Home
>
「今週の一枚Essay」目次
>
ツイート
今週の1枚(03.12.01)
ESSAY 132/ 日本帰省記
写真は、山中温泉の朝風呂の図。
2週間ぶりのご無沙汰でした。4年ぶりの日本帰省から戻ってまいりました。
滞在期間が正味11日、デジカメで撮ってきた写真がおよそ500枚。ここ当分ネタには困らないでしょう(^_^)。というわけで、このエッセイ、しばらくは日本に帰省していたときにあれこれ感じたことをランダムに書き綴っていきたいと思います。
結論らしきものを先に言えば、「しばらく見ないうちに日本もこーんなに変っちゃって、ドびっくり!!」なんてことは全然なく、4年前に帰ったときとの差は殆ど無かったです。まるでパズルの間違い探しの絵を見てるように、「うーん」としばらく考え込まないと分からないくらいな非常に微妙な差。それも、はっきりこうだと言えるような違いもなく、「あれー、確か4年前にはそうでなかったような気がするけど、、うーん、どうだったかな、自信ないな」って感じです。
それよりも、自分自身が変ってしまった方が大きいです。もうオーストラリア人になっちゃったんだなあって。前回に帰省した4年前は、その時点で既にオーストラリア滞在歴6年でしたから、かなりオージー化が進行していた筈なんですが、そのとき以上に進行して、やっぱり6年住んでるのと10年住んでるのとでは違うのね、という。そんなの6年も10年も殆ど一緒でしょうみたいに思ってたのですけど。
母国に帰ると誰しも逆カルチャーショックを受けるわけですけど、もう昔ほど表層的な違いについてはそんなに驚いたり違和感を抱いたりしなくなりました。そのくらいの差は、ベトナムに行っても、エジプトにいってもあるわけで、「外国ってそーゆーもんでしょ」と割り切る気持が強くなってきたということですね。逆にいえば、もう日本を外国として突き放して見る気分が強くなってきているということです。ベトナムやエジプトと並べて考えるくらいに。
逆カルチャーショックというのは、故国に戻ったときの違和感なのですが、その本質は”延長自我”、「ワタシの国」という自分自身の分身として思っている点にあるのだと思います。その国が自分の血肉として不可分一体になってるからこそ、些細な差でも、「えー、こんなんだったっけ?」「うー、こんなのイヤだ」「オレの知ってる日本はこんなんじゃない」という強烈な身体的感覚として襲ってくるのでしょう。久しぶりに写真にうつった自分をシゲシゲと見て、「うわー、老けたな」「嘘、これ、私?」と愕然とするのに似てますな。ですので、最初から自分と切り離した外国(他人)だと思ってたら、なにがどう違っていても「ふーん、へー」で終わってしまい、「こ、こんな筈では、、?!」という心理的動揺は乏しいでしょう。自分自身の中にそういった突き放した感覚が以前よりも進行しているのかなというのが一つあります。
そうなってくると、「自分の国なんだからこうあって欲しい」という欲求も薄くなってきます。イケてないところを発見したとしても、「あー、もー、だからダメなんだよ」とイライラもしなくなります。感情的にならなくなる。一言でいえば、日本がダメでもそれほど悲しくも腹立たしくもならないし、日本が凄くても別に誇らしくもなくなってくるのですね。その分、透明に見えるようになる部分もあります。客観的な情報として「ああ、ここは違うな」と思うことは多々あるのですが、多くは既に知ってることでもありますし、さして新発見というわけでもない。だから、「うーん、違って見えるんだけど、本当のところはどんなんだろうね」ともっと深く見ていこうと思うようにもなります。前は、違っている部分を頭で理解していても感情的にクリアできずに、「あーもー、どうしてこうなんだよ、この国は!」とそこで終わってしまってたのですが、今は感情がそれほど波立たないので次のステップに考えを進められるという具合に変化してきているように思います。そのあたりの自分自身の変化が、ある意味では一番興味深かったですね。
ところでAPLACとかやってて、というかやる前からですが、「国とか社会とかいうものは、一個の人間の成り立ちにおいて、どれだけの影響力を持つものだろうか?」といういつも考えている(考えざるをえなくなる)テーマがあります。そして、ぶっちゃけた話、そーんなに影響力なんか無いのかもしれないなって思ったりもします。これをお読みになっている方は、日本語で記載されていることもあり多くは日本人だと思いますが、「あなたが日本人であること」はどれだけ「あなたがあなたであること」のために重要ですか?僕は思うのですが、あなたがあなたであるためには、別に○○人である必要なんかないんじゃないかと。なるほど、日本に生まれ育ち、日本人のDNAを遺伝しているあなたにとって、日本は重要な存在ではあるでしょう。でも、それもこれも、つまるところは生来的条件の一つ、環境因子の一つに過ぎないのではないか。そして主観的には、単純に長い時間そればっかりやってるから、それに慣れ親しんでいるだけであり、ただの”慣性の法則”ではないかと思ったりもします。だから途中でブッタ切って、しばらく期間を置いてやったら時と共に薄らいでいくものではないかと。
オーストラリア人化が進行してると先ほど書きましたけど、これも正確ではないですね。別にオーストラリア人度が高まってるわけでもないですし、オーストラリア人になりたいとも特に思いません。要するに、「オレはオレ」であってそれだけということで、どこの誰でもなくなっていくということでしょう。勿論オーストラリアも長く住めば、慣性の法則が働き、慣れているから親しみも湧くという程度の変化はありますよ。しかし、それも離れてしまえばまた薄らぐんだろうなって思いますし。
さて、このように以前よりもクールに見るようになりますと、もうちょっと突っ込んだことを考えてしまいます。それまで、「うわー、日本はココが違う!」と思ってたことでも、「待てよ、本当にそうなんだろうか?」ともう一回ツッコミを入れたくなってくるし、違うだけではなく「どうして違うんだろう?」という理由を考えてみたくなってきます。あるいは、「違うなー」と思ってたことを、以前にも増して切実に実感することもあります。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、そのあたりを中心に考えてみたいと思います。
日本に戻ってきてまず直感的に抱いた差異、関西空港に着いて飛行機から出て最初に感じたのはやっぱり湿度ですね。10月中旬の夜の8時、天気晴れで、それほど湿度の高い日ではなかったのでしょうが、それでも湿度は感じました。もちろん暑くないので、むあっとする感じではないのですが、ひんやりとした湿度、ちょっと湿っぽい地下室とか土蔵に入ったときに似てます。もっとも、この点はあっという間に、それこそものの数十分で慣れました。もしかしたら、日本が湿っぽいのではなく、空港の搭乗(降機)口付近だけが空調の関係で湿っぽかったのかもしれません。今度お乗りになる方は注意してみてください。
日本の気候は、着いた日あたりは異様に温かかったそうですが、すぐにぐっと冷え込み、数日後にさらに冷え込み冬型になりました。わりと季節の変わり目に居たことになります。着いた日に関空から実家のある京都までチンタラJR環状線などを乗り継いで帰ったのですが(えらい時間がかかった)、皮ジャンなんか着てるのは僕一人で、「これは大袈裟だったかしら」と思ったのですが、数日たったら皆もダウンやコートを着るようになってました。「この秋(冬)一番の冷え込みで、、」とかやってたわけで、僕も途中で風邪をひきましたが、この「気温変化の荒っぽさ」というのは、なにもオーストラリアの専売特許でもないのかもね、と思い直しました。日本も結構荒っぽいな、と。
ただ、その冷え込み方や感じ方はやっぱり違います。単純にぱっと感じるのは、日本は寒さが厳しくなるにつれ、「寒い」から「冷たい」に変っていきますが、オーストラリアの場合(というかシドニーの場合)、いくら寒くなっても、「うすら寒い」がエスカレートするだけで、あんまり「冷たい」という感じにはならないです。だから、日本にいるときに、「ああ、この冷たいって感覚は久しぶりだなあ」って思いました。このあたりも湿度に関係があるのかもしれません。
それともう一点、こちらの方が興味深かったのですが、冷え込み方です。日本の場合は室内空調の温度が下がっていくような感じですが、オーストラリアの場合はもっと大地と共に冷えていくという、ある種の「底冷え」感が強いです。ただ、これは一概に言えたものではなく、居住環境の差が大きいのかもしれません。つまり、日本の住居の方が気密性が高く、オーストラリアの方が通気性が高いことに由来するのかもしれないです。ただし、これ又一概に言えたものでもなく、たまたま僕が住んでるオーストラリアの家は、一戸建ての上に、通気性が非常に高いです。そこが気に入ってもいるのですが、風が強い日などは、あっちこっちのドアが風でバッタンバッタン開閉してやかましいくらいです。今これを書いている僕の仕事部屋の窓枠なんか木製ですもんね。アルミサッシですらない。日本の実家はマンションですので、密閉性は高く、今日は寒いのか温かいのか家の中にいたらあんまり分からないくらいです。単純にこの差が、僕には日豪の差に感じられているという可能性はあるので、そのあたり割り引いて考えなくてはならないでしょう。
オーストラリアでもフラットとかマンションだったらまた違うのでしょうし、日本でも田舎の昔ながらの家だったらまた話も違うのでしょう。ただ、一般的傾向として考えてみた場合、面白いですよね。本来、西欧的な建築が北方建築だから気密性が高く、日本は亜熱帯系の建築様式(高床式とか寝殿造りとか)だから通気性が高くて逆の筈なんですから。でも、今の日本の平均的な住居はオーストラリアの平均的な住居よりも密閉性が高いんじゃないかしら。これはたまたま見た日本のTV番組でも、「日本の住居は年々気密性が高くなっている傾向にある」と言ってました。だからシックハウスとかいう問題も起こるのだ、とも。
さて、ここでもう一歩突っ込んで考えてしまいます。何故、日本は、伝統的な開放的な建築様式から今日の気密性の高い家になってしまったのでしょうか?なぜ、そこまで外界と家とを強度に遮断しなければならなかったのでしょうか?通気性の乏しい居住環境というのは、そりゃ室内を温く保つとか外部の騒音を遮断するとかいう効用はありますが、それ以外においてはあんまりイイコトないように思います。僕の感覚でいうと、これだけ気密性が高いと、まず「気」が篭ります。気がこもると気分が落ち込んだり、滅入ったりする度合が高いです。なにか悩み事があった場合、アルミサッシで遮断された「密室」にいるのと、昔の農家みたいに縁側に座って小春日和の陽射しを浴びて、目の前をニワトリがコッコと歩いていたりするのとでは、深刻度が違うように思います。
あと、大地や外気との一体性が損なわれます。「この大地の上に私は生きている」という、素朴で健康的な生物感覚が乏しくなります。以前にもよく書いてますが、この素朴な生物感覚というのは幸福感のモトだと思います。本来生きてるというだけでナチュラルな幸福感が来なければ嘘なんだというのは、オーストラリアに来て再認識したのですが、結構これって重要だと思ってます。病院の隔離病棟のように外気を遮断して、雑菌から身を守るのも大事なのかもしれないけど、それ以上に大事なものを失っているのではないか。そんな多少の雑菌なんか本来屁でもないはずで、どんどん健康な状態のときに雑菌に触れて抗体作ってた方が良いくらいではないか。そんなことよりも何倍も大事な要素をロスしてるんじゃないかと。
もちろん僕が気づくようなことは、日本においても皆さんも気づいておられて、だから「吹き抜けの家」「自然のぬくもりのある家」とかいうのが流行ったりするのでしょう。当然だと思います。またアウトドアとかキャンプが流行るのも当然だと思います。無意識的に身体が欲してるんでしょう。なんかちょっとオカルティックな言い方しますけど、「大地や自然との交感」といいますか、エネルギーや気の循環といいますか、ああ、要するに風水の思想に近いのかもしれないけど、そーゆーものってあるよなーって思います。日本に居るときはついぞ思い至ったこともなく、またオーストラリアにいるときも特に意識はしないけど、こうしてたまに帰ってきてみるといつのまにか自分がそういったことに鋭敏になってることに気づきます。このあたりが、「日本は変ってないけど、自分が変った」と感じられる点なのですが、前は「ああ、違うな」と思うだけだったのですが、今ではその差が身体的な苦痛感を伴って切実に感じられるようになりました。とりあえずこの気密性の高さが身体的に不愉快でありますし、体調も変になるし、ああこんなところにいたらそりゃアトピーも増えるだろうし、気分も塞いでくるだろうな、と。逆にオーストラリアにやってくると、アレルギーが自然に治ったり、好き嫌いがなくなったりするも、当然なのかもしれないと。
さて、先ほどの疑問、なんで日本の建築はそうなってしまったのか?です。結局、戦後の経済復興過程とベビーブームによって、大都会への極端な人口流入が生じ、大量の建築が必要とされるようになったことに基づくのでしょう。当時はとにかく住宅が足りなかった。4畳半に家族6人暮らしてるなんてのが当たり前だったくらいですから、とにかくなんでもいいから沢山建てろ、質なんかよりも量であると。この「質より量」から、いわゆるニコイチや文化住宅が考案され、さらにそれはアパートからマンションへと高度な集合住宅に進化していったと思われます。少ない面積でより多くの人々を居住させねばならないという至上命題があったから、場所によっては極端に人口密度が高くなり、そうなったらプライバシーの関係もありますから、「吹き抜け」なんて贅沢で悠長なことを言ってられる余裕はなく、立地的なゆとりもなく、窓を開けても隣りのコンクリート塀しか見えなくなり、なによりも外部の騒音を遮断することが大事になった(ピアノ殺人事件なんてのもありましたな)。大地と自然との交感もヘチマもなく、外界はとりあえず不愉快だから、これを遮断すれば遮断するほど快適な居住環境になったのでしょう。だからいきおい気密性は高くなっていったのでしょう。
でも、そんなことは長い日本の歴史でいえば、ほんの一過性の現象に過ぎないはずです。「産めよ、増やせよ」なんてのは、半世紀昔の国是であるし(今また少子化でそうなってるけど)、工場から煙がモクモクと出ていることを公害ではなく「復興の象徴」として好意的に思われていた時代のことです。要するに昔の話。その後遺症がまだまだ残ってるんだろうと思います。都会に皆が集中するから、建築様式もそれを前提として変容するし、行政システムや、経済システムなんかも一極集中にふさわしいシステムになってしまった。もともとが一時的なものだったのに、しばらくやってるうちに日本全国がそのパターンで固まってしまって、今更それを変えられなくなってしまったという面があると思います。
時代がくだり、公害防止法令や都市計画が進んで、住宅エリアにおける工場のばい煙や騒音、振動というものも昔に比べればかなり減少してきています。ならば、昔の長屋のように、高密度だけど風通しの良い、夜になると隣近所のTVの音が丸聞こえになるような住環境に戻るかと言えば、戻らないですよね。むしろ人々の”密閉志向”は一層進んだのかもしれないです。そうこうするうちに現代になり、今度は空き巣に入られるとか治安面からまた密室化さらに進んでいるのでしょう。窓を全開にして、スダレ垂らして、風鈴が鳴るような住み方はあまりしなくなる。物騒だから。
かくして大地から遮断された密室化は進展の一途を辿り、密室に住む人間の常として、大なり小なり内向化し、”引き篭もり”傾向が芽生え、コミュニケーション能力が減退し、動物としての身体感覚が希薄になり、煙のように存在感の薄い人々を量産するようになる、、、、と。ここまでいうと牽強付会というか、far fetched なのでしょうけど、この存在感の薄さというのは、日本に戻ったとき折に触れ感じたことでもあります。これは後に述べます。
長くなると大変なので端折りますが、人々が安心して窓を開け放して、風を通らせ、気を通じさせ、大地と交感できるような住環境を広げること、これを日本という国の今後100年、200年のテーマにしてもいいかもしれないなと思いました。10年やそこらでは実現できないですが、百年単位で考えればできるんじゃないか。まず一極集中という発展途上国タイプの産業経済構造を改め、狭い国土を快適に居住するために社会経済システムを再構築すること。そのためには、まずアクセク働かなくても安心して暮らせるくらいの圧倒的な富の蓄積が必要であり、その意味では日本はまだまだ非常に貧しい。フロー経済ばかりで物は激しく流通するが、ストックとして溜まっていかない現状の経済構造を改めること。富を創出するパラダイムを変えること。そういった巨大なテーマが目の前に横たわっているようにも思いました。
なーんだ、飽食の時代とかいわれて久しく、日本の経済や生活水準はもう行き着くところまでいってもうやることがない、これ以上改善の仕様がないかのように言われたりもするけど、やるこた山ほどあるじゃないですか。まず、この絶対的な「貧困」から脱出しなければならないでしょう。20世紀的な「食えりゃそれでいい」的な構造から、食えるのは当たり前で、いかにより快適に、ナチュラルに暮らすかですよね。そのためには、カーテンを替えるような微温的な改革では追いつかず、首都圏人口3000万人を500万人くらいにバッサリ減らすくらいの根本的なシステムの変革、さらにそれを裏付ける物の見方とパラダイムを構築することが必要でしょう。話が抽象的過ぎてわかりにくいでしょうけど、まず社会における「経済」の位置付けというのをやり直したらどうか?とか考えてしまいました。
固い話はそのくらいにして、温泉、行ってきました。紅葉も見てきました。やったね。
今回の帰省は、ひとえにプライベート。4年も留守にしていた親不孝の罪滅ぼしがメイン目的でしたので、親と一緒にゴージャスな(^_^)、温泉旅行にいくというのが目玉でありました。で、行ってきました、山中温泉(最寄駅は加賀温泉駅)。
なぜ、山中温泉?というと、別に深い意味はないです。「どこ行くべ」でインターネットで調べまくってまして、北海道とか九州とかも考えつつも、移動時間と費用は少なくして、その分一泊の温泉旅館のグレードを上げて、のんびり、ゆったり、贅沢しましょうというコンセプトになってきたのですね。京都から石川県の加賀温泉駅までは特急で1時間半くらいしかかかりません。近いもんです。芦原温泉でも良かったのですが、以前行った事あるので、今度はお隣りの加賀温泉にしただけのことです。
宿選びは結構気合入れました。最近はインターネットが便利ですから、大体の旅館はHP持ってますし、部屋数とか基礎情報も揃うし、料金や空き状況もわかります。でもって、この際一泊3万くらい出そう、ベストの宿でベストなタイミングで、、とか考えていくうちに幾つか候補が絞られ、最終的にはもっとも閑散としている連休前の水曜日をD-DAYにするとともに、最終選考に残った4旅館のうち、総部屋数が少ないこと、「冬だ、北陸だ、カニだ」「カニが食えりゃいいんでしょ」というノリは極力排除して、じっくり本当の美味しい料理を出してくれそうなところと絞っていきました。旅館の平面見取り図まで見て、部屋と部屋の分散具合までチェックしました。
最終的には、「胡蝶」という総部屋数12室だけの旅館にしました。理由は上記のように、部屋数が少なく、各部屋が離れていて、料理も九谷焼の器に、やたらカニをフィーチャーしない渋いものであること、さらに広告ではなく一般の泊り客の雑感を検索して(個人のHPの旅日記みたいなものを探す=Googleあたりでコマメに検索をかけると見つかる)おおむね好評であったことなどです。
結論からいえば正解でした。
紅葉はあるけど、ウィークデーのド真中で人出も少なく、旅館全体でそんなに他のお客さんもおられなかったので、のんびりできました。お風呂なんかうれしくて4回も入っちゃったけど、自分以外に誰かいたのは1回だけでしたもんね。「おっしゃあ、俺の風呂じゃあ」って感じでよかったです。
また、部屋もよいところをを用意していてくれて、部屋から紅葉に染まる渓谷が見え、部屋も広くてよかったです。なんせメインに12畳、着替えの間が3畳、窓際の細長いスペースが結構広がっていますし、玄関と部屋の間に廊下があったりするというゆとり感覚。なんせ、日本で一番貴重なのは「空間」と「静寂」ですから、それはよかったです。さらに、料理は、隣りの別の部屋に用意していてくれるから、ゆったりしていました。料理もかなり納得のいくものでした。
まあ、イッコイッコ書いていったらキリがないのでこのへんにします。ご興味のある方は、この旅館のホームページで見てください。
http://w2272.nsk.ne.jp/kocho/
にあります。
以下、写真です。旅のアルバムってやつですね。
別にこんなプライベートな旅行の写真なんかHPに載せてどうするんだ?って気もするのですが、載せる意義はあると思います。なぜなら、温泉、旅館、美味しい日本料理、紅葉、、、、というのは、海外に住む日本人が夢にまで見て思い焦がれるものであります。「あー、日本に帰って温泉入りたい!」というのは、在外日本人であれば一度は口にしたことがあるでしょうし、「いいよねー、日本」という会話には必ずといっていいほど登場する必須アイテムであります。特に、シャワータイム3分制限とかやらされているオーストラリアの日本人においては、泳げるくらいデカい風呂で、透明なあるいは白濁したお湯をジャバジャバふんだんにつかって、時間無制限で心ゆくまで湯煙の世界に遊びたいというのは、身体がムズムズするくらいの生理的欲求でありましょう。キミはそうではないかもしれないけど、僕はそうです。
というわけで、「日本に帰って温泉旅館でのんびり一泊贅沢してくる」というベタな夢をビジュアル化した、思いっきりベタな写真をお届けします。上の大きな浴室の風景も含めて、どうかせめて目の保養としてお楽しみください。目の毒かも知れんけど。なお、クリックしても大きくならない写真もあります。
JR北陸本線、雷鳥号の車窓から。いきなり思いっきりベタですみません(^_^)。でも、いいよね、列車の旅。車窓の風景は、たしか敦賀と福井の間くらいだったと思います。
写真右は、北陸本線といったらコレでしょう。お約束は守ります。富山の鱒寿司を駅弁として食す。
さて、温泉街の風景です。いいですねー。ただの田舎と言ってしまえばそれまでなのかもしれないけど、温泉街独特の空気が弛緩してるような雰囲気や、人々(客ですけど)がみな幸福そうにダラケている感じがなんともいえず、イイです。実際に住んだらそれなりにシガラミもあって大変なんだろうけど、僕らは気楽な観光客ですから、昔の日本のような懐かしい風景に浸っていればいいです。
写真右は、宿の胡蝶の門ですね。
お部屋の写真です。ちょっと広さがあまりうまく表現されてませんが、このメインの部屋だけで12畳あります。
右の写真は、これも部屋の中です。メインの部屋の隣の着替えの間から部屋の入口方面を写したもので、突き当たりの右手に部屋の入口のいわゆる三和土(たたき)の部分になります。廊下の左手にはバス、トイレ。
部屋から見える風景。ちょっと分かりにくいですが、写真の下方に渓谷(鶴仙渓といいます)の川が見えます。
写真右は、食事をとった隣の部屋。これも10畳くらいの広さで、親子三人でご飯を食べるだけのスペースとしては贅沢なものでした。混んでいたらここは普通の客間になるでしょうが、空いてる時に泊まると万事ゆったりしてしていてイイです。
夕餉から。左が先付。くも子ゆうあん焼き、合鴨大徳寺麩白酢かけ、さらに甘海老こうじ漬けとブルーベリーの食前酒。
左は、煮物の海老いも湯葉あんかけ、もずく酢です。
焼きカニも出ましたが、それ以外の一品の方が美味しかったです。誰かのホームページで、冬の北陸にやってきてカニだけ食べて帰るくらい勿体無いことはないと書いてましたが、正しいです。刺身に出されたミル貝もアワビだと思ってたくらいですし、松茸のたっぷり入った穴子伝法焼きも美味でした。
宿のそばを流れる鶴仙渓におりていくと1キロくらいの感じのいい遊歩道があります。そこで撮った紅葉の写真から比較的出来の良いものを。真紅の紅葉もありましたが、こういう半分緑が混じってる感じもいいですよね。
こおろぎ橋という有名な橋から川面をバックに。まさに千代紙みたいな自然のデザインが良いです。
なお、ピントがイマイチあってないので、拡大写真はなしです。こういう葉っぱモンはピントを合わせるのがすごい難しいですよね。
早朝の風景。いずれも部屋から眺めたものです。
晩に降った雨の雫を含んだ樹木と、朝もやが立ち込める山。”深山幽谷”とまではいかなくても、凛冽な美しさがあります。
加賀温泉駅の裏手にそびえたつ観音様。
なんか異様な光景で、その妙な感じを出したくて駅のホームを一緒に写しました。
さて、この日本帰省記、まだ続きます。
文責:田村
★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ