高齢者ケア特集(9)

訪問看護の行方

99年11月

マレーシアから移民してきたヘレンは、先日フィリピン人の友人デイジーの訪問を受けた。ヘレンはてっきりデイジ一が一人で来るのかと思っていたら、ヘレンが会ったこともない友人とそのボーイフレンドも一緒にやってきた。

皆で話していた時、ヘレンの寝室で昼寝をしていた2才の娘が目を覚まし泣き始めた。ヘレンが部屋へ様子を見に行くと、他の3人もヘレンの後について一緒に寝室に入ってきた。

「全く知らない男の人が私の寝室にまで入ってきて本当に嫌だったわ。寝室はとてもプライベートな場所で、他人に入ってこられるのは大嫌いよ。」とヘレンは怒っていた。


そういえば私も初めて家に訪ねて来たまだあまり知らない日本人の友人が、部屋を見せてといってとめるのも聞かずいきなり私の寝室に入っていって嫌な思いをしたことがあったのを思い出した。

時には招待した人に部屋をすべて披露することもあるがその時はそれなりに心に準備をして部屋もきれいに片付けておく。いきなり他人に入って来られるのは抵抗がある。


先日、日本人の知り合いが家に泊まっていた。仕事だった私は洗濯物の取りこみを頼み、準夜に出かけた。帰ってくると下着まですべてたたんであった。私はあまり親しくないその人に下着を面倒見てもらったことを死ぬほど恥ずかしいと思った。

プライベートな部分を他人に見せたくないというのは体裁なのだろうか?2年前、母が手術を受けることになり帰国した。母は兄のお嫁さんに下着を洗ってもらうのは嫌だと、洗濯しなくても足りるようかなりの枚数のパンティを用意していた。


ヘレンと話していてアジア人は多かれ少なかれ同じように感じているのだと思った。日本もヘレンの暮らしていたマレーシアも病人や高齢者を家族が家で面倒見る文化を持っている。だから他人が入ることに抵抗があるのか?ヘレンとそんなことを話しているうちに、二人の共通の友人、ウェンディのことが出てきた。


彼女は大学病院で働くベテラン看護婦で、去年大学院の修士を終了した優秀な人だ。近所に住んでいるため、時々買い物をしていて偶然会ったりする。会うたびに今度バーベキューをしようとかランチをしようと誘ってくれ、私とヘレンを彼女の家に招待してくれる。

しかし私もヘレンも実はあまり行きたくない家なのだ。共通の話題が少ないということが一理あるが、何と言ってもあまりに家の中が汚いのだ。私は自分がすごくきれい好きという訳ではないし、掃除は得意じゃないから、埃がたまっているのに目をつぶって毎日を過ごしている。だから大きな事は決して言えるわけではないのだが、少なくとも人を招いた時は一応掃除機をかけトイレを掃除する。


私はウェンディの家ほど汚れた家を見たことがない。ダイニングテーブルの半分は古新聞とジャンクメールで20cmの山になっている。トイレを借りると、床にご主人と息子さんの洗濯物が山となっていて臭っている。いや、玄関を入るとすぐ特有のカビが生えたような臭いがしてくるのだ。

そしてペットの犬が外と家の中を行ったり来たりする。ヘレンは2才の娘が床にあるものを拾って食べたり、ウェンディの所にあるおもちゃで遊ぶのがいやだという。

ウェンディは大学で勉強中、自分の寝室の後ろに小さな勉強部屋を作った。本を借りに行くとウェンディは全く気にせず寝室を通って、勉強部屋へ入れてくれた。私だったら必要な本を居間に出しておいて見てもらっただろう。


ただ他人にプライベートを見せるかどうかということには、ジェネレーションの違いが関係していることも経験した。

オーストラリア人の友人ブロンは、日本語を勉強していて日本へ数回行っている。彼女はよく日本人の女の子をホームステイにとる。ある時ステイしていた20才の女の子はブロンに洗ってもらう洗濯物の中に生理で汚れた下着をそのまま入れて渡したという。

「私はあの子の母親でもメイドでもないわ。一体人を何だと思っているの?」とカンカンに怒って電話してきた。ブロンは交流を求めて日本人学生をステイさせていたから特にショックだったようだ。


私はアデレードに来てからずっと2週間に1度、地域の高齢者の家を掃除しに行っている。かれこれ7年の付き合いになるミセスKは今年で80歳になった。彼女は自分の寝室は自分で掃除機をかけるといい、私は1度も彼女の寝室に入ったことがない。


しかしこれらは極端な例だといえるのかもしれない。一般的に言ってオーストラリア人はあまり体裁を気にしない人が多い。

数ヶ月前、白内障の手術で入院してきた88才の男性は、元、医師だった。私は彼の術後の看護をした。麻酔から覚め軽食を取りトイレまで一緒に歩いた後、手術用ガウンから自分のパジャマに取り替えるのを手伝った。

バックから出てきたのは、きれいに洗ってたたんであったパジャマだったが、古くてゴムがヨレヨレに伸びきっていて、痩せたこの医師の腰からズルズルと落ちていくのだった。もう一枚のパジャマを見つけたが、それも同じ状態だった。家では安全ピンで止めているといい、安全ピンを見つけて何とかパジャマはウエストに落ち着いた。

バックの中のランニングシャツやパンツも色が黄ばんでいた。介助しながら、この男性が入院にも一人でやってきたのを思いだし、この人はきっと奥さんがもう亡くなって一人暮しで周りのことが面倒見れないのだろうと思った。


その夕方、電話で「やあ、ドクター・マーザックだが、実は私の親愛なる父が今日手術を受けたのだが、調子はどうかね?」という電話が入った。手術はうまくいき、今休んでいることを告げると「じゃ、後で彼のワイフを連れて会いに行くからよろしくね。」といって電話が切れた。

「ああ、この人は奥さんが健在なんだ…、そして息子さんはドクターなんだ。」結局、何を着ようと関係ない、きれいにあらってあれば体裁など気にしないということなのだろうなと思った。


この男性に限らず、裕福そうにみえる患者さんでも、わざわざ新しいパジャマや下着を持ってくる人は少ないといえるだろう。別に新しいものを持ってくる必要は全然ないのだが、かなり古くて色が黄ばんでいたり、ほころびている物を持ってくる人もずいぶん見かける。

やはり日本では、持っている物の中でもきれいなものを選んで病院や旅行に持っていくのではないだろうか?日本に住む知人の子供が小さいころ病気がちでよく入院していた。彼はお嫁さんが入院のたびに新しいパジャマや下着を買うため家計がかなりきつかったと後でこっそり話してくれたことがある。


ウェンディやこの患者さんを見ていて、このように自分のプライベートな部分を他人に見られることを気にしないのなら、訪問看護やお掃除・身の回りの世話などで他人が家の中へ入ることもあまり抵抗なく受けいれられるだろうと思った。

実際、オーストラリアの訪問看護制度と家庭介助システムはしっかり社会の中に定着している。文化が多少なりともその発達に影響しているということは否定できないと思う。日本の文化に本当の意味で訪問看護・介護を取り入れるにはこの文化の違いを年頭においた繊細な注意が必要だと感じる。


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