オーストラリアの大学が大変なことになってるようです。といっても、別に突如として変になったわけではなく、前々から言われていたことではあるのですが。今週末の地元の新聞SMH(Sydney Morning Herald)で大々的に特集しているので、オーストラリアの大学進学に関心ある方もおられると思い、ここに紹介します。
なお、いつまでこの記事が公開されているかわかりませんが、いちおうリンクを挙げておきます。
大部なのでイチイチ正確に全文を訳すことはしませんが、あんまり要約しすぎるとニュアンスが分からなくなるので適当に訳出しておきます。とかいいつつ98%くらいはそのまま訳しちゃいましたけど。
Campus critical
The privatisation of learning has come at a huge cost, write Debra Jopson and Kelly Burke.
教育機関の民営化は結果的に非常に高くついてしまった。
エレベーターはビールの匂いがした。驚くには値しない。このエレベーターが最初に止まるフロアは、巨大なパブだからだ。4階まで上ると、パソコンがぎっしり詰め込まれたフロアに洒落た受付デスクが設置され、その上には大学のロゴの旗が掲げられている。ようこそ、バララット大学シドニー分校へ。
この風景は、インドからやってきた学生をひどく失望させた。22歳になるマリック君は、地元インドの大学でビジネスの学士号を取ったあと、しめて2万4000ドルの学費を払って、このバララット大学のIT修士コースを選んだのだった。コースは、インターネットで見る限り素晴らしく思えた。しかし現実は、オフィス街の中のガランとした倉庫みたいなパブの上にある、ろくすっぽ蔵書もないようなキャンパスだった。
「キャンパスはシティの真中にあるって聞いてたんだよ。まさかこんなに小さなブランチだとは夢にも思わなかった。ジムとプールとかキャンパスがあって、大きなビルの大きな大学なんだって思ってた。大学って、こんなにもパブの近くにあるもんじゃないし、少なくともホテルの中に大学があるってのはどうかと思うよ」と彼は言う。
オーストラリアの大学生の5人に一人は海外からの留学生だ。郊外にある8つの大学が、シドニーの都心に似たようなブランチを設けており、7500人あまりの留学生を収容している。留学生のリーダー達は、留学生はもっとちゃんと扱われるべきだと主張する。そう、彼らは我々の教育システムの救世主なのだ。
9年前、連邦政府が大学助成金を大幅にカットしてからというもの、オーストラリアにある37の公立大学の殆どが財政難に喘ぎ、授業料全額納付の留学生達を追い求めることになった(注:国民である学生は国から補助が出るので一部を支払うだけでよいが、留学生は全額負担=ゆえに大学にとってはおいしいドル箱になる)。
しかしこの動きは大学の基盤をより危うくすることにもなった。助成金減額と政府の「起業家精神旺盛な大学」の創出への圧力は、幾つかの大学を存亡の危機にまで押しやっている---ということが今回の我々の取材で浮き彫りにされた。
「大学の財政という意味では、今我々は完全に留学生に依存しているといっていいでしょう。少なくとも現在の留学生のレベルが継続してくれないことには、オーストラリアの大学は財政危機を迎えるでしょう」と大学理事会の副理事長のサットン氏は述べる。
補助金の減額と海外留学生の大量流入は、大学の教育レベルを押し下げることになった。いくつかのケースでは大学の入学基準を引き下げたり、英語に不慣れな留学生を助けるためにコース科目を取り易くしたり、採点を甘くしたりしている。そうこうしているうちに、講義室は満員になり、学生と教官の割合比率は増加する一方である。
大学の教育機関としてのスタンダードは、あらゆる点で問題をはらんでいる。
教育機関としての品質に関する問題
学生と教官の割合は、一貫して上がり、これが教育の質を下げている。1993年この比率は14(学生14人に教官ひとり)であったものが、2003年には21にまであがっている。一番良くないのはクィーンズランド州で、次に悪いのがNSW州で、その比率は26だ。
大学の人的物的資源は限界にまで達し、いくつかのチュートーリアル(これはもともと少人数で行うべきものなのだが)は、 60人までに膨れ上がっている。西シドニー大学の教員は、2004年度に1800万ドルもの歳入欠陥(これは留学生数の頭打ちなども原因の一つである)をかかえて学生と一対一の教授機会をカットするように膨大なプレッシャーを感じているという言う。そして、複数選択肢回答や短文回答形式の課題が脚光を浴びる(採点が簡単→コストが安く済む)。
同大学の経営上層部は、こういった指摘を否定し、同大学には学生とのコンサルティング時間に関する一般的な規則はないという。しかし幾つかの学部の教官達は、学生に手間を掛け過ぎだと当局から言われたと言う。学生一人・一学期あたり1時間以上査定に時間をかけるな、対面コンサルティングも最大30分までにしろ、と。
シドニー大学においては、看護学の3年次のチュートーリアル=そこでは患者に投与する薬剤の計算方法も含まれているのだが=に、48人もの学生が詰め込まれていたと、学生代表者はいう。
チャールズスタート大学の教職員組合によると、かつて学生60人に教官3人だったのが、いまや教官一人にまで減らされているという。
ニューカッスル大学の工学部の学生は、前学期に、50人も学生と一緒にチュートリアルに参加したと言う。
言語(英語)の問題
コースを履修するために必要な英語力を持ち合わせていない留学生の急増に大学当局は頭を痛めている。留学生側も、大学から十分なサポートを受けていないという。地元学生に比べて、留学生の落第率は5−20%も高い。
ニューカッスル大学の留学生協同組織は、何度も落第しつつも奮闘している留学生についてのケーススタディを行った。ある学生はもう大学に5年も在籍し(一般的には3年)、24科目中一科目しかパスしていない。大学の規則とは異なり、その学生はいまだ当局の修学困難者リストにも載らないし、カウンセリングや補講のオファーも受けていないという。
同大学の副学長は、留学生がしばしば履修困難に陥っていることを認めつつも、「留学の落第の原因は多岐にわたるし、必ずしもアカデミックな理由や教授方法の問題に起因するものばかりではない」と言う。
マッコリー大学経済学部のアベルソン教授は、彼の2年コースで40%の学生を落第させた。「なかには4回も5回も落第する学生もいますよ。少なくとも6回落第した学生を知ってます。非常に馬鹿げた状況と言わざるを得ません」
民間ビジネス学校であるSIBTを修了し、マッコリー大学の2年次に編入した学生達の落第率はなんと66%にも及ぶという。アベルソン教授曰く、「サマースクール(夏季集中講座)の落第率は60−70%にも達します。こういった(基礎学力や英語力に劣り、大学の勉強についてこれない)学生を、ただお金になるからといってホイホイ入学を許可するのは不誠実なやり方だし、私からしたら、我々はどんどん詐欺商法に手を染めつつあるとすら言えます」
マッコーリー大学の会計学の教官ヘイゼルトン氏は、「入学のための基準が緩和されつうあります。特に不十分な英語力のまま入学が認められる留学生が顕著な例ですが、こういった状況が大学の水準を押し下げているのは疑問の余地のないところだと思いますね。そしてそれが通常のルートで入学してくる地元学生に不利に働いているのも事実でしょう」と言う。
しかしながら、マッコーリー大学副学長のアダムス氏は、こういった主張を「ゴミ同然(rubbish)!」と言って切って捨てる。「英語を母国語をしない学生を受け入れる道筋は様々あると思いますが、それが大学のスタンダードを押し下げていることはないですよ。マッコーリー大学に在籍する7500人の留学生たちに課せられている英語水準は他の殆どの大学よりも高いし、入学に必要とされる学業レベルもまた高いんです」。ところで、同大学の留学生の出身国はどこかというと、「中国、中国、そして中国」ということで、中国からやってきている学生が3000人を占め、その他香港出身者が900名もいるという。
SIBTからの編入してくる学生達についても、他の直接入学者と同じレベルの英語水準が要求されるし、「彼らは総じてよく頑張ってますよ」とアダムス氏は言う。
また、アダムス氏は、半分以上の科目を落とした学生について、大学当局は移民局に通報する義務を負うという。そして移民局は彼らの学生ビザを取り消す権限を有するのであり、このことが学生達の成績を向上させている。「お望みならば、お尻を蹴飛ばしてあげようか?」というわけである。
アダムス氏はサマースクールの落第率そのものは知らなかったが、夏季の間は学生だってもっと他のことをやりたいでしょうね、例えばマンリービーチとか、だからそんなに高成績を期待してないという。
PLAGIARISM(盗作・剽窃)
海外留学生が増えるに連れ、インターネットを使った論文の盗作が増えてきているという。チャールズスタート大学の上級教官であるマックギリン氏は、「こっちの問題の方が重要ですよ」という。
「さらに問題なのは盗作の探知が難しくなってきていることなんですよ。つまり、英語以外の文献を探してきて、これをパクって、英訳して仕立ててくるんです」と、シドニー大学の政治経済額のローズウォーン氏は指摘する。
セントラルクィーンズランド大学の内部書類によると、「教官達は、常に盗作問題や文献引用の不自然さに頭を悩ましている」と記載されている。
ある大学の教官は、「あんまり盗作問題に目くじらをたてないように」というプレッシャーもあるという。
西シドニー大学応用財政研究所所長でありかつて学生懲戒委員会を勤めていたヴァレンタイン氏は、過去8年間に6人の留学生を盗作を理由に落第させたという。「採点してたらわかりますよ。そんなに上手な英文を書くわけでもないのに、ある部分になると突如3ページにわたる完璧な英文になるんですからね。この部分は”ピーターカーレイ(オーストラリアの著名な作家)著”とでも言うべきですよ」
「大学は、留学生達に初歩的調査スキルを教え、独創的な考察や批判的思考を育むに足るだけの十分な設備を用意していません。当局は、留学生にそんなに手間をかけたくないんですよ、彼らがもってくるお金だけに用があるんです」
同大学の海外留学生事務所のダイヤー氏は、「ウチの大学では盗作なんかしなくても済むように、留学生に無料のワークショップを開講してますし、個別指導サービスもやってます。それでも、年間50件くらいは盗作が問題になりますよね。ただ、海外留学生の方がよく盗作をする傾向にある、という証拠はありません」
SOFT MARKING(甘い採点)
全国大学教育組合のNSW州書記としての立場で、前述のローズウォーン氏は、大学が拝金主義に堕落していると、再び警鐘を鳴らす。
彼の所属する学部のスタッフは、採点基準が下がってきている事実をレポートしている。合格レベルに達するのはおろか、最も中核的技能の修得すらおぼつかない、英語能力の劣等な留学生たちをなんとか卒業させてやるために、こういった採点基準の低下現象が起きているのだ、と。
「通例、我々は優・良・可・不可(こっちではhigh distinction, distinction, pass, credit, fail)の割合比率にしたがって採点し、これらは山なりのカーブを描きます。しかし、不可の学生に”下駄をはかせる”ようなことすると、山全体を移動することになってしまうのです」
アベルセン氏は、「マッコリー大学でも同じですよ」と言う。
オーストラリア国立大学の名誉教授アンダーソン氏は、2年前に、12大学の半数以上の教官たちに調査を行った。彼は言う「採点基準はたしかにインフレ傾向にありますね。また学位修得に求められる学業水準は低下していると考えられます」
アンダーソン教授は続ける。「あれから事態が改善の方向に向かっていると信じるべき根拠は、残念ながら何もありません」
彼の調査によると、大学経営当局から教官達に対して、本来ならば落第させるべき者を及第させろという圧力が存在する。ある大学では大学の最高首脳部から、”これよりHD(最優秀)とD(優)についての考査基準を甘くしろ”というお触れがでたという。多くの教官たちが大学の水準を落としているのは、入学基準の低下、貧弱な教育資源、そして”上からの圧力”だという。
アンダーソン教授は、状況の改善は期待しがたいと論陣を張る。ただ、少人数クラスと対面教授は例外となりうるだろう(こういったところはレベルが下がらない)という。
民営化が進行するに連れ、大学のカリキュラムも歪められている(skewed)。職業訓練的なコースは、授業料を払う学生の増加とともにもてはやされる一方、伝統的な科目、特にアートや、あるいは「ソフトな」科学部門は存亡の危機に立たされている。
海外留学生が落としていく授業料をもって、不人気な科目(例えば言語学や哲学)の補助をしたとしても、収入が落ちてきたり、当局がさらなるコスト削減に走れば、カットされる傾向にある。
NSW大学の人文地理学は、去年、経営的にペイしないという理由で存亡の危機に晒された。存亡闘争のあと、この科目は、他の学部の中に安住の地を見出した。
ニューカッスル大学では、大学院の19のコースが、削減対象の俎上に乗せられているという。
入学希望学生を12人以下しか集められなかった大学院のコースは、「コスト的に中立」あるいは「不採算」として定義され、さらには採算ベースに乗る優良コースから学生を引っ張ってくる(大学の儲けを減らす)という意味で、経営的には「お荷物」とすら見なされ、削減対象になる。
連邦政府の教育相ブレンダン・ネルソンでさえ(注:この大学の金欠状況を作った張本人)、科学系や人文科学系の科目を存置させようと大学当局は「血を流して」戦っているという。
彼は、殆ど学生が集まらない科目はカットすべきであると主張する。しかし、彼においてさえ、西シドニー大学のなしたPodiatry(足治療学)を削減したという決定には激怒した。彼は、「西シドニー大学当局は、下らない大衆人気に迎合し、オーストラリア社会において核心部分で何が求められているかという部分をないがしろにした。こういったポピュラーなコースはいくらでもある。超常現象コースにせよ、懐疑主義にせよ、サーフィン教室にせよ、スィンバーン大学のドラッグクィーンコースなんてのもある(注、本当にメルボルンのスィンバーン大学の社会人コースでは、ドラッグクィーン(ゲイの女装)のコースが開かれて話題になった=ただオーストラリアのこの種の技術は世界でも有名らしい)」
「学生教官の割合比率は必ずしもその質の高さと比例しない」と、ネルソン教育相は言う。そして、「各大学はそれぞれ入学における英語レベルを自由に設定できる。私のところに寄せられる苦情のうち、英語が出来ない学生に関する苦情よりも、教官が何を言ってるのか理解できない学生に関する苦情の方が多いのだ(英語力が問題なのではなく、学力不足の方が問題だ)」
ネルソン氏は、連邦政府が大学補助金を打ち切ったという批判を否定し、打ち切ったのではなく年々増加する補助金の上昇率を遅らせただけだという。彼の企画する大学改革案によって、この先5年にわたって大学は26億ドルもの補助金が給付されることになっている。
ネルソン教育相は企業的大学がいまここに出現しつつあるという。「大学間で商業的に競争が行われ、優秀な経営が求められている。大学というのは、単に高品質の教育を授けていればそれでいいというものではない」。
大学がアジア以外の国々(留学生出身国のベスト10のうち8カ国はアジア)、つまり中東、欧州、南米の学生を集められるようにするため、政府は1億1300万ドルの予算を計上している。
しかしながら、大学の教育水準について不満を抱いているのは教官や地元学生だけではないという危険信号も点されている。
サットン氏は、海外留学生の数は、2004年でピークを打ったとする指摘がなされていると言う。
ニューカッスル大学に入学する留学生数は今年9%落ち込んだという。西シドニー大学では昨年に2年前に比べて2000人の減少を記録し、同大学に800万ドルの歳入減少をもたらした。
研究報告によると、海外留学生達は、往々にして大学生活に失望するという。理由はまず英語の難しさ、そして異なる文化に慣れないということ。そしてまた、ポツンと孤立しているシティキャンパスに篭って、地元オーストラリア人との交流も殆どないという現状に対して。
全国連絡協議会の主催者であるタター氏は指摘する。「彼ら(留学生)は、オーストラリアにおいて素晴らしい体験をしたいと希望してやってくる。しかし、それは果たされない。そんなことは起きていない。それはただの広告宣伝文句にしか存在しない」と指摘する。
「海外留学生の間には、払ったお金に見合っただけのものが得られないんじゃないかという見方が広がっています。これは大学にとって非常に危険なことです。なぜなら大学の評判というのは大抵口コミで広がっていくものなのです」タター氏は続ける。
「教育の質にも問題があります。留学生達は満足していません。大学卒業の資格によっていい職を得られなかったら、その資格に何の意味があるというのでしょう。高いお金を払って投資する価値があるでしょうか」
同委員会の教育関係の事務官であるアブセイレム氏は、「大学の行っている過激なまでの売り込みは、結果として学生を失望させ、悪い印象を植え付けています。留学生は、町の図書館に毛が生えた程度の、留学生のために特別にしつらえたキャンパスに押し込められているのです」という。「もう皆クオリティのことなんか考えてませんよ。ビジネスだけですよ。利潤をあげて、プロジェクトを成功させ、維持させなければならないんだ、とね。こういった態度が、ゆっくりゆっくりブランドネームを殺していくということさえ気付いてないんです」
さて冒頭のバララット大学シドニー分校のマリック君に話を戻そう。かれは留学生専用のようなキャンパスに押し込められ、メインキャンパスの学生たちとあまりにも隔てられているため、「オーストラリア人は大学院に行かないんだ」と誤解してしまっていた。なぜなら、彼のキャンパスにオーストラリア人学生を見かけないのだから。
それでもマリック君は、シティライフや温暖な気候を楽しんでいるし、イギリスやアメリカに留学するよりは安く済んでいるという。そして、11月に修了して学位が取れて、うまくいけば現地で仕事がみつかるかもしれないという希望を抱いている。でも、彼が今度大学を選ぶとしたらシドニー大学がいいという。「だって、キャンパスがずっと大学っぽいでしょう?」
既に長くなってしまったのですが、関連記事による情報を多少掲げておきます。
2005年2月現在の海外留学生の出身国籍ベスト10
中国29859人、インド15323人、マレーシア13580人、香港9271人、インドネシア8002人、シンガポール7250人、韓国4349人、タイ4070人、台湾3095人ときて、第10位に日本2832人。というわけで、あなたがオーストラリアの大学に留学したら、クラスの中で平均して10人の中国人と5人のインド人に囲まれる計算になりますな。もっともこの程度の比率だったら、ウチの近所を歩いたって似たようなもんだろうし、そもそも社会全体でいえばその数十倍のオーストラリア人がいますけどね。ところで記事の本文には「10か国中8カ国がアジア」と書いてあったけど、インドもアジアに入れたら全部じゃないか。なんか本文と資料が食い違ってるような気がします。
FACT SHEETS
1990年から2003年の間に、オーストラリアの大学生の数は、48万5000人から93万人にほぼ倍増した。
1994年から2003年の間に、海外留学生の数は4万人から21人万人に5倍強増になった。うち5万8000人は海外で授業を受けている(オーストラリアの大学の海外分校でしょう)
1995年から2003年の間で、学生に奨学金年間返済額が2617ドルから4411ドルに上昇。政府の学生一人当りの補助金は1万3351ドルから1万1612ドルに低下、大学のフルタイムのスタッフ数は10%の増加だが、全学生数は40%増加している
各大学のうち、海外留学生による収入比率が高い大学は、セントラルクィーンズランド大学(全収入の38.2%が海外留学生)、カーティン大学(WA,24.2%)、マッコーリー大学(22.8%)、RMIT(VIC、21.7%)、ウーロンゴン大学(20.7%)、モナシュ大学(17.9%)、NSW大学(16%)、サウスオーストラリア大学(16%)、メルボルン大学(14.9%)、西シドニー大学(12.6%)、シドニー大学(11.7%)(以下略)。
オーストラリアの大学の授業料の歴史:1974年には労働党政権が授業料無料化、80年に留学生の授業料を有料化、87年地元学生も有料化、同時に留学生については全額納付制に、89年労働党政権、大学数を増やし(カレッジの昇格)、かつHECS(奨学金制度)導入、96年ハワード連立政権、大学補助金を6%カット、奨学金制度40%上昇、大学院有料化→大学の留学生獲得競争始まる、2001年労働党支配の上院が大学補助金上昇を決議したが下院で否決、2003年補助金の算定方法を変更、大学の授業料賦課方式自由化(全額納付の地元学生の存在を認める)、2005年政府改革案では大学のさらなる授業料賦課を認める。
以上です、お疲れさまでした。
この10年くらいオーストラリアの大学が大きく様変わりしていることは、ちょくちょく新聞やニュースでも流れるので聞いていましたが、あらためて見るとかなり大変なことになってますよね。
日本でもそうですが、政府がどんどん大学の面倒をみなくなっていますよね。ただその背景にあるのは、学生数の大幅増加なんだろうなと思います。「なんでそんなに皆さん大学にいくの?」というくらい大学生の数が増えています。まあ、世代人口でいえば団塊ジュニアの数が大きいので学生数も自然に増えるだろうし、それに合わせて大学数も増えるのでしょう。また、時代が豊かになるにつれ、高学歴社会になるのでしょう。しかしね、それにしてもね、猫も杓子も大学にいかんだっていいだろうが、、って気もちょっとしますな。
ともあれ大学生の数が倍とかいうメチャクチャな増え方をしたら、いくら好景気に湧くオーストラリアでも面倒見切れないってのはある種理解できないでもないです。教育相のネルソンだったかな、この人、もう諸悪の根源のようにいわれてますが、いつぞや読んだ記事では本人は結構確信犯であり、且つときとして説得的だったりします。僕のいい加減な理解によると、彼の確信は、税金を何に使うべきか?ということですよね。高等教育を受けたいという学生の志は尊いが、それは身寄りのないお年寄りや、生活苦にあえぐ家庭や、旱魃にあえいでいる農家や、激しい国際競争に晒されている中小企業や輸出業者や、道路渋滞や、テロ対策や、、、、などを差し置いてでも税金を使って補助しなきゃいけないのだろうか?そこまで大学生を保護しなきゃいけないのだろうか?ということですね。ええやん、お前ら、大学に行けるくらいなんだから生活に不安もないやろ?もっと他に大変な人はおるんじゃ、ということなんでしょうねえ。
また、大学というところは経営的にいえばダレている面もあります。十年一日のように硬直した組織、象牙の塔や白い巨塔的な閉鎖性、税金の無駄遣いが沢山あるんじゃないか?と。終身就業権なんてのもあるし。だから競争原理を大幅に導入して、シェイプアップしてもらいたいというのは、いかにも社会保障よりも自由経済を謳う自由党連立政権らしい発想だとも言えます。まあ、わからん話でもないです。
しかしね、それにしてもね、と又思ってしまうのですが、オーストラリアの大学の授業料は結構高額になってきてます。地元民だっておいそれと払える額じゃないです。ましてや留学生をや。もっとも、ライバルのアメリカ、イギリスも高額化しているのでしょうし、留学生の母国だって似たようなもの。日本の大学の授業料もかなり上がってるのでしょうね。
---と書いて、一体今日本の大学って幾らくらいかかるか気になったので調べてみました。
旺文社パスなびという面白いサイトで調べると、アホみたいに高額な医科歯科系は別として、国立大学で授業料53万、入学金28万くらいですか。初年度80万。私立はバラバラだけど、まあ初年度100-150万くらいでしょうか。僕のときは特に授業料が安いことで大学選びをしたくらいですが、それで授業料17万、初年度30万でお釣りがきました。まあ、それと比較は出来ないにせよ、上がってるっちゃ上がってますけど、意外と大人しいですよね。オーストラリアみたいに10年間で倍(なのかどうかは知らないが、そんな感じがするくらい)に比べれば穏やかなものです。僕は1979年に大学に入りましたが、仮に僕がオーストラリアに生まれ育って同じ年に大学にいってたら、その頃だったら完全無料でしたもんね。まあ、昔話はさておき、現時点で比較しても、絶対額でいって、日本の大学のほうが安いじゃないですか?こっちに留学しようとすれば年間150万から200万くらいします。生活費も今やこっちの方が安いってこともないし。
抽象的に言っても信憑性に欠けるかもしれないので、例えば僕がシドニー大学の法学部に入るとして調べてみました。入り方は3つ。永住権者として地元学生と同じく入る方法ですが、これも二つにわかれて@政府から補助をもらって入る場合と、A全額自分負担で入る場合があります。あるいはB日本からの留学生として入る場合。この費用がいくらかですが、@については
ここ、Aについては
ここ、Bについては
ここにリンクをはっておきます。ざーっと見ていくと、大体@で8,018ドル、Aで19200ドル、Bで20160ドルという感じですね。もっとも、@は法学部は医歯系と同じく将来高収入になるから高く設定されているようです。安い学部だと3800ドルくらいからあります。なお、よく読んでみると、単に永住権だけでは@はダメみたいですねー。市民権かPermanent Humanitarian Visa だけが認められると書いてありますね。あれ?そうだったかしら。まあ行く気ないので僕はいいですけど。
これ、以前はAなんかなかったんですよね。基本的には全部@で、国民だったら全員政府がサポートしてくれた(もちろん自己負担分も払わなければならないけど)。ただし希望すれば誰でも入れるわけではなく、席数は決められていて、HSCという高校卒業試験(共通一次のようなもの)の成績によって入学可能かどうかが決められる。しかし、Aが導入され、本来なら入れない筈の学生も、全額負担すれば別途席を用意するという、なんか正々堂々と裏口入学をやっているかのようなシステムが導入されます。理由は大学が潤うからですね。でもこれで大学の水準は結構下がったという批判の声はあります。
地元民として政府の完全サポートを受けたとしても法学部にはいろうと思ったら初年度8000ドル。65万円くらいですか。高いですよね。日本の国立大学と似たり寄ったリかもしれない。まあ法学部だから高いのであって、教育学とか人文科学だったら30万円くらいで、これは日本の国立大学よりも安いです。しかし、それは国民であった場合の話、それなりに学力あっての話であって、留学生の場合は、一番安いコースでも1万6000ドルくらいします。いやあ、ぼったくるもんです。3倍見当で学費を払ってくれるんだから留学生様々だと思いますよ。そしてこれが、上記に述べた記事の遠景にあるわけですね。
そこまでしてまで大学なんか行かなきゃいけないのかねえ?という素朴な疑問があったりします。大学ってそれほどのもんなの?という。でも、まあ、行かなきゃいけないんでしょうねえ、皆行ってるんだから。でもなあ、「そーなんかなあ」って気もしますな、、、どうなんだろ?まあ、一ついえるのは、皆が競って軍隊に入りたがる時代よりは確実にいい時代なんだと思いますけど。
今回は記事の紹介がメインですので、このくらいにしておきます。既に大分紙数も費やしてしまったし。また考えておきます。
文責:田村