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今週の1枚(05.03.28)
写真は、Hornsbyの商店街から駅に向かう道。写真中央、遠くに見えるのが駅舎への階段。
長かった英語シリーズも一区切りをつけて今週からまた普通のエッセイに戻ります。
そういえば今週でこのエッセイも通算200回を数えるのですね。キリのいい番号、いわゆるキリ番ですが、だからといって特別なことをするつもりもないですけど。旧エッセイの雑記帳時代から通算すると300本ばかり書いてることになりますが、我ながらよくまあそんなに書くことがあるよなと呆れますが、実際のところそんなに書くことなんかないです。いつも言ってますが、ネタ切れで苦しんでいます。「書きたいことがあるから書く」という幸福な時代は、雑記帳の初期くらいでしょう。あとは、「何か書かなきゃなー」で無理やり書いてるという。無理やりだろうが何だろうが、とにかく書きつづけるという、一種の修行みたいなものですね。
ただ、この修行は、それなりに役に立ってると思います。皆さんにもオススメしたいくらいです。ある程度まとまった内容のものを書くとなると、数時間、場合によっては十数時間、立ち止まって考えなければならないし、その考えを形にしなければなりません。まずこの「モノを考えるクセ」さらに「考え続けるクセ」をつける、維持させるという点で効用があります。英語で、"deep thinker"という言葉がありますが、そんなエラそに言えるだけ「深く物事を考える人」になれているとは思いませんが、そういう方向に進んでいくことは確かです。それは悪いことではないでしょう。なんといっても、年をとっていくと、どんどん身体がボロくなってきますし、能力的には落ちる一方です。そうなると唯一の取り得は「頭がいい」とか「洞察力がある」とかいうインテリジェンス系のことしか残されてないんですよね。部族の長老みたいなものですね。ここで面倒臭いからといって、モノ考える修行をやめちゃうと、ほんと老いぼれ街道まっしぐらになりかねないって恐さもありますからね。
「老化防止」などという消極的なものではなく、もう一歩進めて「全人生を通じて今が最高水準」というレベルを押し上げるような意気込みで頑張らなきゃと思うわけです。しかし、そんなことを考えすぎると、「ふーん、こんなもんが最高水準かい?」という意識が襲ってきて、何にも書けなくなっちゃいます。一方で強烈なプレッシャーをかけつつ、他方でそれを気にしないという、「緊張してるけどリラックスしてる」という矛盾した心境にいなきゃいけないのですが、それこそが「年の功」で、それなりに生きてりゃ結構出来るようになると思います。出来ないでどうする?って。
さて、先週の日曜から、シドニーのあるNSW州はサマータイムが終わります。今、これを書いているのはその日曜日当日で、さっき家中の時計を1時間遅らせてきました。
オーストラリアの各州でもサマータイムを行う州もあれば行わない州もあります。ただでさえオーストラリアは基準時が3つあるのですが、サマータイム時期になるとサマータイムを施行する州としない州との間でも時差が発生するので、基準時は4つになります。ややこしいでしょう?まあ、でも、オーストラリア中を旅行しまくっているのでもない限り、日常的にはそんなに不便は感じませんけど。
NSW州の場合サマータイムを行うのですが、さらにややこしいのは、NSW州においても、毎年いつから始まっていつから終わるかが決められ、年によっては微妙に違うときもあるということです。通例、10月から始まり3月に終わります。正確に言えば、10月と3月の最終日曜日の午前2時と3時の間に1時間早くなったり遅くなったりします。ほとんどこの例によりますが、2000年のオリンピックのときはオリンピック前の9月から早々とサマータイムを始めました。
「明日からサマータイムですよ、サマータイムが終わりますよ」というのは、地元のオージーだったら普通間違えないでしょう。子供の頃からそういう環境で育ってますから、自然と「そろそろかな」と思うのでしょうし、ラジオやテレビや新聞でもさりげなく会話に出てきますし、オージー同士の会話でも出てくるのでしょう。逆に言えば、大々的に政府広報パンフレットが各家庭に配られたり、広報カーが街中を走って連呼するなんてことはないです。
日常的にオーストラリア人と付き合ってる人や、新聞やテレビを見る習慣がある人(英語もわかる)だったら間違えないでしょうが、多くの在豪日本人、特に来たばかりワーホリさんや留学生さんはよく間違われます。大々的に広報をやってくれないから、普通に生きてたらまず気付かないでしょうしね。語学学校でもいってればクラスで先生が教えてくれたりするでしょうけどけど、そういう接点もないとほんと気付かない。聞いた話ですが、気付かないまま一ヶ月ほど皆と1時間ズレたまま過ごしていた人もいるとか。まあ、オーストラリアでのんびりやってたら、1時間くらいの差なんか取り立てて目くじら立てるほどのことでもないですけど。
前にも書いたと思いますが、確かめるスベとしては、サマータイムが近付いたら地元の新聞Sydney Morning Heraldを気をつけてみているといいです。通例、直前の日の新聞の2面か1面あたりの囲み記事に、右の写真のような時計の図が登場し、例えば今回だったら「3時になったら2時に1時間戻るよ」「だから土曜日にベッドに入る前に家の時計を1時間針を戻しなさい」と図解してくれます。
あとは、時報。1194で時報が聞けます。
さて、ここで問題です。さきほど、オリンピックがあるのでサマータイムを前倒しで実行したと書きましたが、それは何故なのでしょうか?これが「ああ、なるほどね」とピンとくる人はサマータイムとは何か、なぜそんなややこしいこをするのかがよくわかってる人だと思います。
以下、「わかってるようでわかってない」サマータイムについて書きます。
”サマータイム”というのは通称で、正式には”Daylight Saving System(Time)”といいます。
このシステムは僕ら日本人には馴染みが薄いので今ひとつ理解しにくいのですが、その本質は、この言葉が直接に示しているように「日中の光を節約する」というところにあると思います。
では、なにをどう「節約」するのか?
口で説明しているとわかりにくいので、急ごしらえでお絵かきソフトで下の図を書いてみました。
日本の横棒がかかれてますが、1日の日出・日没・日照時間が赤い部分で示されています。Daylightですね。上の棒は、比較のためにサマータイムではない普通の時期のものを置きました。春分秋分みたいなもので、日の出が朝6時で日没が夕方6時というわかりやすい設定にしています(本当は北半球の場合、3月の最終日曜という春分の日のすぐ後に始まり、10月最終という秋分の日から約一ヵ月後に終わりますから、こんなに図式的にはいかないのですが、とりあえず説明の便宜としてシンプルにします)。夏になりますと、日が延びますね。日照時間が長くなり、日の出も早くなれば、日没も遅くなる。これが下の横棒です。早くから夜明けになり、なかなか日が沈まない。
夏の時期には日の出が朝4時半、日没が夕方7時半になるとします。朝の5時前からもう明るくなってくるわけですね。これが「もったいない」と思えるかどうかが、ひとつのポイントです。もう太陽は出てるのだから、とっとと起きて一日を始めてしまえばいいじゃないかと。でも「一日を始める」といっても、起きたところで朝の5時だったら、会社が始まる9時までまだ3時間もあります。その間、ボーっと待ってるのも意味ないじゃないか。
だったら、と考えるわけですね。太陽の光にせっつかれるように早起きしたとしても、やることがなくてボケーとしてるくらいだったら、いつもよりも早めに物事を始めればいいじゃないか。つまり、1時間早めて、本当は今は朝の5時なんだけど、朝の6時ということにしてしまえば、始業時間まで2時間。起きて準備して通勤して丁度いいくらいになります。これがサマータイムの原点です。
そして、特にオーストラリアの場合ここがポイントなのですが、1時間早く物事を進めると、1時間早く物事が終わるわけです。つまり、仕事も1時間早く切り上げられる。退社時間が5時だとしても、本当だったら(サマータイムやってなかったら)4時ですからね、まだ全然お日様が高い位置にあるわけです。そこで仕事を終了できたら、日没までゆったり3時間半くらいあります。夏は日没後も残照で明るいですから、実質4時間くらい空くわけですね。で、「遊べるじゃないか」と。
だから、何のために節約するのか?というと、夕方にゆっくりじっくり遊ぶために節約するわけです。ここがポイント。
まだピンと来ないと思うから、太陽と関係ない事例を挙げます。
あなたがバイトに行くとします。どっかの河原にいって草むしりとか掃除を7時間やるというバイトです。本来は朝の9時から5時までなのですが、どういうわけか、1時間早く現場に着いてしまったとします。現場では同じように1時間早く着いた仲間がいてヒマそうにしています。現場監督まで1時間早く着いてしまっていました。全員1時間早く揃ってしまった。さて、どうします?ここまま始業時間の9時までの1時間、全員ぼけーっと河原で待ちますか?バカバカしいですよね?揃ってるんだったら1時間早めに仕事を始めればいいじゃないか。そうすれば1時間早く家に帰れるじゃないかって思いませんか?この発想がサマータイムの本質だと思うのですね。
もちろん実社会は河原じゃないし、別に早く着きすぎるってことはないのですが、「お日様はもう昇ってるのに=もうReadyになっているのに=ボケーっと待ってるのはバカバカしい」という状況は一緒です。だったら皆揃って「せーの」で時計を1時間早めてしまえばいいじゃないかってことですね。
オリンピックの時期にサマータイム実施を1ヶ月早めたのは、その分だけ夕刻に長く競技が出来るようにってことだと思います。大会運営から考えたら、競技時間は長い方がゆとりがあります。また、出来るだけ自然光で競技した方がいいってこともあるでしょう。また、「お祭り」ですから、仕事のあとゆっくり観戦できる時間が欲しいだろうし、夕方からの各種イベントもゆったり開催できるでしょう。そんなこんなで、オリンピックのある年は、10月ではなく9月からサマータイムを実施したのでしょう。
このことが皮膚感覚でわかるためには、やっぱりそういう生活しないとダメだと思います。僕もこっちに来てから実感として「なるほど」と思いました。特に、前に住んでいた部屋が東向きでカーテンがそんなに厚くなかったこともあり、痛感させられましたね。5時前から明るくなるのはいいとして、もう5時過ぎには本格的な陽射しが部屋に入り込んでくるわけです。こちらの太陽光線は暴力的なまでに強いですから、寝ながらジリジリと肌が日焼けするような感じ。「ような」というのではなく本当に日焼けしますもんね。もう寝てられるもんじゃないですよ、暑いですしね。だから、起きちゃう。でもまだ5時過ぎ。まだ朝刊も来てないです。やることないんですよねー。
というわけで、サマータイム、デイライト・セイビングがわかるための第一条件としては、陽が昇ったら起きて一日を始めるという「太陽とともに暮らす生活」をしてるってことだと思います。まあ、そのまんまズバリじゃなくても、太陽と自分の生活のリズムとがある程度関連してるような、気候や自然の変化とナチュラルにシンクロしてるという感覚、これが必要だろうと思います。
第二条件としては、ちゃんと定刻で仕事をやめられる環境があること。
第三の条件としては、アウトドアのライフスタイルを楽しめること。つまり、自宅の近所に行って楽しい海や山や公園がふんだんにあり、そこでの遊び方にも習熟していること、です。
オーストラリア的なサマータイムの感覚で言えば、これらの3つの条件がなかったらサマータイムなんかやっても意味がないし、混乱するだけって気もします。だって、何故やるのか皮膚感覚で理解できないし、やったことによるご利益も分からないわけですから。
そして、多くの日本人の生活の場合、特に都会生活者の場合、この3条件は中々満たされないと思います。
まず「太陽とシンクロ生活」ですが、都会に暮らしてるとそういう感覚は中々得難いでしょう。一日中ほとんど陽が差し込まない部屋に寝てる場合だってあるでしょう。実際僕が大阪で住んでたときは、寝室を廊下側にしたので陽射ゼロでした。「日が長くなった/短くなった」という季節感は、もっぱら日没時間の変化であり、日の出時間の変化には無頓着でした。
第二の「定刻で仕事をやめられる」ということは、公務員とかバイトでもなければありえないですよね。多くの日本の労働者の場合、定刻なんてあってなきがごとしだし、忙しかったら当たり前のように残業するし、皆が仕事をしてるときに「定刻だから」で帰るのはそれなりにプレッシャーがあります。もちろんやってやれないことはないでしょうが、物理的行動として出来るかどうかではなく、心理的に100%プレッシャーフリーかどうかです。つまり、定刻(契約時間)で帰るのを当たり前だと、周囲の人々も心から思っていなければならない。また、雇用主にしても残業をさせたら残業手当を払うわけだから、そんなコストのかかることをさせられない、もう蹴飛ばしてでも従業員を帰らせたいと思ってるかどうか。さらにその前提として、サービス残業なんかさせようものなら、たちまち労組につるし上げを食い、裁判を起こされ、世間でボロカス叩かれるという社会風土があるかどうか。でも、このあたりの環境は、日本の職場の場合はそれほど整っていないと思います。
第三に、周囲に日照時間が長いことをエンジョイできるだけのアウトドアリソースがあるかどうかですが、日本の都心部に関していえば、「そんなもん無い」と断言してもいいくらいかもしれない。日比谷公園や新宿御苑の一部をキャンプ場として開放するとかすれば話は別でしょうけどね。
オーストラリアの伝統的なライフスタイルではこれらの3条件が満たされてます。最近は、特にシドニーでは、労働時間が長くなる一方であり、オーストラリア人もカリカリきてますし、「オーストラリア人の日本人化」は僕がやってきた10年前から一貫して進行してるように思います。でも、それにしても、ベースが違う。日本人が、やれ時短だ、ドライな職場環境になったとかいいながらも、なおも伝統的な心情を捨てきれないように、こちらでも幾ら忙しくなったといっても伝統的な「人生、遊んでなんぼ」的な価値観が強いですから、定刻になればチャッチャと帰るし、5時に退社→5時半に帰宅→シャワーを浴びてそれから一家で海水浴、というライフスタイルが普通に残ってます。シドニーのような都市になると、通勤時間も日本並に1時間とか2時間とかかかる場合もありますが、それでもまだ遊べるし、実際よく遊んでます。それに通勤時間が長いエリアは、もうエリア自体が自然環境そもそもだったりしますから、別にどこにいかなくたって自分の広い芝生の庭でBBQやればいいんですよね。今住んでいる僕の家の裏手の家が大々的に工事をして大きなプールをつくりよったものだから、近所の子供もやってきて、夏になる暗くなるまでキャッホー!と遊んでます。ときとして「だー、もー、うるさいな!」とか思うのですが、彼らなんかサマータイムをとことんエンジョイしてますよね。
ところで、昨今、日本でもサマータイム導入が議論になっていると聞きます。
地方自治体レベルで、2003年7,8月に滋賀県庁で、2004年7月に北海道庁でサマータイムが試験実施されたようですね。つい先日(2005年3月15日)の朝日新聞の記事によると、同社の世論調査によれば、サマータイムの日本への導入をめぐって「反対」39%、「賛成」38%で、ほぼ二つに拮抗しているようです。
サマータイムというのは、もともと欧米から出てきた発想であり、特にヨーロッパの北の方だと、元来が寒いし、太陽の光も弱い。そのために金髪碧眼になるくらい、つまり遺伝子レベルでの変化を生じさせるくらい日の光が弱い。だから、「太陽の光」に対する渇望感は日本人の比ではないでしょうし、「せっかく太陽が出ているのにもったいない」という発想も、極めて自然なところから出てきたのだと思います。
それをそのまま日本にもってきても原点が違うのでピンとはこないでしょう。
でも、それはオーストラリアだって同じことなんですね。オーストラリア場合、そもそも日光が欠乏しているわけではなく、それどころかオゾンホールの影響で紫外線たっぷりの太陽光線が暴力的なまで満ち満ちています。だから、オーストラリアの場合は、「日光が欠乏しているから欲しがる」のではなく、「遊べる時間を増やしてエンジョイしよう」という遊び志向が原点にあるのでしょう。同じ「日の光がもったいない」でも、意味が違います。「もっと遊べるのにもったいない」と。このように、同じサマータイムといっても、エリアエリアによって意味付けは違いますし、日本での導入を考える場合も日本なりのオリジナルな理由があれば良いのだと思います。実際、日本における賛成理由でも、「欧米がやってるから、皆やってるから」という理由はそれほど高くはないようです。
日本の状況ですが、超党派の国会議員130名で「サマータイム制度推進議員連盟」(会長・平沼赳夫元経済産業相)が、今国会の法案提出を目指して具体的な検討に入っているようですし、導入を提唱する団体は他にも沢山あるようです。例えば経団連奥田会長の昨年11月の「安易な増税ではなく、サマータイム制の導入などで温暖化ガスを削減すべきだ」という趣旨の発言をしたり、あるいは金属労協(全日本金属産業労働組合協議会)が「新たなライフスタイルの確立と国民的な省エネ意識の向上に寄与するきっかけになる」とサマータイム制度の早期導入を決議し、連合(日本労働組合総連合会)とともに国会への働きかけや世論形成への進めていたりするそうです。
なんでいきなりサマータイムなの?というと、大きな理由は省エネのようです。温室効果ガスの縮減を定めた世界環境会議の「京都議定書」の趣旨にのっとり、例えば(財団法人)社会経済生産性本部の「生活構造改革フォーラム」の試算によれば、省エネ効果は年間約93万キロリットル(原油換算)、温室効果ガスの削減効果は年間約40万トン(炭素換算)と弾き出されています。
また、夕方の明るい時間帯のレジャー活動が活発化することによって約9700億円の経済波及効果、10万人の雇用創出効果につながるというメリットもあるといわれています。
さらに、そういったマクロ的なことだけではなく、我々一般市民の視点からしたら、自然のサイクルに合った生活スタイルを考えるキッカケになるんじゃないかと議論されてます。例えば、サマータイムに家中の時計を変えるときに子どもたちと、自然の原理や省エネについて話し合えるとか、「アフター5」がゆったりするので、家族や友人とのつき合いや、ボランティアや趣味やスポーツなども楽しめる、と。
このあたりが主導的に提唱している各機関の推進理由ですが、僕ら一般市民はどうかというと、上述の朝日新聞調査による賛成理由は、「明るいうちに仕事が終わる」がトップで賛成した人の35%。以下、「省エネになる」31%、「健康によい」26%。「明るいうち」は20、30代、「省エネ」は20代で多く、「先進国の大半がやっている」は6%しかなかったそうです。
同じく反対理由は、「日本の風土に合わない」で、反対した人のうち32%が挙げており、これは欧米に比べて緯度が低いことが影響しているとみられると解説されていました。続いて「体調が狂う」が27%。「長時間労働につながる」も26%で、これらは明るいうちには退社しにくいことを心配してか、特に男性の30、40代に多かった。「手間がかかる」は9%だけらしいです。
僕個人の意見ですが、オーストラリア的な意味でのサマータイムは、日本の場合あんまりフィットしないと思うのは、さきに書いたとおりです。しかし、日本的な意味で何らかの導入価値があるのであれば、それはそれでトライする意味はあろうかと思います。
そこで、各賛否両論をみていくと、反対理由のトップにきている「日本の風土に合わない」という一見意味不明な理由もなんとなく分かるような気がします。でも、その本質は、突き詰めていけば定刻に帰るようなことは出来ずに働かされるだけじゃないの?という疑問なんじゃないかって気もします。だから、「長時間労働につながる」という選択肢と実質的には似たり寄ったりかなと。
「日本の風土に合わない」のは、基本的には緯度の高低だと解説されてました。つまり、高緯度になるほど夏と冬の日照時間の差が激しくなりますし(しまいには白夜になる)、ヨーロッパのような高緯度地帯だったらまだしも、日本のような中緯度地帯でやる意味は少ないと。ところで、シドニーと東京を比べたら、確かにシドニーの方が夏と冬の差が若干激しいかな?という気がするけど、これは気のせいかもしれないです。こちらの方が自然環境が豊かでビルが少なく空が広いだけに太陽の動きに敏感なだけって気もしますよね。なぜならシドニーは南緯34度、東京は北緯35度で、むしろ東京の方が緯度が高いんですね。また、NSW州全体でいえばシドニー自体がかなり高緯度にあるし、日本も全体で考えたら北海道なんかかなり高緯度ですよ(北緯43度)。ちなみに福岡で北緯33度です。だから、まあ、全体的に言えばそんなに大差ないよね。
それよりも「なんとなく馴染みがない」ってことだと思います。「風土」というのを「文化風土」に置き換えたらいいのかもしれません。例えば、欧米やオーストラリアだったら、夏の遊びは、まだ残照時間のあるうちに海辺で遊んだりという太陽を利用した遊び方になるけど、日本の夏の遊びは、花火であったり、肝試しであったり、精霊流しであったり、盆踊りであったり、どっちかというと暗くなってから楽しむという遊びも多い。だから無理に日の光を延長させなくてもいいってこともあるでしょう。ただ、まあ、これも、いまどきそんな伝統的な生活をしてるところがどれだけあるんじゃ?って気もするし、1時間やそこら遅れたからどうってこともあるまいって気もしますな。現代的な、そして大人の「遊び」でいえば、「飲みに行く」ってことだと思うのですが、「まだ明るいうちから酒を飲むのはどうも」という心情があるのかもしれません。
しかし、「日本の文化風土や生活習慣に馴染みが無い」という理由は、「そんなもん慣れたらしまいじゃ」って気もしますよね。伝統的に馴染みがないからダメっていうなら、極論すれば、洋服着るな、丁髷結え、肉食うな、洋楽聞くなてことにもなりかねないです。明治維新や戦後にあれだけドラスティックに生活習慣を一変させた民族が、そんな1時間程度のことでチマチマ言ってても説得力ないです。僕は、世界の各民族と比較したときの日本民族の顕著な特徴の一つは、「好奇心旺盛」「すぐ慣れる」ってことだと思いますから。昨日まで四つ足は不浄とかいってたのに、いきなり文明開化とかいて牛鍋食って、ライスカレーとか食べてるわけですからね。いきなりザンギリ頭にするとか。食事やファッションというのは、人間の保守性がもっとも出てくるところだと思うのですが(あなただって明日からモヒカンやチョンマゲにしろって言われたらヤでしょ)、それをこれだけせーので変えられる民族なんか世界に二つとないような気がします。実際、こっちに住んでる日本人だって、サマータイムに慣れますし、戸惑うことはあっても「イヤでイヤで仕方が無い」って人は少ないと思いますよ。
ところで、面白いのは、反対理由に「体調が狂う 27%」ってのがありますが、同時に賛成理由 「健康に良い 27%」というのもあるんですよね。どっちなんだ?って気もしますね。だから、このあたりはその人その人のライフスタイルだと思います。朝型の人はチャッチャと起床できた方がいいんだろうし、夜型の人はその逆ってことでしょうか。
いろいろ考えていくと、データーを元にした議論に値する論点は、省エネだと思います。統計数値をもとにあれこれシュミレートしたり、議論したり出来る領域は殆どそれだけって気もしますね。あとは「風土に合う」とか「健康にいい/悪い」「労働時間」とか、その人の立場によって右にも左にもいくような、いってみれば”趣味的な”論拠だと思いますから。
サマータイムが、省エネに役に立つという論拠は、例えば1時間早く起きるならば1時間早く寝るだろう、だから夜の電灯電力が節約される筈だということですね。
しかしですね、これもやってみないと分からんのでは?って気もしますね。「データーを元に」とかいいましたけど、人のライフスタイルなんか様々ですから、あらゆる場合がシュミレートできるので一概に言えないんじゃないかと。例えば、冷房電力。都会では夜中でも冷房つけっぱなしにしてたりしますから、1時間家に早く着いたとしたら1時間余計に冷房時間が増えるから意味がないとかも言えるでしょう。また、1時間早く会社が終わって夜の町(まだ明るいけど)に繰り出したとすれば、開店時間も1時間早くなり、冷房時間が増えるとか。でも1時間早く店が閉まるから需要が減るとも言えるし。また、アフターファイブで近くの公園に家族で行くとかいうケースが増えるとすれば、その分自動車の排気ガスが増えるとも言えるわけでしょ。
だから、このあたりのことは、Aという事例を取り上げるか、Bという事例を取り上げるか、もっと端的に言えばそういう事例を思いっかどうかで議論が右にいったり左にいったりするような気もするんですよね。シュミレートしたくても、基礎となる皆のライフスタイルがバラバラなので、予測しにくいんじゃないかって思います。
また、アフターファイブが長くなって、人々が遊ぶようになり、経済効果が大きくなり、雇用創出効果があるというのも、一見なるほどって気もします。日本人の大好きな思考パターン=「せっかくだから」=にハマって、これを機会に夏の長い夕方を積極的に遊ぼうかって人も出てくるかもしれない。でも、出てこないかもしれない。1時間くらい余裕ができても、だから都心から江ノ島まで海水浴に行こうとは思わんでしょうし。近所の公園に犬の散歩にいくのが関の山だったら、経済効果なんか知れてるでしょう(公園の売店でアイスクリーム買うくらいか)。夜の町が1時間早く営業を開始したといっても、平均すれば1時間早く営業を終えることになるから、一緒という気もします。これも、なんとでも言えそうですね。
あと、労働時間は、伝統的な日本の労働慣行、職場の雰囲気が変わらない限り、結局は「明るいうちに帰るのは気が引ける」ということで、労働時間が長くなる可能性の方が高いだろうなーって気がしますね。特にサービス残業が当たり前の日本の場合、財界側としては、無料で長時間労働者をコキ使えてコスト安になるから賛成という裏の事情があるのではないか?ってカンぐられたりもするでしょう。
また、京都議定書に基づいて、日本政府も温暖ガス削減努力をしないとならない。なんといっても「京都議定書」、キョート・プロトコルというのはいまや立派な国際用語になってるわけで、自国のお膝元で決めたことをその国が守れないんじゃカッコつきませんよね。じゃあどうするの?というと、それを経済界に環境税という形で転嫁したりするわけですから、それは当然財界の反対を招くし、だからといって何もしないわけにもいかないから、せめてサマータイムを実施して、世界に対して「頑張ってまーす!」というポーズをとりたいだけじゃないの?って裏読みもされたりします。当らずといえども遠からずかも。
一方、5時に退社できないとか、近くに自然環境がないとか、いまどき自然環境のことを家族と語りあってるようなところがどれだけあるんじゃ?っていう批判も、都会人の勝手なイメージに過ぎないっちゃ過ぎないんですよね。3大都市を除けば、日本人の平均通勤時間は30分を切ります。また、地方に行けばいくほど、県庁、市役所、農協系の公務員・準公務員系の就業率が高まりますから、キッチリ5時に皆さん帰ってるよってこともあるでしょう。だって、地方都市にいけば、夜遅くまでやってる繁華街なんかほんの一部に過ぎないでしょ。「すぐ店が閉まっちゃう」とか出張にいったサラリーマンがよくボヤいてるでしょうが。さらに、地方に行けば行くほど、アフターファイブの自然系リソースには不自由しないでしょう。いくらでも遊び場はあると。
一般的に言えば、いわゆる都会のサラリーマン、それも派遣とかバイトとかではない60-70年代の「モーレツ社員」の系譜をひいた”本格的”サラリーマン世界においては、メリットよりもデメリットの方が大きそうな気もしますね。それだけ仕事が速く終わるとも思いにくいし、「仕事帰りの一杯」が楽しみだとすれば、夜が1時間早く終わる(終電が早く終わる)だけ、楽しみの時間が減るって気もします。でも、同じサラリーマンでも「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように趣味に生きてるような人達は、恩恵をこうむるようになるでしょう。
こういったことをツラツラ考えていくと、「とりあえずやってみたら?」って気にもなってきます。
やってみて、なるほど省エネ効果があるわとか、なるほど生活が楽になったとか、アフターファイブが充実したとか、雇用創出効果があったとか、やってみて検証して、それから考えてみるってのもいいかなと思います。
実際何がどう転ぶか分からんのですね。すっかり定着した日本のプロサッカーだって、ブレイクするちょっと前までは、「日本にプロのサッカー球団出来て、国民的に盛り上がるだろう」なんて未来予測をしたって大笑いされて終わりだったと思います(実際そんなことは誰も予測しなかったように記憶してます)。サマータイムについても、今現在の予測としてあれこれ言えるとは思うのですが、予測は予測に過ぎない。ひょんなことから意外な展開になるかもしれません。
普通に考えたら、仕事中心のサラリーマンの人々においてはデメリットの方が大きそうです。でも、これだけ騒いで国民規模で導入するのだから、逆に抑制が働いて、これを機会に「サマータイムなんだから明るいうちに帰るのが当たり前」という意識が広がるかもしれない。サマータイムになって残業時間が増えているような企業は「バカな企業の典型」として槍玉に挙げられるかもしれない。つまりサマータイムが早時退社の「絶好の言い訳」「錦の御旗」になるかもしれないってことです。このあたりは群集心理というか、ちょっとしたことで右にも左にも振れますから予測しにくいです。
また、国民全員が戸惑ったまま、「今日から1時間違うんだよ」「どっちに1時間なのよ?」とあちこちで話をしてる情景それ自体が新鮮に感じられるかもしれないし、案外これをキッカケに「もっと余暇時間を大事にしよう」というのが流行るかもしれません。流行りだしたら日本社会独特の猫も杓子もで一気に広がるかもしれません。わからんですよ。
ああ、あと、自分が日本にいたときみたいに、最初から定刻も残業もヘチマもないような激務の職務の場合は、逆にほとんど関係ないって気もします。夜も昼もクソもなくバリバリ働かなければならない人、自営系の人、作家のような人達は、メリットもデメリットもないでしょうね。
今回のサマータイム導入は、政府主導、財界提唱とかいうあたりの、お上主導のところが、どことなく胡散臭し、気に食わないのですけど(これが反対論の最も心情的な核にあると思うし)、いわゆる「時限立法」といわれる形式、つまり5年なら5年間やってみて、その後特に延長するという国会決議が無かったら自動的に破棄されるという条件付だったらやってもいいかなって思います。
そして、そう思う根底にあるのは、いいか悪いか分からないのだったら、とりあえず動いた方がいいという発想です。「分からないからやらない」のではなく、「わからないからやる」というポジティブで、チャレンジングな発想と雰囲気が、今の日本には必要かもねと思うからです。「石橋叩くな」という。
時限立法で自動廃案にするのは、何事もすぐに膠着して動きにくい日本の場合、一旦物事が決まると(消費税みたいに)、既成事実化して、それを撤回するのは10倍くらいエネルギーがいる、だから変わらないということを考えてのことです。大多数がイヤだと思ってても、変えられない、「あーあ」「しょせん俺たち無力」となって益々沈滞するんだったら意味ないですからね。本当は、リファレンダムというか、国民投票で決めるくらいでもいいと思います。
話をシドニーに戻しますが、もうかれこれ10年、11年サマータイムを経験している経験から、サマータイムはあった方がいいか/邪魔臭いかというと、あった方がいいと思いますよ。慣れるかどうかだけでしたら、もう半日で慣れます。「せーの」ですから、変わりの目の日の睡眠時間が1時間長いか短いかくらいの差ですから、こんなの日常生活の誤差の中に入ります。
あと、シドニーってもともと季節感がないですから、季節感を無理やり演出するという意味ではいいですね。サマータイムが終わるといきなり日が短くなりますからね。年に2回、時計の針を動かすという儀式は、季節感が乏しく、だらだらべったり1年が過ぎてしまいがちな現地では、適当な節目になるという効用はあります。まあ、衣替えみたいなものです。
それに、こちらを訪れる人の場合、それが観光であれワーホリであれ、明るい時間が長い方が助かるでしょ?長く遊べるということもさることながら、帰路道に迷ったとかいっても、明るかったらまだ何とかなりますからね。
最後に、実践的な知恵を。
実際にサマータイムをやった場合、「1時間早くなる」とか「遅くなる」とかいう表現でものを考えているとこんがらがりますよ。5時だったのを6時にする場合、1時間分夜がふけるのだから「遅くなる(現時刻が遅くなる)」という言い方もできるし、時計を進めるわけだ「早くなる(時間が早く進む)」という言い方もできるのですね。つまり、時計の針がどっちに振れても「遅くなる/早くなる」という表現が出来ちゃうだけにこんがらがります。だからそういう表現で考えない方がいいです。
簡単に区別する方法は、日本との時差を考えるといいです。
普通のときは日本とシドニーの時差は1時間です。シドニーが12時だったら日本は11時。でもサマータイムになると時差は2時間になります。シドニーが12時だったら日本は10時。だから、時差が2時間ずれているのがサマータイムで、1時間しかズレていないのが普通の時期とするといいと思います。時間というのは相対的なもので、全体にせーのでズレてしまうと「本来なら何時」とかいってもわかりにくいです。どっかにアンカーのような基準時が必要なのですが、それを日本時間にするのですね。こちらにいる日本人だったら、家族や友人や恋人に連絡したり、仕事の関係があったりで、「今日本は何時」というのを半ば無意識的にせよ気にされていると思います。だから、「サマータイムが終わるから、あれ?1時間どうすんだっけ?」とワケがわからなくなったら、日本時間との時差が1時間になる、と覚えておくと結論だけはすぐに出ると思いますよ。
もっとも、日本がサマータイムをやったら、この基準もつかえなくなるわけですよね。シドニーがサマータイム終わったと思ったら、今度は日本が夏になってサマータイムに入るわけですから。キッチリ1年を二等分するとは限りらないから、どっちもサマータイムではない時期なんてのも出てきて、ややこしくなりそうですな。
文責:田村
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