今週の1枚(05.08.22)
写真は、Lane Cove National Park (ウチの近所)にある Wildlife Shelter(傷ついた野生動物を保護するところ)にいる、フロッグマウス(Tawny Frogmouth)という鳥。”ジョージ”と”ステラ”と名づけられた二羽は、どちらかが死ぬまでずっとこうしている、おしどり夫婦(おしどりじゃないけど)。養子を迎え、3羽で日がな一日こうしてるようです。ひじょーに可愛らしい。彼らに関する詳しい解説は右の写真を参照。
総選挙も告示され、お盆もあけた日本は、選挙で盛り上がっているのでしょうか。現場にいないのでそのあたりの雰囲気は今ひとつ良く分からないのですが。僕もこんなところで解散総選挙になろうとは思わなかったのですが、中々面白い選挙になるように思います。
ここ十年以上僕が日本の総選挙でいつも期待しているのは政権交代です。どの政党であれ、今の自民党からよそのところに政権が移るという”MOVE"が起きるかどうかです。もっと昔は、政党単位、政策単位で物事を考えてましたが、段々とそーゆー問題じゃないな、どこの政党が政権担当能力があるとかないとか、どの政策が現実的だとか理想的だとか、そういうことじゃないという具合に考えが変わりました。
10年以上前、僕が日本を離れる頃の日本の政治は、今よりずっと面白かったです。小沢一郎が自民党を割って出て、短命に終わったけど細川連立内閣という政権交代が行われ、自民が巻き返しを図るにしても仇敵だった社会党(現社民党)と連立して、社会党から村山首相が出るとか、すごい展開になっていて、見ていて面白かった。やれやれこれで日本も遅ればせながら風通しのいい国になるかな、これから10年改革でドンガラガッタとするだろうから、その間に海外に行ってて、すっかり様変わりした頃に日本に帰ってこようかな、なんてことも考えていたものです。
ところがオーストラリアの地から見ていると、待てど暮らせどあんまり何かが変わったという気がしない。誤算でしたねー。ここまで何も変わらん国だとは、さすがの僕も10年以上前に予想できませんでした。もうちょいなんか変わるだろうと思ってたのですけど。そりゃ確かに、行政改革で省庁再編成もなされたし、民間企業でも特に銀行なんて10年前の銀行が今どういう名前になってるのか分からなくなるくらい統廃合が進みました。宿年の膿ともいうべき公共工事や高速道路にもメスが入れられました=開腹だけして何もしないでまた閉じたという気もするけど、とりあえずはメスは入ったわけだし、何もなかったわけではないです。それでも、「おおお、これから面白くなりそうだぜ」という感じにならない。その逆。
何が悪いんかね?と考えていくと、要するにこれは個々の政策とか政党とかそういうことじゃなくて、日本社会全体を覆ってる、特に上層の支配者層を覆っている、いわゆる「日本的な」カルチャーや構造やシステムが変わらないとしょうがないんだろうな、という気になりました。「いわゆる日本的なるもの」ってやつです。ここが変わらないと、どんな革命的な政策を立案し、断行しようとも、それを実行する過程で、薄められ、歪曲され、どっか行っちゃうんじゃないか。いわゆる「骨抜き」ってやつです。
それに海外からクールにみると、日本がもっている客観的なシステムそれ自体は、現在時点でもそんなに悪いものじゃないです。法体系でもかなり整備されている方だと思いますし、税率なんかも安い方だと思うし、国民皆保険制度は世界に誇れるものだといってもいいです。生産、流通しかり。輸送システムも、通勤ラッシュの最中に意味なくホームで30分も電車立ち往生するのが当たり前というシドニーの惨状からすれば夢のように正確です。まあ、客観的に持っているシステムだの、リソースだのを考えたら、そんな目を覆わんばかりに悲惨かというと、そんなことはないです。
ただこのシステムを支える日本人という人間集団に共通に流れる暗黙の掟というか、メンタリティというか、それの集積による社会の気質・体質みたいなものが問題なのでしょう。
じゃあ、その「いわゆる日本的なるもの」というんは何なのよ?というと、「強度に土着的な人生と、それに基づくネットワーク社会」だと思います。要するに、「日本人、動かなさ過ぎ」ということです。もっといえば「動いたら損」なのでしょう。
18歳のときの大学入試と、22-3歳のときに就職で一生の進路が決まり、ポジションもあらかた決まり、その後それを変更しようとすると多大な労力がかかり、かつ成功率は低いという状況です。あなたがクソ勉強して東大法学部に入り、国家一種に合格し、財務省のパリパリのエリートとして赴任し、10年くらい働いたところで、子育てのために3年くらい長野県で有機野菜を作って暮らし、そこでエネルギーと気力を回復してから、また古巣の財務省に戻るとか、民間金融機関に就職するとか、そういうことってあんまりないです。とある村に生まれ、親の跡をついで農業に従事しても、そこで養った農業技術をもとに、また違う県にいって田畑を買って別の農業をやるってことは、絶無とは言わないまでも殆ど例がないでしょう。司法界でも、例えばこの僕が今日本に入って「裁判官になりたいんですけど」といってもまず無理です。司法改革で弁護士から裁判官になるルートも太くなりましたが、それでも大量に往来しているわけではない。僕だって一応法曹資格は保持してるから、理屈の上では裁判官に任官されてもいい筈なんだけど(これが客観的なシステム)、そういうことはまず絶対無い。それは僕が無能だからとか裁判官としての品位に欠けるとか(認めるけど(^^*))、そういう僕個人の資質や能力に関することが理由だったら全然問題はないけど、なんかしらんけど「そーゆーことはありえない」というムードがある。制度的にはアリでも実際の運用とかムードではありえなくなる。
日本全国、どんな業界、どんな社会、どんな会社においても、「一生ここでやっていく」という人が多い。平均値を出せば、7−8割はそうでしょう。特に将来リーダーになるうるような人間は、組織の内懐で純粋培養に近い育てられ方をします。裁判官だったら、いきなり法廷に出るのではなく、最高裁の所付判事補になり、最高裁調査官になり、、という出世コースがある。どの企業にも、出世コースがあるでしょう。39歳で札幌支店長を歴任してから東京本社で役員の末席になるとか、「○才でここだったらまずダメ」とか。医師の世界で出世しようと思ったら、白い巨塔のような内部での権力闘争に勝っていかないとならない。「Dr コトー」みたいな医師が、東大医学部の学長になるなんてことは、まずないでしょ。
どんな人でも、つまり日本人であろうが、ユダヤ人であろうが、ケニア人であろうが、「一生ここで食っていく」ということなれば、その場のカルチャーに埋没しないと生きていけないです。そのカルチャーになじめない奴もいるでしょう。ユダヤ教が大嫌いというユダヤ人もいるでしょう。でも、そういう人は、仲間はずれとか村八分までいかないまでも、少なくともその社会での権力の中枢の座につくことはまず無いでしょう。そうなると、その組織、そのカルチャーにどっぷり漬かった人間がその社会でエリート層になり、その社会の方向性を決めるようになるから、あんまり何も変わらない。
別にこれが一概に悪いとか、諸悪の根源だとか言うつもりは無いです。昔はそう思ってたけど、トシとって人間丸くなりましたから、そこまでは言わない。僕も含めて、多くの人々、特に他人よりも傑出した才能に恵まれているわけではなく、ただただまっとーに生きていこうという人々、愛すべき誠実な人々にとっては、生まれ育った社会で、まっとーに、普通にやってるだけで安らいだ一生を送れるというのは、ある意味理想的でもあります。だから、そんなに一概に否定するほどのことも無いのだろうなとは思います。
だけどね、ものには限度があるでしょうと思うわけです。10年後も、50年後も、100年後も同じ社会が続くのだったらそれでいいですよ。でも、社会は変わる。日本だけが変わらないつもりでも、世界が変わる。この100年激しく変わったし、今後100年同じように激しく変わるでしょう。それは、国際政治も変わるだろうし、人々の生活を基礎付ける技術も変わるでしょう。だって、今から100年前って日露戦争やってたんだもんね。「ああ、203高地」とかやってたわけです。僕らの日常生活でも、テレビはもちろん、冷蔵庫もない、洗濯機もない、もちろんパソコンなんか影も形もない、インターネットなんか相当なSF作家でも思いつかなかった。この100年でどれだけ変わったか。同じことが今後100年にも、さらに加速されて起こるんじゃないかと予想してもバチは当らんでしょう。
外界が変わるならば、新しい外部環境で最も生存率の高い形態にシフトしなければならない。これは、政治とか社会とか経済とかじゃなくて、もっと巨大な「大自然の掟」です。地震が起きたり、台風がきたり、雷が生じたりするのと同じレベルです。世界に氷河期が来たら、とりあえず寒さに強い奴が生き残るとか、船が沈んだらとりあえず泳ぎのヘタな奴から溺れ死ぬようなものです。恐竜諸君にもいろいろ言い分はあろうし、それなりの方針も哲学もあったかもしれないけど、外部環境の変化に適応できなかったら、根こそぎ絶滅。これがこの地球のルール。ナチュラルな進化と淘汰、それに適合するための適切な新陳代謝は、生命体の基本でしょう。
寝たきりになっていると、全身の筋肉が落ち、気力が萎え、ひどいときには褥瘡(床ズレ)が出来てしまう。適度に動くことは、生命体を健康に保つ条件であり、それは組織、社会、国家においても違いはない。人々の往来が活発で、新陳代謝が激しい社会ほど、活力を維持することが出来る。Aという勢力が台頭しすぎたら、Bというカウンターパワーが出てくる。人々もAという組織にいたとしても、考えが変わればBに移動する。こういう総体的なガチャガチャがあれば、生命体維持の目標であるリソース(身体でいえば栄養素、社会でいえば人材)の適材適所が図られ、その社会は潜在力を十分に発揮できるようになる。その意味で、アメリカなんか、僕はあの国は好きではないけど、新陳代謝の激しいし、生命力の強い社会なんだなって羨ましいですよ。ブッシュ政権みたいなのが出来ると、強烈なカウンターパワーが生じる。「そこまでやるか」というくらい辛辣な批判をするし、デモ行進もする。マイケルムーアみたいな人も出てくる。別にあの人の言ってることがどうこうじゃなくて、街頭を歩いていて反ムーアの人から年がら年中唾を吐きかけられたり、殴られたりする目にあいながらも全然メゲないという人が出てくる。それも沢山出てくる。あの国の新陳代謝エネルギーの凄さはほとんどケンカ腰といってもいいくらい凄いものがあります。殴られようが、殺されようが、俺は言うぜって奴が結構ごろごろいる。
こういう具合につらつら考えていくと、日本の問題はやはり「動かなさ過ぎ」という、流動性の乏しさにあると思います。そして、皆が動かないから、結局動いたら損なんですよねー。動かないことで天下を取ってきた、それぞれの社会で中枢的な立場についた人が多いから、全体の方針や動きについても、どうしても守りに入ります。本人たちは相当思い切った改革をしてるつもりなんだろうけど、それでも外から見てたら微温的。江戸幕府の末期も、それまでの慣習からしたら革命的なくらい思い切った改革がバンバン断行されてたらしいのですが、本人達にしてみれば急進的に思えても、薩長軍に怒涛のように根こそぎ押し流されてしまった。
流動性に乏しい社会で生きていこうとすると、やっぱり「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の教えの世界になります。これは日本人だからそうというよりも、そういう社会にはいればどんな人でもそうなると思う。だってさー、いかに気に食わない奴がいても、一生こいつと付き合っていかないといけないんだったらケンカばっかりしてられないですよ。ましてや、「むむ、ちょっと違うんじゃないか」という程度のことだったら、お互い大目にみるよね。相互扶助であり、相互扶助の別に言い方は「なあなあ」です。
事を荒立てるは、日本人は嫌います。こんなことを書いている僕だって基本的には嫌いだし、あなただってその筈です。例えば、僕とあなたが同じ職場にいて、あなたがうっかりなにかのミスをしたとします。理念的な意味で言えば許されるべきミスではなかったとしても、まあお互い様で、事を荒立てないで解決しようとするでしょう。具体例を出さないと分かりにくいかな。例えば、あなたが看護士で、あなたの同僚の看護士が入院患者さんの点滴を忘れるとか、間違えたとします。それによって生命などには別状は無いのだけど患者さんに負担をかけたとします。痛み止めの点滴を忘れて、患者さんが一晩苦痛にもだえたとかそのくらいのことね。それに気づいたあなたは、即座にその同僚を告発しますか?患者さんに全てを打ち明け、病院上層部にも告げ、しかるべき賠償を患者さんに払い、ヘタすれば同僚が首になるかもしれないようなことをしますか?おそらくしないと思いますよ。厳重に注意するとか、上司にいって叱ってもらうとか、そのあたりのことで曖昧にしようとするでしょう?でも、これは規模は小さいとはいえ医療過誤だし、「医療ミスを病院がもみ消した」ことに変わりはないです。理念的に言えば、医療に対する国民の信頼を踏みにじる大罪ですよ。
でも、あなたはその「大罪」を犯すでしょう。医療に対する信頼を踏みにじり、なあなあ体質でミスをもみ消そうとするでしょう。そして、それは病院内部で「臨機応変の適切な措置」として賞賛されることはあっても、非難されることはないでしょう。せっかく苦労して看護学校に入り、死ぬほど勉強して看護士になり、必死になってやっとみつけた就職先です。あなたはこの世界で一生生きていかねばなりません。あなたの周囲の同僚、上司、医師も検査技師も、狭い業界ですから、一生なんらかの形でつきあっていかねばなりません。ここで、「開かれた医療の理念」に殉じて、全てをブチ撒けたら、それらの人々を敵に回しかねません。そこまでいかなくても白眼視されるか、少なくとも「浮く」でしょう。もちろん、正しいことをしたあなたを非難する奴がいたら、そっちの方が間違ってますよ。でも、現実問題そういうことは厳然としてあるし、そこで戦っていくのはかなりの労力を必要とします。そこまでの個人犠牲を払って告発しますか?普通はしないよね。
でも、これ患者さんにしてみればたまったもんじゃないですよ。僕が患者さんの立場だったら許せるもんじゃない。一晩苦痛にうめくのもイヤだけど、ヘタしたら一生車椅子とか、死ぬとかいうこともあるわけですよ。で、事が重大であればあるほどプレッシャーもキツくなるからますます内部告発しにくくなる。殺され損ですわな。このへんの事情は、医療過誤事件を何件もやってきたのでなんとなくわかります。告発を思いとどまらせるくらいならまだしも、医師に命じられて、カルテやレセプト資料を全部改ざん(要するに偽造)するのを手伝わされた経験のある看護士さんなんか、結構おられると思いますよ。
ここに問題点があります。
「なあなあ」ですませた看護士であるあなたを非難するのはたやすいし、病院側の秘密体質を糾弾するのも容易い。まあ、その批判が実を結ぶのは
死ぬほど難しいけど、非難するだけだったら子供でも出来る。簡単です。でも、非難だけしててもしょうがないんじゃないかって気がするのですよ。
もちろん、非難に意味はないとは言いませんよ。それどころが現状では唯一といっていい状況改善の武器でしょう。医療過誤訴訟を、なんであんな大変なだけで全然儲からない事件(患者側の勝訴率は数%)を弁護士側がやるかというと、こうやって司法サイドからプレッシャーをかけることが一つの抑制になるからです。ヘタにミスをすると、さらにミスを隠そうとすると、鬼より怖い弁護士が、証拠保全という民事訴訟法上の手続で、秋田のナマハゲみたいに裁判官とともに病院に乗り込んできて、カルテからレセプトからレントゲン写真から一切合財持ち帰ってしまうぞ、そして訴訟になったら日ごろエラそうにしている医師も、法廷で徹底的にイジメ抜かれるぞ、人生最大級の屈辱とトラウマが待ってるぞというプレッシャーがあれば、「ああ、こんなことをしてもバレたときが怖いからやめよう、正直に言おう」と思ってくれるケースが増えるかもしれないでしょ。医療に対する一種の警察的役割を果すわけだし、医療機関内部で誠実にやろうとしている人達(こういう立派な人達も数え切れないくらいいます)に対する援護射撃としての意味ももちます。
ただねー、そういうことをやってきただけに分かるんだけど、なんかそういうプチプチとシラミを潰すような営みというのは、時として虚しいのですよね。氷山の一角を叩き続けているだけでいいのか?と。もちろんそれ以外の営みもあります。医療を考えるNPOも沢山ありますし、そういう活動とも連携をとっていきます。それでも、もっと抜本的なことはないんかい?って思いますよね。
結局、医療機関にいるのも普通の人間わなけだし、普通の人間だったらもみ消したり、ひた隠しにするだろうなって思うのですよ。これまでの努力を一気に水の泡にしてもいいから、毎日が針のムシロのような職場環境なってもいいから、正義の為に正直に言えっつったって無理ですよ。人間そこまで立派じゃないですよ。僕だって同じ立場に立たされたら、似たようなことすると思うし、あなただってそうでしょう。
こういった地縁・血縁・職場縁でガチガチに縛られていたら、個々の人間の動ける範囲などかなり狭められていく。マトリクスのように張り巡らされた土着性ネットワークに逆らっていては、個々の人間の「生存」が成り立たない。これが、いわゆる「日本的なるもの」生み出す母なる土壌だと思いますね。だから、この土壌を変える。地縁、血縁、職場縁を完全に断ち切らなくてもいいから、薄める。完全に断ち切って、人間ひとりひとりがまったく孤立した個人ばかりになってしまったら、それはそれで弊害も出てくるでしょうし。
これを薄めていくと、個々人の犠牲的な正義感に頼らなくても、「なあなあ」が少なくなり、透明度の高いシステムが作れるようになると思います。例えば、先ほどの医療の現場だったら、「なあなあ」にしたくても出来ないような環境やシステムにしてしまえばいいわけです。まず、医療従事者の流動性の高さを促す。今でも結構看護士さんなんか流動性は高いし、再就職も普通のサラリーマンに比べれば容易だと思いますが、さらに徹底する。事故調査委員会を完全に外部委託にする。「完全に」というのは日本の医師世界の威光が届かない連中、それは例えば弁護士とか財界とか畑違いの連中とか、いっそのこと海外の医師で混成されたタスクフォースに任せるとか。
ちなみに流動性の高い社会のシステムについては、オーストラリアのような西欧社会のシステムが参考になると思います。それは例えば、組織体の機能を出来るだけ互換可能性の高いピースに分解し、いきなり外部から新人が入ってきても今日にもそこで働けるようにしていくことです。どこの組織にも、「わが社のやり方」みたいなものがあり、合理的かというと全然合理的ではなく、単にその組織の最高権力者や、その組織に古狸のように長年巣食っている人間の個人的趣味だったりするわけですが、それが外部から入ってくる人を困惑させているという現状があります。「なんだか知らないけど、ウチではこういうやり方になってます」という趣味的な事務実行方法は、機能面に関する限り廃止していくなんてことも必要でしょう。
いきなり外部の助っ人が来ても、ウチのやり方に慣れないうちは使い物にならないとか、そういう話はよくありますが、それは組織が悪いという認識を徹底する。一定の技能を持っている人がすぐさま腕を発揮できるようなシステム、ぱっと見ただけで直感的に大体分かるという具合にしておくべし。例えば、お茶汲みひとつをとっても、「○○さんの湯飲みはコレで、あの人はぬる目が好きとか、○○さんは渋茶が好きで昼食後と3時に出す」とかやってるから、新人は困惑するし、そういうことに貴重な労働力を奪われるべきではない。だから、「お茶は自分で入れろ」というカルチャーにするとか。
枝葉末節を言ってるようだけど、日本社会って結局コレでしょ。ある法案を通すにしても、会社で上層部に重要な稟議を通すにしても、「まず○○さんに話を通して」とかいうハタから見てたらわからない儀式みたいな変な風習がはびこっています。もちろん、ある程度の根回しも、配慮も、政治としてのロビー活動としては必要ではあるでしょう。しかし、愚にもつかないものも沢山ある。例えば、農地を宅地に転用する場合の5条申請とか、地元の農業委員会の許可がいるわけで、そうなると地元のボス連中に付け届けは欠かせないって話になります。そこに利権が生じ、癒着が生じる。大病院で医療機器を購入するにあたっても、決定権をもってるボス医師のところに利権が集中する。
そういう組織はどうなるかというと、本来機能的な社会、プロ野球のチームのように勝ってなんぼの機能集団、倫社の教科書を思い出せば「ゲゼルシャフト」と呼ばれる機能集団だった筈のものが、どんどんゲマインシャフト、つまり家族的人情的な集団になっていく。機能組織が、家みたいになっていく。だから、職場の長は、昔ながらの家父長になる。本来の機能以上の人格的尊敬を受ける。もっと平たく言えば、エラくなればなるほど、子供みたいなワガママいえるようになってくる。どんどん居心地が良くなる。それに反比例するように、その下で働く人々は、本来の職務以上の雑務を、まるで下男や奴婢のようにしなければならなくなる。上司の引越しは手伝わねばならないわ、上司の子供の運動会ではデジタルビデオ撮影に駆り出されたりする。しかし、そこでの奴隷的労働を果さないと土着性マトリクス社会では生存不可能になる。これが日本でしょ、違いますか?
こんな社会に互換性なんかあるわけない、昔ながらの豪族部族と変わるところはない。ある私立病院では院長が天皇のように振る舞い、ある県では天皇ような地元のボスが君臨し、その天皇の”勅令”で全てが決まる。そこには透明な合理性も、議論も、改革も百年河清を待つって感じになるでしょう。
この地縁血縁マトリクスを薄めていけば、自然と流動性も回復し、また組織相互の互換性も高まってくる。なぜなら、優秀な人材に思う存分腕を振るってもらった組織が強くなり、勝ち残っていくという、自由主義社会本来の原理に戻ってくるからです。
今回の選挙に話を戻します。
自民党というのは、特定の理念や主義主張があるわけではないです。政策集団ではない。自民党が「政党」なのかどうかすら、本来的には疑問だったりします。自民党の本質は、僕が思うに、この日本的なる地縁血縁土着ネットワークの既得権益集団、つまり日本の「実力者ネットワーク」そのものです。
戦後、政権交代がないのは世界でもただ二か国。北朝鮮と日本だけです。なぜ日本にこれほどまでに長期政権があるか、なんで自民党はこんなに強いのかというと、最初っから日本社会で「強い奴」が組んだ連合体だからです。地縁・血縁・職場縁の全国各地のボス達の連合体であり、ボス達の利害調整のための国連みたいなものです。それは、経団連のような財界であり、農協であり、漁協であり、日本医師会であり、官僚集団であり、国粋主義的な右翼集団であり、さらには下働きとなる暴力団などのアンダーグラウンド勢力です。
それが証拠に、流動性が弱く、土着性の強いエリアでの自民党の強さは圧倒的です。日本の多くの県が自民党絶対支配のいわゆる「保守王国」でしょう。逆に、流動性が高く、地縁血縁の弱いエリア、つまり大都市圏での自民党の弱さもまた圧倒的です。そして数からいえば大都市生活者の方が多いにも関わらず、自民党がなぜ政権を維持してるかといえば、定数不均衡という魔法があるからです。何度も最高裁まで争われ、苦悩した最高裁が「違憲だけど合法」というアクロバティックな法解釈でしのいでいる「一票の格差」問題=大都市の一票の価値は、田舎の一票の5分の1程度しかないということ。つまり、大都市で当選しようと思ったら50万票必要なのに、田舎だったら10万票で当選できる。一人一票というのは、国民一人が同じだけの政治的パワーを持つことなのだけど、実際には大都市の有権者のパワーは5分の1。逆に言えば、こと選挙に関する限り、田舎には実際の人数よりも5倍も人数がいることになってるわけですね。だから大都市生活者が大多数の日本において、なかなか彼らの声は政治に反映されない。このマジックがあるから自民党は強い。
医師会のように技能集団を除いて、ゼネラルに日本全国で自民党を支えている草の根的なネットワークが3つあります。一つは言うまでもなく農協。もう一つは戦死者のための日本遺族会、そして今回問題になっている特定郵便局長会です。なんで特定郵便局長が自民党の土台になるかといえば、特定郵便局長というのは、「地元の名士」がなるもので、その実態は要するに地縁血縁ネットワークの各地の地元のボスだからです。この人々が、それぞれの地域社会を取りまとめ、仕切り、自民党を全国規模で支えているわけです。あの、別に自民党支持者とか党員でないと特定郵便局長になれないわけではないですよ。そういう政治的意見とかとは違って、地元のボス的連中を選んでいけば、自然と自民党支持になるってことです。なぜなら、自民党そのものが地元ボスの連合体だからです。さっきも言ったけど、自民党そのものにこれといった政治理念なんかないです。個々の議員さんにはあるかもしれないけど、党としては無い。ある意味そんな理念などあってはならないのが自民党の自民党たる所以です。あくまで日本のパワーストラクチャーそのものであり、各地各界の豪族連中の談合の場なんだから。
「小泉さんが総理になったら日本も多少は面白くなるかもね、でも、ま、絶対にありえないだろうけどねー、はははは」と一杯飲み屋の冗談で良く言われていたはるか昔から、小泉首相の持論は郵政民営化でした。それは僕もリアルタイムに知ってます。「こんな議員が自民党にいるのか」と驚いた記憶があります。その頃は、まだYKKとか呼ばれてニューリーダーになるかな、まあ無理だろなって感じだったですけど。小泉氏が郵政を民営化しようというのは、自民の集票末端組織を破壊し、ひいては端的にいって自民党を叩き潰すためですし、彼自身昔からそう言ってます。
だから、「なんで郵政を民営化しなければならないのか?」というと、わかったようでわからない、どことなく釈然としない議論で、解散総選挙までに至るのでしょう。本音を言えば、郵便集配業務や、預貯金の金融業務がどうしたなんてのはどうでもよくて、地縁血縁ネットワークの上に乗っかって日本社会が動いているとか、自民党が天下を取ってるという状況がイヤなんでしょうね。だから妥協できないのでしょう。そして、対抗勢力も、だから妥協できないのでしょう。
ですので、今回の選挙は、「いわゆる日本的なるもの」をどうするかの争いだと思います。存続させるのか、やめるのか。
僕が「結局、政権が変わるしかないわな」と思ったのは、政権が変わると、地縁血縁ネットワークの根本が瓦解するからです。なんで皆ネットワークを組んでるかというと、目的はハッキリしていて、金ですよね。それしかないです。ネットワークを組んで、地元の大ボスを政界に出し、パイプを作って、中央の金を地元に流し込んでもらうためです。ある意味、このくらいドライな理由はないですよ。これに比べたら、共産党や社民党の方がずっと理念的であり、ある意味情緒的です。地縁ネットワークというのは、現実にお金が動いて初めて成り立つものであり、お金が動かないんだったらやる意味なんか1ミクロンもないでしょう。だから政権交代して、このお金の流通パイブを一旦グシャグシャにしてしまう必要がある。大体なんでこういったボス連中がボスになりえているかというと、他の組織のボスと「お友達」だからです。お友達だから、「ちょっと頼むよ」と電話一本で10年かかることが1日で出来てしまうし、面倒な案件だったら料亭の席かなんかで「実は折り入ってお願いが、、」とやってるわけです。このように力のある連中の友達の輪が、彼らの力の源泉です。でも、友達の輪がズタズタに断ち切られたら、そこで終わりなんですな。頼もうにも頼む相手が居なくなるんだから。あんなの、権力がなければただの老人なんだから。そうなると、日本に長年巣食ってきた老害みたいなものも綺麗になるだろうと。
どこが政権をとってもいいですよ、別に。極論ですけど、政権担当能力なんか無くても構わない。だって、日本の政治における「政権担当能力」って、結局、各地各界のボス達の利害調整手腕だったわけでしょ。こいつらを納得させないと、今の日本では物事が1ミリも動かない。だから、納得させるために、脅したり、すかしたり、買収したりしなければならない。これが政権・政治の実態でしょう。だから野党が天下取ったら、こういう意味での政権担当能力はないですよ。あったらイケないんですよ。じゃあ、日本は終わりになるかっていうと、別にならんですよ。今までだって本当の意味での「政治」なんかろくすっぽやってないじゃないですか。利権調整でしょ。それに、どんな野党であっても、政権をとったら、またおこぼれを貰おうとして、これまでのボス連中が大挙して押しかけてきます。官僚組織だって言うことを聞かないわけにはいかないから戦々恐々となるでしょう。短命だけど細川政権のときに実際にそうなったしね。その過程で、大規模な地すべりのような新陳代謝が起きるんじゃないかってことです。各地のボスだって安泰なわけではなく、その座を狙うライバルもいれば、ナンバー2もいる、若手の改革派連中もいる、そういった連中が動き出すし、日本全国津々浦々で下克上的な新陳代謝が行われ、実力者の顔ぶれもかなり変わってくると思うのですね。そうなれば必ず良くなるかどうかは分からんけど、それでも物事は動き始めるでしょう。
仮死状態にある患者に電気ショックを与えて心臓を動かし始めるようなもので、そういったショッキングな一撃があれば、まだ生体機能は活動を開始し始め、多少は物事も動きやすくなるし、ガチガチの状態から抜け出しやすくなるんじゃないかって期待があるからです。だから、政権交代。これは、オーストラリアのように、政権交代が当たり前の国に住んでると特に思いますよ。
ただ、今回の選挙で、面白いというか、困惑しちゃうのは、自民党自体が最初から分裂してしまっていることです。
日本的なるもの、自民党的なるモノをこの際一回リセットしましょうという人は、自民党に投票したらいいのか、しなかったらいいのかです。なんか、パズルの問題みたいですよね。自民党を潰そうという当の本人が自民党の総裁なんだから、それに賛同する人は自民に入れたらいいのか、入れなかったらいいのか。反自民ということで、自民にいれないで、自民党が敗北したら、小泉さんは責任とって退陣になり、守旧派が返り咲いて、結局自民潰しの試みも終わります。じゃあ、自民に入れたらいいの?というと、うーん、、と。困りましたね。なんせ比例代表もあるので、自民にいれたら守旧派が当選することにもなりかねない。
だから、小泉さんとしては、それを避けるために、法案反対した議員を自民党から追い出すわけですよね。公認を与えず、対立候補を出すことでハッキリ色分けしたいのでしょう。自民党を潰したい人は自民党公認になり、自民党を残したい人は自民党から出ていくという。なんかおっそろしく倒錯してますけど、正しい戦術だとは思います。国民新党が出来たようだけど、ああいう動きがどんどん加速していけばそれだけ分かりやすくなるということでしょう。その意味でいえば、選挙が始まる前に、どれだけ公認を与えないか、どれだけ対立候補を出すか、そして地縁ネットワークの元締めである各地の自民党県連連中がどう対応するか、それである程度の体勢は読めてくるように思います。
ただ、今回のことで、小泉さんもケンカが上手いなと見直した部分はあります。自分が自民党を出て新党を作るよりも、こういう体制の方が勝率高いですもんね。なぜなら、自民を出て新党を作ると、「あえて自民体制に反対する人」だけが投票するけど、今の状態だとそういう明確なポリシーを持った人だけではなく、どっちつかずの人も長年自民に投票しているから何となく惰性で自民党に入れてしまうって場合も多いと思うのですよ。自民党支持者というのは、もともと保守的で、動きの鈍い人が多いでしょうからね。こういう人達が迷っていたら自動的に自分の支持票になってしまうという情勢でケンカを吹っかけるのは、戦略的にも理にかなってるなと思います。これはもう錦の御旗をもってる奴の「地の利」ですよね。多数決を取るときとか、裁判で立証責任とかいうのと同じ発想ですが、自分が「○○だということを証明せよ」というのと相手に「○○でないことを証明せよ」というのとでは有利さは天地の差があります。多数決でも、「敢えて反対な人」と相手側に手を上げさせた方が、どっちつかずの人間をこっちに取り込めるから有利です。また小泉さんがこの選挙でもし負けても、「やることはやった、戦った、貫いた」という政治家としてのイメージや評価は残りますから、その後新党を結成するにしても、民主党と合流するにしても、なにかとやりやすいでしょう。
もう一つ上手いなと思ったのは、自民党県連などの、これまでの自民党を支えてきた支持基盤、ネットワークがこれでズタズタに引き裂かれることです。郵政民営化は特定郵便局長会を封じるところに狙いがあるのだと書きましたが、今回のことで、特定郵便局長会のみならず、あらゆる自民党の集票マシンとなっていた支持組織が、新党支持か自民支持かで組織内部が割れる筈ですし、実際に割れてます。8月21日の朝日新聞によると、そのあたりの事情が記されています。
「全国農業協同組合中央会(全中)の宮田勇会長が「所属政党はこだわらず、農政に尽力されている方を応援したい」と語ったのは、衆院解散2日後のことだ。「総選挙で首相に恩を売らないと何をされるか分からない」「いや、小泉さんはどうせ後1年だ。恐れることはない」。全中幹部らには不安と強気が入り交じる。 (略)
「郵政ショック」は、長年の自民党の集票組織に次々波及している。「内実は小泉支持でもないんだが、支持せざるを得ないかも……」。日本医師会の幹部は苦しい胸の内をそう語る。 福岡10区の自見庄三郎前議員は、医師会出身の重点候補。だが、郵政法案で反対票を投じて党公認を外された。党本部は対立候補を立ててくる。それでも福岡県医師会は18日、自見氏の推薦を決めた。長年のつきあいを優先してのことだが、分裂選挙に戸惑いは深い。首相は医療制度改革で診療報酬を引き下げるなど、病院の経営基盤を直撃する措置を打ち出してきた。郵政問題で支持団体を容赦なく切り捨てるのを横目に、日本医師会の別の幹部は言う。「もう自民党は団体を頼りにしないかもしれない」
特定郵便局長OBらでつくる「大樹」が18日開いた全国組織会議は、荒れ模様だった。 法案に反対した前職らは苦境にある。「彼らを組織として守らなければ、筋が通らない」。田中弘邦会長が主張して国民新党への支援は決まった。だが、「反自民」にまで踏み切るかどうか。 「民主党も支持すべきだ」との強硬論が出れば、「長いつきあいの自民党を簡単に切れるもんじゃない」と異論も。結論は「自主投票」だった。
ねじれた構図は、保守王国の佐賀が典型だ。1区は郵政法案に賛成の新顔、2区は分裂、3区は党本部が保利氏にぶつけてくる候補待ち……。郵政法案に反対した今村雅弘前議員を封じようと党本部が2区に擁立を決めたのは、元郵政公社職員の土開千昭氏。佐賀の大樹は今村氏を支援して対抗する方針だが、1区では民主前職と争う自民新顔が法案賛成派と、入り組む。 「法案に反対した民主前職を推したい気持ちはあるが、自民党の職域支部である以上、それはできない」。辻氏はそう語った。 」
という感じで、全国の自民支持組織こそいい迷惑という気もしますが、もともとこういう組織を全部一掃させたいというのが首相の考えであるならば、それは選挙当日を待たずしてオートマティックに打撃を与え続けることになるでしょう。
あと、小泉氏がしたたかだなと感じたのは、話題のホリエモンこと堀江氏の広島への出馬への歓迎メッセージです。ホリエモンの出馬と自民党の事実上の公認という流れは、一見「あれ?」という感じもしますが、よく考えるとうまく出来ているなと思いました。「政治をナメてる」となにかと叩かれる堀江氏ですが、小泉さんにとっては棚からボタモチみたいなものでしょう。理由その1は、反対派の頭領である亀井氏の選挙区では、誰を対抗馬に出してもまず負けるんじゃないか。そのくらい亀井氏のホームタウンでの実力は強いだろうと思われます。それだけにヘタに有力な対抗馬をぶつけて消耗させるのは勿体ない。そんな折に、降って湧いたようなホリエモン出馬は願ったりかなったりでしょう。もう1点、ホリエモン出馬で興味本位のマスコミが面白おかしく書き立てるだろうし、選挙がこれで面白くなる。選挙が面白くなると、特に若い世代の浮動票が動く。これは伝統的な自民にとっては不利です。自民党というのは、確固たる集票マシンである地縁ネットワークを使った組織票で勝ってきた政党です。国民がドッチラけて投票率が最低という状況が自民にとっては理想です。だから、シラけるようにシラけるように話をもっていきたい、出来るだけ浮動票には棄権してもらいたい。ところが、若い世代に人気があるホリエモンが立つことで、世間の選挙への関心は高まり、投票率も上がり、それが小泉首相への追い風になるということです。
ホリエモンにしたって、選挙に落ちたところで、別に彼にとっては痛くも痒くもないでしょう。あの人は、ドンキホーテ的な行動力と無鉄砲さが売りなのですから、「やるだけやった」という行為は、実績や勲章になりこそすれキズにはならない。それにあのくらいの年齢だったら暴れたいでしょうし、暴れるべきです。人生には”旬”の時期があり、その時期にガンガンやっておかないと、「もう少し地力をつけて」なんて待ってると潮時を逃します。あのビートルズだってそうでしょ。あれだけ天才的に名曲を大量生産していたビートルズも、解散した後はこれといった名曲は生み出していない。レノンの「イマジン」くらいでしょ。人生には誰にでも神がかってる時期があり、その時期にどれだけやるかです。いけるところまでいって、何かをやれば必ず何かを学びます。あの人、そんなに頭良さそうには思えないのですけど、でもドンキホーテをやる度に物凄く学んでると思いますよ。あれだけあちこちと衝突して小突き回されていれば、高速学習みたいなものでしょう。人がしたたかになったり、老成したりするのは、経験さえつめばそんなに難しいことではない。ガンガン暴れて、学ぶだけ学んだあとのホリエモンが見てみたいですね。
文責:田村
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