高齢者ケア特集(5)

死を「看取る」

99年9月

オーストラリアで初めて死を「看取った」のは、老人ホームで夜勤看護婦として働いている時だった。


94才のロンは前立腺ガンの既往があり、寝たきり状態で意識もはっきりしないことが多くなり、食事も余り採れなくなってきていた。ロンの安楽を保つため、モルヒネシロップだけは定期的に投与するという看護方針が出た。86才の妻と62才の息子さんが毎日ロンに会いに来ていて、何かあったらいつでもいいから連絡してほしいと言っていた。

私と準看護婦のジェーンが朝の巡回でロンの体位交換をし、モルヒネシロップを少しずつ口に含ませた。ロンの呼吸はその5分後に停止した。普段から顔が青白かったロンの顔は少しずつ、ますます白くなった。急いで聴診器を持ってきて心音を聞こうとした。すると、聞こえるはずのない心音が聞こえる・・・。

ロンの呼吸は明らかに止まっていた。ジェ−ンも呼吸はしていないと言う。私は焦った。何度も何度も心臓のあたりに聴診器を当てた。冷や汗が出てきた。後で分かったことだが、私が聞いていたのは、まだ動いていた腸管内の音であった。


家族を呼んでも私はまだ焦っていた。どこで『死』といったらいいのかわからなかった。とにかく呼吸が止まったことを確認した午前5時5分を死亡時刻と報告した。心停止後に起きる瞳孔拡大を確認することなど頭にも浮かばなかった。そうしているうちに朝が来て、ベテラン看護婦に残りの処置をお願いし、何とかその日の勤務を終えた。


私は日本で何度も心臓停止、血管確保、心臓マッサージの場面に遭遇してきていた。違っていたのは、日本の病院では緊急時、すぐにどんな患者さんにもまず心電図がつけられ、心電図を見ながら心臓マッサージがされていること。心電図がフラット(直線)になるのを見て『死』を確認してきていたのだ。

そう、病院では患者さんがどんなに高齢であろうとガンの末期であろうと、心電図がつけられ、医師も看護婦も、患者さんより心電図を見ながら蘇生を試み、そして死が確認されていた(もちろん医師はその後、瞳孔を調べたりしていたはずだが)。


私は自分自身が「心電図の死」しかしらなかったという事実に気づき、少なからずショックを受けた。そして看護婦が一人で「死を看取る」ことになる、オーストラリアの看護に不安を覚えた。


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