今週の1枚(03.06.23)
ESSAY110/湯たんぽと過労死の話
写真は、Glebe。
ちょうど今ごろ、日本では夏至ですが、季節が正反対の南半球では冬至になります。日本はかなり蒸し暑くなりつつあるようですが、こちらは結構冷え込んできてます。もっとも、寒いと言っても日本の冬に比べたら知れてます。シドニーは霜は降りない、氷は張らない、雪は降らないということで、いくら寒くても最低気温が零下になることはないです。いいとこ5℃くらいでしょう。日中は、暖かい日は20℃を超えますし、寒い日でも最高気温が10度以下という、いわゆる日本でいう「真冬日」は殆ど無いでしょう。
しかし、このニュアンスを伝えるのが微妙なのですが、日本ほど寒くはないにしても、だからといって「快適にぽかぽかしている」わけではないです。メチャクチャ寒いわけではないが、十分に「うすら寒い」です。日本は、夏冬の暑さ寒さが明確にハッキリしてますから、どうしても記憶としては盛夏と厳冬がイメージされがちです。で、それほどでも無いと聞くと今度はいきなり春秋の行楽シーズン的なポカポカ気候を想像してしまいがちですが(5月とか10月とか)、そのさらに中間、3月とか11月くらいの感じです。出かける前にコートに手を伸ばしたり、引っ込めたりして迷うくらいの気候ですね。あまりうまく思い出せないとは思いますが。
というわけで、ダウンジャケットにマフラーで完全武装という必要はないにせよ、家にいたらやっぱりストーブが恋しいです。ところで、西欧系のコーカサス人種は寒冷地民族で寒さに強いので(平気でTシャツ短パンで歩き回ってたりする)、こちらの家には暖房設備というものが乏しいです。古い家で暖炉があるならかなり温かいのですが、暖炉がないと実際には電気ストーブくらいしかないです。ガスストーブは安くてパワーも強力で良いのですが、日本ほどガスを多用するわけではないので、ガスの元栓が多くない。全然ガスを使わない家も珍しくないです。 エアコンも最近は大分売り出されるようになってきましたが、まだまだそれほど一般的ではないです。
そうなると電気系暖房になるわけですが、こちらは240ボルトの高圧で、各家庭の配電の容量も大きめにとっており、小さな電気ストーブでも楽勝で2000ワットを超えたりするので、かなり温かくはあります。その分おっそろしく電気代を食いますが。電気ストーブの種類としては、@ラディエーション系、Aファンヒーター系、Bコンベクションヒーター系、Cオイルヒーター系などがあります。
@はいわゆる反射板式で、昔ながらのオレンジ色に暖かい電気ストーブですね。電熱棒のようなものを発熱させ、背後のアルミかなんかのパネルに反射させるアレです。見た目温かそうなのですが、ストーブの前だけ暖かく、部屋全体の暖房となるとちょっと厳しいところがあります。Aのファンヒーターはその名のとおり温風を吹き出させるわけで、これも2000ワットくらいになるとかなり強力です。ヘアドライアーと原理は一緒なので即効性はありますが、うるさいのと、ただでさえ乾燥している空気がさらに乾くので夜中つけっぱなししてると喉を痛めたりします。Bは、原理はAと一緒なのですが、温風を強く吹き付けることはなく、部屋の空気をゆっくり対流(convection)させます。静かで乾燥度も少ないです。その分Aよりも即効性に欠ける。Cのオイルヒーターで、これも静かでパワーはわりと強力ですが、問題は温るまで時間がかかることですね。
その他電気毛布はありますけど、電気アンカはありません。これ、なんで無いんだ?と不満なのですが、無いです。足温器ってのも無いですね。当然コタツなんかありません。あ、そうそう、日本みたいに、遠赤外線がどうのとか、マイナスイオンがどーのという、ファンシーなゴタクはこちらの人は並べません。そういう製品を探しても無駄です。
電気代も掛るし、ストーブ代それ自体が勿体ないとか、1年程度の滞在予定でいちいち暖房器具を買っても春になったら邪魔になるだろうしなとお悩みの貴兄に、安くて強い味方がいます。湯たんぽです。といっても、日本の湯たんぽのように、金属製で表面がゆるやかに波打ってるアレではないです。日本的にいえば、あれは「水まくら」です。ゴム製のもので、中に水(湯)を居れて栓をするという。たしか、hot water bottleとかいう名称だったと思います。水まくらに見えますから、water pillow なんて口走っても通じませんので注意。インターネットのどっかに画像が落ちてないかと探してみたら、ありました。ココにあります。
water bottle と ”hot” water bottleとは違います。前者はお湯を入れたらゴムが溶けたりします。一回それで失敗しました。ちゃんと耐熱ゴムで作ってあるモノを買いましょう。K-Martあたりで5ドルくらいで売ってます。大きめだけどカイロ代わりにも使えるので、椅子に座ってるときに腰に当てておくとか、アウトドアで使うとか、重宝します。ただ、hot water bottle コーナーが大々的にあったりすることはマレで、例によって「要らないときはよく見かけるけど、いざ探すとなると全然見つからない」状態になります。こちらのスーパーはデカいですから、延々「どこにあるんじゃあ」で彷徨ったりします。そして、全く関係ないコーナーの柱に特売品でぶら下がってたり、レジの付近に置いてあったりします。また平気で1ヶ月くらい品切れのまま放置してたりする在庫管理レベルですから、店員に聞いて(念のために2−3人に)、無かったらとっとと次の店に行きましょう。
生活一口メモでした(^_^)。
さて、話は変わって硬派な話題です。
Forein Press Center/JAPANというサイトがあります。同名の公益法人のサイトですが、外国プレス関係者の日本の取材活動をヘルプをする団体のようです。
「ほお、そんな組織があったのね」と思うわけですが、「今日本はどうなってるの?」というのを外国人の目からかいつまんで知るためには、なかなか面白いサイトです。最近の日本の出来事を紹介するジャパン・ブリーフや、日本の論説系雑誌の論調紹介をしているViews from Japanあたりが「ほー」という発見があっていいです。
例えば最近のジャパンブリーフでは、「過労死が過去最高に―背景にサービス残業も」というトピックがあります。今年の6月18日付ですから、まだ先週のニュースですね。
といって、何も先週にドドドと一気に多くの日本人が過労死したわけではありません。2002年の厚生労働省の統計(労災補償状況調査)が発表されただけのことです。サマリーをちょっと引用すると、
過労による脳・心臓疾患で死亡した(いわゆる「過労死」)として、労働基準監督署が労働災害と認定し、労災補償を受けた労働者の数は、今年3月末までの1年間で160人(前年58人)に上り、過去最高となった。また過労による自殺と認定された人の数も43人で、過去最高となった。
大幅に増えたのは、過労と死亡との因果関係を認める基準を緩和したことが大きな理由だが、長引く不況の下でのサービス残業や過重労働、さらに、過労死に対する日本社会の関心が高まって労災認定の申請が増えたことも背景にあると指摘されている。
ということです。
ここで押さえておくべきポイントは、ここでいう「過労死した人の数」というのは、真実過去一年で過労死した人の数ではなく(そんなものは神様しか分からない)、労働基準監督署、いわゆるローキが、「過労による脳・心臓疾患で死亡した」と労災認定をした人の数であることで、その数が前年(2001年)度58人なのに対し、今年度は一気に160人という3倍近い伸びを示したことがまず一つ。
これ、メチャクチャ増えてますよね。1年で一気に3倍近く増えるというのは「なんじゃあ、そりゃ?」の世界です。ただ、これは統計のマジックの問題で、なんで増えたのかというと、「数え方が変わったから」というのが大きな理由だということ。つまり、過労と死亡との因果関係を認める基準を緩和し、過労死の認定をし易くしたということですね。
職務過労で死んでたとしても、それが「仕事のやり過ぎ」で死んだのかどうかという認定の問題があります。過労死というと、職場の床にバッタリ倒れて、、というのを想像しがちかもしれませんが、多くは自宅で寝てる間に発生したりします。朝になっても起きてこないから家人が見に行ったら、布団の中で冷たくなっていたという。その場合、原因は、「昨日飲み過ぎたから」「持病の発作」などいろいろ考えられるわけで、そのなかで「やっぱり仕事のやり過ぎでしょう」とお上が認めないと「過労死」という扱いを受けません。
それにちょっと考えてみても分かると思うのですが、3倍に急増したといっても、1億2000万人の人口のうち、わずから160人かそこらですよ。日本人の労働環境と閉塞感やストレスを考えてみた場合、過労死がそれだけってことはないでしょう?という気がしませんか。だから、労災認定というのは難しいし、それは単に厚生労働省がケチで中々認めないからというよりも(それも大いにあるとは思うが)、もともと過労と死亡疾患との間のプロセスというのが分かりにくいのでしょう。
「疲労」がどうして脳内血流を阻害したり、心臓の筋肉をストップさせるのか、そのあたりの医学的に正確なことは僕もわかりませんが、素人考えでも、いろんなものが積み重なって徐々に身体がぶっ壊れていくのだろうな、ということくらいは分かります。古代エジプトでピラミッドの石を引っ張らされている奴隷が鞭で打たれながら炎天下に息絶えてしまうならばまだ分かり易いですが、日本の過労死は、ハタ目には普通に生活を営んでるだけですし、徐々に身体のシステムが蝕まれていって、最終的にある日突然ドカンといくのでしょう。ストレスが原因だとしても、ストレスは何も仕事だけとは限らず、家庭のこと、人生のこと、さまざまでしょう。それがどのような割合でどう蓄積されていったのか、それを後から精密に解明することは不可能です。本人にだって分からんでしょう。だから、ある程度の客観的な公式をあてはめて判定するということになるのでしょう。
「過労死の認定基準を緩めた」というのは、厚生労働省が2001年12月に過労死認定となる条件の間口を広げたということです。これまでの基準では、「発症前1週間以内に特に過重な業務に従事したこと」という条件だったそうですが、新しい基準ではこのほかに、「発症前1カ月間に100時間を超える時間外労働をした場合」や、「発症前2カ月から6カ月の1カ月平均の時間外労働が80時間を超える場合」なども労災と認めることにしたわけですね。
これは結構画期的だったと思います。なんせそれまでは、「発症の一週間前になにか特別なこと」がないとダメなんですから、徐々に疲労が蓄積してドカンといった場合はハネられていたわけです。それが日ごろの平均的な労働状況をもとに判定するようになったわけで、それは大きな前進だと思います。評価していいです。ただし、無条件に誉められないです。理由その1は、「この基準改定は、最高裁が2000年7月、長期間にわたる過重労働もこれらの疾患を引き起こす原因となるとして、事実上、同省に基準の是正を求めた判決を受けて行われた」ということで、 厚生労働省が自発的にやったわけではなく、最高裁に尻を叩かれる形でやったこと。理由その2は、そもそも過労死の構造を考えれば、「直前1週間前に特別なこと」という条件で絞ること自体がナンセンスだったわけで、これまでが間違っていたともいえるわけで、その当然の是正を過労死が世間を賑わしてから殆ど四半世紀もたって、英語辞書に"Karoshi"という見出しが載って久しい今になってようやく改訂されているという、いつものことながら、対応の遅さです。
あと、認定数の急増の理由としてもう一つ挙げられているのは、一般に僕ら国民レベルでの意識が高まり、それまでは泣き寝入りしていたケースが、泣き寝入りせずに労働基準監督所に申し出るようになったという時代背景の変化です。ただし、いきなり去年になって人々が突如として権利意識に目覚めたというものでもなく、徐々にそうなっていったのでしょう。「遺族や病気になった労働者が労災認定を求めた件数は計819件で、4年前より75%増えており、働き過ぎによる健康被害に対する労働者の関心が急速に高まっていることを示している」と書かれてますが、申し立て件数そのものは、4年前に比べて75%増ですから、たしかに高まっているのでしょう。ただし、「4年で75%増」は、「1年で3倍近くの増」という今回の現象の直接の原因というよりは、やはり背景要因に留まるでしょう。
過労死というのは難しいです。あらゆる意味で。
ひとつは、「過労死として労災認定を受ける」という行動それ自体が、日本社会においては中々気軽に出来ることではないということです。実際に過労死している日本人の数は、上記のような100人とかそんな規模ではないと思われます。ほんと、大企業だったらコンスタントに毎年誰か死んでても不思議ではないでしょう。
ただ、それら過労死事件のケース全てが労災認定申立てをしているわけではないです。というか、やってるのはごく一部じゃないかと思われます。なぜか?まず思い当たるのは、企業側のダメージです。イメージ悪いですもんね、自分のところの従業員が過労死したりして、新聞にデカデカと載せられたら。それに当局から徹底的に職務状況の調査をされますし、将来にわたって「前科企業」としてニラまれます。あなたが企業の総務とか法務セクションにいたら、まずもって遺族の方が労災申立など「コトを荒立る」ような「軽はずみな行動」に出ないように、動くことになるかと思います。企業からの丁重な弔問、多額の香典、生命保険金受給のための企業としての書類の整備などのサポート、さらに「○○さんは、会社の宝でした。返すがえす残念です」と死者の名誉を重んじつつ、「お困りのときはいつでもおっしゃってください」という優しい言葉、、、etc。ここで冷たい態度を取ると、遺族から、「会社から使い捨てにされた」というイメージを与え、恨まれたりしますから正念場でしょう。努力の甲斐なく遺族から労災申請がだされたら、今度は広報セクションの役目で、広告を出してる新聞などのメディアになるべくこういうことは記事にしないように"希望”すると。
もう一つは、社員や遺族からしてみたら、昨日まで家族のように勤めていた会社を、一夜明けたら「お前が殺したのも同然だ」と糾弾することにタメライを持つであろうことです。いろんなケースがあるから一概には言えませんが、本人が進んで入社し、そこで働いていることにプライドを持ち、バリバリ仕事をしていた結果の過労死であった場合、なかなか「会社に殺された」とは心情的に言いにくい部分もあるでしょう。また、保険大好き日本人は、多くの場合生命保険をかけているでしょうから、なにがなんでも労災補償を勝ち取らないと残された遺族は生きていけないという状況も、そう多くはないかもしれません。
日本(というかアジアの)の家族主義カルチャーは、これは一概に時代遅れとかウェット過ぎると非難しにくい部分もあります。社員の転勤があったら、職場の同僚が引越の手伝いにやってくるのは日常茶飯事です。社内運動会で家族ぐるみの付き合いもしています。「遠くの親戚よりも近くの他人」といいますが、ヘタな親戚なんかよりもよっぽど親密な人間関係を構築していたりします。それを、いきなり敵対はできないです。それが人間の情でしょう。
日本社会で、普通の人が労災申請をしたり、裁判で訴えたりするという「対立的な」行政・司法手続に踏み切る場合、ドライにビジネスライクに割り切って、「ほんじゃま、やりましょか」という具合には出来ないです。そこには物凄いプレッシャーと人間的葛藤がつきまとうでしょう。自分自身の深い人生観が投影されますし、人間道徳的な大義があるかどうかが大事なポイントになるでしょう。「カネになるからやる」という単純で経済的な行動は、周囲から冷たい目で見られがちですし、何よりも本人自身、そしてアナタ自身が好まないでしょう。ですので、企業法務などのビジネスではなく、普通の一般民事裁判というのは、基本的にゼニカネではないと思った方がいいでしょう。日常の法律相談はすなわち人生相談でもあります。
余談ですが、これは、留学相談が人生相談になるのと同じです。大きな岐路に立たされたときには、より広い視点、つまりは人生マネジメントの視点で決定しなければならないからです。だから、僕の日常のメールは人生相談的な方向にいく場合が多いです。それを僕はむしろ当然のこと、好ましいことと思ってます。そうでなければウソだとすら思ってます。慣れてもいますし。
というわけで、日本の過労死申請というのは、遺族の方が「会社に殺されたようなものだ、使い捨てにされたあの人が可哀想だ」という、強い人間的動機を持っているケースが多く、それは(神様しかわからない)全過労死数のうちの一部、それもかなり少ない比率の一部になるんじゃないかと推測されます。逆にいえば、労災申請をしていない過労死の「暗数」はかなり多いのではないかということですし、その暗数の多さを基礎付ける社会風土というのは、これは一概に是非を問いにくいな、難しい問題だよな、ということです。
同時に難しいなあと思うのは、「従業員を虫けらのようにコキ使っていた鬼のような会社 VS ボロキレのように使い捨てにされた可哀想な従業員」というように、マンガのようにわかりやすい図式に、現実は必ずしもなっていないということです。僕も会社側の代理人になった経験があり、その経験でいっても、そんなに単純なものでもないです。
たとえば、過労死のケースはいろいろありますが、職業的ドライバー、長距離運転手さんやダンプの運転手さんなどのケースがよくあります。ダンプの場合、雇用形態はいろいろあって、会社が保有するダンプを運転するという純粋にドライバーとして稼動する場合と、自分でローンを組んでダンプを所有して、そこで日々会社から仕事を請け負って稼動してやっている、従業員というよりは独立した下請企業のようなケースがあります。このあたりの雇用形態は、スパッと割り切れるものではなく、雇用なのか下請なのかグレーゾーンが微妙なグラディエーションで続いています。”マイ・ダンプ”
を持ち込んで、一往復幾らという出来高払い制で給料が払われる形式の雇用、なんてのもあるからです。
こういう一往復幾らの歩合形態の場合、ダンプのローンの負担の厳しい運転手さんは頑張ってしまうのですね。時として運転手さん同士で仕事の取り合いになったりもしますし、早い者勝ちになったりもします。会社側としても、歩合支払だから、運転手がサボったらその分給料を払う必要が無いので、そうキリキリ働かさせなくてもいいケースもあります。運転手が余ってるようなときは尚更そうでしょう。「あんた、今日はもうあがっとけや。居眠り運転でもされて事故でも起こされたらかわなんさかいな」てな感じで、むしろ働かさせないようにしているケースもあります。もちろん、ケースバイケースで鬼のようにコキ使うケースもあるでしょうし、逆に親分肌で過重労働に渡らないように口やかましいくらいに注意するケースもあるでしょう。
ですので、会社側としては、あれだけ「身体大事にせーや」と散々注意してたのに、「大丈夫、大丈夫」で働かれて、その挙句過労で死なれ、訴えられたらかなわんわって局面も時としてあるでしょう。ただ、これは遺族の側からみたら、また状況は全然違って見えるのでしょう。一番よくわかっていたのは本人なんだろうけど、その本人は死んでしまってもう居ないし。
ここで、また、少し引用。
統計によると、過労により脳内出血などの脳疾患や心筋梗塞などの心臓疾患を起こした人は、死亡者を含め合計317人(前年143人)で、これも過去最高となった。その内訳をみると、業種のトップは運輸業72人、2位は卸・小売業で60人、3位は製造業の57人。職種別では管理職71人、運輸・通信従事者62人、事務職57人。年齢別では50代128人、40代90人で、この2つの年齢層で全体の68%を占めた。
一方、働き過ぎから、うつ病などの精神障害を起こしたと認定された人の数は自殺者を含め、計100人(前年70人)だった。精神障害の労災認定の申請者は341人で、5年前比では8倍程度に増えている。業種では運輸業(18人)、製造業(15人)、建設業(13人)が上位を占め、職種では専門技術職(21人)、事務職(19人)、管理職(18人)で半分以上を占めている。
いろいろなケースがあって、これも一概には言えないのですが、ムチャクチャ忙しいイメージのあるビジネスマン系、メディアや広告系ではなく、運輸、卸、製造業など現業系が実は多いというのは注目してもいいかもしれません。ただし、ここも大企業系は過労死後のフォローが良いので労災申請にまで至らないケースが多いのでは?というモノの見方もあるかもしれません。
次に難しいのは「サービス残業」という存在です。これは厚生労働省も強く指摘しています。ちょっと長いですけど、興味深いのでまた引用します。
日本人の労働時間は先進国の中でも長い方であるが、飛び抜けて長いというわけではない。同省などの統計によると、2000年の年間総労働時間(製造業)は日本1970時間、米国1986時間、英国1902時間などとなっている。そこで、こうした公式統計には数字として上がってこないサービス残業が、過労死の背景の一つとして指摘されているわけである。労働者がサービス残業を強いられる理由として、長期化する不況で企業のリストラが進み、労働者の立場が弱くなっていることなどがあるとされる。
このため厚生労働省は、全国の労働基準監督署を通じサービス残業の摘発に力を入れている。労基署がサービス残業などを禁止する労働基準法違反として是正指導した全国の事業所の数は1999年1万1524件、2000年1万4671件、2001年1万6059件と年ごとに増えている。
01年4月から02年9月までの1年半に、従業員にサービス残業をさせたとして、労基署から是正指導を受け、100万円以上の残業代を支払った企業613社で、その総額は81億円に上った。また、労基署が01年に監督指導した事業所の3割にサービス残業の疑いがあることが分かった。
労働団体の連合の調査では、組合員の半数がサービス残業をしており、日本を代表するいくつかの大企業でもサービス残業の事実が指摘されている。今年2月には、東京の特別養護老人ホームの経営者が長期にわたり職員にサービス残業させていたとして、労基法違反の容疑で初めて逮捕され、当局の厳しい姿勢を示した。連合はサービス残業をなくせば150万人以上の新たな雇用が生まれるとしており、悪質なケースには労基署に告発して刑事責任を問う姿勢を打ち出している。
ということで、日本名産「サービス残業」ですが、まず表向きの労働時間は日本はそんなに長くないということが一点。統計で見たらアメリカ人よりも働いてないです。「そんなハズないだろ」ということで、サービス残業というカラクリが出てくるのですが、平均していえば日本人というのは日本人が思ってるほど突出して働きまくってるわけではないと思います。オーストラリア人も働きませんが(^_^)、ただ、一点いえるのは、日本はお休みが多いです。まず国民の祝日が多い。これはオーストラリアの2倍以上あると思います。それに加えて、慣行上休みになっている年末年始やお盆シーズンがあります。年末は28日あたりでシメて、三が日はお休み。夏休みはお盆を挟んで3日から1週間くらい休んでもあまり文句をいわれません。
ところが、オーストラリアは、当たり前ですけど(^_^)お盆休みなんかありません。さらに南半球の悲しい宿命で、年末年始・クリスマス・夏休みが全部同じ時期にあたってしまいます。カレンダーどおりに年末年始を休むと、12月25日、26日、そして1月1日しか休みがないです。31日の大晦日だろうが、正月2日目だろうが、かなり平常どおりだったりします。ゴールデンウィークに相当するのはイースターで、このときばかりは土日はさんで4連休になるからビッグイベントになりますが、それ以外は3連休ですら大騒ぎするくらいですから、非常に休みが少ないです。これは、こちらで働かれたら実感されると思いますが、ほとんど一年中働いているような感じになりますよ。
それでものんびりやってるように見えるのは、3つの要因があると思います。@有給休暇を遠慮なく消化できる文化、Aサービス残業がない、B年がら年中転職してるから、転職(失業)期間中という大きなお休みがある、ことによると思います。
次に注目すべきは、この不況時、サービス残業なんかあって当たり前、誰も問題になんかしないんじゃないかと思ってたら最近はかなり摘発されているということです。 年間是正指導件数が1万6000件というのは、日本の常識的な感覚でいえばかなり多いですよね。平均しても1日あたり43件以上指導されているのですから。そして100万円以上の残業代を払わされたケースが1年半で613件(だから年間にすると400件くらいですか)。
このあたりをどう考えるかですが、まず是正指導が一日平均43件というのは、ほぼ毎日一件全国の都道府県で指導がなされる感じになるのでしょうか。同時に、1万6000件も指導している割には100万以上の追加残業代支払いに至ったケースが400件しかないというのは、実効的な解決に至ったのは2.5%に過ぎないとも思えるわけです。これを、口頭や書面で「注意しなさいよー」と言うだけで、実際に現場が改善されるのはマレだから意味がないと捉えるのか、そんなことはないのか、僕にはそこらあたりがちょっと分かりません。日本の企業の99%は中小規模の会社ですから、100万以上追加で払うといのはよほどのことだから、実際にもかなり厳しくやっているのか。そのあたりのニュアンスは、リアルタイムにいる現場の人でないと中々分からないでしょうね。
ただ、経営者の立場で言えば、ローキ(労働基準監督署)というのは税務署と並んでおっかない所という感覚はあると思います。最終的な処分がどうであれ、日々稼動している職場にやってこられて調査をされるというだけで相当なプレッシャーがかかると思います。一方、僕の知人で労働基準監督官をやってた人がいましたが、取り締まる側からしたら警察のように人員がいるわけでもないし、強制捜査権限もろくすっぽないし、現場での非力さに歯がゆい思いをしているようでした。そのあたりは立場によってもいろいろ見え方は違うのだと思います。
いや、この問題は、たかだか一回のエッセイでどうなるものでもないくらい多方面に広がっていく話題です。「なんで日本人はサービス残業しちゃうのか」とか考えていくと面白そうですよね。どうしてだと思いますか?しかし、もはや紙面も尽きました。最初は「こんなサイトがありますよ」という紹介のつもりで書き始めて、「例えば」で最新の記事をピックアップしただけですが、書き出したらいろいろ出てきてしまうものです。まだまだ全然書き足りないし、読んでるあなたも「それを言うならこういう問題もあるだろ」ということが幾つも思いつくだろうと思います。
最後に職場で困っているあなたのサイトとしては、労務安全情報センターなどが幅広く情報を載せていてヨイです。このサイトの職場のトラブル解決法などを見ますと、「君が不当だと思っていることが、どこかの行政機関の職権で取り扱えるものかどうか、見定めが必要だ。「確かに不当な取り扱いだが違法ではない。」といった性質のトラブルは行政機関では取り上げてもらえない場合が多いので注意しよう」「何かで、人に相談するとき、「じゃあ、私は泣き寝入りですか」をいう捨て台詞は吐かない方がよい。相談を受ける人が最もがっかりする言葉だからだ。(権利・義務関係にあるものは)理論的には、泣き寝入りはあり得ないのであって、その選択が躊躇されるだけなのだから。」などと、実際に役に立つ情報があったりします。
これにひきかえ厚生労働省のホームページはですね、、、、、うーん、まあ、言うまでもないでしょう。なんというのか、こういう本家本元の情報提供がアンフレンドリーで、関係のないサードパーティの解説が非常にわかりやすいというのは、パソコンのWindowsの解説マニュアルの例をひくまでもなく、よくある話なのでしょうな。
(文責・田村)
★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ