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今週の1枚(04.05.24)
ESSAY 157/透明人間のマント
写真は、New Town。駅の南側のよりディープなエリアです。フィジーのスーパー、アフガニスタンのインテリアの店とか並んでてなかなか面白いです。
この社会で「こういう奴が一番タチが悪い」という人間類型があるとしたら、 匿名で誹謗中傷する人間じゃないかと思うことがあります。なにか事件がおきたら、被害者や加害者の家族の家に悪意のFAXを送ったり、誹謗電話をする奴。こういう人間は、本当に死刑にしてもいいんじゃないかって、ついつい感情的に過激なことを思ってしまったりします。誹謗中傷という言葉の暴力だけではなく、加害者の実家に石投げるような奴もそうです。インターネットの掲示板でもそうですし、2チャンネルみたいな罵倒の場(全てがそうだというわけではないが)もそうです。
こういう連中は、いわゆる愉快犯だと言っていいのではないか。あるいは誘拐犯人やテロリストと同じだと言えるかもしれない。
こう言うと、人を殺した奴に「人殺し」という言葉を投げかけるのは「正義」だ、なんで愉快犯やテロリストと同じ扱いを受けなければならないのだ?と反発する人もいるかもしれないが、じゃあ、正々堂々と身分を明らかにしてからそう言いなさいな。「私は○○会社○○支店に勤める○○という者ですが」とちゃんと名乗ってから言え。愉快犯の本質は、「絶対に自分には危害が及ばない」という、自分だけ安全な立場に立って他人を攻撃するところにあります。「自分は相手が見えるけど、相手からは自分が見えない」という透明人間的なところが卑怯じゃと思うのです。その卑怯さの構造は、誘拐犯人やテロリストと同じではないか。いや、彼らの方が厳しいリスクを踏んでるだけ、まだマシかもしれない。また、その卑劣さは、風呂場の覗き魔と同列でもある。
さらに、ひどいケースになると、女性に対するプライバシーやストーカー情報をインターネットで垂れ流している馬鹿もいるといいます。でも、結局、誰がやってるか分からないので、どうしようもないってことも多い。それがイジメに利用されたりもします。
なんとかならんのか、こいつら?と思う。
通信の秘密も、国民のプライバシーの権利もあります。だから、全ての情報を検閲するなんてことは理念的にも、また実際的にも出来ないでしょう。しかし、そろそろ何とかした方がいいんじゃないかって気がします。取り返しがつかないくらいイヤな世の中になってしまう前に。
大体、こういうことをする人、世間に対して何らかの表現をしようとする際に、自分の身分を明らかにしたがらない人というのは、普段は気の弱い、存在感の薄い人、あるいは優等生的に振舞っている人が多いと思われます。普段から世間的に「悪い」人、例えば暴力団とか、アコギなサラ金業者とかは、あんまりそういうことはしないでしょう。また、世間的にいわゆる権力を持っている人もあんまりしない。なぜなら、そんなチマチマ嫌がらせをしてるくらいだったら、腕力にまかせて堂々と出かけていって一発カマすでしょうから。なお政界や企業組織内に、いわゆる「怪文書」が飛び交ったりしますが、あれは似て非なるものでしょう。あれは権力闘争の一環として、情報操作という戦術でやってるのであって、趣味的にやってるわけではない。それに権力欲の強い人は、通例は「俺が、俺が」で自己顕示欲も強いから、「匿名」なんてのは全然面白くないでしょう。
それから、ハッピーな人もあまりやらないでしょう。新婚したばかりのカップル、待望の孫が生まれた老夫婦、受賞したり、宝くじで1億円あたったり、昇進して大任を任されて武者震いをしている人、、、、、は、あんまりこんなことしない。やってるヒマがないし、やろうというモチベーションがない。
というわけで、あんまり社会的に受容されていない人、ワリを食っている人が多いかと思います。逆必ずしも真ならずで、社会的に弱い立場に立たされている人が皆やってるかというと、それは全然違う。おそらく確率で言えば0コンマ数パーセントでしょう。もともとそんなことする人は、率としては、もの凄く少ないです。日本人二人に一人はやってたら、回線パンクしますよ。嫌がらせFAXや投書にしたって、数千万通に上るでしょう。届けられた郵便物を保管するだけでも、潮留あたりに大きな倉庫がいくつもいるでしょ。せいぜいが数百通ですからね、1億人の人口からしたら、ゼロに等しいくらいのものです。それでも、その被害にあった人の精神的ダメージは甚大です。これはもう一通だけでも大きい。あなただって、知られていないはずの自分の住所や生年月日を書かれた上に、「一ヶ月以内に殺す」と書かれたFAX受け取ったらかなりイヤでしょ?盗み撮りした自分の写真と同封されて、犬の生首なんかが宅急便で送られてきたらイヤでしょ?
そうそう、あなたが弁護士とか新聞記者とか警察関係とかだったら、そういうのは日常茶飯事で貰うでしょう。僕は幸いにして生首系はなかったですけど、事務所の前にニワトリの生首30個以上撒かれた弁護士もいるらしいですし、イタズラ電話の類は普通でしょう。他人のトラブルに首を突っ込み、さらに戦闘的な立場にたつ以上、その程度のリアクションはあって当たり前だと思います。だから、まあ、弁護士とか刑事とかはいいんです。良くはないかもしれないけど、職業的にそれは処理できるし、防御能力も攻撃能力も平均的に強いですから。しかし、普通の人だったら、イヤなもんだと思いますよ。ましてや一人暮らしの女性、小さな子供のいる家だったら、世界が全て悪意に満ちているように見えるでしょう。鬱になったり、トラウマとなって一生残ったり、精神が破壊されても不思議ではない。はっきりいって傷害罪レベルの悪質さだと思います。
こういった愉快犯系の行動というのは、犯人(敢えてこういいますが)には直接なんの利益ももたらしません。窃盗や強盗、詐欺のような利得犯とはそこが違う。他人が恐怖のあまり発狂しようが、自殺しようが、だからといって犯人の所得が増えるわけでもないし、出世するわけでもない。だから何のメリットも無い。個人的な復讐とかだたら、それで溜飲が下がるとかいう精神的メリットもないわけでもないけど、復讐犯は愉快犯とはまた別ですから、この際除外します。だから、愉快犯というのは、他人が苦しむのを見てそれで精神的満足を感じるとか、他人を支配していることで全能感を味わうとかいう部分にあるのでしょう。
ただ愉快犯にせよ、復讐犯にせよ、あるいは自称「正義」を振りかざす人、ストーカー、後ろで野次を飛ばす人、テロリスト、、、、いずれも共通している部分があります。それは上に述べた「透明人間」であるという点もそうですが、それ以外にもう一つ。それは「正規ルートではダメ」ということです。
自分の影響力を確認して、自己実現を図りたかったら、別に仕事でもスポーツでも恋愛でもなんでもあるわけです。はるかに直接的で、はるかに満足度の高いものが。しかし、それは出来ない。出来ないから代償的に、そういうことをするのでしょう。復讐だって、腕力や口が立てば、あとで復讐なんてよりもその場で反撃してますし、権力や実力があれば戦えます。普通の人でも訴えるなりなんなり戦えます。でも、それら通常の手段ではダメだからこそ、こういう姑息なことをするのでしょう。自称「正義」も同じで、そんなに主張があるんだったら、公共の場で堂々と主張すればいいし、自分が立候補して政治家になればいい。世の中変えたいんだったら、遠慮はいらない、堂々と変えたらいい。でも、そんなこと出来ない。わかってるですよね、自分が逆に批判されるような公共の場で主張したら自分がボロクソに言われかねないことを。だから結局出来ない。そして、テロリストも同じです。軍事力で勝っていたら戦争しかけてぶっ潰すでしょ。
社会の秩序のエッセンスの一つは、「正規のダンドリ」だと思うのです。あるモノが欲しかったら、ちゃんと働いてお金を貯めて、それで購入するというのが「正規ルート」であり、これをすっ飛ばして窃盗などでゲットする”近道”は違法であり、不正行為と言われます。とある異性にお近づきになりたいと思った場合、自分の魅力を高めようと誰もが健気な努力をします。バイトして車買ったり、ダイエットしたり、ファッションをキメたり、、、それで相手の心を射止めるというのが正規ルート。そのダンドリを無視して、いきなり拉致したり、換金したりするのは犯罪です。官公庁における許認可が欲しかったら、ちゃんと申請して順番を待つべきなのに、賄賂を贈って特別に認めてもらうのも違法。大学に入りたかったらちゃんと勉強して実力をつけて合格するのがダンドリだけど、裏口入学したりカンニングしたりして近道するのもダメ、と。このようにものごとには正しい手順というのがあり、この手順どおりやるのがルールであり、手順を無視して近道をするのが不正であるということです。
愉快犯系の特徴は、いずれも正規ルートを無視している点で共通しています。それだけでこれらの行為の不法性が窺われるわけです。そして、「正規ルートがダメ」ということは、どうも人生イケてない、まともな手段、表の世界ではパッとしないことを推測させます。
ダメだったら努力すりゃいいのに、それもしない。おそらくは「しても無駄」という諦めがあるのでしょう。セルフエスティームが低いのでしょう。「どうせ、俺なんか」とどこかで思ってる。しかし、そのままイジケて終わりだったら誰の迷惑もかけないのだけど、でも何がアクションは起こしたい。しかし、堂々と悪に徹して違法行為をするほどの気力も実力もない。反撃されるとイヤだから透明人間のままでいたい、と。どうも、なにかと厄介ですよね。
正規ルートではダメという現実に鬱々悶々としている自我はあるわけで、それをもてあましてしまうのでしょう。しかし、こんなの誰だってそうですけどね。100%イケてる人なんかいないですよ。人気スターになったって、権力の頂点に立ったって、そこは修羅の世界で、いずれやってくる没落の足音におびえなければならない。ましてや普通の我々だったら、思い通りにいく事の方がむしろ遥かに少ないですよね。家族も、上司も、部下も、取引先も、友達も、誰も自分の思ったとおり動いてくれないしさ(^_^)。そもそも、自分自身が、自分の思うとおり動かなかったりしますもんね。「あー、なんで俺はいつもこうなんだよ」って。でも、ま、それが普通。それでも、結構、おもしろおかしく生きていますよ。
でも、あんまり面白くもなく、おかしくもない人がいるのでしょうね。その多くはじっと我慢していたり、それなりにストレス解消をしておられるのでしょう。そのストレス解消の方法のうち、透明人間、つまり”絶対に反撃されない匿名性”を利用して、他人や社会に大胆にコミットし、なにがしかの充足感を得るという卑劣な手段を思いついたり、ハマったりしている人が、ごくごく一部ではあるが、いるということですね。
こういう人々を一発でおとなしくさせる方法があります。それは「表に引っ張り出す」ということです。明るい太陽の下に引っ張り出してしまえば、モグラのようなもので、もう何も出来ない。逆にいえば、明るいところに引っ張り出されるというのが、彼らにとって最大の恐怖でもあるのでしょう。透明人間が透明ではなくなるわけですから。
別にいちいち全員引っ張り出す必要は無いです。その気になって調べたら誰がやったか特定できるという”可能性”があるだけで、十分な抑止力になると思います。
ここから先が本論で、通信の秘密や、プライバシーの問題とどう整合させていくかという難しい問題があるわけです。
例えばインターネットにおいては、運転免許証や身分証明書がないと、そもそもアクセスできない、あるいはメールアドレスが取れないようにするのはどうか?とか思ったりします。 世界統一規格で発行されるIDを取得し、インターネットアクセスのプロトコルを技術的に変えて、自分のID番号を入力しないとアクセスできないようする。詳しい技術的なことは分かりませんが、可能ではないかしら?ドメインを取るのも世界統一でやってるんだから、それを個人レベルまで落としてくればいいのだから(素人だから簡単に言っちゃうけど)。そんでもって、IDを検索してみれば、その人がいつどこでアクセスし、誰にメールを送ったかの詳細が全部調べられるようにする。
この場合、通信の秘密とかなり際どい関係になるので、そのアクセス登録をするのは国ではなく、国連系の国際機関がやり、個人情報は国にいかないようにする等の配慮が必要かもしれません。また、政府や個人が他人のIDを調べることも可能にする。それなりの必要性がある場合に申請をして、これも誰がいつ何を照会したのかを全て仔細に記録しておく。つまり、いやがらせメールなどの発信者を突き止めるために、警察が犯罪の捜査をする、あるいは依頼を受けた弁護士が、弁護士法23条照会といわれる公的な照会事務をやる、ないしは裁判所に証拠保全の申請や仮処分申請をしてその執行として行うなど、被害がひどいような場合に、個人にもある程度の調査手段を与える。
本当は、警察がその気になって徹底的に捜査すれば、現状においても大抵のことは分かるはずです。特に公安関係の調査能力を持ってすれば、かなり絞り込んでいけるでしょう。しかし、警察は今忙しいです。検挙率の低下をみても分かるように、窃盗その他の普通の犯罪に追われて、そんな個人の嫌がらせレベルの捜査までは手が廻らないでしょうし、将来的にも廻る希望ももちにくい。後述のように警察もそれなりに努力はしているようですし、それを評価もします。しかし警察に全てを期待するのも難しいでしょう。そうすると、往年の地上げ被害などの民事暴力と同じように、民事的手続でやっていかねばならない。損害賠償請求訴訟の準備ということで、証拠を収集し、正式に相手方と交渉し、提訴するという。ただ、現状では、なかなか厳しいです。一般人にとっては、サーバーに残った他人のログインの記録を調べたり、あるいは逆探知その他で絞り込んでいく手段が非常に乏しい。弁護士としていやがらせ被害の相談を受けたとしても、なかなか打つ手が少ない。
だから結局やり得になる、、、というのは、おかしいと思うのです。
インターネットでの自分のログが残るというのは、イヤなものかもしれません。しかしですね、圧倒的な大多数の人にとっては現状とそれほど変わらない筈です。なぜなら、インターネットをするためには、どこかのプロバイダなりサーバーに加入しなければならないし、普通の人は有料でやっていますから、クレジットカードによる支払その他で身元は明らかにしてしているはずです。そしてサーバーにログが残る以上、今だって真剣に調べれば分かるはずです。別にそれで構わないです。何もやましいことをしているわけでなし(せいぜいがエッチサイトにいくくらいでしょ(^_^))、誰が調べるというものでもない。
違法ないし、やましいことをしている人が身元を明らかにしたくないのでしょう。ですので、別にこのような措置をとったかといって、一般的にそれほど実害があるとは思えないのですが、違うでしょうか。
「表に引っ張り出す」ための調査手段は、インターネットに限らず、普通の電話、携帯電話においても必要とされるでしょう。電話においては発信者の電話番号を表示させる機能、サイレントナンバーを使わせない機能などがありますが、さらにはどこから発信してきたのか場所の特定をするサービスなどがあってもいいと思います。技術的にどこまで可能かわかりませんが、いわゆる逆探知をいつもやってるわけにはいかないでしょうが、携帯電話などで最初の発信エリアくらい記録に残らないのでしょうか。携帯の発信場所を毎回特定していけば、発信者の行動パターンなんかも段々見えてくると思います。携帯の中継エリアなんかそんなに広くないでしょうから、夜中の3時に、いつも○○地区からかけているというのが分かれば、友達と手分けしたり、その時間、その付近に不審者がいないか探すことも出来るでしょう。
もちろん、そんなことですぐに犯人が特定できるというものではないでしょう。
しかし、大事な点もあります。被害者側にも反撃の方法がありうるということです。この事実は、場合によっては被害者側を力づけるでしょうし、安心させてくれる点もあります。例えば深夜のイタズラ電話などで、「もしかして、今すぐ近くにいるのでは?」という恐怖は、発信場所が特定できることによってかなり解消できるでしょう。同じマンションに住んでいる隣人がやっているのではないかという疑心暗鬼も晴れるかもしれません。それだけでもメリットはあるでしょう。
さらに、加害者側にとってはプレッシャーになります。自分の発信が逆トレースされる可能性があるということは、そうそう本人特定は出来ないだろうとはいっても、不安なものでしょう。もしかして、今電話をかけているのを誰かに見つめられているかもしれない、もしかしてストーカーされているのは自分なのかもしれないというのは、恐怖だと思いますよ。幾ら完全逆探知は難しいといっても、回数を重ねていけば、自ずと生活パターンが浮き彫りになってきますし、プロファイリングもしやすくなるでしょう。声の感じと重ね合わせ、
毎週晩から深夜には池袋界隈におり、その他は大体下北沢あたり、7月まではときどき八王子からかけていたが、それ以降八王子はなくなり、また9月に復活した、8月に岩手県から掛かってきたこともある、、、という情報があれば、八王子の大学に通う大学生で、住まいは下北沢、池袋の居酒屋かなど夜のバイトをし、夏休みは故郷の岩手に帰省した?、、、とかね。この種の仕事は、もと刑事だったら興信所の人などでしたら、かなりの程度調べていけると思います。
ここで僕が言いたいのは、個々のプランの是非や実現可能性ではなく、テクノロジーの進展が、この種の愉快犯の「透明なマント」を広げる方向にのみ作用しているんじゃないかというのが第一点。そして、それに抗するためのカウンターパワーやシステムを構築すべきではないかというのが第二点です。一方的にやられ放題というのは、やる側をつけあがらせるし、やったことない人でも「そんなに安全だったら、、」という誘引力になりかねない。事柄の性質上、方法も効果も限定されているとはいえ、被害者側から反撃を試みるための方法、システムが、もっともっと論議され、開発されてもいいのではないかと思います。
技術的な問題もさることながら、社会的、システム的な整備も必要でしょう。
なお、それなりに現状も進んでいるようで、警視庁には、2000年に「ハイテク犯罪対策総合センター」というものが設立され、ホームページなどにはハイテク犯罪対策として項目が設けられています。http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/index.htmにあります。また、プロバダ責任法という法律が、ちょうど2年前の2002年に制定されています。正式名称は、例によって異様に長いのですが、「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」です。
この法律によって、自分の個人情報を勝手に掲示板などに掲載されたような場合、プロバイダに正式に法的権利として削除要求できます。この方法は、権利を侵害された個人か弁護士などの代理人が、書面であれば実印を押印して印鑑証明をつけて、電子メールであれば電子署名をつけて、行うことになります。また、発信者の情報開示についても請求できます。この法律の眼目は、これまでともすれば発信者と削除要求者との板ばさみになっていたプロバイダを救う点にあるのでしょう。つまり他人の掲示したものを勝手に削除しても(一定の要件はあるけど)、プロバイダは発信者に損害賠償しなくても良いということです。
また、ストーカー被害については、警察において2002年から「犯罪被害防止等即時対応システム」というシステムを発足させました。これは、ストーカーなどの被害に悩んでいる人は、あらかじめ自分の氏名や状況などを警察に登録しておくと、被害に遭って110番通報したときに、 警察のデーターベースの照会で、いちいち事情をイチから説明する必要もなく、極めて短い会話でも警察官が急行するというシステムだそうです。どれだけ効果があるのかよくわからないのですが、警察の発表によれば発足当時に180名が登録し、1ヶ月6名あたりの検挙がなされているそうです。
一方、インターネットで検索してみれば、この種の迷惑行為に対する防止、対策については多くの組織、多くのサイトがあります。もし、なんらかの被害を受けているのであれば、探してみるといいと思います。この種の被害というのは精神にきますし、その第一症状みたいなものは、「自分はひとりぼっち、この世は全部敵」のように見えてしまうことです。無力感、孤立感。まずは、You are not aloneであることを確認されるといいでしょう。
このように徐々に整備は進んでいるとしたら、僕が言うような、世界統一IDがないとインターネットにアクセスできないとか、一般市民でも逆探知が出来るとか、そういう議論は過激なのかもしれません。自分でも過激だよなとは思いますし、これがベストな方法か言われると自分でも自信がないです(^_^)。議論の発端のフラッシュアイデアに過ぎませんから。
ただ、ちょっと気分的な(あまり論理的ではない)ことを言わせていただきたいのですが、「対策」とか「予防」とかいうレベルではなく、もっと強烈な「反撃」とか「戦い」というくらいのレベルが欲しいなと思うのです。これは特に日本で。なぜかというと、なんか日本に「悪意」という毒素が昔よりもたまってるような気がするのですね。ストレスがキツいからかもしれないし、展望がなかなか開けないからかもしれないけど、他者に対する罵倒中傷が昔よりも目立つように思うのは、僕の気のせいでしょうか?
2ちゃんねるとかね、あんなものが何で流行るのか?って思ってたら、社会全体が2ちゃんねる的になってるような気がしてならない。いや、これといった証拠はないのだけど、インターネットで見る日本のサイトや、日本の刊行物などを日々少しづつ見聞しているうちに、徐々にそういう感想が溜まってきたという。「どうしてそこまで他人を罵倒しなきゃいけないの?」「どうしてそこまで激越な言葉を使わないならないの」「どうしてそんな下品な言葉を使うの」と、ある意味、単純に不思議なんですよ。すぐにキレるようになってきたというか、陰湿になってきたというか、前は悪口を言うにせよ、もっとスコーンと突き抜けていたんじゃないかって気もするのですよ。そんな罵倒のための罵倒なんか、情緒が安定している人だったらそんなにしないんじゃなかろか。ネガティブなことを言うにしても、もう少し論理的に展開して、「批判」という形はキープできんのか?単純な悪口であったとしても、もっとカラッと笑ってしまうようなことが言えんのか?と。総じて言えば攻撃性が高まってるかのような気がするし、それは情緒の不安定さを表しているような気がします。
抽象的に言っていてもわかりにくいから、例があるといいのですけど、こういう日々ちょっとづつ蓄積していく思いというのは、これだという例に乏しいので、そこがつらいところです。それでも、ドンピシャはないけど、例えば、インターネットで探してきた、今週の週刊ポストの記事をみると、年金問題が特集されていますが、こんな調子で書かれています。
PART2 年金国会の内幕 3党合意は「国民を売る」裏取引
自民党は小泉首相以下、重要閣僚が軒並み年金未納に名を連ね、民主党は同じ未納問題で代表のクビをとられ、3党合意という政治談合に引きずり込まれて民主党も混乱を極めた。“年金の党”を自称し、ひとり年金法案衆院通過の“手柄顔”をしている公明党は、党3役以下14人もの議員が「実は未加入、未納でした」。3者3様に醜悪すぎる。7月の参院選は、年金制度の改悪ゆえにもたらされた3党の醜悪度の評価が下される歴史的選挙になるはずである。
年金改悪をめぐる自公連立与党と野党第一党・民主党の低劣な茶番劇は、日本政治醜悪史の中でも画期的な出来事になった。大新聞では報じられない裏面のドキュメントをリポートする。
というわけで、「これの何が悪いの?」って言う人もいるかもしれないが、下品じゃないですか?この文章。わずか数行の文章に「醜悪」という刺激度の高い言葉が3回も使われていますし、言葉遣いもわざと感情的にしている。もっと普通に書けないのかしらね。日本語としても変だし。例えば、同じことを言うなら、
PART2 年金国会の内幕(→内情) 3党合意は「国民を売る」裏取引(国民不在の3党合意への批判も)
自民党は小泉首相以下、重要閣僚が軒並み年金未納に名を連ね、民主党は同じ未納問題で代表のクビをとられ、3党合意という政治談合に引きずり込まれて民主党も混乱を極めた(同じ未納問題で代表者を失った民主党も、3党合意という政治的な弥縫策に取り込まれて混乱をきたしている→原文は一文に民主党という主語が二回も出てきて日本語としてつながりがおかしい)。“年金の党”を自称し、ひとり年金法案衆院通過の“手柄顔”をしている公明党は(年金法案衆院通過の立役者を自認している公明党でさえも →なぜ手柄顔という悪意の表現を、しかもカッコつきでするのか)
、党3役以下14人もの議員が「実は未加入、未納でした」(14人もの議員が未加入ないし未納であることが発覚している)。3者3様に醜悪すぎる(「醜悪」というのはエスカレートした表現だし、それを「過ぎる」とまで使ったらさらに言葉はインフレを起こす。そもそも未納未加入という形態は一種類であり三者三様ではない)。7月の参院選は、年金制度の改悪ゆえにもたらされた3党の醜悪度の評価が下される歴史的選挙になるはずである(「改悪ゆえにもたらされた醜悪度」ってなんだ?文章として意味不明だと思う。来る7月の参院選は、年金制度変革とこの間の議員年金未納問題について、国民の判断が下されることになろう)。
年金改悪をめぐる自公連立与党と野党第一党・民主党の低劣な茶番劇は、日本政治醜悪史の中でも画期的な出来事になった(「日本政治醜悪史」ってものがあるのか?「醜聞史」ならありえるけど。しかもそれに対して本来ならば誉め言葉である「画期的」を使うか?年金制度改正審議にかかわる与党ならびに野党第一党の不手際は、参院選を間近に控えた国会審議を停滞させている。→歴史に残るほどの事件でもなかろう)。大新聞では報じられない(大新聞では報じられないというのも、エグい表現だけど、そこは週刊誌の差別化を図ろうとする”営業文句”として認めましょう)裏面のドキュメントをリポートする(「裏面のドキュメント」ってなんだ?深い背景事情をレポートするとかじゃダメなんだろうか)。
ということで、天下の週刊ポストの記事が、こんな市井のド素人の僕にこんなに添削されちゃダメでしょう。週刊ポストひとりが悪いわけではなく、どこも似たり寄ったりではあるのですが、超一流の世界的雑誌とは言わないまでも、それなりに名前の通った週刊誌の記事なのだから、もう少し品格のある言葉遣いをしてもいいと思うし、最低限日本語としては成り立っていて欲しいなと思います。
この種の政治に対する辛口の批判や、おちょくったような悪口そのものが悪いとはいいません。こんなものは昔からやってることです。さかのぼれば戦国時代の頃から「落首」という形で、社会風刺や政道批判の庶民の声はチマタにありました。それは自由な言論のイチ態様でもあり、圧殺すべきではないです。だから週刊誌が政治家を痛烈に批判してもいいし、おちょくってもいいです。そのこと自体に文句言ってるのではない。文句の言い方が詰まらんといっているのです。落首がそうであるように、悪口やおちょくりというのは結構高度な知的ゲームであって、言葉豊かにやるもんでしょ。貧困やボキャブラリーと、やたらエスカレートした過激な言葉遣いだけだったら、子供の喧嘩と一緒です。言ってる内容がネガティブなだけに、言葉遣いが悪いと、いかにも頭悪そうに見えるし、読み手をげんなりさせるし、寒いです。はっきりいって不愉快。
この記事なんか相手がまだ政治家という公的存在だからいいですよ。政治家なんか批判されるのも仕事のうちですからね。でも、これが普通の市井人に対しても同じ調子でやられるわけです。「爛れた夜の人脈」とかさ、そういう調子で。
いや、こんなのは昔っからありましたよ。あったんだけど、ここまでヒドかったかなあ?って思うのですよ。言ってることは低劣でも、もう少し文章としてマトモだったんじゃないかって。これは、ひとりこの文章を書いた記者さんなり、OKを出したデスクの人の言語能力が問題だと言ってるのではないです。常識的に考えれば、もっといい文章を書ける能力はお持ちの筈です。しかし、商品として出てきたものがこうなっているというのは、なんなのだろうと。
これは僕の勝手な印象ですけど、なんだか知らないけどより激越な言葉遣いをするようになってきていること、そのくせ日本語として成立させるだけの知力が落ちてきていること、どちらの点も推測させるのは「キレつつある精神状態」です。半ば激昂しているというか、メチャクチャ腹が立ってるときの喧嘩みたいなもので、感情がほとばしってしまって上手い言葉なんか思いつかずに、「このやろ、死ね死ね」くらいしか言えなくなっているという。感情のボルテージがあがって、その分理性がひっこんでいる。「おい、大丈夫か?」って気がしてしまうのですよ。
欲求不満に対する耐性が落ちてきているのでしょうか。多少不快でも我慢してじっくり物事を構成していく心のゆとりみたいなものが乏しくなってきているのでしょうか?これ以前にも書きましたよね?ここ数年、どうもこの点が気になっているのです。上の例のような、言っては失礼ですけど、メチャクチャな文章読んで、「うわ、ひどいな」とは皆さん思わないのでしょうか?こんな文章、こんな言葉遣いばっかり日常的に読み聞かされてたら、読み手のバランス感覚までもがおかしくなってくるんじゃないかしら。それとも皆もまたキレかかっているから、このくらい激越に書いてもらわないとすっとしないのでしょうか?
年金問題とかもごちゃごちゃいってるけど、あんなの枝葉末節でしょ。秘書給与問題と同じく、事務レベルの無能さをあらわしているだけでしょ。それにその程度の年金を免れたとしても、年間数億円規模で支出のある政治家にとって、大して儲かる話でもないし、焼け石に水でしょ。「へへへ、誤魔化してやれ、これで儲かった」というほど意図的にやってるもんでもないでしょ。それがいいとは言わないけど、もっともっと語るべき問題はあるでしょ。というか、この国はもっと議論すべき重大な問題が幾らでもあるでしょう。イラク問題にしたって、人質が帰ってきたら一件落着じゃないでしょ。7月の政権移譲について、日本はどのような立場を取るべきなのか、特にここのところ混沌としてきてるだけに十分に議論したっていいでしょ。こんな枝葉末節をつついていては時間が惜しいとは思わないのか。こういうわかりやすい、「ずるい」とか「アホだ」とかいうレベルの物事しか、もはや理解できなくなってきているのかしら?と寒々しい懸念も抱いてしまうのですよ。なにが「日本政治醜悪史の中でも画期的な出来事」なのか。
もしかして、だいぶキレかかっているのかしらと思うわけで、そこまで国民レベルでキレかかっているとしたら、それだけの社会的なストレスが日本列島を覆ってるわけで、そうなると、透明人間的愉快犯もまた増えるだろうなと懸念するわけです。いや、もちろん、社会的因果関係を正確に調べたわけではないですよ。話はしょせんチマタの雑談レベルで、荒い話ではあるのですが。
アメリカでも、オーストラリアでもそうですし、日本でもそうなりつつあると思いますが、社会が二極分化するようになるでしょう。日本でも景気のいい人、羽振りのいい人は依然としているわけですが、相対的にイケてない人の割合が増え、そのギャップが広がるのではないかと。本当にそうかどうかは分かりませんよ。でも、なんとなくそんな気がする。仮にそうなるとすると、透明人間の温床的な領域が広がるんじゃないかなと思うわけです。なぜそう思うかは、展開していく時間がないので、またの機会に。でも、直感的にそんな気がしませんか?
一方、テクノロジーはどんどん進化しつつあるわけで、通信関係の生活はどんどん便利になってきている。同時に、それが愉快犯の透明人間のマントをどんどん広げることにもつながっていく。原始的な話をしますと、そもそも電話がなかったころにはイタズラ電話なんか無かったわけです。インターネットを皆がやってなかった10年前にはいたずらメールなんか無かった、同じく10年前には携帯電話なんか持ってる人は少なかった、ほんのこの10年間でおっそろしく状況は変わったと思うのですよ。同じようにこれから10年したらどうなってるか?です。
これら大きな趨勢を薄ぼんやりと考えるとですね、「対策」「予防」ということ以上に、もっとしっかりした「迎撃・反撃システム」というものを考え始めてもいいんじゃないかって思うわけです。このあいだ僕のメールボックスには毎日300通以上迷惑メール(広告やウィルス)が来るといいましたが、1年後にはあなたのメールボックスもそうなるかもしれないです。その頃僕は毎日1000通、さらに3年後には毎日1万通のメールがきたら、、、、まあ、漫画的飛躍がありますけど(^_^)、でも、1日1万通迷惑メールがきたら、メールという通信手段は事実上利用できなくなります。
これはほんの一例ですが、これ以上、透明人間を増やしたらいけないのではないかという気がしたので、ちょっと思いつきを書いてみました。
文責:田村
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