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今週の1枚(04.09.06)
ESSAY 172/お昼寝と居眠り
写真は、本日突然降ってきた雹(ひょう)。シドニーにはたまに雹が降ります。hail stormです。数年前のボンダイエリアのやつはソフトボール大の雹が降ってきて、屋根は壊れるわ、車はボコボコになるわで大変でしたが、今回はまあ小ぶりなゴルフボール大でそれほどのことはなかったです。それでも、相当やかましいし、雷はガンガン鳴るし、びっくりします。急いで車に毛布やダンボールをおっかぶせたりして大変でした。いかにも荒っぽい大陸性気候ですが、冷たい空気が入り込んで急激に冷やされるのでしょう。さっきまで20度近くあったのが、いきなり息が白くなりましたもんね。
朝早く起きて通学列車に揺られる生活をしていた高校時代、なにがなんでも朝早く起きなくても良い自由業になるんじゃあって心に誓い、そうだ弁護士になろうということで必死こいて勉強しました。めでたく願いが叶って、さらに職住接近で職場まで原チャリで5−10分というマンションを借りてやっていたわけですが、確かに朝は多少フレキシブルになりました、その代わり夜は遅いわ、朝も早いときはメチャクチャ早いわ、なんだちっとも「自由」業じゃないじゃないかと思い、そうだ海外に行こうと思いました。めでたく願いが叶ってオーストラリアにやってきて、職住接近どころか職住一緒にして、やれ一安心幾らでも寝れるわと思いきや、今度は空港へお迎えにいくとかいうサービスを自分で勝手に作ってしまったので、日本にいるとき以上に早起きする羽目になってます。
しかし、なんにも予定が入ってない日もあるわけですが、そういう日でも早起きしてしまいます。早起きのクセをつけておかないとしんどいという職業的な理由もありますが、体質的に実は朝方なのかもしれません。何もなければないほど早起きしてしまうという、夏休みになるといきなり早起きになってしまう子供のようです。
ただ、この早起きを支えるのは、早寝以外にもう一つ重要なモノがあります。お昼寝です。シエスタですね。これもよほど体質に合っているのでしょう、オーストラリアに来てから殆ど毎日のように昼寝をしています。なんせ朝も6時前には起きてますから、下手すれば4時くらいに起きてるときもありますから(今朝は四時半に起きた)、午後の2時、3時になると、起床から数えて既に8時間から10時間経過していることになります。朝の9時に起きる人からしたら、もう夕方から夜の7時くらいに相当するのですね。しかも早朝というのは、深夜と同じく一切邪魔が入らないから、メールを書くにも、なにもするにも異様に集中できるので、昼飯食ったら結構疲れてきたりするわけです。
よく、山奥にこもって仕事してる人とか、作家などの自由業の人で、朝は早く起きて、仕事は午前中に全部やってしまって、午後はフリータイムってパターンの人がいますが、あれは気持ちわかりますよね。さもありなんと。集中すればお昼くらいまでに一日分くらいの仕事量はこなしてしまえますし、それ以上頑張っても効率悪いのですね。
もちろん日本にいるときはそうそう昼寝なんか出来ません。昼寝どころか夜の睡眠時間も結構削ってたはずです。こちらにきて、しばらくしてから実感したのは、「なんてよく眠れる国なんだ」であり、「なんて昼寝の気持ちいい国なんだ」ということです。いやあ、実際気持ちいいのですね。特にこれからの時期がいいですね。春になって、新緑の季節になって、空気がカラッと乾燥してるし、風がよく通る国でもあるし、真っ青な空をバックに青々とした若葉をベッドから見上げながら、そよ風に吹かれてウトウトするのは、えもいわれぬ気持ちよさだったりします。
ウチのゲストルームに泊まられる人でも、かなりコンコンと眠られる人が多いです。長旅で疲れたというのもあるのでしょうが、寝やすい環境が整っているのでしょう。シドニーは大都会とはいえ、サバーブ(住宅地)に入れば静かなもんです。木々が多く、それがインシュレーター(防音材)の役目を果たすのか知りませんし、坂が多いのも理由なのかもしれませんが、ウチでも殆ど鳥の声しか聞こえなかったりします(この鳥が、クッカブラをはじめとして結構うるさいのだが)。もし、シドニーに住んでおられて、こういう環境でなかったとしたら、you might have missed something important かもしれません。 シドニーサバーブの90%がこういう環境だと思いますよ。
ああ、書いてて今思い出しけど、日本にいるときも結構昼寝してましたわ。別に自室にお布団ひいて、、って寝方ではなく、居眠りですけど。日本で仕事していたときは外歩きが多かったので、電車やバスなどの移動時間中によく寝てました。これは皆さんもやってると思いますけど。あと、頭がウニになったときとか、空いてる会議室かなんかで10分だけ突っ伏してたりしました。そういえば肉体労働系のバイトしてるときも、昼飯食べたあとはダンボールをベッド代わりに敷いて寝てましたし、大学の図書館や研究室で勉強してるときも突っ伏して寝てましたね。そういえば高校の頃以前も授業中寝るのは普通だったし、通学途中の電車やバスでも寝てました。なんだ、結局、終始一貫寝てるんじゃないか。昼寝と呼ぶか、居眠りと呼ぶかだけの違いであって、夜以外にも睡眠は取ってました。
逆にいえば、オーストラリアに来てから「居眠り」という行為をしなくなりました。今更ながらこれは”発見”ですね。でも、これは国による変化というよりは、単純に生活パターンの変化なのでしょうね。車移動が多くなり、バスや電車に乗ることが少なくなりましたし、自宅で仕事してれば、居眠りするくらいだったらベッドに倒れこんで寝てればいいですからね。
これは個人的な変化ですが、全体的にいうと、こちらの人はバスや電車でもあんまり居眠りしてないですね。日本に帰るとよく思うのですが、日本の人はバスや電車でよく寝てる。それか本を読んでる。こちらでは、日本ほど本を読んだり、居眠りしてる人はいないです。ある意味、日本ってまだまだ治安がいいんですよね。公共交通機関の中にいても安心して寝ているんだから。こっちの交通機関も、寝たら必ず盗まれるとかそういうヒドさはないですし、別に全然寝られるし、僕自身寝るときもありますが、やっぱり緊張感がちょっと違うのかもしれません。
世界の人はどういうときにどういう居眠りの仕方をしているのか?考えたことないけど、調べてみたら面白いテーマなのかもしれないですね。ふと興味を持ってインターネットで調べてみたら、例えば、額賀信氏(ちばぎん総合研究所取締役社長)のエッセイによると「私も随分多くの国々を訪れたが、そのような光景を見たことはない。電車乗客の常態的な居眠りは、多分特殊日本的な光景なのである。」と書かれています。あるいは、
外国のメディアの紹介記事ですが、「6月7日付の『シュピーゲル』誌に「仕事中の居眠り」と題する記事が掲載されている。この記事は、日本人がいかに居眠り好きな民族かを論じたものである」とされています。
「昔から「日本人はよく電車で居眠りしている」というのはよく聞く話である.この話は日本の電車内が安全であることの例とされてきたが,安全とは関係なく「日本人はよく居眠りする」という話を,最近あちこちで聞く」と書いているのは、浅野晃氏広島大学助教授のHPにおけるエッセイです。この方、教授なだけあって、「なんでやねん?」と考えてくれて、面白い仮説を提示してくれています。以下抜粋引用します。
「ところが,先日のNHK「ためしてガッテン」の「必見!オトナの快眠術」という回を見てあることに気づいた。それによると,「夜の時間帯に強い光を浴びると,体内時計の時間が戻ってしまい,眠りに必要な物質であるメラトニンが体内で生成されにくい」そうである。ここから先は,あくまで私の仮説である。真偽は定かではない。
日本人の朝の弱さや居眠りの原因は,家庭の蛍光灯ではないだろうか?
日本の家庭では蛍光灯の照明が多用されているのに対して,ヨーロッパの家庭の照明は白熱電球中心で,日本の家庭よりもずっと暗い。フィンランドで住んでいた学生アパートの部屋の照明は,60Wの白熱電球ひとつであった。わたしは,蛍光灯の電気スタンドを2つ買ってきて,部屋を明るくしていた。オフィスの照明は蛍光灯だが,日が落ちたあとの部屋で,手元だけの暗い照明でパソコンに向かっている人をよく見かけた。
日本では,明るい部屋でふだん生活しているせいで,メラトニンが十分にできない体質になっているために,同じ時間眠ってもヨーロッパ人よりも眠りが浅く,そのために朝が弱かったり居眠りしたりするのではないだろうか?」
ということです。うーむ、なるほど、なかなか興味深い仮説ですね。
ただ、西欧人は日本人(アジア人種)よりも、明るさに対して感度が高いという事実は、こちらに住んでいれば、部屋の中や町が(僕ら日本人の目からしたら)異様に暗かったりすることからも経験的に明らかですが、解剖学的な裏づけもあるようです(例えば、ここ)。
確かに日本は蛍光灯が多いですよね。オフィスや店舗だけでなく、自宅にも蛍光灯を多用しています。僕の昔のマンションも、、、、そういえば殆ど蛍光灯でしたね。こちらは白熱電球が多いです。ちなみに電球のことをglobeといいます。電球だからすぐに切れて、こちらに来てから早々に買いにいって全然通じなかったのでよく覚えています(^^*)。「”電球”って英語でなんていえばいいんだ?そうかランプか」と思って「ランプ」と言っても全く通じない。この日本語の「ランプ」という発音は、”ramp"(傾斜面、高速道路の出入口にも使い日本語にもなってる)、"rump"(尻のこと)、"lump"(かたまりの意味)、そして明かりという意味の”lamp"の4種類あります。日本人の苦手なLとRと、しかも母音の「あ」音も二種類に分かれるわけで、日本語的発音で「ランプ」といっても、この4つうちのどれか分からないし、はっきりいって4つのうちどれでもない意味不明な音声にしか聞こえないでしょう。明かりの意味のランプは、正確には「電灯」ではないです。アルコールランプなんかがあるように、別に電気を使ったものに限るわけでもない。「あかり/灯り」という意味であり、電気器具の個々のパーツである「電球」からはやや離れています。「電球ください」というところを「あかりをください」と言ってるのだから、そして意味不明な発音で言ってるのだから通じなくて当たり前です。買うときは、globeといいましょう。「ぐろーぶ」じゃなくて、「ぐろうぶ」です。二重母音、注意。ちなみに蛍光灯がまた”fluorescent”という面倒な発音だったりします。フローレセント。最初のロはL音、レがR音、難しいです。
ここ数年、こちらも経済性を重んじてか、蛍光灯がよく出回るようになったと感じます。ただし、細長いやつではなく、グニャリとまげて、白熱灯のソケットに入るようにしてあるタイプのものです。色も、日本のような白々した白色光よりも、”warm”と表示されている昼光色系のものも多く、導入してもそんなに部屋が白々とはしません。
その、メラトニンですか、メラトニンと光の関係ですが、西欧人が暗い光でも彼ら的には明るく見えているのだから結局同じじゃんという気もします。しかし、メラトニンは、見え方ではなく身体に浴びる光の量によって決定付けられるとするならば、やはり彼らの方が被爆量は少ないわけで、よく眠れる傾向にあるのでしょう。ただ、光の量の問題として(何を基準に量をはかるのかわからんけど)、蛍光灯と白熱灯でそんなに違うのかなという気もします。白熱灯だって沢山つけたら同じじゃんという気もしますね。でも、浅野先生がおっしゃりたいのは、日本の家屋は蛍光灯を多用して、必要以上に明るいのかもしれないってことなのでしょう。僕は、日本にいるときからなんとなく蛍光灯の冷たい光が好きじゃなかったので、こちらにきて白熱球メインの照明であることにホッとしています。でも、日本人って蛍光灯が好きなのでしょうかね、何で?
話はどんどん横道に逸れてますが、まあ、本来の話が「お昼寝」という他愛のない話なので、面白かったらいくらでも横道に逸れましょう。で、日本人は蛍光灯好きか?ということで、またぞろちょこっと検索してみたら、ゾロゾロでてきました。まずは、HITACHI系のナビパラコムというところのエッセイにありました。
「(前略)そこで「日本人は蛍光灯が好きなのか?」というテーマでいろいろと調べてみると・・・ありました。日本人蛍光灯大好きの理由についての興味深い説が。
その説によると、日本中に蛍光灯が普及した理由は経済面と日本の気候であるらしい。経済的な理由としては、戦後、電力供給が不足しており、必要に迫られて電力消費の少ない蛍光灯が積極的に多くの建造物や一般家庭に敷設されたというもの(そういえば昭和40年ころまでは、停電など頻繁にあったなぁ)。もうひとつの理由として、どうも日本人は蛍光灯が大好きという好みの問題があるようなのだ。日本は高温多湿の国。こうした気候の中では、照明に関しても黄色い「温かさ」のイメージより、白い「涼しげ」なイメージが好まれた、というもの。夏のジメーっとした部屋で裸電球をパチ。うわぁ、確かに想像しただけでイヤである。
さらに、蛍光灯が家庭用として日本では普及し、欧米ではあまり取り入れられなかった理由の一つが、日本人と欧米人の目の違いではないかという。日本人の黒い瞳と欧米人の青や緑の瞳。瞳の色の違いは、光に対して感じるまぶしさの差となってあらわれてくる。
つまり、日本人にとっては、部屋を隅々まで明るくしてくれる蛍光灯が、どうも欧米人の青い瞳にとっては、まぶしすぎるのではないかというのだ。オフィスでは書類やディスプレイなど細かいものを見なくてはいけないので我慢するが、家では必要ないということだろう。」
ということです。なるほど、戦後成長の国策的側面や、高温多湿気候では蛍光灯の方が「涼しげ」なイメージがあるというのはそうかもしれないですね。また、西欧人には眩しすぎるというのも分からないでもない。
ほかのサイトでは、米村アーキテクツスタジオという建築士さんのサイトの家づくりコラム-06では、さすが建築士らしい洞察が示されていました。これも面白いから引用しますと、
「(前略) この(白熱色の照明の)「暖かい色」があるからこそ,私たちは落ち着きを感じ,食事が美味しく見え,相手の人の顔もより人間的に見える。部屋全体に高級感を感じるのです。白熱球は全体を均一に照らさないので,この照度のムラが,部屋の演出効果が高まります。思い直してみてみましょう。外国映画を見ても,テレビを見ても家族は絶対に蛍光灯の下に居ないのです。なのにいざ生活しようとすると蛍光灯を選んでしまう。
(中略)戦後ひたすら欧米志向を追い求めた日本人だったのですが,そのようなソフト(心)を取り入れる事は忘れていたようです。最もここまで,蛍光灯に対するアレルギーを消し去ったのは大手電機メーカーの戦略があったことも特筆すべきこと。「明るい我が家=新しい文化」のようなイメージが戦後浸透してしまったことです。私たちの生活は,常識と思っていることも,よくよく分析してみると「産業」側の路線にすっかり乗ってしまっただけのことが多々あるものです。特に電機メーカーの戦略は気をつけたいものです。
面白い調査というか,街並みウォッチングの方法があります。夜に散歩がてら,近所のマンションを眺めてください.明らかに「高級マンション」と言われるタイプに住んでいる住人の方が蛍光灯を使っていないのです。その比率(生活意識チェック)をみながらマンションを見るのもけっこう面白いものです。また最近は,部屋の中を「真っ白」に演出する蛍光灯の人気がピークを過ぎてしまったことがあり,蛍光灯にも「電球色」の商品が出始めました。実験的に採用をしていますが,クライアントからの評判は悪くない。1灯あたりの単価が高いが,寿命は白熱球よりずっと長持ちするし消費電力が少ないのがなにより魅力を感じています(後略)。」
なかなか含蓄に富んだ指摘なので、リンクをたどって全文お読みなるのをオススメします。
また、上記に引用したもの以外にも検索すれば興味深い意見が沢山あるようです。
さて、いろいろな意見はあるのですが、「日本人が蛍光灯が好き」という命題ですが、僕としては「本当に好きなのかな?」って気もします。上にも指摘されているように大手メーカーの戦略という部分もあって、好きか嫌いとかいう判断以前に、そういうもんだと思い込んでいるだけじゃないかと。選択肢が少ないから、そうなってるだけという。
国策的・経済的な意味での蛍光灯奨励は、既に時代的に合理性を失っています。また、上に指摘されていた「蛍光灯の方が涼しげ」ってのも時と場合によるような気もします。というのは、白熱灯だとどうしても「裸電球」というイメージになっているでしょ?確かに昔は裸電球が多かったです。昭和30年代から40年代とか、トイレの電球は大体裸電球だったし、工場も裸電球がプランプラン揺れてました。かぐや姫の名曲「赤ちょうちん」でも、「あのころふたりのアパートは裸電球まぶしくて」と歌ってますもんね。そういった風景からすると、蛍光灯はカッコよく、高級感に溢れていました。だから皆そっちに流れたというのは、僕の昔の記憶からもなんとなく頷けます。
しかしですね、白熱灯=裸電球じゃないですよ。白熱灯だって、カッコいいランプの傘を添えたり、間接照明にしたりして幾らでもゴージャスな雰囲気を演出できるし、現に西欧ではそうしてます。オーストラリアでは、オリエンタルムードのある日本の提灯(ランタンですね)や行灯みたいなベッドライトも沢山売られています。でも日本では、このような白熱灯を使った照明商品をあまり開発せずに、蛍光灯を使った商品ばかりが発展していったんじゃないかなって気もするのですね。「和室には蛍光灯」みたいに、木目と障子イメージのデザインで丸く、四角く囲ったフレームを開発したりしてね。だから、白熱灯を使っても十分に「涼しげ」な演出はできるし、夏の田舎家みたいに暖色系の照明であっても別に暑苦しくはないんじゃないですか。
もう一つ理由があるのは、上の米村さんのご指摘にもあったように、白熱灯というのは均一に照らしません。それが微妙な陰影をつけ、部屋のムードを盛り上げるのですが、これって部屋自体がある程度カッコいいというか、快適な場合に妥当するのであって、部屋自体がショボかったら、こういう不均一な陰影の多い照明は、逆に「うら淋しく」見えてしまうのかもしれません。西欧の古典的建築のように、天井が2メートル半とか3メートルくらいあって、家具も少なく、スカスカだったら、陰影つけた方がカッコよく見えると思います。しかし、僕の昔住んでたような4畳半か6畳一間の下宿部屋で、万年床に散らかり放題のむさ苦しいしい部屋だったらどうでしょうか?陰影をつければつけるほど、なんか化物屋敷風味になっていくような気もします。もっとも、考え方はいろいろあって、むさ苦しい部屋だからこそ、全てを煌々と照らす蛍光灯よりも、白熱灯で陰影をつけて”誤魔化す”方がいいんじゃないかって気もしたりします。まあ、早い話が、キャンドルだけにしてロマンティックなムードに、、というやつですね。
どっちがどうなのかは分かりませんが、住環境の問題ってのはあると思います。特にスペースですね。絶対面積が小さいってのはあると思うけど、でもオーストラリアでも小さな部屋や家は沢山ありますよ。そりゃ巨大な家は巨大だけど、普通の2ベッドルームのフラットが日本のマンションに比べて巨大か?というとそんなに差はないような気もします。むしろ小さいくらいかもしれない。問題は、日本の家にはモノが多すぎるんじゃないかと。これは昔の僕の日本のマンションを想起しても言えるのですが、やたらめったらモノが多いです。一点豪華にガッシリした木目のアンティークのテーブルがドーンとあるとかいう感じではなく、どーでもいいようなものがコチャコチャ散乱しているのですね。これが全体の貧乏臭さを加速しているのですね。「隙間家具」なんてのはその最たるものかもしれません。日本人はモノフェチだと思いますし、モノフェチになっても不思議でないくらい安価で高性能の商品が氾濫しています(本格的な家具だけはやたら高いけど)。
もう一つワケがあると思います。こちらは中古品は殆どなんでも売れます。「売ります/買います」が非常に盛んで、多少痛んでいようが、傷ついていようが、日本人みたいにヴァージン大好き・新品信仰メンタリティはないから、日本的に考えたら結構な値で売れます。また、日曜大工は皆さんお手の物だから、多少壊れていても平気で直してしまいます。だから、何だ?というと、家具の入れ替えが簡単なんですよね。買ってみて飽きたら売ればいいんですわ。邪魔くさいモノだったらちゃっちゃと処分することが出来るという環境が、部屋のスペース感、スカスカ感を支えているんじゃないかなって思います。
やあ、大分話が逸れたというか、進んだというか。
でも、「日本人は居眠りするのか、なぜか」「日本人は蛍光灯がすきなのか、なぜか」は、気軽に考えられる面白いテーマです。これから日本は、秋の夜長になりますが、飲み会の席ででも、話題に詰まったら振ってみて議論してみてください(^^*)。
さて、話をもどして「お昼寝」です。
僕の場合、日本では居眠りをして、こちらでは昼寝をしています。
どちらがいいか?といえば、昼寝のほうが横になって背筋を伸ばして寝れるから健康的には良いでしょう。居眠りは居眠りで、独特な快感がありますけどね。「眠っちゃいけない」とか思いながら、瞼が重くなってきて、幽体離脱みたいに魂がそっと抜けていく感じはなかなかイイですね。
日本では僕に限らず誰しも居眠り経験があるでしょう。生まれて一度も居眠りをしたことがない人なんて、まず居ないと思いますけど、おられますか?誰でもやってる居眠りなので、居眠り話は沢山ありますよね。ついてた頬杖が外れてドキッとなるなんてのは古典的ですが、厳粛であるべき法廷での居眠りエピソードもよく聞きました。やっぱプロであっても眠いものは眠い。特にうららかな日の午後の法廷の証人尋問なんか眠いです。緊迫した場面ではもちろん寝ませんが、なかには手続きとしてやってるような、結果に殆ど影響ないようなものもありますからね。時代がのんびりしてたのか、また豪傑ぞろいだったのか、昔の話の方が面白いのが多いです。クーラーも何もない頃、壇上の見えないところに水ダライをもってきて足を突っ込んでいた裁判長の話とか、またその人が居眠りして、うっかりタライを蹴飛ばして法廷中水浸しになったけど、誰も見てみないふりして、何事もなかったかのように審理を続けていたり。居眠りしてるところを起こされて、はっとなった挙句、椅子の上に立ち上がってしまった弁護士もいるって話を聞いたことがあります。
僕が知ってる裁判官も、居眠りはしませんが、眠くはなるといってました。彼によると、昼飯にゴハン物を食べるとやっぱり眠くなるので、午後に法廷がはいってる日はウドン類で済ませるようにしていると。あと、「○○先生は証人尋問でも寝てるけど、大事なところになると自動的に起きる」とかいう伝説の類も多いです。なんの映画だったか忘れましたが、ハーバードロースクールの講義の部分で、「とにかくオブジェクション(異議あり)を言え」というくだり、「諸君が法廷で居眠りしていたとしても、居眠りから覚めたらとにかく『異議あり』といえ」とかいってましたから、似たようなもんですな。
会議中の居眠りは、これはもうお家芸ですよね。いかに巧みに居眠りをするかの技術交換話もよくやりまして、考え込んでいるふりをして居眠りをするのは普通なんだけど、コツは居眠りから覚めてもそのままのポーズを崩さないことらしいです。覚めてからおもむろに身体の位置を変えたりすると、「あ、起きたな」と周囲には丸わかりなので、目が覚めても瞼は閉じたままにしておき、まったく姿勢を変えないこと。修練がいるのですが、慣れると出来るようになります。そして、ここからが肝心なのですが、そのままのポーズでなにか発言することです。くだらない質問でもなんでもいいんですけど、寝たままのポーズで、「ちょっと今の点なんですが、、」としゃべり始めると、「ああ、寝てたんじゃなかったのか」と周囲を騙せるとかなんとか。
ところで、先のハーバード大学の例でもわかるように、西欧でも、まったく居眠りしないってわけじゃないです。第一「居眠り」って英単語がありますからねー。"doze"とか"nap"とか。しゃれた言い方では”forty winks”なんてのもあります(オーストラリアのベッド屋さんのチェーンでFORTY WINKSという店があります)。
ただ、単語を調べてみて思ったのですが、「居眠り」「うたた寝」「昼寝」の違いがあんまりないのですね。要するに短い、カジュアルな睡眠を意味するくらいで、日本語の「居眠り」という言葉が含むニュアンス、「本当は寝ちゃいけないんだけど寝ちゃう」「あんまり誉められたことではない」という、どことなく「怠けている」というネガティブなニュアンスがそれほど入ってないようです。
広辞苑によれば、”居眠り”は「座ったり腰掛けたりしてしたまま眠ること」であり、”うたたね”は、「寝るつもりでなく横になっているうちに眠ること」を言うそうです。広辞苑によれば、必ずしも「居眠り」には、「本来寝ちゃいけないのだけど」という意味は含まれていないようですが、うーん、そうなんかな。まあ、確かに電車やバスでの居眠りは「本来寝てはいけない」というものではないけど、、、でも、なんとなく「あるまじき」ってニュアンスがあるような気がしませんか?「寝てはいけない」とまでいったら言い過ぎなのかもしれないけど、「必ずしも眠る行為がその場合における第一義的行態として思われていない」とでもいうのか、、、ちょっと堅い言い方だけど。実際、居眠りの場面というのは、会議や授業中だったり、店番のジイサンだったり、車を運転してる最中だったり、寝ていてはイケナイ場合によく使われますよね。そりゃバスや電車は「寝てはイケナイ」ことはないし、実際皆寝てるけど、それでも寝るのがむしろ当然だとか自然だとまではいえないだろうし、寝ても構わないけど普通はまあ起きてるもんだというニュアンスがあるような気もします。が、まあいいです。少なくとも、広辞苑によっても「座ったり腰掛けたり(同じじゃないの?)」という本来寝る姿勢ではないというイレギュラーさがあるのは確かでしょう。
一方、英語のdoze, napは、コウビルドの英英辞典によれば"sleep lightly or for a shot period, especially duaring the daytime"ということで、主として日中に、軽くあるいは短く眠ることだけしか意味がないです。「腰掛けたまま」「寝るつもりでないのに」とかいうイレギュラーさはそこには入ってきません。
だから、居眠りも昼寝も英語的には同じ言葉になってしまって、「居眠り」を正確に英語一単語に訳するのは不可能だということなりますし、そういう言葉が無いということは、英語圏の人は居眠りと昼寝を区別して発想していないことを意味するのだと思います(区別してたら大体別の言葉を作っているでしょう)。区別しないのはなぜかというと、、やっぱりあんまり日本人のように居眠りしないからでしょうかね?
「日本ではもっぱら居眠りをしていたけど、オーストラリアでは昼寝をしています」というのは、日本とオーストラリアの生活パターンの違いをかなり端的に、キャッチコピーのように言いあらわしていて「ええ感じやね」とか個人的に思っていたのですが、英語圏の連中にとってはその違いがまるで分からないのかもしれません。だからこのエッセイを全文英訳しようと思ったらかなり難しいかもしれないです。
西欧人があんまり居眠りしないかどうかは実証的にはよく分からんのですが、日本人がよく居眠りするのは経験的によく分かります。もう我が身の経験としてよく分かる。なんとなく直感的に思うのは、日本人のライフスタイルの中には、そんなにギンギンに張り詰めていなくても良くて、なんとなくボヤヤ〜ンと存在していればいい、一定時間そこに拘束されていればいいって「春うらら」みたいな時間が多いのかもしれませんね。会議とか講義でも、超真剣にやってたら寝るどころではないですし、逆にアドレナリン出まくりってことになりそうですが、なんとなく儀式的にやっているって場合が多いのかもしれません。
あと、バスや電車で寝てしまうのは、一つには通勤時間が長いってことがあります。でも実際日本に帰ったとき実感したけど、日本の都市圏は広いですよ。横浜から東京まで、あるいは京都から大阪まで通勤してる人はザラにいますけど、これって約50キロあります。シドニーでいえばシティからブルーマウンテンの麓くらいまでの距離です。日本の感覚だったら、東京から横浜までなんか「すぐそこ」って感じだけど、シドニーの感覚だとブルーマウンテンまで行くとなると、下手すれば東京から箱根にいくくらい、そこまでいかなくても湘南にいくくらいの距離感があります。日本に帰ってるときには、日本に住んでた頃の感覚で、「ちょっとそこまで」的に京都から大阪まで出てましたけど、実際に電車に乗ってみると、それまで意識しなかったけど「うわ、これ、めっちゃ遠いじゃん」とその長距離ぶりを実感しました。これだけ遠かったら寝ますわ、そりゃ。
もうひとつ、日本人は単純に睡眠時間が短いと思います。それは「夜の付き合い」があるからです。こっち無いですもん。そりゃ全然無いことはないし、パブも沢山ありますけど、日本の繁華街みたいに一つのビルにスナックや飲み屋の看板が10個も20個も密集しているってことはないです。夜の飲み歩きをやってりゃ、どうしても睡眠時間は短くなる道理であり、慢性睡眠不足になるのも無理はないです。そういう意味では日本では居眠りが多くて不思議ではないですし、居眠りできないとやってられないって部分があろうかと思います。
でもさ、どうせ居眠りしてるんなら、もっとちゃんと寝たらいいのではないかって気もします。「強制シエスタ法案」とか通してですね、林間学校や幼稚園の「お昼寝の時間」みたいに、会社に居ても絶対に昼寝をしなければならないという。これはもう法律にします。違反者には罰則で臨みます。そのくらい強制しないと日本人ちゃんと寝ないし。「寝てもいいんだよ」じゃダメで、「寝ないと違法だ」くらいに言ってあげないとね、やっぱ周囲の目もあるから寝にくいでしょう。でも、1時間だけでもぐっすり寝たら身体すっきりしますよ。それで労働生産性が下がるかというと、実はそーんなに下がらないような気もしますね。それに、睡眠不足は万病のもとですから、強制的に、もう官憲が銃剣で威嚇してでも国民に昼寝させてたら、天井知らずに膨れ上がる医療費予算も結構抑えられるんじゃないかって気もします。3兆円くらい浮くんじゃないかしら。
さて、シドニーではこれから春爛漫です。春眠暁を覚えず。幾らでも眠れます。
これからお越しになる方は、別にそう頑張って見物しなくたっていいから、こんこんと寝てください。1日15時間くらい。寝るためには、窓が開くような部屋がいいですね。だからホテルじゃなくて、B&Bとか普通の家系がいいですね。ちなみに、僕のところに泊まった方で、過去最高に寝た人は、連続27時間ぶっとーしに寝た方がいらっしゃいました。到着した日の午後の3時頃に寝はじめて、次の日の夜まで寝ていたという。素晴らしいです(^^*)。
文責:田村
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