今週の1枚(03.08.11)
ESSAY117/ファッション右翼
写真は、St Leonards駅のホーム
右翼と左翼という語源は、フランス革命後の議会で、議長席から右側に座ってたジロンド党の人々(国家主義、民族主義)と、左側に座ってたジャコバン党の人々(社会主義、共産主義)ということらしいです。日本では、ビジュアルイメージ的には、天皇陛下万歳といって黒塗りの街宣車でがなりたてている人々が右翼で、アンポ反対といって鉄パイプ持ってデモやってるのが左翼ということになってます。
これ、わかったようでよく考えるとわからないです。そもそもこの右翼vs左翼の思想対立というのは、同じ議論のレベルで対立してるとも思えない。右翼の本質というのは、おそらく「民族」という概念があって、その民族がいかにプライドをもってカッコよく振舞うか、そのためにその民族は一枚岩となって頑張ろうということだと思うのですね。原点は素朴な仲間意識あたりから発生している、情緒的なものだと思います。情緒的なだけに恋愛みたいに妙に感情的説得力はあるけど、本来それほど論理的なものではなく、むしろ論理的であってはならないようなものなのでしょう。
左翼は、まず社会に金と権力を持った腐った特権階級がおって、彼らにイジメられコキ使われている善良な労働者庶民がおって、、、という図式から出発して、これはおかしいから善良な労働者がその社会のメインになって、皆が頑張って作ったものは皆で公平に分配しなければならない。そうなるためには労働者が権力を取得しなければならない。でも「権力ください」とお願いして「いいよー」と快諾されるわけもないから、無理やり奪う、つまりは「革命」をせなならん、、という具合に続いていくのでしょう。
これ、全然発想の原点が違うストーリーですよね。片や、歴史と伝統のある麗しい民族があるという部分を重視し、まずこれを認めないと話が進まない。片や、悪い権力者と良い労働者という図式があって、まずこれを認めないと話が進まない。でも、実際は、歴史と伝統ある麗しい民族内部に、悪しき資本家と善良な労働者がいたりするわけで、これって、思想が「対立」しているというか、端的にいって「すれ違ってる」だけという気がします。どこを重視するか、それは好みなので、好みが違うだけなんじゃないか。デートのディナーの場所を決めるときに、味と値段のコストパフォーマンス重視でいくか、ロマンティックな雰囲気重視で決めるかという、視点の置き方だけって気もします。
もともとすれ違ってる考え方を、強引に並列的に並べてきたのは、それらの象徴みたいなものが時代時代にあったからでしょう。冷戦時代は、ソ連中国が左翼的共産国家だったりするし、黒塗りの街宣車で君が代流しているのが右翼という「記号」があったわけで、それでなんとなく分かっているような気になってた。でも、ソ連が左翼だったら、西側はみな右翼かというとそういうわけではない。左翼の人が攻撃するのは資本家であり、帝国主義であり、その手先であって、右翼思想家ではなかった。また、論理的に言えば、左翼革命思想を、君が代流しながら街宣車で訴えても良さそうなものなのだけど、そういうことは誰もしない。まあ、「お約束」のコスチュームがあったりするわけでしょう。
こういったシンボリックなお約束をはずしてしまえば、別に対立なんかしてないのでしょう。これらは、人間の気質の差、軟派と硬派とか、湘南の暴走族派とサーファー派みたいなものだと思うのですね。気質や気性が合わない、ソリが合わないから仲悪いだけで。議会内部で同じ議題で賛否両派に分かれるという語源からしたら、それほど論理的に対立してるわけではないでしょう。
でも、僕などからしたらどっちも同じようなものに見えます。共産主義も社会主義も、国が皆の生活を一元管理するという意味では国家主義のような気もするし、つまり、個々人の価値以上に高度な集団的価値を認めようとするわけでしょ。右翼の場合は、まず民族的価値というのがあるわけで、「偉大なる日本民族」とか「崇高なるゲルマン民族」とか、とにかく人種とか文化とかでひとまとまりになっている集団それ自体に、なにかの価値があり、プライドがあり、個々人はその心情的な原理に基づいて思考行動することを求められるわけです。他方、左翼では、マルクス主義などの民衆国家による生産の統合管理というシステム思想、その実現のための革命思想があって、それがなによりも基本になり、価値があるという。
どちらにしたって、「キミはこう考えなさい、こう生きなさい」と国から指図され、強制されるわけで、もうその時点で、僕としてはアウトです。そんなの余計なお世話だって、好きにやらせてくれないかなあと思うわけです。おそらく、人類の大多数はそうなんじゃないかな。要するに、そういう考え方や行動に、「生き甲斐を見出してしまった人々」かそうでないかというだけの話で。
ところで9年以上前、僕が日本にいるときにSAPIOと雑誌があって、おお、なんちゅうアホな雑誌だと思ったものです。というか「エンターテイメントとしての右翼」「スカッと気持いいストレス発散剤としての右翼」「憂国の志士を気取れるナルシスティックに楽しい右翼」を演出していて、これ作ってる奴は阿呆か賢いかどっちかだな、おそらく後者かなと思ったものです。オーストラリアに来てる間に潰れているだろうなと思いきや、最近ふと知ったのですが未だに存続していて、それどころか結構盛り上がっているという。「ほお」と思ったりしました。
今、日本は右傾化しているそうです。「そうです」と伝聞なのは、現場見てないので何とも言えないのが一つと、どうせマユツバでしょと信じてないのが一つです。ただ、北朝鮮がなにかと話題になってますし、「今にもミサイル飛んでくるかもしれないぞ、どうするんだ」とやってるんだろうなあ、だからこの種の右傾的な感じもあるんだろうなあとは推測できます。
そんでもって、景気が沈滞してて、個人的にもイケてなくて悶々としてる層がそれなりにあるだろうから、その分の代理的自我充足として、スカッとしたい、国は毅然としてて欲しい、毅然と颯爽と振舞うべきだ、そうだそうだというノリにもなってるんだろうなあとも推測します。右翼とかナショナリズムとかいうのは、個々人の人生がイケてないときに、より盛り上がるみたいですから。金がガンガン入ってきて、新しい恋人が出来て今が一番楽しいって時には、人はあんまりそういうこと考えないでしょうし。
ついでに書いておきますが、日本がこれ以上軍備増強して軍事国家化するのは止めた方がいいと思います。なぜなら、軍事国家って運営が難しいからです。ツッパリ地獄にハマるからです。クラスの優等生で勉強はできるけど尊敬されてない、なんかイケてないという人間が、突如ソリコミ入れて不良になるようなものです。でも不良は不良で大変です。半端にツッパッてると、「お前、ちょっと顔貸せ」ともっとツッパッてる連中から呼び出しがかかってボコボコにされて、パシリにされます。でもって、そうならないように通信教育の空手かなんか一人で練習しててそれなりに強くなって、クラスの他の不良は叩きのめせたとします。でも、今度は校内のもっともっとツッパッてる奴が出てきます。で、そいつを倒したら、またその地区でさらに強い奴が出てきて、、、、という具合に話はどんどんエスカレートしていきます。地区大会二回戦進出だ、ベスト8だ、優勝だ、全国大会だということですね。最終的には、山口組の組長になるくらいでもないと、結局は誰かもっと強い奴の奴隷になるしかない。これがツッパリ地獄。喧嘩が三度のメシよりも好きで、喧嘩さえしてればとにかくハッピーっていう「資質」のある人でないとオススメできないオプションだったりします。
もし本気で軍事国家としてやってこうと思ったら、世界で一番強くなるべきです。打倒アメリカです。赤字国債累積700兆円で出来ると思う?まあ、この負債をチャラにして(だから中国ファンド買ってる人は全部パー)、失業保険も年金も100%カットして、所得税率を3倍にして、消費税を50%くらいにしたら出来るかもしれないです。でも、それ以前にそんなことする価値あるの?血を吐くような努力をして軍備増強して、世界一強くなったらなったで、今のアメリカがそうであるように、今度は皆から嫌われます。テロの標的にもされます。行きたくなくても、あちこちのモメゴトにも出かけていかねばなりません。面倒臭いですよ、それ。で、それで解決しても誰も感謝してくれないという。
そこまで強くなくても、そこそこ強く、、、ということなのでしょうが、「そこそこ」って頃合が難しいですよね。
日本が、ヨーロッパとか、オーストラリアみたいに南太平洋に浮いているんだったら、つまりすぐに自国が戦闘エリアにならないような場所にあるんだったら、適当に自己満足的に軍備を増強してもいいかもしれない。でも、場所が悪いですよね。アメリカと中国の間、北朝鮮の隣。どうやってマネージするのか。
軍事国家、喧嘩国家として成立するためには、物凄くクレバーな国際認識が必要でしょう。武器を使うのは最後の最後であり、使う以上は落としどころも理解していなければならないし、十分な準備も必要。ただ強いだけでは無理です。日本が唯一成功した日露戦争などでも、物凄いクレバーな国際戦略をもって臨んでましたよね。栄光ある孤立なんていってるイギリスを口説き落として日英同盟作って、世界のスポークスマンであったタイムズを味方につけて情報戦で勝ったり、新興国家アメリカを「ここで仲裁に出てくると株があがりまっせ」と焚きつける。長期化したら絶対に負けるのが分かりきっていたからとにかく緒戦だけ連戦連勝というカッコだけ作って、世界に好印象を与えて、向こうが本気になる前に買収したレフェリーにストップをかけさせて判定で勝ちましょうという。世界の情勢をギリギリ読みきり、全てのダンドリを整えた上で、喧嘩に臨むという。薄氷の勝利。
でも喧嘩というのはそのくらい周到にやるべきものです。弁護士も一種の喧嘩屋ですし、僕も心情的には「軍人」気質があります。軍人というのは、徹底したリアリストでなければならず、屈辱とかカッコいいとか、そういった感情要素で動くのは死を招く。勝てないときは喧嘩はしない。勝てないときに靴を舐めろといわれたら躊躇わず舐める。それが出来ない奴は軍人ではないと思ってます。雰囲気だけで開戦して、振り上げたコブシの降ろしどころを見誤ったら、恐ろしい消耗戦になる。もう何のために何を戦ってるか分からなくなり、仮に勝っても全然嬉しくないという、無意味な話になる。それによって無意味に多くの人々が死んでいく。戦争というのは端的に人殺しですから、「人を殺してもいいんだ」という状況は徹底的に見極めないとならない。
だから、見てくれだけカッコ良くして、中身が伴わないと最悪の結果を招く。半ツッパリは怪我のもとということです。
もう一つ、軍事には膨大なネガティブな副作用があります。軍事というのはそれ自身が麻薬ですから、軍事力を管理できるだけの強力な自制心と状況判断能力があるのかが問われます。ピストルや日本刀を所持するようなもので、武器というのは持ったら最後、使ってみたくなるんですな。物凄く切れる名刀を手に入れたら、試し切りしたくなる、そのうち生きた人間を切ってみたくなる、、ということで、江戸時代には辻斬りという迷惑な存在が出現したように。そして、武器に引っ張られて冷静な判断を失う。昔読んだ話ですが、アメリカの銃犯罪で死亡するのは殆どが顔見知り同士で、そのなかのかなりの割合が家庭内部だという。つまりは夫婦喧嘩や親子喧嘩で、皿が割れたり、ちゃぶ台がひっくり返るような場面でバーンと撃っちゃって取り返しがつかなくなるという。長い目で見たら、武器は必ずや波乱係数が上げる。
日本にはすごい軍事アレルギーがあります。それは弱腰の平和主義とか、軟弱で笑うべき理想主義と非難されようとも、大きなストッパーになっている。それを外してしまうからには、それに代わるだけの強力無比な情勢分析能力と鉄のような自制心が必要です。
自制心が必要なのは政府レベルだけではなく、民間レベルでも必要です。民間レベルであるかどうかが結構大事で、戦争になればいやでもナショナリズムに火がつきます。平和的なオリンピックやワールドカップでさえ、けっこうナショナリスティックになるのに、実際の戦争になるとかなり一般民衆の情緒的な暴走に歯止めができなくなるでしょう。だいたい訴訟でもそうですが、声が大きく、強硬派が勝つんですね。極論なんだけど、極論というのは論理的には一番通ってるように見える(本当は通ってないのだけど、そう見える)。だから感情・論理両面で、強硬派が一番強くなるから、話はどんどんエスカレートする。それを防止するには、二重三重のセーフィティシステムを先に作っておく必要があります。でもそういう話には中々ならない。
あと細かい話なのかもしれないけど、戦争万歳、国家万歳のナショナリズムは、それまでぱっとしなかった層の人々の嫉妬的下克上的サディズムに火をつけ、そいつらが虎の威を借りて居丈高に振舞うという、庶民レベルでの大迷惑が生じる。農村出身の伍長が大学生の新兵をイジメ抜くとか、銃後を守る婦人会なんてのが日頃嫉妬心を抱いていた良家の奥様を非国民呼ばわりしてイジメ倒すとか。こういうことって、日本社会に住んでるアナタには容易に想像がつくと思うのですが、「錦の御旗」というのもの、「虎の威」というものを社会に作っちゃいけない。どっちにしたって、いい時代じゃないですよ。生きてて楽しくないでしょう。
大体政治というのは、連綿と続く因果の鎖のその全ての面倒をみることであって、適当なところで打ち切るわけにはいかない。こうすればあーなって、こーなーって、それでこうなるという先の先の先まで見通してやらないとならない。いいカッコするのはいいが、そのリアクションをどうさばくか、その先どうするのかわかっているのか。その胸がすっとする瞬間のために、その後のことを何も考えない精神状態を、「キレる」というのではないのか。いま、本当に日本が右傾化してるのだとしたら、それは「キレかかってる」と言い換えてもいい。
例えば北朝鮮に、どういうプロセスか分からんけど、仮にとりあえず戦争で勝って、あの国が崩壊したとします。めでたしめでたしになると思う?その後どうなるのでしょう?おそらく大量の難民が日本海をわたってくるんじゃないんですか?あの国に何人いるのかしらないけど、人口4000万人前後いるとして、仮に40人に一人海をわたってくるとして、100万人の難民が無秩序に日本海沿岸に漂着することになります。さばききれますか?オーストラリアも、ここのところインドネシア経由で難民がどんどん漂着してくるので対応に追われています。大きな国内問題になってるといっても過言ではないです。オーストラリアは、パレスチナ難民、ベトナム難民を受け入れて、難民受け入れについてはかなりのキャリアとシステムを持ってる国ですけど、それでも対応に苦慮している。
漂流してくる難民を海上自衛隊が、無差別砲撃して皆殺しにしようとしても出来る数ではないです。それどころか一人殺しても、砲撃一発するだけでも、国際世論からの激しい弾劾を受けることを予想しなくてはならないでしょう。だから軍備を持ってても何の役にも立たない。オーストラリアも正規の海軍をもってますけど、砲撃も殺戮もできないから結局難民収容船でしかない。そして、食い止めることもできないまま上陸されてしまうことになる。インドネシアに「お前が責任取れ」とかいって国際的に押し付けあいをしてても、こうなると国際世論も冷たいもので、「お前のところが一番近いだろ、責任取れよ」といわれてしまう。
で、入国してしまったら世話しなくてはならない。オーストラリアでも難民数は一度に数百人かそこらで、累積しても数万とかその程度のオーダーでしょう。それでも対応に困ってる。一応収容してディテンションセンター・拘留所に抑留してたとしても、今度はその待遇が悪いといって所内で暴動が起き、国連人権委員会がやってきて立ち入り調査をし、最低の扱いと国連の席上で名指しで面罵されてます。あれだけ国土がガラガラな国で、わずかその程度の数で、これだけ苦労してるわけです。北朝鮮から難民が押し寄せてきたらと思ったら、背筋が寒くなりませんか。この恐怖に比べたらミサイルが2−3発落ちるくらいまだ可愛いもののように思えますよ。日本経済はおそらく本当の意味で壊滅的な危機を被るのではないか。
それでもまだ韓国よりはマシでしょう。西ドイツが東ドイツと統合したときなんかの比ではない。あれでも東ドイツは、東側では経済的にもっともうまくいってた国であり、生活水準も高かったけど、それですら西ドイツは大変な思いをしている。今度は餓死者がいるとかいわれる北朝鮮でしょ。韓国なんか国家破産に近いほどの打撃を被るでしょう。
そうなってくると、社会の中で「こいつらさえいなければ」というお荷物感情、差別感情が芽生えてくるでしょう。難民受け入れについては上から下まで何のキャリアもスキルもない日本で、どれだけ巧くやっていけるか疑問です。それなりのヒドイ差別もするだろうなとは思います。そして憎悪は拡大再生産されます。アメリカでイジメられてたイタリア系移民がマフィアを作り上げたように、イジメ抜かれた連中が自警団として強力な暗黒組織を作り上げるかも知れず、そうなると日本内部で根深い差別問題が生じることになる。アメリカもその昔に黒人奴隷を輸入するなんて馬鹿なことをしたために、未だに人種問題で苦しんでいるように、社会で誰かをイジメたらその見返りで社会が暗くなるのはおそらく1000年くらい続くかもしれない。いやな国になりますよ、日本は。
日本は独立国家として毅然として、、とか言ってる人って、そのあたりまで考えているのだろうか。国家千年の計としての青写真は描けているのだろうか。毅然とした代償として自分が職を失う覚悟があるのか。自分の生活は安泰のまま、毅然として胸がすくような行動をとろうなんて甘いです。
屈辱感は誰にでもあります。この世が歴然と力の論理で動いている以上、最強の支配者にならない限りその理不尽な屈辱は絶えることがないです。上司の無理難題の叱責、取引先の横暴にもじっと頭を下げているのはサラリーマンの基本でしょう。自営業者が横暴な取引先にじっと耐えるのは基本でしょう。そこを、「ふざけんじゃねえ」って言うことは可能ですよ。だが、その反動としてクビになって、失業して、一家を養っていくことはできるのか。それを全部引き受けられるならば、喧嘩してもいいです。何度も言うけど喧嘩というのはそういうものでしょう。絶対勝てるという周到な準備と強力な暴力の備えがあるか、死んでもいいと思えるときだけやるのが喧嘩です。それが喧嘩の基本でしょう。そのあとのことは考えず、男らしくとか、毅然ととか、その場限りのことを言うのは、無責任以上に犯罪的ですらある。周囲に他に多大な迷惑をかけるという意味で犯罪的であり、犯罪的なまでに無能であるということで。
何度も言いますが、政治は連綿と続く現実を処理しなければならない。スカッとカッコいい瞬間でコマーシャルが入ったり、ドラマが終わってくれるわけではない。一瞬のカッコよさのあとにやってくる、その数千倍の時間延々と続く更なる屈辱と悲哀の全てを引き受けられるかどうかです。
それでも尚かつ、人にはそれをやらねばならない時はあり、後先見ずに飛ばねばならないときもあります。自然死を迎えるくらいだったら、思い切って死中に活路を見出すときです。あるいは、屈辱を耐え忍ぶことにより、生きていく上でなにか一番大切なものを失ってしまい、それがなければ生きていても仕方がないと思えるときです。
しかし、それは個人の人生レベルでの判断であり、スカッとしたかったらまず自分の人生からやりなはれ、と思います。
最後に言っておきますが、イラク問題でもなんでも、日本がアメリカ追随で情けないという声がありますが、世界でアメリカ追随でない国なんか、それこそ「悪の枢軸三カ国」くらいでしょ。日本なんか、オーストラリアに比べたら、まだまだアメリカにタテついてます。
オーストラリアなんかねー、もうねー、ジョンハワード首相もねー、何とかならんかって感じです。アメリカが戦争行くぞとなったら、呼ばれもしないうちから忠犬のように駆けつけていって、「僕らは仲間だよね、なんでもやりまっせ、軍隊も出しまっせ」と言って、本当に派兵してるもんね。オーストラリアは、陸海空、正規の三軍持ってます。だから、日本も憲法改正して正規に軍隊持ったところで、このアメリカ追随姿勢が変わるわけないどころか、もっとひどくなるでしょう。アメリカからしたら、「お前、今度軍隊持ったんだったな、じゃあ、これやってくれよ」と便利使いされるだけでしょう。断れますか?
断ったり毅然としたりするのは、軍備を持つ・持たないとは関係ないです。もっと別の要素が必要です。
いつかも言いましたが、日本の自衛隊って、あれは誰が見ても軍隊だし、それどころか装備でいえば世界第二位です。それを「あれは自衛隊であって、軍隊ではないから憲法違反ではない」という屁理屈をこねまわし、酢のコンニャクのとゴタクを並べているのって、メチャクチャ賢いなと思いますよ。昔は、「うわ、すげー大嘘」とかイヤだったけど、段々分かってきたんだけど、「すごいクレバーなんかも」と思うようになってきた。
ああいう大嘘って日本人しかつけないだろうなーって。世間にソープランドが沢山あって、売春バリバリやってるんだけど、タテマエ上はあくまでも「特殊浴場」であり風呂屋であることにしているとかさ、パチンコで誰もが換金してるのに、賭博罪にはならなくて、あれは景品をあとで純粋に個人売買してるだけってことにしてるとかさ、大嘘もいいところでしょう?でもね、それって実はクレバーなのかもって。
パチンコだってさ、誰でもバクチはちょっとはやりたいんですよ。そういう自然の欲求がある。だけど、おおっぴらに認めてはいけないという要素もある。明白に禁止したら今度はヤクザの闇賭場が潤うだけでしょ。かといって明白に解禁しちゃったら、今度は本当にバクチで身を持ち崩す奴が増えるかもしれない。だいたい、あの裏手の小さな小屋でコソコソ後ろめたく換金してるからイイんですよ。自分も後ろめたいことやってるって意識があるから、換金率が低いとかそういう文句もでないわけですよ。これが解禁しちゃったら、今度は換金率で勝負とかいう妙な競争になってしまって、どんどん熱くなる人が出てくるかもしれんでしょ。だから、「本当はイケナイんだけどね」くらいな微妙なところで落としておくのが「大人の知恵」なんかなって。
人間なんかもともとが矛盾に満ちた存在なんだから、やってることも矛盾だらけ。だから、自分にとってメインの課題でなければ、矛盾は矛盾のままほったらかしにしておくのがいいんでしょうね。それを無理やりシロクロ付けると逆に非常に面倒臭いことになるという。
先ほど「そこそこの軍備」って言いましたけど、「本当は違憲なんだけどね」とこっそり言いながら、堂々と軍隊を持っている、でもあれは軍隊じゃないの、ボク達戦争はしないことになってるの、と言い張ってるこの現状こそが、微妙な匙加減の「そこそこ」になってるのかもしれないなと。そこを無理やりハッキリさせてしまったら、バランス悪くなるんだと思うのですね。
正直いって、平均的な日本人にとって、国家の威信とか軍備とか、そんなの「どっちだっていい」問題なんだと思います。所詮その程度の問題で、国家の威信のためには死んでもいいって奴はそんなに居ないでしょう。そんなに個人のエネルギーを割く気なんか毛頭ないんだろうなーと。だから、「日本はこれでいいのか?!」って、一杯やったときに論じたり、インターネットで書き込んだりしてる程度なんだろうな。レジャーとしての憂国・右翼。だから職業右翼になろうって奴も少ないし、俺が日本を守ると会社辞めて自衛隊に入るわけでもないでしょ?
だもんで、アメリカから「お前、軍備持つのか持たないのかハッキリせんかい」と言われたら(まあ言わんだろうけど)、"Why don't you get it? It 's ZEN" 、「わかんない?これが”禅”なんだよ」とか煙に巻いておけばいいんじゃないかと思ったりもするわけです。だって、実際、戦後やってきたのは、結局はそういうことじゃないですか。
というわけで、日本がもし右傾化してるとして、はたしてどれだけ本気でやってるんだろうなーと思ったりもします。ファッション右翼でしょって。
(文責・田村)
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