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今週の1枚(04.11.22)
ESSAY 183/飲酒文化と規制
今、こちらの新聞をにぎわしている話題は、お酒/酔っ払いです。ハイランクの裁判官が泥酔して交通事故を起こしたという事件もそうなら、「酔っ払い対策」ともいうべき新たな法律も次々に登場してきています。前者は、バリバリ働いているプロフェッショナルな人たちの中にも多くのアルコール中毒者がいるのではないかという問題に連なっていってるようです。後者はストリートで生じる喧嘩暴力の多くがパブで発生し、これらの事態を抑えるため、店側に泥酔者に酒を出すのを禁じるという規制に連なっています。
日本人の視点から物珍しいのは、やはり後者の方、法律まで動員かけて酒場の酔っ払い対策をするという姿勢です。「飲む奴が悪い」のは当然だとしても、「飲ませた奴が悪い」として、店に責任を負わせるとともに、今出されている試案では同席して飲ませた友人まで処罰の対象にしようところまで来ています。またこの罰金がハンパではなく、何十万円レベルのものであり、繰り返し犯した者には100万円くらいにまでなろうとしています。
ちょっと正確に紹介してみますと、地元の新聞SMHの11月19日版によれば、NSW知事のボブ・カーは、州議会に新法案を提出したそうで、その法案の骨子は、
@.酒場において(正確には酒類販売許可を得た場所)、既に酔っ払っている(intoxicated)人に酒類を提供した者は、初犯において1100ドル(約9万円)の罰金
A.酒場から適法に退去を指示された(酒場には酔っ払いを退去させる法的権限が与えられており、またそうする義務を負っている)者が、その指示を受けてから24時間以内にまた戻ってきた場合は、5500ドル(45万円)の罰金
B.酒場などで、泥酔していることを理由を入場を拒まれた者が、尚もその場に留まった場合は、5500ドルの罰金
というもので、カー知事は来年早々にも施行したい意気込みだそうです.さらに、未成年者に酒を飲ませることについての累犯者や、泥酔状態や酒による暴力を容認した者は罰金限度を二倍の11000ドルにするなどのプランもあるそうです。
これはかなり厳しい規制であり、同じ新聞記事の末尾に、町の人々の感想が書かれてますが、「やりすぎちゃうか」というのが巷のオージーの率直な感想であるかのようにかかれてます。面白いから原文のまま引用しますと、
"At the Pontoon Bar at Darling Harbour yesterday evening, tables of friends buying rounds said they could not see how fining people for giving a drunk mate a drink would work.
"Its ridiculous," said Natalie Maplezoram, 26. "You can't do anything. The pub is supposed to be a place to relax and enjoy. It is crossing the boundary."
Aimee Stapleton, 27, said she would not buy a friend a drink if the person was already drunk and would get a glass of water instead. But she didn't like the idea that this could be legislated.
Andrew Cochrane, 25, said the proposal was "very poor"."That's wrong. And it'd be pretty hard to police," said Adam Williams. He said Mr Carr "needs to have a few himself".
とのことです。最後の、Mr Carr "needs to have a few himself".ってのが笑いますよね。「カー知事さんも(そんなに肩肘張らずに)ちょっと一杯ひっかけた方がいいんじゃないの?」という。
この法案はかなりラディカルなものですが、既にNSW州では、泥酔者=犯罪者に近いくらいの扱いを受けつつあります。泥酔者に酒を出すのは、犯罪者に武器を売るような感じで規制されてますし、お店の側の責任が強化されてます。それに、酒類を販売するレストランやパブなどでは、法定の講習を受けたスタッフでないと働けないという規制も施行されています。その講習の詳しい内容は僕も知りませんが、まあこのあたりの規制の知識、アルコールという”危険物”についての知識などをやるのでしょう。
これは遠い世界の話ではなく、こちらに留学やワーホリでやってきてレストランで働こうとする人には、いきなり直接関係あります。既にいくつかの英語学校では、こういった講習の受講をサポートする学生サービスなんかもやってます。講習受けて資格をとらないとバイトも出来ませんしね。あと、こちらに観光旅行に来て、パブで馬鹿騒ぎしてたりすると、目の玉が飛び出るくらいの罰金をくらうかもしれませんので、お気をつけください。
「酔っ払い天国」である日本では、あまりこういった規制はありません。未成年者飲酒禁止法や、さらに多少の条例があるくらいじゃないかと思います(詳しくリアルタイムに確かめたわけではないけど)。「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」というそのものズバリの法律もあるけど、規制されているのは「著しく粗野又は乱暴な言動」であって飲酒行為そのものではないし、制止義務を負うのも警察官くらいです。また昭和36年制定後、この法律が適用された例などそんなに無いんじゃないかって気もします(未確認ですけど)。
酔っ払いに対する寛容度は各カルチャーによって違うでしょう。日本やアジア諸国はわりと飲酒については寛容だと言われます。逆に中東などは、イスラム教などの宗教的な要素が強いと思われるのですが、寛容ではないように聞きます。オーストラリアがベースとしている西欧文化は、どちらかといえば日本よりも寛容ではなく、特に近年その傾向が強くなってるように思います。
もっとも、同じヨーロピアンでも、イギリス、アメリカ(その他、オーストラリア、カナダ、ニュジーランド)などのアングロサクソン系と、イタリア、フランス、スペインなどのラテン系、あるいはゲルマン系、スラブ系などとはまた違うでしょう。アングロサクソンは、キリスト教の中でも新教(プロテスタント)の傾向が強く、人生謳歌系のカトリック(イタリア人みたいな)に比べると、生活の自律性・規律性を重んずる、言ってみれば堅苦しくてクソ真面目な部分がありますから、時として非常に教条的になるとも言われています。クリントン大統領の不倫事件のヒステリックなまでの大騒ぎとか、タバコに対するこれまた強烈な規制なんかで、時折、「潔癖症」ともいえる文化傾向を垣間見せてくれます。
僕らが「西欧文化」と一括りにしているものも、よくよく見たらアングロ・サクソン文化であり、たまたま今世界をアングロ・サクソンカルチャー(アメリカ、イギリス)、が支配してるから、西洋の全てがそうだと誤解してるケースも多々あるのかもしれません。イギリスの隣のアイルランドはカトリック系ですから、イギリス人のような厳格な規律性に乏しいところがあり、それがイギリス人から見たら「あのだらしないアイリッシュ」という蔑視を生んでいるとも言われます。それがクロムウェルの苛烈な侵略以降、連綿と数百年にわたる過酷なアイルランド支配に続いていき、アイルランドが独立したあとも、北アイルランド問題としてくすぶりつづけているのでしょう。これらは単純に宗教教義や流派の違いだけではなく、もっとディープな、あるいは感覚的なところで、「人間としての肌合いの違い」「どうもあいつらは好きになれん」という部分にミゾがあるのかもしれません。
それはさておき、西洋的、あるいはアングロサクソン的には、日本人やアジア人ほど、人が酔っ払って乱れている姿を、微笑ましいとか好ましいとは思わないのでしょう。日本ないしアジアでは、他人にアルコールを半ば強制することは決して珍しい事態ではないし、飲んで陽気になること、多少キレるくらいに酔っ払うことをイイコトだとするメンタリティはあると思います。「他人に酒を勧める」のはある種社会人としては当然の礼儀であり、「お酌」という慣習も、「ご返杯」とか「駆けつけ三杯」とかいう慣習も、さらには「イッキ」も、社会的には受容されているといって良いでしょう。新歓コンパで急性アルコール中毒になって死んで事件になれば、「行き過ぎ」という社会的非難を集めますが、逆に言えば人でも死なない限りあんまり非難されることはない。確かに迷惑な酔っ払いはいますし、駅のホームで女性にからんだり、鬱陶しい奴はいます。でも、その問題意識の多くは「いかがなものか」的な新聞の投書レベルで済み、またその行政司法的な対処も、正体不明になった泥酔者を、警察のいわゆる「トラ箱」にぶち込んで一晩頭を冷やさせるくらいのものでしょう。
だから、日本的な感覚でいえば、居酒屋やバーで「酔っ払いお断り」と言うのはなんか変な感じですし、ましてや「酔っ払いを店に入れてはならない」とか、「客が酔っ払ったら追い出さねばならない」とか、さらには「それを怠った店には厳しい罰金を課する」という発想を持つだけではなく、本当にそれを法制化して実施してしまうとなると、「そこまでやるか」という感想を抱きがちでしょうし、僕もそう思う。
かなり酔っ払ってる人間が、「もう一杯」と注文して、お店の人が「もうそのくらいにしておいた方が」と忠告するのは、これは日本でも普通にあります。しかし、尚も酒をしつこく求める客に、店が渋々とお酒を出すことをして、目の前で「犯罪行為が行われている」とは思いません。また、失恋したとか、辛いことがあった人が、ストレス発散のために「畜生、馬鹿野郎」と泣いたり、多少騒いだりするのも、まあ相身互いという部分もありますし、愚痴の聞き役で付き合ってる友人が、「よし、今日はとことん飲もう」といって酒を注いであげる行為をして、「犯罪行為」だとは思えないです。
確かに、日本社会においては、酔っ払いに対して寛容すぎる部分もなきしもあらずだし、「酒の上での過ち」という言い方が「情状酌量事情」「減刑事情」として通用しすぎている面もあろうかと思います。飲めない人に飲酒を強制するのも良くないことだと思います。その意味で、アングロサクソン的なストリクトさは学ぶべき点もあるでしょう。しかしね、だからといって、ここまでするか?という気はしますね。
もっとも、酔っ払い=この場合の英語の表現では”intoxcated”といいますが("drunk"ではない)、僕は便宜上「泥酔」と訳しましたが、犯罪になる程度の「酔っ払い」というのはどの程度の状態を指すのか、です。
これがよく分からないのですが、オーストラリアの法律系のデーターベースで適当に引いてみたら、日本の酔っ払い防止法みたいな「INTOXICATED PERSONS ACT 1979」というのがあり、そこに一応定義らしきものが書いてありました。詳しくは、
http://www.austlii.edu.au/au/legis/nsw/consol_act/ipa1979233/s3.html
を参照のこと。これによると、
"intoxicated person" means a person who appears to be seriously affected by alcohol or another drug or a combination of drugs.
という定義が書いてあります。しかしですね、「酒や薬剤によって、非常に(seriously)影響を受けて(affected)いるように見える(appears)」ということで、酒気帯び運転のように呼気1リットル中何ミリグラムのアルコール分という形で明白に計量化して定められてはいません。
これは、しかし、仕方ないかもしれません。交通法規の場合、運転能力という高度な身体能力が損なわれているかどうかが問題ですから、医学的・統計的な見地で客観的な基準を決められるのでしょう。しかし、酔っ払って他人に迷惑をかけるかどうかという点からすれば、酔っていてもニコニコしてるだけのいわゆる「いい酒」だったら問題はないわけで、アルコール摂取量と被害との間が必ずしもパラレルではない。だから客観的には決めにくく、「泥酔してる」「ベロベロである」という見てくれによる全体的直感的な判断でいくしかないのでしょう。
でも、実際問題、判断しにくいんじゃないかなって思いますよね。調べていたら、Dee Whyという地域のRSLクラブ(=本来退役軍人のための娯楽施設だけど今日では地域の全体の娯楽施設になっている)のサイトにいろいろ説明がありました。http://www.deewhyrsl.com.au/information/rsa.html
によると、
Determining whether a person is intoxicated is not as easy as one may think. (その人が泥酔してるかどうかの判断は、一般に考えられているほど簡単なことではない)。
It is important to watch for signs that someone is becoming intoxicated, but common sense is also required.
(その人が泥酔してるかどうかの特徴を見極めるのが大事だが、加えて”常識的判断”も必要である)
As well as mood and demeanour, and the number of drinks consumed, look for the following:(その人の雰囲気、振る舞い、飲酒量とともに、以下の点に注意すべきである)
A notable change in behaviour, especially antisocial, inappropriate or violent behaviour, use of abusive language(言動の目立った変化、特に反社会的、不適切ないし粗暴な言動)
Slurring of, or mistakes in speech (ろれつが怪しくなったり、うまく話せなくなる)
Clumsiness, knocking things over (like a drink or ashtray), or fumbling with change(動作のぎこちなさ、コップや灰皿を倒したり、小銭をファンブル=お手玉のように受け取りそこなう)
A significant loss of co-ordination (usually swaggering or swaying) (身体動作の円滑さの欠如、通例そっくり返ったり、揺れたり)
A degree of confusion, a lack of understanding or ability to hear, and a difficulty in responding (混乱や理解力の欠如、聞き取り能力の低下、他人に返答をするのが困難)
Physical illness such as vomiting (身体的な症状、例えば嘔吐するなど)
と書かれています。こっちの方がまだ具体的で分かりやすいですが、しかしまあ、「千鳥足」とか「呂律が廻らない」とか、酔っ払いの一般的特徴でしかないと言ってしまえば、そうでしょうね。どれだけ厳密にこの基準を当てはめるかによりますけど、日本全国の飲み屋さんには、毎日毎日何十万人というお客さんがこういう酔態を示しているのではなかろうか。そして、仮にこれらの特徴を全て満たしていたとしても、全然許されるものも沢山あるように思います。第一、僕自身、このくらい酔っ払ったことは幾らでもありますし、あなたにだってあるでしょう。
オージーだって、「許せる可愛い酔っ払い」という範囲を持ってると思うのですね。だからこそ、「常識的判断」というのが大事なのでしょう。しかし、「常識」を持ち出したところで、実際の現場では、尚もその判断はかなり微妙でしょうね。だから、結局は、「あーもー、こいつなんとかしてくれよ」って感じ、いわば直感的な判断で"intoxicated"かどうかが決まるのでしょうね。
ところで、西欧系の人は、酔っ払いに厳しいのかもしれませんが、お酒自体はよく飲みます。真昼間っから飲んでるし、レストランでも一人あたりボトル一本くらい空けてたりしますから、日本人からしたらガブ飲みのように飲む。また、お酒に対する興味、愛情、薀蓄も濃い(ワインに関するソムリエの存在とか)。つまり、「酒は素晴らしいものだが、酔っ払いは悪い」という感じなのでしょう。
これに対して、日本人は、西洋人ほど(絶対量としても機会頻度としても)お酒を飲まないでしょう。昼間からワインを飲んで、それから仕事というような態度を不真面目だという意識が強いです。その代わり、アフターファイブの無礼講的な飲み文化はあります。お酒に対する愛情や薀蓄は、負けず劣らずあるとは思いますが(地酒、吟醸ブームとか)。
思うのですが、これは一つには遺伝的な体質の違いがあるのでしょう。日本人は西洋人に比べてアルコールに弱いと言われますが、より正確には、人類のうちにモンゴロイドが弱く、その他のニグロイド(黒人系)、コーカソイド(インド〜白人系)は相対的に強いそうです。体内に摂取したアルコールを分解する過程でアセトアルデヒドという物質が出来るわけですが、こいつが毒性物質で、酔っ払いの原因になります。このアセトアルデヒドをやっつけるのが、アルデヒド脱水素酵素(ALDH)というADSLみたいな略語の酵素なわけで、モンゴロイドはこれをもってる人が少ない。もっともっと正確に言うと、ALDHには1型と2型があり、アルコール血中濃度が少ないときには2型が活躍するわけですが、どういうわけかこれがあんまり活躍しない「低活性型」全く活躍しない「不活性型」の人が、モンゴロイドには多い。日本人の44%、中国人の41%、韓国人の28%が低ないし不活性型だそうです。しかし、西ヨーロッパ、中東、アフリカは全て0%。どうも、人類の起源であるアフリカが完全活性であることを考えれば、遥か昔に大陸を移動していった連中でアジア地域に住み着いた連中に突然変異が起き、それがモンゴロイドに広まったそうです。
なーんて、知ったかぶって書いてますが、これは全て、サントリーのホームページの受け売りです。詳しくは、http://www.suntory.co.jp/arp/candrink.htmlをご覧ください。
要するにお酒には潜在的に毒があり、この解毒剤を白人や黒人はほぼ100%「完全装備」しているのに対し、日本人の半分近くが不完全であると。だから、酒の酔い(=アセトアルデヒドによる身体機能や脳機能の低下)が生じやすい、酔っ払いが多くなりやすいということなのでしょうね。もっとぶっちゃけてわかりやすくいえば、白人や黒人は「飲むけど酔わない(酔いにくい)」、アジア人は「飲んだら酔う(より深く酔いやすい)」ということなのでしょう。
さて、そうなりますとですね、西洋人において、かなりベロベロに酔っ払うというのは、結構大変なことだと思うのですね。かなりガンガン飲まないとそこまでいかない。だから、割と酔っ払いを非難しやすいと思うのですよ。「なんでそこまで飲むんだ」って。また、全員がALDH2完全装備ですからね、一律的に非難はしやすいでしょう。逆に少々のことでは酔わないから、昼間っから酒を飲んでいてもそれがそんなに悪いことだとは思われない。
ところが、日本人は、半分近くが「飲んだらすぐ酔う」わけで、飲み=酔いがかなり直結している。だから、昼間っから酒を飲むこと=昼間から身体労働能力を低下させること=真面目に働かないこと、とほぼ同義になり、非難の対象になるのでしょう。勤勉な日本人としてはそこが許せない。同時に、勤勉な日本人としては、だからこそ、アフターファイブはストレス解消の時間ですから、酒を飲むのはイイコトであり、飲んだら酔うのだから、オフタイムに酒を飲むことが許容されるのと同じく、酔っ払うこともまた許容されやすくなるのでしょう。
また、日本人の場合、ALDH2の働きが活性化している人、あんまりしてない人、全然しない人と個人差が激しく、酔っ払いに対して一律非難しにくいという事情もあるのでしょう。ほんのコップ半分で真っ赤になる人だっているわけです。これに加えて日本的な社会慣行があって、「イヤでも飲まざるを得ない事情」というのがあるわけです。ですので、本人がだらしないわけではなくても、気の毒な事情で飲まざるを得ず、その結果泥酔しちゃったとしても、一概にこれを責めるわけにもいかないでしょう。西洋人のようにあまり強制する習慣がなく、みな一律に酒が強く、かなりガンガン飲まないと酔わないのだったら、泥酔者=自由意思で激しく飲酒した人=だらしない人=と決め付けることは出来るしょうが、日本人にこの方程式は通用しないでしょう。そういう部分はあると思います。
あとはずっと前に述べたことと繰り返しになりますが、日本社会は、お酒に限らず、同族的な寛容性が高いということは言えると思います。西欧人が念頭においている「一人前の社会人=Matureな人」というのは、けっこう「ご立派」というか、他人に弱いところを見せず、愚痴もいわず、乱れない人間像のように思います。特に性格的に謹厳でプロテスタント系のアングロ・サクソンはそうなのでしょう。
でも、これって疲れだろうなーって思います。人間、そんなに強くは無いですよ。落ち込むことも、愚痴を言いたくなることも、もろくも崩れて弱い部分や醜い部分をさらけ出してしまいたい部分もあるでしょう。日本人は、仲間内ではこういった「弱い姿」をわりと平気で晒します。愚痴も言いますし、また聞きます。お互い弱い部分を許容しあって、それで全体にバランスを取っているのでしょう。
自分の弱いところは見せないのが礼儀みたいに頑張ってる西欧系の人は、だからポッキリ折れたら激しく折れちゃう。社会的なハードルが高いだけに、ハードルを越えられなかったら一気に落ちていく恐さみたいなのがあるように思います。例えば、アルコールや薬物中毒者の比率は、日本の方がずっと少なかったと記憶しています。記憶だけですので間違ってるかもしれませんが、少なくとも薬物ドラッグ中毒(ジャンキー)は、日本にはそんなに居ないでしょう。
また、なかなか愚痴を言う相手のいない西欧系の場合、「お金を払って愚痴を聞いてもらう」というカウンセリングが早くから発達しています。日本でも近年急速に広がっているとは思いますが、西欧の方が発達してるでしょう。これは、単に西欧が社会として進んでいると見るべきではなく、日本社会の場合、特に伝統的な日本の家族的な社会においては、仕事のあとで一杯やって「憂さを晴らす」なり、愚痴を言い合うというストレス解消をやってきたから、そんなに必要がなかったのだと思います。アフターファイブの「ノミニケーション」というのは、あれは一種のグループ療法と言えなくもないです。
このように社会全体のシステムとして捉えた場合、日本人が酔っ払いに寛容だといわれるのは、公衆道徳やモラルのレベルが低いからではなく(その可能性は必ずしも否定しないけど)、それよりも、人間の弱いところを相互に受け入れあう、家族的で、ソフトな社会であるという性格に起因しているように思います。
だから日本人が寛容なのは、別に酔っ払いだけではなく、人の弱さ全般に寛容だとも言えるでしょう。例えば暴力。夫婦喧嘩における暴力、あるいは教育における体罰。もちろんドメスティックバイオレンスや過度の体罰など問題があることは百も承知で言いますが、例えば、夫婦喧嘩で奥さんがヒステリー起こして皿を投げつける行為も立派な「暴力」であり、一度でもそういうことをしたら即警察に通報してその奥さんが逮捕されるという措置が常に絶対的に「正しい」と言えるか?という点はあると思うのですよ。体罰だって、踏みつけたり、肋骨折ったりなんてのは別としても、頭をゴツンも絶対ダメというべきかどうか。同じように、軽犯罪=これは自転車泥棒とか、風呂屋の下駄泥棒とか、落ちてるお金をネコババしたり、会社のコピーを私用で使ったり、、、そういう犯罪を、常に厳正に処罰すべきか?あとは、「嘘」です。常に常に正直でなければならないのか?
結局、人間なんかそんなにお綺麗に生きてなんかいけないし、不完全な人間であるから、時として過ちを犯すこともあるでしょう。その過ちを、一定の許容限度をもうけつつ、その範囲内だったら苦笑いしながら「許す」ということは、これは必ずしも「だらしない」ことではないと思います。それはある意味ではその社会の成熟性、大人性を示すこともあるのでしょう。
僕は何を言ってるかというと、そんなに「アレしちゃダメ、絶対ダメ、やったら処罰!」と、教条的になってたら世の中やってらんないんじゃないかってことです。そして、日本人は、民族的にそんなに教条的にならない。人が教条的になる場合というのは、多くの場合は宗教でしょう。宗教は絶対性がイノチみたいな部分がありますから、「なにがなんでもこれ!」と押し通すパワーがあります。特にプロテスタントは、教会権力という中間問屋を排除して、神様と個人とで直取引する発想ですから、それだけに自己規律が厳しくなるのでしょう。でも日本人は基本的に無神論者ですから、そういう背中をまっすぐに伸ばすような物差しが少ないのでしょう。あるとすれば、個々人の信条や信念、あるいは古くは武士道のようなもの、これも結局は信条でしょうから、個々人の美意識にまかされているのでしょう。
ただし、日本社会にある種の「大人性」があるとしても、これは両刃の剣という面もあります。つまり、日本的な大きな「なあなあ」というか、互助の傘のなかに入っているレベルだったら、周囲の人の寛容性で吸収してしまえるのだけど、それからはみ出してしまったような場合については、それでは対処できない。フィジカル、メンタルにハンディキャップを負ってる人、エアポケットのような人生の不幸にはまり込んでしまった人に対しては、国家というシステムが本腰を入れて対処する必要があります。西欧は、人間のスタンダードのストライクゾーンは狭いかもしれないけど、それが狭いだけにそこから外れる人の存在を当然の前提として認識しており、それへの対処も本格的にやる。つまり、福祉システムですね。日本は、スタンダードのストライクゾーンを広げて、酔っ払いのような一過性の錯乱的ふらつきはフォロー出来るのだけど、それを超える場合は「大人度」だけでは対処できず、結局相対的に薄い対処になってしまいがちだということです。
このように見てくると、酔っ払いに対して厳正に処罰しようという一連の立法も、実にいろんな背景、それこそ遺伝子から社会構造まで考えないと、その本当のところは分からないのでしょう。
あと、最後に言っておきますが、今僕が書いたのも、ほんの物事の一面に過ぎません。事実はもっと複雑なのだと思います。それを示すために幾つかの関連情報を示しておきます。
朝日新聞の6月17日の記事によると「アルコール依存症82万人、成人男性の2% 厚労省推計」というものです。これは、これまで日本のアルコール中毒患者数についての公式な数としては厚労省の患者調査しかなく、入院・外来合計で1万7100人(02年10月現在)とされていたものを、新たにWHOの基準で調査をした結果、「依存症の割合は男性1.9%、女性0.1%、全体では0.9%。世代別では70歳代が341人中10人(2.9%)で最も比率が高く、60歳代(0.9%)、50歳代(0.7%)と続く。世代別に依存症割合を人口に掛け、日本全体では推計82万人とはじき出した」ということです。それまで2万人弱だったアル中の数が、数え方によっては一気に40倍にもなるということで、日本にもアル中は潜在的に沢山いるのだということです。
また、この記事では、「調査では「暴言・暴力」「飲酒の強要」「セクハラ」など、アルコールによる問題行動の被害実態についても聞き、飲酒関連の被害者を3040万人と推計。職場の人との飲酒が原因で困った経験のある人は9.5%おり、うち「からまれた」が49%、「飲酒の強要」が36%あった。被害を受けたことで「人生や考え方に影響を受けた」と答えた人も、被害者の13.4%にのぼった」ということで、「日本人は酔っ払いに寛容である」とだけ言ってて良いのか?という事実もあります。
アルコール薬物問題全国市民協会ASKという団体があり、http://www.ask.or.jp/にホームページがあります。ここでは飲酒や薬物の問題を真面目に捉えており、聞きなれない言葉ですが「アルハラ(アルコールハラスメント)」ということで、飲酒強要やイッキ飲みに警鐘を鳴らしています。ここを読むと、いかに多くの人が新入生歓迎コンパで亡くなっているか、我が子を亡くした親御さんの悲嘆が伝わってきます。これらを読んでおりますと、これまた「日本人は酔っ払いの寛容」とか、ソフトな社会のナチュラルカウンセリング的な飲み会とだけ能天気に言ってて良いのかって気もします。
しかし、だからといって教条的に飲酒を敵視する必要もなく、また日本社会のソフト性を悪し様に言うこともないでしょう。物事には、常に盾の両面のように良い点、悪い点があるのであり、良い点を述べる場合は、悪い点にも十分認識しなくてはならず、その逆もまたしかりということでしょうね。
次に、オンライン・プレジデント誌の2001年3月に、ウォルフレン氏の「「酔っ払い」の「世界標準」と日本人の文明度
アルコールとのつきあい方は「社会の鏡」である」という論稿が掲載されています。http://www.president.co.jp/pre/20010305/03.html
これは面白いので一読をオススメしますが、そのなかに、「たとえばアイルランドの文化と、イタリアやユダヤの伝統的な文化を比べてみると、この点がよくわかる。アイルランド人にとってアルコールは昔から家の外で飲むものであり、飲酒は一人前の男の証、憂さを忘れるための行為であった。男が酔いつぶれて帰ってきても、妻はおおらかにそれを迎えるのである。それに対しユダヤ人やイタリア人の家庭では、ワインなどのアルコール類は家族の集まりや宗教行事の際に飲むものであり、したがって、たいていの人が飲んでも乱れることはない。子供たちはその中でアルコールとの上手な付き合い方を学んでいく。」というくだりがあります。これは同じ西洋系、しかもアイルランドとイタリアという同じカトリック系でも飲酒文化が違うということで、興味深い指摘です。
また、日本はどうかというと、「日本は、「アルコール文化」という点で、どのあたりにランクされるだろう。かなり高位置にくるはずだと私は思う。もちろん顔が赤くなる人は多いが、日本人の友人や知人と飲んでいて、不愉快な気分にさせられたことは長年の間に一度もない。杯から溢れんばかりに注がれる酒を別にすれば、溢れんばかりに満ちていたのは親愛の情だけだった。私より何十年も前に日本に来た外国人が書いたものを読むと、かつての日本人は今以上に品のいい飲み方をしていたらしい。ところが敗戦後の鬱屈、復員兵が持ち帰った習慣、(飲酒についての考え方が異なる)アメリカの占領によって、粗野な飲み方が出てくるようになったのだという。
ストレスのある状況下で文化と文化が衝突する場面では、粗暴な酔っ払いが生まれやすい。大陸ヨーロッパを訪れるイギリスの観光客は、この点で悪名高い。自国のビールを飲むのと同じ調子でフランス・ワインをがぶ飲みし、大声でわめいたり、歌ったりするのである。自分たちの行動が顰蹙を買っていることなど気づきもしない。若者が集団で行動しているときは特にひどく、やたらと物を壊して回る。日本のサラリーマンが酔いつぶれたり、電車の中で吐いたりするのは、彼らがストレスを抱えている証拠である。しかし、彼らはおおむね他人に粗暴な振る舞いをすることはない。したがって日本の社会は、「深酒した状態での文明度」という点で、国際的に見てもかなり上位にくるはずだ。」とされています。
長々引用したのは、これまた同じ西欧系でも、イギリス人観光客がヨーロッパで酔っ払いとして顰蹙を買っているということですね。なんだ、お前らだってやってるじゃん、って。それと、これによると、日本の方が酔っ払いが多くてヒドイとは一概に言いにくいことも分かります。もちろん、これは著者本人の主観ですから、どれだけ客観的に正確なのかはわかりません。また、論文というよりは随筆みたいなものですので、精緻に考えての執筆でもないでしょう。それでも、「うーむ、一筋縄ではいかんな」という物事の多面性というものがわかると思います。
シドニーのボンダイビーチでは(酒類免許を保持した店の敷地外の)飲酒は禁止されています。ニューイヤー前になると、動物園の檻のような、巨大な鳥かごのような金網がおかれ、酒を飲みたい奴はそこに入らないとならなかったりします。かなり飲酒に気をつかっているのですが、これは、西欧人の方が泥酔したときにぶっ壊れ方が激しいからかもしれませんね。実際、こっちの連中が本気でドンチャン騒ぎをやったときのハードさというのは、日本の比ではないです。もう基礎体力が違うから、暴れだしたら大変。先日も、ウチの近所で、21stがあったのですが(21歳になるとやる慣例的なパーティ)、森閑とした住宅街で夜中の3時までガンガンに大騒ぎしてました。
また、今、丁度、ゴールドコーストで、Schoolies celebrationsというのをやってます。高校を卒業した連中が、HSC(=統一卒業試験=事実上の大学入試)を終えて、北の温かい海辺、ゴールドコースト、バイロンベイ、ヌーサなどにいって、「ヒャッホー!」と息抜きホリディを満喫するわけですが、「騒ぎすぎ」ということで、殆ど「暴動」みたいなノリで警察の厳戒態勢が敷かれていたりします。ゴールドコーストでは、300名にも上る警察官と、1100人のボランティアが治安維持にあたるそうです。
まあ、こういう状況を見ると、日本人の飲み方や酔っ払いは、まだまだ大人しいのかもしれませんな。逆に、それだけに、こちら(オーストラリア)としては、酔っ払いの粗暴度が高い分だけ、厳しく当らざるを得ないという側面もまたあるのでしょう。それにこのスクーリーズも、年々問題視されてきており、今日もラジオでやってましたが、それは年々重圧が高まる大学入試の反映ではないか、ストレスがきついだけ解放欲求も強く、それが粗暴な言動になるのではないかと。なんか、このあたりの感じは、日本もこちらも変わりませんね。
文責:田村
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