今週の1枚(03.07.21)
ESSAY114/”外国人労働者”とはワタシのことです
写真は、Bankstownの駅前
Essay110回の過労死の回もそうでしたが、最近ネタに困るとFPCJのサイトを見ます。Foreign Press Center Japan。日本に滞在する外国人ジャーナリストをサポートする機関のHPで、海外から見て「いま日本はこうなってるよ」というニュースの要旨などを知らせてくれるサイトです。
どうしてこのサイトが重宝するかというと、日本人同士のメディアには、国際的にみたら、あるいは僕からみたら殆どニュース価値のない、、、と言ったら言い過ぎでしょうが、「そんなこと知ってもねえ」とあまり食指の動かない話題が多いのです。つまり、突発的な異常事件など三面記事関係は、「今日本はどうなってるの?これから日本はどうなるの?」という、日本の現状認識と中長期的な展望という観点でいえば、あんまり役に立つ情報ではないと僕は思ってます。
これも昔書いたことありますが、日本の人に「今日本はどうですか?」と聞くと、日本で話題になっている凶悪事件とか有名人のゴシップ等を告げられる人が多いです。それはそれで現場の息吹が伝わってきて興味深いのですが、でもそれは「今の日本そのもの」ではないと思ってます。なぜなら、もしそれらの出来事が今の日本そのものだったら、現場においては非常に当たり前の日常風景になってるということで、そもそもニュースになってないでしょう。僕が知りたいのはニュースになりにくい、当たり前の日常です。「隣の家のご主人(37歳)がリストラされて職安通いをしている」とか、「そういえば私の友達の半数以上が離婚してる」とか、そういうことです。
異常な犯罪事件やゴシップは、数ヶ月もすれば皆忘れてしまうし、その事件によって国民の、つまりあなたの生活や生き方になにか変化を与えるというものでもないです。例えば、ちょっと前に和歌山カレー事件というので大騒ぎしてましたが、あの事件であなたの人生は何か変ったか?というと、別にそう変わらなかったと思うのですよ。僕らの日々の生活というのは、かなり巨大な事件が発生しても、意外と強固に変わらなかったりします。それこそ神戸で地震で起きようが、サリンが撒かれようが、当事者でない限り、僕らの日常も人生観も変わったりはしないんじゃないかな。
僕が知りたいのは、「リアルタイムの本当の日本とこれからの日本」ですが、でもそれは「事件」という形では現われにくいのでしょう。もちろん事件が「何か」を象徴することはあるでしょう。しかし、 それには解読作業が必要だし、またその解読が正しいという保証もないです。
「今の日本とこれからの日本」は、あなたの頭の中にあります。あなたが日々の生活を営み、ニュースを見聞きする中で、1ミリづつ微妙に軌道修正されている「日本のイメージ」こそが、もっと言えば(ややこしいけど)そういった日本(自己)イメージをもっている人々の社会こそが「いまの日本」なのだろうと思います。早い話が、そこに住んでる人が正味何を考えているのか、です。「ああ、この会社、先なさそうだし、辞めちゃおっかなあ」「でも再就職のアテもなさそうだし、ガマンするっきゃないのかなあ」という思いが日々何ミリづつ育っているのか、横ばいなのか、下り坂なのかそういうことです。
今日本で話題になってる異常な事件を「いま、日本は大変ですよ」として伝えられたとしても、そこで確認されるのは、「そういうことを今の日本の状況だと思っている人がいる」という事実です。なお、この事実を僕がどう考えるかというと、一つには「ああ、まだ日本も安心かな」ということですね。なぜなら、自分の生活に全然関係なさそうな、遠く離れた赤の他人の出来事が、メインの出来事だと言うのですからね。目の前で自分の家が燃えてたら、1000キロ離れた殺人事件なんかどうでもいいでしょうしね。また、預金していた銀行が潰れて皆で取り付け騒ぎをしているときは、そんなこと考えてられないでしょう。だから、どーでもいい他人のことを気にする余裕はまだあるんだな、そこまで差し迫ってはいないわけね、ということですね。
ところで、「今の日本は、ワケのわからない凶悪な事件がアチコチで起きてるし、夜もオチオチ歩けないから、治安がいいなんてのは昔の話だ。今の日本はかなり怖い」というのは、比較的誰もが言います。これも本当に客観的に悪くなってるかどうかは別として(前にも書いたけど、数十年スパンで見れば少年犯罪は”激減”してますから)、「そう思ってる人が多い or 多くなってきたという事実」ということですね。でも、これも10年前から同じようなこと言いつづけてますよね。「今年の風邪はタチが悪い」というのと一緒で。
というわけで、まず、このように「皆はどう思ってるか」という日本の”心象風景”があります。
そして他方には、時間をかけた調査などによる統計発表があり、新たな法規制の動きという、ゴリゴリの客観データーというものがあります。
これらの心象と物象がどう交錯して、どうズレているか、そしてこれからどうなるか、僕としてはこれが一番気になるところです。例えば客観データーとしてそんなに変わってないのに、主観的な意識ばかりが先行してたりしたら、「気にしすぎる傾向が出てきた」と思われますし、客観的に物凄く変わっていても意識として上ってなかったら「あまり気にしてない、鈍感になってきている」とも思われます。そして、今後、もっと神経衰弱的に気にするようになるのか、あるいはものすごい死角や盲点が広がっていくのか、そこで又いろいろと考えさせられます。
心象と物象とは、また相互に関連しているのでしょう。人々の意識が集積していって、自然に行動・思考パターンが変化していく、そしてそれが行政や立法で反映されるようになる局面もあるでしょう。逆に大きなシステム変化が人々の思考行動パターンに影響を与えることもあるでしょう。
というわけで、同じメディアの記事でも、センセーショナルな記事よりも、地味な統計・調査報告とか、立法行政の動きなんかが比較的参考になると思っています。だから、冒頭のFMCJの記事も、もっぱらリポートや行政立法の動きの報道や、それに対して日本人はどう思っているのかという雑誌の論文の紹介がメインだったりします。そして、それらを見るほうが、よりクリアに日本の状況を見られるようにも思います。
前フリが長くなりました。
今週「ほお」と思ったのは、いよいよ日本も外国人労働者受け入れに本腰をいれて動き出したのかな、ということです。
今年の7月14日付記事に、「議論高まる、外国人労働者受け入れ問題」というアーティクルがありました。http://www.fpcj.jp/j/fshiryou/jb/0338.html に本文がありますので、興味のある方は全文をご覧ください。
記事の要旨は、まず出来事として、7月1日閣議で了承された「2003年版通商白書」において、政府の白書としては初めて、「専門的・技術的外国人労働者の受け入れは経済活動の高度化に資する」と、外国人労働者の積極的な導入論を展開した、ということです。外国人労働者を積極的に受け入れた方が日本にとっていいんじゃないか?ということを、政府が「初めて」(ってのもスゴイけど)真正面から認めたということですね。
以下、この問題を取り巻く、いろいろな日本の事情が記事に載ってます。外国人労働者を受け入れた方がいい理由は、一つには「先進的な研究開発能力や経営ノウハウ確保のため、海外のマンパワーを利用すべき」という純然たる経済活性化です。もう一つは、急速な少子高齢化。労働力や社会保障負担の担い手不足の問題ですね。もう日本人だけではやっていけないから、「人」(納税者)を”輸入”しましょうということですね。
経済効果ですが、これはあると思います。
”外国人労働者”と聞くと、どうもバブルの頃の建築土木や工場系の単純労働者を想像しがちですが、ここで想定されているのは、日産のカルロス・ゴーン氏のようなもっと高度なレベルの「労働者」です。「専門技能を持っている優秀な外国人」ですね。
ところで立花隆氏の著書などを読むと、日本の科学技術の超寒い状況が示されています。僕らがなんとなく思っている以上に、今の日本は、世界の先進国の水準から完全に水をあけられてしまっていると。 同氏の「21世紀 知の挑戦」という著書(文庫本)の248ページ以降に、国家公務員一種合格者(キャリア官僚)の研修で喋った講演の内容が記されてますが、「お前らエリートのつもりだろうが、実は全然アホなんだよ」とガンガン檄を飛ばしていて面白いです。
多少引用しますと、「ここ10年、20年をみても政界、官界のトップのほとんどが科学技術に無知な文系エリートであったために、どれだけ多くの誤った政策判断が出され、どれほど多くのものを失ってきたか。事情を知るものはいつも歯噛みをしてきたんです」「向こうの連中がどういう知識レベルにあるかというと、いまハーバードでも(略)、トップランクの大学では、全学生に分子生物学、細胞生物学を必修として義務付けているのです。文系の学生に対してもですよ。」「たとえば、この記事に書かれていることの意味がわかりますか?これはつい三日前の記事です。オリンパス光学が、半導体製造技術を利用して、新型のDNAチップを開発したという記事なんですけど、遺伝子解析の知識と半導体技術の知識の両方がないと、書いてあることが何がなんだかさっぱりわからないはずです。この発明のどこにどれだけの意味があるのか、価値があるのか。どの程度の将来性があるのか。この向こうにどの程度の可能性が開けるのか。経済的インパクトはどうか。意味もわからないし、価値評価もできないはずです」
要するに氏は、現代では最先端のバイオテクノロジーや工学についての熾烈な開発競争と、それに伴う国際ビジネス戦略がモロに直結しており、それらがわからないと国益を守ることも、日本の方向をリードすることも出来ないと憂慮しているわけですね。
さらに、日本の研究レベルの低さを指摘します。例として世界の主要科学論文において、日本の論文の数と、それが他の論文で引用されている率を示した統計が出てきます。数量・引用率ともに圧倒的にアメリカが強く、科学全分野でいえば、論文シェアはアメリカが36.8%なのに対し、日本は9.4%。さらにコンピュターやバイオなど最も注目される領域では46対8くらいまで差がついている。さらに、引用度でいえば、一度も引用されたことのない論文は、日本の論文の44.46%もあり、コンピュター分野に限っていえば86%が引用されていない。つまり世界の誰にも注目されていない。さらに引用の内容も細かく見ていけば、日本の論文を引用をしたのが日本人である比率は37%。逆にアメリカが日本の論文を引用したのはわずか4%。この日本論文の引用比率はイギリスでもドイツでもフランスでも同じです。ただ日本人同士で相互に引用しあって引用率を押し上げてるだけで、世界の先端からみたら4-5%の寄与しかしていない。もう一つさらに、世界で引用されている日本の論文も、ごく一握りの優秀な論文が何度も何度も引用されているだけで、それが全体を引っ張ってるだけという事情が示されます。
これは日本の研究者がダメだからとか、怠慢だからではないと思います。そういう一部の研究者だけの問題ではなく、立花氏が別のところで述べてるように、日本人全体が科学離れ、理科離れを起こしており、年々それはひどくなってきているのが問題の大きな背景なのでしょう。実際、意識調査などの統計をみても、科学に対する興味も低下し、科学に対する好印象も薄らいできているし、日本人平均の科学知識というのはOECD諸国中なにをとっても最低レベルだったりするようです。
なんというのか、日本全体に、「科学だけが全てじゃないよね」というムード、「科学一辺倒では逆に人の生活は貧しくなる」とか「行き過ぎた科学技術」みたいにネガティブなムードが漂ってきてるように思います。これは立花氏の指摘であると同時に、僕の実感でもあります。要するに「科学者」というのが、昔ほどピカピカな職業じゃなくなってきて、憧れられなくなってきている。確かに日本で金を動かしてるのは文系エリートだしね、文系は僕もそうだから身に沁みてわかるけど科学技術に対する基本的な理解がないですよね。多分ね、「科学技術発展を促進」とかいって補助金出したり、豪華な研究室を作ればそれでいいってもんじゃないんでしょうね。それって、女性のことを何にも知らない奴が、やたらプレゼント攻勢をかけたら何とかなると思ってるのと五十歩百歩なんだろうなって思います。
「科学は万能ではない」とか「科学よりももっと大事なものがある」とか、僕らは安直に言い過ぎてるきらいがあると思います。万能ではないとかさ、そんなの当たり前じゃん。万能ではないにしても有効な範囲があるわけだし、航空力学がなかったり気象学が発達しなかったらオーストラリアに飛行機飛ばすことも出来ないんだから。少なくとも有効である範囲においてはマスターせよとは言わないまでも、ある程度の造詣を養うか、少なくともその有効性を正しく認知するのが先でしょう。「万能ではない」とかいうのは、それから先の話だと思うのですね。それをまったくやりもせず、知りもせず科学批判してても意味がないというか、有害だろうと。だから、マイナスイオンがどうしたとか、「妙に科学的っぽくみえる」商品がもてはやされたりするという。
これって、科学を英語の文法や受験英語に置き換えたらまったく同じですよね。「文法ばっかりやらされて喋れない」「文法なんか意味がない」みたいに言う奴に限って文法が出来てない。日本人は文法が得意なんていうのは、やってる時間を考えたらかなり大嘘だと思いますよ。受験英語なんたらと批判する人もいますが、結局現地に来て伸びるのが早く、カジュアルな口語もどんどん習得していくスピードが速いのは、受験英語キッチリやりきってきた人です。これは僕も意外だったけど、数百人単位で見てきたら、現象としてそうとしかいえないです。そりゃ文法を知らなくても、しばらく喋ってたらある程度の受け答えはできるようになるけど、それってネィティブから見たら結構みっともないレベルで英語喋ってるんだなあってのが段々分かってきて恥ずかしくなります。でもって、結局マジメにやろうと思うわけだし、そうなると基礎からやり直さないと何年たっても頭打ちです。
結局、科学批判も文法批判も、マジメに努力するのが面倒臭い怠け者が、その怠慢を自己正当化するために、借りてきた隠れ蓑みたいなものだと思います。これは、バリバリ文系の僕が自戒をこめてそう思います。
話は横道にそれましたが、日本の科学技術、もっといえば「理科」の立ち遅れを回復するためにも、海外からガンガン優秀な研究者が入ってくるのはイイコトだと思います。
外国人労働者を僕が歓迎するのは、こういった日本全体のマンパワーのレベルアップができるだろうということです。たしかに、クルマにせよ、電化製品にせよ、日本には世界に誇るだけのトップ技術があるものも多いです。そこらへんの町工場が実は世界最高だったりすることも珍しくない。
しかし、そうでない領域も多い、というか、そうでない領域の方が多い。
これってオリンピックに似てますよね。柔道とかマラソンとかの「得意科目」ばっかり注目して、金取ったとか騒いでいて、不得意科目は意識しないという。例えばバトミントンはどうかとか、馬術はどうかとか、フェンシングはどうかとか、考えたこともない。経済も同じでしょう。
また、経済だけではなく、音楽とか芸術の分野でも世界的に優秀なアーティストが日本で働いたりしてたら、日本のレベルもひきずられてあがっていくでしょう。絶対上がるってもんでもないでしょうけど、そういう可能性もあるでしょう。
その他にも色々なメリットはあります。イッコイッコやってたらこの数倍ページ数がかかりそうだから、かいつまんでいえば、いわゆる日本式の旧態依然たるやり方なんかも変わっていくんじゃないかということですね。直ちにどうこういうことはないにしても、世界と直結する風穴があいて、風通しがよくなることもあるでしょう。
たとえば、医者の白い虚塔的な世界も、誰もが認めるような世界的に有名な医者が招かれてやってきて働いたとします。彼に対しては、日本の白い虚塔的な内部権威はまるで通用しないから、ワケわからんくだらないシキタリに直面した彼が「なんじゃ、こりゃあ!」とブチ切れて、文句言ったり、世界の論文にガンガン発表して日本の医学界が世界の非難の矢面に立たされたりすれば、多少は変わることもあるでしょう。ちなみに医療過誤訴訟をやってた身でいえば、今のままだとお医者さん同士で庇いあったりするので揉み消されがちなんだけど、日本の医学界に何のシガラミもない外部の医者が常に一定数いるのは、客観的な鑑定をするうえでもメリットだと思いますけどね。
今まではガイジンさんって圧倒的少数だったから、何をいっても数で負けて、「日本には独自のシキタリがあるのだ」で押し付けてればよかったけど、全分野で増えてきたら、そうもいってられないでしょう。
というわけで、内部改革が出来ない我々のための、外部からの鉄砲玉的機能はあるんじゃないかな、と。どっかの企業の、くだらないジーさんたちの「院政」も多少は改善されるかもしれんし。
僕もそうだったからよく分かるのですが、日本人ってガイジンさんに偏見持ってますよね。そもそも「ガイジン」と、ひと括りにして語ってる時点でもう救いがないというか。偏見は無知から生まれ、無知は圧倒的な経験不足から生まれます。要するにガイジンさんとつきあった経験が殆ど無いから、外国人といっても「河童」「竜」「麒麟」みたいにイマジナティブな存在になってて、イマジナティブな存在はいろいろな伝説や尾ひれがついているってところだと思います。
また、ガイジンさんの労働をあまりに限定してたりすると、どうなるかというと、優秀で遵法意識の強い人は入ってこないで、逆にすばしっこい規制なんか屁とも思わないバイタリティのある奴が入ってきて、不法就労や犯罪をしたりするから、実際よりも外人さんのイメージが悪くなりますよね。
それと、これはシドニーでもそうですし、世界各国どこでもそうだと思いますが、外国人の犯罪はまず外国に住む同じ民族相手に行われる場合が多いです。例えば、シドニーでいえば、カブラマッタのベトナム系マフィアは、同じベトナム人コミュニティに巣食い、ベトナム人の店でみかじめ料みたいな搾取をすると。現在は来て無いけど、日本の犯罪組織、山口組なんかがシドニーで活動を展開をして、たとえばみかじめ料を取ったりするとするならば、日本人の経営しているレストランや土産物屋を狙うと思いません?そのへんのオージーの喫茶店やイタリア料理屋は狙わないんじゃない?
このように外国人の犯罪は、そこに住む同国人が一番実態を知ってるわけだし、彼らの協力なしには取り締まりも、壊滅作戦もなかなか巧くいかないです。だから、悪い外人さんを何とかするためには、いい外人さんを沢山呼ぶのが一番効果的だと僕は思います。それをしないと、いわゆるエスニック・ゲットーになっちゃうよ。
だから外国人犯罪者比率がどうのとかいうけど、それって入国の段階でもっと優秀な外人さんを呼べなかったということでもあると思うのですね。そこらへんの日本人なんかよりも、はるかに切れて、はるかに気がついて、奥ゆかしい、日本人以上に理想の日本人みたいな外人さんって、実は結構います。シドニーにだって、一杯会ってるんだから世界では沢山いるでしょう。これからは、そういった「いい」外人さんにどんどん入ってもらって、外人さんのイメージを根底から覆したらいいと思います。そうでないといつまでも、イマジナティブなまんま、都市伝説みたいになってしまうから。
あと、実際にアジア諸国から正式に労働市場の開放の要請がなされているようです。例えば、タイ式マッサージとか、フィリピンの看護師や介護士などなど。
そして外国人労働者を積極的に受け入れるようにした場合、官民ともども、もっともっとクレバーにやらなきゃならなくなります。いかに優秀で、人間的にもいい人を受け入れていくか、そのあたりのビザ発給業務レベルでもいろいろな整備やトレーニングはいると思います。また、不法就労者に対する対策その他においても、あるいは民間レベルでの受け入れにおいても、多くの問題があるでしょう。
オーストラリアにいる僕らは、僕ら自身が「外国人労働者」なわけですね。観光ビザで来た人以外、ビジネスビザや永住権はもとより、ワーホリビザ、学生ビザの人でも、労働してたりします。その場合のルールと、実際の運用。僕らは外国労働者としてここで受け入れてもらってますが、その経験で言えば、いろいろな細かな規制はあるし、大変なこともあるけど、総じていえば結構気持ちよくやらせてもらってます。多民族国家ってこともあるけど、外国人なんだなんて意識することも少ないです。そうやって気持ちよくやらせてもらってる部分が、逆に全体のハーモニーを増している部分ってあると思います。これが行く先々で、「ジャップ、帰れ」なんていわれてたら、こいつら絶対許さないってスサんだ気分になってきますからね。
あと外国人労働者として言わせて貰うならば、現地に働く日本人は、総体でいえばまず間違いなくオーストラリア地元の経済にとってプラス効果をもたらしていると思います。「オーストラリア人の職を奪う」というデメリットなんか吹き飛ぶくらい、現地経済に寄与してます。だって、僕がこういうことやることによって、オーストラリアに行ってみようかなって日本人は増えるでしょうし、現地の学校に紹介して学校を潤わしたり、あるいは単純に居るだけでも飲み食いするわけですから地元の店は潤うでしょうに。それに、優秀な日本レストランが出来、そこで日本料理を覚えたくてやってくるオーストラリア人もいるでしょうし、さらにその人が独立してレストランを開業することもあるでしょう。
アジア人犯罪集団がどうのこうのと(オーストラリアの)新聞上で語られたりしますが、あれ読んで僕らのことを「危ない犯罪的な人達」と思われたらやってられないですよね。これは現地在住の日本人労働者ほぼ全員の意識だと思いますが、「俺らが危ないって?冗談だろ?」と。もちろん個人的にそんなこと言われたり、それらしい体験をしたことなど一度もありませんが、言われたらすげー心外って思います。だから、おそらく日本で働いている外人さんも、自分で悪いことしてる人以外は、すげー心外だろうなあって思います。
あと、国家間の資格相互認定の問題があります。
たとえば、オーストラリアで得た資格を日本で認めてもらえるかどうか、あるいはその逆。これも、外国人労働者の受け入れ進めていって、二国間で協定していけば資格の相互乗り入れのできる領域が広がってくると思います。
これは留学や移住を考えている人にとってはいいことだと思います。日本での資格をこっちで認めさせたり、こっち取った資格を日本で認めさせたり、こういうのって個々の現場で頑張ってたって限界あります。やっぱり国の上の方で、しっかり話し合ってもらわないと、ラチが明かないって部分もありますから。
このように資格の相互認証のシステム整備を進めていけば、日本のあらゆる領域に外国人労働者が入ってくることになり、日本のあらゆる領域にはびこっている旧態依然とした”家元制度"的なシステムも、多少は柔軟性を取り戻していくのではないかという希望もあります。
それは外国人がやってくるというだけではなく、外国で修行した日本人が日本に逆輸入して入ってくるということをも意味しますし、むしろそちらの方が実践的にはインパクトが大きいかもしれません。そして、資格や労働市場の相互乗り入れが整備されるにしたがって、今度は日本人が外国人労働者として海外で働く機会も増えてくるかもしれません。これは日本が不況や就職難になったときに大きな保険になるかもしれません。国内で失業しても、まだまだ海外があるわけですから。
アメリカの労働市場における外国人労働者の比率は11%といわれてますが、日本はわずか0.2%。まだまだ緒についたばかりでしょうが、今後に期待したいです。だって、外国人労働者というのは、遠い国からやってきた知らない人々のことだけを指すのではなく、まさに僕ら自身のことでもあるのですから。
(文責・田村)
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