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今週の1枚(04.01.12)
ESSAY 138/デジタル(波)・フェティッシュ
えー、というわけで、今年からライトに軽く書きましょうといいつつ、前回ついムキになってしまいました。今回こそライトに、気楽にいってみたいと思います。
今回は”技術主導”の話をします。わあ、いきなりライトじゃないですね。でもご安心ください。なにもそんな難しい話をするつもりはありません。あくまでライトに(しつこい)。
ぽっと頭にこの考えが浮かんだのは、日本で騒がれている(というか国やメーカーなどの主催者だけが騒いでいる?)テレビの地上デジタル放送のことを読んだからです。地上デジタルは、すでにオーストラリアでも実施されてますし(あんまり騒がれてないけど)、世界のいわゆる先進諸国でもやってますので世界の潮流ではあります。だから、別にいいっちゃいいんだけど、なんかね、引っかかるのは、国やメーカーさん達の「はしゃぎっぷり」だったりします。
”パンパカパーン(←死語)!いよいよ地上デジタルが始まりました!さあ、皆、用意はいいかなっ?!乗り遅れちゃダメよ!”
というノリが感じられるのですね。それのどこが悪いかというと、いや、別に悪くないし、広報も必要だろうなとは思いますし、http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/whatsnew/digital-broad/index.html
にある、総務庁の地上デジタルの広報ホームページは、お役所にしてはなかなか頑張って作っていていいとは思います。はい。
ただ、冷静に考えてみて、それほどのもんかな?という気もするのですね。でもって、僕以外の日本の(主催者側ではない一般ユーザーの)皆さんも、「それがどうしたの?」と、今ひとつノリきれてない感じがするのですね。これ、僕がノリきれてないから、そういう風に見えるだけなのでしょうか。皆さん、本当はノリノリなのでしょうか?そうじゃないような気もするのだけどなあ。人気のない前座バンドが出てきて、客席をあおるのだけど、オーディエンスは引いてしまっているような感じ。
まず率直に言って、地上デジタルといいアナログといい、よう分からんですわ、難しい技術の話は。僕らが分かるのはTVの番組が面白いかどうかだけですわ。そもそも「地上」って何なの?電波って普通「空中」じゃないの?衛星放送とか、ケーブルテレビ等との区別を言っているのでしょうけど、それがどういうことを意味するのかよう分からんという部分はあります。
あのー、デジタル=スゴイ!という図式が出来上がっているように思うのですが、まずそこが引っかかるのですね。デジタルって単に二進法で表記したという意味でしょ。もっと言えば語幹のディジィット(digit)って、本来の意味は「指」です。英和辞典でお調べになったらわかりますが、第一語義は「指」、指という意味から、「指折り数える」という意味に派生し、さらに「数」という意味になり、さらに第四語義、”十進法以外の)数字:二進法の0と1など”という意味が出てくる(ランダムハウス英和辞典)。
語義はともかく、言いたいのは、デジット(形容詞形になってデジタル)という言葉には、本来「すごい、美しい、優秀な」という意味は入ってないです。単に「数で、それも二進法で表記した」という意味でしかない。じゃあ、二進法表記にすると何がいいの?ということになります。
僕が思うに、”二進法”というからワケがわからなくなるのであって、ON/OFF(入/切)だと理解すればいいのでしょう。「ある」か「ない」かのどっちか無い。シロとクロしか無い。よく、レコードはアナログで、CDはデジタルといいますが、これを二進法とか説明しだすと、あたかアナログは十進法であるかような錯覚を覚えます。そもそも、こんなのは「進法」ですらないでしょう。技術的学問的にいえば立派に「進法」なんだろうけど、僕らが日常思ってる「10数えたらケタがあがるのが十進法」という意味からしたら、ちょっと違うでしょう。別にアナログレコード君が一生懸命「おっと、一桁あがるな」とか数を数えているわけではない。
レコードとかテープのアナログというのは、これも語義を調べると、「量の連続的な変化量を表示すること」という意味らしいです。連続的変化というとわかりにくいけど、要するに「そのまんま」ということですね。レコードはビニール盤に溝を切って、テープは表面の磁性粉の配置によって変化を出します。大きな音だったら溝もギュッとデカく振幅し、磁性粉もギッシリ付着したりマバラになったりするということですね。日光カメラで、光が強かったらクッキリと印画紙が焼け、弱かったらそれなりにという。つまり、現象Aの強弱によって現象Bの強弱が決まるという。まあ、われわれの日常世界というか、世界はそもそもアナログです。太陽に長いこと晒しておいた方が洗濯物は乾きます。長いこと食べないで放置しておけばおくほど、冷蔵庫の中のものは腐ります。沢山怒られれば怒られるほど、たくさんヘコみます。
それをデジタルは、強引にシロクロつけちゃうわけですね。「ちょっと落ち込んでる」「すごく落ち込んでる」という”量的”な変化ではなく、「落ち込んでるか」「落ち込んでないか」という all or nothing にしちゃう。だから、本来的にいえば、デジタルで強引にシロクロつける段階でこぼれ落ちる物は出てくるだろうから、むしろデジタルの方が質が荒くなりそうです。もっとも、デジタルは、白黒つける局面の”目”を細かくしていくことによって、「程度」「量的変化」を出そうとします。落ち込んでるにしても、1秒を1000分割して、落ち込んでる瞬間(クロ)765回、落ち込んでない(シロ)235回という形で、「わりと落ち込んでる」という落ち込んでる度合いを表現しようとします。昔のワープロの印字の48ドットとか、ドット数が多ければ多いほど(細分化すればするほど)カクカクしなくなり滑らかになり、デジカメの画素も多ければ多いほどより自然になるというのは、そういうことでしょう。このように極限まで目を細かくしてシロクロ情報に変換しましょうというのがデジタルという記録法なのでしょう。
そして、賢いあなたはすぐに思いつくように、アナログとデジタルとでどっちの方が精密かというと、これは一概に言えないはずです。それぞれがどのくらい精密に記録する方法を取ってるかで決まるわけです。アナログ写真だったら、出来るだけ高密度で感度のいいフィルムの方が微細な量的変化をビビットに反映するし、デジタルだったら画素とかドットとか解像度が高ければ高いほど精密になります。ドットの荒いデジタルだったら、質の良いアナログの方がずっと良いことになります。だから、デジタルだから高解像度、高品質という具合に直ちに結びつくものではない。
カメラなんかでもデジカメがこれだけ普及しても、まだまだアナログにはかなわない。まあ撮る人の技術にもよるのでしょうけど、本当に美しい写真は、今でもまだアナログのカメラ(フィルム)の方が取れるでしょう。アナログは画素という概念がないですが、強引を画素計算でいったら、一級品のカメラで撮った写真の画素数は、おそらくデジカメの10倍以上あると思います。いや、よう分からんですよ。僕の素人考えに過ぎませんから鵜呑みしちゃ駄目ですよ。でも、あくまでも僕の主観で言えば。写真の滑らかさと臨場感からしたら10倍以上違うと思いますけどねえ。だから10万円のデジカメが400万画素だとしたら、10万円の一眼レフだったら4000万画素位あるんじゃなかろか。もちろんその能力を最大限引き出すのはかなり難しいとは思いますけど。
---と、ちょっと僕はデジタルというものに懐疑的、批判的になってるのかもしれません。「それほどのモンじゃないんじゃないの?」と。ただねー、リアルタイムにCDが登場して、アナログからデジタルに時代が変わるのを直接体験した世代としていえば、デジタルに対する期待が大きかっただけに、幻滅もまたあります。よく言うじゃないですか、レコードの方が実は音が良かったとか。たしかに一見CDの方が音は良く聞こえるんですよね。ノイズも少ないし。それまで聞こえなかった音も聞こえるし。ただ、ずっと聞いていると飽きる音でもあります。なんか薄っぺらい部分がある。それに、CDも再生プレーヤーの質によって、おっそろく音が変わります。CDなんかデジタル信号だから何で再生しても同じだろうと思ってたのですが、これが全然違う。最初びっくりしました。まあ、考えてみれば、デジタルだからといっても、どれだけ目を細かくして記録したかどうかで違ってくるでしょうし、プレーヤーの方でもどれだけ精密に信号を拾えるかどうかでも変わってくるでしょう。だから、デジタルだからといってより精密忠実に再現するってものでもないし、また機械の性能によってどれだけ精密にピックアップできるかどうも決まるのでしょう。考えてみたら当たり前なんですけど、CD=無条件で高品質=絶対に音は変わらないみたいな神話は崩れましたね。
それにそもそも音楽とか絵画ってアナログのものです。「この繊細なタッチ」「筆のかすれ具合」「微妙な雰囲気」とか、そもそもがシロクロにしにくい部分がキモだったりします。つまり、量的変化(アナログ)の絶妙な感じこそが、アートのアートたるユエンなのだという気もします。そこを、目の荒い低性能のデジタルでシロクロっぽく、カクカク表現しちゃったらすべてブチ壊しという怖さもあると思いますです。
ただ、デジタルにはアナログにはない長所があります。すでに皆さんご承知のように、デジタルのON/OFF信号はシンプルですから、それだけ劣化しにくいです。テープのように時間が経つにつれて磁性粉の配置が乱れてくるとか、レコードの溝が磨り減ってくるということは無いです。シンプルな形に変換することによって、長期の保存性に優れています。
同時に、シンプルな信号に変換するから、デジタル同士だったらすべて互換可能になります。デジタルの最たるものは、言うまでも無くコンピューターですから、すべてのデジタル信号はコンピューターと共通言語であり、取り込み、加工、変換が自由自在に出来ます。これはすごい簡単に、しかも劣化少なく出来ます。
つまりデジタルの最大のメリットというのは、持ちが良くて、加工しやすいことなのでしょう。アナログは加工しにくいです。もう出来ないといってもいいくらいです。他人の文書を一部勝手に書き換えるにしても、ワープロだったら削除と追加であっさり完璧にできますけど、肉筆の手紙なんかで文章を一部改変しようと思ったら、インクを消して、筆跡を似させて、、、とかとんでもない手間がかかります。逆にいえば、この加工しにくさがアナログの売りでもあり、だから正式文書における署名捺印なんかはいつまでも残るでしょう。また、アナログカメラで撮った写真も、印画紙に焼き付けて引き伸ばす限りにおいてはすばらしいけど、これをパソコンに取り込むためにスキャンする段階で、ガクンと品質が劣化します。まあ、そのスキャナーの性能にもよるのですが、原画よりも良くなるってことはまあ無いでしょう。
ここまではデジタルのおさらいでした。さて、地上デジタル波の話に戻ります。
デジタル波になって何が良いかというと、上記の総務庁のサイトでは、以下のように書いてあります。
1. 高画質・高品質な映像・音声サービス
2. データ放送
3. 高度な双方向サービス
4. 高齢者・障害者にやさしいサービスの高度化
5. 安定した移動体向けサービス
など、アナログ方式ではできなかった多様なサービスを実現することができるほか、多くのメリットがあります。
という具合にいろいろあるわけです。ただ意地悪く言えばですね、これらのサービスというのはデジタルじゃないと絶対不可能なのかというと疑問ではあります。双方向とかいっても電話回線などをTVに接続するわけですから、別に送受信がデジタルであるかどうかとはあんまり関係ないような気もするし、ゴーストの少ない鮮明な画像というのも別にアナログだってアンテナを増やすとかいう方法もあるわけだし、すでにほとんどの世帯が衛星とかケーブルで解消してるんじゃないですか。高齢者に優しい(字幕や解説など)というのも、そもそも使用方法の面倒臭さそれ自体が高齢者に優しくないような気がします。
データー放送なんてのもずっと前にキャプテンシステムとかトライして物の見事にコケてますし、データーとか情報だったらインターネットにせよ携帯電話にせよ、他にいくらでもゲットの方法が現存してます。いまさら屋上屋を架するという気もしないでもない。TVの高画質化という点についてもですね、そこまで要るか?という気もします。今のままでも普通に見るなら十分に高画質だと思うし、大体日本人のTVの見方って、一人暮らしで寂しいからにぎやかしにTVをつけてるって場合が多いでしょう。それに、しょーもないバラエティ番組が高画質になっても意味ないでしょう。映画を本格的に見たかったらDVD借りてくるでしょう。だって、いくら高画質になってもCMでブチブチ寸断される映画なんか見たくないですよ。
大体がテレビというのは受動的なメディアであって、能動的に「これが見たい、知りたい」と思ってもそう都合よくやってくれているわけではない。能動的に知りたいときはインターネットなりレンタルDVDなり図書館なり幾らでも方法があります。ただこれらの能動系のメディアはまず自分で動かないと何も始まらない。テレビのよさは、ひとえにボケーッとしてても勝手にやってくれるという受動性にあると思います。基本的にボーッとしていたいのだから、インタラクティブとかデータ量とかいってもそれほど大きな意味もないような気がします。それにデジタル放送それ自体だったら、BSデジタルが既に実施されてますが、普及率は当初の目論見よりも大きく下回ってます。
また、デジタルですからパソコンとの相互乗り入れが非常に簡単になるし、TVをパソコンのように使えるということでもあるし、インターネットもテレビから出来るというあたりの可能性もメリットとして挙げられています。でもさ、別にユーザーサイドでデジタル信号が情報がほしかったら今のアナログ波でも受信機側でデジタルに簡単に変換出来ちゃうわけでしょ。単純な話、デジタルに変換して記録するデジタルビデオはあるし、TVチューナー付きキャプチャーボードを使えばパソコンにデジタルで取り込めるわけだし。テレビがインターネット化するよりも、既にパソコンがテレビ化しているではないか。
でも、まあ、僕がそんなに文句をいう筋合いではないし、可能性がより高ければそっちに移動するのは時代の流れでしょう。そりゃデジタルのほうがデーター圧縮はしやすいでしょうから一度の多くのデーター送信が出来るでしょう。社会のインフラとしての将来性、可能性はありますよね。だから、デジタル波そのものにはそんなに文句はないけど、言いたいのは、そんなに画期的なことか?ということです。特にユーザーサイドにおいてどうか、です。それってそんなに画期的なことなのかな?
なんだかんだケチつけているのは、デジタル波を始める意味というか目論見ですけど、いつも引用しているPFC JAPAN(外国人記者向けの日本のニュースページ)の「テレビのデジタル放送、12月1日から地上波でも開始」に総合的に要領よくまとめてありますが、ひとつは「国策」。
引用しますと、「飽和状態にある日本の電波を効率的に利用できるようにする」(総務省)との狙いがあった。デジタル化で地上波をUHF帯に完全移管すると、100メガヘルツ前後と波長が比較的長く電波の届く範囲が広い現行アナログ放送のVHF帯を、移動体通信など広範な用途に再利用できる。また、映像・音声の信号を圧縮、一度に多くの情報を送信可能なデジタル放送によって、家庭に身近なテレビが電子政府・自治体などの端末機の役割を担い、IT普及に一段と弾みが付くとの期待もある。」とのことです。
要するにVHF電波帯をTVから再利用しやすいという電波再配分のメリットと、国と国民を結ぶ端末にしてIT化を進展しようということですね。でも、そもそも電波って飽和状態なの?という気もしますね。これだけFM局の少なく認可をしない国で飽和してるのですかね。まあそう言うからにはそうなんでしょうけど、でもそれって本当に国策レベルの話で、特にユーザーレベルで画期的に便利になるという種類の話じゃあないですよね。また、「国と国民を結ぶ端末」とかいっても、どうせ今のコンテンツレベルだったら、TVをつけたら「確定申告はお早めに」「受信料はきちんと払いましょう」とか政府広報が強引に入るとかそんな感じじゃないんですか?そんなことするならアナログベースでいいから、もっと国は情報公開しろって言いたいし、インターネットで住民票が取れるとかもっと便利にしろって気もしますね。実際、NHKの受信料でも、払ってない家にはデジタル波に細工をして見えなくするとかいう話もあるし(そういう小細工はデジタル波の方は加工しやすい)。
社会インフラの整備というのであれば、それはそれで話はわかります。それだけの話だったらそれだけって言ってくれたらスッキリするのです。要するに、電力会社の送電線や送電システムを画期的に新しくしましょうというのと似ています。特に末端ユーザーにはそんなに関係ないのだけど、社会全体としては意味があるという。だったらそう言ってくれたら、「皆さんにはあんまり関係ないけど、送信システムが新しくなりますので一応お伝えしておきます」くらいにね、言ってくれるんだったら、別に僕もグチャグチャ言わんで済むのですけどね。
そもそもデジタル波放送への強制切り替えは、国民的盛り上がりによって実現したのではなく、それどころか政府が一致団結してやったというものでもなく、もともとは郵政省が「アメリカやイギリスはデジタル波に向かうぞ、日本も負けてられないぞ」というノリで突如として言い出したものらしいです。「まだそんな明治時代みたななこと言ってるのか?」って感じですけど、これも一種の日本のお役所のパターンなのでしょう。でも、デジタル波と気楽に言うけど、放送業界の方は多大な設備投資を負担しなきゃいけないのでパニックになったそうです。まあ、だからもとはといえば、郵政省が一人はしゃぎ始めてその輪が広がっていったという感じなんでしょうね。
でも、道路工事のように「皆さんにご不便をおかけしますが、これも国策ですからご協力ください」って言わずに、いかにも皆に巨大な福音であるかのように言うのは、国民皆が盛り上がってくれないと困るからでしょ。同じ記事からまた引用しますが、要するに経済効果が大きいということです。
「さらに、地上波デジタル化によって、対応テレビや専用チューナーをはじめ、高画質・音質を楽しむためのAV機器への需要が高まるとして、一部に家電市場への波及効果は40兆円以上との見方も浮上。メーカー、小売りそれぞれ、「液晶・プラズマの薄型テレビを中心に、地上波デジタル特需を見込んでいる」(大手家電)「(放送開始に伴う)商戦では、加盟店全体で薄型テレビを10万台売る」(日本電気大型店協会の岡嶋昇一会長)としている。総務省はデジタルへの切り替えに伴う国や各放送局の投資などを合わせると、今後10年間の経済波及効果200兆円、雇用誘発効果700万人との試算を示している。」
という点です。最大にひっかかってるのはココですね。
要するにこれを機会にテレビを売りましょうということですね。経済が活性化することはいいことですよ。不況や失業にあえぐ日本には何よりのギフトでしょう。でもさ、40兆円なり、200兆円を払うのもまた国民なわけでしょ。でもって、2011年には現行のアナログ放送は廃止して、全部デジタル一本にするということは、国民すべてがテレビを買い換えるなり、専用のデコーダーを買わないとならないということでしょ。
ここで専用のデコーダーっていくらするのか調べてみたら、安いのでも5万円台はするようです。でもってデジタル波対応TVですが、ここを先途と液晶やプラズマの高級機種を売りつけようという魂胆があるのか(まあ当然あるでしょうけど)、値段を見ると平均レンジで40万円とかそんなですよね。20万円台もあるけど、それにしたって高いですよね。今、普通のテレビなんか安いでしょう。3万とか5万で十分大きなテレビが買える。
お年寄りに優しいとかいいますけど、そのお年寄りに最低でも5万以上の出費を強いるのはどんなもんかと思いますよ。ましてや50万円もするプラズマ大画面なんか要らないでしょう。一方で、これまでの安価なテレビなんか店頭から少なくなっていくでしょうし。結局「何も払わないで現状維持」という選択肢を奪って、実質的に出費を強いるという時点で優しくないです。話はちょっとズレますが、お年寄りに優しくしたかったら、かれこれ数年ベターっとやり続けているアホみたいな超低金利政策を止めた方がよっぽどいいでしょう。あれって、年金や貯金頼みのお年寄りにかーなりツラく当たってますよね。
それと、これも言いたいのですけど、日本に限らないけど、技術は素晴らしいかもしれないけどインターフェイスはイマイチってものが多すぎるように思います。例えばFAX。これまで何台もFAXを買いましたけど、僕でも完全に機能を把握したことは無いです。なんだか分からない機能、およそ使うとは思えないような機能を、頭文字だけの省略形で「OSD設定をしますか?」とか聞かれても何のことだか分からんですよ。デジタル波でインターネットが出来るといっても、インターネット自体かなり難しいですよ。そもそもパソコンが難しいですもん。「パソコンは10年経てば家電として落ち着いて誰にでも使えるようになる」って10年前に言ってたけど、いまだに全然難しいままです。結局パソコンなりインターネットというのは、車の運転と同じくらい難しいです。慣れてしまえばどってことないけど、慣れるまで一定の修練はどうしても必要でしょう。本来的に、複数の選択肢が複雑に入り組んで、それぞれに操作者の能動的判断を求められるのだから、どうしても「今なにをやってるのか」というボリュームのある体系的理解は不可欠です。それを機械を進歩させて操作を簡単にするといっても限界あります。タッチパネルのYES/NOだけで車を運転しろと言われても、その方がむしろ難しいでしょう。
タッチパネルで思い出したけど、機械の操作でいちばん簡単なものといえば、銀行のATMのタッチパネル形式あたりだと思います。でも日本の銀行のATMコーナーにいったら、それすら分からず戸惑ってる人もいますし、またそのために人員を配置して説明してたりします。ATMですら難しいんだったら、インターネットはどう考えてもその十倍以上複雑でしょうから分からんでしょう。それにATMはウィルスに感染しないけど、パソコンはウィルスがあるからね。
何をクデクデいってるかというと、真剣に考えて、デジタル波がどれだけお年寄りや身障者の人に優しいのだろうか、どれだけ便利になるのだろうか本当に疑問なのですね。勿論デジタル波によって救われる人も少なからずいるとは思いますし、救われる人がいる限り、あるいは可能性がある限り、それを行うのは尊いことではあります。非難はしたくありません。ただし、その代償として、数万円のデコーダーを強制的に買わされることを考えると、果たして釣り合いは取れているのだろうか?と思うのですね。あのー、ごく単純にこれまでの放送をそのまま見つづける為だけの非常に簡易なデコーダーを用意して、それを年金受給者や生活保護受給者には無料に配布するとか、1年100円くらいで貸与するって考えはないのでしょうか?もしかしてもうそういう計画があり実施されているのかもしれませんし、そうだったら良いのですが、そうでなかったら、幾ら「〜の為」と言っても、マイナスの方が多いし、「おためごかし」のように見えてしまいます。また、本来内需拡大がメインの目的でありながら、その大義名分のダシにお年寄りとか身障者の方が利用されているかのようなイメージさえ受けます。そこが引っかかるのですね。
要するに、国策的インフラ整備やら、内需拡大という目論見は別に悪いとは思わないし、それ自体は良いことですらあるのだけど、正面からそう言わないところが気に食わないのです。「皆にとってすごく便利になる!新時代の到来!」という大々的にバラ色に描いている、なんか誤魔化してる感じがイヤなんです。そんでもって、日本人の弱点、「バスに乗り遅れるよ」というあたりを突いているような感じが漂ってくるあたりも好きではないです。
オーストラリアが別に素晴らしいとは思わんけど、オーストラリアみたいに地味にデジタル波をやっててもいいんじゃないですか?やってることを誰も知らないくらいの。「あのー、一応もうデジタル波もやってますから、キャプションとか入りますからそういうニーズのある人にはいいと思いますよ」くらいの、”聞かれたら答える”程度でいいんじゃないかって気もします。冷静に考えたら、その程度のことでしかないように思うのですよ。
ちなみにオーストラリアでは、バブル景気真っ盛りということもあって、高いホームシアター、サラウンドシステムが売れています。でもそれは景気がいいからそうなのであって、別にデジタル波放送云々とはあまり関係ないように思います。
デジタル波よりも大きなテーマである「技術主導」ですが、そこまで噛み砕いて書くスペースがなくなってしまいました。簡単に言うと、デジタル波に限らず、技術開発だけが突っ走って、ユーザーは置いてけぼりを食らうというパターンが多いように思います。技術的には画期的なんだろうけど、ユーザーサイドとしては別にそう画期的でもない。もっと言えば、ユーザーサイドとして画期的になるような工夫が乏しいというか。
これは日本に限らず技術の先進的なところだったら少なからず見受けられる傾向でもあります。新幹線とか、「世界で一番早い列車を作る」ということで燃えてしまうという。日本に限らず、ヨーロッパ、ドイツとかフランスとかも早い電車作るのに燃えてますよね。そりゃ僕も作ってる側だったら燃えるでしょうね。ロマンですよね。だけど、日本の国民も、ドイツやフランスの国民も、そんな巨額の経費を投入して多少10分や20分早くなる列車を作ってもらうくらいだったら、特急料金を安くしてもらった方がうれしいんじゃなかろうか。
何というのか、技術開発それ自体が、「限界に挑戦するロマン」という形で自己目的化してないか?ということです。や、別に開発サイドはそれでいいと思ってます。そうやって酔いしれるくらいでないと開発なんて地味な作業はやってられないでしょうからね。だけど、開発したものをどうやって社会全体で生かしていくかは、開発側の責任ではなく、マネージメント側の責任です。そこからは理系の仕事ではなく、文系の仕事です。そこが弱い。
技術というのは、まず人間的なシステムや社会がどーんとあって、それを物的に補助するツールに過ぎない。景気にしても、お年寄りや福祉対策にしても、技術革新によってどうにかしようというのが、間違ってるとまでは言わないけど本筋ではないでしょ。文系システムが弱いから、技術や機械に頼り、それに引っ張っていってもらおうとする傾向があるんじゃないかってことです。これは国家政策のレベルだけではなく、個々人のレベルでも同じだと思います。インターネットを駆使しようが、上位機種の携帯電話をかけまくろうが、友達出来ない奴はやっぱり出来ないでしょ。ショボイ人生の奴はどんなマシン持ってもショボイでしょ。キツイこと言ってるみたいだけど、真理でしょ。だって、そーゆー問題じゃないんだから。
日本というのは技術大国で、それはそれで素晴らしいことであり、誇っても良いのですが、同時に技術などの理系分野に比べて人文社会分野がショボイから、そこをもっと注目して何とかしてもいいんじゃないかってことです。SONYの新製品は全世界が注目しますし真似しようとしますけど、日本の政治状況は世界でそんなに注目されないし、「日本の政治がお手本です」って言ってくれる人は少ない。日本の車や電化製品はカッコイイって言ってくれるけど、日本人の生き方はクールでカッコイイ、俺もああなりたいって人は少ない。
そういった技術ではない人間的な部分をもっと何とかしないと、国全体が、人生がショボイ分だけメカに燃えるというメカフェチというか、デジタルおたくというか、そうなっちゃうような気がして(もうなってるけど)、それってあんまりクールじゃないなあって思うわけです。
最後に、昨年12月から始まった日本のデジタル放送ですが、どういうスタートになったかというと、前述のPFCの要約によるとこうなってます。
「ただ、UHF帯を利用するデジタル放送は当初、現行UHFアナログ放送との混信を避けるため、微弱電波で対応せざるを得ず、同省によると、12月1日時点で視聴可能世帯はNHK総合テレビで3大都市圏合計1200万世帯、このうちNHK総合・教育、各民放すべてが受信可能な世帯は530万にとどまる。特に東京圏では民放6局とNHK教育の電波が届くのは周波数の関係で都心の12万世帯にすぎず、「順調なスタートとはいえない」(11月27日産経新聞社説)との指摘がある。
NHKの海老沢勝二会長も11月初旬の記者会見で、対応テレビの普及の遅れを主因に、放送開始当初に実際に視聴する世帯数は全国で30万程度との見通しを示した。さらに、混信対策として全国約426万世帯を対象に約1800億円もの巨費を投じ、現行アナログ放送チャンネルを別のチャンネルに変更する「アナアナ変更」(アナログ周波数変更対策)の円滑な実施も、課題の1つと指摘できる。
、、、、だそうです。直ちにどうなるって感じでもないみたいですね。
なお、サイトを見て回っていたら、衆議院議員の平井卓也氏が本格的に検討してデジタル波の凍結を訴えています。なかなか読み応えがあります
文責:田村
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