今週の1枚(01.07.16)
雑文/学食
上の写真は、シドニー大学構内のサンドイッチ・バーの風景です。
学生食堂、いわゆる”学食”ですが、これはこちらの大学にもあります。
ただ、日本の学食が、大学によりけりとは言いながらも、概ね相場よりも格安であるのに対し、こちらの学食はそんなに安いとも思えないです。
僕が最初にオーストラリアに来たのは、語学留学で、シドニー大学付属の英語学校に20週間ほど通ってました。学校自体の質は、当時は「こんなもんなんだろうな」と思ってましたが、後にいろいろな学校を調べるにつれ、「うーむ、これはオススメできんな」という結論に達したのですが、それはそれでまた別の話。
当時、右も左もわからずだだっぴろいキャンパスをほっつき歩いて、「お、学食、ちゃんとあるじゃん」と食べておりました。そのときは、日本の感覚のまま、「味はともかく、とにかく街で食べるよりは安いんだろうな」と信じてたわけですが、何のことはない、そこらへんのストリートの店と似たり寄ったりか(at best)、 むしろ高くて不味いんじゃないか (at worst)ということが判明しました。
まあ、昔の話ですし、シドニー大学のメインキャンパスだけの話ですので、オーストラリアの大学一般もそうなのかどうかは知りません。しかし、当時としては、信じていたら裏切られたみたいな(大袈裟)、「そりゃあ、ないだろう」ってな感じでありました。
そんななか、このサラダバーだけは良かったです。安い!
このシステムが、また結構カルチャーショックだったのですが、写真でもわかるように中央のトレイに、レタスだのトマトだの、サーモン、ローストビーフ、ハム、チーズ、沢山おいてあります。まずは、日本のサンドイッチの比ではない、その具の豊富さに目を奪われたりするわけですね。で、自分で勝手にパン(これも色々あった)を取って、好きな具を乗せていき、完成したサンドイッチをレジにもっていって精算するということになってるのですが、特筆すべきはその精算方法。
「こんなのどうやって精算すんのかな?レジのところでパンをめくって中身の具を確認して、トマト幾ら、サーモン幾らで精算するのかな?まさかね?」と不思議だったわけです。答えは簡単、レジの所で重さを測って、それで100グラム幾らで精算するという。
つまりローストビーフ100グラムも、レタス100グラムも同じ値段なのですね。もう一切合切ひたすら重さだけで精算しちゃうという、すごいシステムになってるわけです。このシステムが判明すると、貧乏臭い日本人としては、「おおおっ、そうかあ!!」と燃えるわけです。もうトマトみたいに安くて重そうなのはシカトして、ローストビーフとか高そうな具ばっかり入れたりするのですね。で、「むふふ」と、すごい得したような気分になるという。
でも、ふと気づくと、地元の学生さんとか、非常にあっさりしたもんで、野菜だけ適当にいれたらそれで終わりみたいなサンドイッチを作ってたりするわけですね。まあ、人によりけりですが、総じていえば「おおお、これは高い具を入れなきゃ嘘だぜ!」というオーラが全然出ていない。
そんなの見せつけられると、ああ、俺ってなんて貧乏臭いんだろ、、と思ったりするわけですね。また、なんてこの国は食い物が豊富なんだろうとも思わされるわけです。
テイクアウェイ(テイクアウト)などを頼んでも、肉なんかゴロゴロ入れてくれるし、タッパーに入りきれないくらいてんこ盛りにして、蓋をギューっと押し付けて閉めるという。下手に蓋を取ったら、ビックリ箱みたいにビヨーンと中身が飛び出るんじゃないかってなくらいです。ま、これもちょっと大袈裟ですけど。
そんなわけで、当地は、量とか具に関しては満足度120%なのですが、振り返って日本を考えると、かの地のでは具はやっぱり「貴重品」ですよね。今もあるのかどうか知りませんが、その名も「具が多い」なんて、具の多さを売りにしているレトルト食品があったりして。レトルトカレーでも、「どこに肉があるんじゃい」というくらいのサラサラ度だったりしますし、カレースタンドのマニュアルでも、「カレールーはお玉一杯に肉は二切れ」と決まってたりして。戦後の配給食みたいな。
なんの話かというと、学食の話でした。
学食はさんざんお世話になりました。個人的に超ビンボーだったせいもあり(周囲は皆ビンボーでしたが)、学食ですら御馳走でしたね。なんでそんなにビンボーだったんだろう?と思うのですが、やっぱりギターなんかやってたのがイケナイのですよね。仕送り月7万も貰ってたのですが、それでいきなり10万円以上のギターを即金で買ったりしてましたから(中古売買だったもんで、ローンがきかない)。エレキギターというのは、やれエフェクターは揃えなければならんわ、またこのエフェクターの電池が高いくせにすぐに切れるわ、弦もビシバシ切れるわ、ピックも擦り減るわ、ランニングコストがキツいです。それでまた、新譜が出たら買うわ、「古典(ジミヘンとか)」も買うわ、コンサートも行くとかやってますから、いつもビンボー。
下宿にいた他の連中も似たり寄ったりでしたね。悲惨なのがキーボードの奴で、シンセ買ったり、オルガン買ったり、とにかくキーボードってのは機材が無いと始まらないから、ローンを7つも背負ってバイトに明け暮れてました。可哀相なことに、キーボードってPCと同じで技術革新が早いから、最高機種で大枚叩いて買っても、ローンが終わらないうちに同じ機能で激安なのが登場するという。
「昨日からろくに食ってない」なんて奴が結構いましたし、「学食いって栄養つけなきゃ」みたいなノリはありました。そういえば、学食で「ゴハンの盛り方が少ない」と文句付けてる奴も珍しくなかったですね。なんか、日本の話というより、アフリカかどっかの難民キャンプみたいな話ですけど。
ですので、京都に住んでたからといっても、京都料理なんか全然知りません。社会的階層の問題として、まったく接点が無かったですよね。僕が一番身近に知ってる「京都料理」は、ビンボー人の味方、デフレ日本の先駆けのような「餃子の王将」と、ギトギトヌルヌルの「「天下一品」くらいですね。そういえば、どちらも勢力を京都以外にも広げてますが、京都を離れると味が違ってそんなに美味しくないように思います。京都駅より南にいっただけで、もう違うような気がする。
こんなビンボー話、今の「飽食日本」 には無縁かというと、そんなことないと思います。また、人間は一旦身につけた生活水準をなかなか落とせないとも言いますが、これも嘘だと思います。もちろん人によりけりですが、水準を落とす理由を本人が納得してたら、いっくらでも落とせます。
例えば、それまで大企業で高給取ってて、接待その他で美食慣れしてるような人が、一念発起して、自分の会社を立ち上げて奮闘してる時期って、一気に無収入に近くなるでしょうし、当然生活水準も下がるでしょう。でも、その人はそれをツライとは思わないんじゃないかな?
ワーホリで来られる日本人だって、すぐに現地のビンボー生活に慣れます。観光でオーストラリアに来るときは一泊何百ドルクラスのホテルに泊っていたのが、ワーホリになったら、最初は個室シェアで週160ドル、さらに慣れるとルームシェアで100ドル、さらにラウンジシェアで70ドルという具合に下がっていったりもします。タバコもじきに、自分で紙で巻くようになったり。金銭感覚ガラッと変わりますが、だからといって、貧乏だからミジメで切ないって思ってる人はそんなにいないんじゃないかな。
これから日本も、小泉さんの言ってる、そして多くの人が支持してる構造改革が進めば、今よりももっと皆さんビンボーになることでしょう。それを承知でOKを出してる人が結構おられると思うのですが、それは結局、先行不透明で納得のいかないリッチさよりは、先行きが明確で納得の行くビンボーの方がずっとマシだと考える人が沢山おられるからだと思います。
まあ、ビンボーになったらなったで、また学食にいって栄養つけてくればいいんですよね。
ところで、昨今の日本は、外食産業を中心に激安というかすごいデフレになってますので、学食なんかいらないかのようにも見えます。でも、あの種の激安系の安さと、学食の安さは、何というか質が違うような気がします。デフレ系の安さって、どこかしら「痛々しい」です。「これだけ安くするためには、あちこちで泣いてる人がいるんだろうな」とか、「こんな安くされたら、またこれから泣く人が沢山でてくるだろうな」とか、そこにはシビアな競争社会の痛み、金属をペロリと舐めたときに舌先に残る苦味みたいなものがあるような。「安いとかいって喜んで食べてる場合じゃないんだよな、明日は我が身なんだよな」という感じで、なんだか消化に悪そうだな。
何というか、もっと、普通に安くなったらいいのにな。つまり、「そんなにいい肉使ってないから安いです。でも、じっくり煮込んでるからそれなりに美味しいよ」という、誰も泣かないような安さ。それが、まあ、学食的な安さなんでしょう。そっちの方が消化には良さそうです。
写真・文/田村
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