今週の1枚(01.09.17)
雑文/ 春来たりなば
シドニーもかなり春めいてきました。
上の写真のように、ジャスミンは満開だし、ツツジも満開だし、藤もいたるところで咲き始めてきています。
朝晩、若干寒さが残ってますが、日中は「ポカポカ」という表現がぴったりくるような感じであります。
ところで先週は、アメリカにテロが起こったり、オーストラリアではアンセットがコケたり、日本ではマイカルがコケて株価も1万円を割ったり、いろいろと大変でありました。しかし、いろいろと大変なのはメディア上の話で、個人的な生活について言えば、「やあ、春になってきたなあ」というのがメインとなる生活感情だったりします。
別に無関心でも冷酷でもなんでもなく、クールに考えれば誰だってそんなもんでしょうし、またそれでいいのだと思います。大変そうなことが起きたときは、それが大変であればあるほど、浮き足立たないで各自がオノレの持ち場をキープすべきなんだと思います。だってアメリカでビルが崩壊したから、アンセットが潰れたからといって、それと直接関係ない所で、皆が仕事をサボったり、バスが来なかったり、郵便が届かなかったり、ブッキングがシカトされてたらそれこそ大変ですもんね。
アメリカのテロの死傷された方々は本当にお気の毒だと思います。が、その後のアメリカのリアクションについては、個人的には非常に冷ややかでシラ〜っとしてます。だって、かいつまんで言えば、「てめ〜、やりやがったな!ブッ殺してやる!」ということでしょ。暴力団の抗争というか、「喧嘩上等」のレベルのリアクションでしかない。
この地球上にアメリカを好きな国なんて当のアメリカ以外に無いとかよく冗談でいってますが、このままいけば、その傾向がよりクッキリしてくるかもしれません。「キミとはやってられませんわ」というムード。もっといえば、「だからキミは嫌われるわけよ」という。
実際オーストラリアの新聞も、最初の1〜2日は大変モード、テロ非難モードで盛り上がってましたが、それが過ぎるとかなりクールになってきます。投書欄をみてても、皆の意見も結構クール。
例えば、
「かつてルワンダでは80万人が虐殺されたが、そこにはビデオカメラも廻ってなかったし、インフラもなければ、金融市場もなかった。トレードセンターのツインタワーやウォールストリートなどの象徴的なアイコンもなかった。我々は何に最も価値をおいているのだろう?
人々は今回の事で「世界が変わってしまった」と言っているけど、私から見れば、多くの人々は、つまりルワンダや東チモールやスーダンやパレスチナやエルサレムや、、、、もう枚挙に暇が無いほど多くの人々は、アメリカにこう言っているように思われる。"Welcome to the real world. This is how we live our lives, with the uncertainly. fear and
loss."。
世界は何も変わってないのだ。ただアメリカだけが確実に変わったのだ。その変化は、「ちょっと大人になった」ということなのかな、多分。」
アメリカは今、喧嘩上等モードのまま「戦争だ」とわめいて準備を進めているし、ブッシュ大統領のもとには、「パールハーバーアタックのときルーズベルト大統領と同じように振る舞え」というプレッシャーがかかっているとも聞きます。しかし、これもアメリカ以外の国のメディアが冷静に分析しているように、真珠湾攻撃のときと今回のテロとは全くレベルの違う話であるし、仮に同じであったとしてもあのときと同じように振る舞うのが正しいかどうか。
僕もこれは「戦争」になりえないというか、戦争という形にもっていくのはかなり無理があると思います。戦争というのは明確に敵がいて、それが目に見えていて、敵が何をやったかも明らかになっていて、双方が戦争することに合意(というのも変な表現だけど)して宣戦布告していて、だからゴールも自ずと見えているという。太平洋戦争の真珠湾攻撃は、当たり前だけど、これらの条件を完璧にクリアしていた。「真珠湾攻撃をしたのは俺達じゃないぞ」と当時の日本軍が主張してたならともかく、バリバリ主張してたわけだし。さきの湾岸戦争でも、イラクという国の軍隊がクェートに侵攻しましたという明白な行為があったし、また、見るからに悪人顔のフセインがプロレスの悪役レスラーのように憎々しげなことを言ってたわけですから役者に事欠かなかった。
でも今回は、首謀者とされるラディン氏もそれをかくまってるとされるアフガニスタンのタリバン政権も、「俺は知らん」と主張してるわけで、なかなか奇麗なケンカの形になってない。これで、アメリカが、「うるせー、バックレてんじゃねーよ」でラディン氏を殺し、仮にアフガニスタンを完璧に焦土にしたとして、それで「めでたし、めでたし」になるか?というと、おそらく後味悪いでしょう。万が一間違ってたら、罪もない人々を単に大量に虐殺しただけになってしまうし、間違ってなくても、テロというのは病原体みたいなもので、国家や組織はその宿主に過ぎない部分もあるから、宿主を殺してもそれで終わりということにはならない。
そもそも僕がラディン氏だったら、いつまでもアフガンには居ないだろうし、ラディン氏を殺したところで、彼のシンパは世界中に散らばっているし、別にテロは彼の専売特許でもないし、彼の行為に賛同する連中は他のセクトにも山ほどいるだろう。それらがさらに報復をしてきたら、いつまでたってもこの話は終わらない。例えば、報復テロの一対応としては、全く何の関係もない国で、全くなんの関係もない所を爆破するということもありうるわけでしょ。いきなりスェーデンとかモンゴルとか、「なんでそこなの?」という地域でテロが行われたり。テロの目的は軍事的な粉砕ではなく、人々に恐怖を植え付けることであるから、何の理屈も通らないアタックであればあるほど恐怖は広がるし。
テロの本質は、テロリストをしてテロ行為にかりたてる「怨み」なり「信仰」なり、非常に攻撃的で持続的な特殊な精神状態だと思います。世の中が大きく間違ってると確信していて、マトモな手段ではその歪みは正せないというときに、ゲリラ的に攻撃をしかけること。例えばオウムのサリンアタックもそうなのでしょう。あるいは、SFの世界だけど、地球に異星人が襲来してほぼ完全に占領されたとしても、残った地球人はゲリラ活動をしてなおも抵抗しようとするでしょう。異星人の軍事施設を爆破したりもするでしょう。ゲリラなりテロは、やってる本人にとっては非常に正しいことをしてると確信しているわけで、そういう確信がある以上はテロは続く。
だから病原体みたいなもので、病原体に対する戦いは、戦争などという分かりやすくも荒っぽい手段ではなく、根治絶滅という地道な努力しかない。病気でいえば、発生のもととを絶つために衛生環境を向上させたり、治療方法や施設を拡充したり。今回のケースでいえば、発生の根元は、アメリカン・インペリアリズム(アメリカ帝国主義)に対する反発感情だと思うし、ひらたく言えば大国の手前勝手なエゴなのでしょう。
実際、ラディン氏にしたって、ソ連のアフガニスタン侵攻のときは、アメリカ軍と一緒に戦ってた戦友だったわけで、それが湾岸戦争でのアメリカのやりかたを見て反アメリカにまわったわけでしょ。アメリカという大国が、大国的なエゴをさらけ出せば出すほど、反アメリカ感情は生まれ、そしてその一部は凝結しテロに赴く。だから、今回問答無用でアフガン侵攻をしたら、また第二第三のラディン氏を生むでしょう。その侵攻で、今回のテロとは比較にならないくらい膨大な数の罪もないアフガンの人たちが死ぬ事になるでしょうが、僕がアフガニスタン人で親恋人を殺されたら、反アメリカのテロリストになるかもしれん。もう「ライフワークを見つけてしまった」状態になるでしょう。
彼らのいう「アメリカ帝国主義」的な面、つまり「強大な力を背景にしたゴリ押し」というのは実際にあるわけで、アメリカが何らかの形で「制裁」を加えてきた国は、日本も含めて何十か国にも及ぶ。日本だって、これまで進駐軍にはじまって、やれコメ開放だの、自動車交渉、半導体交渉、沖縄の米軍基地だの、さんざん”Big Brother”の御託宣につきあってきました。まあ、日本はそれでもまだいい方ですわ。戦後の憲法、財閥解体、農地解放にせよ、各種通商交渉にせよ、本来自分らでやらねばならけどシガラミまみれで出来なかった荒療治を外圧という形でやってきた部分はある。逆に言えば、アメリカのゴリ押しの力を利用して、国内改革に結びつけていったしたたかな部分がまだありますから。世界ではもっとミもフタもなくゴリ押しされっぱなしの泣き寝入りという国は沢山あります。
そういえば、日本では「日米関係=国際関係の全て」と誤解しているかのような、視野の狭い論者が、日本のアメリカに対する屈辱的な弱腰外交だのなんだの言ってますが、外から見てたら、あのアメリカ相手に日本はよく突っ張ってるなと思います。オーストラリアなんかもっと弱腰だもん。まあ、オーストラリアなんかG8にも入れない小国で、アメリカの目の上のタンコブにもなりえない無害な存在だったりするから、そうそう軋轢はないけど、それでも何かあったら言う事聞かされちゃってるし。
アラブの問題も、端的にはイスラエル建国から始まるわけですけど、これだって、日本におきかえてみたら酷い話ですもんね。ある日アメリカが日本にやってきて、「すまんけど、四国と中国地方の日本人は全員出てってくれんか。そこにユダヤ人の国を作るから」といって本当に作っちゃったようなものですもんね。戦後の日本でこれやられたら、日本はおそらく逆らえなかったと思いますが、怨みは残るでしょう。先祖代々その地域に住んでた人は、墓参り一つろくに出来なくなるわけで、目茶苦茶腹が立つとおもいます。だもんで、アラブ諸国がムカつくのも分からない話ではないし、その一部が過激化するのも分からない話ではない。
まあ、アラブと欧州は、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三つ巴の確執が延々2000年続いてるわけで、僕ら東アジア人には分からんイロイロな感情があるのでしょう。ヨーロッパだって十字軍とかいって執拗に侵略行為(ヨーロッパ側からみたら聖戦)をしてたわけですし、イスラム側からすれば代々迷惑な連中だったと思います。そこへもってきて、人権だの民主主義だの一段人を見下したような顔でお説教されたら、「アンタらには言われたくないね」という気分にもなるかしらん。
というわけでアメリカも世界のあちこちから怨みを買っているのでしょう。アメリカの音楽や映画は好きだけど、アメリカ人は嫌いとか、アメリカという国は嫌いという人も沢山いるでしょう。オーストラリア人も、どっちかといえばアメリカ人嫌いだもんね。
大国の人が無意識に小国の人を傷付けてしまうこと。大企業に勤めている人が、ついついやってしまう大企業ならではの傲慢な振舞。強者的立場にある人の独特の無神経さ、傲慢さ。別に、アメリカ人が人格的に劣ってるわけでもなんでもなく、そこはもう人間という生き物の精神生理で、そーゆー立場にある人は、ついそーゆー振る舞いに出てしまうということなのでしょう。だからこそ、成熟なり成長が望まれるわけです。
ところで、テロが何故非難されるのか、その本質的な理由は、「自分の怨みを晴らすためなら無関係な人が傷ついてもいいんだ」という身勝手さだと思います。そして、それは、そっくりそのまま今のアメリカの報復姿勢にも当てはまってくるのでしょう。
Let's make it simple.
話はいつだって簡単だとおもいます。罪もない、インノセントな人々が傷つくのをどれだけ減らす事ができるか?ということだと思います。罪も無い人が傷つくことよりも、大国の威信なり復讐感情の方が優先するなら、所詮それだけのレベルだったということなのでしょう。
この考えがナイーブ(世間知らずの甘ちゃん)だというのであれば、今回のテロで死傷した罪もない人々のことを自らの行動を正当化するダシとして使う事も出来ない筈です。味方の罪もない人々が殺されたら人道的に相手を非難し、相手側の罪もない人々を殺すについては「戦略上仕方が無い(=人道上問題ない)」とクールになるのだったら、それは単に身勝手なだけだと思います。
かつて日本を占領したマッカーサーは、日本人を評して「精神年齢12歳」と言ったといわれますが、個人的にはそのリマークにあまり異論はないけれど、今のアメリカも12歳のように見えます。
もっともあの国は、国内に強烈なカウンターパワーがあるから、一概には言えませんけど。つまり黒人奴隷という非人道的なことをやってきた国もアメリカなら、それを廃止したのもアメリカ。世界一血も涙もない大企業文化が栄えているのがアメリカなら、世界一うるさい消費者団体があるのもアメリカ。ベトナム戦争を始めたのもアメリカなら、反戦運動で起こしたのもアメリカ。だもんで、今回も時がたつにつれてどれだけ理性的なリアクションが出てくるかを見てみたいと思ってます。
とはいえ、こんなことは、春に包まれつつある庭先で思うだけの話です。
自分に出来る事といえば、自分の持ち場を淡々とこなすのが第一だと思います。テレビにかじりついてて、一喜一憂することによって何かが良くなるというならそうしますが、大抵の場合、メールの返事が遅くなって他人に迷惑をかけるだけですから(^^*)。
写真・文/田村
★→APLaCのトップに戻る