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今週の1枚(03.07.14)
ESSAY113/長崎幼児殺害事件について
写真は、シドニーを北に抜けたセントラルコースとのMooney Mooneyの入り江。日曜の夕暮、ボート遊びを終える人々。ああやって船を車で引っ張ってきて遊んで、また車に積み上げて帰るわけですね。野生のペリカン君の姿も見えます。
先週来られた方は弱冠20歳。礼儀正しく、しっかりしていながらも、純真さが覗くナイスガイでした。
いきなり脱線しますが、こちらでは18歳で完全に成人として扱われますので、「弱冠」という言い方は、自分で書いていながらもやや違和感が残ります。日本ではなんでも「年齢基準主義」みたいなところがありますが、こちらでは、18歳未満のコドモか、18歳以上のオトナかという大雑把な二分法です。18歳未満のコドモは、親に養う義務があり、自分で生計を立てなくてもいい反面、半人前ですからそれなりに扱われます。金もろくすっぽ持たせません。携帯電話なんか中高生がそうそう持てるようなものでもないです。チャイニーズのボンボンはよく持ってるみたいだけど。暴走族もいないことはないですが、やってるのはオッサン連中です。プロレスラーのようなゴツい身体に刺青キメてハーレーを転がしているヘルスエンジェルスや、マッドマックスに出てくるような連中ですね。中高生の暴走族なんか殆ど見たことない。なぜなら、未成年者がバイクを買う金を持ってることなんかマレだからです。
伝統的には(あくまで伝統的には、です)18歳過ぎたら完全なオトナとして扱われます。つまり生計を立てる義務は本人に生じます。義務投票だから投票にもいかねばならないし、確定申告もしなくてはならない。そして、親はスネをかじらせない。大学も自分で学費を捻出しないといけない。だから、基本的には誰でも奨学金(HECS)は受けられることになっていますし、自腹切って大学行くからよほどやりたい勉強がないと行かないですし、大学生の平均年齢はかなり高い(一旦社会に出てから入る人が非常に多いから)。そして、シェアという安くても暮らせる生活形態が編み出されます。
つまり18になったら本当の意味で「成人」になるのですね。今の日本人の30歳以上の成熟度が求められるといってもいいでしょうし、実際に30歳以上の成熟度に達してると思います。18でそこまで完成させる必要があるから、グレてる暇がないともいえます。そして年齢は、18歳からほとんどカウントすることを停めるようです。18歳も65歳も等しくオトナ。基本的には対等。僕が知ってるオーストラリア人で僕が正確に年齢を知ってる人は、、、よく考えたら一人もいないわ。そもそも話題にならいし、あんまり意味もないから聞いてもすぐに忘れてしまいます。
なお、年齢バリアについて、制度的に例外があるのは運転免許で、26歳だっけな?までは取るのが難しくなってます。また、保険でも一定年齢以下の人間が乗る場合、保険料がガクンとハネあがるか、あるいはそもそも加入拒否をされます。これは、交通事故の多くが若い人の未熟な運転によって起こされているという統計数値をもとにされています。
日本の人とよくメールで話していて、日本の就職状況などで、「27歳以下」とか「32歳」とか「35歳」とか、なんだか日本は成人になったあともコマゴマといろんな年齢バリアがあるようです。頭の中身が半分以上オーストラリア人になってしまっている僕からしたら、「なんで?27歳になんか意味があんの?」と素朴に疑問に感じます。ねえ、本当に意味があるんですか?ギャグでやってるんじゃないんですか?なんでそんなことをするのか、かなり真剣にわからんです。それって憲法14条違反じゃないのか?
脱線しました。で、その日本的には”弱冠”、こっち的には”普通のオトナ”である20歳のナイスガイと、話してたのですが、最近長崎で12歳の少年がどうしたこうしたという話題になりました。「いやもう、日本は大騒ぎっすよー」という彼と、車のハンドルを握りながらの会話が続きます。
「そういえば昔日本で酒鬼薔薇とかいう14歳の少年がエラいことしてたな。何年前かな、、、あれ、自分と同じくらいのトシじゃないの?」「そうなんですよ、タメっすよ。僕と同じ年」「じゃあ、事件発生のときって、いろいろ”最近の14歳”がどうしたこうしたって言われたんじゃないの?」「言われましたよー、ほんと、冗談じゃないですよ!なんか同じ年だったら皆が皆そうみたいに言われて、腹立ちましたよねー、17歳になったら”最近の17歳”とか言われるし、いい加減にしてくれって感じですよ」「えらい迷惑って?」「そうそう、あんなの一部の一部の一部ですよ!」「若いと言われるんだよねー、オウムの麻原がああいうことやっても、彼が何歳なんだかわからないけど、最近の3○歳は、4○歳はって言い方はしないもんね」
彼が苛立つのももっともだと思います。僕だって同じように言われたらカチンときます。
今回の長崎の事件も、年齢なんかあんまりメインファクターではないのではないか。例によって日本のマスコミ報道だけから、正味のところ何が起こったのかさっぱり分からんのです。まあ、現時点で僕らのような傍観者に全てが分かるハズもないし、分かろうとしてもいけないのでしょう。事件直後っていうのは、警察も全てを発表するわけがないし、マスコミもとりあえず毎日何かネタを探して紙面を埋めないとならないから、あることないこと書き立てて、いわば最もデマが飛び交う時期とも言えます。大体おぼろげに概略が分かるのは1年後くらい。実態の50%くらいわかるのは佐木隆三氏のような法廷ジャーナリストが労作を発表してくれた後でしょう。ただ、伝え聞く外形的事実でいえば、ペデフェリア(幼児愛)目的で幼児を連れだした人間が、騒がれたから困って突き落したということでしょう。たまたまそこが騒がれて困る場所であり、且つ立体駐車場だったから「突き落とす」という簡単な殺害方法があったわけで、これが原っぱで誰もいなかったら話はまた全然違っていたでしょう。
ペドフェリアの人はいっぱいいます。西欧にも沢山いますし、もっとも重大な犯罪として社会から憎まれている行為類型でもあります。一方、日本においては、幼児ポルノもコンビニレベルでガンガン出てるし、そもそも世界最長寿国のくせに「18歳でもうオバサン」なんて奇妙なことを口走ってるロリコン民族であり、アイドルは常に女子中高生で、かつ上記のように27歳やら35歳がどうしたこうしたという就職制限まであり、さらには公務員採用試験にまで年齢制限があるという、もう官民財界一致団結してロリコン国家をやっていると言えないこともないです。だから日本人は全員ペデフェリアかもしれない。いや、ほんと、ハタから見てたらそう思われても仕方ないと思いますよ。それに、たまたま14歳なり12歳で犯罪をしでかしたからといって(それも1000人規模で発生しているならともかく一人か二人で)、その世代が一蓮托生、十把ひとからげに容疑者扱いされるという荒唐無稽な論理でいくなら、これだけ状況証拠が揃っていれば「日本人全員潜在的なペデフェリアになりうる危険な民族である」と結論づけてもちっとも不思議ではない。事実、当たってる部分もあるでしょう。おっさんはブルセラ(←これも世界に類をみない現象)にハマって、おばはんはSMAPの「かわいい男の子」に夢中という、お稚児さん趣味の国なんだから。
だから、ロリコン社会の日本で育った12歳の少年が、皆と一緒に”正しく”ロリコンになっただけ、と言えないことも無いです。もちろん極論だけど。そんでもって、彼はマジメだったので、ロリコン趣味を発揮するのがヘタクソだった。これは、マジメに勉強してる奴ほど、いざ異性のエスコートやセックスになると不器用だったりするのと同じことでしょう。直線的過ぎるわけです。でもって、騒がれたから突き落とすという行為も、目を覆わんばかりに幼稚で直線的です。他にもっとやりようがあるだろうが、という。子供の騙し方ひとつ知らない。もっとも、育児ノイローゼで幼児虐待事件が後を絶たないわけですから、子供への接し方をしらないのはひとり彼だけではない。しかし、それでも、変な言い方ですが、いやしくも犯罪を犯してるんだから、もう少し何かやりようがあるだろうがって気もします。
いずれにせよ、年齢を問題にするなら、まさに12歳にふさわしいヘタクソさ、未熟さ、パニック度であると言えなくもないです。だから、「らしい」っていえば「らしい」です。むしろ問題があるとしたら、12歳にしては「ヘタクソ過ぎ」ということです。こっちの方が問題だと思う。これがですね、チャイルドポルノの犯罪組織を作り上げ、数百人の構成員を支配し、組織的に何百人のも幼児を誘拐をしてビデオを製作し、暴力団とも対等につきあって裏ルートで流して、巨万の富を稼いだボスが12歳だったというなら、僕も驚きます。
というわけで僕からしたら、特にショックでもなんでもなく、子供がなんか悪さをして、コドモがゆえに処理を誤って飛んでもない事態になったという、火遊びしていて一家全焼みたいな、「そういうことってありうるでしょ?」という事態のように思います。極論を言えば、なんでこの程度のことで大騒ぎになるのか、逆に不思議ですらあります。
火遊びと殺人は違うと言う人もいるだろうけど、人は人を殺します。それが大人だろうが子供だろうが殺すときは殺す。冷静に殺す場合もあれば、逆上して暴発的に殺す場合もある。戦争になれば12歳でも立派な戦力になりうるし、武器を持たせていざとなったら戦えと教えるでしょう。戦時中の日本は少年たちに竹槍を持たせて人の殺し方を教えた。そして、今でも世界では少年ゲリラ兵士は沢山いるし、珍しいことでもない。ただ平和時には人はそうそう殺したりはしない。なにか良からぬことをやったとしても、いきなり殺したりはしない。殺したあとの絶望的な事後処理を考えたらそうそう殺せるものではない。また、殺さねばならないようなスチュエーションも滅多に存在しない。しかし、彼はヘタクソだったから最悪の選択をしてしまった。でも他の連中はもっともっとうまくやってる、そういうことじゃないんですか。
ペデフェリアや性的犯罪の暗数(発覚していない事件数)は相当多いと思います。子供の頃にイタズラをされたのがトラウマになって、、、というのは、カウンセリングに携わっている方だったら殆ど日常的に聞いていることだと思いますが、その犯人が捕まったり処分されたりしたことって、少ないでしょう。これが満員電車での痴漢行為とかそのあたりのものも含めれば、もう毎日毎日数千数万件規模で発生しているとも言えます。このように毎日数千件(数字に確信はないですが)という普遍的な性的犯罪のうち、未成年者がやってるケースはどのくらいかというと、これも正確な数字はわかりませんけど、ゼロってことは絶対ないですよね。もともと性的衝動が強い年頃なんだから。平均的な年齢分布程度にはやっているでしょう。でも大体は捕まらないか、説諭程度で終わり。
しかし、対象が幼児で、しかも「誘拐」というパターンにあてはまってしまって、最後の最後で、最悪なむごたらしい殺し方をしてしまったという、トリプルプレーのように重なってしまっていることが本件の特徴といえば特徴なのでしょう。大体、「誘拐」といっても嫌がる人間を車に押し込んで拉致したりするモロに犯罪的なキッドナップではなく、一緒に手をつないで繁華街を歩いてたり、お話をしてる程度なんでしょ。これって「迷子の子供が可哀想だから一緒にお母さんを探してた」という心温まる情景と、社会的外形的事実は一緒だったりします。最後の殺し方の残虐さがあまりにも目に付くから、それに引っ張られると全ての行動が鬼畜的に見えるのですが、冷静に考えてみたら、そーんなに異常なわけではない。異常なのは最後の最後の瞬間だけって気もします。「だからといって殺すか?殺すにしてもそういう殺し方をするか?」という幼稚な「飛躍」こそが問題の本質なんだと思います。
ところでペデフェリアは難しいですよね。「子供が好き」というのは、極めてまっとーな感性であって、最初から人類にインプットされている自然のメカニズムでもあるでしょう。人間の子供は成長するまで他の生物に比べて恐ろしく時間も手間暇もかかります。出産後数時間で立って歩けるようになり、1年以内に成獣と変わらないくらい成長する他の動物からしたらそれこそ20年くらいかかります。だから、この手間暇のかかる虚弱な子供を無事に成長させて種族を維持するためには、他の成人達の手厚い保護が必要であり、だから人間には「子供を見たら可愛く思う」というメカニズムが組み込まれているのでしょう。人類が基本的に子供嫌いだったら、人類はとっくに滅亡していたでしょう。
あどけない子供をみて、心があったかくなったり、可愛く思えたり、一緒にいたいと思ったりするのは、本来はとても正常で健康な感覚でしょう。そのなかでも特に子供が好きな人が、保母さんになったり、教師になったり、小児科医になったり、童話作家になったりするのでしょう。それは素晴らしいことだと思います。それが不幸にも、どこかでネジが狂ったり、混線してくると、ペデフェリアになっちゃう。その分水嶺は、実はかなり微妙なんだろうなって思います。
他方では、ペドフェリアばかりが注目されてしまうと、ごく普通にやってる子供と大人のふれあいがスポイルされちゃう危険も感じます。北野武の映画「菊次郎の夏」でしたか、ビートたけしと近所の子供が一緒にいい加減な旅をする話ですけど、ああいう経験って子供の頃にしておくのはイイコトだと思います。僕も子供の頃、近所のお兄ちゃんなんかにキャッチボールやってもらったり、カーブの投げ方教えてもらったりして楽しかったです。親以外の大人と接するのは大事なことだと思う。だけど、こんな騒ぎになったら、そういうこともしにくいですよね。子供が迷子になって泣いてても、「坊主、どうした?」と話し掛けて、一緒にお母さんを探して歩いたりしたら、誘拐犯人にされちゃいそうですよね。「アイスクリームが欲しい」と言われて買ってあげてたら、「アイスを買ってやるといって連れ出し、、」なんて新聞に報道されちゃう可能性大です。怖いです。だから触らぬ神に祟りなしで、泣いてる子供がいても、足早にそばを通り過ぎるという風潮になりゃせんか、と。もうなってるんじゃないかな。
ところで、幼児誘拐殺害事件は昔っからありました。有名な(といっても知らない人も多いでしょうが)、吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件なんてのも1963年にありました。日本での身代金誘拐殺人事件の先駆けともいうべき事件であり、警察のミスで身代金も奪取されてしまったという珍しい事例であり、犯人を別件で二度逮捕したにもかかわらず自供を得られず、あわや迷宮入りという時点で、警視庁きっての名物刑事平塚八兵衛が捜査に参加し、終結に導いたという事件です。警視総監がTVに出て解放を犯人に訴えたり、この事件がきっかけで電話の逆探知が始まったり、『かえしておくれ、今すぐに』という吉展ちゃんのことを歌った歌がフランク永井、ザ・ピーナッツ、ボニー・ジャックスなど当時としては錚々たる顔ぶれが歌ってラジオで流れたり、世間の日本人に「身代金誘拐」という新しいボキャブラリが増えたり、なんにせよ全てにわたって破格な事件でありました。
さらにこの事件は模倣犯を産み、公開捜査後一ヶ月もしないうちに女子高生誘拐殺人事件が発生し、焦った警察は被差別部落出身だった石川氏を犯人にデッチ上げ、以後94年に仮出所するまで30年にわたり勾留・監置しつづけたという、戦後最大の冤罪事件のひとつ、いわゆる狭山事件が発生してます。だから、まあ、「警察の威信」なんか40年前からぐらついていたとも言えます。
今更ながら過去の記録を見ますと、当時の社会的インパクトの凄さが伝わってきます。今でいえば、サリン事件とグリコ事件が同じ月に発生しているくらいのインパクトであったでしょう。それでも当時の日本人はタフだったのでしょう。結構のほほんと昭和30年代はハッピーに推移していたように思います。まあ、タフなはずですよね。ほんの十年ちょっと前の戦後直後では、町のあちこちで餓死者が普通に転がっていたんだから。その前の空襲時代には、毎日数百体単位で焼死体を見てるわけだし。
ときに、吉展ちゃん事件が発生したとき、僕は3歳。だから当然、「知らない人についていっちゃいけません!」と言われていたでしょう。考えてみれば、僕は、森永ミルク中毒事件の頃に森永ミルクを飲んで育ち、一人歩きが出来る頃に吉展ちゃん事件が発生するという、親にしてみたら気の安まる時が無かったでしょうね。そんでもって、1年に一回はコンスタントに何針か縫う怪我をしてましたからね。本当に、もう、手のかかる子供で、お騒がせしました。
そうであったとしても、まだ当時の日本では、子供が知らない大人と気軽に会話したり、一緒に遊んだりしてました。町内には必ず一人くらい「変なオジサン」がいたりして、それが妙に子供に人気があったりしました。イタズラやって知らないオバサンに叱られたり、知らないオジサンにゴツンとやられました。全部自分が悪いんですけど、子供心になんとなく社会との接点みたいなものを感じていたように思います。チャリンコ乗ってたら、皆が話し掛けてきたりしたしね。そういう意味ではオーストラリアに来て、ほっとしてます。なんか「モトに戻った」感じがするからです。「人間の社会」だなあって実感できるというか。たまに日本に帰って電車とか乗ると、皆さん不機嫌な顔して押し黙って、なんか精神病棟かどっかに迷いこんだような怖さを感じたりします。
何が言いたいのかというと、悪循環になりゃせんか?ということです。今回のことでペドフェリアが話題になり、それで皆が神経を尖らせたら、ごく普通の大人と子供の接触というのが益々減ってしまうのではないか。そういう状態で育った子供というのは、社会とか人とのつながりというものを体感しないままに成長して、なにか大事な社会性が欠けたまま成人し、対人関係で悩んだり、ひきこもったり、、、またそういう子供がさらに子供を産んで、育てて、、という。
誰もが言うことかもしれないけど、やたら清潔になって微生物を殺菌しまくっているうちに、身体の自然な抵抗力やバランスが壊れて、アトピーが増えるのと同じ構造なのかもしれません。
オーストラリアにやってきて、人間的に解放されるとか、リラックスできるとかそういった効用はすごくあるのですが、でも、それってある意味日本の恥ですよね。本来、本国にいるのが一番解放されて、リラックスできなきゃウソでしょう?それが、こんな遠くはなれて、言葉も通じない強烈なストレスを感じて、土地もシステムもわからない不安感を抱えて、それでもまだこっちの方がのんびりできるなんて、なんか根本的に変ですよね。自分の家よりも、他人の家の方がノビノビできるという。
さて、こういう事件がおきると、また少年法がどうしたこうしたって話になるんでしょうか。ならないで欲しいです。
犯罪を犯すのはそいつが馬鹿だからです。言うまでもなく馬鹿でない人間なんかこの世にいないですが、それはさておき、未成年者が特別な扱いを受けるのは、馬鹿というよりも未熟だからです。未熟がゆえに馬鹿なことをする。未熟な人間はまだ成熟すればなんとかなるかもしれないし、成熟させないと行為の意味もわからんだろから罰する前にまず成熟させる。でも成人して馬鹿やってる奴はもうこれ以上成熟する見込みがないから馬鹿として処断するということでしょ。その意味でいえば、彼はまさに未熟なんだからいわゆる少年法の精神そのまんまの事例でしょう。少年というには成人犯罪者以上にあまりに奸智に長けていて、しかもそれなりに未熟なところがないという「早熟性」こそが、少年法をとりまく問題として議論されているわけで、今回のようにむしろ遅熟なケースと同列に論じるべきではないでしょう。
大体、刑法とか少年法が何のためにあるのか真剣に考えてない人が多いように思います。あれって、別に関係ない傍観者である僕らを「スカッとさせる」ためにあるんじゃないです。まあ、そういう面もありますよ。難しく言えば、「国民の応報感情を満足させ、カタルシスを与え、法的確信を維持し、遵法意識を促進する機能」ってのは確かにあります。でも、それだけじゃない。一番の効能は、カッカしやすく、エモーショナルになりやすい事柄をクールに、つまりは公正に裁断するためのものです。
犯罪なんか誰が見ても悪いことなんだから、誰だって犯罪者を憎むし、「ひどい目にあわせてやれ!」って思います。「あんな奴、死刑にしちゃえばいいんだ」「そうだそうだ」って。僕だってそう思いますよ。でも、それは刑罰ではなく、リンチ(私刑)というのだ。感情的にカッカしてる人間は、ミスが多い。人違いとか冤罪とか、やり過ぎとか。それって放置してたら、ほんとイジメと変わらなくなるのですよ。「あいつ気に食わないからヒドい目にあわせてやれ」「あいつ、付き合い悪くて暗いからあいつが犯人に決まってる」みたいになっていく。
だから刑法って(法律は一般的にそうですけど)、人間が馬鹿だから存在するのだと思ってます。馬鹿だからすぐにカッカしてくだらないミスばっかりしてる。ミスするだけミスして、無実な人を死刑にしておいて、あとで皆で「このような悲劇は二度と、、」涙したり、第三者を批判したりするという馬鹿な生き物だと。ワイドショー見て無実な人なのに犯人っぽく写ると皆で悪口言って、家族を村八分にして散々イジメ倒したあと、無実が判明すると今度は警察を罵る。松本サリン事件みたいにさ。「二度とこのような、、」なんて殊勝なこと言ってたって、根が馬鹿なんだから二度でも三度でも百度でも繰り返すに決まってる。
はっきりいって、こんなに感情に支配されて、判断能力を誤り、反省能力もろくすっぽない、手っ取り早くいえば阿呆で無能な連中に、人の生命や人生に重大な影響を与える事件処理なんかやらせてはイケナイ。だから最初に厳格な手続を定めていて、まさに idiot proof (馬鹿防止対策)として、どんな馬鹿が処理しても最悪の結果を招かないようにするという、二重三重にセーフティシステムがかけられているわけです。それが刑事法。
だから捜査とか証拠とか裁判とか、まどろっこしいとか、生ぬるいとかいう人が言いますが、アンタのようなアホから無実の人や関係ない人を守るために、意図的にまどろっくしく、生ぬるくしてあるのです。車のシートベルトにせよ、セキュリティドアの暗証番号入力にせよ、セーフティというものは、本来的にまどろっこしいものです。こんなことも分からない馬鹿が、ただ単純に「スカッとしたい」という動物的な感情を「正義感」とカン違いしてなんだかんだ言ってるんでしょう。
それに、犯人の人権は守るけど被害者の人権はどうなってもいいのかという人がいるけど、犯人だろうが被害者だろうが誰の人権もそれぞれ適正に守らねばならないです。犯人(じゃないかもしれないから容疑者)の人権をナイガシロにしたら、その分被害者の人権が厚く守られるとでもいうのか?結局、どちらの人権もナイガシロにしてるだけじゃん。
被害者の人権が非常に手薄であることは僕も異論ないですよ。でも、これは刑法の問題ではない。もっと別の問題です。それは例えば、まずこういった事件の時にマスコミの餌食にさせられるのを防止すること。被害者の自宅に集まること自体を禁止するか、警察がガードするか、国で安全場場所に誘導するなどのプロテクトをもっと立法的に考えていいと思います。破ったマスコミや取材陣、さらに面白おかしく噂を流布させた人間(例えば強姦の被害者の顔写真をネットで配る奴とか、あることないこと書き立てる奴とか)に対する罰則。犯罪被害者に対する名誉毀損に関する法律なんてのも作ったらいいと思う。さらに、犯罪被害者給付金の額も低いです。銀行救済する100分の1の金でも被害者や遺族に給付したらいいし、特に交通遺族のように一家の支柱を失った家族の生活困窮を救う制度をもっと拡充すべきでしょう。さらに「お礼参り」の恐怖を防ぐために、刑務所を出てくる日の通知や警察のガード、あるいは住居移転を考えている人の公的保護。これはアメリカなんかでは、証人保護システムとしてやってますよね。戸籍から住民票から家から仕事まで、まったく新しいものを国が用意するという。
そんなことしてるだけの警察人員がない、人手が足りないというなら、セコムあたりと契約して支払いを国が持てばいい。そんな金がないというなら、そういう保険を作って皆で醵出しあってファンドを作ればいい。金がかかるというなら、「ボディガードボランティア」というのを自治体で組織してコミュニティサービスの一環にすればいい。なり手がいないのなら(そんなことはないと思うけど)、失業保険の給付をケチる前に、保険給付の条件としてこういったコミュニティサービスの参加を義務付けたらいい。参加者の質が疑問だったら、セコムでも元刑事さんでもなんでもプロを呼んできてインストラクターにしたらいい。そして”一級警護士”みたいな国家資格を創設し、マスコミ動員して世に広めたらいい。キムタクあたりを主役にして一級警護士のドラマを仕立てたら、なり手に不自由はしないでしょうし、プライドを与えたら人はそれを必死になって守る。
幾らでもやりようはあるんじゃないのか?そういうことを一歩一歩議論して、実現していく事こそが、「被害者の人権」を守ることなのではないのか。オセンベ食べながらワイドショー見て、犯人に悪態をついたりすることが、被害者の人権を守ることなんですかね?What's your say?
もちろん、犯人は適正に処罰されるべきなのは言うまでもないです。ただ、それは「適正に」です。「度外れて厳罰に」ということではないです。なにが「適正」なのか、そのあたりのシステムや量刑については議論があっていいと思います。少なくとも刑事法関係と被害者の人権をダイレクトにリンクさせるのは誤りだというのは、多少なりとも法律を知ってる人だったら分かることだと思います。
でもね、こんな難しい話、普通の人はわかりません。そんな全ての領域について精通せよっていっても無理です。だから、やいやい言っててもいいです。言うのは自由。
ただ言ってはいけないのは、いやしくも国会議員で内閣の閣僚という、立法行政のプロです。プロがそれを言っちゃイカンでしょう。キミはその法律を作って、最高司令官として法の執行を命じる立場にあるんだから、そいつが知らないで済まされるわけはないでしょう。ねえ、「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」と発言した鴻池大臣。当選2回目で昭和15年のフタケタ世代のわりには、言ってることが古いというか、彼のホームページをみても、政策の”せ”の字も出てない。防災担当大臣として、大地震への現状の備えを国民に語りかけて、説明している様子もまるでない。政治家のHPで政策という項目がないというのもスゴイ話ですな。一曲も持ち歌がない歌手みたいなものです。”語録”という欄をみても、やれ勧善懲悪だの、靖国神社がどうの、なんというかそこらへんのオッサンの個人的な感想というか、感情でしかない。まあ、オーストラリアでいえばポーリン・ハンソンみたいなものですけど、ハンソンの方がまだしも政策があったな。。
しかし、人の意見や信念の是非はさておき、政治家というプロフェッショナルな技術者としての資格に欠けるような人間が政治家として当選し、しかも大臣までやっているという、この国はいったい何なんだ?という気がします。こんな、ゴリゴリの保守、「保守」なんていってたら本当の保守の人が怒るとおもうけど、右翼の外宣車と変わり映えしないことを言ってれば大臣になれるんだったら、誰でも大臣になれます。あなたもなれます、僕でもなれる。庶民感覚をもった親しみやすい、、なんて誉めるアホもいるかもしれんけど、庶民感覚を持つのは大事かもしれんが、感覚しか持ってない奴がプロになっちゃイカンでしょう。患者感覚をもった医者は大切ですけど、その医者が「え、心臓って左にあるの?」とか言ってたらまずいでしょう。技術者、プロは、まず技量あってなんぼでしょ。
国会議員は国民の「代表者」であり、国民の「選良」であるといいます。代表者という点では、「この程度の国民のこの程度の政府」という意味で、彼が国会議員であることもまた何かを表しているのでしょう。しかし、代表するだけでいいんだったら、選挙なんかやらなくてジャンケンで代表者を決めたらいいです。議員センセイになるには「選良」たる部分あってこそであり、比較的マシなプロの技量を持った人材がなるという意味では、この人よりマトモな日本人は日本に5000万人くらいいると思いますよ。自民党ももう少し切れると思ってたけど、わざわざ参議院からこんなの引っ張ってこなくたっていいでしょうに。いかに防災担当という「閑職」(であってはならないのだけど、本来)に廻されようとも。でも、なんでこの人大臣になれたの?公称無派閥のくせに。また、小泉内閣も何が悲しくてこういう人間を大臣にしなくてはならないかったのか。そのあたりにも又、現在日本の政治状況の「何か」が浮かび上がってくるような気もします。
ところで、親が出てきてどうのっていうのは全然本筋と関係ないでしょう。道徳論としてそういう倫理はあるかもしれないけど、そういう家族や関係者は一連托生みたいな、隣組の相互監視みたいなシステムが日本を息苦しくしている元凶でもあります。そうそう、こういうことがあると必ず親の実家に石を投げ込む馬鹿どもがいるが、だったら山口組の本部に石投げろよ。あいつらの方がはるかに悪いことを、しかも何百倍も日常的にやってるじゃないか。でも、絶対やらないんだよね。そういう反撃されそうなところにはせずに、絶対に反撃されない所にだけ、しかも誰だかわからないように集団の陰に隠れて人を傷つけるのが「正義感」なのか。それは「卑怯」と呼ぶのだ。
卑怯で思い出したけど2チャンネルとかでも顔写真が出回って問題起こしてますけど、気が滅入る話です。「2チャンネルやってる奴=人生終わってる奴」という話をどっかで聞きましたが、同感ですね。なかにはマジメな議論もあるんだろうけど、大体がゴミ。10秒も見てたら胸糞が悪くなる。ネットの一番悪いところ、「悪意増幅装置」以外のなにものでもない。自分の責任を自分で取れもしないハンパな奴が、親は子供の行為に責任取れとかエラそうなことを言っているというのが、実際のところでしょ。国民総背番号にするんだったら、全てのネットアクセス者のアイデンティテイが分かるようにしてほしいものです。なにも難しいことを言ってるのではなく、自分のやったことは最低限自分で責任取れるようにしろということです。
実際、ネット犯罪が多い現在、そっちの方がずっと急務だと思う。少年問題とか教育の問題とか30年、50年レベルで時間がかかりますが、この種のネットセキュリティは技術的な問題だからその気になれば明日にでも出来るでしょう。一人暮らしの女性の住所を公開したり、懸賞金かけて強姦ゲームやったりさ、あれこそ何とかすべきでしょ。アクセスは不特定多数だから難しいにせよ、いずれはどこかのサーバーにつながるのだからサーバー管理者とメーカー、さらにNTTも含めて通信事業者の連携でかなりのことができるハズです。まあ、もっとも公安が本気で捜査したら今でも分かると思いますが。
ついでにいうと、「子供の責任は親がとれ」というなら、ドラ息子の犯罪を警察にもみ消すように命令している政治家って何なんだ?って思いますよね。言ってることとやってることがこれだけ対極にあるのも珍しいですわ。子供の交通違反のもみ消し、大学不正入学の口利き、そんなことを政治家に頼んでる親とか、頼まれたらイヤとは言えない政治家とか、ほんと、なんなんだ?って気もしますよね。「そんなことワシはやってない」って言うでしょうけど、そんなの国民の常識じゃないですか。日本の政治家というものは、そういう親子不正行為を一つもやっていない潔白な人達ばかりだと思ってる人、手をあげてください。誰もいないんじゃない?ただ、そんな非道を「国民の常識」にしちゃってる僕らも何なんだ?って気もしますな。親子不正を日常的に肯定しておきながら、今回の親を格別取り出して非難できるのか?って。
ところで、鴻池大臣に申し上げたいが、あなた自身そういう親子の不正行為に加担したことはないのか、もしあったとしたらそれこそあなたを市中引き回しのうえ打ち首にしても宜しいか?もちろん「ワシは誓ってやっとらん、結構だ」と答えるでしょうね。どうせバレっこないと思ってるからですよね。だから、この捜査は日本人ではなく、利害関係もなく圧力のかけようもないFBIとかスコットランドヤードとか、そこらへんの優秀な捜査陣に任せます。それと特例措置として、盗聴もおとり捜査もバリバリやるし、場合によっては拷問もやりますけど、それでもいいですね?潔白だったらいいでしょう?秘書が勝手にやったなんて言い逃れは許しませんからね。子供のことで親が打ち首になるのを肯定するんだから、秘書のことで代議士が打ち首になるのはもっと合理的でしょう?親は子を選べないけど、秘書は自分で選べるんだからね。
ああ、くだらないことを書いてしまった。
なにか事件があるたびにいつも思うのは、事件そのものには驚かないけど、事件のリアクションにいつもゲンナリさせられるということです。
(文責・田村)
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