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今週の1枚(04.08.30)
ESSAY 171/観光立国
写真は、どっかの車が駐禁の切符を切られている風景。場所はフィッシュマーケット前。
こちらの駐車取締りは、警察ではなく各自治体がやります。おそらく民間に外注に出しているのでしょうか、そしてまたノルマ制なのでしょうか、まあ、よく働いてくれます。僕も何度食らったことか。
例によってネタ探しでインターネットを見てましたら、「ほう」と思うアーティクルがいくつかありました。一つは、新聞記事で、「旅館・ホテルの倒産件数、04年も高水準」ということです。旅館やホテルの倒産件数が90年代末に急増し、以後高水準で推移しているということです。二つ目は、よく紹介しているFPC(Foreign Press Center/外国人の記者さんへの窓口的存在)のなかで、内閣府特命顧問になっている島田晴雄さんという慶応の教授が「日本の雇用」について、今年の7月7日に講演したものの概要です。http://www.fpcj.jp/j/fgyouji/br/2004/040707.htmlに記事があります。ここでは「定住観光」という耳慣れないけど、「そうそう」というフレーズが出てきます。3つ目は、同じく島田さんのインタビュー記事で、日本の観光立国化の提言です。
バックグランド的理解は、上記の島田教授の講演内容をお読みいただければ一番わかりやすいと思います。簡単に要旨を説明します。まず大きな話ですが、戦後の日本の経済活動は、簡単に言ってしまえば世界の工場になること、端的にはアメリカの工場になることでした。要するに高性能の工業製品を作って世界に(一番大口はアメリカ)に売り、外貨を獲得し、それで皆で潤いましょうということで、日本社会全体がそのために動いていた。技術開発をし、大手メーカーが製品化し、下請けがこれを支え、金融機関や政府がこれをサポートし、、という感じですね。「ものづくり日本」ですね。それはそれで大成功したのだけど、これからもそうか?という疑問は残る。というのは中国の台頭です。いまや中国こそが世界の工場になっているわけで、この傾向はあとしばらく、数十年単位で続くでしょう。そうなると、「いいもの作って世界に輸出」という基本戦略そのものを見直さなければならないのではないか、と。
じゃあどうすんの?というと、これが歴代政府が取り組んできた「需要創設型構造改革」というやつです。最終需要=エンドユーザーを世界の人々(特にアメリカ人)としてモノを売るのではなく、最終需要を日本人にして日本人にサービスを売るという構造、日本国内におけるサービス産業をもっともっと活性化し、それで雇用創設をはかる(=皆が食えるようにする)ということらしいです。
日本の雇用は、今は景気回復しているとはいえ、メガトレンドとしては、上述のように製造業関係雇用が減る、公共投資の削減により建設関係雇用が減る、農林水産業の雇用も急速に下がっている、公共投資に限らず公的支出関係雇用は減る(減らさないと大赤字の財政破綻するし)などで、ざっと500万人規模の雇用縮小が予想されているそうです。数字の具体的根拠や信憑性は僕はよくわからないですが、理屈は通ってるし、そのくらいいくだろうなって気もします。そうなると、今、いっとき景気が循環的に回復したとしても、大きな流れとしてはやはり雇用減少は避けられない。だから、製造業主体のこれまでの産業構造や発想そのものを変えなければならないのだという理屈は、これはこれでわかりますし、実際にこの10年以上ずっと言われてきたことでもあります。
で、その「需要創設型構造改革」=日本国内のサービス産業の活性化ですが、具体的にはどんなものが考えられているの?というと、政府が示している「530万人のサービス雇用創出計画」においては、「1.個人向け・家庭向けサービス、2.企業・団体(地方自治体)、3.社会人向け教育、4.住宅関連等のサービス、5.子育て支援サービス、6.高齢者ケアのサービス、7.医療・医療情報サービス、あるいは健康づくりに関するサービス、8.法曹等その他の専門職種分野のサービス、9.環境保護サービス」が挙げられているそうです。
要するに福祉とか教育とかいわれていた分野で、これまでもやるにはやっていたのですが、どうしても一律的で杓子定規な公的サービスがメインだった。つまりは「5時になったら閉まっちゃう」「一定の要件を満たさないと給付を受けられない」とか、そういうことですね。まあ、一言でいえば、「公的配給」というか、炊き出しみたいな”発展途上国的なシステム”だったわけです。だから今の時勢に合わない。子育て関係にしても、例えば島田教授の立論によると、日本には2万3千の保育所があり、うち1万3千は公立で夕方6時にはサービス終了になってしまいます。6時に子供をおっぽり出された場合、都会で共働きしている夫婦の場合ほぼアウトです。また残りの1万の保育所の98%は社会福祉法人という特殊法人が公立に準拠した基準で運営してるから、結局似たり寄ったりで、ごく僅かの保育所は午後7時まで預かりますがそこで終わり。つまり、保育所の機能が十分に果たされているとは言いがたい。「夕方になったらお母さんが迎えにくる」という、サザエさん的な、「いつの時代の話じゃい?」というイリュージョンを前提にシステムが成り立っている。しかも、”公的配給”のように一律的運営だからそこが改まらない。
民間経済の世界の話だったら、これってめっちゃくちゃビジネスチャンスですよね。「困ってる人がいる」ということは、すなわち需要があるということで、ビッグチャンスなんですから。元旦から営業するスーパー、密集するコンビニ、24時間営業のガソリンスタンドなんか今更日本では当たり前の光景ですが、これが民間の感覚というものでしょう。でも、保育所とかそういう話になると、24時間営業はおろか、7時以降にやってるところなんか、まともに認可を受けているところでは絶無に等しいというこの落差。だから、ここをシステム的に構造改革して、民間参入しやすくして、皆の生活を便利にするとともに、雇用もドーンと拡大しましょうということだと思います。そして、こういった改革は、まさに国家権力を握っている人間にしか出来ないこと、政府がやるべきことであり、実際にもやろうとしているってことでしょう。
じゃあ、なんで進まないの?というと、これらの公的サービス分野には必ず特殊法人というものが創設されており、高度成長時代にはその役割を発揮したのでしょうが、今は、自分らの既得権を守るために、一生懸命頑張って新規参入を阻み、ありとあらゆる政治力を駆使してシステムの変革が進まないようにしていると言われているわけですね。でもって、それらの特殊法人に、高級官僚が天下りしているわけです。まあ、そういった政府に「顔のきく」人々を迎え入ないと、改革を止めるための政治力も行使できないわけですから、持ちつ持たれつでしょう。でもってそこに税金が退職金やら補助金名目で注ぎ込まれている、と。
まあ、これはかなり漫画的に善玉・悪玉と分けすぎていますし、現実はもっと複雑だとは思います。特殊法人側にも言い分はあろうと思います。でも、誰が悪いとかいう議論は別にしても、子供をもう少し長く預かって欲しいと思っている共働き夫婦は実在しますし、それだけの支払能力があるにもかかわらず、それに対する供給が非常に少ないというのも事実だろうと思います。つまりは需給ギャップがある。店の前に客が大勢並んでいるけど、店は閉っているという、今の日本では非常に珍しい光景が、日本全国津々浦々でかなり長い期間展開され続けているって現実は、これはあると思うのですね。店を開ければ売れる状況にあれば開ければ良い、人手が足りなくなるなら雇えばいい、だから雇用が促進され失業が減り、また消費者もハッピー、いいことずくめじゃないですかという議論は、何度も言うように図式的に過ぎる面はありながらも、大きなラインでは当たってると思います。
同じようなことは高齢者介護の分野にもあり、あるいは教育(子供ではなく大人の)にもあり、今まで不便で当たり前だと思っていたけど、「なんで当たり前なの?」といわれたら理由なんか何もないという分野が、実はゴロゴロあるということで、そういった分野に民間が参入しやすくし、皆の生活を便利にするとともに、雇用も創設するというのは、大きな戦略としては間違ってないと思います。島田教授いわくは、小泉政権はこれをやろうとしているし実際にもやっているのだけど、あんまりマスコミが報道しないので報道してもらいたいようです。たしかに、マスコミ的には、金融問題/不良債権と道路公団、あるいは北朝鮮問題あたりが盛んに報道されてますが、それ以外は少ないですよね。もっとも、だから小泉さんはアレコレ言われようとも正しいのだ、、とまでは僕も言うつもりもないです。確かに方向性は正しいと思うけど、この方向性の正しさってのは今となっては誰でも知ってることですし、野党になったら方向が変わるかという変わりもせんでしょう。ですから、どの方向にやるかではなく、いかにハードに実行するか/しているか、How hard is he trying? って問題だと思います。
さて、そういった一連の議論の中に、「定住観光」という言葉が出てきます。
島田教授は、日本の観光立国プロジェクトのチーフをしているようですので(観光立国推進戦略会議委員)、ここになると一段と力がこもるのですが、これだけ観光資源のある国をむざむざ、、という思いは強いようです。これは、別のところ、例えばぱっと見つけたものでは、中国新聞2004年7月1日紙面でのインタビューでも述べておられます(http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In04071101.html)。
僕自身も、このエッセイのかなり初期の頃から日本はどうしてもって観光立国化せんのじゃ?と書いてますし、さかのぼれば最初にオーストラリアにやってきた10年前から、「すればいいじゃん!」って強く思いました。観光立国化して成功しているオーストラリアに住んでいると、めっちゃくちゃ儲かるのに、なんで日本はこれをやらんのか?とイライラするくらいに思いますね。オーストラリアって、古くはラッキーカントリーといわれ、鉱物資源は豊富ですし、農水産物にも恵まれています。しかし、この種のマテリアル系は今の時代そんなにお金にならない。じゃあなんでオーストラリアが社会としてこんなに高い生活水準でヘラヘラやってられるのかというと(別にヘラヘラはしてないのでしょうが、眉間に皺は寄ってないよね)、外貨獲得の巨大な二本柱があるからだといいます。一つは教育産業(留学生の受け入れ)、一つは観光です。これがものすごいドル箱になってる。
教育産業なんかすごいですよね。アジア地域にある西欧国家という、ともすれば仲間はずれ的・孤立的な立地を逆手にとって、(アジアから)すぐ近くで西欧式教育システムで勉強が出来るよ、ついでにネィティブ英語も勉強できるよということでガンガン広告します。でもって、留学生はフルフィーペイメントシステムとかいって、現地人の何倍もの授業料をぼったくるし(もう「ぼったくり」と表現していいかも)。広告戦略の上手さで、日本では「TAFE良いとこ一度はおいで」みたいな”TAFE神話”なるものが広まってるようです。余談ですが、TAFEって、地元民だったら年間100-200ドルで行けます。もともとが雇用対策機関みたいなもので、職安でやってるパソコン教室の大規模なやつですからね。それを100倍に値付けして年間1万ドルで留学生に売ってるのだから、いい根性というか、商魂逞しいです。そこまでせんでも、、という気もしますが、でも、あれだけ気合を入れた売り出し方には学ぶべきものもありますよ。日本の大学も少子化で頭を抱えてる暇があったら、タイ語やジャワ語、ベトナム語で書かれたパンフレットを増刷して、留学生には2-3倍の授業料をとって留学生を受け入れたらいいです。アジア人金持ってますよ。日本よりも貧富の格差が激しいから(というか日本が世界でも珍しい均一的中流国家なのだが)、お金持ちは日本人なんかよりもずっとお金持ちです。今、シドニーの町で歩いているアジア系で、一番ビンボーなのは日本人かもしれないです。まあ、「ビンボーでも海外にやってこれるくらい日本は国力が豊かだ」と言い換えることも可能ですが。
さて、観光ですが、島田教授いわくは(前記中国新聞のインタビュー)、日本人の外国人旅行客受入数は、なんと世界33位。先進国と呼ばれる諸国の中では文句なく最下位。第一位がフランスで、年間に7700万人の外国人観光客が押し寄せ、パリだけでも5000万人。二位がアメリカで4200万人。中国ですら(って言い方は失礼だけど)は3700万人。じゃあ、日本はどうなの?というと、これがたったの500万人でしかないという。これが今の現状です。
もう、もったいないです。それだけ日本に見所がないっていうなら仕方ないですけど、これだけ狭い国土にこれだけいろんな美しいもの、珍しいものが詰め込まれている場所って世界でも珍しいです。だって、一つの国内に流氷からサンゴ礁まであるんだよ。オーストラリアもワニからペンギンまでいるけど、大きさが違う。つまり観光客的に言えば移動が便利なんです。車で1,2時間も走ればもうガラッと風景が変わりますよね。海があって、山があって、高原があって、大森林があって(白神山地や屋久島)、火山があって、温泉があって、砂丘があって、リアス式海岸があって、豪雪地帯があって、世界に名だたる大都会があって、秋葉原があって、ディズニーランドがあって、本場の日本料理が食べられて、京都があって、ZEN(禅)があって、ニューエイジ的素材は至るところにあって、ポケモンとドラゴンボールとコミケがあって、、こんな面白い国はそうそうないよ。「世界の箱庭」とはよく言ったもんです。
車は一台売ったら、一台減るけど、富士山なんか何万人見ても減りはしない。そりゃゴミが増えるとかネガティブな面はあるけど、そんなもん製造・物販コストに比べたら微々たるものだし、幾らでも対策は立てられます。ああ、それなのに、年間500万人かよ、中国の7分の1かよ、なにやってるんだとイライラしてたのですが、去年あたりから本腰入れて観光立国化やり始めたと聞いて、ちょっとうれしかったです。
たしかに、シドニー現地の旅行代理店の店先に日本のポスターが多少目に付くようになりました。でも、まだまだ。より本格的には、外人さんが観光しやすい国にしないとダメだと思います。これからの日本の旅行産業は、アウトバウンド(外に送り出す)ではなく、インバウンド(外からきた人を受け入れる)方向にシフトするんじゃないかなって気もします、、、、というかシフトしてくれたらいいなあって思います。そうすれば英語を使う仕事は飛躍的に増えますよ。今じゃ、こちらに留学やワーホリできて苦労して英語を身につけても、それを活かす場が日本には少ないですからね。
オーストラリアで旅行した人、とくにラウンドなどの貧乏旅行をした人は痛感してると思いますが、こちらには安く泊まれる施設がいたるところにあります。いわゆるバックパッカーズ・アコモデーション、通称バッパーですが、これが日本にない。ユースもあるにはあるけど、とてもバッパー料金ではない。一泊1000円とか1500円レベルでないとバッパーとは言えないでしょう。日本にこれから2000軒くらいバッパーが出来てくれると、いいんですけどね。僕も日本ラウンドしたいです。死ぬまでに行ってみたいところは沢山あります。
あと、移動料金のクソ高さ。これはことあるごとにいってますが、高速道路の高さ。まあ、これは道路公団問題、公共投資問題と絡むので割愛します。長くなるので。あと、JRも青春18切符的な安い周遊券をもっと出すべきだと思います。ラウンドジャパンチケットで日本一周鈍行だけ乗り継いで3万円とか。今でも外人さん用に(僕ら永住権者も買える)Japan Railway Passという、2〜3万円くらいで一週間JR乗り放題(新幹線も)というチケットがありますが、もっと増やすべきでしょう。
でも日本の「売り出し」は日本人がやるのではなく、外国人にやってもらった方がいいです。オーストラリアを日本で売り出すにしても、オーストラリア政府が広告するよりも、日本人同士(日本の旅行会社やクチコミ)でやった方が説得力も機動力もあるでしょう。同じように日本を売り出すについては、その国の人に紹介してもらう方がいいと思います。国々によって日本が魅力的に見える部分が違うでしょうしね。海のない国の人には海が訴求力になり、熱い国の人には雪国的風景が刺激的でしょう。”自己紹介”をするとどうしてもエエカッコシイが入りますからねー。他人に紹介してもらった方が、遠慮会釈なく「こんな奇妙で、こんなにヘンなワンダーランド」みたいな、例えば「ニンジャのふるさと」のように、日本人からしたら「それは違う!」といいたくなるような、でもそれが一番訴求力があるって紹介の仕方をするでしょう。
余談ですけど、これって観光に限らず、国に限らず、本人が世間に一番売り出したいと思っている部分と、世間がその人について魅力的に思う部分というのは、常に微妙にズレているものだと思います。本人は知的なイメージで売り出したいのだけど、世間的には、朴訥で純朴な人柄が魅力的に見えたりする。オーストラリアなんかそうですよね。世間は、なんて純朴なと誉めるのだけど、本人的には複雑な心境で、朴訥とかいわれるとなんかアホみたいに聞こえるのでイヤだとか(^^*)。
そして同じように外国人を受け入れるだけではなく、そもそも日本人にももっと国内旅行をしやすくすべきではないか。日本人は、日本社会は嫌いだけど、日本の国土や自然は好きですからね。行けるもんなら誰だって行きたいと思うでしょう。
それはそれとして、島田教授の話のなかに、ちらっと「定住観光」という言葉が出てきます。これは外国人観光客に限らず国内観光についても同じです。彼の所論は、これまで観光というと、ようするに物見遊山とかその種のことに限定されてきたわけです。いわば「見物」ですよね。でも、もっと地元の空気に浸りたいとか、生活実感を味わいたいとか、そういったニーズはあるはずだし、そこを掘り下げることによって、均一化していない観光商品が開発されるのではないかってことです。さらに、気に入ったらしばらく住んでみるということも、大いにありえていいのではないかと。
島田教授の話が長々続きましたが、彼の話はここまでで、ここから先は僕の話です。このあたりのアイデアだったら、1分に一個出てくるくらいに山ほどあります。誰でも考えつけると思います。
オーストラリアに皆さん来ます。ウチのゲストルームにもうかれこれ数百人泊まってます。はじめの一歩のお手伝いで、いろいろ現地の動き方をお教えし、やってもらってます。その中には、以前パックツアーでシドニーに来たという人も相当数いますけど、同じ数日いるだけなのに、以前来たときとは「全然違う!」「めちゃくちゃ濃い」「同じ町にいる気がしない」って言われます。それは当然だと思うのですね、やってる密度が違いますから。
実際何をやるのかというと、別にオペラハウスにいくわけでも、ブルーマウンテンに連れて行くわけでもないです。地図をたよりに一人で近所の商店街に買い物にいったり(日本人なんか一人もいないような)、シティに置き去りにされ一人でバス乗って帰ってきたり、シェア探しの電話したり、アポとって実際に部屋を見に行ったり、、、です。僕がやるのは、説明とお膳立てと、あとは「声援」「激励」だけです。実働は本人がおっかなびっくりやる。もうビビりながら、人によっては半泣きになりながらやる。でも、それが一番面白いのですね。自力でバス乗って帰ってきただけでも大冒険ですし、英語で電話してアポとって、実際に地元民が住んでる普通の家に招き入れられて説明してもらうとか、忘れられない充実の経験になるでしょう。
こんなの「観光資源」でもなんでもないですよ。普通の地元民が普通にやってることですよ。でも、それこそが一番面白いんですよね。そこに人が住んでいる以上、必ずそこで生きていくためにもっとも合理的な暮らし方というのが編み出されているわけで、それを参加体験することで、「おおー、そうなんだ」という内面にズーンと響くような経験が出来るわけです。
このように、普通の人が普通に暮らしていること、それこそが一番面白いのだという観点に立てば、観光資源なんか実は無尽蔵にありますよ。
日本国内だって、日本人だから日本のこと知ってると思ったら大間違いです。ほんの高々自分の周囲の同質的な世界を知ってるに過ぎない。だって、いつも歩いている商店街の一軒一軒をみても、豆腐屋さんの日常なんか知らない、居酒屋の日々の暮らしも知らないでしょ。新聞記者の、警察官の、自動車修理工場の、漫画家の一日も知らない。傍でつきっきりで見たことなんかそうそうないでしょう?同じサラリーマンといっても、業種や職種が違えばもう全然見える風景が違う。
わかりやすいところでは、どっかの山奥の炭焼き小屋で体験入門みたいにしたらどうでしょうか。「備長炭のふるさとで一緒に炭を焼いてみませんか」みたいな企画にして、観光客用にそれなりにルートを作る。でも、できるだけリアルに一緒に寝起きするところから始まって、観光客だからといって甘やかさないで、歩き疲れて脱落したらそのまま山中に置き去りにされる、熊に食われても自己責任というハードな環境で、実戦さながらにやる。そのくらいやらないと、炭焼きのなんたるかが分かりませんからね。
同じように、北海道の牧場でもいいし、厩舎でもいい。富山のホタルイカ漁でもいいし、長野のレタス作りでも、和歌山の紀州梅干つくりでもいいです。杜氏さんのもとで酒作りを体験してもいいし。極端な話、普通の主婦の普通の一日でもいいわけです。これが一番面白いそうですけどね。一緒に公園デビューするとかさ。
ポイントは、観光客用に妙に簡単に、甘ったるくしちゃわないで、もう実戦そのままという厳しい環境でやること。「こんなもんが観光になるのか?」という人もいるでしょうけど、「観光」という概念を狭く限定しすぎているように思います。
オーストラリアでは、皆さんも知ってるように、ファームステイというのがあります。でもこれって、要するに普通の農家に泊まるだけのことでしょ。なんのアトラクションがあるわけでもないし、特にアトラクションとかいってもそれほどたいしたものが用意できるわけではない。でも、そんなことどうでもいいんです。体験したいのは、オーストラリアの広大な大地に住んで暮らしている人々の生活実感であり、息吹であり、要するに「自分の知らない世界」です。自分の知らない世界が見られたら、それも出来るだけリアルにビビッドに見られたら、それは必ずや何か学ぶところがあるはずですし、それこそが一番面白いことだと思います。違いますかね?
「乞食王子」というお話がありますが、王子様がそっくりな子供と服を交換して乞食になる話だけど、王子様くらいになると、あのくらいやらないと面白くないんでしょうね。今の日本人もそうだと思います。なんだかんだいって経済大国で、バブルを経験して、世界の一流ブランドも知ってきている飽食の我々にとって、高級・豪華路線という下から上を見上げるような方向性はもうそれほど魅力的ではない。欲しいのは「本物」だけが持つリアリティであり緊迫感だと思います。バブルの頃のクリスマスみたいに、ユーミン的な、豪華なディナーと海の見えるスィートルームみたいな路線は、むしろ逆に貧乏臭くすら思える。欲しいのは、一点の嘘もない、頭をガーンと殴りつけられるような”本物”だと思います。自分に自信のある奴ほど、それを求めると思いますが、違うのかな。
だったら、新しい観光商品といっても、なんたら饅頭を作るとかじゃなくて、もっともっと普通のありのままのものをリアルに見せるのがいいんじゃないかと思います。宮崎名産の椎茸がありますが、出来あがりの椎茸をお土産に売るのではなく、椎茸そのものを作らせたらいいんです。もちろん一日ではできないですけど、「椎茸作りのある一日」ってことで十分でしょ。これは、例えばぶどう狩りとか、芋堀りとか部分的には昔から実戦されていますが、あれをもっと広げたらいいんじゃないかって。
シドニーの新しい観光名所として、ハーバーブリッジの上の方まで登るブリッジクライムが有名ですけど、あれもよく考えたなって思いました。あんな公共の建築物、メンテの人しか登れない場所だったにもかかわらず、それに目をつけた起業家が管理している政府に話をしにいったわけで、またそれを許可する政府も政府ですよね。サバけてるよなって。安全対策が問題になりますが、そこは事前に健康診断をやって脈を計ったりしてスクリーニングし、おそろいのツナギを着せて登らせればそれでいいわけです。観光客用に特別に安全なルートを作ったわけでもない。普通の作業員さんが利用する階段をそのまま使ってる(と思う。少なくとも新規に何かを増設した感じではない)。これなんて、なんでも観光資源になるんだってことのいい例ですよね。
このように自分の日常生活を見せればいいだけだったら、誰でも出来ますし、特に改まった施設がいるわけでもない。媚を売る必要もなく、取り繕うこともない。そして、百パーセント「本物」ですもんね。「本物」ってところに大きな価値があるのですね。
「定住観光」ということば、要するにオーストラリアにきてる皆さんがやってるとのと同じことです。たとえ3ヶ月でもいいから住んでみたら全然違います。観光ビザでも、留学でも、ワーホリでも、「住んでみる」ってのは偉大な経験です。旅行とは全然違う。
これを観光する側に立てば、「一生の間に一度くらいエメラルドの海の近くに住んでみたい」「大森林のなかで静かに暮らすということをしてみたい」「土とたわむれて暮らしたい」ということを、一定期間であれ、定住することで叶えられるわけで、大きな意味があると思いますよ。定住すればコストも安いですしね。また、過疎の村においても、定住人口が増えればそれなりに活性化もするでしょう。
でも、定住している間、今まで住んでいた家はどうするの?って問題はあります。カラ家賃を払いつづけるのかとか、ペットの世話はどうするのか?とかね。困りますよねー。だからー、「困ったときはビジネスチャンス」なんじゃないですか。低廉に家のメンテをしてくれるようなビジネスが出てきたりもします。
日本にはついぞなかったシステムですが、ホームスワッピングというものがあります。要するに家を交換するのですね。北海道の人が九州に住んでみたい、九州の人が北海道に住んでみたいという場合、お見合いのように両者を結び付け、信頼関係が出来たら、綿密な契約書のもとに、お互いの家に住むのですね。こうすればコストはほとんどかかりません。日本人の場合、シェアの習慣がないから、なかなか他人を家に住まわせるのは難しいかもしれませんが、それも固定観念でしょ。やってしまえば意外とどってことないかもしれないです。
日本人にはシェアは向かないとか言われてるけど、こっちにきたら皆さんやってますよ。男女一緒のシェアもザラだし、部屋のドアにカギがないのも当たり前。やってみたら意外と自然に溶け込めたりするのです。大体日本の住居環境におけるアパートや下宿屋さんなんて、あれ自体が「大きな家を皆でシェアしてる」と言えないこともないですもんね。旅館だって、ホテルだってシェアじゃないですか。そもそも、見知らぬ他人の前で全裸になり、ときには見知らぬ男性と女性が全裸になり、さらにはまったくの野外で全裸になっているというヌーディストクラブみたいな風習を日本人はやってるじゃないですか。露天風呂って形で。何を今更シェアごときでがたがた言うのかって気もしますよね。
ホームスワッピングもそうです。気にしない人は気にしないでしょう。こちらのホームステイでも、今日入ったばかりの言葉もろくに通じない学生さんに鍵を渡して、「悪いけど、留守番お願いね」とかいって家族で数泊の旅行の出かけていったりするのが普通だったりします。別にやれば出来ると思いますよ。
でもって、そのあたりのホームスワッピングのホームページを立ち上げ、会員募集をし、どういう形態にしたらいいのか皆で話し合ったり、予想されるトラブルに対処したり、場合によったら顧問弁護士に立ち合わせて法的に遺漏がないようにすればいいでしょう。で、そういうことを不動産業者とかがやるのではなく、各地方の村おこしの人々や観光組合の人、あるいは旅行会社が率先してやるようになれば、いくらでも新しいマーケットは開拓できるでしょうし、異業種からの参入もまたあるでしょう(例えば、家財保険会社やら、セコムなどのセキュリティ会社からの参入)。こうやってかきまわしていけば、経済もまた活性化されるでしょうしね。
とまあ、そういうことが「需要創設型構造改革」ってことなんかなって思ったりもします。政府はそこまではいってないのだろうけど、考え方一つでいくらでも変わっていけるということです。
それで、最初のアーティクルに戻ってくるのですけど、ホテル・旅館の倒産件数が高止まりしているという。事態はあんまり望ましい方向に進んでいるようには見えませんねー。また、別のページを開けば、温泉の成分表示に詐欺的な部分があるとかで問題になってたりします。うーん、日暮れて道遠しって気もしますが。
あと観光立国になるということは、外人さんとか、ほかのエリアの日本人とか、要するに「よそ者」が沢山入ってくることを意味するわけで、ここをきれいにマネージする必要があるでしょう。これが一番大事かもしれない。誰が見ても分かりやすく、合理的で、理由がはっきりしているという、普遍的で、透明な社会システムを構築すること。「知ってる人だけ知っている」というオタク的なシステムを改めること。これが前提条件だろうと思いますが、これが一番大事で、そして一番難しいことだと思います。だけど、本当は一番やらなければならないことでもあります。もっといえば、観光立国化というのは、こういった見えない部分の社会改革を進めるためのダシみたいなものでもいいとすら思います。これはこれで長くなるので、また思いついたら言います。
文責:田村
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