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今週の1枚(04.10.04)
ESSAY 177/2004年連邦総選挙
写真は、投票所に掲げられたポスター。解説は文中参照。
さる10月9日(土)に、オーストラリアでは連邦総選挙が行われました。オーストラリアはサイクルが短く、3年に一回選挙があるのですね。結果は、与党(リベラル+ナショナルのコーリション=連立)のボロ勝ちです。ジョンハワード首相は、オーストラリアの歴史上も珍しく4期目を迎えます。
いや、しかし、僕にしたら残念ですね。こっちに移住してから9年間ジョン・ハワード首相ばっかりだし、もともとカリスマ性もない保守中庸な人物で、「詰まらんな」と思ってただけに、「またかよ」って気分がしますな。
ただ、結果が出てみれば、「なるほどね」と思ったりもします。オーストラリアはまだ政権交代を望んでいない、というかあんまり現状を変えたくないって。この現状維持的、小市民的態度が、僕なんかからしたら、オーストラリアっぽくなくて「らしくねえな、おい」って不満だったりするのですが、僕の好みにあわせて地球が廻ってるわけではないのでしゃーないです。
イラク問題もテロ問題も論点にはなりましたけど、決定的ではなかったように見えます。やっぱりメインは内政、選挙民ひとりひとりでいえば、「自分の暮らし」がメインになるでしょう。
何度も言ってますが、オーストラリアはず〜っと景気がいいです。もう何年続いたのか数えるのも面倒になるくらい、十数年にわたって好景気が続いてますし、あきらかにバブルっぽい様相を呈してからでも既に数年推移しています。そこそこ沈静化したとはいえ、不動産価格は高値どまりです。その目の玉が飛び出るほどの不動産の高さは、それに慣れてしまった僕が去年日本に帰ったとき、日本の不動産のあまりの安さに唖然としたほどです。シドニーだったら、しょーもない2DKのマンションが5000万円とかしますもんね。ちょっといいなと思うような一軒家だったらすぐに億を越えます。
なんでそんなクソ高い不動産が買えるのかといえば、そこが不動産バブルなのでしょうね。銀行もどんどん貸すし、オーストラリア国民は背骨がヘシ折れるくらいの巨大なローン負債を抱えているとも言います。それでも、借りるし、買うのは、高値転売の期待があるからですし、記録的に金利(インタレスト・レート)が低いこと、これまた記録的に失業率が低いことによります。早い話が、オリンピックの前からオーストラリアは一丸になってイケイケドンドンで鉦や太鼓を鳴らして突き進んできて、オリンピックが終わろうとも、テロがあろうともメゲずに進んでいるってことです。
でも、なんとなく傍観者的立場で見てしまう我々からすると、なんでそんなに景気がいいの?というと、大した実体経済の裏づけがあるようにも思えんのですね。巨大な金鉱が発見されたとか、オーストラリアのある産業が急激に国際競争力をつけたとかいうこともないです。オーストラリアの工業製品で国際競争力があるのはサーフボードくらいじゃないの?とか。だから、景気は良いのはひたすら内需の拡大であり、まさに"consumer cofidence"としか言いようがない、消費者が財布の紐を緩めている気分、「お金使っちゃってもいいよね」って気分に支えられている感じがします。日本は全くその逆ですから、景気なんかしょせん「気分次第」のいい見本なのかもしれません。
このような消費拡大傾向をヘルプしてるのは、よくは知らないのですが、フレキシブルな住宅ローン商品の新開発だったりするそうです。なんという名称だったか忘れちゃったけど、例えば月20万円の住宅ローンの返済があったとしても、これを別に「返さなくてもいい」って”フレキシブル”な制度が導入されたそうです。「返さなくてもいい」ってのはどういうことかというと、返さなかった分、自動的に先送りになるそうです(ローンの組みなおしが行われるのか、そのあたりの複雑な計算メカニズムは知らんのですが)。要するに返さなくても、直ちに債務不履行にならなくて、支払期限が単純に伸びるとかそういった処理で済むと。そして、オーストラリアの場合ローン途中で転売転売するのが普通ですし、また場合によっては70年ローンとかアホみたいな長期ローンになってるから、誰も最後も返そうとは思ってないです。適当なところで転売すりゃいいやって感じなんですな。だから、死ぬほどの住宅ローンを組んでも、事実上返さなくてもいいんじゃないの?だったら使っちゃおっかなあって感じで、その分消費に向かって、ホームシアターを買ったり、高級車を買ったりしているわけです。
とかく先のことを心配する貯蓄大好き日本人的メンタリティからしたら、「それって破滅の道では、、、」って思っちゃうのですが、国民性の違いっていえばそれまでですが、No worries, Mate!って、あんまり気にしている風でもないです。少なくとも、日本人ほど気にしてないですよね。
ここで一口英語教室。こちらの新聞やニュースを読んだり、地元の人と世間話をする場合、「絶対知っとけ」という英単語。
intersest rate :金利のことですが、これは平均的なオーストラリア市民の日々の生活の生面線ともいえます。金利が上がれば月々の返済額は上がります。仮に0.2%あがったとしても、もともとの借入額が巨大だから毎月の家計を直撃します。ましてやローンでなんでもかんでも買ってるオージーからしたら、その影響は大きい。これがもう2−3%もあがろうものなら、一気に地獄へまっさかさまってケースも出てくるでしょう。日本人って、わりと金利や公定歩合の上下動に無関心というか、どっかのビジネスマンやエコノミストが気にしてるくらいで、世間の庶民には対して関係ないもんねってな部分がありますが、こちらでは今やってる生活が成立するかしないかの生面線くらいの重い意味があり、それだけに反応もビビットだったりします。
mortgage:モーゲージ(Tは発音しない)。抵当権のことですが、日本的にいえば「住宅ローン」だと思ってればいいです。これが日々の生活や、人生のやりくりの基本ラインになるのはインタレストレイトと同様です。
これらの単語の翻訳的な意味はそれほど難しくないですし、知ってる人も多いでしょう。しかし、実際にこれらの概念が、英語ネィティブのオーストラリア人達の心や頭にどう響くか?になると理解するのは難しいです。これは外国語習得の宿命ともいうべき難しさなのですが、その言葉の本当の意味を理解するには、その人々と同じように生まれ育ち、同じような人生観を持ち、同じライフスタイルをしていないと難しい。
何度も紹介してますが、物の本によりますとアメリカ人は一生の間に4回転職し4回家を買い換えるといいます。オーストラリアも似たようなものでしょうし、昨今はもっと多いかもしれない。戦後日本人の平均的な場合は、一生の間に全く転職せず、また家も一回買ったらそれきりだったりします。この差ですよね。あなたも将来に最低4回仕事を変え、4回以上家を買い換えるんだと思ったら、生きていくリズム感やパースペクティブ(見通し)が変わってくるでしょう?当然のこととしてダイナミックな人生展開を考えるでしょう。それを生まれたときから当然のこととして思っているオーストラリア人の場合、投資/インベストメントという概念や、リスクやリターンに対する発想が骨の髄まで染み込んでいるのだと思います。一方、日本人における住宅ローンというのは「人生の大半の期間を背負っていく課題」であり、その興味の焦点は「無事に返済しきれるか、破綻するか」でしかないです。ですので、チョコチョコ金利が上下動しようが、住宅ローンの制度がどうなろうが、だからといって「よし、転売だ」みたいに気軽に動けないからあんまり関係ない、関係ないから興味も薄い。昔は35年固定金利なんてのもありましたしね。日本人の家購入を定期預金や貯蓄だとしたら、オーストラリア人の家購入は、あくまで不動産投資であり、貯蓄というよりはむしろ株取引をやってる感覚に近いんだと思います。
株感覚で家を買い、人生を組み立てている連中からしたら、この種の住宅ローン関連の単語の重みというのは、日本人以上にシビアに受け止められても不思議ではないでしょう。ですので、これらの英単語を勉強するときは、背景にある社会システムや生活感覚の差まで考えて理解されるといいと思います。そして、その感覚をベースにしないと、今回の選挙の意味もまた薄ぼんやりしてきてしまうのでしょう。
付記していえば、今の日本社会を構成している基本原理、例えば資本主義社会であったり、民主主義システムであったりしますが、これらの概念やシステムは全て西欧で生まれて発達してきたもので、それを明治や戦後に移植してきたものです。だから日本人は、これらの基本原理を血肉になるまで理解してるか?というと理解してないと思います。厳密にみていけば、日本は資本主義でもないし、民主主義でもないともいえるでしょう。日本が資本主義だといっても、「地球は太陽系に属する」といわれているような感じで、それを疑ったりはしないけど別にビビットに自分のこととして受け入れているわけでもないという。僕だって心の奥底から確信して受け入れているか?っていえば、受け入れてないですよ。資本主義というのは「投資」という概念を徹底的に血肉レベルで身につけないと結局は理解できないと思いますから。株主総会は、あれは純然たる投資結果報告会なのだとか、社長というのは委託投資資金の運用責任者だとか思えないもんね。あなた、思えますか?
別にそれは遅れているとか劣っているとかいうことでも無いのでしょうね。借り物だから馴染むまで時間が掛かるということでしょう。その代わり、日本古来のシステムや生活感情、それは「義理」であったり、「申し訳ないという気持ち」であったり、「世間に対して恥ずかしく思う気持」であったりするのは、若い人の中にも骨の髄まで染み込んでいます。もっと卑近な例でいえば、「一日の疲れを湯船のなかでゆっくり癒したい気持」なんてのもそうでしょう。「風呂なんか身体が綺麗になりゃそれでいいんだ」と合理的には思えないでしょ。家の中でも靴を履いているというのも馴染めないですよね。いくら日常的に会社や学校で靴を履いたまま建物の中を歩いていたとしても、「自宅は別」なんですよね。その「我が家の神聖さ」の感じと、靴を履いている状態を「土足(これに対応する英語は当然のことながら存在しない)」と感じるメンタリティは日本人に染み付いたものでしょう。「(人の心の中を)土足であがりこんで」という日本語独特のイディオムも、英訳するには意訳しないと無理でしょう。原理やシステムと生活感情とは別だってことです。
選挙の話に戻ります。
今回、野党レイバー(労働党)が敗北したのは、いろいろ言われていますけど、好景気を謳歌して調子よく進んでいるオーストラリア人の平均的なメンタリティとして、現状維持を望んだということだと思います。
既に前回の選挙のときからその兆候はありました。このエッセイの27回で3年前の前回総選挙の報告をしてますが、状況はあんまり変わってないですね。シドニー西部は、庶民的な労働者のエリアで、昔から労働政権であるレイバーのお膝元だったのですが、昨今のシドニー不動産事情から、これらのエリアが開発分譲され、住民の気質も大きく変わっていってます。労働者!というよりは、住宅ローンを抱えるプチブル感覚ですよね。これらのエリアのことを、最近の用語では、モーゲージ・ベルト(地帯)とか呼んだりします。
そうそう、これもここ数年の新語だと思いますが、マクマンション(MacMansion or McMansion)というのがあります。殆どの辞書にはまだ載ってないと思いますが、シドニー住人だったら「知ってて当然」的な単語になってます。意味は、渋谷さんという方のサイトにある時事英語オンライン辞典に手際よくまとめられています。引用しますと、「McDonald's と mansion の合成語。「ハンバーガーのマクドナルドの店鋪のように、やたらに新築される、安っぽい住宅」の意味で使われ始めたが、現在では、かなり変わってきて、「小さな敷地いっぱいに建てられた、周辺の環境に不釣り合いな、デラックスな大邸宅」を意味するようになったという。この言葉は、前後の文脈をよく読んで、意味を的確に判断する必要がある。」
シドニーでもこのマクマンションが流行ってます。今やシティから半径20キロ以内の物件はもう手が届かなくなってますから(東京の山手線の内側に庭付き一軒家を買うようなもの)、どうしてもリーズナブルな値段で納得できる広さを求めたら、遠くに行くしかなく、パラマッタ以遠のブラックタウン、さらにその先という具合に開発住宅地が広がっています。ブラックタウン以遠やペンリス周辺、あるいはキャンベルタウンのようなエリアには、敷地一杯一杯に立てられた大きな新築住宅が立ち並んでます。
敷地にギリギリまで建てるから、庭が狭く、したがって木々も殆どなく、ひたすら家家が庇を接していて、その密集感覚は日本みたいです。個人的にはあんまり住みたくない家だけど、でも実際にこっちに住んでたら予算の都合でそんなこといってられないよね。
これらモーゲージ地帯、マクマンション地帯に入り込んできた新住人たちは、従前の労働党支持基盤の人々とは考えも違うし、結果として労働党は今回もこのあたりで議席を獲得できず、伸び悩むことになってます。
上の写真は、与党側の(野党レイバーを攻撃する)ポスターですが、過去歴代のレイバー政権のときにインタレストレイトがいかに高かったかを訴えているわけですね。言わんとするのは、ここでレイバーに政権を変えるとまた金利があがっちゃうよ、あなたのモーゲージが破綻するかもよ?それでもいいの?という、エグい主張ですね。こういうのを "fear campign"フィア・キャンペーンといって、恐怖を植え付けるような選挙活動のことをいいますが、なんだかんだいってこれが結構効を奏したんじゃないかなって気もします。しかし、「こんなんでビビってんじゃねーよ、オージーのくせに」という気もするのですよね。
あと、マークレイサムのLの字が黄色地に黒く書かれているのは意味があります。このシルシは、車の免許のラーナーズライセンス(仮免)のデザインです。仮免中の車はこのマーク(Lプレート)を貼ってなければいけないのですが、そこから転じて、「マークレイサムは政治家としては仮免だ(3期首相を務めたハワードから見たらヒヨコだ)」という意味があるわけです。こんな未熟な人間に政権渡して、金利が上昇して、生活ぶっ壊れてしまっていいの?という含意があるわけですね。
今回、労働党党首のマーク・レイサムもよく頑張ったし、ある程度好感を持って迎えられていたようですが、「せっかく今上手くいっているのに、わざわざ変えるのも、、、」ってメンタリティに敗れた感じがします。実際、景気がいいだけでなく、金利も低い、失業率も低い、景気がいいから政府の財政はウハウハの大黒字だし(このあたりも赤字国債で事実上自己破産状態の日本政府と違うところですが)、さしあたって変える理由もないのかもしれません。
二大政党制といいますが、どこの国でも国政に関する二つのベクトルは同じだと思います。つまりは、経済政策をメインに置く方向性と、社会福祉に力点を置く方向性です。前者は財界や金持ちの代表みたいに言われ、後者は労働者や庶民の代表みたいに言われます(誇張して言えばだけど)。オーストラリアの場合、経済ベースのリベラルと、労働福祉ベースのレイバーであり、アメリカはリパブリカンとデモクラッツであり、日本の場合は自民党と民主党になるのかな(昔の自社時代の方がわかりやすいけど)。
でも、こういう図式自体が、19世紀から20世紀の資本家対労働者の修正資本主義と呼ばれる政治体制をベースにしていて、今日ではそのままでは適合しない。国際情勢で言えば東西冷戦構造の頃はまだリアリティがあったわけですが(日本の55年体制とか)、21世紀の今日、共産主義国家である中国の経済発展にアメリカや日本などの資本主義国家が引っ張ってってもらっているというワケのわからない状況になってます。日本もそうですが、オーストラリアでも労働組合の組織率が低下してきてます。要するに皆適当に金持ちになってきてるんでしょうね。「オレは労働者だ!」という自己規定をする人が減ってきているし、あなただって「私は労働者である」とあんまり思ってないでしょう?だから労働者の権利保護をベースにした労組の連合体のような労働党がいまいち生彩を欠くのは時代の必然という気もします。
その時々でどちらが政権に就くかは、思いっきり極端に言えば、自分は強者の側にあると思うか、弱者の側にあると思うか、その人口比率によるのだと思います。強者はできるだけ現状を維持したいと思うし、弱者は現状を変革すべきだと思う。これが保守VS革新の基本的なフレームワークだと思います。
でもって、今のオーストラリアは景気がいいから、皆さんプチ強者的な発想になっちゃうんでしょうねー。まあ、しゃーないかなって気もしますよね。
また、労働者の権利保護に通じる政治哲学は、この社会はほっといたら弱肉強食過ぎてバランスを欠くから修正しましょうという発想であり、弱者救済や福祉、社会正義の実現に親和性があります。だからアメリカでも、デモクラッツの方が黒人票や女性票に強いといわれます。
これらの社会正義の部分ですけど、これって所得の再分配(金持ちから貧乏人に所得移転する=金持ちから税金をとって庶民に分配する=公的教育、医療設備を充実させる)だけではないです。環境問題なんてのもここのところ重要になってきてます。労働党もリベラルに比べればこの種の問題に理解のある方ですが、この点についてはグリーンパーティという環境保護専門政党という「餅は餅屋」みたいな政党にもっていかれるわけです。実際、今回の選挙で上院(セナトー)も半数改選されたわけですが、グリーン党は以前よりも勢力を伸ばすようです。
それにですね、労働党的言えば、環境保護を言い過ぎると労働者を敵に廻すジレンマもあるのですね。オーストラリアの環境問題といえば、森林保護になるのですが、森林を伐採しているのも労働者なのですね。タスマニア選挙区でも労働党は敗北を喫しているのですが、やはり労働党が森林保護政策を掲げたのが反発を招いたといわれています。いやあ、レイバーもつらいところだと思いますよ。支持基盤が一枚岩になっててくれないのですからね。
あと、イラク問題も結果的には大した影響を与えていなかったようです。ジョンハワード首相がでイラク戦争に赴かせるために意図的に情報操作をした「嘘つき」だという指摘は、わりと結構受け入れられていたようですが、だからといってそれが選挙の大勢を決定するようなものでもなかったということです。もっとも、ハワード自身の選挙では、反戦抗議票で3%ほど得票を減らして、反戦対立候補が(勝てなかったけど)票を大きく伸ばしたようです。が、その程度。
まあ、一口に乱暴に総括してしまえば、今回のオーストラリア国民の意思は、「目先の好景気によって現状を楽しんでいる小市民化したオージーが、戦争や環境問題などの社会的に不正義に目をつぶって、現状維持のまま惰眠をむさぼりたいと思った」ってことでしょうかね。だから選挙権を持たないぼくら傍観者からしたら、「らしくねえな」とか「詰まんねー奴らだな」と思ったりもします。
逆に言えば、この好景気が一転して不況になったりすると、「俺は強者」と思ってる人たちが相対的に減って、また政治地図も変わっていくだろうと思われます。でもって、経済というのは、時の政府が優秀だったからという面もあるだろうけど、現代のボーダーレスな国際経済からしたら、一国内部の政策云々でどうなるものでもないって部分も強いでしょう。アメリカが不況になったら、オーストラリアが国内的に幾ら頑張っても一挙に不況になるでしょう。オーストラリアの多くの産業は、海外資本によって運営されてたりします。オーストラリアの4大国産メーカーも、フォード、トヨタ、三菱、そして地元のホールデンですがこれもGM資本だといいますから、全部海外資本。ご存知のように三菱がワヤになって、アデレード工場を閉鎖ってなれば、アデレードエリアの打撃は大きい。
そうなると、国内政治と経済ってそんなに関連あるの?というか、現在まで好景気だったのはリベラル党の功績なのか?というと、別に全部が全部そうだとも思いにくいのですね。だから、政権というのは「運」だよなあって思ったりもします。
さて、今後の動向ですが、ジョンハワード首相が継続するとしても、また一期3年丸まるやるか?というと微妙ですよね。「いい加減にせえ」って部分もあろうし、なによりもナンバー2でずっと出番を待ち望んでいて、予想外にハワード政権が延び延びになってるから待ちくたびれている観もあるピーター・コステロがもう我慢できないんじゃなかろうか。僕のようにハタから見てる人間からしても、もう10年くらい前からスタンバっているのに「よう、まあ、我慢して待ってるわな」と感心したりもします。
僕がコステロだったら、ここで一回リベラルが負けて、ハワードに責任取らせて引退させて自分がリーダーになって、この一期3年の間にバブルがはじけて経済がメタメタになって、「ほら、レイバーはやっぱりダメじゃん」といいながら、次の選挙で勝って首相になるというシナリオをひそかに描いていたかもしれんですな(^^*)。だもんで興味の焦点は、この3年でハワードはコステロに「禅譲」するかどうか、いつそうするかだったりします。
文責:田村
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