今週の1枚(01.07.09)
雑文/パスワードが思い出せない
今回の写真は、あからさまに日本の写真です。
京都御所。ハッキリと撮った位置まで覚えてないけど、察するに、蛤御門から真っ直ぐ東に抜けるコースで、前に見えている山の左方向には左大文字山がある筈だと思います。
なんでこんな写真が登場するかというと、話は目茶苦茶パーソナルになります。話せば長いことながら、、、
実は、パスワードを忘れたのです。
昔々に使っていたネット(Nifty Serve)がありまして、最近はとんとご無沙汰してたのですが、ふと「もしかしたらメールがきてるかも」と思ってアクセスしてみようと思ったところ、「う、、、パスワード忘れた、、」となったわけです。よくある話ですよね。それから一日、非常に気持悪いというか、中島らも氏風に言えば「頭の中が痒い」というか、えらい思いをしました。
このNiftyとの付き合いは、実は古いです。最初に入ったのは、まだ「昭和」と言われていた頃です。たしか昭和63年の5月にNiftyが発足して、その11月くらいに加入したから、バリバリ古いですよね。その頃はインターネットではなく、まだパソコン通信なんていってたし、僕はパソコン嫌いだったからワープロでやって、ワープロ通信だったわけです。
ちなみにパソコンは未だに嫌いです。文章書くのだったら、ワープロの方が便利だと未だに思います。なにがいいかというと、一番大きな理由は辞書。もうパソコンの、、というかパソコン一般のせいではないのでしょうが、Windowsの辞書の阿呆さ加減には怒りを通り越して脱力してます。言葉を知らないにもほどがあるというか。
辞書が馬鹿だと、書くスピードが極端に遅くなるし、このスピードがまた微妙に作文能力に影響するんですよね。また、その昔は、富士通の親指タッチなんて使ってましたから、ローマ字入力の軽く二倍の速さで入力(実際には2倍以上だと思う)できました。やっぱり殆ど喋る速さで入力できたら、自ずと書く内容も変わります。意識がぶっ飛んでいくスピードをフォローできるから、想念の方もどんどん前に進んでいけるし、とんでもないアイデアが出てきたりするのですよね。
今はチンタラローマ字で打ってますし、いちいち変換でイライラしてますので、せっかく思い付きそうないいアイディアやネタもどっかにいってしまいます。この今週の一枚だって、この程度の雑文だったら30分で書き上げられなければ嘘なのに、その数倍掛かってますし、時間掛かった文章というのはリズム感が悪くなるし、発想の飛躍やキレがないから、クオリィティも低くなる。CPUの速さとか、ハードディスクの容量とか、そういう方面での発展なんかどうでもいいから、辞書とかそういったベーシックな部分を改善して欲しいです。
それはさておき、そんな昔からネットはやってたわけで、パソワードもその頃から毎日入力してたわけですが、忘却というのは恐ろしいもので、ほんと「削除!」って感じで、ウンともスンとも出てこなくなってしまってます。
というわけで、パスワードを思い出す為に、その当時の生活環境を必死になって喚起したりしていました。まだ日本に住んでいた頃の生活の記憶を掻き集めてたわけです。
すると、段々妙な感覚に包まれてきました。
確かに思いだそうとすれば思い出せるのですが、なんか遠い世界の話みたいで、リアリティがないのですね。
俺、本当に、あんなことして生きてたんだろうか??
という気になってくるわけですね。なんか自分のこととは思えなくなってくる。
「先週みた夢」くらいの曖昧でつかみ所のない、不確かな感覚。
あの時、自分は何を考えてたんだろう?
パスワードにするくらいだから、自分にとって身近で覚え易く、それでいて第三者からは推測困難な物事にひっかけていた筈です。まさに自分でなければ思い付かないようなパスワードにしていた、、、そこまでは確かなんですが、それが全然思い付かない。当の「自分」である筈なのに。ということは、その当時の自分を、今の自分が再現できなくなっているのですね。自分でありながら、他人みたいな感じです。
この奇妙に不安で、奇妙に好奇心をかきたてる感覚を発見したら、だんだんパスワードなんかどうでもよくなってきました。「そんな古い話でもないし、全部覚えてるさ」と軽く思ってたら、意外にかなり忘れている。「殆ど他人」というくらいまで忘れていると、今度は断片的な記憶を掻き集めるのが面白くなってきました。すっかり忘れていた細かなデテールを何かの拍子に思い出すと、不思議なリアリティとともに頭の中にそれが再現される。まるで第三者の体験を頭にインプットして追体験してるみたいな。まるでヴァーチャル・リアルティみたいな。
・冬の朝、原付のヘルメットをすっぽり被ったときの、ひんやり冷たい感触
・夜半、職場に帰ってきて、一階のエレベーター脇の守衛さんにもう一回事務所のキーを出して貰うときの守衛さんとの談笑
・近所のダイエーに買物に行って、いつも自転車の置き場所探しに苦労していたこと
・大阪地裁の朝10時前の混んでるエレベータのこと
・大阪拘置所。暖房の利いた弁護士控室。順番を待ちつつ記録をめくり、ふと目を上げるとガラス戸越しに冬の弱々しい陽射に包まれた大川が見えた。
・京都地裁の午後1時の口頭弁論が終わったあと、河原町通りのバス停まで歩き、バスが中々来ないから、すぐ近くにある古本屋のガラス戸をガラガラと開け、、、、そうだ、そこで杉本良夫氏の「日本人をやめる法」という本に出くわしたのだった。オーストラリアのオの字も考えていなかった僕が、はじめてオーストラリアについて知ることになった始めの一歩。
という具合に、「思い出し追体験、バーチャルリアリティごっこ」をやってました。そうなると、人間の性でしょうか、どんどん刺激を求めて難易度の高い方向に進むわけですね。で、学生時代。
そこで、上の写真になるわけです。
この道、何百回となく通ったことか。
僕がこの写真の先にある大学に通いはじめたのは、1979年のことです。だから何年前?22年前?ほ〜、22年なんかこんなもんか。子供の頃は「22年」なんて気の遠くなるくらいの時間で、ほとんど「一世紀」と同じくらい実感のない長さだったのですが、実際に過ぎてみたら大したことないですね。これから22キロ歩くんだ!と意気込んでたら、車に乗せられて20〜30分で着いてしまった、というようなあっけなさです。
しかし、22年ともなると、「自分のことなんだけど、まるで他人みたいな感覚」は一層強くなります。
あれ、でも、待てよ。うーん、妙に親近感もありますね。よくよく味わってみると、7〜8年前に弁護士やってた頃の方が、他人度が高いような気がする。大学の頃の自分、とくに遊び呆けてた19、20歳の頃の方が、「あ、俺が居る」って気がする。どうしてなんだろ?
もしかしたら環境的に今と似ているからかもしれません。
日々あれこれ忙しげにやっていながら、ちょっと離れてみると、トータルとしては全くヒマな日々。
高校までと違って、24時間全ての管理権を任された日々
初めての一人暮らしを始めた日々
自分のことだけ考えていれば良かった日々。
何処にも所属せず、何処からも自由で、何処にでも行けるし、何にでもなれると思っていた日々。
360度自由なんだけど、逆に言えば360度何にもツテがなく、要するに無力が故に自由だった日々
いやあ、確かに良く似てるかも。
ちょっと色々見廻ってきて、またもとに戻ってきたのかな。
オーストラリアに着いた頃は、子供時代、つまり幼稚園とか小学校の頃の感覚が甦ってきてました。それが大学時代にシンクロするようになってきたということは、多少なりとも成長しているのかもしれません。
写真・文/田村
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