実態 」という記事に出し、話題を呼んでいます。海外の悲しさで、今更そういわれてもその記事原文を入手することはできないのですが、多くのHPやブログでこの記事は取り上げられ、内容が紹介されてますから、もう読まなくても大体わかってしまいました(^^*)。いろいろなサイトを巡回して集めてきた内容を以下に示します。

 一つは著作権料の取り立ての無茶苦茶さに関するものです。個人レベルで直接JASRACから取り立てられるのはどういう場合かというと、JAZZ喫茶などの喫茶店、飲食店、ライブハウスなどでBGMをかけたり、生演奏をしていた場合や、ダンス教室などで音楽を再生してるような場合です。こういう場合でも著作権法上は著作権の侵害(上映権、演奏権など)であり、著作権料を支払う義務があるとされます。記事に紹介されていた事例でいうと、、、

 和歌山市内のデサフィナードは、JASRACから、開店以来3年間の生演奏にかかる著作権使用料(60万円)の請求書を受け取ったが、実際は演奏曲の大半がオリジナルであるので支払いを拒んだところ、別の計算方法で算出した3倍の請求金額を突きつけられた。その後、民事調停でも折り合いがつかず、今年4月に店内のピアノ、アンプ、マイクといった機材が仮押さえされた。ただでさえ、毎月20万円の赤字の状態なのにもかかわらず、ついには今年7月、オーナー氏が所有するマンションの仮差し押さえまで申し立てられた。新潟のスワンというJAZZ喫茶が、JASRACから過去10年分の使用料550万を請求されたものの、結局280万を支払うハメになってます。横浜のエアジンというお店も、480万円の支払いを迫られています。

 JAZZ喫茶の使用料にしてはそもそも「高すぎないか?」という素朴な疑問もあるし、CDをかけたり生演奏するくらいのことで、そこまでガンガン取り立てるか?という疑問もあります。実際に、このような形でライブハウスなどとの民事調停件数が2000年度では117件だったのに対し、2004年度では2582件に急増しているようです。4年間で二十数倍。つまり、ここ最近の傾向として、JASRACが非常にアグレッシブに取立てをするようになった。また、その取り立て方も首を傾げざるを得ないような態様であることです。

 記事によると、管理楽曲数226万曲(データベース登録数)、会員・著作権信託者は合計で1万3600人という圧倒的な規模を誇るJASRACがかくも強引な使用料徴収に注力し始めたのは2001年以降のことだそうです。2001年10月に著作権等管理事業法が施行され、著作権管理事業が許可制から登録制に変わったことで民間参入が相次いだため、それまで唯一の事業者だったJASRACに焦りが生じた、と。その結果が、法的措置件数の急増である。しかし、実際は、JASRAC以外の5社の徴収額シェアの平均が0.2%前後なのに対して、実に99.3%のシェア、1086億0700万円を占めてるのにもかかわらず、です

 また、これら料金の徴収の内容開示もアバウトで、音楽を使用する店舗の大半は使用楽曲を問わない包括契約を結んでおり、表向きは毎月1万2000円からの料金と定められているものの、運用実態は規定どおりではなく、その基準はあいまいで、充分な説明もされてない。また、会員である著作権者に対して送られてくる徴収額の明細にもいつ、どこで、どれだけ使われたかという内訳すら報告されず、かなり不明瞭なものである。中には生演奏の使用料が振り込まれてないケースもあるらしい。

 JASRACって誰がやってるの?というと、例えば前理事長は小野清子氏。といっても知らないでしょうが(僕も知らなかった)、記事には載ってないので僕がネットで経歴を調べてみると、東京オリンピックの団体体操競技で銅メダルを取った体操選手で、自民党から出馬して昭和61年に参議院に当選した参議院議員です。まあ、タレント議員のハシリですね。ご本人のHPも見たのですが、失礼ながら政策といっても大したものではないし(そのへんの一般人のブログの方がずっと高度)、活動報告も不鮮明な議事録をスキャンしただけだし、またこの議事録を読んでみても鋭い突っ込みなどもない。ハッキリいって日本国にとってこの人が国会議員をやってる意義はどこにあるのかよう分からんのですが、この人が平成11年からJASRACの理事長をやってました。ダイヤモンド誌の記事では、小野氏のJASRACでの当時の年収は3565万円です。これは、道路公団総裁(2614万円)よりも多い。道路公団総裁よりも多いというのは凄いですな。そんなに何を働いていたのだろうか?しかし、小野氏の前任の加戸氏(現愛媛県知事)は3年間で一億円以上の報酬を得ていたそうです。さらに、役員報酬を決めるのが役員報酬審議会で、審議会員6人中全員が理事。現在の委員長も理事のひとりが兼務していると。要するに自分らで自分らの給料を決めているわけですね。

 JASRAC内部でも改革の動きはあるようで、小林亜星氏らがいる日本作詞作曲家協会のメンバー、いわゆる「改革派グループ」と呼ばれる方々もいる。しかし、組織運営には関われてない。最高意思決定機関である理事会があり、次に正会員の代表からなる評議員会というのがある。その評議員会のうち、いわゆる「改革派グループ」は全体の3分の1を占める(作詞家の評議員29人中9人、作曲家の評議員30人中9人)が、最高機関の理事会の理事11人の中にはこの「改革派グループ」のメンバーがいない。だから改革の手は及ばない。

 このJASRACという組織ですが、実に延々50年以上ものの間、文部官僚の天下りが続いているそうです。1957年から1965年に在任して菊池豊三郎専務理事が天下ったのを筆頭に、現在の吉田茂理事長もまさにその典型的な存在。過去に2度ほど、64年におきた汚職疑惑や、94年にあった古賀政男音楽文化振興財団に対する巨額融資問題の直後だけ、文部官僚とJASRACとの癒着が断ち切られているだけ。今でもその関係は続いてるらしい。(※64年の汚職疑惑とは、数年の間に著作権料から約一億円を簿外処理し、その裏金を使って当時の役人への裏給与や遊興費、文部官僚への接待費などにあててたされたもの。結果、当時の会長と初代天下り官僚の菊池専務理事が背任容疑で書類送検された)。

 記事は、JASRAC側にも取材を申し込んだのだが、応じてもらえなかったとのこと。





 さて、上記はダイヤモンド誌の記事の引用ですので、ある意味一方的な主張に過ぎません。冷静に検証してみる必要もあると思います。
 論点は多岐にわたるのですが一応整理してみると、@JASRACの料金徴収(内容/方法)の妥当性、AJASRACという組織の問題、に大別されると思います。

 @JASRAC料金徴収の妥当性(or 異常性)についてですが、まずJASRACの司法手続が爆発的に増えている(4年間で100件ちょっとだったものが2500件以上)ことは客観的事実として認められるでしょう。とにかくここ数年取り付かれたかのように裁判をやりまくっているという。JASRAC本家のサイトの情報公開のページから平成16年度事業報告書(PDF)をダウンロードしてみたところ、徴収実績1108億円(前年度比108.1%)であり、平成16年度の司法手続数は2757件2915店舗という過去最多を記録しています。演奏などに関する徴収実績は、目標額に対する達成率でいうと、全体では100.5%ですが、上演に関して飛びぬけて多く239%に達します。ちなみに、とりわけ凄いのはいわゆる「着メロ」で、オリジナル音源着信音データ配信(いわゆる「着うた」)使用料徴収が、前年度実績額に比べ6億4千万円増(484.4%)の8億円と大幅に伸びたことになってます。

 適正な権利実現のために国民が司法制度を利用すること、それ自体はおかしくもないし、正しいことだと言えるでしょう。だからJASRAC裁判が増えたからといって、それだけでは非難に値しません。そこで問題はその細かな内容、裁判に至るまでの経過です。JASRAC本家の事業報告書では、裁判の顛末については報告されていますが、細かいことは記載されていません。

 そこで、裁判の実際などを裁判当事者や関係者のサイトから拾ってみると、有名な新潟のJAZZ喫茶スワンの事例があります。これは最終的に和解で決着がついたようですが、その経過をスワンのマスターが報告してくれていますが、ここで問われているのは著作権使用料規定のいい加減さ、恣意性、不当性であるようです。このJAZZ喫茶は、店内でJAZZのレコードをかけたり、生演奏を聞かせたりする、いわゆる気合の入ったJAZZ喫茶なのでしょうが、JASRACの音楽著作権使用料規程によると、客席数40の規模の店舗でレコード演奏のみとして業種5、これを包括算定契約(一曲幾らではなく)すると月額18900円×12ヶ月で年額22万6800円。同じ規模の喫茶店がBGMをかけている場合は年額たった6000円。レコードをかけてコーヒーを出している店という意味では同じなのに、また収益構造は結局コーヒー代という意味でも同じなのに、それが喫茶店だったら年6000円、ジャズ喫茶と認定されたら年に22万円。その差、実に37.8倍!

 「ほんとか?」(嘘ではないだろうけど)と思って、JASRACの使用料規程をダウンロードして調べてみると、確かにBGMの場合は第13節で店舗面積500平米までは年間6000円です。一方、第1節演奏/5.社交場等によると、月額1万8000円であり、消費税をいれて18900円。BGMも消費税入れれば6300円だからその格差は37.8倍ではなく36倍になりますが、それでも大きな差があるのは事実でしょう。なお、生演奏なんぞをやろうものならさらに高くなり、一曲あたりの算定によればレコード40円、生演奏90円になります。そんなこんなでこのスワンは、裁判(仮処分)申請時に最高計算で月額52380円、過去10年分さかのぼって550万円を請求されました。以後、和解期日の度に請求額は減額され、最終的には280万円で和解になったとのことです。

 このスワン氏にしても合理的な額は払うという姿勢で臨んでおられたようですが(だから和解も成立したのだろうが)、それでも「納得できない」と指摘しているのは以下の諸点です。まず、前述の喫茶店のBGMとジャズ喫茶で30倍以上の格差をつける合理的根拠があるのか?という問題。次に、著作権は著作者の死後50年で消滅しますが、そういった著作権フリーの曲についてもJASRACは権利主張をしていること。氏の調べたところJASRAC管理曲になってない曲も100曲以上あり、スタンダードナンバーだったら30%はそうだといいます。本来JASRACが権利主張できないものも一緒くたにして請求するのはおかしい。第一利用料を徴収しても分配すべき著作者がいないのだからJASRACの丸儲けではないか。また、ライブ演奏でも演奏者のオリジナルを演奏する場合もあり、この場合は当然JASRACの管理曲ではないから請求できないはずであるが、そういうのは認めないと拒絶される。演奏に関する利用料でも、新潟で市民有志が行った「新潟ジャズストリート」1、7月分総売上2回で200万弱のところへ33万円の請求をする。ところが一方では3億円のコンサートでも使用料は20万である。均衡を失してないか?

  さらに、より直接的にカチンときて、ここまでの紛争になった原因だと思われるのは、JASRAC職員の態度だと思われます。彼の原文をそのまま引用すると『「どろぼうと同じだ」「万引きだ」「頭が悪い」等罵詈雑言を浴びせる。そうしないと使用料徴収ができないのでしょうか。お金を頂くものの態度とは思われない。新潟では、同業種で閉店に追い込まれた店1店。他2店は夜のみ営業でスナックとして契約過去10年分80万と月使用料1万〜2万(ライブ頻度による)でした。みせしめに1〜2店に高額を請求して「ああなると困るでしょ」と周りの数店から使用料を徴収する。新潟の老舗「ジャズママ」は高額の過去請求を受け、昨年11月35年の歴史に幕を閉じた。昨年9月〜今年4月迄数回の調停後、自己破産もならず、2000円/月を死ぬまで支払うと約束させられた。文化庁の許認可業者のしわざとはとても思えない。なんでそんなにお金が必要なのか。行き過ぎではないのか。」「音楽著作権使用料規程にある使用料規程細則の開示を求めたがいまだ返答なし。新潟ジャズストリートに関しては、説明を求めたところ30分程で新幹線の時間だというので後程とわかれたらそれっきり。説明は終わりましたの一点張り。尚も説明を求めると、音楽使用許諾を出さないと参加全店を脅迫する始末です。唖然としてしまいました。」というあたりにあろうかと思います。

 整理しますと、使用料規定が不合理であること、時代錯誤的なカテゴリー、ビジネス形態や収益構造を無視した無理なコテゴラズ、また使用料規定についても密室のなかで決められており、またどういう議論で決まっているのかが不透明ということが第一点。第二に取り立ての方法が”辣腕”すぎる こと。辣腕というのは、at bestな表現で、サラ金の取り立て並に暴言は吐くわ、論理的な説明は何もしないわ、見せしめにどこかに裁判をかけて脅せばいいわという、およそ紳士的とは言えない方法をとっていることあたりに問題の所在があるように思います。

 その他の裁判案件では、名古屋のダンス教室が訴えられ、最高裁で確定しています。これを受けて、巷では自衛策として、ダンス教室用の著作権フリーのCDを発売しているようです。ここここなどに出ています。

 JASRACは1年間で全国で2500件以上の司法手続きをおこしているわけですから、国民サイドからの反発も強く、上記の新潟スワンのようなお店が全国津々浦々に生じ、これをバネにして「音楽利用者の会」という団体が発足しています。民主党の川内博史衆議院議員も関与し、10月11日(つい先日)第一回協議会が開かれたようです。設立についての経過説明などは、上記のスワン氏のHPにかかれています。経過説明を抜粋引用しますと、「著作権等管理事業法に基づき、事業管理者(JASRAC)は利用者(店など)またはその団体から意見を聴取するよう努めなければならず、使用料規程に関する協議に応じる義務があり、その結果に基づいた変更をしなければならないとも定められています。2005年3月、全国の5000余名から寄せられた「音楽著作物使用料規程の改正を求める署名請願」を文化庁に提出の折、文化庁及び衆議院議員川内博史氏より「著作権等管理事業法に基づき、団体を作りJASRACと使用料規程改正の協議をしてはどうか」とのご提言を頂きました。現在、協議団体として「音楽利用者の会」を設立する準備を進めています。」ということです。

 要は、音楽著作権の管理について、これまでのようなJASRACの独裁支配ではなく、国民の側の意見もどんどん聞いてもらおう、風穴を開けようということでしょう。このような動きは、単にJASRACがクソだとかブータレてるだけはなく、適法に、建設的に事態を改善していこうというもので、非常にヘルシーなものだと思われます。





 そて、これらアクティブに動き出した人達だけでなく、僕らフツーに音楽を聞いてるフツーの人でも気になるのは、年間に1000億円も利用料を徴収しながら、それってちゃんと分配されているのか?ってことです。AJASRACはちゃんと運営されているのか?という組織に関する問題です。

 理事長年収3500万ってなんなのよって話もありますが、ちなみにJASRACの平成16年一般会計貸借対照表を見ますとですね、役員退職給与引当金が1億5343万8168円、職員退職給与引当金34億5461万5118円というのもどうなんかな?って思いますね。社員数499名で退職金引当金が35億ってことは一人平均700万円だからまだいいですけど、役員なんか30人くらいしかいないのに1億5000万円ってどうよ?って思いますね。一人平均500万円っていえば少ないようだけど、勤務なんか数年でしょ。しかも理事なんかそんなに毎日ハードに働いているとは思えない。理事である三枝成彰や湯川れい子が毎日ガンガンJASRACの仕事だけをしてるとも思えない。第一なんでそんなに理事が必要なのだ。ところでどうしてこの人達が役員をやってるのだ。誰が決めるのだ。役員ではない評議員であっても、なぜ普通の音楽ユーザーの代表者、普通の市民が入ってないのだろう。皆さん揃いそろって、文部省とか文化庁の役人とか、功成り名を遂げた著名作詞家作曲家、各レコード会社や家電メーカーじゃないのか。

 それに幾ら調べても、徴収した利用料がどれだけ正当の権利者にちゃんと配分されているかを示す資料は見つからなかったです。JASRAC側からは「1年を三期に分けて無作為200店舗の1日の全演奏をデータとして分配を行っている」との回答があったそうですが(いわゆるブランケット方式)、その200店舗のデーターの内容を情報公開して欲しいです。どんなに長くなっても構わないから、誰のどの曲がどれだけ演奏されているか、そして具体的に誰にどのくらい配分されているか、僕は知りたいです。


 ところで、JASRACのサイトでは、週刊ダイヤモンド誌の記事に対する反論が掲載されています。しかし、内容的には、とんでもない言いがかりの中傷記事だ、事実無根だ、訂正を要求したが断れた、だから司法的解決を考えている(名誉毀損訴訟でしょうね)ということで、具体的にどの記載がどう違うかという部分については全く記載されていません。

 まずですね、これがダメだなあって思うのですね。国民を説得しようと思うならば、ちゃんとデーターや根拠を示して、一つ一つ丁寧に論証すべきじゃないんですかね。年間2500件も裁判を起こすだけの法的分析能力、遂行能力を持ってる組織だったら、一晩でそのくらいのことが出来なければ嘘じゃないのか。要約すれば「こんなヒドイ記事を書かれた」ってことに尽きてしまうのはなぜか?説明責任、アカウンタビリティという認識の欠落を示すものと僕なんかは思っちゃいますけどね。


 
 以下、あまった余白に、僕個人の見解を書きます。
  「著作権、著作権って言い過ぎじゃないの?」というのは、以前のエッセイ111番「著作権について」にも展開しました。確かに著作権が侵害されているという状況は分かるけど、そこまで保護しなきゃいけないのか?過保護じゃないかってそもそもの疑問を僕は抱いています。

 著作権というのは範囲がやたら広い権利で、その気になったら幾らでも拡大していける。やたらアレもダメ、これもダメってしてたら、本当に何も出来なくなります。これを言うと暴論に聞こえるかもしれないけど、著作権がある程度侵害されるのは、これは止むを得ないことだと思っています。面白い本や音楽があったら他人に渡して体験させてあげたくなるし、仲間で廻し読みもするだろう。その著作物が皆に受け入れられれば受け入れられるほど、また愛されれば愛されるほど、それをエンジョイしようという人間は大量に出てくるし、エンジョイする形態のなかでどうしても複製という行為は入ってくるだろうし、真似したり、実演したりする人も出てくるだろう。つまりは著作権侵害行為がナチュラルに入ってきてしまうものだと思います。それをなんでもかんでも著作権をタテに規制しまくるのは正しいことだとは思えないのですね。

 そもそも何のために著作権はあるのか?最終目的はなにか?というと、人類にとって豊かな文化を創造すること、人々が思う存分文化を楽しむことでしょう。そのためには、文化のクリエーターをそれなりに保護しなくては、長い目で見れば文化は衰退するだろう、だからその権利保護として著作権があるのでしょう。それは分かるし、賛成します。しかし、著作権そのものが最終目的ではないのだ。それは単なる「手段」でしょ。最終目的は文化の繁栄でしょ。文化をエンジョイできる環境がなく、著作権だけが栄えたって意味ないのだ。著作権の本質からすれば、ある著作物の利用が本当の意味で文化や知的生産にポジティブに作用するならば、基本的にはそれを積極的に推奨しこそしれ、抑制するのは本末転倒だと思います。

 例えば、優れた演奏や曲にガビーンと感動した人が、「これは凄い、絶対聞け!」といって自分のブログで紹介したり、歌詞を引用したり、サワリの部分の音を聞かせたりするのは、文化が豊かに広がっていく自然なプロセスではないのか。それを規制すればいいってもんではないだろう。また、ライブハウスにせよ、ジャズ喫茶にせよ、そこで誰かの曲が演奏されることによって新たにその曲や音楽の魅力に取り付かれる人だっているだろう。音楽喫茶なんて、むしろ音楽を伝導普及してるようなもんで、JASRACに表彰されてもいいくらいだ。少なくとも音楽の神様は笑ってくれるでしょうよ。

 芸事なんかなんでもそうだけど最初は物真似から始まる。文化祭でロックスターになりきった少年が、ライブハウスでまた成りきり、そのうちオリジナルを作り、本物のロックスターになっていく。そういうことの無限の繰り返しで、我々の文化というのは豊かになっていくのではないのか。それを演奏したから幾ら払えとか、未来のアーチストの孵卵器であるライブハウスやジャズ喫茶やストリートコンサートに法外な料金をふっかけて押しつぶし、何が文化だ、なにが著作権だって気がするのですよ。そんなん自由にやらせたらええやん。著作権なんかもともと「目に余る」ものだけ対象にすればいいです。

 こういうのは著作権法の解釈論としては暴論であり異端でしょうけどね、僕は著作権に関しては制限的に解釈すべきだと思うし、著作権の「権利の濫用」は認めるべきではないと思ってます。物凄くベーシックなところ、世界観とか哲学とかそういったディープな価値観で言えば、文化というのは金儲けの道具ではない。金儲けの道具であってはならないって思ってます。権利保護は大事だが、金儲けやビジネス保護が文化よりも先行するのは、人類社会の発展段階として、まだまだ野蛮で低級な社会だと思ってます。一生、カネのことだけ口走って死んでいくような人生が、決して万人の尊敬を集めないように。金銭的権利関係の調整は必要不可欠だろうけど、それは文化のための一部のマネージメントに過ぎず、けして全部ではない。

 そんな麗しい理想論や曖昧な基準だったら権利保護は実現しないという声もあるだろうし、現場の実務作業に支障をきたすという声もあるだろう。それはわかる。だけど、我々が音楽や芸術を楽しみ、その楽しみが広がり、全体に豊かな文化的土壌が出来、そして多くの才能が花開き、さらに豊かなカルチャーが生み出されるというダイナミズムの方が、現場の収支計算や実務よりも何倍も大事なことだと思うわけです。法は法のためにあらず、人のためにある。大原則じゃん。

 社会の腐敗の典型的な症状は、中間組織の肥大化によってはじまるという。音楽に関して主たる当事者は誰かというと、音楽のクリエーターと僕らリスナーである。あとのレコード会社とか、家電メーカーとかいうのは全部中間団体に過ぎない。さらに著作権管理委託を受けている、本来「下請管理業者」にすぎないJASRACなどは、中間組織のまた中間に過ぎない。なぜこのような中間組織がエラそげに独裁しているのだ。





 さらに趣味的な極論を言うなら、アーチストなんか食えなくていいのだ(^^*)。好きなことやって生きていこうというんだから、それだけ突っ張った生き方をしていくのだから、それでいいじゃん。別に飢えて死ねというつもりはないが、多くの人々は、生活のために好きでもないことをやらされているのだ。それに、知的所有権だの著作権だのいうけど、全く保護されていない領域なんか死ぬほどあるのだ。最初に回転寿司を考えた人、最初にスーパーマーケットという形態を考えた人、百均ショップを考えた人、検索エンジン会社を思いついた人、革命的な商法を思いついた人はたくさんいるけど、そういったアイディアに知的所有権の保護はなく、あっという間に模倣され、競争に叩き込まれる。誰もそれに愚痴を言わないぞ。イイモノ作ったら真似されるのだ。それが人間社会なのだ。真似されるのはむしろ名誉なことだ。もちろんそれなりに保護は必要だとは思うが、そんなものはホドホドでいいんじゃないのか。

 それに思うのだが、著作権や今のJASRACで保護されるのは、もう既に売れている人だけじゃないのだろうか。もっといえば、印税だけで楽勝に暮らしていける、ジャリタレに曲を提供している作曲作詞家のセンセイじゃないのか。売れないバンド、まだ知られてないアーチストにとって必要なのは、なによりも発表の場であって著作権ではない。彼らには著作権などあってなきがごとしである。JASRACのブランケット方式でいけば、音楽全体のシェアで配分されてしまうのだから、売れてなければ著作権の配分にもあずかれないのだ。年に3回、200軒程度の調査で自分らの曲が演奏されてなければ、一銭も入らない。著作権料の配分が明らかになってないので何ともいえないのだが、演歌系にシフトしてるという話もある。

 本当に保護すべきはアーチスト、まだ芽が出たばかりで、売れてない段階のバンド達は、はっきりいって著作権など無視して(パクりは別として)、どんどん口コミで広めていって欲しいんじゃなかろうか。CD3000円なんか普通じゃ買ってもらえないから、結局聞いてもらえない、だから売れない、消えていくというバンドが年間何百という数であるだろう。たまたまタイアップが取れて売れたバンドだけを保護することもないだろう。とにかく聞いてもらうために、無料で自費製作のCDを配ったり涙ぐましいことをしてるのだ。P2Pで違法にダウンロードされようがなんだろうが、とにかく聞いてもらい、ファンになってもらうことが何よりも大事なのではないか。

 一方では、坂本龍一が98年にJASRACの一元支配に異議申し立てをしたように、著作権の本来的所有者であるミュージシャンに、著作権を自由に管理させてもらいという声もある。すでにJASRACに加盟しないミュージシャン、自分のバンドのサイトでのみ発信している連中なども現れている。まだまだマイナーな存在だけど、今後どうなるかわからない。

 そもそも、著作権なんかで騒いでいるのはWindowsなどのパソコンソフトやディズニーやハリウッドで世界支配を狙っているアメリカの知的所有権戦略でしょう。アジア諸国や、開発途上国なんか著作権なんかまるで無視だし、シドニーにだって幾らでも日本のTV番組がチャイナタウンでゲットできる。アメリカの覇権の構造やら、グローバリゼーションの悪しき進展やらを思うと、アメリカの敷いたレールに無批判に乗っかっていっていいのか?という視点もあると思う。

 日に日に厳しくなっていくコピーガードや、あろうことか輸入CDを規制するとか猿知恵的な改悪。規制に関する文化庁のパブリックコメント(一般国民の意見を募集するコーナー)では、圧倒的に賛成多数ということになっているが、その実体は、レコード会社や出版社の社員が組織票投票に駆り出されて、せっせと模範文例をコピー&ペーストして投稿したといわれている。自らも投稿し、この内容を分析した人の貴重なブログがあります。ここここです。しかし、こんな組織票を会社の命令で書かされる、また書いてしまう日本のサラリーマンって何なのよ、って気がしますね。


 しかし、いっくら規制をかけてもしょせんはイタチゴッコだと思う。どんなコピーガードをつけても、人間が作ったセキュリティは人間が外せる。DVDのリージョンコードなんていう小手先のことをやっても、こっちではリージョンフリーのプレーヤーが普通の量販店で売ってます。

 今後益々デジタル化は進展するだろうし、通信網も強力になっていくだろう。光が当たり前になり、さらにもっと転送効率の良い方式が生み出されるだろう。P2Pもしぶとく生き残り、さらにP2Pを上回る新技法が開発されるだろう。ハリウッド映画2時間分のデーターが3秒で転送できるようになったり、携帯電話の小さなチップに映画千本くらいのデーターが楽勝に収まり、携帯と携帯とを無線でつなげたらそれらすべてをすぐにデーター移動できるようにもなったりもするだろう。そうこうしているうちに、JASRACが管理している著作権226万曲がまるごと切手サイズのチップに収まり、3秒でコピー出来るとかになったらお手上げだろう。しかし、こういう技術の進歩はキリがないのだ。いくら著作権とかいってガリガリやっていても、ライブハウスやジャズ喫茶をいじめていても、もっと大きなところで決壊するだろう。ガードという発想ではなく、もっと新しい発想で著作権そのものを再構成していくしかないんじゃなかろうか。


 結局は、文化の流通方法の問題なのでしょう。
 今はマスメディアとレコード会社や映画会社が文化の流通を支配しているけど、別にそれが永遠普遍なものでもあるまいし、またそうでなければならないという理由もない。僕らはいつだって、素晴らしい音楽や、素晴らしいカルチャーをエンジョイしたい。それをクリエイトした人にはレスペクトを惜しまない。もし僕らが無料で楽しみに過ぎて、その偉大なクリエーターがショボい人生を送るとか、創作活動が出来なくなったとかいうと問題だから、なんとかしようと思う。その「なんとか」の一つの方法論として、「法律による保護」があり、著作権があり、その管理団体のJASRACがある。しかし、別に法律による保護だけで全てを解決しなくてもいいのではないか。大道芸をやる人がいて、通行人がそれを見て、面白かったら帽子にコインを投げ入れる。それの法律関係は何かというと、よく分からない。贈与なのか、委任契約の追加的承諾なのか、でも面倒な法律理論なんか別にいらないでしょ。僕らは、素晴らしいアーチストにはコインを投げ入れるべきだ。それがすべての原点だと思います。そして、コインを投げ入れる先の帽子を何にするか、話はそういうことだと思います。



文責:田村

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