今週の1枚(01.08.06)
雑文/TAKE AWAY
テイクアウト。マクドナルドなどでいう「お持ち帰り」のことであるが、オーストラリアでは、Take Away/テイク・アウェイ
という。「こちらでお召し上がりになりますか、それともお持ち帰りになりますか?」というのも簡単で、” Eat in (here) or Take away?" と聞かれる。
今ではすっかり慣れてしまったが、最初の頃、テイク・アウェイはなんか語感的に妙な感じがした。アウト(持ち出す)
ではなくアウェイ(持ち去る)とまで言われると、なにやら出された食べ物をひったくって、そのまま砂煙をあげて走り去るような感じがするではないか。まるで銀行強盗のように。
さて、そのテイクアウェイであるが、日本にあってこちらに無いもの、こちらにあって日本に無いものが色々ある。というよりも、日本にもこちらにも両方ある方がずっと少ない。マクドナルドやKFC、サブウェイなどの、アメリカ・ファーストフード資本系くらいしかないのではなかろうか。
テイクアウェイの概念を、「家に持ち帰ってそのまま食べられる調理済の食物」という具合に広げていくと、日本にもテイクアウェイは沢山ある。
すぐに思い付くのは、ホカ弁系統である。こちらには日本のような弁当は非常に少ない。あったとしてもまず日本人経営だったりすると思う。僕自身は、こちらに来てからもう7年になるが一度も食べたことがない。たまにカラ揚げ弁当とか幕の内弁当とか食べてみたくなるときがあるが、幕の内なんてもう何年食べていないだろう?幕の内弁当というのは、駅弁とか会議のランチとかで出てくる物で、「今日は一つ幕の内でも食べに行くかな」という類の食べ物ではないので、日本に帰ったときも意外と食べる機会がなかったりする。だから、かれこれ2〜3年、どうかすると6〜7年くらい食べていないかもしれない。大体最後にどこで食べたのか思い出せないくらいである。
コンビニ弁当もない。そもそもコンビニ自体が(最近はシティを中心に増えてきたとは言いながらも)、少ない。その少ないコンビニに入ってみても、お弁当コーナーやらおにぎりコーナーがあるわけではない。こちらでそれに相当するのは、ミートパイとか、チキンフライの類ばかりである。そういえば、揚げ春巻/スプリングロールは、結構何処にでもある。
日本の場合、スーパーに入ると、お惣菜コーナーがあり、天婦羅やらコロッケやらが所狭しと並んでいるし、漬物なんかもよりどりみどりだったりする。でも、そういう物はこちらには無い。肉屋さんにいっても、揚げたてのコロッケが並んでいることはない。その代わりあるのは、サラダバーであったり、ローストチキン等である。漬物の計り売りなんか、夢のまた夢である。
日本になくてこちらにある物も多い。
トラディショナルな形では、サンドウィッチとか、ハンバーガーとか、フィッシュ&チップスなどである。こちらの肉屋さんはコロッケを売ってくれないが、魚屋さんではフィッシュ&チップスを売ってる店が多い。と言うか、本家イギリスの魚の食べ方なんて揚げるかステーキかくらいしかないから、魚屋というよりはフィッシュ&チップス屋といった方が正しいという場合も少ないないように思う。アジア系の魚屋はまた違うが。
サンドウィッチであるが、これはパンのバリエーション、具の豊富さ、そして量、どの点をとってみても、日本のサンドウィッチとは段違いである。それなりに値段も高くなってしまうのであるが、ボリュームと美味しさを考えたら結構許せるものがある。頼み方にもよるが、ドカドカ具を入れてもらってブ厚いフォカッチャに挟んでもらったら、マクドナルドのビッグマック2個分くらいのボリュームはあると思う。でも、ビッグマックって個人的には全然「ビッグ」ではないと思うのですけど。写真見てると、「こんなのどうやって食べるの?」というくらい横幅よりも高さの方が2倍くらいありそうなんだけど、実物を見たら全然ペチャンコだったりするもんね。
そういえば、マイケル・ダグラス主演の「フォーリン・ダウン」という映画で、マクドナルドのようなファーストフードの店でハンバーガーを注文した主人公(マイケル・ダグラス)が、出てきたハンバーガーに文句をつけるシーンがあった。「なんだ、このペチャンコの、ミゼラブルな物体は?写真と全然違うじゃないか?写真のように、もっとパンがふっくらしてジューシーな物を出せ」とゴネるわけですが、「そうだそうだ」と思ったりして。でも、あの映画は、レーガノミックス以降の「病めるアメリカ」を象徴するあらゆるエピソードが散りばめられているわけで、だとすれば、「マクドナルドのハンバーガーは写真と全然違うじゃないか」というのは、アメリカ国民も皆そう思っているのかもしれない。
テイクアウェイは、エスニック系の方が百花繚乱という感じで豊かである。というか、オーストラリアの食文化は、豊富な食材というハードウェアの上に、エスニック料理というソフトが走って成り立ってるところがあるから、別にテイクアウェイに限らず、エスニック系こそオーストラリア食文化の本家といってもいいと思う。
テイクアウェイだけとってみても、イタリア系のラザニアやらピザ、パスタ、トルコ系のターキシュ・ピザやケバブ、インド系のカレーやタンドリー、チャイニーズ系のヌードル、ライス、炒め物。変わったところでは、マリックビルのショッピングセンターのフードコートには、チベット料理やレバノン料理の店も顔を出している。
ちなみに事ある毎に言っているような気がするが、シドニーでメシを食うならウェスタン・サバーブであり、橋(ハーバーブリッジ)を渡ってノースに行ったらロクなものが無い。日本料理だけは橋渡っても(渡った方が)充実してるような気がするが、それ以外は、平均して3割がた味が落ちて、3割がた高い。僕は、Lane Coveというノースショアに住んでいるのであるが、ほんと緑が多いのでジョギングすると気持良いのが取り柄で後は何もない。仕事柄止む無くといった感じで住んでいるわけであるが、未だに外食するなら橋渡っているし、外食やら買物やらする度に「あ〜、も〜、西に戻りたい」と痛感したりする。
ちなみにマリックビルのショッピングセンター(Metro)のフードコートであるが、ここのケバブはテイクアウェイだったらシドニーで一番美味しいと思っていたのであるが、最近経営者が変わったのか、ガクンと味が落ちた。哀しいことである。なお、同じフードコートには、日本料理の店もあって、僕が知る限りコロッケを売ってくれている唯一の店である(他もあるのかもしれないが知らない)。コロッケって時々食べたくなるんですよね。でも、自分で作るとなると面倒だし、またカト吉の冷凍コロッケみたいなのも売ってないし。
フードコートでいえば、ライカードのショッピングセンター(昔からあるマリオンストリートの方のやつ)のフードコートのイタリア料理屋はピカイチだと思う。さすがイタリア人の街というだけあって、5ドル切る安さで、本格的なラザニアやパスタが食べられる。わざわざ食べに行くほどのこともないが、買物のついで等に食べるとウレシイ。パスタといえば、村上春樹が書いてましたが、イタリアを一歩出るとパスタが信じられないくらい不味くなり、一歩イタリアに入ると、どんな店でも目茶苦茶美味いらしい。シドニーでも、イタリア人がやってるんだろうなという、ちょっと本格的な店でパスタを食べたらまずハズさないのだけど、シティあたりの安いパスタなどを食べると、アルデンテもヘチマもないような死んだようなパスタばっかりになる。差が極端なんだけど、なんでかな。
日本料理もこちらでは当然エスニック料理にカウントされるわけだけど、寿司は非常に人気出てきて、ほとんどイタリア料理やチャイニーズのような「一般食」レベルまで上がってきているように思います。
が、問題はその質で、必ずしも日本人がやってるとは限らないというか、日本人じゃない場合もかなり多い。別に人種差別をするわけではなく、もうどうしようもなく「寿司」の概念が違うんだろうな〜という感じである。カルフォルニアロールを更に発展させて、要するにサンドイッチのパンの代りにライスを巻き付けてあるという感じで、鳥のカラ揚げロールなどが人気だったりする。
日本人がやってるかどうかは、イチイチ店にいってシェフにインタビューしてるわけではないから、ハッキリいって判らない。でも、「これは日本人じゃないだろう?」「日本人だったらそもそも思い付かないだろう」という感覚は確かにある。店のネーミングからして、「それはないだろう」という店も多い。例えば、バルメインには、「Sushi 男」という店がある。ちゃんと「男」という漢字が書いてあるわけで、これで”Sushi-Man” と読むらしい。これって、日本人だったらちょっと思い付かないんじゃなかろか。他にもボンダイビーチに向かうボンダイロードに、"Sushi Love" という店がある。寿司とLoveのコンビネーションというのも、ちょっと思い付きそうにないし、思い付いたとしてもそんなの店の名前にするか?という。
もちろんこんな店(といっては失礼ではあるが)ばかりではなく、シドニーは魚介類も豊富で安いから、本格的な寿司を出してくれる店も多い。下手に日本で食べるよりも美味しいという体験をすることも珍しくない。
僕らは日本人だから、日本料理については美味い不味いのトラディショナルなツボを知ってるわけで、だから日本人以外だったら「そんなん同じやんけ」というような違いでも天地の差として判ってしまう。でも、他の国の料理だったら違いもあまりよく判らない。トルコ料理のTavaの出来不出来、ギリシャ料理のムサカなど、なにがいいムサカで何が駄目なムサカなのか、そのあたりのツボがよくわからない。また、オーセンティックな意味では邪道に近いような物が、逆に美味しく思えることだって往々にしてあるだろう。
だから、今日もシドニーの各地で、僕ら日本人を含めオージーなどが美味しい美味しいと食べてる中で、ひとり本国の人だけが「こんなもん、○○じゃない!」と言って憮然として腕を組んでるのだろう。
そういえば、人気上昇中というか、行き着くところまでいってるくらいの人気のタイ料理だが、もう年々甘くなってきてるような気がする。昔はもっとダシとかよく効いていて深くて美味しかったように記憶しているけど、オージー風というか甘くなってきている。それも砂糖的に甘くて、のっぺりした味になってきてるように思います。タイの人達も歯噛みしてることでしょう。
テイクアウェイの店には、大体壁に高いところにメニューや料金が記されたものが掲げられているが、これを完璧に理解するのは結構難しい。
上の写真はサンドイッチのメニューを書いたものだが、これなんかまだ手書きでもないし、分類も親切で、分かりやすい方である。
一応解説らしきものを加えておくと、左の二列がメインの具の一覧であり、それに付合わせのように個別に一品を加えた場合のエクストラ(追加)料金が右隣の二列なのだろう。例えば、左端の一番上の Leg Ham(2ドル70)に、アボガド(左から3列目、上から二つ目)を加えると80セントの追加料金になり、合計3ドル50セントになるということである。右端の列は、上段がセット物、下の段がフォカッチャセットなのであろう。
こんなの現場で一々全部目を通すのは難しい。日本語で書かれていても大変だというに、全部英語である。しかも下手糞な手書きだったら尚更である。それに、なんだか判らない物も多い。「PASTRAMIってなんだ?」(左列下から5番目)てなもんである。パストラミが香辛料をきかせた薫製牛肉であることがわかっても、今度は下にある「地中海風パストラミ」と何処が違うのかわからない。
店によってはこのメニューボードが天井近くに高々と掲げられてたりするから、目が悪いとそれだけで読めなかったりもする。
実戦に即していえば、日頃食べ慣れている人でない限り、こんなメニューなんか見るだけ無駄である。店内インテリアの一つくらいに考えておけばいいし、地元の人でも見て考え込んでる人は少ない。寿司屋のネタを見るように、ショーケースの中を見て、適当に「ハムと、レタスと、、、、、」と言っていけばいいと思う。料金なんか計算できないけど、そう目茶苦茶な入れ方をしない限り、まあ穏当なところにおさまる筈である。その店が安いか高いかを大雑把に知りたかったら、「オススメセットもの(右列)」を見て、大体の基準をおさえていくといい。この写真はGSTがかかってくる前に撮ったものだし、安いエリアで撮ったものだから、かなり安めである。シティや観光地になると、この1.5倍はすると思った方がいいかもしれない。
インドカレーなどでは、ライスに3種類のカレーを選択できるが、このカレーのコンビネーションで値段が違ったりする。肉が入ってるものが高く、野菜だけの物が安いのが通例で、3種のうち全部肉類の場合、2種肉で1種野菜、1種肉で2種野菜、全部野菜とそれぞれに値段に差がある。実際にはそんなのイチイチ考えて注文したりはしないけど。
テイクアウェイは、なにもテイクアウェイ専門店でしか出来ないことはない。普通のレストランでも、テイクアウェイ用に注文して持ち帰ることも出来る場合が多い。最初にテイクアウェイの注文をしてから店を出て、他の所用を済ませて戻ってきて、受取って帰るというパターンが多い。まあ、店でずっと待っててもいいけど。
しかし、テイクアウェイをやたら利用していたのもオーストラリアに着いた最初の頃であり、そのうちに自炊環境が整って自炊中心になると、あまり利用しなくなっていった。また、日頃から車を利用していると、パーキングの手間にうんざりしてしまって、そう気軽に立ち寄れなくもなる。会社や学校など毎日決まったところに行くのであれば、ランチタイムに色々物色することも出来るだろうが、自宅で仕事してるとそれもない。
ここまで書いておいて何だけど、僕はそれほどテイクアウェイを利用してないし、詳しいわけでもない。もっとヘビーユーザーの人、詳しい人は幾らでもいるだろう。
ほぼ毎日テイクアウェイを食べていた(そうせざるを得ない環境にある)人が言っていたが、テイクアウェイもたまに食べると美味しいが、毎日続くと結構うんざりするようだ。その気持は分からないでもない。
油分も多いし、MSG(味の素のような化学調味料のことをこちらではこう言う。mono sodium glutamate=グルタミン酸ソーダ)もかなり入ってると思うから、味も結構均一になってくる。それなりに美味しいのだけど、本格的な一品にはやはり距離がある。インドカレーのテイクアウェイも大好きではあるが、ちゃんとインド料理屋の一品カレーを頼むと、「おお、やっぱ違うわ」と思うのである。
子供の頃からファーストフードや化学調味料漬けになってると舌の味覚が馬鹿になるから問題だとか、昔から言われている。その昔は「そんなもんかね」と思っていたけど、実際に若い人とかと一緒に食べていて「むむ、この違いが判らんというのは、ちょっと問題かも」という経験をすると、「なるほど、ちょっとヤバいことなんかな」と思ったりもしている。
昨今シドニーでは、予算不足で慢性的に喘いでいる小学校に、マクドナルドが寄付金を出しつつ校内に店舗を構えている傾向が問題になっている。子供の頃からマクドナルドの味を覚えさせて、一種のファーストフード・ジャンキーにして将来の売上増を狙った姑息な戦略だといっていろいろ批判されていたりする。
海外に住む日本人の何人かが指摘していたが、食べ物の好き嫌いの多い人の方が海外生活(つまりは異なる環境)に適応するのが難しいという、大雑把な傾向があるという。直感的には僕もそう思う。味覚というのは保守的なもので、過去に文字どおり「おいしい思い」をして好みが確立しちゃうと、それにばっかり執着してしまって新しい冒険をしなくなるのだろう。あるいは、「マズイ思い」を一回してしまうと、それだけでもう二度と箸をつけなくなるとか。
「なんじゃこりゃあ!?」という食べ物を口にした次の瞬間、「面白いじゃん!」と喜べる人と、「うわ、もう最低」と拒否反応を示す人がいた場合、「適応」という意味では後者の方が大変だと思う。
新しいものを知ることの快感と、それを探求する上でどうしても出てくる失敗による不快感とを計りにかけて、前者が上回るか後者が上回るかということなのかもしれない。変化の無い日々の繰り返しを「退屈」と思うか、「安定」と思うかの違いかもしれない。「保守的」という性向の本質は、そーゆーことなのだろう。知らないコトを冒険するのは体力も気力も要る。それが衰えると安定を望むようになるのは無理のないところで、だから生命エネルギーが横溢している若い人の方が、一般には保守的ではない。
赤ん坊なんか見てると、冒険の極致のような存在で、「見る前に飛ぶ」というか、手近にあるもの何でも構わず口に入れるわ、やたらめったら触わるわ。未知な物に取り囲まれて、それが不安というよりは、それが楽しくてたまらないという感じである。知識欲と好奇心の権化である。だからこそ、成長することが出来るのだろうけど。
それがいつしか、「知らないコトはやりたくない」という具合になっていくのであろうか。誰が、何が、そう仕向けているのであろうか。
若い人がジャンクフード漬になって、味覚が摩耗し、好き嫌いが激しくなっているというのは、あながちMSGだけの問題ではなく、もっと深いところで「冒険」を恐れ居心地のいいところで安心したいという心理傾向、つまりは保守化という傾向があるのかもしれない。まあ、今の日本に住んでたらそうなるかもねって気もする。「今の」っていうのは、ここ30年くらいのことだけど。冒険したら損だということを日々叩き込まれてるようなところもあるから。
ところで、海外というトコロは、保守的にやろうと思っても中々できるところではない。未知なる物に取り囲まれ、遠慮会釈なく未知なるモノゴトが次々に登場してくる。こうなってくると保守的になろうにも拠り所がないし、安定したくても大地が無い。いきなり海にほおり込まれたようなものである。
こうなると、もう笑うしかないのである。そこで笑える人は幸せである。海に入ったら陸地のような形では安定できない。海において最も安定している状態は常に泳いでいることである。「静的安定」と「動的安定」という言葉でいえば、動的に安定するのである。そのパラダイムチェンジがスムースに出来る人、あるいは陸地に居る頃から泳いでいるような人は、文字どおり「水を得た魚」状態になりうるのだろう。
そういえば、ワーホリの人などで、こちらに住んでいるうちに好き嫌いが減ったという人は多い。一つはこちらの野菜は味がしっかりしていて美味しいから、自然と好きになっていくのかもしれない。でも、心理的になにかが変わったのかもしれない。
写真・文/田村
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